6月30日(金)
温子の「七の十七日」(119日)である。恒治・淳志ファミリーと本多兄弟姉妹、堺氏にメール、葉書で近況報告。
日南市「小村寿太郎記念館」学芸員長友禎治氏宛礼状を送る。JA定期預金継続手続き。
夕、「道後彩朝楽」のプレミアムフライデイ夕食バイキング&スパに出かける。毎月出かけており、女将と軽口をたたける間柄になった。展望風呂からの四国山脈系の山々の夕暮れの光景は佳し。
【→長友氏】
ご寄贈いただきました貴研究紀要「飫肥西郷と呼ばれた男 小倉処平」、27日落手いたしました。ご高配まことに有難うございました。衷心より御礼申し上げます。
対話形式というユニークな文体だけにすぐに読めるかなと思い一読しはじめましたが、内容が濃くじっくりと読むことにしました。
「振徳堂跡」から「飫肥城歴史資料館」「国際交流センター小村記念館」まで長友様に親しくご案内されているような気分です。
正直、小倉処平なる人物については承知しておりませんでしたが、東祥寺(英国公使館)、貢進生制度、大阪洋学校、ウイリアムウイルス・・・と「小林小太郎ワールド」が出現し、今週末には一気に読み上げたと思います。後日、小林小太郎に関するその後の情報をお知らせすることにします。
まずは御礼のご挨拶まで。ありがとうございました。
6月29日(木)
雨は降らないがじめじめした梅雨特有の気候である。洗濯してもなかなか乾かないだろうと思う。
朝10時、伊予銀行第114期定期株主総会出席、伊予銀の同期生と珍しく顔を合わさず。
午後、書斎にこもって息子に説明する温子の遺産分割資料を作成する。一時でなく、孫たちにも分散する方法をとりたい。息子たちは不動産の相続が大きいので、慎重に対処していきたいし、対処してもらいたいと思う。
6月28日(水)
朝やっと雨が上がる、
10時、温子の納骨。龍穏寺さんが車で来訪、イフイの車で義安寺。法要時は陽がさすというグッドタイミング。(布施10,000、車代5,000)
11時、野中経営と「遺産分割(案)」の打ち合わせ。かなりつっこんだ数字問答。息子二人に各2,500万、孫4人に各1,500万で総額1億1000万円、残り8,000万円を相続の予定。
午後、イフイに墓代金(5,790,540円)送金する。一件落着。
日南市「小村寿太郎記念館」学芸員長友禎治氏から『飫肥西郷と呼ばれた男 小倉処平』が届く。「飫肥城歴史資料館」の研究紀要であるが、読み物風で、しかもインタビュアーと解説者のやりとりになっており理解しやすい。「捨て聖一遍と宝厳寺」のシナリオにも利用できそうだ。『松山百店』盛夏号が届く。特集「郡中二百年」、じわじわ広がる市民・町民ミュージカル」はヴィジュアルで大いに参考になる。
「椿の湯」
6月27日(火)
終日雨模様。
県図書館に立ち寄り『一遍会報』の保存、取り扱いにつきクレーム。
10時伊予鉄道第109期提示株主総会に出席。来年度から「伊予鉄ホールディングス」が統括会社として誕生する。伊予鉄道の株主としての大きな変更はなさそうである。
道後温泉駅前の「ローソン」で昼食を調達する。
夕方、キイチの発注で畳屋が茶室の採寸に来る。畳の搬入は7月にはいってからになりそうだ。新盆には温子の思い出の詰まった茶室が誕生している筈である。楽しみである。
正子さんから連絡あり、来週四国がんセンターに付き添うこととなった。気丈夫にふるまってくれているので助かっているのだが・・・
「椿の湯」。
6月26日(月)
終日雨模様。
郵便局、銀行(伊予、愛媛)を回り、支払いなどを済ませる。
午後、時宗宗学院の長澤師から「伊予の一遍ゆかりの寺院」について照会あり。7月22日の新盆まで落ち着かないので、すでに取りまとめている四国時宗寺院のメモを送る。一遍会にご参加いただくとのことである。有難い話である。
大雨なので「椿の湯」はお休みする。
6月25日(日)
昨晩からず~っと雨が降り続いている。アジサイだけは生き生きとしている。書斎で郵便物や書類の整理。
ピーマンと大根の煮付けは挑戦したのでなすの煮付けに挑戦することにした。美味くはないが不味くもない自分なりの料理ができるようになってきたヵ。いやはや。
宮崎県日南市「小村寿太郎記念館」学芸員長友禎治氏から著書寄贈の連絡あり。小林小太郎に関し平成27年に小林小太郎について問い合わせを頂いた方である。少しはお役に立てたようだ。
墓と家屋の修理等(1,000万円相当)の資金はネットバンキングを通じて銀行口座に振込み。便利ではある。フジでショッピング。館内のレイアウトが大体頭に入ってきたようだ。
「おんな城主直虎」を見て「椿の湯」。
【メモ】韓国の青年層(上下格差 貧困化)
「三放世代」2011年頃:「恋愛」「結婚」「出産」放棄
「五放世代」:「恋愛」「結婚」「出産」「人間関係」「マイホーム」放棄
「七放世代」2015年頃:「恋愛」「結婚」「出産」「人間関係」「マイホーム」「夢」「就職」放棄
6月24日(土)
日中はまずまずの天気で、夕方から雨となる。
キイチの工事が入り、大工と倉(物置)の内部工事の打ち合わせ。書籍が中心だが備品も置くことにする。段差をなくして床はコンクリートにした。表庭の草引き。
午後、「コムズ」の映画上映会&ミニトークに参加。トークゲストは中村和憲氏(よく知らない)。食育・子育て・人権と話題は豊富である。「砂漠で迷った時、地図と磁石が与えられても動けない。自分の立っている位置が分からない。」と「立つ位置」を強調する。同感である。
映画は数年前のアメリカ映画で「マイ・インターン」。成功したファッション通販サイトの女性社長、イクメンの夫、その会社に再就職した70歳の元管理職のシニアという組み合わせ―現代的なテーマで考えさせられる。
夜は土砂降りの雨なので「椿の湯」は休み、20時半ベッドイン。
6月23日(金)
日中は晴天の予報で、「キイチ」の改修工事①「温故亭」(おちん)②倉(物置)開始。工事内容の細部打ち合わせがあり外出できず。
9時半、ムラタの担当者の交代(見浦雄悟→村上建二)の挨拶があり新盆について打ち合わす。
ムラタで同時刻に「MK会」の村瀬君の告別式があったが欠席する。「MK会」とは牧野晃三、村瀬恭敬、三好恭治、村上公平の名字が「M」で名前が「K」の同期であり命名したものだ。牧野が数年前、村瀬が一昨日亡くなり、これで自然消滅する。残念だし寂しい限りだ。思うに現在同期の男子の4割以上が亡くなり、健康体は3割といったところ。当方は足は悪いが元気者の一人といえよう。
墓と家屋の修理等で1,000万円が当座必要になった。来週対応せねばなるまい。
「椿の湯」。
【メモ 読売】
道後温泉本館改修は来年初の予定であったが、来秋以降に延期となった。椿の湯の改修(休館)10月~年末は変わらず。
6月22日(木)
快晴である。
朝9時義安寺で新しいお墓の「開眼法要」を義安寺住職に依頼する。当方は私のみの出席だが温子は了解してくれるだろう。
午後、日赤松山病院に出かけ呼吸器内科の梶原浩太郎医師からの正子さんの肺がんの説明を受ける。関係者は大阪の二従兄弟と大学の友人である。
四国がんセンターで「セカンドオピニオン」を依頼し、最終的には日赤で「手術」になるだろうと思う。「放置」も、余命が3~5年とすれば、一つの選択ではある。当方が将来がんを宣告されたら「手術」(外科的)か「放置」(内科的)かの選択を迫られることになります。他人事ではなくなった。
なんとなく疲れて帰宅後仕事が手につかず。夜、TV「プレバト」で「夏井いつき」俳句を楽しむ。
「椿の湯」でリフレッシュする。
【メモ】
がん闘病中だった市川海老蔵夫人(小林)麻央さんが22日夜、34歳の若さで死去。なんとも痛ましいことだ。
6月21日(水)
昨夜から雨が続く。
来週会計士との打ち合わせをするので、私自身の財産(金融資産、不動産)について取りまとめる。終日作業が続く。
JA道後支所長(坂本英輝氏)来訪。夏福!!定期預金協力要請である。家内の相続手続きが完了しておれば良いのだが・・・
明日の義安寺での新墓の入魂法要に併せてフジでシキミ(@650円×2本、大福餅3個)を用意する。昨夜の雨で地面が柔らかいので表庭の草引き。
「椿の湯」。
6月20日(火)
朝から28℃、夕方は豪雨の予想。エアコンをつけて書斎で作業する。
昨日外出中に財布を紛失したようだ。正宗寺、伊予鉄に照会するも届け出なし。名刺が財布に入っているから善意の第三者が拾得すれば連絡があるはずだが・・・夕方になって玄関の間の卓の上にあった。やれやれ。
プレミアムフライデイで道後彩朝楽で「ディナーバイキング&スパ」を申し込む。「マイナンバー」登録申請を遅ればせながらおこなう。
小池百合子東京都知事による豊洲・築地活用計画案提示。玉虫色であるが、都議会議員選挙対策としては見事な「作品」といえよう。
22日(木)9時より、義安寺で新墓の入魂法要を義安寺住職により実施、7月に入って「骨入れ」(納骨)法要は龍穏寺住職により実施を予定。7~9月の行事予定表を作成、お盆が無事終わったら、旅に出ることにしよう。
