ペリリュー島の案内
ペリリュー島は島内の大半数が亜熱帯樹林に覆われ、白浜のビーチが点在する人口約700名、南北9キロ・東西3キロの小さな島です。島の南西部にある米軍の上陸したビーチは、今でも「オレンジ・ビーチ」と呼ばれています。 |
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日本軍大砲 日本海軍の20センチ砲。中山東側の丘に掘られた洞窟に設置されている。 中山付近で戦闘をしていたペリリュー戦の生還者によれば、この大砲は砲口が、米軍上陸地点とは反対の東側を向いていたため、一発も撃つ機会が無かったという。 |
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米軍LVT-A1 (Landing Vehicle Tracked-A1:水陸両用装軌車両、または水陸両用戦車) 日本軍の大砲がある洞窟の手前にある。 上陸作戦の第一波用近接支援型で、M5Aスチュワート軽戦車の砲塔(37mm戦車砲と7.62mm機銃が同軸装備)を搭載し、上陸作戦に威力を発揮した。 |
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米軍LVT-A4 (Landing Vehicle Tracked-A4:水陸両用装軌車両、または水陸両用戦車) 飛行場北部に、LVT4と並んである。 上陸作戦の第一波用近接支援型で、砲塔には、LVT-A1より火力を強化した75mm榴弾砲が搭載され、12.7mm機銃を砲塔後部に搭載した。 この車両は、近接打撃力に優れていたが、砲塔の上部装甲が無く、接近戦での乗員死傷率が高い欠点もあった。 |
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ブラディ・ノーズリッジ・モニュメント ペリリュー島で一番高い地点の大山山頂に、米陸軍第81歩兵師団第323連隊の記念碑が、作られている。 モニュメントには、「LEST WE FORGET THOSE WHO DIED 323 INFANTRY US ARMY 1944」 ここに死せる人々の追憶のために・・・・米陸軍第323歩兵連隊1944年と記されている。 |
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日本軍司令部跡 飛行場の西側に位置する。鉄筋コンクリート製だが米軍の砲爆撃による破壊の跡が随所に見られる。 昭和22年4月22日に投降した日本兵34名の降伏式典は、この日本軍司令部の2階へと続く階段の手前の部屋で実施された。 |
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米軍M4A1 シャーマン中戦車 75mm戦車砲と7.62mm機銃(同軸装備)を砲塔に搭載し、車体前面にも、7.62mm機銃を搭載している。 この戦車は、10月18日に天山付近で日本軍の急造地雷によって破壊された。 地雷は、航空機用爆弾を利用したもので、有線による電気発火式の地雷であった。 |
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日本軍95式軽戦車 飛行場とホワイトビーチの間の道路上にある。 94式37mm戦車砲と砲塔後部に7.7mm機銃を搭載し、車体前面にも7.7mm機銃を搭載している。 装甲が6~12mmと薄く、防御的に問題があった。 ペリリュー島には、第十四師団戦車隊の17台が配属されており、米軍上陸の9月15日夕刻時の日本軍反撃時に破壊された中の1台である。砲塔は失われている。 |
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ホワイトビーチ このビーチのイシマツ、イワマツ陣地には、水戸歩兵第二聯隊第2大隊の第4中隊とその予備隊である第5中隊が後方で防御を固めていた。 写真奥のとび出た岬が北側のイシマツ陣地であり、米軍は、「THE POINT」と呼んでいた。 米軍は、このビーチの左翼(イシマツ陣地)をホワイト1、右翼(イワマツ陣地)をホワイト2と名付け、米海兵第1連隊が上陸作戦を敢行した。 |
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オレンジビーチ このビーチの北側のクロマツ陣地までが、水戸歩兵第二聯隊第2大隊第4中隊の守備範囲であり、南側のアヤメ、レンゲ陣地は、高崎歩兵第十五聯隊第3大隊第8、第9中隊が防御を固めていた。 米軍は、このビーチの左翼(クロマツ陣地)から右翼(レンゲ陣地)にかけて、オレンジ1、オレンジ2、オレンジ3と名付け、米海兵隊第5、第7連隊が上陸作戦を敢行した。 |
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ゼロ戦 ペリリュー島南端の港キャンプベックドックの近くの道路沿いにある。 |
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ペリリューコーナー ペリリュー島付近には、パラオでも屈指のダイビングポイントがある。 写真は、ペリリュー平和記念公園の南に位置するペリリューコーナーでのロウニンアジの群れ。 このポイントは、潮流が速く、複雑に流れる場合があり、上級者ポイントとして知られている。 日本からだけでなく、欧米からも多くのダイバーが訪れる。 (写真提供:ダイバー廣谷氏) |