坂の上の団 2



私が長門さんに近いってのはどういう意味だろうか。
実はうちのお父さんの隠し子とか?
いや、それならこんなに可愛いわけないか。
とりあえず、聞いてみよう。
「それってどういう意味かな」
「あなたは情報制御や世界の改変の影響を受け難い。情報は確かに存在しているのに、認知されないこともある。あなたの存在を、あなたを目の前にするまで私は知らなかった。――何かあったら、私のところへ来て」
「……えーと、あなたは何? 今流行りの電波系? 電波系ソングは好きなんだけど、電波少女はちょっと想定の範囲外」
「いいから姉さんは喋るな」
キョンくん冷たいよ!?
「長門、どういうことだ? もう少し詳しく説明してくれ」
「私にもよく分からない。ただ、その人の存在は特殊。情報統合思念体も気付かずにいた。それはまずありえないはずのこと。私は今その人の情報を得るべくコンタクトを試みた。結果はエラー。その人に私たちの情報制御はほとんど効果がない。改変能力においてもおそらく同じ。ただ、実際に涼宮ハルヒの力が発現し、その結果を検証しない限り断定は出来ない」
ちんぷんかんぷんだ。
そしてそれはおそらく私の頭が悪いからと言うよりもむしろ私の知らない用語や何かが飛び交っているせいだと思う。
情報統合思念体?
コンタクトを試みたってどういうこと?
涼宮ハルヒの力?
――さっぱりだ。
キョンくんは意味が分かっているんだろうかと思い、キョンくんを見ると、なにやら考え込んでいた。
が、キョンくんは長門さんに向かい、
「それはつまり、姉さんもハルヒのせいでどうかなってるってことか?」
どうかって何!?
分からないからこそ無性に怖いよ!?
「そうではない。私が言いたいのは、その人は涼宮ハルヒの力の影響をほとんど受けないということ」
キョン君の眉間の皺が深い。
引き伸ばしてやろうかな、と思ったところで、古泉くんが口を開いた。
「例えば、涼宮さんが時間を止めたとします。彼女によって時間を止められた我々は彼女がそう望んでいなかった限り、止まった時間の中にいることになるでしょう。しかし彼女は、」
と古泉くんは私を軽く手で示した。
「涼宮さんが望むと望まないとに関わらず、時間を止められることなく動くことが出来るだろうと、そういうことでいいですか? 長門さん」
こくりと長門さんが頷く。
おそらく古泉くんは噛み砕いて説明してくれたのだろう。
しかしそもそも涼宮さんに会ったこともなければその力が何なのかも知らない私には分からないままである。
というか、当事者であるらしいのになんだろうこの蚊帳の外っぷりは。
なにやら話し合う三人に挟まれながらため息を吐くと、朝比奈さんがお茶のおかわりを差し出してきた。
「よかったらどうぞ」
「ありがとうございます。…ええと、朝比奈さんはこの話分かってますか?」
この、となんとなく言葉飛び交っていそうな自分の頭の上辺りを指差すと、朝比奈さんはかわいらしく、困ったように笑って、
「あたしは全然…。それから、あたしのことはどうぞみくるちゃんとお呼びください」
「え、いいんですか?」
先輩なんじゃあ…
「学校も違いますし、あたしは気にしませんから」
「じゃあ、私のことはお姉さんとでもキョンの姉とでも好きに呼んでやってください。キョンくんがキョンって呼ばれるみたいに、私のあだ名ももうずっとお姉さんなんで」
「お姉さんですね。うふ、私の方が年上なのに、なんだか不思議な感じ」
私としては素で「うふ」とかって微笑んでも可愛いことこの上ないあなたが不思議でたまりませんよ!
