蝶々舞った
執筆者:彩樹さん
もう何度目の春が過ぎたことだろうか。 あれから・・・・・ そう、あの時から俺の中での時は止まったままで居るというのに。 「お嬢様、庭の桜がきれいですよ、下でお弁当を広げませんか?」 そう言って、手を引いて行ってくれたお前はもう居ないのに、声や温もりだけは今でもはっきり思い出せるよ。 どんなに年数が過ぎて、この旧家も世の中の煽りを受けて落ちぶれて行っているとしても、もうどうでもいいんだ。 あの時、笑いながら二人でお弁当広げて空を見上げて、ただ優しい風の中にいたんだ。 『お嬢様』 目を細めてこちらを見た古泉が嬉しそうで、釣られて笑顔になったよ。 お前のことを、こんなに思い出せるだけホントに俺は幸せなんだ。 「・・・・古泉・・・・」 口癖のようにポツンと発しても、答えてくれる愛しい彼がそばに居ない。 どうして!? どうして・・・俺を置いて行ってしまったんだ!! 数年前まではそう悔しくて悲しくて泣くことが多かったけど、今はそれが古泉の復讐だったんじゃないか・・って納得してる。 この家自体にも恨みはあったんだろうが、きっと我侭だった俺のことも嫌いだったんだろうな・・・。 「俺は・・・こんなにもお前が好きなままなのにな・・・」 くすっと、あいつの自嘲的な笑みを思い出して、同じように笑んでみた。 久しぶりに笑んでみると、引きつったように唇の端が痛む。 心が、あの時から壊れてしまった。 彼が居ないと、心から笑えない・・・。 妄想だけに彼を思い出して、俺はそっと溜息をついた。 幽閉されて、親の顔を見なくなってどれくらい経つだろう。 たまに、世話係が来てくれるけど、話し相手もいない・・・いや、誰に話しかけられても反応しない俺に、いつしかだれも話しかけなくなっただけだけど。 いつの間にか、世話係も来なくなった・・・。 それなのに鍵のかかったままの部屋は開く事はない。 俺は・・・死ぬしかないんだろうか・・・・。 感情が色褪せてしまっているから・・・自分のこともどうでもいいと思ってしまう。 古泉が居なくなった、あの日から一緒に死んでしまったも同然だった。 それからまた、どのくらい経ったのだろうか。 桜はもう散ってしまったのだろうか。 「花見・・したいね・・・古泉・・・・。」 話しかけても返事が無いのを分かっていながら、心に思い浮かべる。 桜の下の、柔らかく微笑んで手を引いてくれるあいつを。 髪に優しく指を通して梳いてくれるあいつを。 「・・・・・」 ぎゅっと目を閉じて、哀しさで染まらないようにただ笑ってみる。 『トントン』 ドアのノック音なんて本当に久しぶりだ。 やっと、誰かおれの存在を思い出して、世話をしに来てくれたのだろうか? 『トントン』 ・・・・・・・・・・・? いつもなら、返事が無くても勝手に入って来てくるのに、珍しい。 ・・・おれが返事を確認したいのだろうか。 「どうぞ?」 ドアのそばまで行って返事をすると、鍵の開けられる音がした。 なんだかぎこちないけど、新人だろうか? 俺はいつものように椅子に座って、ドアとは反対側に顔を向けておく。 世話をしに来ている奴だって、幽閉され続けている俺に見つめられたくも無いだろうからな。 ドアが開いて、誰か入ってきた気配がある。 きっと、周りのものを片付けて、少しばかりの食料の補充をして出て行くのだろう。 逃げ出せないのに・・・・・またあのドアに鍵を掛けて・・・・。 「・・・・・・・・。」 「・・・・・・・・・。」 部屋の中が静寂なまま、足音だけがする。 話しかけられても迷惑だろうから、おれは身じろぎもしない。 ふと、足音が後ろで止まって様子を伺っている視線を感じた。 「・・・・・・」 「・・・?」 「・・・・ど、どうかしたのか?」 久しぶりに人に話しかけた声は、かすれることなく出た。 よかった、ちゃんと声が出た。 そして、少しだけ首を傾げたら、突然ものすごい力で引き寄せられて体中をぎゅぅっと抱きしめられた。 「!・・・な、なにをっ」 する!・・・と言いかけて、ふわりと香ったのは彼の香り。 