坂の上の団 3



そして私は今日も坂を上っている。
理由は簡単。
今日もまた教師にお使いを頼まれたからだ。
ただ今回は私の方から御用聞きに行っての結果なのだが。
ああしかし、暑くなり始めた今日日、坂を上るのもなかなかつらいものがあるね。
北高生は皆大変だ。
下りも楽じゃないしね。
だがしかし、先日の私と今の私とは違うのだよ。
この坂を上った先にみくるちゃんという天使がいると思えば、こんな坂なんてどうってことはない!
私はサクサクと歩を進め、今日は正門で躊躇うこともなく北高に足を踏み入れた。
そうして書類の詰まった大封筒を職員室で預けると、まっすぐ部室棟へ向かう。
知らず荒くなっていた呼吸を整え、慎重にドアをノックする。
思ったよりも控えめな音になってしまったそれも、天使にはちゃんと聞こえたらしい。
「はぁい」
と可愛らしい返事と共にドアが開いた。
「こんにちは」
私が言うとみくるちゃんは柔らかく微笑んで、
「いらっしゃいませ」
と迎え入れてくれた。
今日は長門さんとみくるちゃんしかいないらしい。
「キョンくんと古泉くんと、それからまだお目にかかれずにいる団長さんは?」
「古泉くんはアルバイトがあるってもう帰っちゃいました。キョンくんと涼宮さんはまだきてないんです」
アルバイトですか。
さぞかし危ないバイトなんでしょうね。
私はきょろきょろと落ち着きなく辺りを見回した。
室内は物がほどよく乱雑に置かれ、なんとなく居心地がいい。
全く、キョンくんが羨ましいね。
と、私はハンガーに掛けられた北高の制服に気がついた。
みくるちゃんは今日もメイド服を着ている。
ということはつまり――
「これ、みくるちゃんの制服?」
「はい」
お茶を淹れてくれていたみくるちゃんは丁寧にこっちを向いて答えてくれた。
「北高の制服って可愛いよね。色使いがよくて。うちのなんて葬式対応としか思えないから、羨ましいな」
「光陽園のも可愛いと思いますけど……あ、よかったら着てみますか?」
「え、それってみくるちゃんの制服を着ていいってこと?」
「はい。あたしのでは少し小さいかもしれませんけど…」
それは確かにそうだと思う。
私の身長はキョンくんとほとんど変わらない。
その私が小柄なみくるちゃんの制服なんて着れるのだろうか。
まあ、せっかくだし、
「着てみてもいいかな?」
「はい、どうぞ」
破けそうになったらやめよう、と思いながら着替える。
カーテンは開けっぱなしだけど構わないだろう。
そうして着てみると、一応なんとかなった。
ただ、なんとかなったというのはあくまでも制服が無事だったという意味だ。
スカートはマイクロミニだし、セーラー服はほとんどヘソ出し状態だ。
これで外を歩いた日には逆セクハラか公衆猥褻物陳列罪で説教のひとつやふたつ食らうんじゃなかろうか。
あるいは視覚への暴力として訴えられるかもしれない。
自分でも笑うしかない。
「やっぱり無理があったね」
そう私が笑うとみくるちゃんは優しく、
「確かにサイズは合ってませんけど、制服のデザインはお姉さんによく似合ってますよ」
「いやいやいや、やっぱりみくるちゃんの方が似合うって。私じゃ胸も余っちゃうし」
「そんなこともないと思いますけど」
ああ、みくるちゃんってほんと優しいな。
そう、私がみくるちゃんに抱きついてしまおうかと思った時、いきなりドアが勢いよく開いた。
あ、着替えてたのに鍵も掛けてなかったんだ私。
うっかりにもほどがある。
「ヤッホー!!」
とドアを蹴破ったんじゃないかという勢いで現れたのは黄色いリボンのカチューシャをした女の子だった。
――涼宮ハルヒだ。
噂やキョンくんたちの話を聞いてなくても分かったかもしれない。
それくらい、強烈な人。
なにやらまくし立てようとしていたらしい涼宮ハルヒは私を見て驚いたらしく、目を大きく見開いて言った。
「誰? 入団希望ならそれなりの志望理由がないと受け付けないわよ」
噂に違わぬ強気っぷりだ。
そこに、私の悪戯心が疼いた。
よって――私は禁止されて久しい技を使うことにした。
「…ハルヒ」
その声は確かに私の口から出たのだが、私の声ではなかった。
「……キョン…!?」
涼宮ハルヒのみならず、みくるちゃんも驚いて私を見ている。
もともと年の近い兄弟なだけあって私とキョンくんの顔立ちはよく似ている。
だから声さえ真似てしまえば私をキョンくんだと思いこませることが出来る可能性は高いわけだ。
流石に体格差が出た最近はしていなかったが、ほとんど差がなかった子供の頃はよくやったものだ。
懐かしく思いながらも、私はキョンくんの声で言う。
「お前にも分からなかったのか? ……そうだよな。こんなことになって分かるわけがないよな…」
「どうなってるのよ!? 本当にキョンなの!?」
「ああ。……実はさっき廊下で倒れて……気がついたらこうなってたんだ」
「そんなことがあるなんて……」
……あれ、ちょいと涼宮さん?
目が輝いてきてますけど?
