風と共に来ぬ



なんだかんだと騒がしく、楽しく、かつ不安を潜ませた冬休みを終えた私が、心機一転とばかりに乗りこんだ教室にはなぜか、休み前には確実にいなかったであろうものが鎮座していた。
「す、周防九曜…」
前のように透けてはいないし、黒い塊でもない。
しかしそのもっさもっさとモップの如き髪も、表情の欠片もない顔も、どう見たって周防九曜そのものだった。
私のつくべき席の後ろに坐したそれはうっそりと私を見つめ、
「おは――よう――」
クラスメイトとして考えるのなら至極正しいことを言ったのだが、それが彼女の口から出たものだと思うと酷く滑稽に思えるのは何でだろうな。
「…なんであんたがここにいるんだ?」
光陽園にいる時専用の猫を被ることも忘れて、私は言った。
周防は気にした様子もなく、相変わらず間延びした調子で、
「わたしは――望んだ――。あなたを――近くで観測――したい――と――」
「迷惑だね」
嫌悪を隠しもせずに私は言った。
だって、そうだろう。
私一人があんな目に遭わされただけならまだしも、しかも後でキョンくんやゆきりんと話したところによると、キョンくんたちをも酷い目に遭わせたというじゃないか。
そんな相手に寄って来られて拒まない人間がいるはずがない。
「お願い――」
どうしてもって言うなら、せめて見えないところに行ってもらいたい、と言いかけてやめた。
その方がよっぽど不気味だ。
それならまだ、見える場所にいてくれた方がマシだろう。
またゆきりんに何かあった時、物理的に締め上げる対象がいてくれた方がいい。
私は少し考え込むと、
「私たちの邪魔をしないでもらおうか。それなら、私の近くにいようが構わない」
「邪魔――?」
「ゆきりんに手出ししたり、ハルちゃんに干渉しないでもらいたいってこと。というか、SOS団の邪魔をするなってことだね」
「それは――」
周防はいつにもまして長く沈黙した後、首を振った。
「出来ない――。わたしの――行動は――制限されている――」
どうやら、操り主がかなりの部分を操作しているということらしい。
自立行動などもっての他ってことかね。
それにしては、望んだとか何とか自発行動を匂わせる言葉を使うけど、それは操り主の意思に反しない限りは自発行動が出来るということなんだろうか。
となると、監視を止めろといったところで無駄なんだろうな。
「それなら、あんたの答えられる範囲で私の質問に答えるってのはどう?」
周防はまたしばらく沈黙し、
「――構わ――ない」
その時チャイムが鳴り、私が思ったことは、周防に質問をするならイエスかノーで答えられる質問じゃないと無駄に時間を食うだけだなということだった。
しかし、何を聞けばいいんだろうな。
手出ししてくる理由や目的を問えばいいのか、それともこの前の発言の意味するところを問うべきなのか――。
どちらにしろ、短答式に変えるには手間がかかりそうだな。
こういう時頼りになるのは、というと考えるまでもなく、胡散臭い笑みが思い浮かんだ。
ゆきりんに頼むのは少し難しいだろう。
直接対立する位置にある存在のはずだし、この前の雪山でのこともある。
更にダメなのはキョンくんだ。
あの、世界改変事件以来、ゆきりんに危害が加えられたりすることには敏感になってるからね。
多分まだ怒ってるはずだ。
そんなキョンくんに周防のことを教えたらまた余計にキョンくんを悩ませることになる気がする。
ハルちゃんとみくるちゃんは、悪いけど論外。
これは二人に頼るべき方向のことじゃない。
「というわけで、直感でも消去法でもいっちゃんを頼るって結論が出たんだけど、私に力を貸してはくれないかい?」
私が言うといっちゃんは電話の向こうで小さく笑った。
この話を直接会ってしなかったのは、二人だけで会う機会がなかったためと、急いでいたからだ。
『僕でよければいくらでも力くらい貸しますけど、本当に僕でいいんですか?』
話を聞いてたんだろ。
それならそれしかないって分かるじゃないか。
『長門さんならたとえ対立組織のことであっても冷静に対処出来ると思いますけど』
「そうであっても、余計な負担を掛けたくないっていう私の気持ちがいっちゃんには分からないかな」
『失礼しました。僕もいくらか浮かれてしまっているようですね』
浮かれる?