そのまま口付けられて、体が慄いた。 ・・・・・・・知ってる、覚えてる! 「・・・お嬢様・・・」 息継ぎの合間に拾った切ない声が、忘れもしない彼の声のままで涙があふれた。 しゃくりあげて、前がかすんでよく見えない。 ぎゅぅっと目を閉じたら、眉間にまた優しく唇が押し当てられる。 あぁ・・・やっぱり来てくれたんだな。 あの時の激しさとは違う、いたわる様な口付けが心に痛かった。 「・・・古泉ぃ・・・・遅い」 拗ねた様な声に、また柔らかく笑って耳元に口付けされる。 「・・・・お嬢・・・様・・」 かすれた声に切なくて、精一杯抱きつくと頬に涙が落ちてくる。 「陵辱されたなんて思ってない。・・お前を好きな気持ちしか持ってない。」 だから、泣くな・・って呟いて上を向いたら、大好きな顔が涙でぼやけている。 よく見たいのに、微笑んでいるこの顔を、ずっと心待ちにして何とか息をし続けたのに。 こんな時ばっかり涙腺が壊れてよく見えない。 「古泉・・・会いたかったよ、ずっと待っていたんだ・・・。」 泣いた顔で微笑んでも、ちゃんと伝わっているか分からないけどとにかく嬉しかったんだ。 「・・・・・・・・・・・・・」 「古泉?」 何か話して欲しくてせがんでも、ジッと見つめられ続けて俺はまた首を傾げた。 「・・・・いえ・・・あなたにやっと逢えて、こうして腕の中に居ることが夢のようで・・・」 そのまま頬に口付けられて、おれは漸く心から微笑んだ。 「夢じゃないんだな、今度こそ・・・今度こそ連れて行ってくれるよな?」 「ええ、もちろんです。離して欲しいといっても、聞いてあげられません」 息の多い声を耳に吹きかけるな、くすぐったい、と声を立てて笑うと横抱きに抱き上げられた。 「あの時の僕はあなたを置いてしまったことが一番悔やまれたんです。あなたを連れて出る前に引き裂かれてしまう。 そして、予定通り婚儀が行われないためには、乱暴な手段に出るしかなかった!」 「古泉・・・」 「あなたが好きです。この気持ちだけは何があっても変えられない。 恨みなんて最初からなかったのに、嫉妬に駆られて僕は・・・僕は・・・」 涙は枯れ果てたと思ったのに、次から次へと溢れて来る。 「もう二度と手を離さない、そう決めたんです」 辛そうな声と同時に、より抱かれる力が強くなる。 「どんなに恋焦がれたか・・・」 聞いてるこっちが辛くなる声で、おれは古泉の首に腕を回して抱きついた。 おれがあれこれ悩んで無気力に生きていても、こいつはおれの分まで苦しんでいたんだ。 そんなに悩むことじゃないって、教えてやりたくても出来ないまま、一人で悩んでいたんだろう。 「・・これから一緒にいるなら許してやる!だから、今度こそ一緒に行こう?」 「ええ、今度こそ一緒に連れて行きます」 そうして、俺たちはもう一度ちゃんと抱き合った。 このまま時が止まればいい・・・そう思って。 『今年も桜がきれいに咲いてるね』 『そういえば、昔この隣にでっかい御屋敷があってね、何年か前に取り壊されたんだって』 『えぇ〜〜?それ本当?』 『本当だって!何でも地下に格子の付いた部屋があって、女の人が倒れてたって大騒ぎだったんで覚えてるんだよ』 『何それ?今時流行らない座敷牢ってやつ?』 『わかんないけど、病院に運ばれても手遅れで、持ち主の居なくなった屋敷から出てきたから、この桜の下を墓標にした・・・』 『・・ちょっ・・・やめてよ!時期はずれの怪談は・・』 『桜の下には死体があるからきれいに咲くんだってよ?』 『・・・・・』 『それに、この桜の下で殺人事件だってあったんだって』 『・・・ホント、あんたって噂話好きねぇ・・・』 『あ!信じてないな。若い男が殺されていたって・・・何でも女の人を暴行したとか新聞にも載ったのに・・・』 『・・・やだなぁ・・・花見する気分じゃなくなっちゃった、どっかご飯食べに行こう?』 『・・・本当なのになぁ・・・・』 若いカップルが去っていくのを、桜は今年も花を舞わせながら見送っていた。 密やかに、まるでおしゃべりを愉しむかのように。 ひらり。 ひらり。 |