「よくやったわキョン!」
そう言って涼宮ハルヒは思いっきり私に抱きついた。
「うわっ!?」
勢いあまって、私は床に倒れこむ。
「それでこそSOS団団員その一よ! 団長補佐に昇格してあげてもいいわ!!」
……そう言えば涼宮ハルヒはこの世の不思議を探し出したいって公言するような子だったっけ。
作戦を間違えたな。
などと私が思っている間に涼宮ハルヒは嬉々として私の体を触りまくっている。
口から出てる言葉と言えば、
「本当に女になったの!?」
とか、
「あたしと同じくらい胸があるんじゃないの?」
とかだ。
さて、――どう収拾をつけたらいいのかな。
と思ったところに、ドアのところにキョンくんが現れた。
キョンくんはぎょっとしたように私を見た後、思いっきり、
「何やってんだお前ら!!」
と怒鳴った。
そうだよ。
セクハラするならせめてドアを閉めてからするべきだ。
「キョン!? じゃあ、この人は…」
涼宮ハルヒが私を睨むように見つめてくる。
私は笑って、
「俺の姉だ」
とキョンの声で答えてやった。
それだけで間髪入れずに、
「やめろ」
とキョンくんに頭を叩かれたが、涼宮ハルヒの呆然とした表情を見られたんだ。
痛いはずがあるものか。
「ほら、ハルヒ、離れろ」
キョンくんが涼宮ハルヒの襟を引っ張って私から引き剥がした。
私はやれやれと呟きながら立ち上がり、埃を払う。
「ごめんねみくるちゃん、ちょっと汚しちゃった」
「大丈夫ですよ」
みくるちゃんは気にしてないらしい。
天使だなぁ。
「お姉さんのせいじゃありませんから」
……あれ?
それ、遠回しに涼宮ハルヒのせいだって言ってる?
みくるちゃん実は腹黒い?
まあ、それはそれで楽しいからいいんだけど。
「で、」
とキョンくんが不機嫌丸出しの声で言った。
「なんで姉さんがここにいて、しかも朝比奈さんの制服を着てハルヒに押し倒されてたんだ?」
「ちょっとした悪ふざけの産物に深い意味があると思わないで欲しいなあ」
キョンくんが理屈っぽいのは知ってるけど、そんなんじゃあ女の子にはモテないよ?
「ちょっとした悪ふざけで押し倒されて抵抗もしないのかお前は」
「だって女の子同士じゃん。うち女子高だし、これくらい日常茶飯事だって」
正直にそう言ったのに、キョンくんは怪訝そうに私を睨んだ。
本当なんだけどな。
乳揉みなんて挨拶だよ。
「じゃあ、なんでわざわざ俺の声真似までしたんだ? もうするなって大分前に言ったよな」
「言われたね。キョンくんに電話が掛かってきた時にキョンくんの代わりに受け答えしたせいでだったっけ? 今回は面と向かってだからいいかなと思ったんだけど、やっぱりだめだった?」
「当たり前だろう」
ケチだね。
私の小さな毒など無視して、キョンくんは涼宮ハルヒに尋ねた。
「お前はなんで押し倒したんだ」
「あたしはキョンが女になったって聞かされたからよ。それより、」
人の話を聞け、と怒鳴るキョンくんを無視して涼宮ハルヒは私の手をぎゅっと握った。
「あなた、SOS団に入りなさい!」
………。
「いや、私、他校の生徒なんだけど」
そこに置いてある光陽園の制服、見えないかな?
「関係ないわ。あなたみたいに面白い子が欲しいと思ってたところなの」
「困ったな…」
とキョンくんを見たのだが、キョンくんは知らん顔だ。
自分の蒔いた種とでも言いたいんだろう。
「じゃあ、」
と私は条件を出す。
「毎日ここまで来なくてもいいかな?」
「そうね。それくらい認めてあげるわ。でも市内の探索とかには加わってもらうし、扱いは準団員になるわよ」
「それともうひとつ」
「何? 団長は譲らないわよ」
「ハルヒたんって呼んでもいい?」
「……はぁ?」
「呼んでもいいなら入るよ」
噂によると涼宮ハルヒは中学校時代、親しい友人というのがいなかったらしい。
それなら私やキョンくんのようにあだ名で呼ばれたりすることもなかったんじゃないかと思う。
だとすると、変なあだ名で呼ばれるのって結構屈辱的じゃないだろうか。
キョンくんも大声で呼ばれるとイライラする時があるみたいだし。
実際、涼宮ハルヒもしばらく考え込んだ。
そうして言った言葉は、
「あたしって別に萌えキャラじゃないと思うんだけど?」
……たんって付けただけで通じるんだねハルヒたん。
「普通にちゃん付けでいいんじゃないの?」
そーですね。
私も街中でハルヒたんって叫ぶ気力はないし、
「じゃあハルちゃんって呼ぶことにしていい?」
「特別に認めてあげるわ」
「それはどーも。ああ、私のことは姉でも姉御でもお姉さんでもお姉様でもお姉ちゃんでもいいから、好きに呼んで」
「分かったわ。それで、SOS団のことは知ってるの? お姉さん」
「うん。キョンくんから話も聞くし、実はこの前お邪魔させてもらったから」
それからハルちゃんは私のことを報告してなかったとしてキョンくんをびしばし責めたてた挙句、私の携帯番号やアドレスなんかをしっかりもぎ取って、嵐のように帰っていった。
何かあったから勢いよく登場したんだと思ったのに、違ったのか。
つくづく面白い子だね。
坂を下りながらそう言うとキョンくんはため息をつきながら、
「お前に人を面白いとか変わってるとか言う権利はないと思うぞ」
と言った。
……どういう意味だ。

どうでもいいけど、今日、長門さんもいたんだよね?
……いたよね?