世の中間違っていると思えるようなことってのは、案外あちこちにちらほら転がっていて、そういう間違いの集合体でもなんとなくやってけるんだなぁと思うと、力づけられる……なんてはずもなく、むしろ余計に呆れるか絶望するかしか出来ないような昨今なのだが、俺自身、色々と間違っている存在なのであまりくどくは言うまい。 何がどう間違ってるって、言うだけ無駄なくらい間違っている。 俺は――これは自分で言って胸を張っていいと思うのだが――容姿は十人並みで平々凡々としていて、悪くないだけマシというような造りだし、人見知りと言うわけでもないが初対面の人間と会って話すのに緊張しないような図太さも持ち合わせちゃいないし、大勢の前に出たら足が竦むことだってある。 それから、これは本当に致命的だと自分でも分かっちゃいるのだが、歌はとんでもなくへたくそである。 そんな俺が、CDを出すどころか出るたびランキングの順位が伝えられるようなアイドルユニットに参加していると言うのが、恐ろしく間違ったこの世の歪みだと思う。 …まあ、単品で売れている訳じゃないだけ、世の中はまだまともだということだろうか。 しかしそもそも、SOS団なんて微妙な名前のユニットが何故受けているのかがさっぱり分からん。 ハルヒの元気のよさと朝比奈さんの愛らしさ、それから長門の慎ましやかながらも安定した存在感、なによりその三人の容姿のよさからすると、売れなきゃおかしいのかもしれんが、そこにどうしてか俺が入っているのかと、事務所の方針なんかを問いたいところである。 というか、何度か聞いたんだがまともに答えてもらえた試しがない。 どうせハルヒの好きにさせてるだけだろう。 事務所社長の娘だからって甘やかしすぎじゃないか? だが、いくらハルヒがワガママ放題好き放題な傍若無人の塊であっても、落ち目になりかければ、俺はさっさと切られ、ハルヒたちだけがせっせと頑張るだろうと、俺は達観気味に過ごしてきたのだが、不思議と落ち目にはなっていない。 それどころか、いつかひとりで放り出されてもいいようにとそれなりに頑張っていた演技が、お世辞でだろうが褒められ、ちょこちょこドラマなんかに使われるようになっている。 …世の中というのは本当におかしなものである。 さて、そんな世の中の歪みの一つに数えれる俺なのだが、そのせいでか、俺の近くにはもう一つ歪みがある。 俺のマネージャーをやっている、古泉一樹のことである。 普通、マネージャーなんてのは表立って出て来ないし、そもそも表に出てくるような派手な人間はマネージャーなんてやってられないのがこの業界だろう。 見映えのするような派手なのや、見映えはともかく性格的に受けがいいようなのがいたら、ADでもカメラの前に引っ張り出すのが当然だ。 それなのに、古泉はもうずっと俺のマネージャーなんて地味なもんを続けている。 顔なんか俺よりもよっぽど分かりやすいアイドル面だし、声はいいし、歌はうまいし、実は演技だって玄人はだしの実力の持ち主だってことも俺は知っている。 それなのに、こいつはいつまでもマネージャー。 別に、うちの事務所の陰謀ってわけでもない。 事実、他からスカウトがガンガン来るようになる前から、こいつは散々デビューの話を持ちかけられている。 ただそれを古泉自身がことごとく断っているというだけの話なのだ。 なんなのかね、と俺は胡乱な目つきで隣りにいる男を見上げた。 見上げることになったのは俺が椅子に座っており、そいつが立っていたからであるが、俺が立っていても見上げることに変わりはないくらいの長身。 さっきからうんざりするほど続いているスカウトを断り通しているその話し声は伸びも耳触りもよければ滑舌もいい。 ほんと、何でお前は俺のマネージャーなんかやってんだか。 呆れている間に、どうやら向こうが根負けしたらしい。 「また来るから」 なんて言いながら出てった。 来るもなにも、ここは一応俺の控え室なんだがね。 少しばかり面白くないと思っちまったのが顔に出たか、古泉は申し訳なさそうな顔をして、 「お待たせしてしまってすみません」 と謝った。 