王子と従者
  お題:王子様 ダンス パーティー



それは、少しばかり変わった、とある小さな王国の話である。
非常に国民思いで知られる王様は、自分の息子にもまた民草の気持ちを思いやれる人間に育ってほしいと願って、息子を小さな孤児院に預けた。
そこで優しい院長と素直な、しかし貧しい子供たちに囲まれて育った王子様は、とても心優しく育った。
為政者として、優しいばかりではならないと思われるのだが、優秀な宰相がいればそれでもいいと王様は思ったらしい。
しかし実際、王様の子育ての方針は実に正しかったのだろう。
何しろこの王子様と来たら、ぼんやりしているようで案外食わせ者なのだ。
権謀術数渦巻く宮廷で育っていたら、もっと恐ろしいことになっていたに違いない。
そんな、一見純粋だがその実かなり腹黒な王子様は、ある日突然王様に申し出た。
「いつかこの国を治めるものとして、今のうちに、実際の人々の生活を目にし、いまだ狭い見聞を広げるため、国中見て回りたいと思うのです」
とな。
王様は王子の立派な心がけに喜んだが、王子の従者はそれどころじゃない。
「殿下、突然何を言い出すのです」
「ずっと考えていたことですよ。それとも何か問題でも?」
「ありまくりです。見聞を広げるため、ということはお忍びで行きたいのでしょう?」
「ああ、やはりあなたは僕の一番の理解者ですね」
嬉しそうにそんなことを言う王子を睨み、従者――つまり俺だ――は言う。
「危険です。お止めください」
「どうしてです? あなたがいてくれたら安全でしょう? それとも、僕を守ってはくれませんか?」
「それは勿論、私は殿下の従者ですから、拒まれようともついていくつもりですとも。しかし、」
「よろしくお願いしますね」
笑顔で俺の言葉を封じた王子は、そのまま王様と打ち合わせに入っちまった。
俺はというと大人しく黙るしかない。
そもそも、本来俺は御前での発言を許されるような立場じゃないからな。
何しろ、俺ときたらただの王子付きの従者で、出身も他の連中と違い、貴族などではない。
ただの平民以下の、孤児院育ちだ。
今の扱いだって破格過ぎて嫉まれてるんだ。
これ以上は勘弁願いたい。
そんな訳で、俺は王子の部屋に戻ってから、厳重に人払いをした上で、
「どういうつもりだ」
と王子を睨みつけた。
「さっき目の前でお話した通りですよ」
にっこりと油断ならん笑みを浮かべて、そいつは言った。
「見聞を広めるのはよいことでしょう?」
「お前がただそれだけのために、そんなことをするとは思えんな」
「当然ですよ」
悪びれもせず、そいつは笑う。
「僕はいずれ、あのけばけばしく重たい玉座に縛り付けられ、囚われる身です。それまでの短い自由を楽しんだっていいでしょう?」
「ご乱行はやめていただきたいものですが」
あえて敬語で言ってやると、王子は途端に眉を寄せた。
「あなたこそ、僕と二人きりなのに、そんな風に堅苦しくしゃべるのはやめてくださいよ」
「あーはいはい」
と俺はため息を吐く。
「しかし、示しってもんがあるだろ。いくら兄弟みたいに育ったにしても、俺とお前じゃ生まれが違いすぎる」
「だから普段は我慢しているでしょう? ……あなただって、敬語なんて好きじゃないでしょうに、我慢させてすみません」
と殊勝ぶって言うのはいいが、それくらいならもう少し俺のことも考えてこうどうしてくれないものだろうか。
「俺は別に構わん。仕事なんだからな」
「…ありがとうございます」
ほっとしたように笑った顔に、孤児院から城へ連れ戻されようとした日の面影が重なる。
俺はつい、小さく笑って、
「早いとこ、俺なしでも平気になってもらいたいんだがな」
「一生経っても無理ですね」
きっぱりと即答して、王子は俺を抱きすくめた。
「おい……」
「離せませんから」
子供みたいなことを言う。
