扉を開けて?



付き合い始めてしばらく。
そろそろいっかなーなんて思いながら、私は文芸部室でいっちゃんにこう切り出した。
「いっちゃんってどんなとこに住んでんの?」
「どんなって……普通の賃貸マンションですよ?」
って首を傾げてるいっちゃんは多分、私の質問の正しい意図を理解してない。
仕方ない、ストレートに言ってみよう。
「見てみたいな」
にこって笑って言ったら、いっちゃんの顔がいきなり真っ赤になった。
おいおいちょいとそこの男子高校生、純情にも程があるんじゃないのかね?
「私は、部屋を見たいって言っただけだよ?」
ご両親に会いたいって言ったわけでもないのに、そこまで赤くならなくてもいいんじゃない?
「え、で、でも……ひとりですし…」
「だからこそ心配なんだって」
「いえ、一人暮らしだからこそ、軽々しくいらっしゃるのはどうかと…」
「うん? だっていっちゃんは紳士だろ? だったら何も心配ないじゃない」
「でも…」
「それとも紳士じゃない? ケダモノになっちゃったりするのかな」
私は別にそれでもいいと言えばいいけど。
「けだ…っ! そそ、そんなまさか…」
真っ赤になってうろたえるいっちゃんはほんとに可愛くて、もっといじめたくなっちゃいそうだよ。
「だったらいいっしょ? 遊びに行っても」
「しかし、散らかってますし…」
「そしたら片付けてあげるよ」
「いえ、それは悪いですし…」
「大体、いっちゃんはもう何度も私の部屋に来てるのに、私が行くのはだめって、それは狡くない?」
「それはその…不公平かとは思いますけど、でもやはり、妙齢の女性が一人暮らしの男を訪ねるのはどうかと……」
「もう、いっちゃんは硬いなぁ」
私が行きたいって言ってるのに、ここまで拒まなくてもいいんじゃない?
「それとももしかして、見られたくないものでもあるの?」
「え? いえ、そういうわけでもないのですが…」
「ならいいだろ? 私はいっちゃんを信じてるよ」
だからどんなところでどういう風に暮らしてても、幻滅したりしないから、安心してよ。
「しかし……」
といっちゃんはまだ渋るつもりらしい。
渋られるのは予想してたけど、予想以上の抵抗だな。
「…やっぱり、私は信じてもらえない?」
嘘泣きじゃないけど、ほんのちょっと悲しくなってきたので、それをそのまま声に乗せると、いっちゃんがびくってするのが分かった。
「いっちゃんのテリトリーに入れてもらえるほどに、なれてないのかな、私…」
「そんなことはありません」
思いがけないくらいの強さで、いっちゃんは言ってくれた。
「ただ、僕も男ですし、その、何かの弾みで間違いが起きてはいけないと……」
「間違いなんかじゃない」
きっぱり言ったら、いっちゃんは驚いたみたいに目を見開いた。
「いっちゃんなら、私……」
「お姉さん…」
「だから……、ね?」
いっちゃんは難しい顔でため息を吐いて、
「分かりました」
「やったぁ! いっちゃん、ありがとー」
って大はしゃぎでいっちゃんに抱き着いたら、横から、
「俺も行く」
なんて低い声がした。
外野は黙ってたらいいのに。
「誰が外野だ、誰が」
むすっとした顔で私じゃなくていっちゃんを睨んだキョンくんに、
「だって外野だよ。私といっちゃんが話してるのに、余計な口出ししないで」
「何が余計な口出しだ。これまで我慢してやっただけ、有り難く思え」
