失われた未来を求めて



ハルちゃんに気にいられ、SOS団の準団員になった日から二ヶ月ほどが経った。
私の生活は相変わらず平凡に流れていく。
私は時々イベントに参加するだけで、毎日あの部室に行くわけではないが、キョンくんがSOS団を気に入ってる理由は何となく分かった。
楽しいのだ。
いっちゃんはああ見えて結構面白いし、みくるちゃんはいるだけで癒されるし、ゆきりんも「ユニーク」だし。
もちろん、ハルちゃんは可愛くて面白くて見てるだけで元気になる。
そうそう、何度か会ううちに私はすっかりSOS団に馴染み、古泉くんはいっちゃんに、長門さんはゆきりんに呼称を変えていた。
ちなみにどちらも私が命名した訳ではない。
二人に、なんと呼んで欲しいかと聞いたらそう答えられたのだ。
私が面白いとかユニークだとか思う理由も分かると思う。
ああ、それにしてももう夏休みも終りなのか
早いな。
夏休み後半、というか八月後半は散々ハルちゃんたちと遊んで過ごせたのがなかなか楽しかった。
明日からはこうもいかないんだろうけど、せめて始業式で早く終る明日は北高まで行こうと思う。
ただ、気になることがひとつある。
昨日、私にとってもすっかりお馴染みになってしまった駅前の喫茶店でのことだ。
私たちは、私やキョンくんが田舎から帰ってきた翌日から集合を掛けられて遊んでいたけど、その最初の日にハルちゃんが作ったリストがあった。
夏休み中にしなきゃダメなことのリストだ。
すっかりチェックが入ったそれを睨みながら、ハルちゃんはでも、不満そうだった。
こんなんだったかしらとか、こんなもんよねとか、疑うような、無理矢理自分を納得させるような言葉を繰り返し呟きながら別れた。
私はあのハルちゃんの不満そうな様子が凄く気になっていた。
何か起こりそうな嫌な予感がする――と言っても私は予言者でもなければそんな予感が的中した覚えもほとんどないから、当てにならないんだろうけど。
それでも何故か、この時の予感だけは嫌な具合に、的中してしまうのだった。

朝、目が覚めて驚いた。
昨日、寝る時に目覚ましを六時にセットしたはずなのに、目覚ましが鳴ったのは八時だったからだ。
確かに休み中は八時に起きていたが、それだからこそ六時にセットし直したはずだ。
それなのになんで、と私は携帯を見て、目を見開いた。
携帯電話に表示されている日付は、八月十七日。
嘘だろ、おい。
もしもこうやって起き抜けにのみ間違った日付を表示する機能が合ったのだとしたら、これほど効果的な目覚ましはないんじゃないだろうかというくらい私は目を見開いていた。
しかし、妙なことはそれだけじゃなかった。
昨日、今日のためにと枕元に用意していたはずの制服が、それまでのようにクローゼットの中に納まっており、宿題として出された課題やなんかを詰め込んだはずのカバンも、空のまま部屋の隅に置かれていたのだ。
この状況は覚えがある。
というか、実際昨日、一昨日まではこうだった。
何故なら、夏休み中だったからだ。
どうなっているんだ、私の頭がおかしくなったのか?
それとも、私は長い長い夏休みの夢を見ていたとでも言うのか?
そんな、バカな。
私は部屋を飛び出してすぐ隣りにあるキョンくんの部屋に飛び込んだ。
キョンくんは珍しくもう起きていて、着替えようとしているところだったが、構うもんか。
「キョンくん!」
「うわ!?」
どーんと飛びつくと床に押し倒す格好になったが別にいい。
「キョンくんキョンくんキョンくん!!!」
「いきなりなんなんだ!」
「今日って何日!?」
「……はぁ?」
キョンくん、その冷たい視線、痛いから止めて。
「何日って八月――」
「や、やっぱり八月?」
でも、私の中では確かに八月はもう終ったはず。
夢なんかじゃない。
あれは絶対に現実で…。
「どうしたんだ? 姉さん」
心配そうにキョンくんが私を見ている。
姉として、キョンくんに心配を掛けるわけにはいかない。
「顔色悪いぞ」
「――キョンくん、ゆきりんの家ってどこだったっけ」
「長門の家? 長門なら…ってどうしたんだよ」
「ちょっと、困ったことになってるだけ!」