「…離せないのは俺の方だと思うんだがな」
そう返して、俺は王子の、いや、一樹の体を抱きしめてやる。
「見聞を広げるための旅なんかじゃないんだな?」
「ええ」
「じゃあ、俺と過ごすための……?」
薄く目を閉じながら問えば、
「そうですよ」
答えた唇が俺のそれに重なる。
「ん……」
ダンスでも踊るように、俺の手を取り、しっかりと掴む一樹に応えて、俺もその手を握り締める。
「僕だって、愛しい恋人のいる、年頃の、若い男ですからね。キスだけじゃ足りないと思いますし、もっとしたいことはいくらだってあるんです。でも、城の中では難しいでしょう?」
「…そう、だな……」
頷きながら、俺は余計な考えに蓋をする。
その旅が終わったら、何もなかったかのように振る舞えるのかとは言わない。
そうしなければならんからだ。
たとえそれで今以上に苦しめられるとしても、欲しいものがあるのは俺も同じだ。
だから俺は、
「それじゃ、慎重に人選して、パーティーを組まなきゃならんな」
「あなたがいたら他には誰もいらないと思いますけど?」
「そうは行くか」
お前は俺を買い被り過ぎてる。
「だってあなた、隠してるけど異常に強いし、知識もあるでしょう?」
「ねえよ」
「誤魔化さないでくださいよ」
と一樹は苦笑する。
「僕にまで隠さなくてもいいじゃないですか。……訓練の時、手を抜いてるの、知ってますよ」
そう言われ、俺はぐっと詰まる。
「警戒され過ぎるのが嫌なんですか? それは勿論、陰ながら僕を守ってくださるあなたには、今のように侮られている方がやりやすいんでしょうね。でも、だからってそれを僕にまで隠すことはないじゃないですか。……そうでしょう?」
「……そうだな」
と俺は嘆息する。
「が、隠したいのは習性みたいなもんだ。頼むからそう拗ねるな」
俺はそう言って一樹の頭を撫でてやる。
「……ひとつ、気になっていることがあるんです」
「なんだ?」
一樹は心配そうな顔で俺の目を覗きこんだ。
嘘など許さないかのように。
「…あなたは、どこまで自分の意思でここに…僕の側にいてくださってるんです?」
俺はその目をじっと見つめ返しつつ、
「……それに答える前に、俺にも一つ教えてくれ」
「なんでしょうか?」
「…お前は、どこまで知ってる?」
俺の問いかけに、一樹はくすりと笑って、
「それには後で答えましょう。そうでなければ意味がない。…そうでしょう?」
ああそうだな。
全くお前は頭が回りすぎて嫌になるぜ。
俺は小さく笑って、
「どうせなら、どこからか聞いてくれ。その方が答えやすい」
「…え……?」
くっと俺は喉を鳴らして笑った。
「俺は最初、親父殿の命令であの孤児院に行かされた。王子殿下を影ながらお守りするように、とな。それは最初からあそこにいる間だけの話になっていた。お前が城に帰った後、俺にも迎えが来ることになってたんだ。だが、それを断ったから、俺はここにいるわけだが……どこまでかは、俺にも分からんな」
にやりと笑いながら、俺は一樹のぽかんとした顔を見つめる。
「…それを決めるのはお前、だろ?」
「……嬉しいです…」
そう嬉しそうに笑う一樹に、
「で? お前は一体いつから気付いてて、どこまで知ってるんだ?」
古泉はにこにこしたまま、
「知ったのは最近、父からはっきりと聞かせてもらった時ですよ。勿論、それまでもいくらか気になってはいたんですけど、まさかと思いましたし。…気付いたのは……いつ頃でしょうね」
困ったように一樹は言った。
「院にいた頃から、ことあるごとにあなたがさり気なく僕を庇い、助けてくださっていたことには気付いてたんです。でも、それがどうして僕だけに向けられているのかが分からなくて、随分思い上がりもしましたよ」
「思い上がり?」
首を傾げた俺に、一樹は恥かしそうに笑う。
「ええ。…あなたが僕を好きなのではないか、なんて、酷い思い上がりです」
