街の大教会にある高い塔の天辺には、秘密の宝が隠されているという噂があった。 ……らしい。 もしかしたら今もあるのかもしれないが、俺は知らん。 何故なら、俺こそがその塔の天辺にいるからである。 しかし実際、その噂はあまり間違ってないだろう。 ここには様々な宝がある。 ただそれはどれも、ここの教会の支配する地域では、異教の産物ないしは異端の証であり、所持しているだけでも捕まり、拷問にあい、挙句の果てには処刑されるような品々だ。 そんなものをわざわざ盗み出そうとする奴もいないだろうということか、ここの警備はえらく緩やかだ。 おそらく、侵入するのは容易いことだろう。 …出て行くことまで簡単かどうかは知らんが。 ともあれ、俺もまたその宝のひとつとして、ぼんやりと時を過ごしているわけだが、ここしばらく、夜になるたびに訪れる珍客があった。 トントン、とノックされたのはドアではなく、木の鎧戸だ。 つまり、塔の外から叩かれている。 律儀に毎夜叩かれるそれに、俺はため息混じりの声で、 「どーぞ」 と応じた。 鎧戸が開かれ、すとんと小さな音を立ててそいつは床に飛び降りた。 慣れてるから確認もろくにしないで、見事に何もない場所に下りたな。 俺は半ば感心し、半ば呆れながら、 「また来たのか」 「はい、今夜も来ました」 そう言った声も涼やかだし、足音やなんかの感じからして、なかなかの長身かつ細身らしい。 自信に溢れた態度からして、どうやら結構な美形らしいとも思いながら、俺は一応顔をそいつの方に向けた。 「今夜もご機嫌は麗しくないようですね」 「当たり前だ。こんなところに閉じ込められていて、不機嫌でない奴はそういないだろ」 「そうでしょうね。…少しでも、気晴らしが出来たらいいのですけど」 と言ったそいつは、近くにあった箱を椅子代わりにして俺の側に腰を下ろした。 こいつが何者かと言えば、簡単に言ってしまえば泥棒というやつらしい。 自称だから本当かどうか怪しいが、毎夜窓から現れるのだから技術は確かにあるようだ。 何度聞いても名乗らないので俺は適当にこいつをドロボーと呼んでいる。 「で、仕事もしてない暇なドロボーが何の用だ?」 「仕事はしてますよ。他でちゃんと、ね」 そう言ってドロボーは笑った。 ……らしい。 どうしてそんなことさえ推測でしかないかと言うと、俺には両の目がないからだ。 俺の力の源泉であったそれは、俺がここに囚われる直前に抉り取られ、何処かへと持ち去られた。 おかげで俺は自分の体を動かすことすらままならない有様である。 しかし、かと言って他にはこれといって困ることもない。 動けなくても平気といえば平気なのは、そもそも俺が自由に動きまわれるような代物ではないからだろう。 俺は、人ではない。 かと言って魔法の掛けられた何かでもない。 ただの――と言うにはあまりにも精巧に作られただけの――機械人形である。 俺の体の中に血は流れていない。 俺にもよく分からんが、様々な機械類やオイルが流れているらしい。 後は電気が流れてるのか? 理屈は俺を作った「三人の魔女」こと機械技師と発明家あたりに聞いてくれ。 今どこで何をしてるのか、それ以前にまだ生きてるのかってこと自体知らんがな。 ともあれ、俺の目はえぐり取られ、そのせいで俺の体はうまく動かない。 立ったり歩いたりすることはおろか、手を動かしたりすることさえままならん有様だ。 辛うじて首から上は動いている状態らしく、思考は正常に働くし、口も動くんだが、それだけというのはなかなか堪えるものがある。 しかし、あまりに長い孤独に慣れ、どうってこともなくなっていたのだが、ここしばらくやってくるこいつのせいで妙に騒々しさに慣れちまった気がする。 「で、そのお忙しいドロボー氏は今日もわざわざ暇をつぶしに上ってきたのか?」 「違いますよ。あなたに会いに来たんです」 それが暇をつぶすという行為でないなら一体なんだというんだろうか、と思いはしても言いはしない。 言うだけ無駄だろうと分かるからだ。 こいつは万事がこの調子で、どこまで本気なんだか知れたもんじゃない。 ただ俺としても退屈しのぎがあった方がいいから、訪問を拒まないだけだ。 もし仮に、俺がもう二度と来るなといえば、呆れるほどの素っ気無さを発揮するに違いない。 そういうタイプだ。 「もうそろそろ、復活祭のシーズンでしょう? あちこちで聖遺物の展示なんかが行われるので、街も浮き足立っていますよ」 「ここまで時々騒々しい音が聞こえてくるくらいだからそうなんだろうな」 「おや、聞こえてきますか?」 「ああ。合唱隊が賛美歌の練習をしてるのだとか、空砲の音みたいなのも聞こえるな」 「耳がいいんですね」 とドロボーは感心したように言って、笑ったのだろう。 柔らかく空気が揺らいだ。 「ねえ、また何か話をしてくれませんか?」 「話?」 