色恋月・1月/想紅(おもいくれない)
雪の中で凛として咲く寒椿の深い紅




 広すぎる。



 最近俺はよく、こんなことを思う。

 蛇をたった一言、「too long」即ち「長すぎる」と定義したのは、ルナールの『博物誌』だったか。

 なんつうか、確かにあれだ。

 ……うん、長すぎだな。




 当たり前のようにそこらに転がってるもの。ごくごく普通に見える風景。

 そんなものでも、ちょっと目を凝らしてみれば、新たな発見とか、新鮮な驚きとか、得られるもんはクサる程ある。



 そうさ。最近、俺は思う。

 ――世界ってやつは、広すぎだ。



 例えばこうして歩いている俺を、デパートの屋上から見下ろす人は「ちっぽけだ」とか抜かすだろう。

 ヘリに乗って見下ろす奴は、「アリのようだ」と言うかもしれない。

 飛行機からなら……はん。もはやその目にゃ、地上の人間なんか映らないだろうな。

 「俺はここだ」といくら叫んでもよ。

 だだっぴろい世界の、何十億人という人間の、たかだか一人に過ぎない俺は、あんまりにもちっちぇ。

 「己の矮小さにやっと気付いたか」と、あいつならどこか悪戯っぽく瞳をキラめかせて、言うのだろうか。



                           〜〜〜っ、……言われてぇ。






 同じ星の上で呼吸をしているとは思えんほど、俺からあいつまでの距離は遥かに遠い。

 この広い広い世界に於いて、人と人との間を繋ぎ止めるものは、絆、に他ならないんだけど。(恋愛ドラマの見すぎだ、とか言うなよ?)

 俺達の間に、何の絆があるだろう。

 あいつは俺を、どう思っているのだろう。

 知人?仲間?――恋人?

 知人と言うほど遠くはない。だが、仲間なら他にもいるだろう。

 んでもって。

 ただ温もりを与えるだけの人間が、果たして恋人であると言えんのか。

 抱きしめて、ただあいつの孤独を紛らわすことの出来る奴なら、俺じゃなくてもいいはずだ。

 そのことにあいつが気付いてしまった瞬間から、二人を結び付けるものは何も無くなる。俺達の絆は、いとも容易くプツリと切れてしまうだろう。

 いや、こうしている今だって、そうでないという保証はどこにも無かった。




 絆が消滅しちまえば、恋人も、親友も、家族だってただの他人だ。

 だったらそれが切れねえように、努力しろよと言われちまいそうだが、一体俺に、何が出来る。




 うわべだけは大人びてやがるのに、中身は一向にガキのまんまのあいつを――抱け、とでも言うのか。

 それが俺に出来るなら、苦労は要らない。俺は俺のやりたいようにするだけだ。


 けど。


 本当は見たくもない悪夢を、自らの憎しみを奮い立たせるだけのために、「見つめ続ける」あいつ。

 凄惨な一日を、大切な者達の死に様を、その時の自身の体の震えを、敢えて、強いて、脳裏に浮かび上がらせては「体感」しているあいつ。

 「思い出す」なんて生易しいもんじゃない。

 いつかあいつ自身が言ってたように、確かにクラピカの時間は止まっている。 いや……違うな。

 時の流れに必死に抗っている、と言ったほうが近いだろう。

 女としての生理現象も、もしかしたらあいつには無いんじゃないだろうか。



 つまるところ、俺は――



 俺の腕の中で、信頼しきった瞳で見上げてくる一人の子どもの、あのはにかむような微笑みを、失ってしまいたくはないんだ。

















想紅















「れ、連絡ぐらいしろよ!そしたら迎えに行ってやれたのに……っ」

 俺はきっと、ヘンな顔をしていたと思う。

 クラピカの髪にもコートにも、うっすら雪が降り積もり、露の如くきらと光っていた。

「すまない。急に休みが取れたものだから……まあ、多少は驚かせようという算段があったことは認めるが――迷惑、だったか?」

「ちげーよ、びっくりするだろっ!」

「それなら、成功というわけだ」

 そう言って彼女は、悪気の無い笑顔をにこりと俺に向けた。

 か、可愛い……っ///////

 イヤイヤイヤ。落ち着け、俺。

 デレついているバヤイではないのだよ!

