瀬戸内海に浮かぶ松山市の中島に饒(にょう)という所がある。
中島支所のある本島の西中島区域・饒に伝わる話。
昔々の話。
ある年のこと、夕闇迫る頃、ゴーッという地鳴りの音と伴に島じゅうがグラグラと揺れ始めた。何時もは波静かな瀬戸の海も、この時ばかりは白い波が歯をむき出しにして島をひとのみにするような勢いで押し寄せようとしていた。
村の年寄りが、海を見ながら叫んだ。「あゃあ・こりゃおおごとぞ。皆はよう山ン中へ逃げろ。津波じゃぁ。津波が来るに違いない。はよう・はよう!」
村人達も「津波がくるぞうッ!」と叫びあいながら、着の身着のまま山へ山へと逃げていった。
村人が山へ逃げ終えた途端に、海はむくむくと盛上がり小山のような大きな波となり、浜・道・家・畑をひとのみにしてしまった。
空も瞬く間に暗くなり大粒の雨が降り始めた。「お父あん・お母あん・おとろしい(怖いよう)」「これ、大きな声ださんでええ。わし(私)もおとろしいんじゃわい」親も子も、しっかりと抱き合ったまま、まんじりともせずに海や雨の静まるのを待った。
東の空がしらむ頃になり、雨も止み、海も何時ものように穏やかになった。「やぁれ、おとろしや。命だけは助かったわい」
「家や畑は、どないに(どのように)なっておろうか。はよ村へいんで(帰って)みようや」村人達は、肩すり寄せて山をおりて、驚いた。
家は崩れ、畑は洗われ、見るも無残な村の姿であった。誰もが目の前に見る光景に声も出ず、ただ立ちすくんでいた。
どれほどの時が過ぎたか解らぬうちに、突然、子供が指差しながら「うわぁ、こげんところに大きな樽がある」と子供の声がした。村人達は子供の声に、はっと我に返り、子供の指差すほうを見た。
見ると、今までに見たことの無いとてつもなく大きな樽が、ゴロンと山裾にころがっている。人の手で作られたものは、何ひとつ残っていないのに、たったひとつ横たわっている。村人達はその大きな樽の側に行き、不思議そうに見つめていた。
すると、ある男が突然「わあっはっはっはっあ・わあっはっはっはっあ」と笑いだした。側にいた男が、「何がそげんにおかしい」と聞くと男は何も言わず、大きな樽を指差して、ますます大きな声で笑い転げた。聞き返した男も、周りにいた男達も、何やら急におかしさが込み上げ笑いだした。笑いの輪が人から人へ広がっていった。
始め笑いだした男が言った。「のう、みんな。大津波でわしらの作ったものは、なんも残っておらんがここに大きな樽がある。こげん大きい樽は、人間様の作れるものじゃあない。どこぞに住んでおったトンマな巨人が、大津波とともにやって来て忘れていったんじゃぁ。」「そげんいうたら、そうかもしれん」「トンマな巨人の忘れものかぁ。うん。それはええ。」
今からどうしたらいいか解らないでいた村人達にとって、この馬鹿でかい樽は、なんともおかしく滑稽なものに見えたのだろう。何時の間にか、一人残らず涙を流しながら笑い出していた。
そのうち古老が言った。「のう、村のみんな。わしはこの樽を見よったら、なんや勇気がわいて来た。あの大津波で壊れもせんで、ここに在る。この樽に負けん家や畑を、もう一度作ってみんかい。」「おう、樽より強い家か。」「樽より優れた畑か。よっしゃあ、つくろう」「つくろう」という訳で、村人は力が出てきた。
村人は、力を合わせて村づくりを始めた。疲れた時は、樽を見、困った時も樽を見た。樽を見ると、何か勇気や知恵が湧いて来て、新しい村づくりは捗った。そして新しい饒の村が出来上がった。
村人は、何時の頃からか誰いううとなく、あのトンマな巨人の樽のあった所を【おたるがした】と呼ぶようになったという。