酷い俺と大好きなあいつ
  執筆者:森崎美雪様

あれからもう何ヶ月たっただろう。古泉がいないせいで一日一日が長く感じられる。 
両親はあれからずっと顔を合わせない。合わせたら、「あれが自分がお誘いになられたのでしょう?」と母はいい、
「そんな女だったとはな」と父は言う。二人とも俺を冷たい目で、まるで害虫を見るような目で俺を見る。
使用人だってそうだ。一応仕事だから、ここの使用人だから…きっとそう思いながら俺のところに来るのだろう。
ずっと部屋にいる俺に食事を持ってくる。そのとき、コンコンとドアが叩かれ、
「食事です」
そう言うとすぐにドアを開け、近くのテーブルにもってきた食事を置き、出ていく。
その間、ひと言も言わず、俺の顔を見ず、出て行く。
酷い奴なんてドアの前に食事を置いて行ったり、俺の部屋にノックもせずにはいってきたり、俺の部屋に入って、出た後に深呼吸を壮大にやってく奴だっていた。
俺はそんな奴らにだって害虫などと思われている。まぁ正しいのかもしれない…。俺なんてよそ者だもんな…。
勝手に入られたり、深呼吸されたり、害虫と思われたってどうだっていい。
ずっと外を見ている俺には関係ない。太陽が昇ってきて、沈んで、月が昇ってきて、沈んで…それを見るのが日課となった。
それと遠くを見ることも日課だ。遠くであいつは…幸せにやってるのだろうか…そういうことを考えるのが多い。
あいつがいなくなって数十日は「迎えに来てくれるはず」などと変な期待をしていた。
しかし、その期待も虚しく、あいつは来なかった。今となってはアホらしい。なんで期待なんてしてたのだろう…今ではそれも分からない。
今ではあいつが幸せならいいな…とも思い始めた。
そういえば古泉の母親…大丈夫だろうか…。あいつがいなくなってから、古泉の母親は酷く責められた。
「あの男の親なんてこの屋敷にはいらん」と父が追い出し、それから見ていない。
その後…どうなったなんて俺は知らない。あいつと合流していればいいがな…。
ボーっと外を見ながらそんな事を考えていると、コンコンとドアがノックされた。
「お食事を持ってきました」
明るい声が外から聞こえる。黙っていても入ってこない。
「あの…お嬢様?」
「入って…いいですよ」
使用人は俺がそう言ったのを聞くと慌ててドアを開ける。使用人の中で何人かはこうやって接してくる奴もいる。
そして食事をテーブルの上に置き、
「お飲み物はどうされますか?」
と聞いてくる。こうやってしてくるのは大体が新米である。前は全員こうやって接してきて、全員笑顔だった。今では数名なんだよな…。
「コーヒーを…お願いします」
俺は座ったまま頭を少し下げる。使用人はニッコリと微笑んでくれた。
命令のように言わなくなった…いつからだろう。そういえば、命令のように「それやれ」と言ったとき、「何様のつもり?傷物のくせに」母親はそう言った。
反論なんてできなかった。…確かに正しかったからだ。それからやめたと思う。
『傷物』という言葉が俺に付きまとう。苦しくて…苦しくて…悲しくて…。
「…お嬢様?」
俺の顔を覗き込み、表情を伺うながら言う。
「大丈夫ですか?」
「大丈夫…です…」
俺は小さな声で呟く。それを聞いた使用人はホッとしたように肩を下ろした。
「コーヒー注ぎ終わりましたよ」
「…分かりました」
俺は窓の側に置いている椅子から立ち、食事が置いてあるテーブルへ向かう。座りやすいように椅子を使用人が引いてくれた。おれはその椅子に腰掛けた。
「…ありがとうございます」
「いえ…」
使用人はまた微笑んでくれた。
まず最初にコーヒーを飲もうと思い、コーヒーカップの取っ手を握る。
『いえ、たいしたことではありませんから』
古泉の言葉が頭に過ぎる。コーヒーなどを頼んだ後、持ってきてくれたときに「ごくろうさん」と俺は言い、毎回そう言っていた。
フーッと軽く息を吹き、口に運ぶ。
「…違う…」
「へぇ?」
使用人は驚いたように俺に聞く。「いや…なんでもないです」と手を左右に軽く
ゆらしながら言った。
やっぱり違う。どんなに古泉の言葉を思い出したって…温度や味が俺の好みにならない…古泉のついでくれたコーヒーにはならない。
