ある朝、私がなにか気がかりな夢から目を覚ますと、自分が寝床の中でキョンくんに変わっているのを発見した。 ハルちゃん……お約束だね。 ため息を吐きながら鳴り続けていた目覚まし時計を止める。 体を起こしてまず気がついたのは、頭が軽いと言うことだ。 あの重たい枷のような髪がないだけで、なんて快適なんだろうか。 キョンくんのお願いだから伸ばしてるけど、やっぱりばっさりと切ろうかな。 そうしたら多少、キョンくんに似てくるかもしれない。 いや、普段も十分似てるらしいけど。 そんなことを考えながら室内を見回す。 部屋の中は私の部屋のままだ。 別にキョンくんの部屋にはなっていない。 ということは、体だけキョンくんと入れ替わったってことなんだろうか。 それとも、別のパターンかな。 何にせよ、キョンくんを確かめれば分かるか。 私が部屋から出ると、妹がキョンくんの部屋へ向かっているところだった。 「あ、おにーちゃんおはよー」 「おはよう」 と答えた声がキョンくんのそれそのままなのが面白い、と思っていると、 「キョンちゃんまだ起きないんだよー」 と妹が唇を尖らせた。 その言葉からして、どうやら私とキョンくんの体が入れ替わったということではないらしい。 じゃあどういうことかな、と考えながら、 「キョンくんは私が起こすよ」 「うん、じゃあお願いね」 妹がとことこと台所へ向かうのを見送って、私はキョンくんの部屋のドアを開けた。 部屋の様子は昨日と変わりがない。 ただ、ベッドの上で惰眠を貪っているのは弟ではなく妹になっているようだったが。 こうして見ると、本当に私たちって似てたんだなぁ。 キョンくんの方がいくらか可愛らしくあどけない顔立ちに見えるのは、眠っているせいだろうか。 何にせよ可愛い、と思いながら私はキョンくんの布団に手を掛けた。 「キョンくん、朝だよ」 「兄さん…?」 ……兄さん? うぉいちょっと待ってくれよキョンくん。 なんか変じゃないかね? 「…何が」 面倒臭そうにキョンくんはそう言って体を起こした。 胸がそこそこ大きい。 ……ってそうじゃない。 つまり明らかに女の子になってて、髪も体つきも声も違うってのに、キョンくんは気にしてないのだ。 それって……もしかして、頭の中までしっかり変えられちゃったってことじゃない? 「キョンくん、君の性別は?」 「……寝ぼけてんのか?」 いやむしろ、寝ぼけてる可能性があるのはキョンくんの方だよ。 「…見りゃ分かるだろ。女だ」 はいー決定ー! ちょっとハルちゃん徹底しすぎだよ。 というか、もしかして気付いてるの私だけ? 夏の時と同じパターン? こういう時のセオリーって普通、頭の中は元のままなんじゃないの? で、みんなで頭寄せ合ってどうにかしようとするんじゃないの? なんでこうなるんだよ…! あ、もしかして、ハルちゃんがセオリーを嫌ってるから? ハルちゃんならそうかもしれない。 …でも……そんなの分かっても嬉しくないって…。 「キョンくん…」 「何だよ」 「……昨日まで、キョンくんは男の子だったんだよ」 「…はぁ?」 「で、私は女だったんだよ。多分、ハルちゃんが男女逆にしたんだと思うんだけど……」 「……ハルヒなら、あり得るな」 半信半疑ながら頷いてくれて嬉しいよ。 「で、キョンくんの中でハルちゃんは男? 女? みくるちゃんといっちゃんとゆきりんは?」 「ハルヒは男で朝比奈さんと長門も男だ。古泉は女」 「はー…見事に男女逆転させられてんだ。ちなみに光陽園は男子校?」 「ああ」 てことは学ランかな。 それはそれで構わないんだけど、学校のみんなが軒並み男になってるかと思うとげんなりするなぁ。 ……周防九曜がどうなってるかはちょっと見てみたい気がする。 「とりあえず、ゆきりんに相談しよーっと」 ため息を吐きながら私が言うと、キョンくんは心配そうな顔をして、 「大丈夫か? 兄さん」 「……大丈夫だ」 けどやっぱり兄さん呼びは違和感があるよ。 ふらふらとキョンくんの部屋を出て、自分の部屋に戻る。 クローゼットの中身もしっかり男物に変換済みだ。 制服も学ランになってる。 まあ、服が変わってるくらいのことは別に構わないんだけど、このまま戻らなかったら一体どうなっちゃうんだろう。 