森に還った街 ~別子銅山 東平

別子銅山は1690年(元禄3年)に発見され、翌年から1973年(昭和48年)まで約280年間に70万トンもの銅をを産出した銅山です。
東平は、採鉱課事務所、病院、学校(小・中学校、保育所)、接待館、策道、電車駅、選鉱場、神社、寺、販売所、娯楽場、社宅などがあったそうで、今じゃ考えられないくらいたくさんの人がいたそうです。


ほんとはきれいな景色が見えるはずですが、かなりガスってます


駐車場に車を置き、ちょっと歩くと見えてきました。なるほど、すごいです。

石を隙間なく積み重ねてまるでお城の石垣みたいです

写真では分かりませんが、実際に見るとかなりの大きさです。


風化が始まってかなりぼろぼろに・・・


なるほど!


いったい中はどうなってるんだろう?


山深いところにあるのでかなり違和感を感じます


結構駐車場から下りてきました。


ここから今のマイントピア別子があるところまで索道があったって信じられません

しっかりボルトがしまってるようです。


100年後はどうなってるんだろう?


相当賑わっていたのでしょう。今は誰もいませんが・・・

結構せまいです


ここでいろんな会話が交わされ、いろんな料理が作られたんでしょう。

崩壊してます


さっきまで景色が見えてましたが、あっという間に視界が悪くなりました

駐車場に戻るために階段を利用しました


結構疲れます


銅山の発展は日本の近代化にとても寄与したのはいうまでもありませんが、同時に自然に影響を与えていたことも事実です。今では多くの人の努力で元の山に戻りつつあります。
県道からの道がかなりの狭路なので気楽にはなかなか来れませんが、なかなかお勧めの場所です。資料館の展示に故障中が多かったのが気になりますが・・・

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