コーヒーを置き、ナイフとフォークを手にとり、「いただきます」と小さく呟く。
使用人は窓の側に行く。安心してくれたのだろう。
一通りつまみ、ナイフとフォークを並べ、「ごちそうさま」と呟く。
俺はまた窓の側へと向かう。ゆっくりと椅子に腰掛け、外を見る。
「良い天気ですね」
「そう…ですね」
使用人は楽しそうによく俺に話しかけてくる。
「また外に行きますか?」
俺はゆっくりと隣にいた使用人を見る。彼女はまた微笑む。
行きたい。こんな家から出たい…けど。
「俺の両親から怒られたりするんじゃないのか?」
「もう目をつけられているので大丈夫ですよ」
アハハと彼女は笑った。俺はこの人に何度か外に連れて行ってもらった。
「古泉さんがいつも連れて行っていたのに急にやめるのも駄目だと思ったし、なによりこんなところにいても体には良くないですよ!」と言う。
他の使用人とは違う事を言う。他の使用人は俺の両親たちに嫌われたくないと思っている。だから両親たちが言ったことをそのまま実行する。そんな人間たちだ。
「他の同僚とかに苛められてないか?」
どうせそうだろう…俺なんかと仲良くなってるんだ。この頃彼女が食事を持ってくる回数が多くなった気がする。
「ええ」
予想通りの返事が返ってくる。しかし、「でも」と言葉を続ける。
「別にはぶられたって苦しくないです…それよりもお嬢様と一緒の方が良いです!」
彼女ははにかむように笑い、そう答えた。
その言葉を聞いて純粋に嬉しかった。同時に罪悪感も生まれる。
その言葉を古泉が言ってくれたら…もっと嬉しく感じただろう…と考える自分がいることに。すごく深い罪悪感を感じた。
「久々だ…」
俺はそう呟いた。
古泉とよく来た場所、屋敷から数十分歩いたところにある小さな広場。
周りは木ばかり生えているが、そこの真ん中には切り株が二つ。ここは俺と古泉が遊びに出て、偶然見つけた場所である。
その頃から切り株が二つ、二つほぼ並んだ状態であった。屋敷から出て遊ぶ度にここに来ていた。
「今日は…見るだけで良いです」
「…よろしいのですか?」
コクリと頷き、俺は屋敷のほうへと向いた。それに続いて彼女も屋敷のほうへと進む。今日は色々思い出しすぎたせいか…今日は疲れを感じる。
彼女はとても俺の支えになっている。しかし、やはり自分の隣には古泉がいてほしい。
そんな事は彼女には言えず、ただ黙って屋敷へ向かう。
彼女も黙ってついてきてくれた。
家に帰れば「なにを考えてるのですか?」と母から言われる。
「散歩に行きたかっただけです」と言うと「使用人を連れて行く権利はありません」と言い、去っていく。使用人たちも冷たい目で俺を見る。
俺はまっすぐ自分の部屋に戻り、ベットの上に乗る。
彼女は大丈夫だろうか…心配だな…。だがそう思っても自分は何もできない。
俺は下唇を噛む。ただ無気力な自分が悔しかった。
ふと、思い出した。あの広場には…古泉と俺が身長を広場に行く度に木に刻んだ。
…また見たい…。少ない古泉との思い出の物…大切にしたい。
しかし…また使用人を連れて行く。また使用人は怒られる。
けど……見たい…。
使用人達の不安と欲望が混ざり合う。自分は汚い人間で、傷物。
ぐるぐると混ざり合う感情たち、そうやって混ざり合いながらも、時間は過ぎていった。
「頼みます…散歩に行かせてください」
「なにを考えているんですか?」
母に頭を下げながら俺は頼んだ。使用人たちは呆然とその光景を見ていた。
母は俺にはっきりと聞こえるぐらいのため息をつき、その場から去ろうとする。
「早く帰っています。だからお願いします…お願いします!」
俺は母の腕を強く掴み、叫ぶ。欲望が打ち克っている自分の姿はきっと醜いであろう…そんな事どうだってよかった。
「放しなさい」
「いやです」
「…放しなさい!」
「いやです!」
がっちりと腕を掴み、放さない。放したら…全てが無くなる気がした。
次の日でも…今度行く日でも良いじゃないか…自分でも思った。でも不安だった。徐々に消えていく古泉の影。
いなかったことになってしまう。それが怖くて…恐ろしくて…。
「…そこの貴方…」
「あっはい!」