うわあ、もう、なにこの可愛すぎる生き物…。
「みくるちゃんってほんっ……っとうに可愛いですね」
思いっきり力を込めて言ったらみくるちゃんははにかみながら、
「あ、ありがとうございます」
返事まで可愛いよ畜生。
なんで自分光陽園選んだんだ。
朝夕の坂の上り下りくらい、この天使のような彼女のためなら苦でもないじゃないか。
長門さんも、ちょっと危なそうだけど凄く可愛いし、キョンくんも一緒だし。
あーあ、今から転校とか絶対無理だろ、無理だよ。
一瞬本気で、転校するのにかかるコスト計算とか脳内でやっちゃったけど。
せめてもうちょっと気楽に出入り出来たらいいのに。
うちの学校とここってほとんど交流ないんだよな。
親しくしてる部活動とかないのかな。
そのためなら部活動やってもいいよ、私。
「おーい、帰ってこーい」
というキョンくんの声でやっと現実に戻った。
本気で脳内トリップしてたよ。
みくるちゃん効果凄い。
「で、キョンくん、結局何なの」
「まあその説明は後だ。とにかく、お前は何か変だと思うことがあったら長門のところに行け。分かったな」
「変だと思うことって具体的にどんなことだよ」
というか、長門さんは大丈夫なのか?
電波少女ではないのか?
「電波じゃない。正真正銘の宇宙人だ」
………。
キョンくん、一緒に脳神経外科でも行こうか。
精神科でもいいよ。
私、キョンくんのことを見捨てたりしない。
ちゃんと付き添うし、必要なら面倒も見る。
「頭がおかしくなったんじゃない。後でちゃんと説明するから、今は長門の話を聞け」
キョンくんが言うと長門さんが口を開き、
「涼宮ハルヒが起こすこととは、抽象的に言うなら、願望の実現。世界を作り出すことも彼女には出来る。具体的に今後高確率で実現しうることの例を挙げるなら、時間の切り取りがある」
「時間の切り取り?」
「そうなった時、大変なのはあなた」
長門さんの目には私が映っている。
「力の影響を受ける人間であれば、時間が繰り返されても問題はない。それを認知することが出来ないのだから。けれど、力の影響をほとんど受けないあなたの場合、同じ日々を何度も何度も繰り返すことになる」
……それってマジに想像するとかなり怖いものだね。
気が狂っちゃうんじゃないかな。
「だから、変わったことに気がついた時には、私のところへ来て」
「…よく分からないけど、分かったよ」
ただし、後でちゃんと説明してもらいたい。
私の頭はもうパンク気味だ。
未知のことで頭が一杯。
……やっぱり説明は明日以降にしてもらおうかな。

宇宙人と未来人と超能力者と部活動とは、キョンくんも地味に派手なことしてたんだな。
全然気付かなかった。
とりあえず姉である私に出来ることはキョン君の頭が無事であることを祈ることしかない。
「こら、人を何だと思ってるんだお前は」
だってどう考えたっておかしいじゃないか。
そうだと言い張るなら証拠を見せてくれたっていいんじゃないかい?
「証拠か…」
キョンくん、本気だね。
本気の表情だね。
……おかーさーん、キョンくんがー…
「やめんか」
「だって絶対に頭おかしくなってるって」
「違うと言ってんだから人の話は聞け。朝比奈さんと長門に関しては証拠を見せろと言っても難しいだろうから、とりあえず古泉だけでもいいだろ」
「エスパー少年いつきくん?」
「……やめろ」
「まあ、なんでもいいよ。キョンくんの頭がかわいそうになったんじゃないならその方がいいし。あ、そこもうちょっと右」
キョンくんは肩揉みが上手いのだ。
「おだてても何も出ないぞ」
うん、それは経験則で知っている。
まあ、とりあえず、かわいいキョンくんの頼みだから古泉くんの証拠とやらを見せてもらいにいくよ。

それから数日後の夜、いきなり古泉くんがうちにやってきた。
正確に言うならうちの玄関先に黒塗りタクシーで乗り付けてきたのだ。
それも連絡は、本当に直前にキョンくんの携帯に電話が入ったくらいで。
いきなりにもほどがあるだろう。
「すみません」
と古泉くんは如才なく謝ってみせた。
それでも笑顔は崩さない。
……本気で言ってるかい?