 お嬢ちゃん。一人暮らしの男の部屋には、色々と異性やお子様には見られたくないブツが散らばっているものだから、

来るなら来ると、ちゃんと事前連絡しましょうぜっ?!

 俺はクラピカを中に引き入れたが、玄関内で制止した。

「ちょっと待っとけ。部屋、片付けてくるから!」

「構わないぞ。レオリオの部屋が散らかっていることくらい、予想済みだ」

「ダメだ!ぜってーダメ!」

 慌てて駆け出した俺の後ろで、彼女がどんな表情をしているのか、俺は想像すらしなかった。



「勉強はどうだ。はかどっているか?」

 クラピカはタオルで髪を拭きながら、ソファにちょこん、と腰掛けて、やぶからぼうにそんなことを聞いてきた。

「ぼちぼちな。それよりよ、寒かっただろ。――コーヒーと紅茶、どっちがいい?」

「……紅茶、かな」

 俺はうきうきと、彼女のカップを選んでやる。

 昔、クリスマス・パーティーのプレゼント交換で引き当てちまった、可愛らしいのを思い出した。

 紅色の花をかたどったそれは、陶器であるとは思われぬほど、ふんわりと優しく弁をほころばせている。受け皿は葉の形だ。なかなか洒落ている。

 とはいえ、男の俺が使うわけにもゆかず、これまでしまい込んでたけど、彼女のために出してやるならあのカップも浮かばれるってなもんだ。

「ほら」

「……すまない」

 いつもそうだ。

 こいつは「ありがとう」の代わりに「すまない」と言う。

 そんな言葉が聞きたいんじゃねえのに、まるで分かっちゃいない。

 けど、本心からでない礼を言われるとしたなら、俺はきっと、もっと辛い。だから咎めない。

「……」

 クラピカは神妙な面持ちで、一口一口、噛み締めるかのように紅茶をすすっていた。

「あれ、砂糖入れねえの?」

「入れた方がいいのか?」

「好みによるけど」

「なら、いい」

 どうしたことだろう。

 クラピカがどこか拗ねているように見えるのは、俺の気のせいだろうか。

 俯いた彼女の白い頬に、金糸のような髪の毛が一筋はらりと落ちた。

 大きな瞳は伏し目がちに、少し揺らいでいるように見える。

「……クラピカ?」

 近付いて、そっと顔を覗き込む。

 彼女はしばらくカップを見詰めていたが、やがてそろり、そろりと俺の目線に瞼を持ち上げた。

 衝突する視線。その瞬間。

 雪の上にぽん、と花弁が弾けるように、彼女の頬がみるみる赤く染まってゆくのを俺は見た。

 両手で支えるティーカップの中身は、やはり微弱に揺れている。

 それが無性に愛しくなって、その白い手をカップごと、俺は両手で包み込んだ。

 そのまま抱きしめてしまいたい衝動に駆られて、更に手を伸ばそうとした俺に――クラピカは身を固くした。

「そろそろおいとまする」

「は――?」

 ちょっと待て。

 この状況で、何でそうなる?