もうひとつため息を吐いて、ゆきりんに電話を掛けた。 すぐに出てくれるのは男の子になってても変わらないらしい。 「もしもし、ゆきりん?」 『…そう』 ハスキーな男の声だけど、平坦な調子は同じで、少しほっとした。 「今の状況、分かってるかな?」 『SOS団およびその周辺で情報改変が行われた。一部の人間の性別が逆になっている』 「そう! ゆきりんが分かっててくれてよかったよー。そうじゃなかったらどうしようかと思ったよ」 『この状況を自覚しているのはあなたと私だけ。その他の人間はもとからそうだったと認識させられている』 「うん、それはキョンくんと話してて分かった。どうやったら戻るか分かる?」 『情報改変の規模、効力からして、この現象は一時的なものと予測されている。私たちはこのまま観察を続けたい』 「ああ、そっか。ゆきりんにしてみたら、久しぶりに起きたハルちゃんの変化だもんね」 そりゃあ見ていたいだろう。 『…あなたには、悪いけれど』 「気にしなくっていいよ」 と私は本心から言った。 「ちゃんと戻るはずなんでしょ? 私も面白いと思ってるし、ゆきりんは気にせず自分のやることをしてなって」 『……ありがとう』 「ん、どういたしまして。じゃあ、後でね」 と私は電話を切った。 後で、というのは、今日はSOS団全員で街を歩きまわることになってたからだ。 いつもの不思議探しってやつ。 私は、みんながどうなってるのか楽しみにしながら、朝食を取るため、自室を出た。 いつもならキョンくんがしてるような格好を私がして、普段の私より更にボーイッシュな格好をキョンくんがしてるってのもなんだか面白い。 きっちりポニーテールに結い上げたキョンくんが、 「俺が男で兄さんが女だったってことは、兄さんがこんな髪型してたりしたのか?」 と聞いてきたのには、正直に答えておいた。 「私は面倒だから切りたかったんだけど、キョンくんが伸ばしてって言ってたんだよ。髪も、いつもキョンくんに結んでもらってた」 「へぇ」 面白がるように呟いたキョンくんの手が、私の頭に触れる。 硬めの髪が気持ちいいのか、目を細めながら、 「で、俺がこんな髪だったのか?」 「そうそう」 「それはそれで楽そうだな」 「でしょ。だから私も髪切りたいな」 「それは本来の俺に言え。今の俺は関知してないからな」 「いやいや、それでいいから切っていいって言ってよ。そしたら切るから」 「……どれくらいの長さなんだ?」 「今のキョンくんくらい」 私が言うとキョンくんはしばらく考え込み、 「……やっぱ、勿体無いだろ。却下」 「えー、けちー」 女の子になってもポニテ萌とは、やるなキョンくん。 「ほら、さっさと行くぞ」 また奢らされる、とぼやくキョンくんはどうやら女の子であっても奢らされることになるらしい。 ハルちゃんも手厳しいなあ。 待ち合わせの場所はいつも通りの駅前だった。 ただし、待ってるメンバーはいつもとちょっと違っていた。 「おっそい!」 と怒鳴ってる、黄色い鉢巻の男の子は多分、というか確実に、ハルちゃんだ。 その隣りで苦笑している、白いブラウスと黒いズボンの可愛い男の子がみくるちゃんと見た。 本を閉じてカバンにしまっている、背の高い男の子がゆきりんなのは間違いない。 で、いっちゃんは、 「……可愛いっ」 小声で呟いたのが、キョンくんには聞こえたらしい。 「兄さん、ちょっとキモイ」 「うるさい、ほっとけ」 だってあんだけ可愛いんだよ? 柔らかな髪は肩まであって、柔和な顔立ちを綺麗に縁取ってる。 着ている服は、いつもならみくるちゃんが着てくるような、フェミニンな感じの服だけど、それが物凄く似合ってた。 高校生とは思えないくらい、大人っぽくて綺麗なのに、その大人しげな笑みを見て私が思うのは、可愛い、ということだった。 多分それは、いっちゃんの中身が結構可愛いと知ってるせいだ。 「ねーねーキョンくん、」 と私は小声で尋ねる。 「いっちゃん相手なら撫で回したり抱きしめたりしてもいい?」 「……泣かせない程度にしろよ」 おお、流石はキョンくん。 女の子になってもいっちゃんには厳しいね。 「何二人で話してんだよ?」 とハルちゃんが訝しげな顔をして私たちに言った。 