私の頭がおかしくなってる可能性もあるけど。
よく考えたらゆきりんの電話番号くらい、私の携帯にも入ってんじゃん。
私はぽかんとしてるキョンくんを放って自分の部屋に戻ると、ゆきりんに電話を掛けた。
三コール鳴らないうちに、呼び出し音が途切れる。
「もしもしっ、ゆきりん!?」
『そう』
「あのさ、物凄く変なことかもしれないんだけど、聞いていいかな?」
返事はない。
ということは言っていいんだろう。
「今日って何日? ていうか八月十七日なのは分かってるんだ。ただ、なんで九月一日じゃないのか聞きたいんだ。なんかもう自分でもなに言ってんのかわかんないんだけど」
『あなたに説明していた、想定されていた事態が発生した』
ゆきりんの声はいつも通りで、それを聞いただけで、妙に落ち着いてきた。
『涼宮ハルヒは八月十七日から八月三十一日までの時間を切り取って独立させた。だから、この世界にこれ以上の過去も未来もない』
落ち着いてきたのはいいんだけど……ごめん、ゆきりん、私の理解能力を越えてるよ、それは。
「ええと、つまりどういうこと?」
察しが悪くてごめん、と謝る私にゆきりんは、
『いい。――単純化して言うなら、今のこの世界は、八月十七日から八月三十一日の間を繰り返すだけになっている。だから、九月一日は来ない』
時間的な無限ループって奴ですか。
おいおいハルちゃん……なんてことしてくれてんのよ。
「それで、繰り返すってことには私たちの行動も含まれるの? それとも、ハルちゃんは前と違うことがしたいのかな?」
『おそらく、別の行動をとるはず。そして、ループを解消するには、涼宮ハルヒが前回出来なかったと感じていることを実行するしかないと推測される。ただし、まだ情報不足のため、断定は出来ない』
「じゃあ、キョンくんたちに説明して、なんとかしてもらわないとね」
と私がため息をつくと、
『待って』
「ゆきりん?」
意外にもはっきりと止められて私は戸惑った。
しかし、
『私はこの状況を観測したい。だから、……彼等が気づくまで、黙っていて欲しい』
とお願いされたら、頷かないわけにはいかないでしょう。
かわいいゆきりんの頼みだし、
「分かった。でも、私のフォローもお願いするよ? 前の話が本当だとしたら、このままだと私、発狂しちゃうし」
『任せて』
「うん、任せる。ええと、じゃあ、今から会いにいっていい? それとも、ハルちゃんが同じ行動をするんだったら、今日会えるのかな」
『おそらく午前中のうちに呼び出しがあると思われる。しかし、早いうちに対処したい。私の家に来て』
「分かった。じゃあ、後で」
私は電話を切り、
「……にしても、宿題を七月中に終らせといてよかったわ」
勉強は好きだけど、延々同じ物を反復するのは嫌いだし。
私はハルちゃんが初日に何をしたか思い返しながら、クローゼットの中を漁り始めた。
これが不要になる可能性も高いけど、ハルちゃん楽しそうだったし、また行くんじゃないかな。

ゆきりんのマンションの部屋に入るのは初めてだったが、キョンくんに聞いていたとおり、殺風景だった。
ゆきりん、今度なんか可愛い置物とか買って来ていい?
「…いい」
首を傾げつつも了承をもらったので、実行しようと思う。
「それで、どうしてくれるのかな?」
二杯目のお茶を飲み干して私が聞くと、ゆきりんはじっと私を見つめて言った。
「手を出して」
「どうぞ」
ぬっと突き出した手も、色が薄い。
私にとっての昨日まで、すっかり黒くなってたはずなんだけどねー。
そんなことを思っている間に、ゆきりんが私の手を取り、手首に噛み付いた。
驚きすぎて何のコメントをすることも出来なかった。
手首を解放されてから、辛うじて言えた言葉は、
「ゆきりん、……予告ぐらいしようよ」
「…分かった」
「それで、私に何したの?」
「ナノマシンを抽入した」
「ナノマシン?」
つまりは微細な機械とでも思えばいいんだろうか?
「これであなたは記憶の混乱も、そのために発狂することも起こり得なくなった」
気が狂わなくなったってところかな。
どうでもいいけどゆきりん、もうちょっと平易な日本語表現を覚えてもいいと思うよ?