夕方から本降りとなる。「椿の湯」はお休み。
6月19日(月)
松山子規会六月例会出席(正宗寺)。講師は佐伯健氏でテーマは「子規の常盤舎舎友、佐伯伝蔵」。佐伯伝蔵は健氏の祖父に当る。
帰途、義安寺墓苑にて新しく据え付けた「道後 三好家之墓」と対面する。庵治石の見事な墓が出来た。温子も喜んでくれると思う。
日中は暑くて体がついていかない。夕方になって、庭の水やり。20時、「椿の湯」に出掛け、業務スーパーで野菜、果物の買出し。
一遍会7月度例会案内をマスコミ、ミニコミに流す。
【→尚子さん】
「父の日」の贈り物、ありがとう。庭の水遣りの最中に受け取りました。夕飯の支度をして、コーヒーを飲みながら袋を開きました。
パックに詰められた加賀味噌、讃岐のだし醤油、神戸赤ワイン煮、九州産ぶりあら炊き、富山のあられと、各地の銘品の詰め合わせのセンスの素晴らしさに驚きました。尚子さんと亜実ちゃんの心温まるメッセージを読みました。ありがとうございました。まずはお茶受けに「花あらし」から頂くことにしましょう。
早速仏壇に供えて、母さんに報告しました。「久世福商店」の名前は知りませんでしたが、包装紙に印刷された一文が「イザヤ書」43章4節に気付きました。「私の目には、あなたは高価(precious)で尊い(honred)。
わたしは、あなたを愛している。」 経営者がクリスチャンなのでしょうか。企業の理念とベスト商品揃えが合致しているように思いました。素晴らしいプレゼントでした。
亜実ちゃん、おじいちゃんは亜実ちゃんと違って、今は「毎日恋している相手」は残念ながらいません。毎朝仏壇にお茶を供えておばあちゃんと話すことから一日が始まります。夜は、奥の間(仏壇の間)で寝てますから、一晩一緒です。いつもおばあちゃんと一緒だから寂しくありませんが、呼びかけても返事が来ないから、寂しく感じます。
長くなりました。朝食の準備に入ります。トースターは快調です。
6月18日(日)
6時から3時間半、屋内の掃除と洗濯。
座敷と奥の間の掛け軸を掛け換える。
座敷は日下部鳴鶴(仙史)の「七言絶句」で二双の屏風の書体と揃える。奥の間は遊行上人の軸物である。
午後、尚子さんから「父の日」の贈り物、「カネ美食品」からグルメセットが届く。専らリビングで雑読、夕方には庭の散水。
夜、NHK「おんな城主直虎」を見て「椿の湯」
6月17日(土)
6時半から3時間、表庭のカイヅカの生垣の剪定作業完了。
10時、道後温泉別館「飛鳥乃湯泉」開館記念講演会①「文献に見える天皇の行幸と古代湯帳の歴史」(前園実知雄氏)を聴く。子規博3階ホールに300人集まる。
1)はじめに
2)『伊予風土記』逸文に見える天皇の行幸
3)『古事記』・『日本書紀』に見える伊予と湯泉
4)飛鳥で出土した木簡に記された湯評
5)『万葉集』・『源氏物語』に見る伊予の湯
6)古代浴衣(湯帳)について
7)中国古代の皇帝と温泉宮
1)~5)は既知の歴史であるが6)~7)は映像であり興味深い。
田中、江刺、八束、池田氏ら一遍会理事クラスの出席多し。
ランチはセブンの「冷やし中華」。午後、前園実知雄氏の講話の復習。川掃除や表庭の水やり。エアコン付で書斎作業。
17時から21時まで映画「三屋清左衛門残日録」(北大路欣也主演)を見る。「椿の湯」。
「椿の湯」。
6月16日(金)
本日快晴!!!
畑の水やり後、昨年の秋までは家内との共同作業で一日で終わったが、一人作業となると片付け、袋入れの手間が大変で少々腰を痛めたようだ。7時半~9時半の2時間の作業で打ち切り。
妻の「七の十五日」。11時バスで奥道後(壱湯之守)に向かう。月一回家内と出かけたランチバイキング&スパの恒例行事である。帰途、義安寺で新たに設置した「道後 三好家之墓」を確認する。
夕方までエアコンの効いたリビングでのんびりする。「椿の湯」の予定はないので業務スーパーの陳列棚の商品群をチェック、ジャムは「セブン」で探し求める。
温子の「七の十五日」メールには息子と息子の嫁からメールが届く。
6月15日(木)
本日快晴!!!
暑くなりそうなので午前中が勝負・・・洗濯、水やり、垣根の刈り込み、シュロの剪定、庭の散水設備の設置、ベットの敷布、カバー干し・・・・・と、6時から働きづめ(?)で、やっと11時に完了。ヤレヤレ。
昼食後はTVを眺めてぼんやり過ごす。16時、今夏初めての庭の水撒き。
夜はTV「プレバト」を見て「椿の湯」。
6月14日(水)
温子の不慮の死に結びついた裏庭の柏の枝切りと片付け。命綱は枝にしっかりと巻きつけられており、心臓発作で1メートル離れた綱の結び目に届かず宙ぶらりんになったのか。
命綱をしていなければ、地上に落下して、骨折くらいで済んだのかもしれない。いずれにしても共同作業であれば助かった生命だったかもしれない。悔やんでも悔やみきれない辛さが残る。
東北の鬼門に当るので除草をしてクリーンな空き地にしておきたい。
遅めの昼食。柏井正子さんの日赤入院に関しての諸々の打ち合わせ。「おひとりの老後と入院」についてはいろいろ考えさせられた。
泰世に「父の日」のプレゼントの礼状を書く。松山子規会烏谷事務局長に所見を送る。
【→烏谷氏】
冠省 過半の打ち合わせ会の席上、宇都宮さんから「HP松山子規会」の提案があり異論はないのですが、HP制作の経験から慎重にご検討いただきたく左記しました。
①担当者 現役員では佐伯さん以外頭に浮かびませんが、佐伯さんは数年を待たず「秋山兄弟記念館」の事務局長かと思います。無理でしょう。適任者を決定後、HP制作の準備に入るべきです。
②費用 担当者には最低限パソコン・スキャン・印刷機・写真取り込み等編集ソフトとあわせてHP容量の業者支払いが必要です。余裕をもった予算が必要です。
③HP担当者と役員の情報交換(受発信)はメールが前提でないと担当者は作業量でパンクするのが必定です。役員は最低限「携帯」でのメール受発信かワープロ原稿の義務付けが必要です。まずは、思いつくままに・・・・
6月13日(火)
快晴。屋敷内のガラス戸、障子を開けっ放しにして空気に入れ替え。モップでフローリング、畳の掃除、洗濯と続く。書斎に入ったのが10時。11時、晃子さんが弁当持参で訪問。
午後2時からサミット。
神戸から「父の日」の贈り物(マルチカードケース)。重宝したい。
フジで食料品購入。「椿の湯」。
6月12日(月)
快晴。川掃除で引き上げたゴミの処分。
「野中経営」と温子の遺産相続につき葬儀費用を含めて確定を依頼する。
引き続き、自分の資産を含めて最終的に息子、孫たちへの「相続」につき、この際検討しておくことにした。
「一遍会6月度定期便」23部郵送する。宝厳寺には「宝厳寺古図」の複写資料を送る。
「文芸春秋」⑦通読。「椿の湯」。
【→宝厳寺 長岡陽子】
お届けすべき「一遍会6月度定期便」と「宝厳寺古図」を今回は郵送させていただきました。
古図の原本は伊予史談会所蔵ですが、一般公開はしていません。高須賀さん(現・伊予史談会相談役 前・会長)にご相談されてはと思います。
是非、パネル展示され、県内外の観光客に広くいにしえの宝厳寺の威容をご覧頂いては如何かと思っています。
6月11日(日)
温子が亡くなって100日、実感はないが確実に月日が過ぎ去ったのは事実である。
午前中伊予史談会6月例会出席(県生活文化センター)。
1)「伊予の修験寺院―吉田領当山派袈裟頭宝冠寺を中心に―」 竹島大佑氏
2)「松山にみる近現代マスメディア史」 松友武昭氏
修験道は概論では理解しているが、具体的な寺院名が出ても内容が理解できない。本山派の聖護院、当山派は醍醐寺三宝院は訪問してはいるが・・・
松友氏のマスメディア史は調査の努力は大いに評価するが、解釈については異論もある。
午後、川掃除。一遍会6月度定期便の袋入れ作業完了。恒治、淳志、尚子さんから温子百ヶ日のメールが届く。
NHK大河ドラマ「おんな城主直虎」。「椿の湯」。
6月10日(土)
一遍会六月例会(道後公民館)。
1)「一遍語録を読む」⑮ 杉野祥一氏
2)「国宝『一遍聖絵』のびっくり・ポン!」
夕6時から大街道「すし丸」で一遍会役員懇親会。@5,000円。杉野祥一・永井芳枝理事欠席で9名参加。江刺精久理事の独演会となる。実に楽しい一夕であった。。
6月9日(金)
温子の「七の十四日」に当る。晴天、朝一番に洗濯。
9時半、蜂須賀さんの車で宝厳寺を訪ね、「伊予史談」寄稿原稿の住職、檀家総代の見解を聴取。陽子尼も尼らしくなってきた。
午後、同誌の「歴史余話」の「宝厳寺の再建」(4,000字)執筆。
『文芸春秋』7月号通読。
①特集 奢れる安倍一強への反旗
②わたしの師匠22人
③小池百合子「私の政権公約」
④「高齢者と抗がん剤」の真実(国立がんセンター理事長 中釜斉)ほか。
通販申込みのマジックトリマー入手。表庭の生垣と裏庭の雑草の刈り込みを来週実行したい。