一人の使用人が返事をした。そしてこっちに寄ってくる。
「この子に付いて行きなさい。一時間以内に連れ戻して来る事」
俺は顔を上げた。母は相変わらず冷たい目で俺を見る。
「ありがとう……ありがとうございます」
恣意さな声でそう言い、門の方へと走って行った。
広場を目指して…俺は無我夢中に走った。
広場に行き、切り株の周りを囲む木を一つ一つ見る。
「違う…違う…」
一本一本見ても目印がない。不安と焦りが俺を襲う。
無いのか?…なかったことにされるのか?俺と古泉の思い出を……。
さっき指名されていた使用人が広場についた頃だった。
「…あった…」
小さく、細く…木に刻まれていた。
自分の半分あるかないかぐらいの高さに書いてあった。
ちゃんと…いたんだよな…古泉…俺の側に…。頬に涙の雫が流れる。
「もうそろそろ帰りますよ」
使用人から声をかけられる。俺は涙を拭いながら使用人のほうを向き、「分かりました」と言った。
そう言うと呆れたようにため息をつき、屋敷の方へと歩き始める。
俺はそれを追いかけようとした。そのときであった。
「ッ!!」
いきなり目の前が真っ暗になる。布か何かで目隠しをされ、視界を奪われたようだ。そのまま手を引っ張られ、強引に走らされる。
「お嬢様!!」
後ろから使用人の声が聞こえる。すると手を引っ張っている人間が足を速める。
俺は…どっかに連れてかれんのか?こんな傷物を…。
「たっ…」
助けてくれ!と叫ぼうと思ったが、俺はすぐにやめた。
フワッと風に乗ってくる匂い…その匂いは昔嗅いだ事のある…懐かしい匂い。
俺を優しく包み込んでくれるような匂い。
自分を幸せへと導いてくれる匂い。
ピタリと足が止まった。自分を引っ張っていた人は「ハァハァ」と息を荒らしている。
ゆっくりと手を放され、俺は目隠しを外そうとする。
「…なぜ…助けを呼ばなかったんですか?」
大好きな人の声ってこんなにも自分を安心させてくれるのか。
「それはな…」
俺は目隠しを外しながら言う。
「お前だって…古泉だってわかったから」
目隠しを外したせいか、周りがチカチカして見える。それが普通に戻ると古泉の表情が分かる。
こいつは驚いた顔をしていたが、クスリと笑いながら、
「貴女にはかないませんね」
と幸せそうに言っている。昔、俺と屋敷にいたところによく見せた顔だ。
「だろ?」
俺はそう言い、笑った。やっと会えた安心で泣きそうになる。
一緒に酷く抱かれた事を思い出してしまった。
けれど…古泉は古泉だ…と自分で自分を納得させた。
古泉はいきなり俺は抱きしめる。
「なっ…!」
「会いたかった」
呟くように…安心した声で古泉は言う。懐かしい…この匂いも…。
哀しい。寂しい。すべての感情が溢れ出し、涙もボロボロと出てくる。
「遅くなってすいません」
「ばっか…遅すぎっだよっ!」
ヒック、ヒックと肩を上下に動かしながら、嗚咽のせいで途切れ途切れに言う。
古泉はそんな俺の頭を撫でる。
「久々に会えて最初の質問なんですけど」
「なんだ?」
俺は首を傾げながら聞く。古泉は最高の笑顔になり、
「これから一緒に生きていきませんか?」
と言った。
俺はフッと笑う。
「答え…知ってるだろ?」
「ええ…知ってますよ?」
にこやかにこいつが笑いやがって…。
俺は古泉の頭の後ろに手を回し、唇を重ねて、ゆっくりと離した。
「俺でよければ」
一緒に生きたい。そう言いたかったが、古泉が許してくれなかった。
古泉の唇と俺の唇が重なった。それも俺がやったくっつけてすぐに離すという優しいものではなく、舌を絡め、ゆっくり深いキスをされる。
終わった頃には俺の顎にはどっちの唾液はわからない液体が流れていた。
「貴女にしてもらったのはとても嬉しいのですが…今はまだ僕がリードしていきたいので」
古泉はニッコリと笑う。
リードって…こんくらいいいだろ?
そう思いながら呆れていると古泉は俺の耳元で囁く。
「もう…手放しませんよ?」
ばかだな…こいつ…。
「手放せてやんないよ」
そう言うと古泉は笑った。つられて俺も笑った。
そうだな…まず最初に古泉のコーヒーが飲みたいから頼むかな!
これから起こる事が楽しみで。俺は笑った。