坂の上の団



私は駅前の女子校こと、光陽園学院に通っている、極普通の女子高生だ。
多分、極普通でいいと思う。
特殊能力なんてないし、変な趣味もないし、――ああでも、勉強が趣味みたいなところがあるから、変な女子高生かも知れない。
部活動は今のところしていない。
成績優秀と言うだけで学費免除の特待生となっている私に部活動で汗を流すことを強要するような教師はいない。
もちろん、部活動に誘ってくれる先輩などはいるのだが、私はまだ当分帰宅部としての楽しみを味わいたいのだ。
何しろまだ6月なのだから。
さて、その私がどうして今わざわざ軽いハイキング気分を味わい、かつ汗を流しているのかと言うと、帰宅しようとしたところをたまたま教師に呼び止められた挙句、身内がいるというだけの理由で坂の上にある県立高校までお使いを頼まれてしまっためだ。
うちの生徒のほとんどがお嬢様で、そうそうお使いなど頼めないにしても、庶民派代表と言っても過言ではない私をわざわざ捕まえるなんて、差別だと訴えてやるべきだろうか。
しかし、特待生という身分上、教師に逆らうのは得策ではない。
かくして私は、多くの生徒が下っていく坂道を逆に登っているのだった。
それに、――キョンくんが通っている高校に行ってみるのも面白そうだし。
えっちらおっちら坂を登っていると、向こうから見覚えのある顔が来るのが見えた。
あれは確か――
「国木田くん?」
「あれ、お姉さん」
国木田くんは中学時代の友人だが、卒業以来すっかり疎遠になっている。
キョンくんは相変わらずお世話になってるみたいだけど。
ちなみにお姉さんというのは私の中学校以来のあだ名である。
類似したものに姉、姉御、姉さん、お姉様などがある。
「珍しいね。何かあったのかな?」
人好きのする笑みで問われ私は苦笑する。
「ちょっと頼まれて、この書類を北高の職員室まで届けないといけないんだ。ついでだからキョンくんの顔でも見ようかなと思って」
「どうせ毎日見てるんじゃないの?」
「でも、高校にいる時の顔って見たことないと思って。…キョンくん、最近楽しそうだから、何かあったのか気になってたし」
「あー…」
と国木田くんは曖昧な表情を浮かべた。
なんだろう。
キョンくんが何か変なことでもしてるんだろうか。
「キョンは相変わらずなんだけど、まあ、ちょっとした有名人になっちゃってて…」
「キョンくんが有名人?」
身内の私が言うのも難だけど、キョンくんは目立つなんてこととは程遠いと思う。
容姿がいいわけでもないし、成績がいいわけでもない。
頭はいいけど、主に妙な論理学とか無駄知識とかに注ぎ込んでしまっているみたいだから実生活で役立つのかは甚だ疑問だし。
性格は平凡というか、割と面倒臭がりだし、とてもじゃないけど目立つような派手なことをするタイプじゃない。
私が言うんだから間違いない。
国木田くんには悪いけど、ちょっと信じられない。
「僕も多分、話を聞いただけならそう思うんだろうな。でも、嘘じゃないよ」
「うん、国木田くんが嘘を吐くとも思えないしね。……まあ、ついでだからこの目で確かめるわ。なんか、部活動みたいなのしてるらしいんだけど、どこに行ったらいいか、国木田くん、分かる?」
そう聞くと、国木田くんは懇切丁寧に私に教えてくれた。
キョンがどこにいるか。
それからそこに行く時に注意すべきこと。
「涼宮ハルヒの前では出来るだけ平凡を装うこと」
それって私が平凡じゃないと言う意味だろうかと小一時間ばかり問い詰めたい気分にもなるし、意味もよく分からないけど、とりあえず、言われたことは守ろうと思う。

坂を登って辿り着いた北高の門に立つ。
なんとなく緊張するのは国木田くんの言葉があったためでもあるし、光陽園の黒ブレザーが明るい色をした北高のセーラー服やブレザーの中ではかなり目立つからでもある。
