眠り月

微エロ?































































仕事始め


正月二日は仕事始めで、この日からさっそく繰り出してくる連中も多い。しかしながら、商家の旦那や武家となるとまだ正月の行事も多く、ほいほい遊びにも来られなかったりもする。
ことに、上得意なんかだと正月は他所や身内への挨拶やら初詣でやらであれこれ忙しくしているため、なかなか来られなかったりする。
おかげで通りも賑やかなのだがいつもと少しばかり違って見えた。
古泉もおそらくまだ来られないだろうと思っていると、夜遅い、それこそもう門が閉まるぎりぎりじゃないかというような時間にやってきた。
おまけに古泉は一人きりではなく、ひとりの女性を伴っていた。
とは言っても、俺の知らない人じゃない。
「明けましておめでとうございます。本年もどうぞよろしく…」
などという決まり文句の挨拶もそこそこに、俺は女性に向き直り、
「森さん、お久しぶりです」
と頭を下げた。
彼女は前に会った時よりはいくらか華やかな外出着姿で、そうすると更に立派に見えた。
まるで大店のお内儀のようだ。
俺はと言うとまさかやってくると思っていなかったので姿を作ってもいない。
普段着もいいところだが、その普段着も古泉のお陰で上等なものが用意されているのだから、特に見苦しくはないだろうと居直る。
堂々としていれば、少々おかしな格好でも気付かれないものだしな。
そもそも古泉も森さんも俺の服装などにはいい意味で頓着しない。
俺が小汚い格好をしていても眉をひそめることはないだろうという安心感があった。
案の定、森さんはにこやかに、
「はい、お久しぶりです。お元気そうで何よりですね」
「おかげさまで、元気にやってます。……森さんには、本当にお世話になりました」
「そんなことはありません」
と森さんは苦笑する。
「私はなにも。むしろ、余計なことをしてしまったのではありませんか?」
「いえ、森さんのおかげで助かりましたから」
森さんが来てくれなければ、俺を連れ出してくれなければ、俺は古泉への恋心など気付かずにいただろうし、余計に心を乱していただろう。
今のような幸せなど味わえなかった可能性も高い。
「それを言うならこちらこそ、あなたのおかげでよくなりましたよ」
と森さんはちらりと古泉を見た。
「前よりずっと聞き分けがよくなってくれて、助かりました」
「それは何よりです」
と俺も苦笑するしかない。
古泉はというと少しばかり不満そうではあるが、黙っているしかないのだろう。
少し不貞腐れたような顔が子供っぽくて、可愛いなんて思っちまった。
「それで、今日はわざわざ年始の挨拶に?」
俺がそう尋ねると、古泉は少し目をそらして、
「ええ、それもありますが、」
と言葉を途切れさせ、森さんを見た。
森さんはにこにこしながら、俺を見つめ、
「あなたを身請けさせていただけないかと思いまして、そのご相談に」
とあっさり答えた。
「……は?」
驚く俺に、彼女はあくまでにこやかに、
「何かおかしいでしょうか?」
と返す。
「いえ……おかしくはないですけど………」
「では、ご不満でも?」
「不満……というわけでもないです、ね…」
でも、と俺はちらりと古泉を見る。
古泉は困ったような顔をしているが、この様子からして止められないと思っているのだろう。
やれやれ、と小さくため息を吐きながら、事情を説明するべく、森さんに向き直る。
「まず、身請けということですが、森さんもご存知の通り、俺は他の女の子とは違って、見世に借金がある訳ではありません。だから、身請けということにはならないんです。俺を連れ出したいということなら、俺に見世での奉公を辞めろということになります」
「そうなんですか」
感心したように呟いた森さんに俺は軽く頷いて、
「だから、やろうと思えばいつでも、大して金もかけずにやれることはやれるんです。でも、」
と俺は少し言葉を詰まらせたが、小さな声で答える。
「俺はまだ、ここを出て行くことは出来ません」
「……どうしてですか?」
首を傾げながら問う森さんに、俺は苦笑を返す。
「別に、妾としてそちらの家に入るということが嫌というわけじゃないんです。でも、それをするとそちらの評判に傷がつくかも知れませんし、何よりも、古泉は家ではくつろげないから、くつろげる場所が必要なんです。俺はその場所でありたいと思っているんですよ。…だから、ここで古泉を待ちたいんです」
毎日一緒にいられたなら、それは勿論幸せだと思う。
一緒に暮らせたら、と思いもする。
でも、まだその時期じゃない。