なんで。
『あなたに頼られるという光栄な状況が嬉しくてたまらないんですよ』
分からない奴だな。
私に頼られたからっていっちゃんに何かいいことがあると思えないんだけど。
『そうですか? 僕としては、あなたに認められたということだけでも十分いいことだと思うんですけどね』
何を言ってるんだか。
私はずっと前からいっちゃんのことはちゃんと認めてるよ。
頼りになる仲間だってね。
いっちゃんの方がどうかは知らないけど。
『僕の方がどうか、なんて妙なことを仰いますね』
いっちゃんが他人行儀だからだろ。
少なくとも仲間だと思ってる相手に対する口の聞き方とは思えないよ。
言っておくけど、敬語のことじゃないからね。
光栄だとかなんとか、妙な言い回しのことだよ。
『ああ』
といっちゃんは納得したように声を上げた。
『特に意識はしてなかったんですが、不快にさせてしまったのでしたらすみません』
言いながら小さく笑ういっちゃんに、
「今度は何? 言いたいことがあるならついでに言ったらいいよ。溜め込んでおくと体に悪いから」
『では、お言葉に甘えて言わせていただきますが、僕はあなたに、そうですね、あなたに憧れているんですよ』
どこかで聞いたようなフレーズだな。
学ランいっちゃんが言ってた言葉とよく似てる。
しかし、あの時とは状況が違うってのに、どうしていっちゃんが私に憧れるんだろうね。
『あなたと彼の関係も羨ましく思いますが、それ以上に、我々以上の困難に当たりながらもいつも笑って過ごしていられるあなたに、尊敬の念を抱かずにはいられません』
私がいっちゃんたち以上に大変な目に遭ったのはあの恐ろしく長い夏休みくらいのものだと思うけどね。
『その一事だって、普通なら耐えられたものではないでしょうに、あなたはそうやって軽く扱うんですね。そういうところに憧れますよ』
いっちゃんだって、大変なことを乗り越えて今を生きているんだろうにね。
それも、つい半年ちょっと前からの私と比べて、いっちゃんは三年以上も前からじゃないか。
私の方こそ、いっちゃんを凄いと思うよ。
『ありがとうございます』
「いいえ、どういたしまして。…というか、話題を元に戻そう」
『そうでしたね。すみません』
「謝らなくってもいいけどね」
そう笑った時、ふと思いついたアイディアに私の唇が卑しく歪んだ。
全く、電話でよかったよ。
「いっちゃん、どうせなら日曜に、会って話し合おうか」
『日曜に、ですか?』
「うん、土曜はちょっと都合が悪くってね。さっきの調子で話してたら長くなりそうだし、そうなると電話じゃ大変だからね。どうせなら会って、思う存分話そうじゃない」
『あなたがいいのでしたら、そうしましょう。今度の日曜でしたら、僕も空いていますし』
「そりゃあよかった」
それから手早く日曜の昼頃に駅前で会う約束をし、電話を切る間際になって、私は言った。
「ところでいっちゃん」
『なんでしょう?』
「気付いてないようだから言っておくけど、日曜日に年頃の男女が二人でお出かけするってことを世間ではどう呼ぶか知ってるかい?」
電話の向こうで絶句したいっちゃんに、ダメ押ししてやる。
「デート、って呼ぶんだよ」

駅前までのんびり歩いていくと、いつもの待ち合わせ場所にはいっちゃんが一人で待っているかと思いきや、みくるちゃんが思いつめた表情で突っ立っていた。
どうしたんだろう、と首を傾げたところで、肩を叩かれた。
「ん?」
振り返ると、しー、とでも言うように唇に指を当てたいっちゃんがいた。
私は頷いて、いっちゃんに誘導されるままにその場を離れ、みくるちゃんが見える位置にある喫茶店に入った。
「もしかして、キョンくんと待ち合わせしてんのかな」
私が言うと、いっちゃんも頷いた。
「そうでしょうね。ここ数日、彼も、珍しく浮かれた様子でしたから」
「彼もってのはどういう意味だい?」
私が問うと、いっちゃんはいつものハンサムスマイルを浮かべつつ、
「僕も浮かれてましたからね。あなたとデート出来るということで」
電話の向こうでおたおたしてたくせに、何言ってんだか。
でも、
「キョンくんはまだ家で大人しくしてたから、待ち合わせ時間にはまだ大分あるはずだよ?」
