今村久兵衛の話

古川南公園の近くにある、長徳寺にある今村久兵衛にまつわる話。

 
 寛永7年(1630)の夏は雨が殆ど降らず、片平村(今の古川)では一粒の米も収穫できそうになかった。
そこで、この村の庄屋の今村久兵衛は、代官に年貢米を減らして欲しいと度々願い出たが聞き入れてられず、
村人達は怒りのあまり稲を焼き払ってしまった。
 驚いた藩庁は村人を捕らえ調べたが、犯人を探すことができなかった。
 庄屋の今村久兵衛は、村人達をかばい「稲を焼き払ったのは自分の考えで、村人は知らないことだ」
と申し出た。久兵衛は捕らえられ、朝生田原ではりつけ処刑をされた。

村人達は、久兵衛の徳を偲び、死後99年にあたる享保13年に、墓を建て、
若宮神社として祭り、百年祭を盛大に行った。
同じ頃、長徳寺境内にも祠を建てて祀るようになった。
毎年8月25日に供養が行われているようである。

    (地図)松山市古川南