晃子さんがトマト煮込み料理を持参。「椿の湯」。
6月8日(木)
午前中、NHK松山支局、県図書館、県美術館。
①「ターナーからモネへ (ウエールズ国立美術館蔵)」
②第28回愛媛独立書展
昼食は「東京第一ホテル松山」、喫茶は「スタバ」。
午後、松山子規会「松山 子規事典」役員会。故 故和田克司編集委員長の「事典」での取り扱いにつきホットな議論。井出会長と小生の少数意見が通る。無情と非情は違う。故人は故人として取り扱うということだ。
結果として平岡英 現編集長を支援することとなった。
「椿の湯」。
6月7日(水)
朝から終日雨である。いよいよ梅雨入りか。午前中、溜まっていた日記の整理や来発状の点検をすます。
正子さんから日赤(梶原医師)で肺がんの疑いがあり、説明(手術、放射線治療など)に同伴してもらいたいとの申し出あり。22日(木)で了承する。手術後の入院となると男では役に立たないから女性の世話人を依頼するようにアドバイスする。
薬師寺から「薬師寺伽藍復興 写経勧進納経集印帳一」送付。今回が5回目である。(①昭和59年5月6日②平成2年1月2日③平成2年4月29日④平成3年1月2日⑤平成29年6月3日)年1回は薬師寺で写経をするか。
6月6日(火)
朝10時「シネマサンシャイン衣山」で「家族はつらいよ②」を鑑賞する。夫妻(橋爪功・吉行和子)、長男夫妻(西村雅彦、夏川結衣)、長女夫妻(中嶋朋子、林家正蔵)次男夫婦(妻夫木聡、蒼井優)の組み合わせが絶妙、笑いを誘う。急死した同期生(小林稔侍)のメイキャップに驚く。
「車の免許証」を巡ってのいざこざは解決されないままだが、山田洋次監督の脚本と演出は当代一流である。実に面白かった。
ランチはゾーン内の「つるちゃん」のうどん。
伊予鉄で古町乗換え清水町下車、「ダイキ」で『一遍会報』第389号印刷。両面カラー印刷で@120円が@60円なので経費的には大助かりである。
なんとなく疲れて無為に過ごす。龍穏寺住職と打ち合わせ、温子の新盆法要を7月22日19:00~20:00開催と決める。「椿の湯」。
6月5日(月)
爽やかな初夏の一日となる。
懸案の事項を一気に片付ける。
①「一遍会6月度ニュース」」の編集と会員にはメールで伝達。
②『一遍会報』第389号最終稿を取りまとめテスト印刷。初めてのカラー版である。
③アマゾン経由パソコン未着トラブル処理。
④温子「残高証明書」取りまとめ。
⑤梅谷繁樹師宛『一遍会報』掲載依頼。
⑥「新盆」「お盆」日程の打ち合わせ。
⑦「飛鳥乃温泉開館記念講演会」申込みなど
⑧一遍会6月例会江刺講師と時間調整
夕、亜実から誕生日お祝いの御礼電話。
「椿の湯」。
6月4日(日)
朝から洗濯(2回)、留守中の空気の入れ替えと掃除で大忙しである。
葉書は6月1日から10円値上がりしたことを忘れ、前嶋さん宛の礼状が返戻、いやはや。
温子の「残高証明書」揃う。相続人の分割協議について息子との確認を今月中に終了したい。
『一遍会報』第390号の足助威男掌上仏写真の編集。
「奈良一人旅 平成29年6月」の紀行文を取りまとめ息子たちに知らせる。
午後3時頃に気温がピーク(28℃)になる。夕方買いものに出かける。(フジ、業務スーパー、セブン)。
NHK大河ドラマ「おんな城主直虎」。「椿の湯」。
6月3日(土)
ホテルで朝食(サービス)後、奈良バスで薬師寺に直行、8時半開門とともに入門、僧侶と朝の読経(般若心経)をあげ、「写経」に入りました。薬師寺での写経は5回目でしょうか、今回は「為三光院春雅温妙大師」を念じました。母さんとは2回一緒に写経しました。竣工した「食堂」や金堂、講堂、西塔を回り、11時近鉄で西大寺に出て、10年ぶりに「西大寺」を参詣しました。法相宗の薬師寺と違い真言律宗の西大寺には密教の雰囲気があり、たまたま管長と出会いお話しが出来ました。
14時奈良に戻り、奈良町界隈を二時間ほどぶらり散策して、最終のリムジンで伊丹に向かい「空弁」とビールで小休憩、ANAの最終便(20時発)に乗り込みました。
暑さの中一日2万歩くらい歩きましたが、奈良は日陰も多く快適な旅でした。奈良一人旅は充実していましたが、ホテルの夜は話し相手の母さんがいなくて寂しかったです。
6月2日(金)
ANA始発(8時)で伊丹空港に着き、リムジンで奈良に直行し11時には奈良国立博物館に入館しました。鎌倉時代の仏師といえば運慶、快慶ですが、「特別展 快慶」と「奈良仏像舘」をたっぷり3時間かけて見学、次いで春日大社と同国宝館を見学、誕生したばかりの「子鹿苑」に立ち寄り童心に帰りました。興福寺を経由して、近鉄奈良駅からバスで国鉄奈良駅に出て「コンフォーとホテル奈良」で17時チェックイン。
6月1日(木)
道後公民館で一遍会8月例会の会場申込み。子規博で6月度子規さん俳句確認「温泉(ゆ)上がりに三津の肴のなます哉 子規」。愛媛銀行、伊予銀行、郵便局を回る。
一遍会6月例会案内を会員に流す。HP「一遍会」の追加(イラスト)を勝岡昭氏に依頼、夕方最終版をセットする。
前嶋さんから「お供え」が届く。史晃、亜実が6月誕生なのでお祝いを贈る(@10,000円)。
明日から奈良一人旅、念入りに準備する。
【→俳句】
平成29年6月 「温泉上がりに三津の肴のなます哉 子規」
子規記念博物館(館長 竹田美喜氏)選句の子規さんの平成29年6月の句は「温泉上がりに三津の肴のなます哉 子規」です。
明治23年(1890)の作品で、季語は「冲膾」(夏)です。『子規全集』第三巻 俳句三「寒山落木 拾遺」494頁 (明治二十八年)と第十八巻 書簡一 165ページに掲載されています。
明治二十三年八月三日付け「大谷藤治郎(是空)」宛書簡を掲載する。
「此度愈鉄窓の方角士を辞し大阪の大川町の大谷といふ身故まづ大三字といふ役に栄転せられたる処欣抃(きんべん)々々 然るに又もや病魔に襲はれ給ふよし不欣抃(きんべん)々々(差引零となる之を是空といふ) 早く来給へ御馳走して待てゐるよ
温泉上がりに三津の肴のなます哉 」
子規にとっての「親友」である是空に、ふるさと道後の温泉とふるさと料理で病気の友を励まそうとする、子規の優しい気持ちが感じられる句である。
今も同様であるが、近海物は三津であり、伊予節に「三津の朝市 道後の温泉」とある。
子規さんにあやかって一句
「温泉上がりに伊予のみかんと団子哉 子規もどき」 道後関所番
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5月31日(水) |
8時半からタケオ電気のエアコン設置作業継続、15時に完了する。今夏は、次の間、奥の間、離れの3室ともにエアコン付だから、恒治・淳志ファミリーが帰宅しても大丈夫である。HP一遍会の6月度版は「子規さん6月度俳句」を除いて作業完了。二時間ほど表庭の草引き。 |
5月30日(火) |
8時半、タケオ電気のエアコン設置作業(4台うち2台は更新)。温子と毎年出かけていた「フジファミリーミュージカル」に応募。今年の公演は「あしながおじさん」(13:30~ ひめぎんホール)。バレーボールの大林素子OGが出演だから彼女があしながおじさん(リペット院長)になるのだろう。10時「イフイ」と墓石の最終打ち合わせ。6月末には完工(予定)。新盆には骨壷を納めることができそうだ。やれやれ。
午後、エアコン5台の据付が始まる。セットが終わると電源を切っての点検確認、パソコンが自由に使えない。その中で、HP一遍会の6月度版の改定作業を進める。昨日と同じく、早めに「椿の湯」。 |
5月29日(月) |
メールに見慣れない名前がある。「一向上人と一遍上人が並んで踊り念仏をしている」という新出史料が出ました。山形県立博物館収蔵です。年間案内の「私たちのたからもの」のところに図像が載っています。
http://www.yamagata-museum.jp/event/schedule/?action=common_download_main&upload_id=8129
早速検索し、一向上人と一遍上人の踊り念仏の画像を入手する。一向上人については数年前に一遍会例会で発表したが、まだまだ一向上人は謎の人物である。
午前中、郵便局、市川バナナ店、クリーニング屋・・・と回る。主夫業も板についてきた。タケオ電気が配線、エアコン取り付け作業に入る。午後、梅木賢正君が来訪。2時間ほど雑談する。今年初めて扇風機を回す。フジで週初のショッピング、早めに19時「椿の湯」。 |
【→井澤先生】
「一向上人と一遍上人が並んで踊り念仏をしているという新出史料」をご紹介いただき、まことにありがとうございました。一向上人画像は「一向上人立往生の図」のイメージそっくりですが、一遍上人画像は「はて、いかがなものか」が初印象です。大いに興味が湧きました。6月9日に宝厳寺で、故長岡住職夫人と次女陽子尼に会う予定ですので、話題にしたいと思います。まことにありがとうございました。ご紹介いただき感激しております。今後ともよろしくお願い申し上げます。 |