お前のせいじゃないし、少々待たされても別に構わんが、 「顔がいいと大変だな」 顔だけが理由でスカウトされてるわけじゃないと分かっていてそう言っても、嫌な顔など古泉はちらとも見せない。 本当によく出来たマネージャーだよ。 「いえ、僕のせいでご迷惑をおかけしてすみません。もう帰るところだったのに……」 「もう帰るところだったからいいって。…ほら、帰るぞ」 「はい」 何が嬉しいんだか、古泉は笑顔でいそいそと俺の荷物を持つと、俺についてくる。 そんな時の顔はどこか無邪気で、子供っぽくすらある。 「お前も、いい加減観念して、うちからデビューすればいいんじゃないか? 俺よりずっと売れると思うぞ」 皮肉でなくそう言ったってのに、古泉は恐縮したような顔で笑って、 「僕の顔は安っぽくてだめなんですよ。顔だけしか取柄のないような芸能人にはなりたくありませんし」 どの口で言うんだか、と思いながら、 「悪かったな。顔じゃハナから勝負にならんアイドルで」 「拗ねないでくださいよ」 と敬語は維持しながらも、そんな風に軽口を叩く程度には、こいつとの付き合いも長くなっている。 俺はこいつを信じてるし、信じてるからこそ、こいつの迷惑になるような行動は慎もうか、なんて思う程度には首に縄を付けられている。 つまりはまあ、ある種歪んでるもの同士、丁度いいってことなのかね。 それにしても、どうしてこいつはデビューの話を延々断り続けるんだろうか。 他に何かしたいことがあるにしては、マネージャー業に専念していて、副業や趣味があるような気配もない。 この業界を怖がるには古泉はよく知りすぎているし、第一立ち回り方もうまいんだから問題はないだろう。 他にも、デビューを躊躇う要素があるとは到底思えないくらい、あれこれ器用にこなせるだけに、全く理由が分からん。 …まさか、トークのくどさを気にしてとかじゃないよな。 思いつくネックはそれくらいなんだが、それだって敬遠されるほどじゃないだろう。 むしろ、喜ぶ奴だって多いんじゃないか? 男の俺だって、古泉の話を聞いてるのはそれなりにためになったりして面白いと思うんだ。 声フェチっぽい女の子なんて、いくらだってひっかけられるだろう。 なのになんで、といくら首を傾げても分からんもんは分からん。 何かの折にちょっとばかり食い下がって聞いてみたこともあるが、 「僕くらいのレベルならいくらでもいますから」 と言って本当のことは教えてくれなかった。 …ああ、それが本当のことじゃないってことくらいは分かるさ。 それだけの付き合いはあるからな。 たとえそんな風に一定の距離を置かれるにしても、古泉と一緒にいる間はいい。 古泉がいてくれると便利だし、無駄に博識だから会話に困ることもないし、こっちが黙っていても心地好いBGMみたいに喋り通してくれるからな。 だが、それだけに、マンションの自分の部屋に帰ってひとりになると、無性に寂しくなる時がある。 そうして、今日はどうやらそういう日だったらしい。 マンションに帰って、もう古泉と別れる、と思ったらその段階で既に、腹の中がずんと重くなったような気がして、我慢出来なくなった。 だから、 「ここでいい」 と部屋まで送ろうとする古泉に言い、 「荷物だけ部屋に運び込んでおいてくれるか? ちょっとコンビニでも行って来る」 「付き添いますよ?」 と言ってくれるのはありがたいが、 「お前も明日は休みだろ? さっさと帰って寝ちまえ」 と断って駆け出す。 本当に向かうのはコンビニじゃなくて、近くのちょっとした居酒屋だ。 先にも言ったように、俺は平々凡々とした顔だから、特に変装らしいものをしてなくても、普通にそういう場所に溶け込める。 入るなり、 「生チューひとつ」 なんて言ってカウンターに座れば、いつものおばちゃんが、 「はいよ」 なんて声と共に出してくれる、泡もろくに立ってないような、適当な注ぎ方のそれが結構好きだったりする。 で、またそこのツマミがうまいので、調子にのって飲み食いしているうちに、大分酔いが回ったらしい。 ふわふわした心地になってくる。 自慢じゃないが、俺はそんなに酒に強い方じゃない。 ビールを中ジョッキにひとつも空ければ軽い酩酊感は味わえるし、更に飲めばあっという間に泥酔出来るので、ひとりで飲むのはやめてほしいと古泉に頼まれてるくらいなのだ。 