礼服に身を包んだ大勢の人で賑わうホテルのラウンジで、僕は人を待っていた。 本当に来るのかは分からない。 でも、とっさにとはいえそう約束したのだから、彼ならきっと来てくれるだろう。 そう思っていると、 「よう、ここだったか」 と数年の空白を感じさせないほど変わりない調子で声を掛けられた。 「すみません、急ぐでしょうに呼び止めてしまって……」 「いや、構わんさ。二次会くらい、遅れてもいいだろ。大体、さっきあれだけ飲み食いしたのに平気で次に行ける神経が分からん」 そんなことを言っている彼の手には、透明のプラスチックケースに入った、なかなか立派な花束があった。 花束……というか、 「ブーケ、ですか?」 僕が聞くと、彼は照れ臭そうに苦笑して、 「何の間違いか、女性陣が奪い合って弾き飛ばしたのが俺のところに飛んできちまってな。投げなおすのも縁起が悪いから、そのまま持って帰れとさ。わざわざ箱に入れてくれたのを断るわけにもいかんだろ?」 とそれを床の絨毯の上に下ろして椅子に腰を下ろした。 僕は落ち着かないのをなんとか抑え付けながら、指を組み直し、 「それにしても、本当に、お久しぶりです。お元気でしたか? 見たところ、お変わりないようですが……」 「お前こそ、相変わらずみたいだな」 そう笑って、 「俺は、まあ、見ての通りだ。大して変わってないと思うぞ」 「僕もですよ。ほんの少しばかり立場が変わったくらいで」 「…大学卒業以来、か?」 「そうですね……」 社会人になってもう数年。 初めて彼と顔を合わせた。 それも、待ち合わせてのものじゃない。 偶然、僕の会社の同僚の結婚式場と、彼の中学時代の友人の結婚式場が同じホテルの別のフロアだったのだ。 たまたま、ホテルの入り口で出会えたので、思わず式の後でここで落ち合う約束をしてしまったのだけれど、とっさのことにしては上出来じゃないだろうか。 「まあ、なんだ、なんていうか……」 と彼は考えるように呟いておいて、にっと小さく笑った。 学生時代と変わらず、魅力的な笑顔だ。 僕の作り物のそれとは違う、自然で、優しくて、だからこそ人を惹き付ける。 「…お前にも、友人なんていたんだな」 「それはちょっと酷くありませんか?」 そう言いながら、その距離感が嬉しい。 彼は、こう見えて礼儀なんかに厳しいタイプだから、ちょっとやそっと親しくした程度じゃそんな遠慮のない口の聞き方なんてしてくれない。 僕に相変わらずそんな風に話してくれることが嬉しくて、僕はつい表情を更に緩めてしまう。 「お前、式場じゃもてただろ? 結婚式の披露宴なんて、半分くらい合コン会場みたいなもんだからな」 「いえいえ、そんなことはありませんよ。同じテーブルには職場関係の人ばかりでしたからね。あなたこそ、どうでした?」 「俺? 俺は別にそんなこともなかったな。というか、お前、自分を基準におくなよ」 「あなたこそもてそうだと思うんですけどね」 軽口のように言いながら、探りを入れる。 「それとも、既に付き合っている人でもいらっしゃいますか?」 そうであってほしくないと思いながら、そうであってほしいとも思う。 そう、思うくらい複雑な気持ちを僕は抱いている。 いや、抱き続けてきた。 もう忘れたと思っていたけれど、こうして彼と会って、話して、分かった。 僕はまだ、……この人が、好きだ。 友情のふりをして誤魔化すことも出来ないほどに。 そんなことを、彼は知りもしないのだろう。 「いるわけねえだろ」 と笑い飛ばしておいて、 「お前こそ、いい加減、彼女くらい出来たんじゃないか?」 「いませんよ、そんなの」 苦笑しながらそう否定した僕を、疑うようにじっと見つめていた彼だったけれど、笑いと共にそれを引っ込め、 「まあ、なんにせよ、お互いそこそこいい年になっちまったなぁ」 なんて言う。 「そうですね」 「お前は本当に変わりないみたいだけどな。元が落ち着いてたからか?」 