5月28日(日) |
午前中3時間、義安寺で墓掃除、温子との共同作業では半日仕事だったが、一人なので来週再度墓掃除が必要である。「メルパルク」でランチを食べ、温泉で1時間ゆったりと過ごす。気持ちの余裕が出来たところで今週末の奈良一人旅のプランをとりまとめる。ANAの手配、「コンフォートホテル奈良」をセットする。温子の死後はじめて家を一晩空けることになる。NHK大河ドラマ「おんな城主直虎」。 |
【→神戸】
芭蕉の句に「行く春を近江の人と惜しみける」がありますが、淳志の心は「行く春に近江の人と別れける」なんだろうなあと思います。最後の支店長職が人情味ある近江の草津でよかったですね。6月にはいると暑さが厳しくなるので、朝8時過ぎにお墓の掃除に出かけました。年3回(春、夏、年末)母さんとの共同作業で墓掃除は午前中に終わって、「メルパルク」でランチを食べて、温泉に入って・・・という過ごし方でしたが、やはり一人では半分しかできず、来週にもう一回掃除に出かけます。もっともランチは食べて温泉に入って今帰宅しました。6月末には、墓が出来あがるかなと思っています。昨日の同窓会は散髪して颯爽として出席したので、「おばさん」達から「恭治さん、頑張ってますね。安心しました。」という声援を送られました。もっともデイトの誘いはありませんでした。いやはや。という次第です。恒治と喫茶するそうですね。よろしく云っておいてください。 |
5月27日(土) |
午前中2時間余、表庭の草引き。キイチ(担当 山岡)から茶室&納屋修繕工事の見積書提出(30万円 うち6割は茶室用畳の新調代)。
夕、高校同窓会総会出席(ひめぎんホール真珠の間 17:00~19:30)
①講演「子規・漱石・極堂生誕150年-松山中学と子規・漱石・極堂」 講師 竹田美喜(子規博館長)
②俳句部紹介-「俳句甲子園」の真似事だが、褒められないし、中学校の水準である。現在部員が5名(男子3名、女子2名)では、子規も大江も失望するだろう、な。
③総会・懇親会。同期の出席は男子5名(石川・戒田・篠浦・三好・山崎)女子10名といったところか。石川君から一遍会参加の申し出あり、大歓迎である。
久しぶりのアルコールで酔ったので、椿の湯はお休み。 |
5月26日(金) |
朝一番に洗濯、引き続き表の草引きとマーガレットの花後の片付け。昼食後、畑の除草など。
夕、義安寺に墓参り。春彼岸は温子の法要等で落ち着かず、墓地の清掃をしなかったので雑草がぼうぼうと伸びている。近日中に草引きをやらねばなるまい。18時、道後彩朝楽のプレミアムバイキング&スパ(@2,288円)。いつもの席に座る。「つかさビューホテル」時代からの利用客でもあり、女将と雑談を楽しむ。露天風呂からの眺望もよし。21時半過ぎ帰宅。妻の「七の十二日」に当るので息子たちに定期的なメッセージを送る。 |
5月25日(木) |
昨夜は雨が降り続くも朝には止む。早速草引き開始して2時間。昼食後、JAバンクで「残高証明書」を受け取り、その足で「しげまつ」で散髪。フジで数日分の食料を買い込む。前嶋さんから温子に、例年通り旅の誘いが来る。早速返信する。驚くだろうなあ。TV「プレバト」を見て「椿の湯」のパターン。 |
【→前嶋さん】
謹啓 能登、金沢ツアーのご案内ありがとうございました。哀しいご報告となりますが、妻・温子は、三月四日に急逝いたしました。庭で枝切りをしておりました時に心臓麻痺で倒れました。当日九時半に妻に見送られて会議に出席しましたので「発見」は夕方になりました。苦しみもなく、穏やかな、微笑みすら感じられる顔でした。
前嶋様とは、本当に、長い長いお付き合いでした。ありがとうございました。特に近年は、毎年のように上阪し、前嶋様とのデイトを楽しみにしておりました。本年の能登、金沢には何回も夫婦で訪ね、また淳志が金沢支店で勤務したこともあり、大賛成で参加したことと思います。霊前に、お手紙とツアーの切抜きを供えて報告しておきます。前島様にはご主人様を亡くされお寂しい気持ちと存じますが、妻を亡くして二ヶ月半の私にとって「妻宝極楽」から「妻宝浄土」の心の安らぎを得るのは至難のことだろうと思っております。
松山にお越しの節には、是非お立ち寄りください。お待ちしております。訃報をお知らせしようと思いつつ旬日を重ねてしまいました。七七日法要で配りました写真を同封しました。正倉院展での前島様との写真も掲載しております。早春から初夏へ・・・時の流れを感じております。恒治は六月から東京勤務、淳志は滋賀県の草津支店から五月中旬に大阪(梅田)勤務になりました。定年が延びましたので、松山で一緒に住むことはなくなりました。前島様には末永くご多幸でありますように祈念申し上げます。まずは御礼とお知らせまで。敬具 |
5月24日(水) |
タケオ電気の改修工事が入る。(担当者2名)。20年前の帰郷時の大改修以来の電気工事となる。19時まで仕事が続く。
午後、「フォレスタコンサートIN 愛媛」(市民会館14:00~16;30)。「フォレス」はBS日本・こころの歌でおなじみのコーラスグループである。松山公演では男性7名、女性が4名、ピアノ3名、司会は石川牧子。男性歌手はなかなかのエンターテイナーである。歌(メロディー)の多くは知っており大いに楽しめた。あざみの歌、浜千鳥、みかんの花咲く丘、熱き心に、荒城の月、故郷の空、まつり、からたち日記、ダンシング・オールナイト、ダイアナ、川の流れのように、「瑞穂幻想」は知らない曲であった。
タケオ電気が退出したのが19時、慌てて夕食に準備、20時30分には「椿の湯」。疲れていたのだろう、22時30分就寝で目覚めが今朝5時30分、正味7時間の熟睡か。 |
5月23日(火) |
市役所道後支所で相続関係証明書手続き。新生銀行とオリックス銀行に「残高証明」請求手続きをする。
キイチ(担当 山岡さん)と家屋の修理・修繕の打ち合わせ。
①屋敷蔵の物置1室を書庫に改修。
②茶室(温故亭)の補修と畳入れ替え
③長屋門内の居室(現在は書庫)の改築・改装プランは息子たちと相談して企画を進める。
午後、コミセンに出掛ける。市図書館で約1時間ぶらり読書して、松山法人会主催の講演会に出席。
講師は田崎史郎氏(時事通信社)「これからの政局のゆくえ」。田崎氏は週何回かTVの時事コメントでお見かけする。実に話題が豊富で、官邸筋の情報が新鮮である。政治とは政治家がつくる。政治家は①人間関係と②二つの「リ」で動く(「理」理念、理論、「利」利益)で動く。「人間関係」は政治家の不遇時の人間関係が重要なファクターである。実に明快である。宅は18:00。急いで夕食の支度、「椿の湯」でゆったりする。 |
5月22日(月) |
可燃ゴミ集配日であり、温子の肌着類、川掃除の藻類が加わってパック5袋になる。8時、日野歯科受診、右奥歯の治療完了。半年間休みにしたので一年がかりとなった。洗濯の後、愛媛信用金庫で「解約手続き」を済ます。昼食は三日続きで「うどん」、出汁さえあれば手間要らずである。
『一遍会報』第390号(八束武夫論文)の割付。原案を八束氏に照会、7月号で発行の予定である。
午後、気温は30度近いが、風があり湿度もあまり高くないので、体感温度は26~7度か。「松山エデンの園」(聖隷福祉事業団)の担当者から電話。同園の行事の案内は了承する。主協力医療機関は「松山ベテル病院」。21時「椿の湯」。 |
5月21日(日) |
「まつやま子規亭2017」申し込み。①「寄席の江戸芸を楽しむ」(二代 林家三平)②「歌舞伎を楽しむ~トークショウー~」(市川猿之助)③「音楽を楽しむ」(クミコ)④「市川猿之助特別舞踏会」。通し券は15,000円。今週分の溜まっていた未記入の日記に書く。
午後から浴室の不用品、2畳間の温子の肌衣類の処分などなど。夕、今市川の清掃で一汗流す。NHK大河ドラマ「おんな城主直虎」を見て「椿の湯」。 |
【→息子へ】
おはよう 朝食、片付けが終わって机に向かっています。今日は30度近くに暑さになるそうですね。ゆっくり休養してください、な。「残高証明」は市内の銀行分は終わりましたが、信託銀行や東京・大阪の取り扱い銀行はこれからになります。。そのうち「印鑑証明」などの依頼をすることになるでしょう。恒治は東京だから手続きに時間がかかりますが、よろしく頼みます。
来週から、安全対策で①裸配線の取替え②お蔵の床板の補強工事と③母さんの化粧品類、肌着類の処分④新しい墓の建立と新盆に向けての準備と入ります。来週の予定は(月)日野歯科受診(火)法人会講演会(田崎史郎氏)(水)フォレストコンサート(金)道後彩朝楽バイキング&スパ(土)高校同窓会と続きます。という次第で、杖をつきながら歩きまわっています。シニアにしては元気だと思ってはいますが・・・・・