「彼女も慎重な方ですからね。早めに来たのでしょう。あるいは、居ても立ってもいられなかったか、早く来る必要があったのかもしれませんが」
「いっちゃんが早めに来た理由は?」
「言うまでもないでしょう?」
と笑ったいっちゃんは、
「あなたをお待たせさせるわけにはいきませんから」
「……やっぱりいっちゃんはスケコマシだなぁ」
学ランいっちゃんも、やっぱり、本質的には同じいっちゃんだったんだな。
いっちゃんは何やら反論しようとしたようだったが、私が注文したスパゲッティーが届くと黙り込んだ。
二人して昼食を取りつつ、目の端でみくるちゃんを観察し、同時に周防について話し合ってるんだから、私たちもなかなか器用だと思う。
「ねえ、いっちゃん」
口の周りについたケチャップを拭いつつ、私は尋ねた。
「周防への質問を練るのと、みくるちゃんとキョンくんのデートを見守るの、どっちが優先されると思う?」
「そうですね」
ニヤニヤと笑いながら、いっちゃんは窓ガラスへ目を向けた。
寒そうに手をすり合わせているみくるちゃんがそこにはいる。
「同時進行と行きましょうか。話しながらでも後を追うことは出来るでしょうし」
「だね。…お、キョンくんご登場」
みくるちゃんに駆け寄るキョンくんの顔など、見なくても分かる。
いっちゃんにも負けないくらいの爽やかな笑みで間違いない。
私は悪戯心から口を開き、
「『すみません、お待たせしまして』…ってところかな」
キョンくんの声を真似てやった。
するといっちゃんが、
「『あたしさっき今来たとこ』、とか言ってるんでしょうねぇ、朝比奈さんは」
と似てない声真似をしたので笑った。
「ごめん、逆にしてあげるべきだったね」
「そう思うんでしたらいっそ笑わないでやってくださいよ」
「いや、くくっ、無理!」
むしろ爆笑しなかっただけマシだと思ってやってよ。
いっちゃんは苦笑しながら立ち上がり、
「では、行きましょうか」
「うん」
それを追って立ち上がりながら、私は伝票をさりげなく持っていかれたことに気がついた。
やっぱりいっちゃんはスケコマシだな、うん、決定!
納得しながらいっちゃんを追い、支払いを済ませて財布をしまおうとしていたところへ、きっちり数えた小銭を押し付けた。
「おごりますよ?」
困ったようにそう言ったいっちゃんには悪いが、そうはいかない。
「おごってもらう理由がないだろ? 私の方から呼び出したんだから、私が奢る方が理に適ってる位だ」
けど、それはいっちゃんが嫌だろう?
だから、自分の分だけきっちり払わせてもらうよ。
「デートじゃなかったんですか?」
揶揄するようにいっちゃんは言い、私は笑った。
「いっちゃんがそうしたいんだったら、デートってことでいいけど、普通、ボーイフレンドとデートだってのに、弟のデートを追跡したりするかな」
「ないとは言い切れないでしょう?」
「まあね」
しかし、ここで押し問答をしたところでいっちゃんは引き下がらないんだろう。
私は再び自分の手の中に押し返された小銭を握りながら、
「後で私の方からも何かおごるよ。いいね?」
「分かりました」
いっちゃんは諦めたようにそう頷いた。
さて、それじゃあキョンくんたちの追跡だ。
どうやら駅からすぐのデパートに向かったらしい。
「みくるちゃんが行くとしたら」
「食料品売り場辺りでしょうね」
「だよね」
何もみくるちゃんがグルメだとかそういう意味ではない。
ここの地下にある食料品売り場の一角にお茶の専門店があるのを知っていたからであり、デートで行く場所とは言い難いようなそこに行くのが予想出来たのは、キョンくんたちのお出かけも「デート」というには余りにも甘くないお出かけに違いないと思ったからだ。
果たして予想は違わず、お茶専門店で熱心にお茶を見ているみくるちゃんと、店の前でどことなく手持ち無沙汰なキョンくんを、私たちは首尾よく発見できた。
私といっちゃんは、身を隠す目的と、ついでにということだけで、そこから少し離れたコーヒー豆の専門店に入る。
「いっちゃんはコーヒー党だったよね」
「そうですね。比較的、コーヒーの方が好きです」
「というかさ、」
試飲させてくれるという小さな紙コップに入ったコーヒーを一口すすって、その苦味に顔を顰めてから私はいっちゃんに言った。