「それは確かにありがとう。でもね、キョンくん同伴なんてやだよ!」
だって、そしたら確実に邪魔されて、いちゃいちゃ出来ないし。
「喧しい。とにかく俺も一緒に行くからな」
とキョンくんはいっちゃんを改めて睨み、
「お前もそれでいいだろうな」
って威嚇射撃みたいに言ったのに、いっちゃんはむしろほっとしたみたいに微笑んで、
「その方が助かります。是非一緒に来てください」
…おいおい、酷いないっちゃん……。
「お姉さんも大変ね。口煩いシスコンの弟と、へたれな彼氏で」
って言うハルちゃんも同情口調だ。
「分かる?」
「ちょっとはね。でも、だからってここではあんまりいちゃつかないの」
あちゃー。
ハルちゃんにたしなめられちゃったよ。
相当見苦しかったのかな。
「ああ」
と頷いたのはキョンくん。
「そうでもなかったけど…」
とフォローしてくれつつも歯切れが悪いのはハルちゃんだ。
……反省しよう。

「でも、部室でいちゃいちゃ禁止なら、どこでいちゃいちゃしたらいいのかな」
帰り道? って言いながら、いっちゃんと腕を組もうとしたら、
「やめんか」
とキョンくんに手を叩き落とされた。
酷い。
「……やっぱりキョンくんはいっちゃんが好きなんだろ」
じーっと怨みを込めて睨んで言ったら、
「あほか」
と頭を叩かれた。
「いったいよ! もう、そんなにぽんぽん叩かれたら、馬鹿になっちゃうよ!」
「お前は既に馬鹿だろうが。全く、人目も憚らずに…」
ぶつぶつ愚痴モードに入ってるキョンくんに、私もため息出ちゃうよ。
それなのにいっちゃんは楽しそうに笑ってるから、
「何が楽しいの?」
って聞いたら、キョンくんの、
「何がおかしい」
って台詞と被っちゃった。
思わず二人して不機嫌に顔を見合わせたら、いっちゃんは今度こそ、声を立てて笑った。
「本当に、仲がいいですよね」
うるさいよ。
「うるさい」
くすくす笑ういっちゃんに、私たち姉弟は黙り込むしかなかった。
くそぅ。
黙ったまま歩くことしばし。
私たちはこじんまりしたマンションの前に着いた。
「ここの一階に住んでるんです」
一階か。
「なんとなく意外だな」
って言ったのはキョンくん。
「お前なら、もっと高そうなマンションの高層階なんかに嫌味ったらしく住んでるかと思ってたが」
「おや、それはご期待に添えず申し訳ありません」
といっちゃんが小さく笑うと、キョンくんはあからさまなくらい顔をしかめた。
だから私は、つんつんといっちゃんの腕をつついて、
「いっちゃん、キョンくん相手にそんな畏まった口きかなくていいんだよ?」
「……えぇと…」
「キョンくんもその方がいいだろうし、何より、将来的にキョンくんをお兄様と呼んでくれるつもりなら、もっと砕けた調子でいいじゃない」
「……そうなんでしょうか?」
不安げにいっちゃんはキョンくんを見たけど、キョンくんはつんとそっぽを向いてる。
…んとにもう。
「キョンくん、素直じゃない子は嫌われるよ?」
「そいつに好かれたいとは思わん」
またまたー、素直じゃないんだから。
「あのね、いっちゃん、キョンくんがこんなに横柄なのも、いっちゃんに気を許してるってことだからね?」
いっちゃんはくすぐったそうに笑って、
「そうですね」
と同意した。
うん、分かってるならいいんだよ。
「勝手なこと言うな!」
と吠えるキョンくんには二人して笑っちゃった。
全く、素直じゃないのは誰に似たんだろうね?
