ふと気がつくと、僕は見慣れた場所に立っていた。 適度に深くてさらさらとした雪に包まれたそこは、間違いなく、僕が何度も遊んだ場所だ。 見回せば、白く染め抜かれた懐かしい里山の情景。 それだけで胸に染み入るようだった。 でも、僕には感慨に耽っているような時間はない。 雪野原にぼんやり立っていて、何かいいことがあるはずがないからだ。 案の定、 「一樹! ぼんやりすんな!」 と雪玉を勢いよくぶっつけられた。 「わぷ」 そのままバランスを崩して転ぶほど、子供の体はバランスが悪い。 でもその分、軽くて柔らかいので少々のことでは怪我もしない。 「やりましたね!」 僕は笑いながら雪玉を固めて、雪の上に転がったまま、それを投げ飛ばした。 懐かしい友達と昔と少しも変わらない調子で遊んでいると、不意に、 「古泉一樹!」 と呼ばれた。 振り向いても、逆光でその人の顔は見えない。 でも、その声は紛れも無く、彼の声だった。 僕の大切な宇宙人。 「こんなところにいたのか」 どこか憤慨したように言った彼は、僕と同じくらい幼かった。 でも僕はそれを不思議に思いもせず、 「あなたも来てくれたんですね」 と言ったら、彼はちょっと僕を見つめて、小さく微笑んだ。 「ああ。…来てよかったんだろ?」 「勿論ですよ!」 来てくれて嬉しいです、と子供らしく抱き着けば、 「そうかい」 と彼も嬉しそうに笑ってくれた。 「こら!」 明るい声とともに雪玉を投げ付けられて、僕も彼も真っ白になる。 見れば、やっぱり小さい涼宮さんが仁王立ちしていて、 「ぼやぼやしてたらあんたたちを投げ飛ばすわよ!」 と言いながら、こんもりとした雪の山から滑り降りてきた。 朝比奈さんと長門さんをも従えている。 「さあ! あたしたちの実力を見せてやるわよ!」 気合いたっぷりの涼宮さんの号令で、僕たちの雪合戦は本格化した。 バリケードも作って、飛んでくる雪玉を防ぎながら、こちらからも雪玉を投げる。 朝比奈さんがしゃがみ込んで震えているのを背後に庇いながら、涼宮さんはがんがん雪玉を投げ飛ばしてるし、彼は必要最小限の動きと玉数で、的確にしとめている。 僕は彼に言われるまませっせと雪玉を作りつつ、もしかしてこれは僕も庇われてるってことなのかな、と思ってたら、 「別に、自分でやりたきゃしていいぞ。ただし、」 ただし? 「お前に当てたやつには三倍以上お返ししてやる」 ……友達のことを思うなら、大人しくしていた方が無難みたいだ。 苦笑しながらも、嬉しくて、むず痒い気持ちになった僕だったけど、長門さんがバリケードの影で相変わらず読書に熱中しているのに気がついて、こっそりと忍び寄った。 「今日も読書ですか?」 頷かず、困ったように僕を見る長門さんに、 「いえ、別にそれがいけないというわけではないんですよ。ただ、せっかくですから、長門さんもご一緒しませんかとお誘いしたかっただけなんです」 「……十分」 楽しんでくれてるのか。 ほっとしたところで、 「古泉っ!」 と怒鳴られ、びっくりして振り向くと、顔を真っ赤にして、雪だるまの頭ほどもあるような雪玉を担いだ彼が見えた。 え。 「こんっ…の、浮気者ー!!」 と怒鳴り様、その塊を投げ付けられた。 「うわぁ!?」 雪玉を投げ付けられた勢いのまま、転がるしかない。 にしても、浮気って。 倒れたまま雪に埋もれて起き上がれない僕に、彼が駆け寄ってくる。 「さっさと起きろよ」 「心配はしてくださらないんですか」 「無事だって分かるからな」 と言っている彼の唇が、拗ねたみたいに尖ってて可愛い。 「そんなに拗ねないでくださいよ」 「拗ねてない」 「拗ねてるでしょう」 「拗ねてないっつの! 大体、お前が長門に甘いのも、ハルヒに無抵抗なのも、朝比奈さんに必要以上にデレデレするのもいつものことで、文句言うのも今更だろうが」 「そんなことしてます?」 