飛び込みの仕事が入らなければ30~31日に奈良に出掛け、奈良国立博物館と春日大社資料館を見学したいと思っています。始発のANAを利用すると午前中に奈良に着きますので随分楽になりました。神戸には立ち寄れませんので悪しからず。暑いようだったら中止します。恒治は上京の準備、淳志は新職場赴任と職場環境が大幅に変わりますが、健康には充分留意してください。泰世さんの携帯着信は依然不通です。恒治の上京までに対応しておいてください。 |
5月20日(土) |
子規博で竹田美喜館長の講演会に出席。テーマは「子規と漱石の五十二日--俳句革新論稿『俳諧大要』誕生秘話-其の一」。力作であり、講師の熱気が伝わってくる。『俳諧大要』は自分の関心テーマではなかったが、改めて勉強してみたいと思う。特に、須磨の病院で生死の境をさまよった時に「日蓮」に傾倒した推移は子規の生死観に大きな影響を与えたのは事実であり、この点からもアプローチしたい。午後、30度近くに気温上昇、外出は取りやめる。
温子の葬儀、法要、相続関係の収支の取りまとめ作業開始。墓が予算600万円であり、支出は1,000万円を越すことになる。
一遍会六月例会予告をマスコミ・ミニコミに流す。5月度例会講演の八束武夫氏から『一遍会報』の原稿が届く。依頼した字数を大幅に越えているので対応に苦慮する。屋内の片付けを進める。やっとタオル類を一ヶ所に格納する。「椿の湯」で汗を流しほっとする。 |
5月19日(金) |
午後、松山子規会5月度例会(正宗寺)出席。講師は高村昌雄氏、テーマは「『はて知らずの記』と子規文学碑」。高村氏が足で歩いた記録と写真である。記念碑は都市開発の関連で移設することが多く、なかなか決定版を取りまとめることは困難なようだ。ところで、一遍の句碑や顕彰碑はどのくらい現存しているのか、な。帰途、平岡英氏と一緒になり、『松山 子規事典』等の情報交換。夕暮れまで草引き。「椿の湯」。 |
【→息子へ】
今日は母さんの「七の十一日」に当ります。ここ一週間、朝6時には「うぐいす」の「ほ、ほけきょ」で起床です。毎年来ている「うぐいす」かもしれません。「ケール」もやっと15センチまで生育しました。来月からはジュースで飲むのが楽しみです。バラも咲き、新緑も深緑となり、わが家の佇まいはなにも変わってはいないのですが・・・・・
昨日は例年通り「スーパー フジ」の株主総会に出席しました。母さんがいつも楽しみに出席していた株主総会です。今週から、各銀行に母さんの残高証明の申請でまわっています。結構時間がかかります。県外の銀行は郵送になりますので、今月末を目標にしています。
朝夕の気温差、日中の暑さと「夏近し」です。呉々も健康に留意してください。父は健康ですが、右足をかばい過ぎるのか、左足にストレスが溜まってきてちょっと心配しています。孫たちにもよろしく。まずは、近況まで。 |
5月18日(木) |
10時フジ株主総会。温子が楽しみにして必ず出席していた。手土産は①花カツオ②煎茶パック③食器洗剤④あられ。主夫にとっても有難い土産である。昼食は地下街の「とんかつ活よし」の日替わりランチ。温子名義の銀行残高証明書交付手続き(三井住友信託、二浪証券、愛媛信用金庫、郵便局)。帰宅してから、新生銀行とオリックス信託銀行に電話で手続きする。
「フォレスタコンサートin愛媛」(24日)と「松山子規亭2017」予約申し込み。「プレバト(プレッシャーバトル)」を見て「椿の湯」 |
5月17日(水) |
早朝から草引き。10時、野中経営の吉岡氏来訪。相続関係書類を受け取る。市役所道後支所で印鑑証明書の交付を受け、早速温子名義の銀行残高証明書交付手続き(伊予銀行、愛媛銀行)。取引先が10行あるので結構時間と手間がかかりそうである。
亭庭の草引き、リビング横の納戸の不用品を整理し、仕分けする。「椿の湯」に入って、やっと気分的に落ち着く。 |
5月16日(火) |
朝8時に日野歯科。奥歯の「かぶせ」に約二時間を要す、時間はかかるが丁寧な仕事ぶりである。昼食はセブンの「ドライカレー」、実にうまい。おひたしとスープ付きのMK特製である。宝厳寺に「五月度例会資料」持参、奥さんと話しする。帰宅後、昨日に引き続き、リビング横の納戸を整理。あらかた片付く。リムーバルディスク(F)に松山子規会関係資料を集約する。『松山 子規事典』の出版が一応の区切りとなろう。終日、ウグイスが庭中で鳴く。向こう三軒両隣りの面々は喜んでいることだろう。 |
5月15日(月) |
朝一番に、息子と孫らにメール。昨日の「母の日」を話題にする。郵便局、銀行、市役所道後支所を廻る。ゴルフ会員権贈与の当方の手続きを終え、証明書・申請書を作成する。リビング横の納戸を整理。暑中見舞い、お歳暮、金融機関の贈り物がうずたかく積まれている。食品類、生活関連商品、空箱、紙袋などなどうんざりする。妻も整理整頓は熱心だったが処分は苦手か。「断捨離」に徹していくか。洗濯、畑やプランターの水撒き。今日も肉体的に疲れた。「椿の湯」で身体を休める。 |
5月14日(日) |
伊予史談会5月例会出席。
1)歴史町みつはま漫遊道 越智公行(郷土史家)
2)捨聖一遍の人権に学ぶ 武智利博(伊予史談会顧問)
午後、温子にあやかって「仮称 温故亭」として茶室を活用することにしたので、とりあえず格納していた品を移動させ、掃除を済ます。網戸サッシを4ヶ所(リビング、キッチン、奥の間、離れ)を取り付ける。食器棚の引き出しから在庫の食品をチェック、賞味期限の切れているものは早期に処分していきたい。裏庭の草引き・・・で夕方になる。疲れた。NHK大河ドラマ「おんな城主直虎」を見て「椿の湯」。 |
5月13日(土) |
午前中、(有)タケオ電気社長が見積もり持参。午後、一遍会5月例会並びに理事会開催。講話は八束武夫氏「河野氏の遠祖を探る(3)」。理事会では6月例会後に「すし丸」での懇親会開催を決める。夕、表庭の草引き、2時間余。NHK「ブラタモリ」(箱根関所編)を見て「椿の湯」。セブンに立ち寄る。 |
5月12日(金) |
午後から天候が崩れるとの予報があり、午前中座敷の草引きに集中する。夕方から雨となる。午後、『一遍会報』第389号の写真版の制作に注力し、2頁12枚の掌上仏の写真と坂村真民翁らの詩を割り付ける。これで次号(6月度例会配布分)の見通しが立った。次男は現場(支店長)から経済研究所に転籍の由、まずは順調な銀行マン人生でなかったかと思う。 |
5月11日(木) |
晴れ間の一日、洗濯す。午前中、『一遍会報』第389号の写真版の制作。パソコン技術としてはいささか無謀を承知で『掌上仏の世界 愛燦々無尽 足助威男作陶集』掲載の写真をデジカメで撮り、パソコンに取り込んで会報紙面に割り付けるという作業である。テストしてみたが、なんとか編集できそうである。80歳のおじいちゃん頑張れである。いやはや。昼食は晃子さんが弁当をつくって訪問してくれる。有難し。温子の追憶が中心になる。当然のことではあるが・・・
14:00から「日野歯科」受診。一年越しの(ただし飛び飛びの受診だが・・・)歯の本格的な治療は次回で終了となる。金歯(@6万円)は止めて「保険適用」で奥歯のカバーをすることにした。夕方2時間、座敷、お亭、表庭の草引き。夕食後、20時「椿の湯」に出掛ける。 |
5月10日(水) |
雨が降るようで降らない鬱陶しい一日である。一遍会5月例会で配布する「一遍会ニュース」と『一遍会報』第388号を最終チェック。ダイキで60部と80部印刷する。小論「宝厳寺再建」も印刷。モップを購入。毎週水曜日に濡れ縁を拭き掃除することにする。式台、座敷濡れ縁、亭庭濡れ縁の3ヶ所。子規会嶋川氏『松山 子規事典』販促で来訪。
リビングで5分間隔で「ピー」の警戒音。てっきり冷蔵庫と思ったらガスレンジが発信元とは・・・慌てて修理に出さなくて良かった。尚子さんに主夫業についてのメール照会する。「椿の湯」 |
5月9日(火) |
終日、雨である。伊予史談会依頼の小論「宝厳寺再建」脱稿。息子に贈与する明石ゴルフ倶楽部の会員権の手続きについて同社に照会する。
4月8日から測定を開始した血圧記録一か月分を検証する。80歳の標準は160~90mmHGであるが、目下最高血圧が160~170~180
である。180を越すようなことになれば柳井医師に相談するか。
午後、二ヶ月ぶりに「サミット」参加。気のあった小学生の友人だけに、2時間の会話も楽しい。 |
5月8日(月) |
一遍会5月例会ニュースを会員に流す。奥道後「壱湯の守」バイキング&スパに出かける。GW明けなので予想通りレストランもスパもガラガラである。四つの浴槽で他の客とバッティングしなかったのは入浴客最大4人と云うことか、いやはや。夕方の表庭の草引き以外は一日家事から解放された次第、母さんの気持ちが少しは分かるようになったが、遅すぎた、無念。 |
5月7日(日) |
