興居島・由良町
船越和気比売神社(ふなこしわけひめじんじゃ)に伝わる話
昔、興居島の漁師で和気五郎太夫という人がいた。
和気五郎太夫は毎日のように船で漁をしていたが、ある日のこと見慣れぬ壷が波間を漂いながら
船に近づいてきた。見慣れぬ壷を船に引き上げ、中を覗いてみると歳の頃は10〜12歳とおぼしき
可愛い女の子がいた。子供のいない和気五郎太夫は、これも何かの縁(えにし)=天から授かった
子供だと大喜びして、自分の娘として大事に育てた。美しい娘であったので【和気姫】と呼ばれていた。
やがて【和気姫】は成長し、伊予の豪族の男性と結婚し三人の男子を産んだという。
そのうち第三子の【小千御子=おちみこ】の系統から、伊予の豪族・河野一族が出たとも言われている。
【小千御子】の母が住んでいた島ということで、≪母子島=ぼごしま≫と呼ばれていたが
江戸・元禄時代の頃より、興居島と呼ばれるようになったという。
【和気姫】はこの島で世を去り、島の人々達は【和気姫】を祭った社を建てた。
船越(ふなこし)社と呼ばれていたが、後に船越八幡宮と改められ、
明治時代になって船越和気比賣神社になった。