してる、とは言わずに、彼はぷいっとそっぽを向いた。 そんなところも可愛くて、僕は無言で差し出された手を引っ張って、彼を引き倒した。 「こい…っ……!?」 「僕が女性陣に甘いとしたら、それはそういう女性上位の環境に育ったからですよ。でも、僕としては、誰よりもあなたに、脂下がった顔をしてしまっていると思うんですけどね」 「…それは……、そうだろうが…」 ああ、それは分かっててくださったんですね。 「それなのに、心配ですか? 僕はそんなに信用なりません?」 「違う。そう、じゃ、なくて…だな……」 違うならどういうことだろう、と思う僕に、彼は近頃では珍しくなったことだけれど、真っすぐ過ぎて怖いほど真っすぐな、つまりは人間らしくない目で僕を見つめた。 「…なんでお前が俺なんかを選んだのかが、未だに俺には理解出来ん。心配なのはお前じゃなくて、……お前をつなぎ止めておけるとも思えん、俺のことだ」 「何をおっしゃるやら」 ぎゅうっと力を込めて抱きしめると、 「何かおかしかったか?」 と不安そうに問われる。 「人としておかしいかと言えば、そうではないでしょうね。むしろ、非常に人間らしい考えかと。ただ僕としては、今更何を言うのかと言いたくなりました。……わざわざそんな心配なんてしなくていいですよ。僕は、他の誰でもなく、あなたに夢中なんですから」 彼はほっとしたように空気を緩ませておいて、渋い顔を作って言った。 「そんなちんまりしたお前に言われてもなぁ……」 「あ、あなただって今は子供じゃないですか!」 「はは」 珍しくも声を上げて笑った彼にどきりとした僕に、また雪玉が飛んできた。 「キョン! 古泉くん! いちゃいちゃはほどほどにして手伝いなさい!」 と団長の命令が下される。 「なんですか?」 起き上がった僕たちがそちらを見ると、涼宮さんが汗をかきかき、大きな雪玉を転がしていた。 「雪だるまよ、雪だるま。せっかくだし、あたしたちが来たって証を残してやろうと思って」 と笑う。 「朝比奈さんと長門さんは……」 「有希とみくるちゃんなら、顔とかを作るのに使えそうなものを探しに行ってもらってるわ。だから、あんたたちは雪玉を転がして大きくしてなさい!」 寒さに鼻の頭を真っ赤にしながらも、涼宮さんはすこぶるご機嫌だ。 「分かりました」 と僕が頷くと、 「やるか」 彼も呟いて雪玉を作りはじめる。 そうこうする内に、朝比奈さんと長門さんが両手いっぱいに木の枝や木の実を抱えて帰ってきた。 長門さんは涼しい顔で、朝比奈さんはひぃひぃ言いながら。 それくらいの大荷物だ。 「お疲れ様です。大丈夫ですか?」 と僕は長門さんに声を掛ける。 朝比奈さんにはそうしないのは、そちらには涼宮さんという立派なナイトがついてるからだ。 長門さんは表情に感情が出ない分、無理していてもそう見えないことも多くて危なっかしいだけ、気になってしまう。 今回はどうやらたいしたことがなかったようで、頷いてくれたけど、その後彼女は決まり悪そうに、僕の背後を見た。 「……どうかしましたか?」 「…後ろ」 振り向くと、さっきまで転がしていた雪玉を担ぎ上げ、今にも投げ付けようとする彼がいた。 「っ、そ、それは流石に死にますって!」 「お前が死んだら俺も追ってやるから安心してくたばれ」 「そんなむちゃな」 幸い、涼宮さんが止めに入ってくれて助かった。 もっともそれは、 「このバカキョン! せっかく育てた雪玉なのに、投げちゃったらもったいないでしょ!?」 という理由だったのだけれど。 それから、僕たちはせっせと雪玉を育て、小さな手足で苦労しながらも立派な雪だるまを作り上げた。 