第六十一段     一遍会「掲示板」(平成十九年睦月一月)に日録を掲載せしこと。

1月31日(水)
月末でもあり一月度の日記の点検。午後、杉野祥一一遍会理事が後輩の芝君を連れて来宅。2月度例会からプロジェクターを利用して「一遍聖絵」の解説を始めるのでパソコン操作の打ち合わせ。聖絵に描かれた乞食の茶碗の中までチェックできるとは驚きであった。大画面で「一遍聖絵」を絵画的解釈するという画期的な段階に入りことになる。
2月1日は旧暦12月14日に当たる。元禄14年(1701年)のこの日、忠臣蔵の討ち入りのあった。夕刻から浪士たちは集まり始め・・・・・今朝から冷え込んでいます。お江戸は今晩雪になるのだろうか。
1月30日(火)
「一遍会報」(第317号)編集。メインは菊池佐紀氏の「斎藤茂吉と永井ふさ子の愛〜四国なるをとめ恋しも〜」だが、11月例会の内子・願成寺紹介と正月懇親会の報告を加えた。3月度の一遍生誕会を宝厳寺で開催するので3月例会で配布することにしたい。乞ご期待である。
午後、子規記念博物館に出掛け懸垂幕で2月度子規俳句「まだ咲いてゐまいと見れば梅の花」を確認する。一気に俳句エッセイを執筆する。月初に発表する。伊佐爾波神社に注連飾りを納める。夜は昨日に引き続きHP「一遍会」の2月度改訂作業に集中し、深更に完了。ダウンロードする。
1月29日(月)
朝日に映える石鎚連山を朝風呂で堪能する。客室からは瀬戸内海ののどかな光景を楽しむ。ホテルの送迎車でJR壬生川駅まで送ってもらい、バスで小松に向かう。小松では四国霊場61番「宝壽寺」参詣。この寺は聖武天皇の勅願寺で伊予国一ノ宮法楽所として建立された寺院だが、歴史的な面影の片鱗もなし。寂しい限りだ。午後2時帰宅。HP「一遍会」の2月度改訂作業に集中する。
1月28日(日)
ふらっと山と海を見たくなって「休暇村瀬戸内東予」に出掛ける。「伊予鉄バス」で西条市小松総合支所で下車。小松からJR丹生川駅までは「瀬戸内バス」、其処からは送迎車という交通手段。面倒だが所要時間2時間である。引き込んでいる本谷温泉は、道後・鈍川温泉と並んで「伊予を代表する三温泉」である。単純アルカリ泉だが、露天風呂に入浴して雪が光る石鎚山を眺める。魚料理中心のバイキングで満腹。大河ドラマ「風林火山」を見て二度目の温泉。22時からは吉衛門の歌舞伎「籠釣瓶花街酔醒」をTV観劇。至福の小旅行である。
1月27日(土)
「ギャラリートーク・熟田津古道」の執筆に当たって記憶を確認すべく柳田国男著「山の人生」に目を通す。二十七章「山人の通路のこと」で旅人とは違う「通路」があり山人には行き先や人数が分かる暗号が枝に結ばれていると知るされている。この通路は修験者の往来にも利用されたのかもしれない。先達はこの通路を承知していたから畏敬もされ頼られたに違いあるまい。十五章「生きているかと思う場合多かりしこと」も面白い。
「伊予史談」(344号・平成19年1月号)が届く。湯築城最後の城主河野道直(牛福)の2論文。極めて興味深い。
@河野道直(牛福)の家督相続について〜代替わり時期の検討を中心に〜
A河野道直(牛福)と能島村上氏の関係について〜「屋代島村上文書」を中心にして〜
午後、伐採した庭木を粗大ゴミで搬出するため鋸で一定長に切る。引き続きカルチベート作業。
1月26日(金)
「ギャラリートーク・熟田津古道」のレジュメを継続執筆。確定申告の資料整備で市役所、銀行、証券会社に出掛ける。面倒ではあるが、自らの資産を確認するには年一回の好い機会と認識している。
松山市の友好都市であるドイツのフライブルグから来日した仮面演劇集団「シアターR.A.B」の公演を観賞する。上演時間90分である。「パントマイム」とも「能」とも違うドイツらしい形而上的なパフォーマンスである。開演15分くらいはテンポについていけず正直理解困難であった。後半に入って風・地・水の精霊、オトコとオンナ、生と死、連帯と分断などの「主張」が伝わってきて面白くなった。現代自身が「仮面社会」なのだろうか。