だが、あえてその禁を破りたくなるほど、腹の中がぐるぐるしていた。 掴み難いそれを洗い流したくて流し込むビールは酷く苦かった。 そのせいか、褒められたものじゃない考えばかりが浮かんでくる。 …いっそ、騒ぎでも起こそうか。 そうしたら、古泉はお役御免になって、そうすりゃ晴れて華やかなところにだって出られるだろう。 そんなことを思ったところで、 「…こんなところにいたんですか」 呆れだか安堵だか分からない声がした。 「…古泉……」 古泉は怒っているのか困っているのか皆目見当もつかないような複雑な顔をしていた。 酔いに任せて、変な顔だと笑ってやりたいのに出来ない。 「あまり心配させないでください」 そうため息まじりに呟かれて、泣きそうになる。 というか、泣いたんだと思う。 古泉がぎょっとした顔をして、俺からジョッキを取り上げ、それから財布を引っ張り出し、まるで俺を掻っ攫うようにして店から連れ出したってのは、そういうことなんだろう。 目は熱いし、横隔膜あたりは変に震えるしで、言葉もうまく出ない。 そんな状態だから、まともに歩けたとも思えないってのに、古泉はちゃんと俺を部屋まで連れ帰ってくれた。 「お、かんじょ、は……?」 しゃくり上げながら聞くと、 「ちゃんと支払いましたよ。…あなたが怒るから、ちゃんとあなたのお財布から」 「ん……だ、ったら、いい……」 「もう寝ちゃいます?」 優しく頭を撫でられ、寝やすいようにとシャツを脱がされる。 ズボンまで脱がされて、楽になったと言うのに、俺は古泉にすがりつくようにしがみついていた。 「どうしました?」 「…なんで、迎えに来たんだ……?」 「あなたがいつまで経ってもお帰りにならないものですから」 「…帰って寝ろって、言った…」 「言われました。でも、心配だったんです。荷物があったから出来ませんでしたけど、本当はすぐに追いかけたかったくらいなんですよ。…今度からはそうしますからね」 たしなめるように言いながら、古泉は優しくあやすように俺を抱き締めてくれる。 「…っ、なん、で……」 ぼろぼろと溢れる涙は止まらない。 「…なんで……」 「…何がです?」 「……分からん…! お前なんか、全然、分からん…」 駄々っ子みたいに泣いて、喚いて、それでも古泉は離れようとしない。 むしろ一層優しく抱き締めてくれる。 それが分からない、と、余計に涙が溢れた。 「…分かりませんか?」 こくこくと頷けば、古泉は困ったように微笑んで、俺の前髪を掻き揚げる。 「僕の考えることなんて、とても単純ですよ。それこそ、あなたに笑われてしまうんじゃないかと思うくらいに」 「ど、こが……っ」 「本当ですよ。……ねえ、何が分からないんです?」 囁きながら、見つめてくる眼差しはとても優しい。 いっそ、残酷なまでに。 「……なんで、お前は、ここまでするんだ…っ。俺、なんか、放っときゃいいのに……」 「放っとけませんよ」 「…っ、ほんとに、お前はよく出来たマネージャーだよ…!」 苛立ち任せに喚いたってのに、返って来たのは、 「いいえ?」 というさらりとした言葉だった。 「僕はマネージャーとしては失格だと思いますよ。何せ、私利私欲のために仕事をしてるんですから」 「は……?」 それはどういうことだ。 「マネージャーなら、誰よりも近く、誰よりも長く、あなたの側にいられるでしょう? 忙しいあなたのマネージャーなんて、それこそ、肉親よりもずっと」 ぎゅっと、抱き締める腕に力が込められる。 「あなたがひとりでお酒を飲むのは、大抵いつも、何か嫌なことを忘れるためでしたよね。それで綺麗に忘れてしまえるから見事だなっていつも感心してたんですけど」 そう笑って、でも、その笑い声が俺は不快じゃなくて。 「…ですから、嫌だったらこれも綺麗に忘れてしまってください」 古泉が何故だか泣きそうな顔で俺を見つめ、いつもいつもよく響く声を今だけは小さく掠れさせて、 「…あなたが好きなんです」 と告げた。 驚きに目を見開いた俺に、古泉は苦笑を返す。 「僕がどうしてマネージャーを続けているのか、ずっと不思議がってましたよね? …これが答えですよ。