眠り月

酒宴


久方振りに古泉が俺の所に帰ってきたのは、一月も半ばを過ぎた頃だった。その間も手紙のやりとりはしていた訳だが、それにしても会いたいと思う身に半月ばかりの疎遠は辛かった。
まさか飽きられたなんてことは思わなかったし、古泉だって同じ気持ちでいてくれることは、汚いながらも心のこもった文字でつづられた手紙を読めばよく分かった。
会いたい、とは言わずにおいた。
けれど、待っているとは何度も告げた。
たとえ少しの間でも会えるなら会いたいからと、毎日毎晩、見世をしまう時まで待ち続けた。
一日千秋とはまさにこのことだろうというほどに。
だから、本当なら古泉の来訪を手放しで喜びたかったし、実際、最初にその訪いを聞いた時には心の底から嬉しくて、慌てて装いを改めようと思ったくらいだった。
しかし、残念ながら古泉はひとりではなかった。
珍しくも別の客をつれてきていたのだ。
そういうこともないわけではないし、むしろ他の座敷だと、自分の相方の女の子との仲を見せつけたくて、とか、仕事で必要でなんて理由で、他の客を連れてきて遊ぶ人の方が多いくらいだと思う。
それでも、古泉が連れてくると言えば森さんくらいのものであり、それも遊びのためではなく挨拶のためだった。
だから、古泉から急ぎの使いが来て、接待しなきゃならない客がいるから酒宴の用意をして、きれいに装っておくようにと言われた時にはとても驚いた。
用意とは言っても、その手配も古泉はしてくれたようで、俺がすべきことは部屋をきちんと片づけて、自分の身もきれいにしておくことくらいだ。
一体どんな客を連れてくるんだろうかと興味もあったがそれよりも不安も大きい。
これがもし、断れない取引相手だとかで、俺を笑いに来たのだとしたらと思うと胸が痛む。
別に、俺が笑われるくらいならいいが、俺が笑われるということは古泉が笑いものにされるということだ。
そんなのは許せないし、この街で暮らしている人間として、許してはならないとも思う。
もしもにそなえて覚悟を決めつつ、俺が古泉の訪れを待っていると、ようやく見世の前に駕籠がついた。
二つの駕籠からそれぞれ下りてきた両方の人間に見覚えがあった俺は呆然とし、それから頭が痛くなるのを感じた。
「なんであいつが……」
戸惑いながらも席をもう一つ余計に作ろうと座布団を引っ張り出したりしていると、
「入りますよ」
と部屋の外から声を掛けられた。
俺は手早く場を整え、襖の側に座り、
「どうぞ」
と返した。
「失礼しますね」
柔らかな、しかしながら少しばかり緊張した声がしたと思うと、強張った顔をした古泉が入ってきた。
その後ろにはやはり、珍客がいる。
「あんた……」
「よう、久しぶりだな」
眼鏡越しの目が、意地の悪い形に細められ、口はにやりと歪んだ。
目まいがしそうだ。
「なんであんたが……」
「言っただろ。お前の旦那が同席の上で、改めて飲もうってな。……たった半月で忘れたとは言わせねえぞ」
忘れられるはずがない。
「本当に来るとは……」
驚き、それから少し呆れている俺に、古泉は苦笑して、
「本当に、お知り合いだったんですね」
と言う。
「ちょっとな」
とだけ俺は言ったのだが、眼鏡野郎はいけすかない笑みを浮かべたまま、
「だから言っただろう。俺はこいつに袖にされたんだって。…ま、こないだは膝枕だの酌だのしてもらったからいいんだが」
などと言いやがるのでぎくりとした。
びくつきながら古泉を見ると、
「そのようですね?」
と薄い笑みと共に言うってことは、すでに聞いていたということなんだろうか。
それにしても、古泉、目が笑ってないのが相当怖いんだが。
「聞いた話によると、酔っぱらったあなたがこちらの方を僕と見間違えて、無理矢理部屋に連れ込んだ挙句、年末からの不義理を散々に責めながら酒を勧め、ねだられるまま膝枕なんてことまで許したそうですね。……それで、心から笑えるとでも?」
俺はそんなことをやらかしたのか。
全く記憶にない。
「…ほ……本当にそんなことしたのか?」
ひきつりながら問うと、まだ名乗りもしない眼鏡野郎は底意地の悪い笑みと共に、
「見事に忘れちまってんだな。残念だ」
ああ全くだな。
記憶があれば嘘っぱちだと反論も出来ただろうに。
「古泉…、そ、それでお前は……俺に怒ってんのか…?」
「怒ってはいますけど……あなたにではありませんよ」
そう言っておいて、古泉は優しく俺の顎をなぞった。
くすぐったいがほっとした。
こんなことで古泉に嫌われたらどうしようかと本気で心配だったのだ。
しかし、完全に安堵するには古泉の表情が硬く目も冷たい。
「恐れ多いことですけど、そちらの方に殴りかかりたいくらい怒ってますよ」
そう言われた眼鏡野郎は別段気にした風もなく、
「ほう、やる気か?」
なんて言ってるが、
「ここで喧嘩はご法度だ。やりたきゃ余所でやってくれ」
「つれねぇなぁ…。お前のための喧嘩をお前が見てないところでやってどうするんだ?」
そういう勝手な言い草に貸す耳は持たん。
が、あえて言うべきことがあるとすれば、
「俺のための喧嘩なんてされても迷惑だ。それに、喧嘩して勝とうが負けようが、俺は古泉だけのものなんでな」