「お姉さんはストレートに表現しますよね」
部屋の鍵を開けながら、いっちゃんが言った。
「好きにしても嫌いにしてもはっきりされてるような気がしますけど」
「そうだね。嫌いってはっきり言わなくても、嫌いなら顔を合わせないようにしたりするかなー」
私が答えたのに、キョンくんは難しい顔で、
「それ以上のことをする時もあるだろうが」
なんて言う。
「ううん? どういう意味?」
「そのままの意味だろ。本当に嫌いな相手なら徹底的にやり込めたりするくせに」
「人聞きの悪い話しないでよー」
「実際そうだろ」
「違うって」
私はただ、正確なところを教えてあげたりするだけだもん。
「だからそれが、」
「開きましたよ。どうぞお入りください」
柔らかな声で話の腰をぽっきりと折られた。
…いっちゃんお見事……。
「それほどでもありませんよ」
と微笑するいっちゃんに促されて足を踏み入れた部屋は、なんていうかとてもいっちゃんらしいっていうか、「古泉一樹」らしい部屋だった。
「お前らしすぎて気持ち悪いな」
というキョンくんの感想も私が言いたいことと同じだろう。
「そうですか? 僕としては普通にしてるだけなんですけど……」
「普通もっと散らかってるもんだろ」
「これでも綺麗好きなんですよ。あなたの部屋だって綺麗だったじゃないですか」
「俺の部屋は汚くしてるとお袋とか姉さんが勝手に入ってきて、掃除しようとするからだ」
「僕も似たようなものです」
って苦笑するってことは、森さんにでもチェックされてるのかな。
「ご想像にお任せする、ということで…」
「姉さん、やっぱりこいつはよしたらどうだ? 部屋にほかの女が出入りするとか嫌だろ」
「えええ!?」
こらこらキョンくん、あんまりいっちゃんをいじめちゃいけないよ。
いっちゃんも真に受けないの。
「すみません、ちょっとびっくりしました」
取繕うように笑いながら、いっちゃんは私たちをテレビの前のソファに座らせてくれた。
一人暮らしにしては立派だね。
「そうですね。贅沢させてもらってると思います」
そう言いながらも、いっちゃんはどこか浮かない顔だ。
「贅沢してても寂しいもんは寂しいよね」
ぽんっと背中を叩いてあげると、いっちゃんは少し驚いた顔をしておいて、柔らかく笑ってくれた。
ううん、男前だなぁ。
「なんか違うんじゃないかそれ」
「キョンくんうるさいよ。ただでさえお邪魔虫なんだからもうちょっと隅の方で小さくなってたらどう?」
「それじゃ意味がないだろ」
意地悪く笑ったキョンくんにもいっちゃんは愛想よく、
「コーヒーでも淹れようかと思いますが、コーヒーでいいですか?」
なんて聞いてる。
「…お前な、そういうのは姉さんに聞いてやれよ」
と言ってくれる程度にはキョンくんもお姉ちゃん思いなんだけどね。
いっちゃんは笑って、でもなんだか得意そうに、
「お姉さんの好みは分かってますから」
と返した。
うん、いっちゃんにしては上出来だね。
キョンくんは砂でもざらっと吐きそうな顔をしてるけど、私は勿論満面の笑みだ。
「インスタントですみません」
と言いながら、いっちゃんはコーヒーを運んできてくれた。
「コーヒーなんざインスタントで十分だろ。そりゃ、たまには本格的なのを味わいたくもなるがな。そんなもんは喫茶店に行きゃ済む話だ」
フォローだかなんだか分からないことを言いながらキョンくんはコーヒーカップを受け取って、ブラックのまますすった。
かっこつけちゃって。
「どうぞ」
と手渡されたコーヒーには既にミルクとお砂糖が入ってるみたいだった。
一口飲んで、私好みだって分かる。
「ありがとね、いっちゃん」
「いえ、お口に合ったようでなによりです」
ほっとしたように呟いたいっちゃんはカフェオレを飲んでた。
胃のこととか考えてるのかな。
というか、
「よく私好みのとか作れたね」
「見てましたから」
「…ふえ?」
「あなたとお茶をした時なんかに、ミルクや砂糖の量をちょっと」
悪戯っぽく笑ったいっちゃんに私は目を見開き、それから眉を寄せて、
「ほんとに?」
「ええ、本当ですよ」
「…すっごいなぁ。そんなに見ててくれたんだ」
「はい」
にっこりと笑ったいっちゃんに、悪戯心をくすぐられる。
「…いっちゃんってば、ストーカーになれそうだね」
「え」
びっくりした顔をするいっちゃんに、
「冗談だよ」
って言いながら抱きつこうとしたら、キョンくんに額を叩かれて阻まれた。