1月25日(木)
「伊予山の辺のみちを歩こう会」代表の森亮一氏が来宅され2月25日の「ギャラリートーク」を依頼される。テーマは「熟田津古道」についてである。場所は「松山城ロープウエイ東雲口観光交流ホール」だけに地元の研究者以外に松山城を訪れた観光客も参加する様だ。
一遍会6月度講師として映像作家の上田雅一氏、7月度講師として湯築城資料館長石野弥栄氏の内諾を得た。平成19年度講師のラインアップができた。次年度の目玉は8月例会が宇和の県歴史文化博物館での開催であろうか。
1月24日(水)
日中、2月講演予定の【トポスとしての道後・熟田津古道】を取り纏める。日本伝来の「ナンバ」なる歩き方について言及する。
@歌舞伎の動作六方
A飛脚の1日数十`走行
B2003年世界陸上選手権短距離日本初メダル末続慎吾選手の走り方
C伊能忠敬の歩幅の正確さ等を例証として挙げる。
夕、拙宅の破損した屏風を破棄することになり念の為愛媛大学法文学部(古代史)の寺内浩研究室に連絡する。一時間後教授自身がお出ましで恐縮する。改めて拙宅の文書につき近世史専攻の川岡勉教授のアドバイスを受けることにする。
梅木賢正氏と実家でもある戦前の「梅木旅館」「梅木別館」について情報交換する。今日の「ふなや」や「大和屋」に匹敵する旅館であったらしい。「梅木旅館」「梅木権現」(江戸期持田村に在り)「梅木忠朴」(小説「坊っちやん」なかの「うらなり」)の梅木三題話になる。
1月23日(火)
秋田の佐藤辰男さん(会員)から「うたよみのひじりの歌」を恵贈される。A4版で12ページ。地元の読書会で発表の予定である。一遍さんの歌五十一首について@原文 A漢字文 B解説 C口訳意訳に分けて著者の専門的な知識と豊かな感受性でしかも平易に説明されており感服している。
8月度講師予定の県歴史文化博物館主任研究員の大本敬久氏から、歴史文化博物館で開催する企画展「異界・妖怪大博覧会」を見学してはとの提言があった。昨秋は内子・願成寺で開催したが、今夏はバスをチャーターして「観音水→松屋旅館(昼食)→県歴史文化博物館→明石寺→松山」のプランを考えている。
夜、椿湯で一遍さんフアンの河野輝之君に出合う。
1月22日(月)
2月度例会発表の「浄土時宗開祖 一向俊聖」の講義レジュメ執筆完了。A4版で16頁となった。
1)要旨 @はじめに A一向宗とは B一向俊聖の生涯
2)一向・一遍上人 略年表
3)「一向上人伝」(抜粋)
4)絵巻 @一向上立往生図 A一遍上人葬送図
1月21日(日)
一遍会4月度例会講師の黒田仁朗氏から演題「伊予の山岳信仰」とメッセージが届く。内容は下記である。
(1) 一遍と山岳信仰……窪寺と蔵王権現、一の王子。一遍と熊野。岩屋寺奥の院で見たもの。空海と石鎚。
(2) 山のネットワーク……情報の裏街道
(3) 平野部とは独立した文化圏……焼き畑を軸とした雑穀文化。山を渡る民。
(4) 海の民に尊ばれた山の神
(5) 山の民が人的・経済的に交流する祭りとしてのお山開き
(6) 石鎚山南麓に息づく言霊・音霊(民俗伝統歌舞)
県中央病院に大伯父を見舞い、高島屋で孫の入学祝は「プーマ・白い天使、NAS使用素材のランドセル」を購入。「歴史読本A」は特集「日本の大神社・総本社名鑑」。「一遍聖絵」記載の伊勢神宮・宇佐神宮・熊野本宮大社・住吉大社・吉備津(彦)神社・厳島神社・大山祇神社・大隈正八幡宮など一読をお奨めしたい。
1月20日(土)
一遍会2月度例会講話「浄土時宗開祖一向俊聖」の原稿執筆(1月末完了予定)。午後から浴場の灯油ボイラー修理と自転車の手入れ。税務署から平成18年度確定申告ようしが届く。陰鬱な作業を予感する。憲法にも明記されている国民の崇高な義務であるからやるしきゃないか。
1月19日(金)
インターネット会員に「一遍会報第316号」を送付。併せて執筆者の平田玲子並びに佐藤辰男両氏には各20部を送付。6〜8月度例会講師として県歴史文化博物館主任研究員の大本敬久氏に依頼状を差し出す。