「何だよ、今日は休みのはずだろ?」

「そ、それはそうなのだが……」

 嘘の苦手なクラピカは、「急用が出来た」なんてごまかしひとつ、言ってくれやしない。

 何を考えているんだ、こいつは。

 こんな別れ方で、どんなツラしてこれから俺は、お前と会うことが出来るもんか。

 身の危険を感じたんだか、俺が信用できなくなったのかは知らねえが(いや、どっちも同じことだが)、俺はお前に、拒絶されたんだぞ。

 俺の温もりなんぞ、もう不要なのだと。





「クラピカ……っ」




 絆が無ければただの他人。

 絶対嫌だ、そんなのは。

 証が欲しい。

 俺達の関係を確かなものへと押し上げる、俺たちの証が。

 紅茶がこぼれるのも構わない。俺はクラピカを思い切り抱きしめた。

 自然、彼女はソファに押し倒される格好となって、俺の胸の下で苦しそうにもがく。

「れ、レオリオ……っ」



 抱きしめる。

 髪に指を絡ませて、頭を撫でる。

 背中に腕を回して、さすってやる。

 そうして、俺は……




 考えてしまうのだ。

 俺に一体、何が出来る。

 出来るのはただ、ひとつだけ。また、いつものように、俺は彼女を抱きしめるだけ。



「レオリオ――」

「ん?」

「何か、私に隠し事をしていないか」

 俺の腕の中から、クラピカはうんしょと顔を持ち上げた。

「あの場所が、大変気になるのだが……」

 クラピカの視線は、禁断のHゾーンに向けられているようだった。

 ……う゛。

 あの押入れは、大変マズイ。

 だから女子供にゃあ見せられねえブツが、色々詰まってるんだって。頼むから、ほっといてくれよ(切実)。

「べ、別に、特に何もないけど?」

「本当か?」

 クラピカは頭をやや傾けた。

 首元に動く髪の毛が、ちょっとこそばゆい。

「邪魔をするつもりはない。だから、帰ろうと思ったのだが」

「邪魔……って。何のだよ」

「……」

 クラピカは困ったように頭を振った。……だから、くすぐったいっての。

「つ、つまり、その……お楽しみ、の最中に」

「……は?!」

 一体どこでーーっ!! そ、そんな俗っぽい言い回しを覚えてきちゃったんですか、クラピカさん?!

 ――ってか、何、俺。疑われちゃってんの?



「だから!その、何ていうか、私が来たからと言って押入れなぞに女性を押し込んでおくのは、可愛そうだと思うのだが!」

「何言ってんの、お前……熱でもあるん?」

「ば、馬鹿にするな!私は至って正常なのだよ!」

 クラピカは、床に転がったティーカップを、左手でぴっと指し示した。

「だいたい何だ。あのカップが、お前の趣味か?女性が持って来たものだと考えるのが普通だろう。

マイカップを持ち込むほどの女性なら、当然こちらで寝泊りしていることにな……なっ、何が可笑しい!」

 たまらず吹き出した俺に、彼女はむくれた。

 いいさ。好きなだけ、むくれろ。

 そんなお前が愛しいんだ。

 事情を説明してやっても、今度は照れ隠しなのか何なのか、相変わらずふくれている。

 そのくせ、俺のシャツを握るその手には、きゅっと力が入ってて、なかなか離してくれそうもない。

 ま、俺の方も離す気はないから、大歓迎なワケだが。



「レオリオ」

 やがて――

 気持ちが落ち着いたのか、彼女は小さく呟いた。

「私は、咎めないよ」

 何を咎めないのか、と聞こうとして、口をつぐむ。

 分かっているのだ、彼女は。

 俺達の関係が、恋人同士としては決定的に、何かが欠けていることに。

 キスをして、本能の赴くままに、互いを求め合って。

 そんな当たり前のことを、俺達は何ひとつしていない。

 そのことに、負い目を感じているんだよな。

 男の欲望を満たしてくれる女性を、自分の代わりに置いてもいいよと、そう言っているんだよな。




 でもな、クラピカ。




 「咎めない」

 その言葉の本当の意味を、俺は知っているんだぞ。

 本当はさ、咎めたくて咎めたくて、仕方がないんだ。

 俺だって、お前が申し訳なさそうに眉を寄せるのを、礼の代わりの「すまない」の一言を、やめさせたくて仕方がない。

 けど、それを禁じないのは、狂おしいほどにお前が好きだからだ。

 お前を、想っているからだ。

 だから……




「安心しろよ、クラピカ。俺、見つけちった」

「……何を?」

 彼女の瞳からは、いつしか涙が溢れ出ていた。

 濡れた頬をそっと手の平に包み込むと、彼女は驚いたように目を見張って――それから咲きかけの花が徐々にほころんでゆくように、小さく微笑した。

 互いを想う、この気持ち。

 そして、そんな気持ちから発せられた、俺たちの言葉、そのひとつひとつが。




 証でなくて、何だろう。

 絆と言わずして、何と呼べるだろう。

 そうして今もまた、俺を想って流してくれたその涙の痕跡に、俺は。








 ちっぽけなキスを送って、また新たな絆の糸を、ひとつひとつ、紡ぎ出してゆくのだ。







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「色恋月」は、新潟県十日町の織物工業組合が日本の伝統色から選んだ月毎の「誕生色」をタイトルにしたシリーズでした。
色の名が持つ雰囲気と、作品のまとう空気がぴったりのすてきな連作でした。

クラピカの、レオリオの、一挙手一投足がもう可愛くて可愛くて目に映るようで、たまらずうふうふしてしまう、はずせない1作なのです。
ありがとうございました。

061105