色恋月・9月/恋路十六夜(こいじいざよい)
天に月冴えるころの夜空がたたえる深い紺





「おのが身はこの国の人にもあらず。月の都の人なり」

 一瞬何を言ったのかと思った。

 不審に思ってクラピカを見ると、やつは至って冷静沈着とした瞳で俺を見つめ返してきた。



 それは、月輪鮮やかな晩のこと。









恋路十六夜









「『竹取物語』の一節だ。月を見ていて思い出した」

「なんじゃそりゃ」

「異国の古典文学なのだよ。知らなくても無理はない。

満月と聞いてレオリオが思い浮かべるとしたら……まあ

オオカミ男くらいが関の山だろうから」

 ふう、と大仰に溜め息をついて見せたクラピカの頭を、俺はこつりと小突いてやった。

「何をする!」

 思わず口元が緩んだ。

 いつもの反応が何だか嬉しくなって、俺は内心ほっとため息。

「……何を、笑っている?」

 訝しげに眉を寄せるクラピカ。

「いンや」




 首を傾げる彼女をよそに、俺は大きく伸びをした。

「で、月の都がどうしたって?」

「え?…ああ。十五夜の月の晩、かぐや姫を迎えに月から使者がやってくるんだ。

彼女を愛する帝は、二千の兵を用意して使者を追い返そうとするのだが、

やってきた使者を目にした途端、月の都人の霊験なのか、誰もが戦意喪失した」

「つまり失敗に終わったわけだな」

「その通りだ」

 月が雲に蔭って、彼女の横顔を暗くした。

 しかしそれも一瞬のこと。



 人気のなさに、沈黙までもがしっとりと夜露に濡れて、俺達の周りを包んでいた。

 ただ二人で空を見ながら、月影を辿るようにゆるりと歩む。



 ふいに彼女はつと立ち止まった。

 月映えのする白い肌を、心持ち薄く別の色に染め上げてから、クラピカはもの問いたげな瞳を俺に向けてきた。

「どうした?」

「……いや、何でもないのだよ」

 言いにくそうに、ばつが悪そうに唇を噛み締めて、クラピカはふいと背を向ける。

 脳裏に閃くものがあった。

「バカだよなぁ、その帝ってやつも。俺ならさ」

「……お前なら?」

 よっしゃ、正解。

 俺はちょっと得意になって答える。

「使者になんか会わねぇ。

腕ずくでも姫を抱きかかえて逃げて遠いところに行って誰にも見つからないところに閉じ込めちまうよ」

 一息にこれだけ言ってのけた俺に、クラピカはちょっと目を見張った。

「それは……乱暴なことだ。本気で言ってるか?」

「お前、俺を何だと思ってんだ。さっきお前も言ったじゃねーか」

「……?」




「オオカミオトコ」




「……」


 ぷっと吹き出し、それから彼女は相好を崩して高く笑った。

 ご丁寧なことに、瞳に涙まで滲ませている。

「そ、それは気をつけねばならんな。捕食されるのは御遠慮願いたい」

 ハッキリ言ってくれる。それがちょいと恨めしい。



 そんなわけで、俺はむくれていたのかもしれない。

 クラピカはふいに笑いを収めて、小首を傾げて俺を見た。

「駄目だな、今日は満月じゃない」

「……へ?どう見たって満月じゃねーか」

「正確に言うと違うんだ。それは昨日で、きょうは十六夜」

「……イザヨイ?」

 どこの国の言葉だか、耳慣れない響きではあったが、不思議と耳に心地よい。

「そう。だからレオリオは狼にはなれないし、月からの使者も帰ってしまったことだろうな。

お前にさらってもらうことも出来ないのは残念だが」

 そう言ってクラピカは最高に愛らしくにこりと笑った。

 からかい半分だろう、なんて思いつつも赤くなる。

 なんつー嬉しいことを言ってくれるんだこいつは。

 そう思った時にはもう、俺の体はクラピカを抱きしめている。

「さらってもらいたい?」

 勝手に口をついて出るキザな台詞。

 呆れられるかと思ったが、クラピカはぴくりと肌を震わせた。