小論「宝厳寺再建」の継続執筆。初稿としては完了する。冬物の洗濯、亭庭の草引など。NHK大河ドラマ「おんな城主直虎」を見て「椿の湯」。観光客が少なくなり、「椿の湯」にもやっと平穏が戻る。温泉関係者の言だが「これほどの混雑ははじめてだ。」とか。常連の西山さんの言では「これほど汚れていたら入浴する気にもならない。シャワーで全身を洗って出てきた」とのこと。 |
5月6日(土) |
小論「宝厳寺再建」の継続執筆。募金、寄進細部について蜂須賀宝厳寺総代に照会する。予定通り、明日粗稿を仕上げたい。二時間、表庭の草引き。冬物と夏物の衣料の入れ替え・・・はじめての経験になるのでやや途方にくれる。5月中にうまく切り替えていきたいものだ。「椿の湯」は、やっと空いてきたようだ。やれやれ。 |
5月5日(金) |
「こどもの日」である。神戸の息子二人にメッセージを送る。小論「宝厳寺再建」の継続執筆。7割くらいの進行か。『明教』第44号に「宝厳寺炎上す~在りし寺の記憶の継承の試み~」を寄稿しており大いに参考になった。
座敷と表庭の草引き2時間。GWも妻が逝ってしまうと孤独の数日間となる。週明けには奥道後温泉に出かけるとするか。「椿の湯」は三日間ではもっとも混雑している。これでは到底温泉気分など湧かない。 |
5月4日(木) |
小論「宝厳寺再建」の執筆。3年間の鮮明な記憶と未発表の宝厳寺史料を組み合わせて伊予史談会会員に興味ある話題を提供したい。座敷の草引き2時間、プランターの「ケール」30本を畑に移植する。妻も「ケール」を便秘に役立つと重宝していたが、毎朝のドリンクは健康のバロメーターのように思える。恒治の「ケータイ」へのメールが毎日の日課となる。安否確認を兼ねるようになった。大成功である。「プレバト」(プレシャー・バトルの略称)の俳句を見て「椿の湯」。昨夜以上の混雑振りである。 |
5月3日(水) |
GW後半の開始、「憲法記念日」である。安倍首相が2020年に憲法改正を発議する意向を表明した。週末までに『伊予史談』掲載の「宝厳寺再建」を執筆するので、保管中の資料をとりまとめて手元に置く。市教委文化財課と市消防局の資料で正確を期したい。合間に座敷の草引きと畑づくり。鍬を手にしたが昨年に比べて体力が極端に落ちたことを痛感する。「椿の湯」は、例年通りの大混雑、本館に入れない団体客がどっと来て・・・ |
5月2日(火) |
快晴。思い切って家中の窓を開けて(二階を含めて)、ついでに押入れや洋服ダンスも開いて空気の入れ替え。陽気に誘われてか、シロアリ発見、警戒警報発令だ!!待ち焦がれていたウグイスがやっと裏庭に来る。「ホ、ホケキョ」の美声を終日聞かせてくれる。洗濯。HP一遍会5の月度改訂版完了。4月度収支決算を済ませ、銀行口座との確認。
「松山エデンの園」に入居中のTK君に松山東高校同窓会の案内のメールを送る。将来入居する「介護付き有料老人ホーム」の候補の一つでもある。夕方になってから1時間表庭の草引き。夕食後、椿の湯。 |
5月1日(月) |
朝一番に一遍会会員に5月度例会案内を流す。公民館で一遍会7月例会の会場申し込み。子規博で五月度懸垂幕子規さん俳句「すよすよと舟の側飛ぶ蛍かな」確認。例のよもだ俳句は「妻の死を悼む すよすよと吾の側飛ぶほたるかな 子規もどき」である。小沼大八氏から『一遍会報』第488号の校正が届く。4ページ全てが小沼論文となる。HP一遍会の4月度更新作業。日中、1時間ほど亭庭と座敷の草引きと畑づくり。「椿の湯」。 |
【→俳句】
子規記念博物館(館長 竹田美喜氏)選句の子規さんの平成29年5月の句は「すよすよと舟の側飛ぶ蛍かな 子規」です。
明治28年(1895)の作品で、季語は「蛍」(夏)です。『子規全集』第四巻 俳句二「寒山落木」248頁 (明治二十八年 夏)と第二十一巻 草稿ノート67ページに掲載されています。
明治二十八年の蛍の季節といえば6月頃か、子規は従軍記者として大陸に渡り、帰国時船中で喀血し神戸病院に入院したのが5月23日、須磨保養院に移ったのが7月22日であるから、この句が作られたのは神戸であり神戸病院のベッドかもしれない。
子規は、生死のさまよう中で、蛍が闇の中を進む小舟の側を「すよすよ」と飛んでいく幻想をみたのかもしれない。。蛍は子規、あるいは子規の魂かもしれない。飯田蛇笏が芥川龍之介の死を悼み詠んだ「たましひのたとへば秋のほたるかな」を思い出した。
「すよすよと」という言葉は『日本国語大辞典』にもないし『広辞苑』にも載っていない。子規の造語かと思い探索を始める。
「すよすよとのびて淋しや女郎花」(寒山落木巻二 明治二六年秋)
「寒燈明滅小僧すよすよと眠りけり(寒山落木巻二 明治二九年冬)
寒燈明滅の「すよすよ」は、「すやすや」と「そよそよ」の合体か。女郎花の「すよすよ」は「なよなよ」の感じもある。とすると、蛍の句は・・・・・
明治期、松山では「すよすよと」という表現があったのだろうか、非常に興味あることばである。ぜひ、ご意見をお寄せいただきたい。
子規さんにあやかって一句
妻の死を悼む
「すよすよと吾の側飛ぶほたるかな 子規もどき」 道後関所番 |
4月30日(日)
リビングの格納棚や物置を整理。賞味期限を越えたドリンクや缶詰、調理器具などを「発見」する。
リビング内に商品を陳列して、見える状態化した。在庫整理を中心にして、当座は必要な食料品だけの補充に絞っていきたい。
日中、亭庭の草引き3時間、気温は25度Cまでに上がり作業は中止。
NHK大河ドラマ「おんな城主直虎」を見て「椿の湯」。
4月29日(土)
気温も20度、爽やかである。畑の手入れと表庭と座敷の草引き。百姓仕事である。畑はケール畑づくり、一週間後くらいにポットから移植する。草引きは全体の3分に1程度の進捗か。まだまだ一ヶ月はかかりそうである。
現在は使っていない茶室だが緊急時の避難場所と考えており、名前は「温恭庵」とした。「温子」と「恭治」から一字づつ頂いたが「温恭」は詩経の商頌、那の「温恭朝夕、執事有恪」(おんきょうあさゆう、ことをとりてつつしみあり)である。おだやかで慎み深いこと。「温和恭敬」なる四字熟語もある。気に入った言葉でありお盆には茶室が使用できるようにしたい。
「椿の湯」。
4月28日(金)
多忙な一日となる。
10時から子規博で「子規・漱石・極堂生誕150周年特別企画」内覧会に招待。
午後は、坂の上の雲ミュージアム創設20周年第11回企画展「好古・真之・子規」を見る。帰宅後1時間ほど、座敷の草引き。
18時半から「道後彩朝楽」のバイキング&温泉入浴。バイキングはお目当てのビフテキを3皿食べる。
浴室は誰もいなくて、露天風呂も大浴場も独り占め。完全にリフレッシュできた。いつもの「指定席」に座る。温子の長湯で、ロビーで一時間くらい待たされ、いらいらしていたことを思い出す。21時に帰宅する。
【→ファミリー】
おはようございます。
今日は母さんの「七八日」に当ります。いつもより念入りに仏間(奥の間)を掃除してお茶とお水を供えました。数日前の弔問の方からお花をお供えいただいたのでユリやランで華やかです。
大きな遺影は応接間、小さな遺影は仏間(奥の間)に飾りました。奥の間で寝起きしていますから一日の半分は母さんと一緒です。
GWには孫たちに会えると張り切っていた母さんの姿が浮かびます。ことしのGWには神戸ファミリーが合流して母さんの面影を偲んでもらえば、母さんも喜んでくれると思いますよ。
プレミアムフライデイの今日は、10時から子規博で「子規・漱石・極堂生誕150周年特別企画」内覧会に出席して義安寺にお参り、午後は「坂の上の雲ミュージアム」創設20周年に出席。夕は「道後彩朝楽」のバイキング&温泉を楽しんできます。1万歩を越すでしょう。母さんも、父の健脚ぶりを見て安堵してくれると思います。
暫しの時間、母さんのことを思い出して、祈ってください。父
4月27日(木)
8:00「日野歯科」受診。
トイレの消毒、掃除。数年ぶりである。便所掃除は一灯園の教えもあり不潔感は感じないが、雑巾で汚れを拭き取る境地までには到らない。修行中としておこう。
午後は庭が湿っており、表と座敷の庭の草引き3時間、腰に痛みが来ないのでどうやら坐骨神経痛は治まったようだ。
「椿の湯」から業務スーパー。
4月26日(水)
終日雨である。
『一遍会報』第388号に青山淳平氏「写真集「掌上仏の世界」」の掲載を予定したが、写真の割付がうまくいかない。
急遽、四月例会講話の小沼大八代表「柳田民俗学における神の問題」に切り替え、原稿からパソコンへの移し替え、会報紙面割付の大作業となる。夕方にはまとまる。やれやれ。
午後、野中経営・吉岡税理士来訪、業務打ち合わせ。妻の預貯金記録の説明する。
晃子さんから食材が届く。夕、小沼大八代表に会報の割付を送付、ほぼ一件落着となる。
4月25日(火)
愛媛CATV本社を経て、高島屋「四川飯店」でランチ。さすがに旨い。
県図書館司書に『一遍会報』385・386・387号を届ける。
県美術館で友の会の継続手続きを済ませ①京都細見美術館名品展と②名嘉睦稔展を鑑賞する。
