とうとうやってきた日曜日は2月13日。 バレンタインデーイブ、なんて言ったら陳腐だろうけど、世の女の子たちがあれこれと奮闘させられる日だ。 恋は戦争、なんてうまいこと言ったもんで、この時期、恋する女の子は戦士になる。 で、私はどうかと言えば、どちらかと言えば狩り出されそうでびくつく野狐か何かのような気分である。 そんな中、悲しい理由ゆえとはいえ、本気のバレンタインなんて無関係に、蚊帳の外とばかりにのんびりほややんと戦争を眺めていられるみくるちゃんといるとこっちものほほんと出来て、本当にありがたい。 みくるちゃんとペアにさせてくれた神様とやらに大感謝な気分である。 それとも、ハルちゃんにありがとうって言うべきかな? 「で、みくるちゃんどうしよっか?」 「そうですね…」 まだ寒いのに、みくるちゃんはまるでうららかな春の日差しの中にいるかのように穏やかな顔で、 「あたしは、どこでも……。お姉さんは、お買い物とかあります?」 「んー、別にないなぁ。準備も終わったし」 「あ、完成したんですか?」 と楽しそうに微笑んでくれるのは、なんというか、非常に可愛い。 「うん」 「よかったら、後で見せてくださいね?」 「勿論だよ。実は、みくるちゃんたちにもプレゼントを用意してあるんだ」 私が笑って言うと、みくるちゃんは驚いた様子で、 「ええっ? いいんですか?」 「うん」 「凄いですね。古泉くんのプレゼントも用意したんでしょう?」 「キョンくんのもあるよ? マフラーふたつで流石に疲れ果てちゃったから、みくるちゃんたちには残念ながらコサージュくらいしか作れなかったけど、来年はボレロとか作りたいな」 「凄いです…」 本当に感心している様子のみくるちゃんに私は小さく笑って、 「みくるちゃんも、手作りのプレゼントを上げたい相手が出来たら言いなよ。私でよければいくらでも教えてあげるよ」 「うふ、ありがとうございます」 …かっわいいなあ、もう。 「お姉さんは、チョコレートを上げるのは古泉くんとキョンくんだけなんですか?」 「うん、そうだね。むしろ、貰う量が多くなりそうで、ホワイトデーのことを考えると今から頭が痛いよ」 「貰うんですか? あれ、でも、この辺りでは女の子が上げるのが普通なんじゃ……」 この辺り、ってのが国だけじゃなく、この時間平面をも指すんだろうなと思いつつ、私は苦笑し、 「うん、女の子があげるよ。私にくれるのも、女の子」 「ええ?」 「いや、私は見ての通り男勝りだろ? だから、昔っから女の子に人気があるんだよね。おまけに、今年から女子高に入っちゃったもんだから、どうなることやら」 「ふあぁ…大変ですね…」 「大抵のチョコは美味しいから嬉しいんだけどね。お返しで悩むんだ、これが」 「お姉さんなら、手作りのお菓子なんていいと思いますけど…」 「お菓子か」 うーん、それなら確かに量産も出来ることだし、何よりその方が安く上がる気がする。 手抜きにも思われない分、誠実に対応したと見てもらえそうだしね。 「いいアイディアかも。みくるちゃん、ありがとう」 「いいえ、お役に立てたなら嬉しいです」 ふんわりと微笑むみくるちゃんは本当に可愛いったらないね。 そんな感じで、みくるちゃんの可愛さににやにやしながら、お散歩気分でぶらついてたら、偶然にもハルちゃんといっちゃんを発見した。 「やっほー! お二人さん、どこ行くの?」 私が大きな声で呼んでも、二人は迷惑そうな顔もせず、笑顔で振り向いてくれた。 おお、ダブルで眩しいよ。 「ちょうどよかったわ」 と言ったのはハルちゃんだった。 「見て、こんなところにカフェが出来てたの。知ってた?」 そう言って指差す先にあるのは、なかなか本格的なケーキの並んだカフェだった。 カフェ、っていうか、イートインスペース付きのケーキショップなのかな。 ちょっと判断に悩むけど、そんなものは瑣末な違いであって、店そのものに変わりがあるわけじゃない。 シンプルながら洗練された雰囲気に、フランス語の店名、並ぶケーキもフランス菓子なんて、洒落ている。 「初めて知ったよ。いい感じのお店だね。…で、いっちゃんとハルちゃんは一緒に入ろうとしてたのかな?」 