嵐の歌を聴け



今日は北高の文化祭。
だから私も、えっちらおっちらと坂を上っている。
映画撮影の間は、私も自分の所の文化祭準備で忙しく、SOS団準団員として動けなかったから、こうやって坂を上るのもしばらくぶりだ。
ちなみにうちの文化祭は昨日終った。
キョンくんたちに来てもらえなかったのは残念だけど、まあ、わざわざ平日にやる閉鎖的なうちの学校も悪いから仕方ない。
妹も連れてこようと思ったのだが、ミヨキチと約束があると言ってついて来なかったのだ。
時間も早いし、仕方がないだろう。
それにしてもミヨキチはいつ見ても綺麗で可愛くておしとやかで、全くもってうちの妹に見習わせてやりたいくらいだよ。
爪の垢を煎じてもらえないかな。
などと思考が横道へそれるのも許していただきたい。
何しろ、久し振りに上る坂道というのは、これでなかなか堪えるものなのだ。
しかも今日は上りの人間もそこそこいて、微妙に自分のペースを保ち辛い。
あの終らない夏の間に体力でもつけていればよかったのだろうが、身体的成長や経験値はリセットされ続けだったので続かなかったのだ。
最後の時だけでも体力作りに力を注げばよかったと思わないでもない。
ついでに言うなら、私がここまで疲れるのは、私だけのせいじゃない。
昨日帰って来なかったキョンくんのために着替えやら歯ブラシやらを持参してやっているからだ。
弁当も用意してある。
ちなみに現在時刻は午前七時前。
坂を上っているのも、まだ今日の準備が残っているらしい北高生ばかりである。
まったく、弟思いの姉だと思わないか?
これで感謝の言葉がなかった日には殴ってやりたくなると言うものだ。

私は制服姿の北高生にカジュアルな私服で紛れ込みながら坂を上りきり、いつもの部室へ向かった。
わやわやと物音がするのは撮影していた映画とやらを試写しているからなんだろう。
「おはよう」
とドアを開けると、満足げなハルちゃんの顔と、疲れきったキョンくんの顔が見えた。
「お姉さん、早いのね」
「うん、キョンくんとハルちゃんに差し入れだよ」
と私はカバンの中から弁当の包みを取り出した。
大きめなのはハルちゃんのことを考えてのことだ。
「これから外に買いに行こうかと思ってたところだから丁度いいわ。ありがとう」
嬉しそうなハルちゃんの顔を見られたらそれで私は満足だよ。
「それよりキョンくん」
「何だ?」
「着替えとか歯ブラシとか剃刀とか持ってきてあげたから、身支度を整えておいで。一般の人に見っとも無い姿を見せて学校や団の品位を下げちゃいけないよ」
「品位って…」
「いいから行く。心配しなくても弁当は残しておいてあげるよ」
「……分かったよ」
あくびをしながらキョンくんは私からカバンを受け取り、出て行った。
私はおにぎりをぱくついているハルちゃんに、
「ハルちゃんは一度帰って着替えたりしてくるのかな」
「そんな暇はないわ。それにあたしは今日は制服でいるつもりもないしね」
「そうなの?」
「今日はバニーでビラ配りをするつもり」
そりゃまた……楽しそうだねぇ?