伊藤若冲「雪中雄鶏図」、尾形光琳「柳図香包」、池大雅「児島湾真景図」や、仏教美術、茶の湯に関する逸品揃いに驚く。
名嘉睦稔の版画を見ながら棟方志向の版画を思い出す。強靭さ、土着性など東北人と沖縄人に共通する「原日本人」のエネルギーの発散か。
「フジ」で買い物して帰宅。夕食、「椿の湯」と続く。
【メモ】
細見美術館は、公益財団法人細見美術財団が運営する美術館です。
実業家・日本美術コレクター、細見古香庵(1901?79)に始まる細見家三代の蒐集品を基礎として、1998年に開館しました。コレクションは、神道・仏教美術から茶の湯の美術、琳派・伊藤若冲といった江戸絵画など、日本美術のほとんどすべての分野・時代を網羅するものです。美術館では、これらを中心に多彩な企画展を開催、古典に息づく美の魂を未来に活かしたいという志のもと、伝統文化の継承保存と普及振興に努めています。また、美術を愛する多くの人々が集う場所として親しんでいただけるよう、館内には茶室・ショップ・カフェも併設しています。
細見古香庵(本名:亮、良とも)は大阪府泉大津市で毛織物で財を成した実業家である。
4月24日(月)
温子の死去から50日、来状書類、手紙類は目を通しただけで積み上げていたので、午前中整理に当てる。
午後、一遍会の永井道子さんが花束持参で弔問。仏間に通すと「般若心経」を唱えてもらう。有難きかな。
応接間で一時間半ほど懇談する。巾広い交遊関係があり、特にお寺さん関係も多いので一遍会で役立ててほしいと思う。
夕1時間半、表庭の草引き。
泰世さんから突然のメール。今後息子夫婦4人とメール交換をして情報を共有し「共有・共感・共生」の大ファミリーを創造していきたいものだ。
4月23日(日)
来週のゴミの整理と区分と妻の化粧品の一部を処分。不使用の電気器具の整理。セーターなど冬物の洗濯。10時過ぎから机に向かい、昨日の講演会「四国遍路の後背地―<周辺>から見る大師信仰と巡礼ツーリズム―(門田岳久)」の復習。
天気がよく、洗濯を2回、書斎の冬用の敷布などを片付ける。
「満中陰志」が届いたので本多勝子叔母、山地真子さんから御礼の電話あり。
温子の多額の預貯金額について「贈与でない」ことの考え方をまとめる。それにしても温子は贅沢をしないで「旧家の娘」としての矜持を守った。
買い物にも行かず終日作業。NHK大河ドラマ「おんな城主直虎」を見て「椿の湯」。
4月22日(土)
午後、愛媛大学法文学部付属四国遍路・世界の巡礼研究センター2017年度春季公開講演会
に出席(13:30~16:00)。
講師:門田岳久(立教大学観光学部准教授)
テーマ:四国遍路の後背地―<周辺>から見る大師信仰と巡礼ツーリズム―
新潟・佐渡の民俗行事に根付いた大師信仰と四国遍路関係習俗、更にその延長上にある巡礼ツーリズムをフィールドワークで確認した豊富な事例で紹介する。納得である。
解散後、サミットの梅木、渡部両君とキャンパス内の喫茶店でコーヒーを頼み、並木道のたまりで学生気分に戻っておしゃべりする。実に楽しいひとときであった。
「ふじ」で食材を調達(ハンバーグ旨し)、20時過ぎ「椿の湯」。
恒治からメール。6月1日付で東京転勤。喜ぶべきではあろうが、57歳から10年近く単身赴任は経済的にも身体的にも大変だろう。
4月21日(金)
晴天である。温子の七七日に当る。「七蓮香」なる渦巻線香の最後の線香に火を点ける。温子は浄土に居ると信じたい。
午前中業者との話し合い。
①18年前帰省時で家屋の電気工事を担当してくれたタケオ電気の社長以下担当者に工事依頼。
1)次の間、奥の間、茶室、応接室にエアコン設置。次の間と応接室のエアコンは30年近く前の機器でフロンガス式である。2020年までに撤去が義務付けられている。
2)一部裸電線であり、漏電の心配もあり更新または破棄。
3)生活の中心をリビングに移すので、パソコン、電話機などもリビングに移動させる。
②四国ガス業者がテーブルコンロを設置。
恒治、淳志、尚子さんにメール。恒治からの返信が来ない。これからは資産についての協議が始まるのでメールを常時活用できる体制を組むように要請する。
③「満中陰志」の挨拶状発送。切手は仏事用でなく、今年の「春の花シリーズ」の切手を貼る。恐らくこの気持ちを汲んでくれるだろうと思いたい。
午後は畑の手入れと表庭の草引き。断続的だが3時間の作業となる。
家事をするとまったく読書に時間がなくなる。困ったものではある。「椿の湯」でノンビリする。
【→松沢君】
本日は妻の七七日当日に当ります。(法要は16日の休日、自宅で執り行いました。)3月4日の庭の櫻のつぼみも固かったのに、満開になり、葉櫻になりました。
このたび日本香堂「伽羅 永禄」をご恵送賜り厚く御礼申し上げます。霊前に供え、慶應の仲間の話を致しました。
真澄様にはお会いしたことはありませんでしたが、もう随分前のことになりますね。これからの人生は一人旅になりますが、杖を家人と思い、二人三脚でゆっくりと歩いていきたいと思います。
まことにありがとうございました。本来お手紙にて御礼申し上げるべきですが、遅くなって葉と思いメールで失礼させていただきます。くれぐれもご自愛ください。
4月20日(木)
朝一番8:00日野歯科受診、歯の形をとるので90分を要す。
10:00野中経営の吉岡譲(代表社員 税理士)とグループ部長坂本二郎両氏と面談する。
温子の遺産取り扱いもあるが、トータルに遺産措置を考えることにする。
14;00過ぎムラタの担当者(見浦雄梧氏)来訪。七七日法要までの清算と飾り棚等の整理をしてもらう。一件落着である。
一遍会の、蜂須賀俊一氏とメールにて情報交換。
【→蜂須賀理事】
十六日(日)に亡妻の「七七日法要」をおこない龍穏寺さんに来てもらいました。法要の後の宴で、住職から宝厳寺の奥様とお嬢さんの話が飛び出し驚きました。
龍穏寺の中野裕道住職は現在「松山市仏教会」の事務局長の任にあり、時宗として宝厳寺さんの理事会への参加を依頼に出掛けた由です。陽子さんは副住職で住職は尾道在の住職であることはご存知なかったので説明しておきました。陽子尼の引き立てをよく頼んでおきました。陽子尼も大変とは思いますが集まりに出席されればいいなあと願っています。
昨日19日昼に「一遍会4月度定期便」をお届けに宝厳寺に出掛け、奥様に中野住職の話をしておきました。奥様の方は、三好家は義安寺の檀家と思っておられましたが、義安寺は「墓檀家」で河野氏の関連で戒名は龍穏寺さんから頂くという(分かったような分からんような)説明をしておきました。いやはや。
来年3月の宝厳寺での講話は子規博の竹田美喜館長に快諾してもらいました。奥様はじめ檀家のご夫人方にも大勢出席してほしいなあと願っています。近況報告まで。
4月19日(水)
朝10時から松山子規会役員会(子規博)。ランチは「にぎたつ会館」。休憩時間帯に宝厳寺を訪ね「一遍会定期便」を届ける。
先代住職夫人に会い、松山市仏教会事務局長でもある龍穏寺の中野裕道師のことを話す。三好家の菩提寺は義安寺と思い込んでいたので龍穏寺との関係がよく分からなかった由。
13時半から平成29年度総会、引き続き今村威副会長「子規の新体詩」の講話。
子規博の竹田美喜館長に来年3月度講話(宝厳寺)を依頼、快諾してもらう。
帰途、業務スーパーで食材を調達する。尚子さんからのアドバイスもあり団子汁をつくる。夜はいつものように「椿の湯」。
【メモ】
ミニコミ誌で照会されている「水面を渡る旅へ」は①肱川のんびり遊覧②国宝・松江城③白壁の町並み倉敷④広島・帝釈峡⑤山口・錦帯橋⑥高知・四万十沈下橋⑦徳島・大歩危⑧福岡・柳川⑨宮崎・高千穂峡。
温子と二度三度と訪れた名所ばかりである。一人で歩いても寂しさの方が上まわるだろう。
4月18日(火)
曇天から晴天に変わる。祭壇の片づけがほぼ終わったので「家事」に入る。一日、多忙であった。
1)淳志から贈られたレンジと炊飯器をはじめて使う。冷凍シュウマイを解凍してレンジで温め、炊飯器では「こしひかり」を2合炊く。今晩と明日の朝と夕飯である。久しぶりの炊き上げ飯は旨かった。新しい器具は機能的に優れている。特に時刻表示があるのは助かる。
「ちりめんじゃこ」は湯通しして大根おろしを添え、「たけのこ」は本多東子さんがパックに詰めて手渡してくれましたので何回かに分けて食べる。まずまずの献立である。
2)三方に載っていたお供えの団子(5~60個)を捨てるのはいかがと思い、目下冷凍庫に入っている。5串に刺して味噌をつけて食べるか、味噌汁に入れるか、それとも破棄か・・・いやはや。
3)洗濯は冬物のジャンバーと冬布団の首周りの白布など大物を洗う。礼服のクリーニング代(フジ)が2千数百円とは驚きである。
4)「満中陰志」の挨拶文の印刷が終わりフジで封筒購入。今週末か来週始めに「満中陰志」が届くかな。
5)イフイの担当者(島内正英氏)と16時半打ち合わせ、正式に発注する。6月末にはお墓が出来上がり、7月には「開眼供養」と「お骨入れ」そして「新盆の法要」。8月に入れば「お盆」となる。まだまだ慌しい毎日が続きそうです。