私は大きく光陽園学院と印されている封筒を免罪符のように抱え込み、北高に足を踏み入れた。
と言っても、ここにくるのは初めてではない。
光陽園を推薦で受けることを決める前に一度下見に来ているのだ。
その時、あの恐怖の坂道にうんざりしたのを覚えてるが、キョンくんは毎日よく頑張ってると思う。
……下見に来なかったのは失敗だと、私は今でも思うけど。
それはさておき、私は職員室へ首尾よく封筒を届けたが、すぐに帰ることはしなかった。
当然、キョンくんとその怪しげな団とやらを見ておきたかったのだ。
国木田くんに聞いた通り歩き、部室棟とやらに入る。
階段を上り、目当ての部屋を見つける。
元は文芸部室だったという部屋のネームプレートには手書きで「SOS団」と書かれた紙が貼り付けられている。
SOS団って、何。
救難信号がどうしたの。
どうしよう、部屋に入る前からツッコミどころが満載だ。
しかし、ここで引き返したのでは意味がないだろう。
私は諦めてドアをノックした。
「はぁい」
中から返ってきたのは、やけに可愛らしい女の子の声。
ドアを開けて顔をのぞかせたのも、予想に違わぬ可愛い子だった。
私よりも小さくて、それなのに胸が大きい。
しかも目が大きくて上目遣いが凄く似合ってる。
着ているものは可愛いメイド服。
なにこの破壊力。
というかこれ、幻覚じゃないの?
思わず抱きしめたくなる。
「あ、あのぉ…?」
小動物みたいにびくびくしながら彼女が私を見上げてる。
核兵器並の破壊力。
持って帰って添い寝したい。
――はっ、いけないいけない。
よそのお嬢さんを驚かせちゃいけないんだった。
うちの妹は驚かせても喜んで笑うだけだから別に驚かせてもいいんだけど。
私は慌てて取繕いながら言った。
「あ、ごめんなさい。ここ、SOS団? ですよね?」
「そうですけど…えっと……あなたは…」
「姉さん!」
私が答えるより先に、部屋の中から声がした。
ちょっと反応が遅かったかな。
まあ、それはともかく、椅子を蹴倒しそうな勢いで立ち上がり、駆け寄ってくるのは、当然キョンくんだ。
私は思わず笑顔になりながら言った。
「や。ちょっとお邪魔させて?」
「わざわざ何しに来たんだ?」
呆れを含んだ声でキョンくんが言う。
「私だって来たくて来たわけじゃないんだが、ちょっとした用事で坂を登ってきたんだ。そのまんま帰るのはもったいないだろ。途中で会った国木田くんからは気になることを聞かされるし。まあとりあえず、座らせてもらえるかな。インドア派なものだから坂を登るのが結構堪えたよ」
キョンくんはちらっと室内に目を走らせると頷き、ドアを開いて迎え入れてくれた。
室内にはキョンくんと可愛いメイドさんの他にも人がいた。
じっと窓際で本を読んでいる女の子と、なんとなく信用ならない感じの笑みを浮かべた男の子。
さっきまでキョンくんが座っていたらしい椅子に座らせてもらい、メイドさんが淹れてくれたお茶を飲む。
渋味がありながらも甘味が感じられて美味しい。
「まるで甘露ですね」
笑顔で言うと、メイドさんは恥ずかしそうにお盆で顔を隠してしまわれた。
可愛いなぁ…。
とせっかく和んでいるのに、背後でキョンくんが、
「また髪結んでない…。長いんだからちゃんと結べって言ってるだろ」
「私の不器用さ加減を知ってて言ってるのか? ちゃんと朝起きてくれないキョンくんが悪いんじゃないか」
髪を伸ばしているのもキョンくんが言うからなのに。
「それこそ棚上げだろ」
言いながらもキョンくんは私のカバンを無断で開け、お義理のように入れっ放しにしてあるブラシとゴムを取り出すと、私の髪を梳り始める。
それを、私の向かいに座っている男の子が不思議そうに目を細めて見ていた。
「キョンくん、お友達の紹介はしてくれないのかな」
私が言うとキョンくんはブラシを動かす手を止めもせず、