と私は苦笑するしかない。
ハルちゃんは自分の体やなんかを見せびらかしても恥ずかしくないんだろうな。
目的のためなら手段は選ばないと言うか、思い切りがいいと言うか、とにかく、そんな性格が強いから。
「お姉さんはこのままここにいるの? それとも一度戻ったりする?」
「私? 私はここにいるつもりだよ。何せ、あの坂を上り下りするなんて考えるのも嫌だからね」
「あたしも」
とハルちゃんは明るく笑い、
「ねね、よかったら一緒にビラ配らない?」
「遠慮しとく。私じゃあバニーは似合わないしね」
「そんなこともないと思うんだけど……確かに、お姉さんだと背が高いからあたしのもみくるちゃんのも着れないかもね」
そうそう。
私は可愛い女の子が可愛い格好をしている姿を観賞出来ればそれで満足なの。
「もうしばらくしたら他の団員も来て、一緒に試写会する予定なの。お姉さんも見る?」
「いいの? 今回ノータッチだったんだけど」
「いいの。準とはいえ団員だもん」
言い切るハルちゃんはかわいくて頼もしくて、なんとなく見てて嬉しい。
いい子だなあと思っていると、後ろから髪を掴まれた。
そんなことをするのはキョンくんだけだ。
「キョンくん」
「何だ?」
「痛いんだけど」
「ちゃんと縛って来ないお前が悪い。人に身支度を整えろと言う前に、お前がちゃんとしろ」
私はいつものようにパイプ椅子へ連行され、髪の毛をポニーテールにされたのだった。
その後、集合したSOS団員と共に観た映画「朝比奈ミクルの冒険 Episode00」については多くを語るまい。
私に言えることは少しだけだ。
みくるちゃん可愛い!
ゆきりんも可愛い!
いっちゃんの棒読みが笑える!
輝いてるね超監督!
そして、――キョンくん、お疲れ様…。

それから私はキョンくんに引っ付いて過ごすことにした。
理由?
そりゃあもちろん、みくるちゃんもゆきりんもいっちゃんもクラスの出し物だかなんだかで忙しくて、ハルちゃんと一緒にいたらバニー姿でビラ配りをさせられるからに決まってるでしょう。
キョンくんは鬱陶しいとかなんとか言ってたけど、言うほど嫌がっていないのが分かったから気にしないでおいた。
と言うわけで私はキョンくんと一緒にふらふらと校内を歩きまわった。
いっちゃんのクラスは劇をしていた。
セリフや演目も何やら意味深げで、しかもいっちゃんがいつも通りで少しも演技をしていないから、一体どんなことを言っているのか興味があったのに、キョンくんはすぐに飽きてしまったらしい。
私の袖を引いて教室を出た。
「お前、ああいうのが好きなのか?」
「ああいうのって何?」
劇のことならあんな暗くてわけの分からない内容に大して興味はないよ。
「…劇のことじゃなくて、古泉のことだ」
「いっちゃんのこと?」
私は驚いてキョンくんを見た。
キョンくんは面白くなさそうな顔をしている。
これはもしかして、
「いっちゃんに妬いてんのかい?」
「そ、そういうんじゃなくて、俺はただ、あんな胡散臭い奴に惚れたら面倒だと思うと言っておきたくてだな…」
私は思わず笑いながらキョンくんの首に片手を回した。
「かわいいなぁ、キョンくんは! 心配しなくてもいっちゃんは、お姉ちゃんの好みからは懸け離れているよ」
彼はただの友人、あるいは悪友だね。
見ていてなんとなく気になるだけさ。
「そうか」
ほっとしたように見えるキョンくんの頭をぐりぐりと撫でていると、最終的に怒られた。
それからゆきりんのクラスの占いをのぞき、ゆきりんがやりすぎていないかと少しハラハラして見守った後、向かったのは何故か何の面白みもないと言っていたキョンくんのクラスだった。
しかし教室に入って分かった。
ただの待ち合わせ場所だと。
待っていたのは国木田くんともうひとり、私の知らない男子だった。
顔は…さっき、映画に出てたから知ってるけど、名前までは知らない。
ようとかやあとか短い挨拶を交わしていたキョンくんの友人たちが私へ目を向ける。
国木田くんとはにこやかに、
「こんにちは、お姉さん。お久しぶりです」
「うん、国木田くんも元気そうで何よりだね」
と会話をしたのだが、もうひとりの彼が不審そうにキョンくんを見ていた。
キョンくんは小さくため息を吐きながら、
「俺の姉だ」
と言い、私は愛想笑いを浮かべながら軽く頭を下げた。
「はじめまして、キョンくんの姉です。お姉さんとか姉とか好きに呼んでください」
「は、はじめまして、谷口です」
どこか緊張気味に言った谷口くんに思わず笑みを漏らすと、彼はキョンに、
「なんでこういう美人のお姉さんがいるって黙ってたんだよキョン。友達甲斐のねえ奴だな」
と言った。
……美人?
