失われた未来を求めて 2



今回も、目を覚ますと、八時だった。
つまりはまた八月を繰り返すってことだ。
もう何度目なんだっけ?
記憶をちゃんと辿れば、ゆきりんがくれたナノマシンのおかげでちゃんとそれも数えられるはずだけど、そうするだけの気力がなかった。
後でゆきりんに聞こう。
何度繰り返しても、身体的成長はリセットされるらしい。
ナノマシンはその名前に反してどうやら私の頭の中の記憶やなんかに作用するものらしく、リセットするごとに一々入れ直すこともなく機能し続けている。
だから私は精々知識を溜め込むしかやることがない。
と言ってもうどれくらい勉強したんだっけ?
英語はもういつ留学しても平気なレベルだし、ドイツ語もイタリア語もフランス語もスペイン語中国語も韓国語も十分話せる。
受験勉強も、暇に任せて問題集を解きまくったけど、もう飽きちゃったし。
というか、ゆきりんの教え方がいいのが逆に悪く作用しちゃったな。
今なら私、東大にだって一発合格出来る気がするよ。
休み明けの模試で担任の度肝を抜いてやろう。
しかし、あんまり頑張り過ぎると今度はキョンくんがお母さんに叱咤激励されるから、そのバランスが難しいね。
さてさて、今回は何か変化があるのかな。
実際、ここまで繰り返していると変化がない回も増えてきている。
私としては退屈しきりだ。
とりあえず、一日目は必ずプールに行くと決まってしまっているようだから、もうすっかりどこに置いたか覚えている水着を取り出し、バッグに詰め込む。
準備のよさを指摘されたらその時は、行きたいと思ってたとでも答えればいいことは学習済みだ。
そうしてまたもや始まった八月後半は、変化がふたつもあった。
まず、盆踊りに行く時、ハルちゃんが、男子二人と私にも浴衣の着用を求めたこと。
私はこれまで浴衣の着用を、家にあるのが変なものであることと、新しく買うのは勿体無いことのふたつの理由で拒否して来たのだが、
『変って何? よっぽどだったらあたしが安いの買ってあげるから着てきてよ』
と電話越しに却下されてしまった。
ついでに、
『キョンも持ってるの? じゃあ、着せて来てくれる?』
との命令まで下された。
これでハルちゃんの気が済んで九月が来るなら万々歳だろう、と私は頷き、頷きはしたものの、困惑する破目になった。
浴衣ねぇ…?
キョンくんが大人しく着てくれるとは思えないんだけど。
私の予想は当たりだった。
「なんで俺まで着なきゃならないんだ?」
「だーかーらー、ハルちゃんの命令」
キョンくんは言われなかったのかい?
「お前が、俺も持ってるとか余計なこと言うからだろ」
「でも、私も久し振りに見たいんだけどなぁ。キョンくんの浴衣姿」
「久し振りってお前……田舎で着たところだろ」
「あれ? そうだったっけ?」
だめだ、それだってもう私の中では二百年くらい前のことだから完全に忘れてるよ。
いや、記憶をちゃんと手繰れば出てくるんだろうけど。
とりあえず、話題を逸らそう。
「まあとにかく、私はキョンくんの浴衣姿が見たいのだよ。でもって出来ることならば見せびらかしたい」
「見せびらかすってお前……」
「いいじゃない。大きくなってからはペアルックもしてないだろう? たまには揃えようよ」
「だからこの前着たって……」
「あの時は私は婆ちゃんに言われて婆ちゃんの古いの着ただろ。花柄の、私に似合わない上に大分小さい奴」
「ああ、そうだったか? 似合ってないこともなかったと思うけど」
「そう言ってくれるのは嬉しいけど、あれだとキョンくんのとは柄が違うよ。今日着たいのはうちにある、キョンくんと揃いの奴。いいだろ、キョンくん」
キョンくんはため息を吐いた。
もう一押しだ。
「ダメっていうなら、無理矢理着せるからね」
キョンくんは嫌そうな顔をした。
そこまで露骨に嫌がられると私も傷つくんだけどねー。
「……仕方ない。ハルヒに機嫌を悪くされても困るしな」
「やった!」
私はいそいそと私とキョンくんの浴衣を探しに行ったのだった。