「なんでもない」 とキョンくんが答え、私も頷く。 「そうそう、気にしなくていいって」 ただちょっと、と私はいっちゃんに目を向けた。 いっちゃんは笑みを浮かべたまま、少しだけ首を傾げてみせる。 「いっちゃんが可愛いと思ってただけだから」 私の言葉にいっちゃんは顔を赤らめた。 可愛いなー。 だがハルちゃんは笑いながら、 「またそれ? お兄さん、本当に古泉さんのこと気に入ってんだな」 と言っただけだったことからして、どうやらいつものこととして認識されているらしい。 そのまま、いつものような流れで喫茶店に入り、お茶を飲みつつ今日回る地域を確認、くじ引きで班分けということになった。 ただ、そこでいつもと少し違っていたのは、 「今日は三つに分かれてみよう」 とハルちゃんが言ったことだった。 それくらいのことではキョンくんも文句を言うはずがなく、それは採用されたんだけど、……結果にはどこか恣意的なものを感じずにはいられなかった。 何しろ、私といっちゃん、ゆきりんとみくるちゃん、そしてハルちゃんとキョンくんという組み合わせだったからね。 ハルちゃん、そんなにキョンくんと一緒がよかったのか。 それならいつものくじ引きでもそうすりゃいいのに。 まあ私は、これで思う存分いっちゃんにセクハラが出来るんだから文句はないとも。 ただし、私は念を押すことにした。 キョンくんが支払いをしている間にハルちゃんに近づくと、 「いくらハルちゃんでも、もしキョンくんに何かあったら許さないからね?」 と言っておいたのだ。 それに対するハルちゃんの反応はというと、 「何かって何だよ。俺は別にキョンなんかどうとも思ってねえぜ?」 思ってないならそんな風に言ったりはしないだろう、と突っ込むのはやめておいた。 藪をつついて蛇を出すまでもないはずだ。 「誰かにキョンくんがちょっかいかけられたりしないよう、見張っててやってってことだ」 「ああ、そういうことか。分かってるって」 「…任せたよ?」 本当に何かあった日には相手がハルちゃんだろうが何だろうが二度と私のテリトリーに入らせないようにしてやる、と思っていると、背後でクスクス笑いが聞こえた。 「…いっちゃん〜? その笑いは何かなぁ〜?」 咎めるように言ってやると、 「すみません。でも、兄妹仲がよろしくて、少々羨ましく思っただけなんですよ」 それ、言外にシスコンって言ってない? 「いえ、そんなことは…」 苦笑するいっちゃんに、 「いっちゃんも構ってほしいんだろ」 と言いながら詰め寄っていると、遅れて店から出てきたキョンくんが、 「…兄さん、何やってんだ?」 「ん? いっちゃんからかって遊んでる」 「……仲いいな」 拗ねるように言ったキョンくんが可愛くて、 「キョンくんの方が可愛いよっ!」 と抱きつくと、 「そんな話はしとらん!」 と怒鳴られた。 ち、照れ屋さんめ。 渋々解放したキョンくんをハルちゃんが引き摺っていき、ゆきりんはみくるちゃんを伴って歩いていった。 ……ゆきりんとみくるちゃんには悪いけど、その状態でお似合いに見えるのはどうなんだろう。 みくるちゃんが男の子なのに可愛いからか、ゆきりんが背の高いクールビューティーになっちゃってるのが悪いのか。 うーん、と唸っていると、 「私たちもそろそろ行きませんか?」 といっちゃんに言われた。 「そうだね。…でもどこに?」 「とりあえず、歩いてみましょう」 困ったような顔をしながらもいっちゃんはどこか嬉しそうだった。 「何かいいことでもあった?」 私が聞くといっちゃんは小さく笑って、 「私が嬉しそうに見えるとしたら、お兄さんとご一緒できるからでしょうね」 ……女の子になってもいっちゃんはいっちゃんだなぁ。 恥ずかしいことを恥じらいの欠片もなく言い放ったよ。 「いっちゃん、可愛いね」 「ありがとうございます」 受け答えも嫌味がなく爽やかだ。 本当になんで女の子に生まれてこなかったんだろうか。 「そうだ、いっちゃん」 「なんでしょう?」 「今日、何か違和感とか感じなかった?」 「違和感…ですか」 いっちゃんは顎に手をやり、考え込んだようだったけれど、 「特にありませんね。何かありましたか? あなたにしか感知出来ないような、何かが」 「そうなんだ」 私はため息を吐き、いっちゃんに説明した。 