「ええ、なんでもいいので、あなたの声を聞かせて、僕の胸に刻み込ませてください」 「…まるで遠くにでも行くようなことを言うんだな」 呟くように返しながら、俺は寒気に似たものを感じていた。 こいつもこうして俺の前からいなくなるんじゃないか、と。 びくつきそうになるのを押さえ込みながら、そう尋ねた俺に、ドロボーは小さく声を立てて笑った。 「ええ、少しばかり遠出をして来ようかと思いまして」 「…遠出だと?」 「はい。そうですね、二月あまりで帰ってこれるかとは思います」 そんなに、と口には出さなかったはずだ。 しかし、唇くらいは動いていたかも知れん。 ドロボーは殊更に柔らかな声で、 「少しばかり長くはなりますけど、ちゃんと帰ってきますから、待っていてくださいね」 「かっ、帰ってくるってのはなんだ。ここはお前の家でもないし、それに、待っていろも何も、俺はここから動けんのだぞ?」 「僕はここに帰ってきますよ。あなたのいるところに、ね」 そう言ってドロボーは箱から立ち上がり、俺に近づいてくる。 「なんだ…?」 訝る俺の肩にその手が触れる。 「え…」 「黙って……」 いやに近くで聞こえた声は、どこか熱っぽく思えた。 それに気圧されたわけじゃないが思わず黙り込んだ俺の体を暖かな腕が抱き締める。 思わず瞼を開いたが、瞳がない以上何か見えるわけじゃない。 むしろ、一層見苦しい顔になっただろうに、ドロボーはそれにも怯まなかったらしい。 小さな笑い声が俺の顔に触れ、唇に柔らかなものが触れた。 俺を座らせてある豪奢な飾り椅子がきしんだ音を立てる。 「な……っ…!?」 驚いてもがこうにも俺の手は動きもしない。 呆然とする俺に、そいつは優しい声で言った。 「あなたが好きです。あなたをここから連れ出したい……」 「そ、んな……無理、だ……」 「今は無理でも、不可能なことではありません。そのために、僕はちょっとばかり遠出をしてこようと言うんです」 明るい笑い声に、むしろぞっとした。 「な、何を企んでるか知らんが、危ない真似はやめろ!」 「心配してくださってありがとうございます。でも、そんなことをされたら余計に付け上がりますし、止められませんね」 「冗談はやめろ! それに俺は、お前の心配なんかしてない。お前が来なくなったって、清々するだけだ」 「では、留守の間も寂しくないですね。これで安心して行って来られます」 「ばかっ! 余計な真似すんな!」 「ええ、あなたが望まないだろうということは分かっています。ですからこれは僕のわがままなんですよ」 そう言ってそいつはひらりと身をかわすようにして俺から離れ、 「ではまた今度」 と言ってそいつはいつもと何も変わらない調子で窓の外へと消えて行った。 いつものように、律儀に鎧戸を閉めなおして。 「あ……っの、ばか……」 罵っても、あいつは戻ってこなかった。 俺はまた瞼を閉じて、黙り込むしかない。 沈黙する。 あらゆる感覚を鈍化させ、身を守る。 あるいは、心を。 清々するなどと強がったものの、本当はそんなものでは済ませられないほど、俺はあいつが通ってくることに何かを感じていたらしい。 それでも、どんなに鈍くさせていても、体内にある機構は正確に時を刻み続ける。 気が付くと、それを一秒の何十分の一単位まで把握しようとする自分にぞっとした。 そんなことをするだけ無駄だ。 どうしたって、時の流れは早くならないし、動けない以上俺はじっと待つほかない。 いっそ人のように気が狂ってしまえばいいのに、そんなところは丈夫に出来ているらしい俺はそうも出来ないし、そもそも、一瞬そんな考えが脳裏を過ぎっても、次の瞬間には自分で全否定だ。 気が狂って堪るか。 それこそ終りだし、俺が負けるということじゃないか。 負けるわけにはいかん、と思うのは俺の作り手の影響だろうか。 それぞれにタイプは違えど、負けず嫌いなところがあったことをよく覚えている。 俺は、負けたくない。 俺を彼女らから引き離したばかりか、俺の目を抉り取り、そればかりかこんなところに閉じ込めて忘れたような奴等に負けるわけにはいかん。 だから、俺は正気を保つ。 出来る限りで動作を確認し、状態を保とうと足掻く。 頭は正常だ。 体内にある機構も最低限の活動は続けているから、動かすことはそう大変じゃない。 必要なのは動力源だけだ。 それさえあれば動けると思いながら、その代わりになるものを求めて気配を探るのもいつものことだ。 ないということはわかりきっている。 あったとしても、動けない俺には手に入れられないことも。 それでも、そうして足掻くことこそが、今の俺に出来る数少ない抵抗の術だった。 眼窩から体内深くまで腐らせるような湿った風が、少しずつ生温さを増していく。 ようやく復活祭の時は過ぎ、それでもあいつは帰ってこない。 あいつが来なくなって二月が過ぎたところで、俺はここに閉じ込められて以来、初めての恐怖を覚えた。 