そうしてちゃんと着付けて出かけようとすると、キョンくんに捕まった。
「お前はまた髪を結わないつもりか」
「だって面倒なんだもん」
言い切るとため息を吐かれた。
「……貸せ」
ぶっきらぼうに言って、私は椅子に座らされ、キョンくんに髪を梳かされる。
髪の毛に触られるのは好きだし、キョンくんに結ってもらうのも好きだけど、待ち合わせに遅れないかな。
今日は自転車を飛ばすってことも出来ないんだけど。
それどころか、走るのもちょっと危ないような。
いつも通りポニーテールに結おうとしたキョンくんに、私は慌ててストップを掛けた。
「ポニーテールは重いし、盆踊りの時は邪魔になりそうだから三つ編みにして。頭の後ろの方にひとつだけ垂らすやつ」
「そっちの方がよっぽど面倒じゃないか」
とかなんとかぶつぶつ言いながらもやってくれるからキョンくんが好きなんだ。
そんなことをしてたから遅刻すれすれになって、ハルちゃんに怒られるかと思ったら、ハルちゃんはびっくりしたように、
「キョンもお姉さんも似合うじゃない! でも、お姉さんのって……男物?」
「一応男女兼用だよ。帯は確かに男物だけど。キョンくんとお揃いなんだ。いいでしょ?」
白と藍色の三桝模様なんて渋過ぎるからあんまり着たくはないんだけど、キョンくんと揃いならいいやってことで着てる。
帯はお父さんからの借り物だ。
本当はちゃんと女物の帯がついてるんだけどね。
「もっとずっと小さかった頃は、キョンくんとお揃いの服ばっかりだったんだけどね?」
とキョンくんを見ると、
「そりゃあ小学校に上がるまでのことだろ」
「でもそうじゃない。私は間違ったことは言ってないよ」
「ああそうかい」
やる気ないなぁ、もう。
「しかし、」
と口を開いたのはいっちゃんだった。
にへらっとした笑いの意味が掴めないな。
「ペアルックと言えば恋人同士の定番だと思うのですが、あなたとお姉さんではそうは見えませんね」
言われたキョンくんは別に気にするでもなく、
「まあ、同じ顔だし」
……。
同じって、キョンくん、昔ならともかく流石に今じゃ同じとは言いがたいくらいに顔も違ってるんだよ。
気がついてなかったの?
「よく似てはいますけどね」
私といっちゃんは苦笑するしかない。
「ところでいっちゃんは浴衣は?」
「持っていないので、涼宮さんたちと一緒に買うつもりでいますよ」
浴衣の一着くらい持ってそうなのに、なんとなく意外だ。
「いざ、浴衣売り場に!」
と気合の入ったハルちゃんの言葉で、私たちは歩きだした。
しかし、こうやって浴衣を買いに行くのも何度目かな。
一度盆踊りに行かなくて、浴衣を買わないってこともあったけど、そうじゃなかったら必ず行くし。
やれやれだよ、全く。
それでも、もう何度目とも分からないゆきりんやみくるちゃんやハルちゃんの浴衣姿はかわいくて、思わず、
「かわいい!」
と声を上げたら売り場の店員さんが驚いたように私を見た。
……三桝模様なんて着てるし、帯も男物だから、男だと思われたんだろうか。
髪の毛長いんだけど。
どうせループするなら一度髪の毛切ってみようかな。
キョンくん並に。
ああでもそうすると多分キョンくんに怒られるしなぁ。
確実にダメっぽい時の8月31日にやってみようかな。
「僕については、感想はなしですか?」
適当に考えていると、目の前にいっちゃんが顔を出した。
シンプルに細い縞模様の浴衣を着ている。
「感想が欲しいの? そうだなあ……、いっちゃんは何を着ても似合うね。でも、脚が長いから浴衣よりもやっぱり洋装が似合うかもしれない」
「脚が長いというのはお姉さんもでしょう」
「いやいや、私は別に」
「今日は三つ編みですが、いつものポニーテールの方が僕は好きですね。うなじがきれいに見えて」
いっちゃん、顔近いよ。
ついでに言うと、囁くのもやめて欲しいな。
「古泉」
怒ったような声でキョンくんが言った。
見れば、キョンくんがいっちゃんを睨んでいた。
おお、怒っている。
この状況で怒ってくれるとちょっと嬉しいなあ。