「……努力する」
うん……無理はしなくていいから。
「それにしても、」
と私はため息をつく。
「また二週間あるって言っても、何して過ごしたらいいんだろうね。ハルちゃんが色々連れまわしてくれるんだろうけど、それだけじゃやっぱり勿体無いし、飽きちゃいそうだし」
やっぱりここは趣味に走ろうか、と言っても私の趣味は勉強なんだけど。
「ゆきりん、勉強とか教えてくれる?」
「……?」
ゆきりんは首を傾げた。
「私一人じゃつまらないし、ゆきりんなら何でも知ってそうだからさ。だめかな」
「……構わない」
「ありがとう。とりあえず、何から始めようかな」
あまり得意じゃない英語とかからしようか。
「あと、何かおもしろい本とかあったら、貸してくれると嬉しいんだけど」
「いい」
気をよくした私は、ゆきりんの部屋で本を物色し、そうこうしているうちにハルちゃんから連絡が入ってきた。
『もしもし、お姉さん?』
「や、ハルちゃん、元気そうだね。どうかした?」
プールへのお誘いかな、という私の予想は当たった。
『皆でプールに行こうと思うから、水着とか用意して二時に駅前ね。いい?』
「了解。それから、今私ゆきりんと一緒だから、ゆきりんには連絡しなくていいから」
『じゃあよろしくね。また後で』
「うん、後で」
私は電話を切り、本を読んでいたゆきりんを振り返った。
「ハルちゃん、やっぱりプールに行くみたい。好きなんだね」
ゆきりんは黙ったままだったが、一応分かってくれたらしく、小さく頷いた。
それから私はゆきりんの豪快かつ手間のかからない手料理を食してからそこを出た。
もちろん、ゆきりんも一緒に。
私は自転車で来てたので、ゆきりんとタンデムすることにした。
というかゆきりん、軽すぎるんだけど、何かやってる?
「重力をコントロール。加重はほとんどないはず」
…分かるような分からないような。
とりあえず、軽いのは有難いけど、
「落ちたらちゃんと言ってね? そうじゃないと気がつけない気がするから」
「分かった」
それにしても、これから私はどうなっちゃうんだろうね?
駅前に到着すると一時四十分だった。
待ち合わせ場所にはいっちゃんとみくるちゃんもいる。
ゆきりんはもっと早く来るものだと思ってたんだけど、そうでもないらしい。
「長門さんはいつもこんなものですよ」
いっちゃんがそう笑った。
多分ゆきりんは、ハルちゃんが来る少し前を狙って来てるんだろうな。
効率的だ。
ところでいっちゃん、
「なんでしょう?」
何か、気がついたことはないかな。
「さて、お姉さんについてですか? 申し訳ありませんが分かりませんね。お会いしていない間に髪型を変えられたというような様子もないようですが」
……本当に、時間のループに気がついてないらしい。
いっちゃんなら気がつくかと思ったんだけど、やっぱり無理か。
「まあいいや。大したことじゃないしね。いっちゃんは実家に帰ったりしてたの?」
「いいえ、いつも通りですよ」
「そうかい」
それはそれで寂しい奴だね。
言ったら可哀相だから言わないで置いたけど。
それからすぐにハルちゃんがやってきた。
「みんな元気そうね。後来てないのはキョンだけ? お姉さんが来てるのに、だらしない奴ね」
私は苦笑しながら、
「私はゆきりんと一緒に来たからだよ。一緒だったら、私もハルちゃんより遅かったと思うな」
でもっていつものようにキョンくんと二人でみんなのお財布ちゃんになってたんだろう。
もっとも、ハルちゃんは大抵キョンくんにだけ奢らせようとするので、私が勝手にキョンくんの分を半分助けているだけなんだけど。
「お姉さんが有希と一緒って言うのも珍しいわよね。いつもキョンと一緒なのに」
「私だって、たまにはそんなこともあるんだよ」
そう笑いながら話していると、やっとキョンくんが来た。
と言っても、集合時刻の十五分前だ。
それでも容赦なく怒るハルちゃんに、キョンくんは辟易した顔をしていたが、私に目を向けると、
「ほら」
と手に提げていたビニールバッグを投げ寄越した。
「サンキュ、キョンくん大好き」
「好きだっつうんならパシるな」
いやあ、だって、ねえ?
ハルちゃんが本当に同じようにプールに行くとも限らないのに水着用意してゆきりんの家に行ってるのも変じゃん?
「ちゃんとまとめて部屋に置いておいたんだからよしとして」
と私が言うと、ハルちゃんが呆れた顔をして私を見た。
「お姉さん、キョンに水着用意させたの?」
「え? ダメかな」
と言っても、袋に入れて持ってきてもらっただけなんだけど。
「いくら兄弟でもそれはないんじゃないの?」
「ハルちゃんー、私とキョンくんなんて、生まれる前からずっと一緒なんだよ? 今更隠すこともなければ見せたり見せられたりして困るようなこともないんだよ」
実際、今朝部屋に乱入した時、キョンくんは下着姿だったし。
笑う私に、ハルちゃんや古泉くん、みくるちゃんが唖然とし、キョンくんはため息を吐いた。
「羞恥心を捨て切ってるのはお前だけだろ」
「うん? それじゃあキョンくんは私に裸を見られると恥ずかしいのかい?」
「…いや、別に」
それじゃあキョンくんも同じじゃないか。
あんまりがたがた言ってると、今度風呂に乱入してやるから覚悟しておきたまえ。
「流石にそれは止めろ」
怒られた。
ああそれでも、こうやって違ったところがあるんだったら、夏休みを何回か繰り返しても楽しいかもしれないな。
……なんて、気楽に思えるうちは、まだ余裕だったんだな。