眠り月
ヒーローには少し足りない
古泉一樹という男は、その属性を羅列したら一般的な諸男子にリンチされそうなほど、存在からして嫌味ったらしい男である。
顔はよく、運動神経もよく、成績優秀。
かといって癇に障るようなところもなく、むしろ気が利くし、人当たりもいい。
いつもにこにこ笑っていて、頼まれれば都合が悪くない限り引き受ける。
断るにしても、下手に言い訳などせず、
「すみません、ちょっと都合が…」
と言葉を濁しながら、爽やかな苦笑という一種矛盾してそうなものを見事に浮かべて断るので、かえって潔く見える。
かように、出来すぎる男な訳だが、どうにもならんと呆れるところも多い。
例を挙げていくと、まず、字が汚い。
恐ろしいほどの悪筆で、下手をするとレポートなんかの再提出をくらいそうなほど読み辛い。
慣れれば読めるが、初めて見た時には少しばかり驚かされた。
それから、ボードゲームが好きだという割に、呆れるほど弱い。
勝負運があまりにないのか、目先にとらわれ過ぎるということなのか、どちらにせよ、ちょっとしたマイナスだ。
実生活でもこの調子なら、さぞかし割に合わない目にあっていることだろう。
もう一つ言わせてもらうと、ハルヒ相手ににこやかなイエスマンで通しているところもマイナスだろう。
あまりにへいこらしすぎて、正直気味が悪いくらいだ。
事情を知っているからこそ、さほどでもないものの、それにしたってとあまりの至れり尽くせりっぷりに呆れることもある。
それまで楽しく話していても、更に言えばどれだけ親しくなろうとも、ある一定の領域に話題が入ると、のらりくらりとした態度を貫くというのも少しよろしくない。
そのように、出来すぎでいて、それなりに欠点も持ち合わせている古泉は、つまりは随分と好感の持てる存在なのだろうが、それにくわえてこいつには超能力なんてものもある。
閉鎖空間限定とはいえ、自在に宙を飛び、世界を破壊しようとする化け物を退治するなんて、どこのヒーローだと言ってやりたくなる。
しかしだ。
これだけ人柄としても能力としてもヒーローらしい男は、残念ながらヒーローになるには少しばかり足りない。
なぜなら、ヒーローにはヒロインがつきもののはずだってのに、こいつにはそんな存在がいないからだ。
だが待て、こいつの周辺にはヒロインに相応しい美少女がいるじゃないかという声もあるかもしれない。
ところが、俺が見ている限りでは、彼女たちとの間にそんな雰囲気はまるでない。
誰しも夢中になっても不思議ではないような朝比奈さんに対しての古泉の態度と来たら、実に素っ気無い。
SOS団結成当初には、二人の間には見えない高い塀があり、お互いに相手を監視しつつ、どこか牽制してさえいるような空気すらあった。
最近でこそそれは和らいだものの、相変わらず微妙な空気もある。
ただ、前と比べるとずっと柔軟で、高い塀からちょっとした垣根くらいになっているようにも思える。
駅前に出来た店がどうの、なんて話をしているのを見ると特に、垣根越しに世間話を楽しむ余裕があるように見えてなかなか微笑ましくもなるんだが、それでもやっぱり親しさと言うには少し遠い。
長門に対する態度も、はじめと比べればずっとよくなっただろう。
ただの端末とやらを見るような目ではなく、仲間を見るような目になっているし、長門の変化に気付いて見守っている様子もある。
だがそれでも、古泉にとって長門は、情報統合思念体の手先であるらしい。
そんな狭い了見でどうすると呆れもするが、立場上仕方ない面もあるんだろう。
あるいは、SFなんかが好きそうなロマンチストに見えそうな割に、変なところで頭が硬いのかも知れない。
それならば、長門のことを感情を持った「人間」として見れないだろうから。
そして、そうであれば、長門もヒロインにはなれない。
じゃあ、古泉が甲斐甲斐しく仕えるハルヒはどうかというと、正直、主従にはなってもヒーローとヒロインなんて取り合わせにはならないだろう。
なったとしても、相手はハルヒだ。
古泉の方がヒロインにされちまうに違いない。
それに、古泉がハルヒに対して畏れを抱いているらしいのも、まず確実だ。