「……駄目だ、逃げるわけにはいかない。私にはまだ…」

「だよな、分かってる」

「………」

 沈黙のうちに、クラピカの鼓動が耳に聞こえてくる気がした。

 いつにも増して強く切なげに。

 どうしちまったんだろう、俺もクラピカも。

 暗がりの中、俺は俺自身の理性とは遠く離れたところで、勝手にまた言葉を紡ぎ出している。

「……クラピカ、最近ずっと俺を避けてたろう」

「そ、んなことは」

 言いながら、クラピカはおずおずと俺の背に手を回してきた。

「……少しは、ある、が……」

「認めたな」

「別にお前を嫌ってのことじゃ……、っ」

 髪に唇を寄せたら、クラピカの身の震えがひどくなった。

 何だかそれが、心にぽっかりと穴が開いたような、ひどく寂しいものに思える。

 いつでも安らぎを提供してやれるという、クラピカの寄る辺、拠り所としての俺の自負が、崩れてゆくような気さえする。


 けれど同時に、湧き上がってくる抑えようもない感情もある。

 それは陰極よりも陽極に、消極よりも積極に属する類の情だった。

 まあ回りくどく言うことじゃない。

 つまりはただ単純に。



 キスしたい。



 いつものように腕の力を込めてみても、その背をさすってみても、クラピカの震えは止まらない。

 どうしようかと思いためらいながらも、もはや俺の中で答えはひとつっきゃないのだった。

 幼い頃、母のくれたひとつのキスが俺に穏やかな眠りを授けてくれたことを思いながら、

きっと大丈夫、上手くいくと自分を励まして、同時に自らの性欲的な情動を否定する。

 俺の欲にまみれた行為でクラピカを汚すのは、どうにも忍びなかった。

 行動を起こすためには彼女の同意と、それを促すに足る誠意に見合うだけの理性が要る。

 おいおい、恋愛ってこんなに面倒だっけ?

 なんつって自嘲気味に苦笑してみるものの、クラピカとならこんなのも悪くはないと思えるから。



「姫君。接吻をお許し下さいますか」

 声が上ずらないように、なるたけ気を配りながら、出来るだけ明るくおどけて言った。言っちまった。

 そのことだけで舞い上がり、俺の心臓は飛び出しそうな勢いで高鳴っていた――




 ……んだが。




 返答を待つも、あろうことにクラピカときたら。

 俺の腕の中で、かちりと凍りついたみたいに固まっちまいやがった。

 揺さぶって反応をうかがっても、顔色を覗き込んでも……

 だめだ、ピクリともしねぇ。

 茫然自失ってやつかこれ。



「………は、はは…」



 ま、まぁあれだよな。

 一応震えは止まったわけだし――これはこれで、うん……。



 ってそんなのアリかよ〜〜〜〜っ!!!!!



 ここまで来て!

 ここまで一方的に可愛さを見せ付けられて!!

 俺はこいつに手を出すことが出来ないなんて!!!

 ……出来ないでいられるなんて。俺の健気も度が過ぎやしませんか(涙)

 一体どうすりゃいいんだっての。

 ぜってー体によくねーよ……。いいかげん不健康だよこんな状況。

 クラピカには(多分)そんなつもりはないんだろーけど、俺はどうも試されてる気がしてきたぞ。

 『私を望むなら耐えてみせろ』なんつって……





 はあ。





 かぐや姫の無理難題におあずけ喰らうなんざ、オオカミ男失格だって?


   ……何とでも言え。









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キスされて殴るのはクラピカの定番。
うちのクラピカは、キスされるとかたまる。
こちらのクラピカは、キスされる前にかたまる・・・やられました。
レオリオが哀れで可愛くて、でも耐える君がだいすきでした。
それにつけても、葦原さんのえがく「そのさきのレオクラ」はどのようだったのか。

ありがとうございました。

061105