2月14日、月曜日。 今日こそ晴れてバレンタインデーだ。 キョンくんは多分まだ気づいてないんだろうな。 もしかして、そのためなんじゃないかってくらい忙しくしてたし、今日は昼まで寝るつもりのようだったから。 「ふあぁ……眠…」 大きなあくびをしながら、私は学校に向かって歩いていた。 何しろ、チョコレート作りにえらく時間を取られ、睡眠不足もいいところなのだ。 おかしな方向に突っ走ろうとするハルちゃんを何とか常識の範疇に抑え、うっかりミスを連発してしまうみくるちゃんに和みつつもそのフォローに奔走させられ、正直、キョンくんの気分と苦労を味わった次第である。 …キョンくん、いつもいつも、お疲れ様…! 私すらこんなにへとへとになってるんだから、みくるちゃんなんて私以上にへばっている。 それなのに、ハルちゃんはまだまだ元気で、今日も仮眠をしたらすぐにキョンくんたちにチョコを渡すべく、キョンくんたちを呼び出すつもりらしい。 まったく、よくやるよ。 でも、流石のハルちゃんも、多少疲れているように見えたのは、私の見間違いだろうか? 疲れたとしたら、騒ぎ疲れだろうな。 きっと今日はよく眠れるに違いない。 私も今日は授業中寝ることにしようかな、なんて思いながら歩いている間にも、 「あのっ、これ、もらってください…」 とか、 「お姉様、あたし、頑張って作ったんです…!」 とか、 「好きですっ、受け取ってください」 とかって言葉と共に、どんどん荷物が増えていく。 ……ううむ、帰りには荷車を借りなきゃならんのだろうか。 冗談半分、半分本気で思いながらなんとか高校に到着すれば、荷物は更に増大した。 というか、すいません、先生までなんでくれるんですか。 普通逆でしょう。 女の子からいっぱいもらってしまうのは女子高だから仕方ないかと諦めていたけど、これはちょっと納得が行かない気がするぞ。 考え込んでいる間にも机に積まれていくチョコの山にため息を吐きつつも、恥ずかしそうに持ってこられるとついつい笑顔で、 「ありがとう」 「もったいないくらいです」 「ありがたく、ちょうだいさせていただきますね」 などと返してしまう自分の外面のよさが恨めしい。 しかし、流石にチョコレートと思えないような巨大な物体を持ってこられた時には顔が引きつった。 相手が遠慮のいらないやつだから余計にだ。 「す、周防……それは…?」 「チョコ――レート――」 しかし、その手にあるのは、一抱えもあるようなボックスである。 これがチョコレートだとすると、6人くらいで分けてもまだ大きいほどの、チョコレートケーキがワンボックス入っていることになりそうだ。 それならまだいい。 これがもし、本当にチョコレートの塊だったとしたら、まともに食べるのは不可能だ。 割るのはちょっとばかりかわいそうだから、削って食べるしかないだろう。 「随分でかいな…」 思わず呟くと、周防はまるで恥らうように目を伏せつつ、 「気持ちを――込めて―――みた――」 …そうかい。 どんな種類の気持ちなのかは聞かないで置こう。 周防のことだからまずまともに答えてはくれないだろうし、聞くと怖い思いをしそうな気もする。 だから、 「うん、じゃあ、ありがたくもらっとくよ」 ……気のせいだろうか。 周防がかすかに笑った気がした。 まあ、そんな感じでチョコレートは増殖を続けた。 何しろ、教師すらくれるくらいだ。 見つかったから没収、なんてことになるはずもない。 みんなして、ちょっとしたお祭り気分で楽しんでいるようだ。 予想以上の大荷物になってしまった私はため息を吐くほかない。 どうやって持って帰るんだ? これ。 放課後の教室で呆然としていると、携帯が鳴った。 いっちゃんだ。 「もしもし?」 『授業は終わりましたか?』 「ああ、うん、終わってるんだけどさ、」 ちょっと、と言いかけたところでいっちゃんの柔らかな声が聞こえた。 『荷物持ちが必要でしょう? 正門の前でお待ちしていますから、何とか出てきてください。それとも、教室までお迎えにあがりましょうか?』 なんだ、お見通しか。 苦笑しながら、 「うん、じゃあすぐに行くから待ってて」 と言って会話を打ち切り、厚意で分けてもらった二つの紙袋に分割したチョコの山を抱えて教室を出た。 …漫画でもないってのに、酷いね、これは。 なんとか正門に着いたところで、いっちゃんがひょいと手を振ってこちらに駆けつけてきた。 それだけで周囲がざわついたのは、やっぱりいっちゃんがかっこいいからかな。 いっちゃんは気にした様子もなく私の抱える大荷物を見ると、 「これはまた、大荷物ですね」 「うん、私もビックリだよ」 といっちゃんに合わせるように苦笑すれば、 「やっぱり、人気があるんですね」 と感心したように呟かれた。 人気って言うのかね。 「あげる相手がいないから、私に集中しただけって気がするよ」 「それでも、あげたいと思われるのは大した人望だと思いますよ」 そう笑ったいっちゃんが私から荷物を受け取ると、周囲からどよめきが聞こえた。 