そう言って俺は立ち上がり、古泉を上座に引っ張り、その隣に座る。
いけ好かない眼鏡は放置だ。
「…会いたかった」
眼鏡に聞かれないよう、小さな声で囁き、古泉の腕に自分の腕を絡める。
古泉は驚いたように目を見開いた後、それからくずぐったくて嬉しくて仕方がないというように顔を崩した。
少なからず間が抜けてはいるものの、嫌いじゃない顔だ。
「僕もです。あなたに会いたくて仕方がなくて……こんな邪魔なものがおまけについてきていても、あなたのところに来るのを止められませんでした」
「来なかったら、許さないところだ」
そう笑って、俺は体を離し、
「まずは一献…どうだ?」
と銚子を手に取る。
「いただきます」
と古泉が取り上げた盃に酒を注ごうとしたところで、
「いちゃつくのは勝手だが、流石に俺を無視ってのはないんじゃねえか?」
と脇から伸びてきた手が、盃を奪った。
「……なんなんだよあんたは」
本気で邪魔なんだが、お引き取り願えないもんだろうかね。
「さて、なんだろうな」
にやっと相変わらず人を食ったような笑みを浮かべたままそうはぐらかそうとするやつに、わざわざ酌をしてやるようなお人好しではない。
勝手に手酌で飲んでろ。
「名前も分からんと、呼びようもないし、苦情の持っていき先も分からないんだが、名前くらい名乗ったらどうだ?」
「そいつはやめといた方がいいだろうな。…お前の好きに呼べ」
「ああ、じゃあ眼鏡って呼んでやる」
嫌なら本名を白状しろ、というつもりで言ったのだが、そいつは相変わらずにやにやと、
「お前に呼ばれるなら、それも悪くないな」
などと言いやがる。
「心配しなくても、お前を呼び出したりするつもりはねえよ」
と顔を背ければ、なお愉快そうに、
「本当につれない奴だな……」
不満を持つのは勝手だが、
「俺は古泉専属なんでな。ちやほやされたいなら他の女の子を呼んでやろうか?」
「いや、構わんさ。お前らのいちゃつきっぷりでも見学させてもらおう」
訳が分からん奴だな。
訳が分からんと言えば、隣にいる古泉がさっきから硬直していることか。
俺は別の銚子に手を伸ばし、新しい盃を古泉に持たせながら、そっと声を掛ける。
「どうした?」
「え……あ…………いえ……」
歯切れが悪いな。
盃に酒を注ぎつつ、
「なあ、もしかして、こいつは本当にお前にとって大事な客なのか?」
「……それは、まあ、そうですけど………」
ふむ、だったら不愛想にもしていられないか。
でも、
「…俺が酌したり、愛想を振りまいたりするのは、お前も嫌だろ?」
と小声で尋ねれば、古泉は困った顔をする。
なんとも答えられない、ということだろうか。
うーん……どうしたものかね。
「俺のことは別に賓客だのなんだのって思わなくっていいぞ。どっかにいる放蕩者が勝手についてきたとでも思っておけ」
「そうは言われてもな……」
それに、
「古泉の得意先にしては、なんか違う気がするんだが、俺の気のせいか?」
「ほう? どういう意味だ?」
面白そうに言って、そいつは酒を飲み干した。
「古泉は小間物問屋だろ。客は女が多いんじゃないか? 支払いは旦那が持つにしても、わざわざ古泉自身が接待するとは思えない。問屋だから、卸先の旦那衆との付き合いはもちろんあるんだろうが、あんたはそういうのとは違うだろ」
「分かるか?」
「俺も客は色々見てるからな」
自分が取ってる客じゃないが、見るだけならそれこそ、職人から武家まであらゆる人間を見ていると言っていいだろう。
「あんたはそのどれとも違う気がする。……強いて言うなら、火付盗賊改め方あたりの若いのと似てるかも知れんな」
色々と隠して、何かを探ろうとしているような、そんな感じがする。
俺が端的にそう述べると、眼鏡野郎はぶはっと盛大に吹き出した。
それこそ腹を抱えて笑って、涙まで見せやがった。
俺の予想はそんなにも的外れだっただろうか。
「いや、いいところだ。だからこそ、おかしくってな。俺もまだまだだ」
くっくっく、とまだ笑いの余韻で喉を震わせながら、そいつは言い、
「古泉、いい嫁だな」
ちびちびと酒を舐めていた古泉だったが、そう言われると一瞬驚きを見せ、それから、
「…あげませんからね」
と言い返した。
少しばかりこいつらしくないような気もしたが、嬉しい。
「欲しがらねえよ。嫁にもらったりしてみろ、うちの嫁さんどもが何をやらかすか……」
「妻帯者なのか」
俺が呟くと、そいつは鷹揚に頷き、
「強い女どもがいるんでな、怖くて家に帰れねえんだ」
嘘吐け。
「嘘じゃない、事実だ。…それで、まあ、あれだ。その嫁さんどもが、古泉の得意先なんだよ」
「はぁ…」
そんな調子でじわじわと場がなごみ、普通に飲み食いを進めたのはよかったし、俺としても古泉の緊張がほぐれてきてよかったのだが、眼鏡が相当の酒飲みだったのと、俺がつい油断して止めなかったせいで、気が付いた時には俺もそこそこ酔っていた。
古泉はまだまだ平気そうに見えたから、大丈夫だろうと高をくくっていたのだ。
で、酔っぱらった男ってのはみんなそうなるものなのかね。
はたまたこの眼鏡の嗜好のせいなのか。
話は、下の方に流れた。