小野小町にまつわる伝説(中島)

 小野小町にまつわる伝説は、秋田県湯沢市、福島県小野町、茨城県新治村、栃木県岩舟町、京都府、京都市、大津市など各地に残されているが、中島の歌崎岬にも【小野小町】の伝説が残っている。

 むかし、中島・歌崎岬の沖を行き来する船が、歌崎の近くの入江で潮待ちをしていたという。潮待ちをする船の中には身分の高い人も居て潮待ちの間、浜辺や小高い山の散策で歌を詠んだりしていたという。そんな訳でこの岬が歌崎と呼ばれるようになったともいわれる。
 美人で歌づくりにも優れた小野小町は、ある時、深草の少将という男にみそめられ恋を打ち明けられた。小町は、100日の間一晩もかかさず家に通ってくれるならと応え、少将は喜んで雨の日も風の日も通い続けた。99日が過ぎて明日が100日という夜になったが、その日はちょうど大雪で少将は小町の家に行く道に迷い、寒さのため身体が動かなくなり凍死してしまった。小町は、少将の死を悼み少将の霊に一生独身で暮らすと誓った。それから後、小町は都を離れ旅に出た。旅路の末に忽那島の大泊の港に辿り着き、近くの山に登り、北条風早にある腰折山を眺め、≪いよの湯は あるに甲斐なし 風早の腰折山を 見るにゆけても≫と詠み、ここに自分の骨をうめようと決心した。そして歌崎の麓に庵を建て、尋ねてくる人もなく星を眺めて毎日を送っていた。何度目かの秋を迎え ≪終わるまで 身をば身こそと おもいつる みずからおくる 歌崎ののべ≫という和歌を残して92歳で天寿を全うしたという。


 

        (地図)松山市(中島)歌崎