「あなたこそ、よっぽど落ち着いていたと思いますけどね。…でも、今の方がやはり落ち着きが感じられますね。年齢の方があなたの精神年齢に追いついた、と言った方がいい気もしますが」 「なんだそりゃ」 そう言いながら、彼はかすかに喉を鳴らして笑った。 「それを言うならお前は男前振りに磨きがかかったな」 「あは、ありがとうございます。お世辞でも、あなたに言われると嬉しいですね」 それにしても、と僕はあえて自分の傷をえぐるような方向に話を持って行く。 「涼宮さんとはどうなんです? 卒業当時にはなかなかいい雰囲気になられていたように思っていたのですが、その後どんな話も聞かないので心配になってたんですよ」 「あほか。いい雰囲気も何もねえよ。あいつは相変わらず好き放題に世界中飛び回ってやがるし、連絡なんて時々思い出したように手紙が来るくらいだ」 「それでも、連絡は取り続けておられるんですね」 「一方的に来るだけだがな」 「あの涼宮さんが連絡を取るだけでも大したものですよ」 僕が言うと、彼はちょっとばかり変な顔をした。 訝しむような、何か悩むような、微妙な表情だ。 「あの……?」 「まあいい、古泉、ちょっと聞けよ」 そう言って彼はホルダーから紙ナプキンを一枚引っ張り出すと、ポケットから取り出したボールペンを構えた。 「俺がさっきまで出てた式の、新郎新婦の話なんだがな、こいつらがまたおかしな馴れ初めなんだ」 「はぁ」 「出会ったのは中学の頃で、あの頃からそれなりにいい雰囲気だったからな。それで冷やかされたりもしてたんだが、あの頃は付き合ってなかったんだと。それどころか、お互い相手に片思いしてたらしい」 片思いな、と繰り返しながら、わざわざ紙ナプキンにその言葉を書く。 そんなことに、僕がずきりとした胸の痛みを覚えているなんて知りもしないで、彼は話を続ける。 「で、その冷やかされたとか、それとなく水を向けて見たりした時の反応なんかで、相手はどうやら自分に気がないらしいと、お互いに、いいか、お互いにだぞ、勘違いしたらしい。それぞれに失恋したと思ってたっていうから、笑うしかないよな」 「ご本人たちは大変だったでしょうね……」 失恋、とこれまた僕の胸を痛ませるようなことをくっきりと書き込む彼を見つめつつ、僕がそう言うと、 「ああ、そうして勘違いしたまんまでいて、そのくせお互い忘れられないまま、暗く高校・大学時代をすごしたんだと。全く、見事と言うか今時堅いというか…」 「なんとなく、分からないでもないですけどね」 呟いておいて、まずい発言だったかと思ったけれど、彼は特に気になったという様子もなく、 「そうかい」 と軽く流して、 「それが、この前同じ会社に勤めてることに気がついたんだと。新郎の方が意を決してアタックして、それでめでたく両思いが発覚して、今日のこのめでたき日を…ってわけだ」 両思い、とメモの方を締めくくった彼は、まだボールペンを弄びながら、 「笑うしかないと思わないか? まあ、無事丸く収まったから笑えるんだろうとは俺も思うが……」 「ええ、そうですね。ちゃんと思いが通じて何よりです」 そう無難な言葉を選んで返しながら、僕は内心で首を捻る。 彼は一体何が言いたいんだろうか。 いや勿論、ただの雑談なんだから、意味なんてないんだろうとは思う。 それでも、何か気になった。 彼が話しながら決して僕の目を見ようとしないからかもしれない。 そう思う僕の前で彼は書いた三つの言葉を繋いで、「片思い→失恋→両思い」なんて図を完成させて、そうしてやっと僕を見た。 「そういうことが現実にあるんだな、って思わなかったか?」 「え? …ええ、思いました。まるで何かの恋愛小説かドラマみたいですね」 「ああ、俺もそう思った。だが、…現実だ」 そう言って、彼はさっきまでとは逆に、真っ直ぐに僕を見つめてくる。 そのポケットが震えた気がして、 「あの、電話じゃ……」 「気にするな、そんなもん。