眠り月

隣りの芝



古泉がやってくる、というのは俺にとっても嬉しいし、楽しいことなのだが、すっかりくたくたになるほど遊んで、おまけに早朝に帰っていくのを見送るために、眠い目を擦って起き出さなければならなくなると、少しばかり恨めしくなったりもする。
見送ってようやく布団に戻ると、寝すぎるくらいよく眠れるくらいには疲れるのだ。
……なんてな。
あいつが来てくれた後の方がよく眠れるのは、眠りが足りない訳じゃないってことくらい、俺だって分かってる。
あいつに会えてうれしくて、あいつの匂いが残る布団にもぐりこんで眠るのが気持ちいいからだ。
という訳で、古泉が帰っちまった後も、ご機嫌で布団に戻るのが常なのだが、今日は頭まで布団にもぐり、深呼吸なんぞをした辺りで、襖ががらりと開いた。
なんだ、と思いながらも睡魔には抗いがたく、布団に隠れたままにしていると、ばさりと布団を剥ぎ取られた。
「何寝てんのよ!」
という言葉と共に、酒の匂い。
というか、ハルヒ、
「目が据わってるぞ…」
「うるっさいわね。いいからさっさと起きなさい!」
「一体なんだってんだ……?」
「いいからほら、そこに座る!」
言われるまま、不承不承座ると、酒の入った銚子を押し付けられた。
「注ぎなさい」
「……は?」
「注げって言ってんのよ」
そう睨まれては、従うほかない。
さっぱり状況が分からないまま、俺はハルヒが手にした盃に酒を注いだ。
半分ほどで止めようと思ったのだが、睨み付けられ、仕方なく八分目まで注ぐ。
だが、それでもハルヒには足りなかったらしい。
「けちけちしないでなみなみと注ぎなさいよね!」
と怒鳴られ、仕方がないので溢れそうなほど注いでやった。
それをぐいっと一息で飲み干し、口から酒臭い息を吐き出す様は、とてもじゃないが当代一の名太夫には見えなかった。
こういう時、こちらから何か聞き出そうとしても無駄だ。
俺だって素直とは言いかねるが、ハルヒは俺以上にひねくれてるからな。
聞き出そうとするほどにむっつりと口をつぐむに決まっている。
だから、大人しくしておいて、勝手にしゃべり出すのを待つに限る。
あまり飲ませすぎるのも心配だったが、ハルヒは俺よりよっぽど酒に強い。
ちょっとやそっとで体を壊すことはないだろう。
そう思いながら、盃を突き出される度機械的に酒を注いでいると、やがてハルヒがその手を止め、ため息を吐いた。
「…あんたの旦那はいいわよね」
「唐突になんだ」
「別に……そう思っただけよ。でも、他の子だって思ってるんじゃないの? まめに会いに来てくれて、手紙もくれて、紋日に駆け付けてくるのを嫌がりもしないでむしろ大喜びで来て、金払いもいいなんて、文句のつけようもないと思うけど」
「そりゃ……またえらく褒めてくれたもんだな」
以前は散々にこき下ろしてくれたくせに。
自分から褒めておいて、ハルヒはすさまじく不機嫌な面だ。
それに引き替え自分のは、とでも言いそうだな。
おそらくは、またあの南蛮商人の若旦那と何かあったんだろう。
ちなみに、去年、わざわざ長崎まで行った若旦那は、年の瀬になってようやく帰ってきてはいたものの、忙しくてしばらく顔を出していなかったはずだ。
ハルヒがいきなりこうなっていることからして、昨日の客は若旦那だったのだろう。
「若旦那は元気だったか?」
半分くらい、かまをかけるくらいのつもりで聞いてみると、ハルヒは盃を叩き割りそうな勢いで放り出した。
「あいつと来たら…!」
苛立ちに満ちた声で、ハルヒは唸る。
「ちょっと合わない間に少しはマシになったかと思ったら、前より酷くなってるわよ! しばらく会えなかったからって恨みつらみを並べるのはあたしの趣味じゃないから、一言もしゃべらずにそっぽ向いてたら、大門が閉まる前に、しょぼくれた顔して帰ったのよあいつ!」
「そりゃまた……」
やりかねんな、あの若旦那なら。
そんなことをすれば余計にハルヒがへそを曲げると言うことを、そろそろ学習してくれないものだろうか。
ハルヒの機嫌を損ねたら、ハルヒの気が済むまで付き合うしかないと思うんだが。
「それで、お前はその後も不機嫌面で仕事してたのか」
「してないわよ」