いっちゃんは苦笑して、
「失礼。調子に乗り過ぎましたね」
「全くだ」
うんうん、そうだよ。
大体いっちゃん、
「はい?」
「うなじはポニーテールの時よりも団子に結ってる時の方がよく見えるものだよ」
「ああ、それもそうですね。なかなかお目にかかれないので、思いつきませんでした」
「じゃあまた今度団子に結ってもらおう」
その時はいい感じの賛辞を頼むよ。
「畏まりました」
ということでキョンくん、明日は団子だ。
「誰がしてやるもんか」
むっとしたように言ったキョンくんに、私といっちゃんは顔を見合わせて笑った。
そんな感じで浴衣を買いに行ったり盆踊りに行ったりするところはこれまでのパターンと違っていて面白かった。
でも、その後はまたこれまでと大差のない繰り返しで、いい加減に飽きていた。
そこに、今回二つ目の変化が訪れた。
もう五日もすれば八月が終る――少なくともカレンダーを見る限りでは――という頃の夜中、私の携帯が鳴った。
私はキョンくんとふたりで怪奇特集を見ていたので、はっきり言ってびっくりした。
携帯が鳴ること自体は別に不思議じゃないキョンくんでさえ一瞬ビクッとしていたのに、「鳴るはずがない」携帯が鳴った私としては更にびっくりだ。
キョンくんとこうやって過ごした夏は何度もあるけど、ここで携帯が鳴ったことはなかった。
どういう変化なんだろう、と思いながら見ると、いっちゃんからの電話であることをディスプレイが告げていた。
「もしもし?」
『夜分遅くすみません。しかし、なにしろ緊急事態でして……』
「うん? どういうこと?」
『……おそらく、長門さんの指示なのでしょうが、僕が気付いた以上、隠す必要はありませんよね。――僕たちは同じ時間を繰り返しているのではありませんか? それともこれは僕の錯覚なのでしょうか』
私は一瞬言葉を失った。
驚きと、それから大きく拍手をしてあげたいような歓喜で。
「やぁっと気がついたんだね、いっちゃん!」
喜色を滲ませて言うと、私の横にいたキョンくんが驚いたように私を見た。
浴衣売り場での一件以来、キョンくんが微妙にいっちゃんを警戒しているらしいのは気のせいではないらしい。
それでも私はいっちゃんのためにフォローをすることもなく、いっちゃんとの会話を続けた。
『やっぱり、そうなんですね?』
「うん、そうだよ。おかげで私は大変な目に遭ってるんだよ」
『それを僕たちに告げずにいたのは、長門さんからの指示で間違いないですね?』
「半分はね」
『半分だけですか?』
「最初はゆきりんに言われたから黙ってたんだけど、何度も繰り返すうちに、言っても無駄かなと思ったんだ。言ったって、自分で気付かないと納得出来ないでしょ? 言ったがために、自分が感じてる違和感やなんかまで気のせいにされたら困るし。だから、黙ってることにしたんだ」
『なるほど。…妥当な判断でしょうね』
「それで? いっちゃんだけなのかな? 気がついたのは」
とりあえずキョンくんは全然気がついてないみたいなんだけど。
『朝比奈さんも気がついてますよ。そのために今は泣き疲れて寝てます』
「あれ、じゃあ今どこにいるの?」
『駅前のベンチです』
「わあお、それじゃあ今のいっちゃんは、女泣かせの嫌なやつに見えてることだろうね」
『そういじめないでください。あなたの大好きな朝比奈さんと二人きりで会っていたことは謝罪します』
「あはは、別にいいよ。みくるちゃんが変な輩に襲われないように見ておいてあげて。どうせこれから召集掛ける気でいるんでしょ?」
『その通りです』
「ゆきりんだけ呼んでよ。キョンくんは私がつれてくから」
『お願いします』
「うん、じゃあ後で」
私は電話を切り、怪訝そうなキョンくんにニヤッと笑った。
「さあ、キョンくん、妹にも親にも見つからないように、二人で愛の逃避行と行こうじゃないか」
自転車でってのがしまらないけどね。

そうして集まった駅前で、私はたっぷりとキョンくんに怒られた。
怒られた理由は言うまでもない。
言われたことさえ、
「どうして黙ってたんだ」