私の顔はキョンくんとほとんど変わらないんだけど……美人、なのかな。
うん、確かにキョンくんは可愛いけど、男の子として可愛いのであって、それを女の子に変換したところで可愛いかどうかは微妙な気がする。
谷口くん、身近にもっと可愛い女の子はいないのかい?
思わず同情してやりたくなるよ。
「違う学校に通ってるんですか?」
谷口くんに聞かれ、私は素直に頷いた。
「私は坂の下の光陽園に通ってるんですよ」
そう言うと谷口くんがちょっと意外そうな顔をした。
光陽園ってお嬢様学校で学費も高いんじゃなかったっけ、というところだろうか。
私が言うまでもなく、国木田くんがフォローをいれた。
「お姉さんは特待生だから入学金も学費の一部も免除になったんだったよね?」
「この秋から、学費も全額免除になったよ」
「ああ、もしかしてこの間の模試の成績とかの関係かな。いきなりトップに躍り出てるからびっくりしたよ」
五百年勉強して他の普通の高校生に負けてたらちょっとびっくりだよ。
とは言わずに私は笑って、
「まぐれまぐれ。たまたま運よく得意な問題が多く出ただけだよ」
「でも、ほぼ満点だったよね」
「まぐれ」
笑って誤魔化している間に、谷口くんは驚きを通り越して呆れの表情になっていた。
やっぱり、がり勉女はだめかな?

まあそれから私はその三人と一緒にみくるちゃん提供の割引券でみくるちゃんのクラスの焼きそばを食べに行き、鶴屋さんとお近づきになった。
鶴屋さんとは髪の毛の長さが似たり寄ったりだったので、髪の毛が長いといかに苦労するかと言うところを明るく語り合い、親睦を深められた。
それにしてもウエイトレス衣装が可愛くて堪らなかったね。
あれだけでも行った甲斐はあるってものだ。
鶴屋さんが自分の衣装を貸してくれると言う言葉に甘えて着させてもらったりしている間にキョンくんたちがいなくなったのは残念だったけど、まあ、キョンくんだって男同士で動きたいこともあるだろう。
ナンパとかナンパとかナンパとか。
それから少し鶴屋さんたちのクラスで客引きを手伝った後、着替えなおして私は校内をひとりで歩きだした。
クイズをやってたり輪投げをやってたり、皆さん楽しそうだねえ。
うちの文化祭は今ひとつ盛り上がりに欠けるのだが、それはやっぱりうちが女子高で、しかも平日にやるからだと思う。
北高みたいに一般公開したっていいだろうに、良家のお嬢様方じゃあそうはいかないらしい。
まあ、その分北高で楽しませてもらおう。
そんなことを考えていると、いきなり後ろから首根っこを掴まれた。
「もぎゃっ!?」
変な声が漏れたのは責めないでもらいたい。
無理矢理振り向かせたのは、バニー姿のハルちゃんだった。
「ハルちゃん? いきなり何?」
「お姉さん、ちょっと手を貸して!!」
「へっ?」
「あたしだけじゃ大変なの!!」
そう言ってハルちゃんは私の手を掴み、走り出した。
よく見たらゆきりんも一緒、見知らぬ女の子二人も一緒だ。
「ちょ、ちょっと、どうなってんのか説明してよ」
訴える私を空き部屋だったらしい音楽室か何かに連れ込むなり、ハルちゃんは有無を言わさずヘッドフォンを装着させた。
いきなり流れ出すアップテンポな曲。
「ハ、ハルちゃん?」
「黙って聞く!!」
「ひゃい」
どうしたんだろう。
ハルちゃんが本気だ。
というか何をやらされるんだ私。
あ、でもこの曲結構好きかも。
そんな感じで三曲ばかりを繰り返しで三回ばかり聞かされた後、ヘッドフォンから解放された私にハルちゃんが言った。
「今の曲、覚えた?」
「え、えーと、覚えた、と思うけど?」
「歌って」
「はい?」
ぐいっと押し付けられたのは楽譜。
さっきの曲の楽譜らしいけど……でもなんで?
