蝶々を再び掌に
執筆者:斎槻さん
俺がこの部屋の中に閉じ込められてからどれくらい経ったのだろう。 はじめのうちは位一日一日を数えていたが、いつからかやめてしまった。 それをしたところで、ただ虚しくなるだけだと感じたからだ。 あの日・・・古泉に襲われた日から、俺に自由はなくなった。 館の隅のこの小部屋が今の俺の住居だ。出歩くことも許されていない。 窓を開けようにもほんのわずかしか開かないようになっていて、飛び降りることも叶わない。 本当にただ生かされているだけだった。そんな俺の些細な楽しみは、メイドたちとの語らいだ。 両親が出かけている時だけこっそりと、数人のメイドがお菓子とお茶をもって遊びに来てくれた。 他の執事やメイドさんたちはこのことは両親には内緒にしてくれている。 と、いうよりは我関せずという姿勢でいるというのが正しいだろう。 「お嬢様、こんにちは」 「ああ、こんにちは」 「今日はこれを持ってきたんですよ」 「金平糖か」 「疲れた時には甘いものと申しますし、さどうぞ」 いつものように持ってきてくれたお菓子とお茶で談笑をした。この時だけは、心がほんの少し安らぐ。 ・・・きっと、本当に安らげることはもう二度とないとわかっていても。 「・・・ところで、最近よく来るけどあの人はどうかしたのか」 あの人とは、父親のことだ。あの日以来、両親とは呼ばなくなった。 向こうも呼ばれたくないだろうし、こちらも呼ぶ気などさらさらなかった。 「それが・・・なんでも、事業が思わしくないようで」 「奥さまも親戚の方々に助力をお願いしているようですが、どうにも上手くいってないようなんです」 「あの人がねぇ・・・しかしなんでだ?」 事業のために結構あくどいこともしていた人なのに。 「なんでも、最近力をつけてきた事業家がいるんですって」 「へー」 「その実業家に契約相手や顧客をことごとくとられてしまったそうです」 「それって、どんな人?」 「それが分からないんですよ、経歴も顔も一切不明、表に出てくることはない」 「催しには代理人の方しか出てこないそうですよ」 「ただ、一つわかっているのはその実業家の後ろ盾が鶴屋家ということです」 「鶴屋・・・って、それこそ大企業じゃないか!」 それに鶴屋といえば、俺と年の変わらないお嬢様がいたな。それこそ俺と同じでお嬢様っていう感じがしない気さくな人だったか。・・・あのひとは元気だろうか。 一度考えてしまうと芋づる式にの他の友人の事も思い出してしまった。 ハルヒ、長門、朝比奈さん。皆俺より格式ある家のお嬢様だが、そんなこと関係なく接してくれた。 国木田や、谷口といった男の知り合いもいたが。まぁ、古泉には内緒にしてたな。 「とにかく、下手に相手に手出しはできないので旦那様も困り果てているのです」 「でも、もしあの人が上手くいかなくなったら、お前らが困るだろう」 「ええ・・・でも、私たちを雇うところなどたくさんありますから」 「心配しなくても大丈夫ですよ! お嬢様!」 「そうか・・・ならいいけど」 その自信はどこから来るのかすごく疑問なんだが。 しばらくしてあの人が帰ってきたようで、メイドたちはそそくさと部屋を後にした。 今までの騒ぎが嘘のように部屋は静まり返り、俺は窓辺の椅子に腰をおろした。 こんなに静かだと余計なことまで考えてしまう。だからこの時間は嫌なんだ。 いつかは古泉が迎えに来てくれるかもしれないという、ありもしない事を夢に見てしまう。 何もしないから変な方へと思考が傾くのだと思い、俺は近くにあった本を読み始めた。 もう何回も読んだその本はボロボロになっていて、それでも俺は繰り返し読んだ。 簡単な外国の純愛小説。主人公は数多くの苦難の末に彼女を再び取り戻すというもの。 昔、俺が図書館で気に入ったと古泉に話したところ、俺に贈ってくれた大切なものだ。 この本だけは今も変わらずに俺とあいつを繋ぐ唯一のものだった。 事業が上手くいっていないらしくここ数日あの人たちの怒鳴り声がここまで響いてきた。 