あなたと四六時中一緒にいたい、ただそれだけの理由なんです。……ねえ、私利私欲のためでしょう?」 自嘲するように言った古泉に、俺は何も返せない。 あまりに驚いて、言葉さえ失っていたのだ。 ぽかんとした俺の表情に何を見たというのか、古泉はぽつぽつと語り始める。 「ずっと、あなたが好きだったんです。初めて会った時から」 「初めてって……?」 そう、鸚鵡返しに聞くと、 「言っておきますけど、マネージャーとして顔合わせをしたのが初めてじゃありませんからね? …あなたとの初対面は、もう十年くらい前のある舞台のオーディションの時ですよ。覚えてます? ほら、」 と古泉が口にした演目は、俺の記憶にもあった。 何しろそれがきっかけで、俺はせっせと演劇に励むようになったのだから。 「あなたの出世作ですよね」 と古泉は嬉しそうに囁き、 「実はあの時、僕もあの場所にいたんですよ。役柄はあなたのとは別のでしたけど、やはりオーディションを受けるために。…一応、役者を志していたものですから」 「じゃ、なんで……」 あんなに頑なにスカウトを断ってたんだ。 役者を志してたなら、一も二もなく引き受けたってよかっただろうに。 「言ったでしょう? あなたの側にいたいからですと」 優しく俺の髪を撫でながら、古泉は続きを話す。 思い出し笑いまでまじえて、 「あの時の僕の演技と来たら、本当に散々でしたよ。もしあれが、恋に落ちる瞬間のシーンをというなら、間違いなく合格していたでしょうけど、生憎求められたのは恋敵を詰るシーンでしたし、そうするには僕はあまりにもぼんやりし過ぎていて、しかも緊張感もまるでなかったんですから。……その少し前、あなたの演技を見て、一目惚れしてしまったばっかりに、僕の人生は変わったんですよ」 そんなことを、恨み言ではなく睦言のような甘さで古泉は囁いた。 「あの時、あなたを好きになって、それからもう必死になってあなたを追いかけてきたんです。勿論、あの舞台は毎日のように通いましたよ。あなたを見る、ただそれだけのために。千秋楽の日がどんなに辛かったか、分かりますか?」 千秋楽の日は、俺にとっては本当に誇らしくて、輝かしくて嬉しかった日だ。 その日に、古泉もあの場所にいて、しかも辛い思いをしていたなんて、思うはずもない。 「それからも、あなたの舞台を追いかけて、テレビも、それから勿論SOS団のライブも見に通って、どうしたらあなたの側にいられるだろうって、必死になって考えてたんです。そうしたら、たまたま涼宮さんに声を掛けられて、」 「ハルヒに?」 驚く俺に、古泉は笑って頷き、 「ええ。あまりによく見かけるからと顔を覚えてくださったんだそうです。それで、正直に打ち明けたら、それならあなたのマネージャーを探してるからと言われて、」 「……全然知らなかった…」 「内緒にしていただけるよう、僕がお願いしたんです。……あなたに知られて、気持ち悪がられて、そして嫌われてしまっては、マネージャーとしてでも、側にいるなんてことは出来なくなりますから」 でも、と古泉は面白がるように、 「マネージャーになるのって、結構大変だったんですよ。ちゃんと仕事が出来るようになるまで、他の方のところで下積みのようなこともしましたし、そんなことに時間を取られるのも嫌なのにスカウトなんてされてしまうし。……あなたのマネージャーになれてからは、本当に毎日楽しくて、幸せなんです。…あなたの側にいられるだけで、僕は……」 じっと見つめてくる瞳に、胸の中が熱くなる。 さっきまでとは違う理由で、涙腺が熱を持つ。 俺はぎゅっと古泉のスーツを掴んで、酒臭い息を吐き出しながら、 「俺、は、可愛くもないし、かっこよくもないぞ…」 「僕にとっては、誰よりも可愛くて、かっこいいですよ」 「歌、下手だし、演技はお前の方がずっとうまいし……」 「関係ありませんね。そんなことが気になるなら、上手になってみせてください。…一ファンとしても、楽しみにしてますから」 「…だらし、ないし……」 「あなたは品行方正な方ですよ」 そんな風に優しくなだめてくれる声に、胸が震える。 ドキドキする。 顔が熱く、赤くなってくる。 