「……あほか」
俺はため息を吐く。
「俺の話を聞いてなかったのか? それとも、本当はお前よく分かってないのか? 俺の親父殿が何者か、分かってるんだろ?」
「国王直属の、秘密部隊の隊長…ですよね?」
「そうだ」
分かってるんじゃないか。
「だから、俺は本来もっと目立たないようにしなきゃならなかったんだ。なのに、」
俺は羞恥に自分の顔が赤くなるのを感じた。
えいくそ、感情なんてもっと巧く隠せるはずだってのに、こいつ相手だとこうなっちまうから腹が立つ。
「俺には、出来なかったんだよ。本当は、命の危険に際してのみ、お前を守ることになってたんだ。だが、俺は…っ、お前が他の奴らに馬鹿にされるのも、お前に傷がつくのも嫌だったんだ」
「…それ、って……」
「…っ、前、から、昔から、俺はお前が…、好き、なん、だよ…! お前に好きだって言われるよりも前から、ずっと…」
それこそ、俺の方がよっぽど長い間思っていたに違いない。
というかだな、
「今更、こんなこと、言わせんなよ馬鹿…!」
「す、すみません」
慌てふためいて古泉は俺をきつく抱き締め、その肩に俺の顔を押し付ける。
肩飾りがあたって痛い。
「お願いですから、泣かないでください…。あなたが泣くなんて滅多にないことだから、どうしたらいいのか分からなくなります……」
「な、いて、…っく、ない…!」
これはあれだ、汗とかヨダレとかそういうのだ。
「それでいいですから、……その、いえ、…泣かれるのが、嫌なんじゃないんですよ? 僕の前でそんな風にあなたが…弱さを見せてくれるなんて、そうないことで、…嬉しいです。でも僕は、その、気が利く方ではないので、う、わっ!?」
俺は強引に一樹の頭を引き寄せると、その唇に噛みつくようにキスをした。
「余計なこと喋ってないで、こういう時は黙って肩を貸すだけにしといてくれ、頼むから!」
「……どうせなら、もっと何かしたいです」
「は? …っ!?」
どさりと音がしたのは、俺がベッドに横たえられたせいだ。
「お、おい、一樹…!?」
「あなたって、僕に対しては本当に無防備になってくれますよね。…そんなところも嬉しくて、愛しいですよ」
そう言った唇が、俺の顔に触れるだけのキスを落として行く。
「ぁ、っん、ちょ…っ、待て、一樹……!」
「人払いをしたんですから、大丈夫でしょう?」
「だ、めだ、だめ…って、――マジでもう無理だから!」
と俺は思い切り一樹を突き飛ばし、乱されかけた自分の服を直し、髪を整える。
それが終ったところでドアがノックされる。
「失礼します、殿下」
ほらな、と俺は視線だけで一樹に言い、
「いかがなさいますか?」
と王子殿下に問う。
そいつは深い深いため息を吐いたかと思うと、外には聞こえないような声で、
「…旅に出ている間にこっそり、この部屋に次の間を作らせたいです」
「は…?」
「そうしたら、あなたにそこで控えていてもらって、いつでも二人きりになれるようにするんです」
「…な…っ」
赤くなりそうになるのを、これから仕事で人に会うという義務感でなんとか押さえ込む。
「他にも色々仕掛けられないか、考えておきますね」
そう言ってから、
「どうぞ、もう構いませんよ」
と外に向かって声を掛けた時には、そいつは王子様になっていた。
惚れ惚れするほど見事な王子様に、な。
全く、なんでこんな面倒な相手に惚れちまったんだろう。
そう思いながらも、俺は決してこいつを放り出せはしないに決まってる。
仕事だからと平気な顔を作っても、内心では既に一樹との旅が楽しみでならない。
それくらいには、夢中なんだ。
俺は本当に二人きりで旅をするために必要な手回しを考えながら、ほんの少しだけ唇を緩めた。
ついでに、この部屋に防音処置を施せないかなんてことを考えてることだけは、一樹にも言えないが。