ありあわせの材料で作ったにしては、よく似せられたんじゃないかと思う。 涼宮さんの雪だるまは力強く天を指し、朝比奈さんの雪だるまは恥ずかしそうにしているし、長門さんの雪だるまは当然のように、雪で作った本を持っていた。 それにしても、むすっとした不機嫌そうな彼の雪だるまに寄り添うように、僕の情けない顔をした雪だるまがいるというのもどうなんだろう。 「不機嫌な顔なんかじゃないわよ」 と製作監督であるところの涼宮さんは断言した。 「これは、嬉しいんだけどそれを言ってしまうのはTFEI端末としてどうなんだとかって余計なこと考えて、照れ隠しに眉を寄せてみて、注視されないようにしてるキョンの顔よ」 「そうなんですか?」 と聞き返したら、 「ハルヒの与太話に耳を貸す必要はない」 とまた顔に雪玉を食らった。 寒いです。 「ほんとだ。…真っ赤になってる」 そう言って、彼はわざわざ手袋を外し、僕の顔を撫でた。 いつもより小さな手が、いつもより柔かくって、なんだかどきどきしてしまう。 「あなたは寒くないんですか?」 気を紛らわしたくてそう聞くと、 「…寒いに決まってるだろ」 となぜか不機嫌に返されてしまった。 柔らかい頬をむにっとつままれ、 「……本当なら体感気温だの自分の体温だのを調節すりゃ、寒さなんかどうってことないんだ。なのに、わざわざお前に合わせて、寒い思いをしてやってるんだからな」 これは流石に僕にも分かったので、 「じゃあ、責任持って、あっためますよ」 と彼を抱きしめたら、 「欝陶しいからバカップルは帰ってなさい!」 と涼宮さんに怒鳴られて、僕は目を覚ました。 とてもリアルな夢だったから、頭が現実に帰ってくるまで時間がかかってしまった。 それにしても、どうしてあんな夢を見たんだろう。 不思議に思いながら突っ伏していた長机から体を起こし、部室の中を見回すと、僕以外の全員が眠っていた。 長門さんは定位置のパイプ椅子で。 朝比奈さんは椅子に座って壁にもたれた状態で。 涼宮さんは団長席で机に俯せて。 それから彼は僕の向かいのいつもの席で、僕と同じように机に突っ伏して、顔を横に向けて眠っていた。 全員が揃って居眠りをするなんて異常な状況だけれど、おかげで僕には理解が出来た。 ……なるほど、分かったぞ。 僕は小さく笑いながら手を伸ばし、彼の頭を軽く小突いて囁いた。 「あなたの仕業ですね?」 その途端、彼の唇の端がにぃっと歪んだ。 全く、この宇宙人と来たら、案外好き勝手に自分の力を使うんだから。 「現実でも雪のようですね」 窓の外にちらつく、故郷のそれとは違って、大きく湿った牡丹雪を眺めながら、僕はそっと囁く。 「みなさんが目を覚ましたら、外で雪遊びでもしましょうか。雪だるまは作れなくても、雪合戦くらいなら出来ると思いますよ」 それで足りなかったら、冬休みには僕の田舎に誘おう。 雪合戦も雪だるま作りも出来るし、かまくらの中で食事をしたり、そりやスキーを楽しむのも、きっと楽しいに決まってる。 「…誘うのは勿論俺だけだよな?」 彼からのなんとも答え辛い質問に僕が微笑すると、彼は拗ねた様子で顔を背ける。 だから僕は、間違っても涼宮さんたちが目を覚ましたりしないよう、出来る限り声を潜めて、 「二人きりで行くなら、田舎よりももっといい場所がありますよ。そうしたら、田舎でそうするよりもずっと気兼ねなく、あなたと過ごせますから、そうしませんか?」 「…お前は本当に、俺を懐柔するのがうまいよな」 皮肉めいた言葉を口にしながらも、彼はじっと僕を見つめ、静かに目を閉じたので、僕は遠慮なくその唇に自分のそれを重ねたのだった。 数日後に届いた、田舎の友人からの手紙に、「いつの間にかあった雪だるま5体」の写真が入っていたせいで、心臓が止まりそうになったのはまた別の話です。 |