「いっちゃんって、味音痴だよね?」
苦すぎるそれを平然と飲んでいたいっちゃんの顔が強張ったのは、今更苦味を感じたからじゃないだろう。
「味音痴っていうか、味覚障害って言った方がいいのかな」
細かな味の違いまでは理解できないと見た。
「…どうして分かりました?」
なんとなく、何食べても無感動だなと思ってたんだよ。
好き嫌いがないだけなのかなと思ってたんだけど、そのうち、それだけじゃないと思ってね。
もっとも、さっきのあれがなかったら私も確信は出来なかったけど。
「さっき、というのは?」
問われて、私は白状した。
「さっきの喫茶店で、いっちゃんが飲んでたコーヒーに、スパゲッティーについてたタバスコを混ぜといたんだ」
「タバスコですか…」
塩とどっちにしようか迷ったんだけどね。
「あなたって、意外と悪戯好きですよね」
そういっちゃんは苦笑しながら、お茶専門店へ目を向けた。
みくるちゃんは当分動かないだろうと確認して、口を開く。
「生まれつき、味覚がほとんど機能してないんですよ。嗅覚は機能してるので一応味を感じられないこともないわけではないのですが、大抵のものは同じような味に感じられるので、自然何を食べても無感動になるんです」
「生まれつきってのは嘘じゃないだろうね?」
「ええ。…気になるのはそこですか?」
味覚障害の原因として多いのは神経系の疾患と精神系の疾患だからね。
もし、原因がハルちゃんのあれこれからくるストレスだったとしたら居た堪れない気持ちになるところだったよ。
「……あなたって人は」
といっちゃんは笑った。
何かおかしなことを言ったかな。
「いいえ。ただ、涼宮さんのことが好きなんだなと思っただけです」
「まあね。ハルちゃんのことは大好きだよ。いっちゃんと同じくらいね」
「光栄ですね」
またそういう言い回しをする。
「すみません、癖になってるようです」
仕方ないね。
それにしても、みくるちゃんは熱心だね。
私はそろそろ飽きちゃったよ。
「では、どうします?」
あれもどうやらデートとは言い難いようだし、放っておくことにしようか。
野次馬は褒められたことじゃないしね。
だから、と私は言う。
「こちらもデートの続きと行こうじゃないか」
いっちゃんは小さく笑って頷いた。
勿論、周防のことも話し合わなきゃならないけど、たまには影で苦労しているらしいいっちゃんを労わってやったところで咎められはしないだろう。
結局夕方近くまでデパートで雑貨を見たり、いっちゃんの好きそうなボードゲームを見たりして過ごした。
私からいっちゃんに買ってあげられた物は、屋上で飲んだジュース一杯だけで、味覚障害の人間に対してそれはどうなのよと思わないでもなかったが、これくらいしかいっちゃんがおごらせてくれなかったんだからしょうがない。
それに、いっちゃんも楽しそうにしていたからこれでいいんだろう。

明けて、月曜日。
放課後に時間を取ることが出来た私は周防にいくつもの質問を投げたのだが、返事は芳しくなかった。
答えられない質問なら首を傾げるように、それ以外は首を縦に振るか横に振るかでイエスとノーを示すようにと言っておいたのだが、大半の質問には首を傾げられてしまったのだ。
まあそれも予想済みではあったけれど、あれだけ長いこといっちゃんと話し合ったのに勿体無いと思ったのもまた事実だ。
結局周防がまともに答えた質問はほんの少しで、
「私に危害を加えるつもりはあるのか?」
という問いに首を振り、
「……私のことが好きなの?」
という冗談交じりの問いに、こっくりと頷き、
「とても――」
と答え、私を寒くさせたくらいのものだった。
本当に、わけの分からんポンコツ宇宙人だ。

更に余談。
私が周防と会話といえるのかも微妙な会話をしていた間、キョンくんとみくるちゃんはハルちゃんに締め上げられて大変そうだったと、面白がるようないっちゃんと、どこか機嫌の悪いゆきりんの二人から報告された。
ゆきりんは私にどうして欲しいんだかよく分からないが、とりあえずいっちゃんには、
「いっちゃんもキョンくんに怒られないように気をつけるんだよ」
と言っておいた。
キョンくんも、自分で言う以上にシスコンだからね。