寒中見舞いで宮崎久美子氏から実父重信氏の他界の知らせ届く。人事部在職中に喧々諤々と議論しあった労働組合の幹部の訃報が続く。バブル前の労働組合は「生産協力・分配協議」の枠内で強固な「存在」であったのだが・・・・・
孫の入学祝のランドセルの品定めに「高島屋」に出掛ける。ランドセルの中身は貧弱になったがランドセルそのものは付加価値をつけてファッショナブルで立派になってきたと思う。
「伊予山の辺の道の会」の森氏から2月25日(日)の講演依頼あり。テーマは「熟田津古道関連」。キーワードは「トポス」(時と場の記憶」として山・川・道・ムラ・マチの順序で道後に焦点をあてたい。
1月18日(木)
子規会一月例会と新春懇親会開催(道後公民館)。恒例の吟道明教館総本部松本松吉(理事)代表と門下の師範による「郷土を讃える子規の漢詩」の披露。1)子規の初旅 2)子規の旅立ち 3)伊予・南予行きの漢詩に分かれる。
明治15年の「湧ケ淵に遊ぶ」については遠祖「三好蔵人秀勝」の大蛇銃殺の漢詩であり、17代目でもあるので「湧ケ淵伝承」を解説する。酒席では郷土史家二神将氏(理事)と同席になり「道後」を中心に研究内容を話し合う。曽祖父三好文平に詳しく驚く。
1月17日(水)
阪神淡路大震災の第12回目の記念日である。HP「阪神淡路大震災私記〜臨危不変〜」に平成8年の一周年から昨年の11周年までの毎年1月17日の日誌の要約を「前文」に記載しました。
一遍会の1月度収支決算作業。「一遍会報」を予算6号分に比し8号分を編集したのとDVDの購入で本年度は大幅赤字の見込みである。已む無しか。
1月16日(火)
引き続き「一向・一遍聖対比年一覧」作成に注力。パソコンミスによるポカ防止のため「熟田津今昔」第29章に「工事中」として作業中である。本年表は2月度例会で報告する「浄土時宗開祖 一向俊聖〜一遍の一歩先を歩いた遊行聖〜」の添付レジュメである。
午後奥道後温泉で保養。久万からの入湯客と一遍さんが修行した岩屋寺について風呂談義。暖冬で久万も雪が少ないとのことであった。
1月15日(月)
「一向・一遍聖対比年一覧」作成に注力。「一遍会2月例会」案内を愛媛新聞とミニコミ誌に連絡する。
午後から柿の枝切り。柿は枝ごと折れるので細心の注意するも3本目で落下。幸い軽い怪我で済んだが、柿の木登りは子どもの特権か。
TV新番組「極上の月夜」で美輪明宏が作詞作曲した「ヨイトマケの唄」の逸話が公開される。北野武監督作品に自身の母親が「ヨイトマケのおばさん」だったことからこの唄を作品に取り込んだことは知らなかった。
文化庁が選んだ「親子でうたいつごう 日本の歌百選」が発表される。100曲が101曲になっており、審査員や文化庁のこだわりが伝わってくるようだ。三代(いや4代)の家族で101曲をコーラスできるようになれば家族の絆も強固になるだろうと思う。数曲を除いて歌えるので愛唱したい。
1月14日(日)
伊予史談会1月例会(県民文化会館東側別館)出席。
@「愛媛県議会の歴史(上)高須賀康生副会長
A「愛媛県の女学校について〜女学生の声と服装を手がかりに〜」松井壽県歴史文化博物館学芸員
旧制女学校の制服とファッションの分析はユニークである。昭和10年当時の「学校数え歌」は初見(ヨサホイのホイの替え歌)。
午後、子規記念博物館ギャラリートーク「下村為山の人と作品」を聴く。講師は江戸民間書画美術館館長の渥美国泰氏。同氏は元新劇俳優(俳優座)。引き続き「彩墨画の華・下村為山展」を子規会井手会長らと鑑賞する。夕、宝厳寺に出掛け「一遍会報第316号」を住職に手渡す。「道後いっぺんさん」の初市に顔を出しアジア.フィルム.ネットワークの原口靖夫氏に卓話を依頼する。 
【学校替え歌 (昭和10年前後)】
一つ出たわいのヨサホイのホイ 人もよく知る二本筋 ホイ 
                          之が松高のスタイルよ ホイホイ (松山高等学枚 ⇒ 愛媛大学)
二つ出たわいのヨサホイのホイ 服の小倉は上と下 ホイ 