SOS団とその周辺の性別が本来のそれと逆転し、かつ記憶まで操作されていることを。 いっちゃんは黙ってそれを聞いていたが、 「驚きましたね。全く気がついていませんでしたよ。今も、あなたが言ったのでなければ信じられなかったでしょう」 「じゃ、信じてくれるんだね」 「ええ、勿論です」 「よかった。これで、」 と私はニヤリと笑った。 「な、なんです?」 いっちゃんが顔を強張らせるくらい、あくどい笑みだったらしい。 「思う存分いっちゃんにセクハラ出来ると思って」 「せ…!?」 いくらなんでも普通に男女だと思ってる状態で体さわりまくったりするのはまずいだろ。 でも、ちゃんと説明して分かってもらえた以上、私の精神はしっかり女なんだから、女の私に触られても別に怒らないよね? 「そ、そういう問題じゃないと思うんですけど…」 焦って腰が引けているいっちゃんを抱きしめる。 「ひゃっ!」 いっちゃんの上げた声が可愛くて、 「可愛い」 と耳元で言うと、その耳までかあっと赤くなった。 「や、めてください…」 いっちゃんの声が震えた。 「どうして、こんなことするんですか…。私を、からかうのが楽しいからですか…?」 「いっちゃん?」 泣いてるんじゃないかと思った。 いや、多分泣いてる。 確かめるために顔を見ようと、体を離しかけたら、強く抱きしめられた。 「見ないでください…」 「…ごめん。泣かせるつもりじゃなかったんだけど……」 「じゃあ、どういうつもりだったんです!?」 癇癪を起こしたように、いっちゃんが叫んだ。 「どうして、私に構うんです。私なんて、ほっといてくれたらいいのに。どうしていつも、そうやって優しくしてくださったりするんですか」 「いつも…って……」 そんなにまずいことをしてきたんだろうか、私は。 「あなたと出かけるだけで嬉しいと感じてる私に、わざと『デート』だって言ったりして…」 それはつい先日の話だ。 でもその時いっちゃんは男で私は女だった。 記憶は微妙に歪められただけで、ちゃんとあるんだろう。 それなら今のいっちゃんの言葉は、いっちゃんの本音なんだろうか。 「そんなこと、思ってたんだ?」 私が聞くと、しゃくり上げる声と共に、 「そう、ですよ…」 と返事が返ってきた。 「ごめん。全然気がついてなかった。いっちゃんはいつも笑顔で、平静を保ってたから」 でも、それが演技だと知っている以上、私は気づくべきだったんだ。 笑顔の仮面の下でいっちゃんが何を感じ、どう思っているか、無理矢理聞き出してでも知っておくべきだった。 「ごめんね」 もう一度謝ると、 「…教えてください」 と言われた。 「どうして、私に構うんです?」 「それは…」 答えようとして困った。 はて、私はどうしていっちゃんに構うんだろう。 からかうと面白いから? それとも、本音を引き出したかったんだろうか。 いっちゃんがどうしても言ってくれない言葉を、欲しているのかもしれない。 「…演技じゃない、いっちゃんを見たいからかも知れない」 そう呟いた私を、いっちゃんが見つめる。 やっと見えたいっちゃんの顔は涙でくしゃくしゃになってた。 せっかくの化粧が少しばかり崩れて勿体無い。 「本当の私を見て、それでどうするんです? 本心を知って、そうしたら満足して、私を構うのをやめてくれるんですか」 その言葉がずきりと胸に痛んだ。 そんなに嫌だったのか。 そこまで、嫌われてたのか。 「…ごめん……」 思わずそう謝った瞬間だった。 唇に、柔らかいものが触れた。 目に見えるのは、近過ぎてピントも合わないいっちゃんの顔。 うわー睫毛長ーい。 ……思わず現実逃避した私を責めないでもらいたい。 全く想像してなかったんだよ。 いや、少しは思ってたかもしれない。 いっちゃんが私を好きなんじゃないかと、ちらとも思わなかったといえば嘘になる。 でも、いっちゃんがいきなり行動に移すなんて思わなかったんだ。 ぽかんとしている私に、いっちゃんが真剣な顔で言った。 「私は、あなたが好きです」 本来男であるはずの女の子に、本当なら女のはずなのに男になっちゃってる状態で、キスされた上に告白されるような人間って、どこを探しても私しかいないと思うんだ。うん。 |