道後姫塚・義安寺に伝わる話
天正13年(1585)豊臣秀吉の四国征伐があった。
当時伊予を治めていたのは、道後湯築城の城主であった河野通直であった。
豊臣の四国征伐で河野家は滅ばされてしまった。
河野家が滅亡したとき、家臣一同は二君に仕えぬとの誓いをたて、湯築城近くの義安寺の境内にある泉の水で別れの水杯を交わして自刃したという。その家臣たちの魂は大きな螢になって、主君を慕いながら義安寺の周辺を夏毎に乱舞するのだと言われる。
義安寺の前を流れる寺井内川には、義安寺蛍と呼ばれる蛍が昭和30年代まで飛び交っていたが、今は見かけない。
義安禅寺 | 誓いの泉 |