「あたしが全部出来ればよかったんだろうけど、二曲が限度っぽいの。だから、お姉さんにお願いするわ」
「いや、だからなんで私なの?」
「有希が、お姉さんなら出来るって言ったのよ」
ゆきりんが?
目を向けると、ゆきりんがこくりと頷いた。
確かにあの退屈すぎて時間を持て余した夏の間に、音楽もがんがん勉強したけど…。
「しばらくやってないから、発声やなんかは忘れちゃってるよ? 完成度が低くていいの?」
「完成度は高くなくてもしかたないわ。本当はこんな妥協したくないけど、全部歌いきるってことが大事なんだもん」
「…そっちのおふたりさんも、それで?」
私が聞くと、ふたりとも頷いた。
…そうだね。
女の子の頼みを断っちゃあいけないよね。
「よし、じゃあ頑張らせてもらう。ギターは出来なくていいんだよね?」
流石にギターの使い方まで思いだすのは大変だ。
「ギターは有希がやってくれるわ」
「分かった。歌う順番はハルちゃんと交互だね? 了解」
あの夏に私の頭に埋め込まれたナノマシンはまだ生きている。
だから、音楽関係の知識や経験も頭の中に残っている。
それをどれだけ引っ張り出せるかな。
……ひっかかるのは、練習時間の短さだけど、これはどうしようもないでしょう。
私はキーボードを借りて曲の音を確かめ、その間にハルちゃんがバンドメンバーの女の子たちと合わせてみている。
彼女たちの名前を聞いてる余裕もなかった。
ひたすら、目の前の曲を何とかすることに必死で。
だから格好に気を配る余裕もなかったけど、お客さんもビックリしただろうね。
何しろ、バニーガール、マントの占い師と来た次にカジュアルなパンツルックの、つまりは至って平凡な格好をした私が出てきて、最後二人は制服だったんだから。
ハルちゃんは観客に向かって何も言わず、私たちにだけ小さな声で、
「……やるわよ」
とどこか緊張に強張った声で言った。
私は笑って頷き、格好付けのために持っていると言っても過言ではないギターを構えた。
何とか扱い方を思いだして、一曲くらい弾きたいものだけど、出来るかな?
一曲目が終っても、お客さんたちは硬直したまま。
リズムに乗ってくれないどころか、拍手もない。
この状況で歌うのって怖い。
歌いきれたハルちゃんは凄いと思うよ。
私は緊張に唾を飲みこみながら、俄か作りのバンドメンバーを見た。
私は観客のために歌えない。
だって怖いから。
だからせめて、皆のために歌うよ。
そう笑顔を作ったけど、かなり強張ってたんじゃないかと思う。
ドラムがリズムを刻む。
目を閉じて歌いだしを待つ。
怖いけど、大丈夫。
私はハルちゃんやゆきりんを信じてる。
目を開けて、――世界がスパークするのを感じた。
本当に、それからステージを下りるまでの記憶が完全にない。
それでもハルちゃんに言わせると私は完璧に歌いきり、それどころかその後、ハルちゃんに挨拶するよう言われて笑顔でそれをやったんだそうだ。
全然思い出せない。
しかしキョンくんが、
「お前、あんなこと出来たのか?」
「あんなことって?」
「マイクアクション。それから、ギターでアドリブ入れてたな」
と言っていたから、多分にやりすぎたんだと思う。
ナノマシンの誤作動だと思いたい。
そうじゃなかったら自分がとんだお祭り体質だということになりかねない。
「お前は元々祭り好きだろ」
「それでもね、記憶が飛んじゃうほどはっちゃけた記憶はないんだよ……」
「…別に、そこまで落ち込まなくてもいいぞ」
「……え?」
「観てて、楽しかったからな」
笑いながらキョンくんが私の頭を撫でてくれた。
そうじゃなかったら、こんな記憶、遥か彼方へ黒歴史として埋葬するところだ。
本当に……二度とバンドなんてやるものか。
そう誓った私はまだ、ハルちゃんがバンド活動に興味を示していることなど、欠片も知らなかったのだった。