「俺が家に入って、それで古泉が家でも落ち着けるならいいですけど。……まだ無理だろう?」
と古泉に尋ねると、古泉は苦い笑いと共に頷いた。
「…ええ、あなたが来てくださったら少しは変わるかとも思いますけど……ね」
「お前が断言出来ないってことは、相当難しいってことだろ」
と俺は笑う。
「ですから、俺はそちらの家に入れません」
森さんはそれでも、
「では、店の近くにでも別宅を用意するというのはいかがです?」
と食い下がられたが、
「それでは俺が困りますし、寂しいですから」
と断らせてもらう。
「俺はこんなところで生まれ育ったものですから、賑やかで知合いばかりのこの街しか知りません。こんな特別な街しか知らない俺が、いきなりここを出て、ひとりで暮らすのは難しいでしょう。寂しくなるでしょうし、暮らしていくことにも苦労すると思うんです」
俺はそっと頭を下げ、
「古泉に浪費させ、散財させるのは心苦しいのですが、当分はこのままでいさせてください」
と森さんに頼んだ。
古泉は一応店の主人とはいえ、森さんに随分と制御されていることは分かっている。
だからこそ、この人には味方でいてほしくて、頭を下げた。
森さんは少し意地悪く、
「…あなたがいないことで、古泉に縁談が持ち上がるかも知れませんよ?」
「承知の上です」
それどころか、古泉が嫁をもらうということも覚悟している。
たとえ状況のせいでそうなったとしても、古泉は俺を大事にしてくれると信じている。
「心配しなくても、」
と古泉は柔らかな目で俺を見つめてくれる。
「今後、どのようないいお話でも、僕は断りますよ。たとえ相手がどんな大店のお嬢さんだろうと、将軍家の姫君でも、ね」
冗談めかした言葉だけれど、本気だと分かる。
俺はそっと古泉を見つめ返し、
「…ありがとな」
と小さく礼を言う。
森さんは呆れたような、でも柔らかな笑みを含んだため息を吐き、
「古泉をあなたのところへ婿入りさせたとでも思えばいいんですね」
古泉は笑顔で頷き、
「そうですね、そう思ってください。…いつかは、きちんと用意を整えて、この人を迎えに来るつもりですが、今はまだ」
それから少しの酒を飲み、食事をし、森さんは他所に宿を取っているとかで帰ってしまった。
古泉は当然残っているのだが、俺が森さんを階段まで見送りに行って戻ると、酒でほんのりと頬を赤くした古泉が俺を招き寄せた。
「もう寝るか?」
「まだ…」
子供のような甘えた声で言いながら、古泉は俺を抱き締める。
ふわりと甘い酒の匂いがする。
「……あなたのおかげで、誤解が解けました」
酔っているにしてははっきりした声で古泉は言った。
「誤解?」
「ええ。……僕は、森さんが本当に僕のことを案じてくれているなんて思ってもみなかったんです。あの人はてっきり、義務感で僕の面倒を見ていて、本当は僕のことなんてどうでもいいんだろうとか、あるいは僕をうまくいなして、店を自分のものにしようとしているとでも思っていましたから」
「それはまた凄いな」
確かに、森さんならそれくらいのことは簡単に出来そうだが、
「あんなにお前のことを心配してくれてたのに」
「全然気付きませんでした。……あなたのおかげで、ようやく分かりました」
そう嬉しそうに笑った古泉は、
「相変わらず、とても厳しいですけどね」
と付け加える。
それさえ、本当に嫌という風には見えない。
俺はそれを少なからず嬉しく思いながら、少しばかり面白くないとも思う。
俺はそろりと手を伸ばし、古泉の肩から首筋に滑らせる。
軽く耳を手挟んで、こしょこしょとくすぐるように撫でて、古泉の瞳に潜む熱を煽る。
「あんまり仲がよくても妬けるぞ?」
吐息を多めに含んだ声で囁いて、古泉の唇に触れるだけの口付けをしてやった。
古泉は嬉しそうに目を細めて、俺の体をきつく抱き締める。
重ねた唇を舐められ、くすぐったさに身を捩っても逃がしてはもらえない。
逃がしてほしいわけじゃないが、きつい拘束すら気持ちよくてくすぐったくてぞくぞくした。
「あ…っ、ん、ふ…、ぅ……」
甘えた声を上げて古泉を抱き締め返す。
「ふぁ…あっ……ん、古泉…して……」
「言われるまでもありませんよ。…ここしばらく忙しくて、まるであなたに会えませんでしたからね」
「ん……、寂しかった…」
正直にそう言えば、いっそう口付けは深くなる。
「本当は、まだしばらく来られないはずだったんです。でも、森さんがあなたに挨拶をすると言い出してくれて、会いにこれました」
「じゃあ…また当分は会えないのか?」
返事は沈黙と口付けだった。
つまりはそういうことなのだろう。
俺は古泉の頭をかき抱き、
「だったら……その分も…な」
と囁いて、古泉を抱くようにして引き倒した。