悪戯っぽく笑って言えば、いっちゃんは苦笑して、 「いじめないでください、って何度も言ってるじゃないですか」 と言い、ハルちゃんは明るく笑って、 「入りたかったけど、古泉くんと二人はまずいかと思って遠慮してたのよ。だから、お姉さんとみくるちゃんが来てくれてよかったわ」 「なるほどね。んじゃ、入る? 今食べるとお昼が入らなくなるかもしれないけど」 「お姉さんは言うほど少食じゃないでしょ。でも、みくるちゃんは、…そうね、二つか三つだけケーキを頼んで、分け合うのはどう?」 「賛成」 みくるちゃんも笑って頷き、いっちゃんがどうするかは言うまでもない。 だから、私たちは揃ってテーブルについた。 窓際の席にみくるちゃん、その向かいに私が座って、みくるちゃんの隣にハルちゃんがいるというのは、傍から見るとどう見えるんだろうね。 ただひとりの男子であるいっちゃんは居心地がいいのか悪いのか。 「あなたの隣で、居心地が悪いなんて思うわけがないでしょう?」 一応周囲にはばかってか、小さな声で囁くように言われたけど、そっちの方がよっぽどまずい気がする。 いっちゃんはそろそろ自分の声のよさを自覚するべきだ。 代表としてケーキを選びに行ったハルちゃんは、ざっとショーケースに目を走らせ、フルーツ系とチョコレート系、それからチーズケーキの三つを注文した。 玄人っぽい、というか、品定めする気満々だねハルちゃん。 「だって、せっかくだからおいしいかどうかちゃんと確かめたいでしょ」 「まあね」 苦笑しながら、私はいっちゃんを見る。 いつものように何気ない様子でニコニコと笑ってくれているけれど、こういう話題は嫌じゃないのかね。 私の視線に気づいたいっちゃんは、ことさらに柔らかく笑ってくれた。 大丈夫ですよ、とでも言うように。 …こういう、ちょっとした気の遣い方とか、優しいところとかは、結構男の子らしくていいと思うんだけどな。 少しして運ばれてきたケーキを綺麗に四等分した。 それも勿論ハルちゃんの指示だ。 いっちゃんは遠慮しようとしたけれど、この前の生和菓子の一件のせいもあって、すっかり甘党だと思われてるので、 「遠慮なんてしなくていいの!」 の一言で押し切られてた。 セットのお茶も、紅茶、コーヒー、ハーブティーと変えてみたので、みんなで回し飲みする。 流石にこれは、いっちゃんの辞退も認められたので、いっちゃんは一人ブラックのコーヒーを飲んでいる。 時折ケーキを口に運ぶのを注意深く見守っていると、やっぱり少々変化に乏しいのが寂しくなった。 だからせめて、って言うんでもないけど、私はいっちゃんのお皿に残ってたチーズケーキにフォークを突き立てると、 「はい、いっちゃん、あーんして?」 「っ、な、なんですか、いきなり…」 油断してたのか、思いっきり赤くなるいっちゃんが可愛い。 「え? サービスだよサービス」 「いいですよ。ほら、涼宮さんにも呆れられますよ?」 と優しく諭そうとしたけれど、ハルちゃんはむしろ面白がってるみたいで、 「あたしは何も見てないわよー。ほらほら、みくるちゃん、口を開けなさい」 なんてやってる。 みくるちゃんは、チョコレートを食べた直後のイチゴに、凄くすっぱそうな顔をしてるけど、それもまた可愛い。 勿論、楽しんでるハルちゃんも可愛いので、ちょっとしたハーレム気分だな。 そんなことを思いながら、私はにっこり笑って、 「ほら、あーんって」 「……」 いっちゃんの視線がふらふらとさまよう。 赤く染まった顔に浮かぶのは、羞恥だ。 本当に嫌なわけじゃないらしい。 「さっさと口開けないと、鼻抓むよ?」 脅し文句を口にすると、いっちゃんはやっと口を開けてくれた。 控えめに、小さく。 そこにケーキを押し込んで、 「美味しい?」 と聞くと、真っ赤になったまま、 「…美味しい、です」 と蚊の鳴くような声で答えてくれた。 それが可愛くて、ぐりぐりと頭を撫でると、ハルちゃんがしみじみと、 「ほんと、お姉さんにかかったら古泉くんも可愛くなっちゃうわよね」 と呟いたけど、 「いっちゃんはあげないよ?」 「……お姉さんったら」 え、何その反応。 マジで言ったんだけどな。 