江戸時代の中期(今から350年ほど前)、京都の太田という人が、当時よりこの土地にあった湯渡町の庵寺を尋ね来て、庵寺の住職=浄庵さんと共に力を合わせて、荒れ地を耕して、合計6町歩=6haを美しい田畑にした。その後、太田という人は京都に帰ったが、残った浄庵さんは一人で働き、長い間の疲れと持病のぜんそくの為亡くなったしまった。
町の人達は、浄庵さんらが耕したこの土地を上京家新田(約3町歩)と下京家新田(約3町歩)と呼び、亡くなった浄庵さんに感謝するため祠を建立し、上京家新田浄庵さんとして祀っていた。当時は、喘息や咳で苦しんでいる人にご利益があるといわれ、多くの人がお詣りしていたという。
昭和25年に八坂小学校の敷地となるため止む無く移転することになったが、移転に関わった人が不慮の死を遂げるなど不思議なことが起こったため、しばらくそのままにされていたが、地元の人々の熱意で昭和51年、妙法浄庵の碑を現在地に『建立したという。浄庵さんの霊を慰め、徳を偲び、また、喘息や咳に苦しむ人々のために尽くすこととなったといわれている。
八坂小学校の東は上京屋、西は下京屋と呼ばれ、毎年8月18日が祭礼日で東築山町内会の有志がお世話をしている。
浄庵の祠 |