                          白の一本筋伊達じゃない ホイホイ (松山中学 ⇒ 松山東高校)
三つ出たわいのヨサホイのホイ 三度鳴尾のグランドで ホイ 
                          花を咲かせて松商よ ホイホイ (松山商業学枚 ⇒ 松山商業高校)
四つ出たわいのヨサホイのホイ 城の緑の風うけて ホイ 
                          北斗健児の名も高い ホイホイ (北予中学 ⇒ 松山北高枚)
五つ出たわいのヨサホイのホイ 何時も緑のユーカリ ホイ 
                          之が我が校のスタイルよ ホイホイ (松山農業学枚 ⇒愛媛大学農学部付属高校)
六つ出たわいのヨサホイのホイ 昔堅気の師範生 ホイ 
                          一つやるのがランニング ホイホイ (愛媛師範学枚 ⇒ 愛媛大学)
七つ出たわいのヨサホイのホイ 波に恋風ソヨソヨと ホイ 
                          春が来ました女子師範 ホイホイ (女子師範 ⇒ 愛媛大学)
八つ出たわいのヨサホイのホイ 優し姿の県女生 ホイ 
                          胸に輝く梅の花 ホイホイ {松山高女 ⇒ 松山南高校)
九つ出たわいのヨサホイのホイ 之が我が校の誉れよと ホイ 
                          ダンスするのが済美生 ホイホイ (済美高女 ⇒ 済美高校)
十つ出たわいのヨサホイのホイ 遠く異国の風うけて ホイ 
                          私立美人の名も高い ホイホイ (東雲高女 ⇒ 松山東雲高校)
1月13日(土)
一遍会正月例会と新年懇親会開催。出席は46名で大盛況。小沼大八代表から「六根清浄」を今年の合言葉にとメッセージあり。六根とは、眼・耳・鼻・舌・身・意の働きのことで、身も心も無垢清浄になろうという祈りの言葉が「六根清浄」である。
「一遍の偈頌和歌和讃の吟詠」「伊予節」「伊予乃湯」「小学唱歌」などなど一遍会らしい雰囲気の中で福引をする。「焼酎一遍」が特別賞である。新規会員に渡部良温東温市教育長、矢野元昭文化財フォーラム愛媛代表委員らが参加された。毎月第2土曜日例会開催ですから現役の方も是非ご参加下さい。
1月12日(金)
明日の一遍会正月懇親会の手配。ビール、ボトル茶、紙コップ、おつまみ、弁当は50人分注文する。松本松吉(松陽)理事からレジュメが届く。吟者は清家龍鳳、武田峰松、返脚玉鳳氏と松本松陽師匠で尺八伴奏は桐間龍芳氏。演目で特に目新しくはないが@十一不二頌A六十万人B和歌「おのづから相あふ時も」C和賛「別願和賛」である。
明日の一遍会正月懇親会の手配。ビール、ボトル茶、紙コップ、おつまみ、弁当は50人分注文する。松本松吉(松陽)理事からレジュメが届く。吟者は清家龍鳳、武田峰松、返脚玉鳳氏と松本松陽師匠で尺八伴奏は桐間龍芳氏。演目で特に目新しくはないが@十一不二頌A六十万人B和歌「おのづから相あふ時も」C和賛「別願和賛」である。
午後は温暖な日和になり庭の草むしりに精出す。
1月11日(木)
「一遍会ニュース(平成19年1月度)」を纏める。12月度の収支決算をして銀行口座金額との突き合わす。特に問題はないがタイトな決算になりそうだ。矢野敬子理事と正月懇談会出席者の確認作業。45名前後であろう。飛び込みを含めて50名でセットする。
帰省中の「那須の極楽蜻蛉」さん宅を訪ねる。年二回帰省しての大掃除である。軽トラックをリースして市の廃棄場に運搬している。元気なものである。夕刻、椿湯で元高校・大学の水泳部の彼と一緒に湯船に浸かり、小一時間湯槽に凭れて裸で話し合う。
1月10日(水)
