パラオの歴史

 パラオ共和国(ベラウ共和国)は、南北約40キロにわたり586もの島が散在しています。これら多数の島のうち、人が住んでいるには9島のみで残りの大多数は無人島です。いわゆるパラオ諸島と呼ばれる主要部はバベルダオブ島から首都のあるコロール島、ロック・アイランドを経てペリリュー島、アンガウル島、南西諸島辺りまでです。

 パラオ人の起源については、紀元前2500年頃にインドネシア方面から渡来してきたモンゴロイドが祖先だとの説が有力です。1579年にイギリス人ドレイクがパラオに現れ、交易を行ったのが西洋人との接触の初めでした。1783年に座礁した英国船アンテロープ号をコロールの大酋長らが救助したことから本格的な西洋人との交渉が始まりました。以後ヨーロッパ人たちが交易活動に来訪するようになりました。

 19世紀後半の西欧列強による太平洋諸島分割のなかで、ミクロネシア地域は独英西が支配権を争いましたが、パラオは1885年にローマ教皇の裁定でスペインの植民地とされました。パラオにおけるスペインの植民地統治は、宣教団を送るなど限られたものに留まりました。1898年、米西戦争に敗れたスペインは太平洋からの撤退を決意、翌年にパラオはドイツに「売却」されました。ドイツはパラオを含むミクロネシア地域での経済活動に高い関心を示していたので、交易と開発に重点を置きました。パラオでは1909年にアンガウル島でのリン鉱石採掘が開始され、これは後に日本統治時代を通じてパラオの主要産品となりました。 

 1914年、日本は第一次大戦に参戦、パラオを含むミクロネシアのドイツ領を占領し、これらの地域は戦後に国際連盟によって日本の委任統治領となりました。日本の統治の特色は、移民による殖産興業と地元住民の教育でした。特にパラオには南洋群島全体(現在の北マリアナ諸島、パラオ、ミクロネシア連邦及びマーシャル諸島のこと)を管轄する南洋庁本庁が設置され、南洋統治の中心地として繁栄しました。ただし開発の担い手の中心は移住した日本人(特に沖縄出身者)であり、彼らはリン鉱石採掘の他、農業、漁業、ボーキサイト生産など様々な生産活動に従事し、第二次大戦前にはパラオ人の三倍近い日本人がパラオに居住していました。パラオ人も生産労働に勤しみ、子供たちは公学校で日本語の読み書きと道徳教育を教えられました。

 第二次大戦の結果、パラオは1947年に米国を施政権者とする国連信託統治領となりました。米国はミクロネシア地域を戦略的要衝と位置づけ、1960年代からは教育や医療にも力を入れました。しかしその一方で、経済開発や産業振興は、あまり行われませんでした。

 米国統治下にあったミクロネシア地域は、1966年から信託統治終了後の政治的地位に関する対米交渉を開始しました。軍事的権益の確保を目指す米側と、完全自治を求めるミクロネシア側の交渉が難行するなかで、パラオは1978年の住民投票でミクロネシア地域の統一国家から離脱することを決定、1981年1月にパラオ憲法を施行して自治政府を発足させました。1982年にパラオは米国との自由連合盟約(コンパクト)案に署名したが、米国の軍事戦略と「非核条項」を持つパラオ憲法との調整に難航、1980年代には大統領の暗殺や放火、発砲事件なども発生しました。結局、1993年11月の8度目の住民投票において、パラオ憲法の非核条項を棚上げする形でコンパクトが承認され、議会で批准されました。通貨に米ドルを用い、米国との自由連合国として、1994年10月1日にパラオは独立を果たしました。米国との独立交渉における第6代クニオ・ナカムラ大統領(1993~2001)の功績は非常に大きいと考えます。

 独立後は国防の全権を米国に委ねることによる米国との政治的地位交渉が懸案でしたが、この問題が解決すると、国も安定し、米国からの援助金を活用して、1990年代は順調に経済成長が進みました。しかし徐々に援助金のストックも減っていたことから、第7代トミー・レメンゲサウJr.大統領(2001~2009)は財政引き締めに取り組みましたが、財政、経済とも大きく外国に依存する状況までは変えることはできず、自立した経済を達成することはできませんでした。
 独立から12年後の2006年10月、首都がコロールから北東約30Kmのパラオ最大の島のバベルダオブ島東岸のマルキョクに移転しました。

 

マルキョクのパラオ国会議事堂。
大統領官邸と最高裁判所が併設されている。


 2008年11月の選挙の結果、第8代ジョンソン・トリビオン大統領(2009~2013)が選任されました。米国とのコンパクトによる援助金は2009年2月に終了しましたが、ジョンソン・トリビオン大統領は米国との交渉の結果、コンパクトを改訂延長し、今後15年間に新たに2億5000万ドルの援助金を取り付けることに成功しました。

 2012年11月の選挙の結果、第6代大統領でもあった第9代トミー・レメンゲサウJr.大統領(2013~2021)が再任されました。大統領就任後の2013年2月14日~19日に日本を訪問し、安倍首相と首相官邸で会談しました。 両首脳は、パラオに残る旧日本軍の遺骨収集を推進していくことを確認し、また二国間関係や両国が共通の関心を有する地域・国際情勢、若者の人的交流などについて意見交換を行いました。
 2014年にパラオ共和国の文化遺産を保存するためにパラオ共和国史跡及び、文化財保護法に従って遺骨収集帰還事業を行うという共通認識の下に、両国間で遺骨収集に関する合意が取り交わされました。

 2021年1月に新たに第10代スランゲル・ウイップスJr.大統領(2021~)が選任されました。パラオの遺骨収集は世界的なコロナ禍により、2年以上中断していますが、新しい大統領の下での再開が望まれます。

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