お茶屋井戸の話

 松山市立三津浜小学校の校舎南側のグランドの脇に、藩政時代から【お茶屋井戸】と呼ばれている
井戸がある。この井戸の話。


 江戸時代(1603〜1867)、徳川幕府は全国の大名を治めるため参勤交代という制度があった。
 松山藩の大名も江戸へ行くのに船を利用していた。船着き場は三津浜。
 船は帆船で、潮待ちや休憩場所が必要であった。三津浜は海が近く真水の出る井戸が
なかなか見つからず、やっとこの場所を見つけ出し良質の真水が出たので井戸を掘り、
ここに休息場所として「お茶屋」を作った。三階建ての立派な建物だったと伝えられている。

 幕末に松山藩の学校である明教館の分校となり、明治20年(1887年)三津浜尋常小学校になっ

    ・/A>i地図)松山市梅田町 三津浜小学校

お茶屋井戸