使用人たちも怒りに触れぬように細心の注意を払いながら働いているらしく、俺のところに食事を持ってきてくれるメイドは俺が声をかける前に部屋を後にしていた。 時々聞こえてくる怒鳴り声の中に俺のことも含まれているのはもはやどうしようもない。 『あの結婚さえ上手くいっていれば!』とか『全部あれのせいだ!』と、わざと俺に聞こえるようにしているのだろう。 俺はそれをただ黙って聞き流すことしかできなかった。 そうしているうちに事業はだんだんと傾き、窓から使用人が少しずつ暇を出されていくのを俺は見ていた。 それでも、俺は変わらずのここに閉じ込められている。外がどんなに騒ごうとも、切り捨てられた俺には最早関係のないことだった。あの日以来、俺は価値をなくしてしまった人間なのだから。 そんなある日、突然俺はあの人に呼ばれた。一体何なのだろう。 「話とは何ですか」 「喜べ、お前を貰ってくれる人が現れたぞ」 どこが喜べる事なんだ。 「向こうには奥方がいるらしいがな、お前のことを話したら愛人でもいいから傍に置きたいそうだ」 そんな喜々として語る内容ではないだろうと叫びたかったが、今の俺にはその資格はない。 あったとしてもそんな気力は残っていないのかもしれない。 愛人と言われているが、こんなキズモノの俺を引き取るということはもの好きな人か余程危ない嗜好を持ち、それのために引き取るかのどちらかだろう。 案の定名前を聞いてみれば、サディストで有名な華族の一員だった。 「向こうの家には一週間後に行け」 「そんな急に!」 「お前に口答えする権利はない!」 「・・・っはい、わかり・・・ました」 唇を噛みながら俺は頷くしかなかった。それしか俺には許されていないのだから。 部屋に戻るとメイドがそっと声をかけてくれた。 「お嬢様、大丈夫ですか」 「・・・ああ、ありがとう」 メイドに礼を述べ、俺は部屋の中へ戻った。 部屋に鍵がかけられた瞬間俺は堪え切れず涙を流した。 「うっ・・・く、っ・・・うう、・・・こ、いずみぃ」 嫌だ。本当は怖い。きっと引き取られてしまえば二度と元には戻れないだろう。 人として扱われないどころか、下手したら廃人にでもなってしまうかもしれない。 あの人は俺と交換条件に資金の援助でも約束したのだろう。なんて奴だ。 「古泉・・・古泉! いやだ、怖い・・・怖い」 古泉じゃない奴が俺の体に触れる。考えただけでもおぞましい。でももっと怖いのはいつか古泉のぬくもりさえ忘れてしまいそうな自分自身だった。 「いや、だっ・・・嫌だ、古泉っ・・・お、れ・・・い、やだぁっ」 嗚咽が部屋中に響き、屋敷中にまで広がっているのではないかと錯覚するほど俺は泣き叫んだ。 そのまま泣き疲れて眠った俺は、もう二度と目を覚ましたくないと思ったが、現実は層上手くいくはずもない。 話を聞かされてから一週間はあっという間に過ぎた。普通は嫌な時ほど遅く過ぎるものなのだが。 俺は簡単な日用品と古泉の贈り物である本だけをトランクに詰め込んで部屋を出る。 玄関へ行く前にメイドがこっそりと俺に近づいて来た。 「お嬢様・・・これをどうぞ」 そういって渡されたのはクッキーと金平糖だった。 「私たちが作りました。どうか、御無事で・・・お嬢様」 「今まで、ありがとう・・・さようなら」 受け取ったお菓子をトランクに仕舞い、ゆっくりと玄関へと向かう。 玄関ではあの人たちと弟が立っていた。俺が来たのだけを確認して、薄ら寒い笑みを浮かべていた。 弟は小さく震えながらも執事に肩を掴まれて動けない状態だった。 約束の時刻を刻々と時計が刻む。俺は震える体を叱責しながら、前を向いた。 最後まで、俺は俺であり続ける。価値など無くても心まで投げ捨てたくはない。 すると、遠くで蹄の音がした。俺は息をのみ待ち構えた。 ・・・しかし、なにやら様子がおかしい。外が騒がしいのだ。 「なんだ、どうしたんだ」 突然、玄関が勢いよく開け放たれた。きっと、その瞬間屋敷の誰もが目を見開いただろう。 「古泉・・・」 そこにいたのはあの日大胆不敵に去っていった古泉だった。 