バカの孫八 (北条・九川)

  昔、北条・九川に孫八という鉄砲撃ちの名人がいた。鉄砲名人という話が松山藩の殿様の耳に入り、殿様はどれほどの腕前か試して見たくなり、孫八の住む九川の近くの高縄山に狩に来た。「わしは、お前の腕前をみたいので供をいたせ」「それは有難いことで」と孫八は、早速、高縄山の狩場に向かった。
 狩場へ行くと山鳥が飛び交っていた。殿様は「孫八、早速あの山鳥を撃ち落とせ」と命じた。孫八は、狙いを定めて撃つと、見事に山鳥をしとめた。家来に言いつけて山鳥を拾わせてみると、鉄砲の弾の当った傷が無かった。「これ孫八、お前は術を使って落としたのであろう」「いえいえ、確かに鉄砲で撃ち落しました。鳥の口を見てください。山鳥が口を開けて鳴いた時に舌を撃ったのです」と言うので、口を開いてみると山鳥の舌が無かったという。殿様は、見事な腕前じゃと誉め、これ以後の狩には必ずや孫八を供に連れていくことになった。 孫八が、お狩場のお供となって高縄山で猟をしていたある日のこと、雨が降り始めた。鉄砲は火縄銃で雨で火薬がしめり始めた。殿様は引き金を引いたが火薬が湿っていて弾が飛ばない。
 不思議に思った殿様は、鉄砲の先の穴を覗きこんだ。お供をしていた孫八は、こりゃ大変だと慌てて殿様に向かって「バカ!」と叫びながら殿様の頬を平手で叩いた。丁度その時、鉄砲の玉が飛び出した。殿様は、孫八の平手で叩かれたため鉄砲の弾に当らず怪我をしないで済んだ。
 家来たちは、殿様を平手で叩いた孫八を咎(とが)めようとしたが、殿様は咎めもせず「孫八・孫八」と今までに倍して可愛がったという。それから誰いうともなしに「バカの孫八」と呼ぶようになった。

 高縄寺境内に、孫八の奉納した手水鉢(ちょうずばち)があり、碑銘に《文化九寅三月 施主 九之川村 孫八》(文化9年=1812年)とあるという。





 

        (地図)松山市九川