「こちらとしても事前に連絡が出来ればいいのですが、こればっかりは予測もほとんど出来ないもので」
タクシーには私と古泉くんの他にキョンくんも乗っている。
どうやらキョンくんなりの優しさであるらしい。
姉思いだね。
「それで、私は一体どこへつれて行かれるのかな」
「今回はそう遠くありませんから、ご安心ください」
古泉くんは返事ともつかないことを言って笑って見せた。
やれやれ、得体が知れないね。
しかし、遠くないというのは本当のことだった。
車は二十分も走らないうちに止まり、私たちは何の変哲もない街中に下ろされた。
人がかなりいる。
こんなところにその閉鎖空間とやらが発生してるっていうのかい?
とてもそうは思えないな。
まあ、超能力者じゃないと感知出来ないって言うならそれでいいのかもしれないが。
「ここです」
歩いていた古泉くんが足を止めた。
「それでは、目を瞑ってください。それから、手を繋いでもよろしいでしょうか?」
いいよ、減るもんでもないし。
どうでもいいけど、今、古泉くんを真ん中に、両側に私とキョンくんがいるんだけど、これってなにやってるみたいに見えるんだろうね。
くだらないことを考えていると古泉くんに手を引かれた。
つられて足を踏み出すと、違和感。
大きなゼリーの中にでも突っ込むような、妙な感じだ。
ていうか、突っ込めるのか、これ。
それくらいの抵抗がある。
でもなんとかくぐれたらしく、それを通ると後は楽だった。
「もう目を開けてもいいですよ」
言われるまま目を開けると、キョンくんが言っていた通りの世界が広がっていた。
静かで、生きるものの気配のない、奇妙な、そしてどこか恐ろしい空間。
どうやら、ほら話じゃなかったらしい。
それとも私の頭がおかしくなったのかな。
古泉くんは困ったような顔をして、
「疑われるのはもっともですが、これはトリックでもなんでもありませんよ」
「うん、だろうね。まあ、一晩寝たら納得出来てると思うから」
「そうであることを祈ってます。しかし…」
と古泉くんは不思議そうに私を見た。
何?
「あなたが涼宮さんの力に対する抵抗力が強いというのは間違いないようですね。閉鎖空間に入るだけであそこまで抵抗があるとは思いませんでした」
え、じゃあ本当はもっとあっさり入れる訳?
私が聞くとキョンくんが考えながら、
「そう言えば、前より時間がかかったな」
古泉くんは頷きながら、
「閉鎖空間に入れず、証拠をお見せ出来なかったらどうしようかと僕はひやひやさせられましたよ」
「それってつまり、私が異常だって証明にもなるのかな」
「異常という言葉は響きがよくありませんが、あなたが僕たちとは異質だということには間違いないようですね」
古泉くんも論理学が好きそうだな。
なるほど、キョンくんと仲良く出来るはずだ。
「見えますか?」
ひとりぶつぶつ言っていた私をよそに、古泉くんが指差した。
ビルの谷間の向こうに、青い巨人が見える。
「あれが……神人くん?」
「そうです」
「じゃああの赤いのが古泉くんのお仲間か」
ふぅん、面白いね。
派手なエフェクトに欠けるところが妙にリアルで。
「現実ですから」
それもそうか。
キョンくんが呆れたような感じで言った。
「古泉、お前は行かなくていいのか?」
「そうですね…人手は概ね足りているようですが、行って来ましょうか」
そう言って古泉くんは私たちから少し離れた。
その体を包むように赤い光の膜が出来、古泉くんは飛び去った。
遠目にはもう他の赤い球体と変わらない。
「凄いね」
「まあな」
気がない返事だね、キョンくん。
二度目だから?
それとも古泉くんが心配なのかな?
「阿呆」
軽く頭を叩かれた。