の一言に尽きる。
私がもう二百年分も過ごしていると聞くともはや呆れ切り、
「いっそのこと、」
とキョンくんはゆきりんに言ったのだ。
「こいつの記憶もリセットされるようには出来ないのか?」
「不可能ではないが、困難。それに、お姉さんの希望もある」
「姉さん、なに考えてんだよ」
私は苦笑して答えた。
「勿体無いじゃないか。せっかく過ごした時間を皆忘れてしまうなんて。それに、ゆきりんだけが覚えている状況ってのも、悲しすぎるだろ。そりゃあ私だって、大分飽きが来ているけど、こうやって、今回みたいに皆が気がついてくれたりするみたいに変化があるんだから、それでいいと思ったんだよ。何より――」
私は自信満々の笑みを浮かべた。
「――絶対、このループから抜け出させてくれるだろ?」
笑みと言葉を向ける先はキョンくんだけじゃない。
いっちゃんにもみくるちゃんにも、それからゆきりんにも、それを向ける。
「私は、信じてるんだ」
キョンくんは二の句が継げなくなった様子で黙っていたが、やがてため息を吐き、
「……それまでちゃんと正気でいろよ」
と言ってくれた。
その言葉があれば大丈夫さ。
「僕たちも、微力ながら頑張らせていただきます」
いっちゃんもありがとう。
みくるちゃんも、言葉にならないながらいっちゃんと同じようなことを言ってくれた。
そうしてゆきりんは、
「……ごめんなさい」
「気にしなくていいよ。私の好きでやってることだし、体質自体は誰が悪いんでもないしね」
「……」
「ほら、ゆきりん、大丈夫だから気にしないで。ね?」
「…分かった」
いつも通りに頷いてくれてほっとしたよ。
それじゃあ、と私は言う。
「今回は無理かもしれないけど、いつか絶対に抜け出せる日を楽しみにしてるからね?」

結局、キョンくんが当たりを引いてくれたのは、それから大分、それこそ私の体感時間でもう三百年ばかり過ぎた頃、ゆきりん曰く15498回目のシークエンスでのことだった。
私はキョンくんの部屋でハルちゃんとゲームをしながらこの長過ぎた日々を振り返る。
まだ確定した訳ではないけれど、これでまず間違いはないはずだ。
感謝と尊敬を込めた眼差しでキョンくんを見ると、キョンくんは極初歩的な数学の問題を必死に書き写しているところだった。
「……キョンくん」
「今話しかけるな」
「いやいや、今の問題ね、書き間違えてるよ。エックスの位置が変。書き写したってすぐばれちゃうよ」
うっとつまったキョンくんのために、宿題を手伝って上げたいのは山々なんだけど、ハルちゃんから禁止令出されちゃったしな。
せめて書き写すのくらい手伝ってあげたいんだけど。
ちなみに私の字とキョンくんの字は酷似しているので、よっぽど厳密に筆跡鑑定をしない限り別人とはばれないことは過去の宿題で証明済みだ。
思えば小学校以来、何度八月末に必死で宿題の書き写しを手伝ったものだろう。
後でこんな苦労をするくらいなら七月からちゃんとやっていた方が賢いと、私が学べたのもキョンくんのおかげだよ、ありがとう。
…なんて言ったら嫌味かと怒られるんだろうけれど。
まあともかく、キョンくんのおかげで私はループ地獄から脱出でき――いや、脱出できたのは私以外の皆もそうだったんだけど――五百年以上も待ちに待った九月がやってきたわけだ。
五百年以上も過ごしたなんてびっくりだけど、異常に豊富になってしまった知識量がそれが幻でも夢でもないことを告げている。
大検でも受けて、さっさと大学に進もうかななんてことを考えてしまいながらも、今のこの時間が惜しいからそれを実行することはないと思う。
ゆきりんとの友情も深まったし、当分、授業に退屈しそうだけど、そうしたらまたゆきりんに個人授業をしてもらおう。
ツクツクホーシの掻き鳴らす、侘しさのある音を聞きながら、私はそう決めた。
もう五百年過ごしてしまったんだ。
これからどう過ごしても精々数十年のはず。
それくらいの短さならどうやってだって過ごせるさ。
どこか感覚がずれてしまっていることを感じながら。