お前だって、さっき鳴ってなかったか?」 「え? 鳴ってましたか?」 そう言いながら、確かめる気にもならない。 確かめて、誰かに邪魔されるのが嫌だ。 「きっと、あなたの気のせいですよ」 と言って誤魔化す僕に、彼はかすかに笑った。 「じゃあ、いいか」 「ええ」 どこかぎこちなく笑いあう。 彼は仕切りなおすように、 「それで、だな、ええと、何を言おうとしたんだった?」 「知りませんよ」 そう笑ったところで、彼も笑ってくれる。 それが酷く嬉しい。 こんなにも気分が高揚したことさえ、大学卒業以来のことかもしれない。 彼といるだけでこんなにも楽しい。 彼がいなければ、楽しくない。 楽しくないということさえ、感じられていなかったんだとさえ、思えた。 その僕に、 「ああ、そうだった」 と彼は呟いて、 「そう、現実の話なんだ」 と繰り返した。 「現実に、そんなことがあるんだ。それも、俺なんかの身近なところで。それなら……他にもそんなことがあったっていいと思わないか?」 その言葉に、ぎょっとした。 「それ……は、あなた自身に、ということですか?」 「ああ。…何かおかしいか?」 「いえ……」 おかしくはない。 でも、痛いほどに胸が苦しかった。 気道を全て塞がれてしまったかのようにさえ思えた。 彼にそんな、ずっと思っているような相手がいたなんてと、そう思うだけで一気に胸の中がずんと重くなったように思えた。 それでも僕は笑顔を作り続ける。 せめて、友人としての位置を確保しておきたくて。 「初めて聞きましたね。あなたにそんな相手がいたなんて…」 「そりゃそうだろう。何があろうとお前にだけは口が裂けても言えるもんか」 その言い回しに、僕は首を傾げる。 「どういう意味でしょうか?」 「鈍いな、相変わらず」 よく分からないことを言いながら彼はそう笑って、床に置いていたブーケを取り上げた。 「ま、そんな話を聞いたのと、偶然にしてもこんなもんをもらっちまったのもあって、俺もいい加減腹を決めようと思ったわけだ」 「そうですか…」 思わずうつむき加減になった僕に、 「なあ、古泉、お前今、本当にフリーなんだよな?」 という問いかけがなされる。 どうしてそんなことを、と思いながら、 「そうですよ」 と返すと、目の前にブーケが突き出された。 「…え」 「顔上げろ。でもって、俺のこの恥かしいくらい真っ赤な顔でも見ろ、ばか」 驚いて顔を上げれば、彼の言葉の通り、彼の顔は真っ赤に染まっていた。 その手には箱に入ったままのブーケがあって、それはどう見ても僕に向かって差し出されていた。 「え……ええと…あの……?」 「本当は、そんな話を聞かなくても、こんなもんなんてもらわなくても、結果は同じだったのかもな。…お前と偶然再会出来た時点で」 「それ、って……」 僕の顔も、彼のそれに負けないくらい赤くなってくる。 震えてくる。 でも、怖くて言葉には出来ない。 そんな、情けないほど臆病な僕に、彼は優しい微笑を向けてくれる。 「古泉、俺は、……お前が、好きだ」 ひゅっと息を飲んだ。 そんな、ありえない、と思いながらも喜びに打ち震える。 彼は僕をじっと見つめて、 「……お前も、だろ?」 その言葉に目を見開くと、 「…っ、そこで沈黙するなよ! 違うのかと思うだろ? それとも違ったのか?」 「え、あ、そのっ、ち、違いません、けど……」 「…よかった……」 心底ほっとしたように呟いて、彼はそのまま息を吐き出した。 「違ったら、このまま絶交間違いなしだろ。心臓が止まるかと思ったぞ」 「あの、ど、どうして…そんな……」 「言っただろうが。……そうだな、これ以上俺の細かい心情やら何やらまで知りたいって言うなら、」 と彼は立ち上がり、 「お互い二次会なんてすっぽかして、二人になれるところにでも行かないか?」 と見たこともないほど悪戯な、それでいてとても魅力的な笑顔を見せてくれたのだった。 |