「……けち」
「やかましい。人を空気扱いしたお前が悪い」
ぶつぶつ言うキョンくんにむーっと唇を尖らせておいて、私はコーヒーを飲む。
ほんのり甘くて香ばしい香りがした。
それからしばらく三人で話してたんだけど、私はちょっと思い出すことがあってぱっと立ち上がり、
「ねねっ、いっちゃん、キッチン見てもいーい?」
と聞いた。
「いいですよ」
「わーいっ」
喜び勇んでキッチンに入って、まずはと冷蔵庫チェックを始める。
一人暮らし用の冷蔵庫だからあんまり大きくないけど、色々ちゃんと入ってる。
肉を冷凍しておくなんて、なかなかしっかりしてるねいっちゃん。
野菜もちゃんと買ってあるみたいだし、保存もしてるみたい。
「案外ちゃんとしてるんだね」
ほっとしながら言ったら、私の横に来てたいっちゃんはにこにこしながら、
「せめて栄養くらいは気をつけたいと思いまして。腕前の方はまだまださっぱりですけどね」
「それにしちゃ、使い込んであるキッチンに見えるけどね」
にやにやしながらコンロや流しを見る。
少なくとも、全然使ってないキッチンではないってくらいには汚れてる。
キッチンだと特に油汚れって取れないから分かりやすいね。
「結構使いやすそうなキッチンだね」
「そうですね」
「今度私にも使わせてね」
「え?」
きょとんとした顔をするいっちゃんに、
「私の料理は食べたくない? 心配しなくてもタバスコ仕込んだりしないよ」
「え、いえ、そんな心配はしてませんけど……嬉しくて……」
心なしか顔を赤くしたいっちゃんが本当に可愛くて堪んない。
ぎゅうっと抱き締めて、
「大好き」
と囁いたら、
「だからお前はいい加減にしろ」
とキョンくんに頭を叩かれた。
「ひっどいなぁもう!」
「どっちがだ」
やれやれ、とため息を吐いたキョンくんは、
「ほどほどにしろよ」
なんて言うけど、
「キョンくんこそほどほどにして遠慮して帰ったら?」
「お前をひとりで置いて帰れるか」
「えー、置いてってくれていいのにー」
文句を言っても受け付けてはくれないらしい。
キョンくんは時計を指差して、
「そろそろ帰るぞ」
なんて言う。
「えええええ…。だってまだコーヒーを飲んだくらいだよ?」
「十分話してただろうが。そもそも、放課後に来るってのが間違いなんだろ」
「じゃあ今度は休みの日に来るからキョンくん遠慮…」
「誰がするか」
ぶーぶー文句を言っても受け付けてくれない。
ほんっと、キョンくんってばケチだよ。
いっちゃんは苦笑しながら、
「でも、そろそろ帰った方がいいでしょうね。暗くなってもいけませんし……」
「…むー……残念だなぁ…」
荷物を手に帰ろうとしたけど、でもやっぱりまだ足りない。
だから、
「キョンくん、三分ちょーだいっ!」
とねだってみた。
いっちゃんはぽかんとした顔をしてるけど、キョンくんにはちゃんと通じたみたい。
「三分は多いだろ。三十秒だ」
「無茶苦茶言わないでよ! 三分ー!」
「だめだ」
「あーうー…じゃあ二分!」
「四十五秒」
「キョンくん歩み寄りが少ない!」
「うるさい、一分でダメなら今すぐ帰るぞ」
「……ちっ」
いっちゃんの前だったのについ舌打ちしちゃったけど、しょうがない。
「一分だからね」
「ああ」
頷いたキョンくんは、まだ首を傾げてるいっちゃんに、
「じゃあ、邪魔して悪かったな」
と言って玄関のドアを開け、外に出て、ちゃんと閉めてくれる。
これで私といっちゃんが二人っきりだ。
「あれ…?」
不思議そうな顔をするいっちゃんに、向き直り、
「いっちゃん」
と甘えた声で呼んで、抱き締める。
「…大好きだよ」
「……僕も、好きです」
不安げに伸ばされた腕が私を抱き締めてくれる。
見詰め合って、そのままキスをする。
触れるだけのキス。
でも、足りないからもっとと求めて。
触れ合った舌先がくすぐったくて気持ちいい。
「ん……ぁ…」
うぁ、変な声出た。
ていうか、あれだよ、うん、奥歯が疼くみたいな感じにぞくぞくする。
どうしよう、なんて思ったら、ドンドンドンっていうかガンガンガンって感じでドアが乱打され始めた。
「時間だぞ!」
と怒鳴るキョンくんの声もする。
私は渋々腕を解き、体を離す。
「…今度はひとりで来たいな」
と耳打ちしたら、いっちゃんは顔を真っ赤にした。
「それじゃあね」
かわいそうだから返事は聞かずに帰ってあげよう。
私は最高の上機嫌でいっちゃんに手を振って帰った。