藤原正彦氏「『国家の品格』〜日本には守るべき「国柄」がある」の講演を聴く。(主催 ひめぎん会 県民文化会館)。ベストセラーの内容が中心だが、@近代的合理精神の限界A自由、平等、民主主義を疑うB「情緒」と「形」を重んじよ といったところか。同感するところは大であるが、同氏の歴史観については大いに異論がある。もともと歴史観が欠如しているのかも知れない。「自由」とは歴史的には「解放される」ことであり「平等」とは「神や法の下で」であり、「結果平等」ではあるまい。民主主義を疑ってもこの制度に変わるものの提示は一切ない。まさか「哲人政治」でもあるまいし「武士道」が尊ばれた封建制度でもあるまい。
「文芸春秋 2月号」を読む。「硫黄島 栗林中将衝撃の最後」「10年後の『格差社会』」「高級老人ホームの『天国と地獄』」は力作である。
1月9日(火)
「一向.一遍上人略年表」を検討する。
建仁2年(1239) 一向(松童丸)、一遍(松壽丸)出生
文永11年(1274) 大隈八幡宮、熊野本宮での「神託」
建治元年(1275) 宇佐八幡宮での邂逅
建治2年(1276) ともに初弟子を持つ
など年号一致は「偶然にして必然」か。
午後、六時屋サミット。NHK紅白歌合戦のはっとしたボディースーツが話題になる。男は幾つになっても裸体には興味を失うことはないらしい。撮り溜めた数千枚?の写真の整理法につき議論する。パソコン保存がコスト的にも最善か。持参した「御幸中学校卒業記念誌」(1951年刊)を中心に当時の道後のトポス(時と場の記憶)を話し合う。
1月8日(月)
「一遍会報318号」掲載の菊池佐紀氏「斎藤茂吉と永井ふさ子の愛〜四国なるをとめ恋しも〜」原稿(400字詰9枚)のワープロ打ち込み完了。一遍フアンの河野輝之氏から切り絵カレンダーを頂戴する。全体が曼荼羅の表現かなとも思えるカレンダーの素晴らしさに見とれてしまう。「一遍さんの切り絵」は一遍会の年初からの「募金箱」に添付して皆さんにお披露目することにした。深謝します。
1月7日(日)
深夜暴風雨の様相となる。落葉樹の葉がすべて吹き飛ばされている。近所に迷惑をかけることになるが、屋敷林についてはご勘弁をいただくしかない。「鍬初め」には数日早いが,カルチベータで除草作業と表庭の苔が発情期?の猫の悪戯で掘り返されて応急的にネットでカバーする。
藤原正彦「国家の品格」再読。年賀状の整理など。夜NHK大河ドラマ「風林火山」を見る。女性には今ひとつの初回導入部か。
1月6日(土)
高知を10時に発ち金刀比羅に向かう。表参道の「金陵の郷」で児童の踊り(金比羅船船)と太鼓を聞きながら「讃岐うどん」で腹ごしらえ。何度説明を受けても金毘羅・金比羅・金刀比羅のことは祭神すら分からない。神仏混淆のもっとも象徴的な権現神社であろう。1368段の奥社までお参りするも雨となる。山中の神社で雨宿り。身体が冷え切ったので、帰途も「金陵の郷」でうどんを食べる。19時帰宅。
1月5日(金)
Rジパング倶楽部を利用して昼過ぎ高知市に着く。江ノ口川を渡って廿代町から追手筋を進み山内家24万石の高知城に向かう。お目当ての「ひろめ市場」で昼食。「ひろめ」とは上席家老深尾弘人蕃頭(ひろめしげあき)屋敷跡に建てられた命名された由。板垣退助並びに後藤象二郎生誕地を過ぎ朱色の天神大橋を渡り、潮江天満宮と山内家墓所をお参りする。天満宮には嫡子高視も祭られている。
旧山内家下屋敷長屋を見学して「三翠園」に入る。夕方まで高知城、武市瑞山殉難地からアーケード街を通り播磨屋橋を往復する。皿鉢料理と司牡丹を味わう。大正天皇が命名したという「湯殿水哉閣」(東郷平八郎揮毫)が掲げられている。天皇と元帥は御召艦で立ち寄られたのであろうか。
1月4日(木)
家人の正月の骨休みを兼ねて高知市内を流れる鏡川河畔の鷹匠町に在る三翠園(温泉)に泊まることにして明日の切符を手配する。皿鉢料理が楽しみである。
40年来私用している日本経営協会の手帖「ビジネスプラン」を紀伊国屋書店で求める。日記も同様だが筆下しの気分はなんともいえない。嘗ての部下から4千人規模の会社の人事部長・監査部長に就任したとの連絡。「三好さんに教えて頂いた事を実践します」とのこと。今宵の酒は旨い。賀状39通届く。明日以降は返信分か。今年も460通+α頂戴した。有難いことである。