あいつに何か遭ったのかもしれないと思うと、恐ろしくて考えるのを止めたくなった。 無事であって欲しいと、いもしない神に祈った。 せめて、生きていてくれたらいいと思ったのは、俺の作り手たちに対して思った以上の強さだったかもしれない。 彼女らは大丈夫だ。 きっとどうとでもしてくれる。 だが、あいつは分からん。 あいつに何か遭ったら、今度こそ俺はおかしくなっちまうかもしれん。 そう思うほど、あいつという存在が俺の中で大きくなっていたことに恐怖した。 ぞっとしながらも、恐ろしさに頭を明け渡すのが嫌で、俺は四六時中自分の体を確かめるようになっていた。 何か、なんでもいい、俺の力になってくれるものを求めた。 そうするしか、出来なかった。 本当に何か見つかったなら、それを手に入れられたなら、ここから逃げ出そう。 そうしてあいつを探しに行こう。 そう決意した。 ――不意に、力の気配がしたのは、あいつがいなくなって正確に82日が過ぎた夜中のことだった。 遠くから近づいてくる。 馴染みのある力の気配。 これ、は……。 「お久しぶりです」 窓をノックする音もしなかった。 勢いよく開かれたドアの音と共に、聞きたかった声がした。 「お前……っ!」 「お待たせしてしまってすみません。これでも急いだんですけど」 言いながら、どこか慌ただしく床に飛び降り、駆け寄ってくる。 嬉しくて、出ないはずの涙が出るかと思った。 「お前……」 ああくそ、名前くらい教えて行ったらよかったのに。 罵りたくなった俺を、そいつは強く抱き締めた。 「この二月というもの、早くあなたに会いたくて、仕方がなかったですよ。ここを出たその時からずっと…」 その声の熱っぽさに、俺の体温のない体も熱を持つように思えた。 動きたいと、これまでにない強さで思った。 この体を抱き締め返したい、と。 ギギッと、硬くきしんだ音がした。 そんな力など残っていないはずなのに、俺は無理に絞り出すように力を使って腕を動かし、その背中に腕を回した。 力が尽きてもいいと思えた。 案の定、絞り出した声は酷くかすれて弱々しかったが、 「…俺も、会いたかった……」 という呟きは、正しく耳に届いたらしい。 「嬉しいです」 そいつは優しく笑って、俺の唇にキスをした。 「あなたが好きです」 「…ん……」 頷いて、もう動けないかと思ったところで、指でそっと瞼を押し上げられ、眼窩に何かを落としこんだ。 その瞬間、力が蘇り、目に光が戻ってくる。 「あ…っ、なっ…!?」 「取り戻してきましたよ」 と笑った、えらく整った顔立ちの男がドロボー氏なのだろう。 「あなたの瞳を、こうして取り戻してきたんですから、僕が泥棒であることもみとめてくださいますよね?」 「…あほか……」 笑いながら毒づく俺の、もう片方の目にも、地味なこげ茶色の石が落とし込まれる。 「これは、ひとつは聖遺物をしまう箱の飾りとして使われ、もうひとつは十字架に飾られていたんです。どちらも復活祭でもなければうかつに近寄れないものだったので、随分と待たされましたよ。…本当なら、もっと早く取り戻したかったんですけどね」 「…っ、無茶すんなよ!」 「無茶なんかじゃありませんよ。だって僕は泥棒なんですよ? 盗みをしないでどうするって言うんです?」 とそいつは想像以上に柔らかく微笑む。 「さあ、今度はあなたの番ですよ。僕に盗まれてくださいますよね?」 「……その前に、ひとつ、教えろ」 「なんでしょうか?」 首を傾げたそいつを睨み、 「…名前、教えろ」 「ああ、」 合点がいったとばかりに声を上げたそいつは、にやりと笑ったかと思うと、 「嬉しいですね」 「いいから、早く白状しろ」 「僕は、古泉一樹と言います。あなたは?」 「……キョン」 「キョン、ですね」 古泉が確認するために呟いただけのその名が、特別な響きを伴って聞こえた。 「では、参りましょうか」 そう言って古泉は懐から白い包帯を取り出した。 「なんだ?」 「あなたのその目は目立ちますからね。とりあえずこれで隠しましょう。目を病んでいるのだと言えば通用しますから」 「ああ、そういうことか」 納得しながら、受け取った包帯を目隠しにする。 見えなくても問題はない。 他の感覚で周りの状況くらい簡単に把握出来る。 力が戻った今、目が見えるのと変わりないほどよく分かった。 それこそ、古泉が柔らかく微笑む様さえ、簡単に分かる。 「行くぞ」 「はい」 そうして俺は、どこか誰も知らない場所へと手に手を取って逃げていった。 塔に宝があるという噂がどうなったかは知らない。 ただ古泉は、 「宝があった、と言い換えるべきでしょうね。何しろ、僕の宝はもうあの塔にはなく、ここにあるのですから」 と恐ろしく恥かしいことを言って俺を抱き締めるので、そのまま俺の手で床に沈められた。 それでも、まあ、なんというか。 ……幸せとはこういうことを言うんだろうな。 |