瀬戸内海に浮かぶ松山市の中島の南に久兵衛小島という小さな無人島がある。このちいさな無人島にまつわる話。
寛保元年(1741)久万山の農民約3千人が、大洲藩へ大挙して逃散した。その時、松山藩の家老は寺の住職に説得を依頼した。住職は、大洲に出向いて農民
の意見を聞き、藩との交渉をまとめ農民を帰村させたという。この騒動を久万山騒動という。この時代の話。
久万山騒動で所払いになった『久兵衛さん』という人が、中島の小浜に住むようになった。『久兵衛さん』は、島へ来て魚釣りに夢中になって暇を見つけては魚釣りに行っていた。ある日、雨がしょぼしょぼ降っていい魚釣り日和となって、畑仕事もほどほどに、一人で大串の小島へ魚釣りに出かけた。予想したとおり魚はよく釣れ、日が暮れるのも潮が満ちるのも忘れて釣りをしていた。篭いっぱいの大漁となったのでやっと気がつき、戻ろうとしたが潮がどんどん満ちてきて潮の流れも速く、慌てて渡りかけたが辺りは暗くなって、篭も重く足をすくわれて早い潮に流されだした。
「助けてくれぇ・助けてぇ」小雨の中でも畑仕事をしていた若者が、その声を聞きつけ浜へ駆け下りたが、潮の流れが速く『久兵衛さん』は、どんどん沖へ流され行く。若者はどうしようもなく、地だんを踏んで悔しがった。すると海の中で急に『久兵衛さん』が体半分飛び上がったと途端、海の中から「取ったぞう」という声が聞こえた。それっきり『久兵衛さん』は見えなくなってしまった。
後で小浜の者がいくら探しても、死体さえあがらなかった。『久兵衛さん』は潮に流されたのではなく、エンコ(かっぱ)に引っ張り込まれたのだという。
その後、誰言うとなく『久兵衛さん』が釣りをしていた小島を、誰言うとなく【久兵衛小島】と呼ぶようになったという。