いっちゃんも、赤くなって突っ伏しちゃったし、みくるちゃんまで顔が赤いよ。 私、変なこと言った? 「分からないならいいわよ」 呆れきった声でハルちゃんが言ったので、私は首をひねるしかなかった。 …と、まあ、そんな感じで私たちが午前のお茶を楽しんでいた時、不意にハルちゃんの携帯が鳴った。 「どうしたの? キョン」 キョンくんからの電話? 驚いてると、私たちにも聞こえるくらいの大きな声で、キョンくんが何かを叫んだ。 みくるちゃんがさらわれたとかどうとかいう言葉に、みくるちゃんは目をぱちくりさせるし、ハルちゃんはつまらないいたずら電話だと思ったらしい。 でも、私といっちゃんは違った。 私がいっちゃんに目配せするまでもなく、いっちゃんは素早く立ち上がり、 「すみません、ちょっと失礼します」 と言って席を外した。 向かう先はトイレのある方向だから、ハルちゃんも不思議に思わなかったらしい。 しかし、私としては気が気でない。 さらわれたのは、ちょっとだけ未来から来たみくるちゃんのことだろう。 一体何がどうなっているのか、全然見当もつかない。 分からないから、余計に不安が増大する。 「あたしもちょっとトイレ」 と言ってハルちゃんが席を立ってから、戻ってきていたいっちゃんが私に小さな声で耳打ちした。 「大丈夫です。……何もさせませんから」 「…ん。頼りにしてるよ、いっちゃん」 テーブルの陰でこっそりと手を繋ぐと、呆れるほどにほっとした。 うん、大丈夫だ。 いっちゃんがいるし、いっちゃんのお仲間もいる。 キョンくんにはもっとたくさんの仲間がいる。 ゆきりんもいるし、鶴屋さんだって、協力してくれるはずだ。 だから、心配ない。 そう言い聞かせてはいたものの、実際に無事を確認するまでは、本当に不安で仕方なかった。 思わず、集合場所でキョンくんに抱きついちゃったくらいだ。 「うわっ!?」 と声を上げたキョンくんに、私は小声で言う。 「大丈夫、だよね?」 「ああ、なんとかなった。……古泉のおかげだな」 「見直しただろ?」 そう言って笑うと、キョンくんは顔を背けたけど、それは多分、キョンくんなりの肯定なのだ。 ほっとしながら体を放した私に、ハルちゃんが背後から声をかけてきた。 「どうしたの? お姉さん」 「え、あ、うん、ごめんごめん。ほら、キョンくんがさっき変な電話掛けてきただろ? もしかしてキョンくんの頭がおかしくなっちゃったんじゃないかと思って不安になってただけ。大丈夫みたいで何よりっ」 「お前な、」 言い訳にしてももっと他のがあるだろうと言いたげなキョンくんをウィンクひとつで黙らせて、 「あー、ほっとしたらお腹空いてきちゃったな。ハルちゃん、お昼はまた昨日のところでいいんだよね?」 「そうよ」 頷くハルちゃんに、私は小さく笑って、 「んじゃ、早く行こうよ」 と急かした。 お昼の後、今日の探索は午前のみってことで、解散になった。 私はこれから、キョンくんたちの目を誤魔化しつつ、ゆきりんの家に行かなきゃいけない。 それに、キョンくんもいっちゃんと話したそうにしてるからね。 「いっちゃん、今日はこれでね。なんだったら、キョンくんと遊んであげてよ。最近お疲れみたいだし、男同士の方がこういう時はいいんじゃないかって思うからさ」 私が言うと、いっちゃんは聞き分けよく頷いて、 「では、また明日、お会い出来ますか?」 と聞いてくる。 とぼけたことを言ってくれるねと思いながら、私はにやっと笑い、 「さあ、それはいっちゃんの都合次第じゃないのかな? とりあえず私は、放課後の予定は空いてるよ?」 「では、そのスケジュールの空白は僕との約束で埋めていただけますか?」 「ん、いいよ」 私がそう返事をしたのを聞いて、やっとほっとしたように笑ったいっちゃんと別れて、私は急いで家に帰った。 ラッピングなんかもゆきりんの家でやるつもりだから、荷物が多い。 ニットってのはえらくかさばるからね。 チョコレートの材料もいくらか持っていくから更に大変だ。 「お姉ちゃんどこ行くのー?」 と妹に聞かれたので、 「ゆきりんのとこ! 帰りは遅くなるかもしれないけど、心配しないで」 とだけ言って、私は自転車に飛び乗った。 |