「お久しぶりですお嬢様」 「き、貴様! 何しに来たんだ!」 「貴方にご報告です。今日の正午をもちまして、貴殿の会社は倒産いたしました」 「なっ・・・!!」 「これがその通告書です」 古泉の手には倒産と大きくかかれた一枚の紙がその事実を告げていた。 「そ、そんなはずはない! あの方は資金の援助を・・・!」 「ああ、あの方も今頃公安に引き渡されているはずです。あの人の非人間的な性嗜好の為に行われた裏取引とそれに関する誘拐・監禁事件を密告しましたから・・・無論、貴方との取引もね」 「くっ・・・誰か! こいつを捕まえろ!」 「やめろ!」 「それは待つんだね!」 「つ、鶴屋さん!!」 驚いたことに、古泉の後ろから出てきたのは鶴屋さんだった。ということはもしかして・・・。 「鶴屋家のご令嬢・・・ということは!」 「そういうことです。今の僕に手を出すということは、そのまま鶴屋家にということです」 「いやいや、古泉君。あたしの家だけじゃないよ。涼宮・長門・朝比奈・国木田、手を出したら日本に住めなくなると思ってね」 なんだその最強の布陣は! 向かうところ無敵じゃないか! 「ということで、お分かりいただけましたね」 古泉は崩れ落ちたあの人を尻目に俺に向かい、そして俺を横抱き・・・いわゆるお姫様抱っこした。 「こ、古泉!!」 「しっかり掴まっていて下さい・・・では、お嬢様は頂いていきます」 そのまま、閉まってた扉を足で蹴り開け、古泉は外に止まっていた馬車に乗り込んだ。 鶴屋さんはまだ用が残っているから違う馬車で帰るようだ。 「こ、古泉・・・」 「・・・遅くなってすみません」 開口一番が謝罪なのかお前は。 「俺、ずっと待ってたんだぜ? ・・・遅すぎだばか」 古泉の首に腕を回せばいい匂いが鼻を掠める。そして、二人どちらともなく口付けを交わした。 「んっ・・・あっ」 「もう、離しません」 「勿論だ」 満面の笑みで答えた俺は古泉の屋敷につくまで手を繋いでいた。 古泉の話によると俺を襲った後、素性を隠して地方の屋敷で働いていた古泉をたまたま鶴屋さんが見つけ引き取ったらしい。 事情を聞いた彼女はすぐさま同好の志を集め俺の奪還計画をたてたそうだ。 ちなみに、あの玄関から堂々と俺を攫うというのはハルヒの発案らしい。やってくれる。 それから一年、古泉は鶴屋さんの父から経営学を叩き込まれ、後ろ盾にして事業を展開した。 ハルヒその他諸々はあの人の悪事を調べ上げて、陥れる機会を作っていったらしい。 どうやらあの人は派手にいろいろやらかしていて他の家々も煙たがっていたらしい。我が親ながら情けない。 しかし、俺のためにここまでやるとはあいつらの本気は末恐ろしいなまったく。 「それだけあなたは本当に皆さんに愛されているんですよ」 ああ、身に染みて実感した。 「言い忘れていましたが、あなたの弟君は鶴屋家の当主が養子に迎え入れるそうです」 「本当か」 「ええ、あのまま埋もれさせてしまうには忍びないとの判断だそうで」 だから、あなたは何の憂いなど必要ないんです。 古泉の手回しの良さにはほとほと感心する。心配だった弟のことも気遣ってくれる古泉に感謝だ。 「・・・あの時、あなたを屋敷に残すしかなかった。僕はそれを悔みました。 きっと、恨まれるとばかり思っていましたから・・・ほんとうに」 「もう、いいんだ古泉」 「・・・」 「でも、お前は迎えに来てくれただろ?」 だから、十分だ。俺がそう告げると、古泉は静かに一筋の涙を流した。 「愛しております・・・ずっと、これからも」 「ああ」 「あなたの・・・あなたのこれからの人生を全部僕に下さい。僕だけの為に生きてください」 「な!」 これは、プ、プロポーズというやつなのか。理解した瞬間俺の顔は茹でダコのように赤くなり瞳を見開いた。どこまで大胆なんだお前は。 「あ・・・う、その・・・」 不意に涙が溢れて止まらない。嬉しくてたまらない。 俺は広げられた古泉の腕の中にすっぽりと納まった。 これが俺の答えだ。わかりやがれ!! |