古泉はハルヒの力の持つ可能性や破壊面を恐れているし、ハルヒ自身を「神」なんてまるきり本気ではないにしても呼ぶ以上、畏怖してもいるんだろう。
だとしたら、それは恋愛感情にはなり得ない。
いいとこ、敬慕敬愛ってところか。
そんなことはまずないとは思うが、古泉の置かれた状況を考えると、心の奥底でハルヒのことを恨んでいても不思議ではないだろうしな。
そんな調子で身近な女性陣がヒロインになれないのは、おそらく確かなのだが、それ以上に困ったことは、他の女性にもどうやら興味がないらしいということだ。
呆れたことに、古泉の大馬鹿野郎は、こともあろうに、俺なんかを好きでいるらしい。
何を自意識過剰な、と笑う前に聞いてもらいたい。
何も、根拠もなしにこんな馬鹿げたことを言い出したわけじゃないんだ。
例を挙げて言うなら、あいつが俺に向ける表情の違いが分かりやすいだろうか。
基本的に普段はにこやかな表情を崩さない男だが、俺に対してだけはどうも違う。
部室で顔を合わせるのなんてほぼ毎日のことだってのに、それだけで喜色を顔に上らせ、いそいそとボードゲームを取り出しては誘う。
俺が応じればますます嬉しそうにして、そのくせ、それを隠そうとするように抑えるのも面白いし、断ると一瞬あからさまにがっかりするのもどこか子供めいて可愛い。
ただそれだけなら、親しい友人なんてものになれたのかと思って終るところなのだが、それにしてはおかしいのは、古泉が俺に向ける熱っぽい視線と、感情の浮き沈みの激しさを押し隠そうとするところだろう。
俺が気付かないと思っているのか、俺が他所を向いている時などに、あいつはじっと俺を見つめてくる。
じりじりと後頭部が焦げそうな視線に、極稀に聞こえる悩ましいため息。
簡単に喜んだり落ち込んだりしているくせにそれを隠そうとするのを見ていて、俺はなんとなく知ったのだ。
…こいつはどうも俺を好きでいるらしい、と。
だからといって気持ち悪いと思わなかったんだから、美形ってのは本当に得な生き物だ。
それどころか、もしこのヘタレが、本当にヒーローになれるくらいの行動に出られたら、ヒロインになってもいいかなんて思っちまった自分の方がよっぽど気持ち悪い。
俺はそっと嘆息して、目の前の男の指先を目で追った。
また下手な手を打ってやがる。
「お前は本当に上達せんな」
呆れかえって呟いたってのに、古泉の反応はなかった。
「……古泉?」
訝りながら顔を上げると、古泉はなにやらぽかんとして俺を見つめていて、
「古泉」
と再度呼びかけてやっと気付いた様子でびくりと体を震わせた。
「あ…すみません……。なんのお話でしたでしょうか」
「……別に」
また何に見とれてたんだか。
こいつは本当に分からん。
「ただ単に、お前がいつまで経っても上達しないってことに呆れただけだ」
「…すみません」
苦笑混じりに謝ったくせして、こいつはどうやら何か気になることがあるらしい。
気もそぞろにしか見えやしねえ。
「……何か心配事でもあるのか?」
集中出来ないならやめろ、とまで言うつもりはないが、このまま続けても仕方ないだろうと俺はそう声を掛けた。
古泉は困ったように少し眉を寄せておいて、
「あなたこそ」
と小さく呟くように言った。
「俺?」
「先ほどのため息は僕にも聞こえましたよ?」
茶化すように言って、古泉は笑ってみせる。
その目は笑みにはほど遠く、どちらかというと泣きそうに見えるってのに、無理するな。
どうしたものか、としばし考え込んだ俺は、
「…お前が理由を聞きたいなら聞かせてやるが、お前のことだから、どうせ逃げるんだろうしな」
と独り言のように呟いて、もう一つため息を吐き出す。
「僕が逃げ出すようなことを考えておられたんですか?」
それがヒントだと分かっているんだろう。
古泉は不思議そうに首を傾げる。
だが、きっとこいつは気付かない。
俺が古泉の思いに気付いていることにも、行動に移す時を待っていることにも。
俺としても、こいつの立場やなんかを考えると、今はその時じゃないだろうと思うし、何より、これで更に欠点の減ったこいつが本当にヒーローになりでもしたら、余計に劣等感を刺激されるだろうからまだ望ましくない。
だから、と俺は小さく笑い、
「覚悟が出来たら聞いてみろよ」
と挑発的に囁いた。