「目の前にいるのが古泉。本を読んでるのが長門。それからお茶を淹れてくれたのが朝比奈さんで、朝比奈さんは二年生で先輩だから暴挙に出るんじゃない」
暴挙とは失礼な。
ただ抱きしめて頭を思う存分撫でたいと思ってるだけなのに。
「十分暴挙だろうが」
甘いな。
男がやったらセクハラか暴行未遂だが、女ならばそうはならないのだよ。
それにキョンくん、先輩だから暴挙に出るなというのはおかしいんじゃないか。
その理屈でいくとそこの長門さんには手を出していいことになると思うのだが。
「いいからもう黙ってろ」
ロジックをひねくり回すのが好きなのは私よりもむしろキョンくんだと言うのに、友達が目の前にいるという状況のせいか、いつもより素っ気無い。
年頃の男の子というものはつまらないね。
「じっとしてろ」
と言われるままに頭を固定すると、古泉くんと目が合った。
目を逸らすのも変かと思い、とりあえず笑みを向けると彼も笑みを返してきた…と言うか彼は最初から笑顔だな。
どういうポーカーフェイスの作り方だろう。
高校生がそう簡単に出来ることとは思えないんだが。
「彼のお姉さんですか」
問う、というよりもむしろ確認する感じで問われ、私は肯定した。
「そう。双子なんでどちらが年長だか分かったもんじゃありませんけど、一応法的には私が姉です」
「彼には妹さんしかおられないと思ってました」
「妹をご存知なんですか?」
私が問い返す後ろで、キョンくんが小声で「嘘吐け」と呟いた気がするのだが、なにがどう嘘なんだろうか。
しかしそれは古泉くんには聞こえなかったらしく、
「ええ、先日草野球をした際に助っ人に来ていただきました」
「草野球……ですか」
「ご存知ありませんでしたか?」
ご存知ありませんも何も初耳である。
「ええ。妹が騒いでいたのは聞いてましたけど…」
「彼も、年齢的にちょうどいいお姉さんがいらっしゃるなら妹さんでなくお姉さんにお願いしたらよかったでしょうにね」
「いや、それはどうでしょうね。自慢じゃありませんけど、私の運動能力は平均以下なので」
本当に、冗談じゃないってくらい運動能力が低いんだが、どうにかならないものだろうか。
おかげで勉強しか取柄がない状態なのだ。
「出来たぞ」
キョンくんがなんとなく不機嫌な感じで言った。
どうした。
お姉ちゃんを友達に取られたみたいで嫌だったのか?
それともその逆か?
キョンくんは私の問いを見事にシカトすると、私の顔を自分の方へ向かせ、正面から出来映えを確かめた。
キョンくんが好きだからというだけの理由で今もまたポニーテールにされたのだが、ポニーテールというものはかなり頭や首、肩に負担があるのだが、そこのところを分かってくれているのだろうか。
それとも女性なら女性らしく美のために多少は犠牲を払えとでも言うのだろうか。
「分かった。後で肩でも揉んでやるからとりあえず黙っててくれ」
キョンくんに脱力気味に言われては黙らないわけにはいかないだろう。
しかし―― 一番見たかった人がいないみたいだな。
「なんだそれは」
「いや、国木田くんから話を聞いて、というか、うちの学校でも噂になってるし。物凄い女の子がいるって」
ついでに言うならそんなのがうちに来なくてよかったとほっとしている教師陣もいたりする。
「ハルヒのことか」
うん?
キョンくんが名前で呼ぶなんて珍しいね。
女の子どころか男の子でも高確率で名字呼びのくせに。
なにかあるのかい?
「もういい。余計なこと言うくらいなら黙ってろって」
……ため息を吐かれてしまった。
ちょっとうざったかったかな。
私もテンションが上がってるみたいだ。
私を黙らせてどうするのかな、と思いつつ室内を見回すと、さっきまでじっと本を読んでいたはずの長門さんが私のすぐ横に立っていた。
びっくりした。
どこの忍者だよ。
「……あなたは…私に近い」
見た目通り人形のような、どこか生気の欠けた声でそう言われた。