ううん、これがいっちゃんと付き合ってるということが分かったからだとすると、優越感があるね。 「僕の方こそ、そう思いますね。これだけ人気のあるあなたと堂々の交際宣言が出来たようなものですから」 そう笑って、いっちゃんが歩き出す。 私は、ニヤニヤしながらそれを追いかけた。 向かう先は私の家だ。 キョンくんはまだ帰ってきていないらしい。 どこで何をしているのか知らないけど、いないならいないで好都合だ。 「キョンくんが帰ってきたらまたうるさいから、私の部屋に行こうよ」 といっちゃんを誘うと、いっちゃんは少し考え込んだ。 迷ってるのかな。 「心配しなくても、妹も母さんもいるんだから、不埒な真似はしないよ?」 「…ええと、それはどちらかと言うと僕が言うべき台詞のような気がするんですが」 苦笑するいっちゃんに、私はにやりと笑って、 「そうとは限らないよ?」 と言ってやった。 「で、どうする? このまま居間でくつろいでもいいけど、くつろげる?」 「…そう……ですね」 「私としてはやっぱり、部屋がお勧めだよ」 「では、そうしましょう」 微笑と共に頷いたいっちゃんを伴って、自室に戻った。 「男の子みたいな部屋だろ。キョンくんの部屋とあんまり変わりなくて」 「そうでもありませんよ」 「そう? どこか違う?」 「そうですね……」 困ったように、あるいは恥ずかしそうに顔を赤らめたいっちゃんは、小さな声で、 「匂いが違うと思いました」 「…いっちゃんったら、可愛いくせしてムッツリなんだから」 笑って呟けば、いっちゃんは更に顔を赤くして、 「う、す、すみません」 「いいって。別に嫌じゃないから」 それより、と私は机の下に隠してあった包みを引っ張り出した。 昨日までの苦労の成果であることは言うまでもない。 「もらってくれる?」 差し出すだけでも心臓がどきどきする。 もらってくれるはず、応えてくれるはずと分かっている相手でさえこれなんだ。 そうじゃない相手に渡す子は本当に勇気があるよ。 「ええ、喜んで」 そう言ってもらえて安堵した。 よかった。 「……嬉しいですよ」 本当に幸せそうに笑ういっちゃんは、包みを軽く抱くようにして、苦笑した。 「正直、いただけないのではないかと思ってたんですよ」 「ええ? なんでだよ」 そんなに薄情だと思われてた? 「いえ、ただ、そんなことはあまりお好きでないかと思ってました」 「うーん……まあ、あんまり好きではないよ。特に、いっちゃんの場合は味覚障害があるしね。でも、」 私はなんだか恥ずかしくなってきて、顔をそむけながら言った。 「…あげたいって、思ったんだよ」 「……嬉しいです」 もう一度繰り返したいっちゃんが、私を抱きしめる。 暖かくてくすぐったい。 それにどうしても恥ずかしくて、私は身をよじってそれを振りほどくと、 「ほら、それより早く開けてみてよ。結構気合入れて頑張ったんだからさ」 「はい」 にこにこしながらいっちゃんが包みを解くと、中からチョコレートの箱とマフラーが出てきた。 「さ、最初はマフラーだけにしようかと思ったんだよ。でも、やっぱりチョコレートじゃないと意味がないなと思ったから、少しだけ、作ってみた」 「ありがとうございます」 とろけそうな笑顔のまま、いっちゃんが小さな小さな箱を開ける。 中に入っているのは、一口大のチョコレートが二つっきりだ。 「…頑張った、から」 恥ずかしいのか照れくさいのかはたまた誇りたいのかよく分からない気持ちになりながら顔を伏せる。 間違いなく、真っ赤になっていることだろう。 そのことの方がよっぽど恥ずかしい。 「食べていいですか?」 「…ん」 「いただきます」 丁寧に手を合わせたいっちゃんが、チョコレートを口に運ぶ。 そうして、驚いたように目を見開いた。 「これは……」 「私の特製だよ。ものすごく苦いビターチョコに、ザラメを混ぜてみたの。普通に食べれると思うけど……どうかな?」 「美味しいです。ええ、本当に。…驚くほど、美味しいですよ」 嬉しそうに笑ういっちゃんに、私まで嬉しくなる。 「いつも、ありがとうございます」 「別に、お礼を言われるようなことはしてないよ」 「そんなことはないでしょう? …先日のお菓子も、お茶も、今日のチョコレートも、僕でも味が分かるように工夫してくださって、嬉しいです」 「その分カロリーが凶器のように高くなってて申し訳ないけどね…」 とため息を吐けば、 「だから、二つだけなんでしょう?」 大事そうにチョコを舐めとかして、いっちゃんはそれをそっと横によけ、私を抱きしめた。 「好きです。あなたが何より好きですよ」 「ん……ありがとう。私も、いっちゃんが好きだよ」 「マフラーも、大事に使いますね」 「もうすぐ春だけどね」 「次の冬もありますから。……ふふ、寒くなるのが楽しみなんて、初めての気持ちですよ」 そう笑ったいっちゃんが可愛くて、だから私はいっちゃんを抱きしめて、キスをした。 恐ろしいまでに甘い味がしたのは、本当にチョコレートのせいだけだったんだろうか。 楽しいバレンタイン。 幸せなバレンタイン。 ……これで、終わってくれればよかったのに。 |