1月3日(水)
HP「一遍会」中「一遍徒然草紙 第六十段 一遍会「掲示板」(平成十八年師走十二月)に日録を掲載せしこと。」を掲載しました。「新年メール」に早速返信をお送り頂き有難うございます。重ねて本年も宜しくお願いします。賀状38枚届く。
16時過ぎ帰京する長男ファミリーを空港に見送る。孫ほど可愛いものはないが、私自身は祖父、祖母の記憶は殆どない。男とは、祖父とは悲しい存在か。
1月2日(火)
インターネット会員に新春の挨拶メールを送る。時宗西蓮寺 梅谷繁樹師の賀状を添付する。「『一遍聖絵』第三・熊野新宮川下りの図左側下の絵は、猪で、熊野の神の化身です」との説明がある。猪年生まれの者にとっては素晴らしいメッセージである。賀状30余枚が届く。
1月1日(月)
快晴の元旦を迎える。「燦燦会」と「東の窓」に新年のメール(今月の子規さんの句)を送る。年賀状は350通届く。午後、伊佐爾波神社に初詣し、義安寺の墓参り。夕、賀状の追加を30枚記す。何事もない平和な一日であった。
【新年メール】
明けましておめでとうございます。本年も宜しくお願い致します。
天野祐吉子規記念博物館長選句の平成19年1月の子規さんの句は「雑煮食ふてよき初夢を忘れけり  子規」です 。この句は新聞「日本」の明治32年1月2日「歳旦十題・初夢」に掲載されています。「子規全集」では明治31年の「新年」の項に載っています。
「季語原理主義者」?の「道後関所番」にとっては、季語は「雑煮」なのか「初夢」なのか正直迷ってしまいます。通説では「初夢」でしょうが、食道楽の子規さんに敬意を評して「雑煮」といきたいですね。明治31年当時既に根岸の子規庵で病臥にあった子規さんですが、雑煮を腹一杯食べて満足感で「よき初夢」も忘れてしまったと即物的に解釈すると滑稽味が出てきます。明治27年の句に「七椀の雑煮くひけり梅の花  子規」とありますから、病臥でも三椀くらいは軽く平らげていたのかもしれません。
お屠蘇気分でメールをご覧の皆さんはどのように鑑賞されるのでしょうか。
例によって理屈っぽく分析してみます。子規さんにとっての「雑煮」は元旦の朝(元朝)こそ待ちに待った正月料理であった筈です。ところで「初夢」は昔から元旦の夜に「一富士 二鷹 三茄子」と夢見るものです。と、するとこの雑煮は二日目の雑煮ということになってしまいます。と、すると季語は「雑煮」ではなくて「初夢」が正解なのでしょうか。
ところで「初夢」では明治28年の句に「初夢の思ひしことを見ざりける   子規」の先行句があります。いかに恋しき人を、懐かしき故郷を、芭蕉を、蕪村を恋しても初夢には現れない。誰しもこんな経験はあるのではないでしょうか。おまけをひとつご披露させていただきます。。
明治27年の新年句に「紀元二千五百五十四年なり  子規」があります。本年ならば「紀元二千六百六十七年なり  子規翁」といったところでしょうか。子規は慶応3年(1867年)に生まれましたので、今年は生誕140年になります。松山ではセレモニーが次々と企画されています。トップバッターは子規記念博物館で、松山市の市章をデザインした子規さんの友人である「画家・下村為山特別展」が正月からオープンです。
 子規さんにあやかって一句 「雑煮食ふて来年のことのど仏     子規もどき」
1月3日の新聞には毎年のように餅をのどに詰めて亡くなった老人の記事が出ます。正月に縁起でもなかろうと云われそうですが、人生70歳を過ぎると私どもも無縁ではありますまい。気をつけたいものです。雑煮餅は高校卒業年に18個食べたのが生涯の最高記録です。さすがに一日中食欲はありませんでした。徐々に数が減り、60歳台では7個、それが5個になり、今年は3個になりました。やがて2個、1個になり・・・・・雑煮餅が食べれなくなったら、子規さん同様に生きている甲斐がなくなってしまいそうです。なんとか「のど仏」さまが「寿限無」であらんことを祈っています。いやはや。道後関所番