してないって、おい。
「怠けてたんじゃないわよ。あいつが、一晩分の代金をきちんと置いてったりするから、あたしはあいつが残した分のお酒まで飲んでやったんじゃない!」
そう吠えて、今度は酒を銚子からそのまま飲みやがる。
どうやら、それが一番癇に障ったようだ。
やれやれ、どうやら俺が若旦那にかわってハルヒをなだめるしかないようだと諦めた。
そうしてしばらく、ハルヒに付き合って飲んだ。
正直、さっさと酔いつぶれてくれという気持ちがあったことは隠せない。
その方が静かになってありがたいと思うくらいには、不機嫌なハルヒは厄介なのだ。
分かる分かるとかそうだよななどと無責任な相槌を打っていると、ようやくハルヒが大人しくなってきた。
口から出てくるのも、さっきから聞いたような話の繰り返しだ。
それも力なく、ぼそぼそとしている。
そろそろ静かになってくれるだろうと、油断したのがまずかったんだろうか。
「ちょっとキョン! ちゃんと話聞いてんの!?」
いきなり元気を取り戻したかのようにそう怒鳴ったハルヒが、俺を畳の上に押し倒し、腹の上に乗っかってきやがった。
「ちょっ、おい! こら、重いだろ!」
「失礼なこと言うんじゃないわよ!」
そう膨れるのは勝手だが、お前は自分の着ている衣装の重さを理解しろ。
くそ、着替えてから来いと言うべきだったか。
仕事用の恐ろしいほどの重ね着をしたままで乗っかってくるな。
押しつぶされる。
「大体、最近生意気なのよ。キョンのくせに」
理不尽なことを言いながら、ハルヒは俺の頬を摘まんでむにむにとやったり、耳を引っ張ったりと好き放題だ。
「やめろっつうの!」
なんとか振り払おうと暴れていると、すっと襖が開き、
「すみません、忘れ物をしたのに気付いたので取りに戻ったんですが……」
と言って古泉が顔をだし、心底肝を冷やした。
こいつのことだ、また妙な気のまわし方をして、俺とハルヒが出来てるとかなんとか勘違いしてもおかしくないと慌てる俺に、古泉は小さく苦笑を見せ、
「お邪魔でした?」
「じゃ、邪魔な訳あるか! 古泉、こいつをなんとかしてくれ」
面白がっているとしか思えない笑みを見せた古泉は、ハルヒの手を取ると、
「すみません、彼は僕の大切な人ですので、それ以上の無体はお控え願えますか」
ハルヒは引っ張られるまま、大人しく立ち上がり、古泉をじっと見つめると、
「…旦那様が来たんだったらしょうがないわね。邪魔だと思うから帰るわ」
と言って出て行った。
少なからず足元がふらついているようだが、まあ、大丈夫だろう。
やれやれとため息を吐き、起き上がった俺は、
「すまん、助かった。ありがとな」
古泉はにこやかに、
「いえ、ちょうどよかったみたいで何よりです」
と言いながら、部屋の中を見回した。
あった、と口の中で呟いた古泉が窓際に行き、何かを拾い上げた。
「何を忘れたんだ?」
「根付ですよ」
ほら、と言って古泉が見せたのは、小槌の形をした象牙の根付だった。
「それでは、僕はこれで…」
と言って帰ろうとした古泉の袖を引いて、引き止める。
「どうしました?」
「いや……その、なあ……」
ぐいともう一つ引っ張って古泉を座らせると、俺は正直に疑問を口にした。
「お前、さっき、妬いたりしなかったな」
どうしてだ、と問うと、古泉はなんでもないことのように、
「妬くようなことではなかったんでしょう?」
「ああ、それはそうだが……」
けど、前のお前なら妬いてただろ。
「今は、あなたを信じていますから」
そう言われたのが、好きだとかなんとか言われるよりもよっぽど胸に来た。
「……そうか」
と短く返したのは照れ隠しというよりも、うまく言葉に出来なかったからだ。
体で表そうと、古泉を抱きしめると、
「あ、あの……」
と戸惑う声が上がる。
これだと伝わらないのかと思った俺は、この言葉では足りないと思いつつ、
「嬉しい」
と告げた。
そこまではよかったんだが、
「なんで押し倒すんだばか!」
「あなたが可愛いからいけないんですよ」
堂々とそんなことを言って、古泉が俺の唇をふさぐ。
俺も多少飲んでいたせいで、あまり力が出せず、そのまま古泉の思うようにされちまったのは、本当に不覚だった。