その顔を見られたくなくて、古泉に押し付けて隠しながら、 「…俺、酒癖悪いぞ」 と呟くと、呆れた風でもなく、 「よく知ってますよ」 と言ってくれる。 「だから……明日になったら忘れてるかも知れん…」 「忘れてしまってもいいですよ。さっきも言ったでしょう?」 「…っ、俺が、嫌なんだよ…!」 そう喚いて、今度こそ古泉に抱きついた。 スーツを掴むだけじゃ足りなくて、その首に腕を回し、しっかりと抱き締める。 心臓の音さえ重なるかと思うほどぴったりと触れ合うと、その体温さえ心地好かった。 「…あの……」 「忘れ、たく、ない……っから……」 見っとも無く涙をこぼしながら、俺は必死になって懇願した。 「酒が抜けるまで、側に、いてくれ…。寝かせ、ないで……、ずっと、側に、いて…ほしいから……」 「それ、は……」 「…好き、だ、…からぁ…!」 子供が泣いてすがるように、泣き喚く。 縋りついて、必死になって古泉を抱き締める。 返って来たのは、 「…嬉しいです」 という呟きと、頬に触れるだけの優しいキスだった。 「こい…ずみ……」 至近距離で、明るい色をした瞳が細められ、長い睫毛が影を落とすのを見た。 「…本当はいけないんでしょうけど、ね。――マネージャー失格でもなんでもいいです。あなたからのそんな言葉を突っぱねられるような僕じゃありませんよ」 そう言われるだけで、嬉しくて涙が出た。 「さっきから、泣きっ放しですね。…大丈夫です?」 「う、るさい…っ! お前のせいだろ……」 「すみません」 謝りながらも、その声音は柔らかく、甘い。 背中を撫でてくれる手も。 気持ちよくて、そのまま意識が遠のきそうになる。 「……って、それはまずいだろ!」 俺は慌てて古泉を突き放した。 「どうしました?」 ときょとんとする古泉に、 「気持ちよくて寝そうになるから…!」 と唸るように言ったら、古泉は声を立てて笑った。 笑うな。 「すみません、つい……可愛くて」 「お前な……」 「でも、本当に起きているつもりなんですか?」 「ああ。…忘れたく、ないって、言っただろ…」 「僕としては、ちゃんと寝てほしいんですけどね。…このところ、忙しくしていたでしょう?」 「明日は休みだろ…。…少しくらい平気だ」 「休みだからこそ、ちゃんと休んで欲しいんです」 くすくすと笑って、古泉はそれでもやっぱり俺の意思を尊重してくれる。 「では、どうやって起きてます?」 と聞いてくるが、酒の回った頭じゃろくな考えが出てくるはずもない。 「…ヤラシいことして、とか?」 思いついたまま口にすると、古泉は一瞬息を飲んだくせに、 「可愛いお誘いですが、だめですよ。酔ってるんですから」 「……ケチ」 「飲酒してる時は、激しい運動は控えてください」 「…じゃあ、酒が抜けたらいいのか」 「……ええ、いいですよ」 一度は躊躇うように黙ったくせに、そう言って笑った古泉は、嫌に艶かしい顔をしていた。 見たことなかったな、お前のそんな顔。 「そりゃあもう、必死になって隠してましたから」 からかうように笑いながら、 「だから、これからは気をつけてくださいね? 何をするか分かりませんから、一時も気が抜けないかも知れませんよ」 「…あほか」 お前が俺の負担になるようなことをするはずないだろ。 「……その信頼は非常に気持ちいいですけど、生殺しって言葉知ってます?」 「…生殺しになんか…する気、ねぇし……」 むしろ今生殺し状態で焦らされてるのは俺だろう。 「…シたい、のに……」 「……そう、一生懸命僕の理性を試さなくてもいいと思うんですけどね…」 「だ、って……」 お前がシてくれないから、悪いんだろ。 「というか、分かってます? さっきから全部口に出てますよ?」 「わぁってる……」 眠い、寝そうだ。 寝たく、ないのに……。 「古泉……目、覚めるようなこと、しろ…」 うつらうつらしながら要求すると、古泉は困ったように笑って、俺の肩にそっと手を置いた。 「…抱き締めるのはナシだぞ……?」 気持ちよくなって寝ちまうからな。 「ええ、抱き締めるわけじゃありませんよ」 そう言った唇が近づいてくる。 その瞳が凄く近い。 ……唇に、何かが触れて、今の、は……ええと…、 「キス、ですよ。初めてでした? 違いますよね。舞台でも、この前のドラマでもしてましたし」 くすくすと笑って、古泉はもう一度唇を触れさせる。 それと理解した途端、体中の血が沸騰したかと思った。 「…っ!」 「目、覚めましたね」 面白がるように言って、それでも古泉は俺の肩から手を離そうとしない。 「…あなたが好きです」 そう言って一つ。 「…俺、も、好きだから……」 と言えばもう一つ。 「キスしたら、眠くなります?」 「…目が覚めるから、もっと……」 とねだれば、肩に置かれた手に力が込められ、今度は深く口付けられた。 古泉の滑らかな舌が、唇を割って入ってくる。 それだけで、くすぐったさに体が震えるってのに、歯列を割られ、上あごをくすぐられ、舌を絡め取られると、そのたびごとにぞくりとしたものが背中を走った。 「ん…っ、ア……ふぁっ、んん……!」 座っていられなくなりそうで、きつく古泉の腕を掴むと、余計にキスが深くなる。 違う、そうじゃないって。 「…嫌でした?」 まだかすかに唇を触れ合わせたまま、古泉はそんなことを聞いてくる。 俺は真っ赤な顔で、だが、それを離すのが惜しくて、頭を振ることも出来ないまま、 「や…じゃ、ない……が、……変な、気分になるから……」 「おや、それはいけませんね」 そう言いながら、古泉はもう一度口付けてくる。 「やぁ…っ、ん…! 最後まで、し、ない、くせに……」 「していいなら、しちゃいますよ。…お酒が抜けてから、ですけどね」 「…頭、固い……」 「それだけあなたが大事だってことですよ」 そう言って、古泉は触れるだけのキスをしてくれたが、そんなもんでは足りなかったことは言うまでもない。 そんな具合で、なんとか夜を明かした。 水を飲んで、古泉に心配されながらもなんとかひとりでシャワーを浴びて、さっぱりして。 ……多分、酒は抜けただろう。 少しばかり頭が痛いが、それは飲み過ぎた時のお約束の状態だ。 むしろ、酒が抜けた証明に近い。 「……よし」 と気合を入れて、俺はバスルームを出た。 とりあえず下だけは着たものの、Tシャツを着るのも面倒で、髪からは雫が滴っている。 甲斐甲斐しく朝飯なんぞ作り始めていた古泉は、俺を見るなり、 「…またそんな格好で」 と苦笑する。 「ちゃんと髪を拭いて、服も着てください。…昨日から試されっ放しで、僕の理性もいい加減限界なんですから」 嘘吐け。 全然余裕って顔してるくせに。 「髪は後で拭くし、服を着るか着ないかはお前に任せるが、その前にとにかくこれだけは言わせてくれ」 「なんです?」 と古泉がやっと火を止め、こちらを向いたので、俺はなんとかそれを見つめ返した。 くそ、逃げるな。 はっきり言っちまえ。 「……古泉っ、」 「はい」 「…その、俺は……」 古泉は黙って俺を見ている。 分かっているんだろ。 なのになんで、そんな不安そうな顔になるんだ。 そう、思ったら、 「…ぅ、お、お前が、好きだ…」 なんとかそう言えていた。 告白シーンくらい、ドラマなんかじゃいくらもしてるのに、本気でするそれは、酷く恥かしくて、うまく聞き取ってもらえたのか不安になるくらいの声しか出なかった。 それでも、ちゃんと言えたと、ほっと安堵の息を吐いたのは俺だけじゃなかったらしく、もう一つ重なって聞こえた。 「……なんでお前まで緊張するんだ」 「え? ……いえ、もしこれで、昨日のは気の迷いで、本当は僕のことなんてそんな風に考えられない、なんて言われたらどうしようもないなと思いまして」 と苦笑して、 「…でも、嬉しいです。本当に、本当なんですね?」 とその笑みから苦味を消す。 ゆっくりと近づいてきて、その腕の中に俺を捕らえて、 「…愛してます。あなたが好きです」 「……濡れるぞ」 「構いませんよ。気にするなら、ちゃんと拭いてきてください」 くすくすと笑いながら、古泉は俺を解放する。 言われた通り、頭を拭き直しに行くのは、古泉のうまい朝飯をちゃんと食べるためだ。 それをきちんと平らげたら、今度は詰まらずに言えるだろうか。 お前も一緒にこの部屋に住め、なんて。 ……いくらなんでも気が早すぎるかね? |