6)畑の菜の花を整理。今週中に夏野菜用の畑作りにとりかかる予定だが、日中の気温が高すぎて困る。
7)20時過ぎ、「椿の湯」に出かける。ヤレヤレである。
4月17日(月)
午前中、妻の七七日法要の片付け。祭壇を座敷から仏間に移動する。新盆までは、仏壇脇の置き台に妻の写真や新しい法具を置く。応接室にも妻の写真を当面飾って置くことにした。
「すし丸」の担当者が食器類を持ち帰る。座敷や次の間を片付けると、この数日の慌しさが嘘の様である。
宇和の義理の弟宅に電話し、法事出席の御礼とあわせて蕗や家庭料理のパックの御礼を伝える。
午後も雨。一遍会5月例会案内(マスコミ、ミニコミ)。『一遍会報』第388号のメインである青山淳平氏の論文が届いた。編集を開始したが、字数がやや中途半端で第一面で採り上げるわけにもいかず正直困った困ったである。。
「椿の湯」。
【→息子】
昨日の満中陰法要では、大変忙しい中、全員勢揃いで母さんの法要が出来たことを心から喜んでいます。ありがとうございました。孫たちにも「ありがとう」と伝えてください。今度道後に帰ってきた時には立派なお墓を建立しておきます。
また、本多の兄弟妹も全員出席してもらい、母さんも喜んでくれていると思います。17名の出席者が揃うことは今後ありますまい。母さんが集めてくれた大パーティーでした。
龍穏寺の住職も最後まで付き合っていただきましたが、このようなことは稀有なことと思います。母さんの「人望」あってのことだと思っています。
疲れは出ていませんか。こちらは朝から祭壇を整理してお位牌やお骨箱を奥の間に移し、写真はお花とともにしばらく応接間に飾ることにしました。1ヶ月前の座敷に戻って、がらんとした部屋に座っていると空虚感を味わってしまいます。
満中陰の挨拶ですが、父なりに文章を書いてみなさんにお送りすることにしました。参考までに目を通してください。母さんのことを思うと、どうしても甘い文章になってしまいます。
「謹啓 陽春の候、ご尊家益々ご清祥の御事とお慶び申し上げます。
さて先般亡妻 温子儀 春を俟つことなく此の世を去りましたが、葬儀の際にはご丁重なるご弔問を忝うし、且つ過分のお供物を賜りましてまことに有難く厚く御礼申し上げます。葬儀の参列には卓球や琴の仲間も多く「ピンポン菊」を飾り「六段の調」によりお別れを致しました。
お蔭を以ちまして「三香院春雅温妙大姉」満中陰に当り、近親者が拙宅に相集い、曹洞宗天臨山龍穏寺様を導師にお願いし滞りなく法要を相営みました。当日は快晴で、庭の櫻の花も残り、花水木の瑞々しい葉が輝き、故人が愛でてきた芝桜、フリージア、マーガレットも一斉に花をつけ見送ってくれました。これひとえに皆々様のお蔭と深謝申し上げます。
早速に拝趨して親しく御礼申し上げるべきではございますが、略儀ながら書中を以ちまして謹んで御礼のご挨拶を申し上げます。 敬具
尚、忌明けに際して供養のしるしまでに甚だ粗品でございますが別便でお送りさせていただきました。何卒アルバムの中からお選びいただきましてご受納くださいますようお願い申し上げます。
4月16日(日)
3月4日に温子はなくなったので四十二日目に当るが、今日「七七日法要」(満中陰法要)を正午から座敷で執り行う。
出席 曹洞宗天臨山龍穏寺 中野裕道住職、本多昌史・千鶴子夫妻、本多昌次・東子夫妻と本多昌人、山口晃子、山地真子、柏井正子と恒治ファミリー4名、淳志ファミリー4名と老生で18名。
法要の後の会食は龍穏寺・中野裕道住職も出席、二時間ほど懇親する。このメンバーが集まるのはこれが最後であろう。
写真集「葬儀告別式」と「温子と・・・旅」を手渡し、お返しには「芦屋・アンリ・シャルパンティエ」の洋菓子を用意した。
息子たちと義安寺を参詣して16時過ぎ別れる。20時「椿の湯」に出かけて心身とものストレスを和らげる。
龍穏寺5万円、淳志3万円(含ホテル代)+3万円(お返し実費)、尚子5万円(含む葬儀告別式)、恒治1万円、泰世2万円、フジ5,000円
4月15日(土)
法要の準備。10時、ムラタの担当者見浦さんが豪華な花を籠に入れて持参、最終点検をしてもらう。
座敷、次の間に参列者18名分の座布団を敷く。結構ゆとりがあり安心する。
14時過ぎ、第一陣は恒治ファミリー、18時、第二陣の淳志ファミリー到着。明日の打ち合わせをして、「大黒屋」で9名の夕食。温子が居ないので寂しい限りである。
「椿の湯」
【メモ】
〇昭和35年(1960)11月3日結婚。県神社庁、川吉別荘(現・山の手ホテル)
〇2020年(オリンピック)ダイヤモンド婚。現役引退予定。
〇平成29年3月4日忽然と世を去る。「ぽっくり死」・・・温子の陰徳、善行かな。
「散る桜残る櫻も散る桜」の心境である。
〇七七日法要参加の御礼。法名「三光院春雅温妙大姉」は温子に相応しい法名。
4月14日(金)
午前中、庭作業。除草薬「マックロード(希釈)」を「ドクダミ」中心に散布する。表庭の雑草の草引き。気温は20℃を越え約3時間で部屋に引き上げる。
午後、晃子さんが法要用の花束を持参、活けてもらう。我が庭の満開の桜は別の花瓶に投げ入れる。
温子の今後の法事の取り扱いについて検討する。ファミリーとしての法事参加は困難であり、孫も成長したので夫婦での日帰り参加案を提示する。2ヶ月前に手配すれば航空便が手軽に利用できるのだが・・・
【メモ】〇温子法事取り扱い
永眠(平成29年3月4日)
通夜式(平成29年3月6日)
葬儀告別式(平成29年3月7日)
七七日法要(満中陰)(平成29年4月16日)
墓建立式(平成29年7月◇日)
納骨式(平成29年7月または8月◇日)
新盆(平成29年8月14日または15日)
棚経(平成29年8月14日と15日)
一周忌(平成30年2月最終土・日)
三回忌(平成31年2月最終土・日)
七回忌(平成35年2月最終土・日)
十三回忌(平成41年2月最終土・日)
〇納骨、墓石取り扱い 義安寺伺い
4月13日(木)
一遍会・蜂須賀理事、弔問にて来訪。自転車でダイキ城北店に出掛け、除草薬「マックロード(希釈)」2瓶購入。
今年からは草引き作業では庭、畑、墓所の管理が出来ないので薬剤を使用すること止むなしと判断した。
午後、玄関前と中央部の雑草を草引き3時間。明日も引き続き草引き作業して、法事の来客を気持ちよく迎えたい。
「ムラタ」に参加1名増を伝える。
「一遍会5月例会案内」(マスコミ・ミニコミ向け)予告文を取りまとめる。
昼食のうどんは、はじめて「カップもの」でなく出汁をつくっての自家製うどんに切り換わる。ワンランクアップしたなと自賛する。
「椿の湯」
4月12日(水)
日野歯科を朝8時に受診(@150円)。
七七日法要(4月16日)を控えて仏壇・仏具の移動整美。櫻の花枝を生ける。菓子、蜜柑、林檎、シキミを新たに求めて、華やかに飾りつける。
法要の参列者に配る①温子の葬儀記録写真と②温子の旅の写真をそれぞれ12シーンを択んで印刷する。
午後、洗濯と表庭の草引き、「フジ」へ買い物。法要の準備はほぼ完了した。最終確認は14日(金)を予定している。
なんとなく疲れる。「椿の湯」。
4月11日(火)
10時、「イフイ」打ち合わせ。庵治石と大島石との価格差が2倍以上とは驚いた。「三好家代々の墓」になるので庵治石を使用して先祖の御恩と温子の尽力に報いるとするか。
12~15時、晃子さんが弁当持参で訪問、雨の櫻を見ながら談笑、ケール(青汁)を持ち帰ってもらう。
七七日法要準備で①龍穏寺お包み、②温子の旅の写真を取りまとめる。
「椿の湯」
4月10日(月)
一遍会四月度定期便を郵便局から発送する。銀行、郵便局を回る。ふた昔も前に「サシスセソ夫人」(裁縫・躾・炊事・洗濯・掃除)という言葉があったが、俄か主夫は(財布、仕事・炊事・洗濯・掃除)といったところである。
午後、日野歯科受診。年一回の定期的な治療と予防だが2~3ヶ月は必要か。今年は根本的な治療はなさそうだ。やれやれ。
子規事典編集の平岡氏からミスの指摘あり。早速返信する。
気温は15度C、雨が降っており肌寒い感じである。雨にも負けず「椿の湯」に行く。
4月9日(日)
快晴ではないがまずまずの天気で、道後公園の花見客も多かったのだろうと思う。
午前中、伊予史談会四月例会出席。
1)平成29年度総会
2)講話:高須賀康生(名誉会長)「私の歴史三昧」
役員改選
顧問 武智 利博(名誉会長)
名誉会長 高須賀康生(会長)
会長 山内 譲
副会長 柚山 俊夫
山内会長から『伊予史談』誌の「研究余滴」に「宝厳寺再建」(400字×10枚)の執筆を依頼される。7月末締め切りであり了承する。
午後、一遍会定期便発送の準備。夕、昨日に続き、九分咲きになったわが家の桜を愛でながらビールで乾杯。
NHK大河ドラマ「おんな城主直虎」を見て「椿の湯」に出掛ける。
4月8日(土)
終日雨模様ではあるが、それほどには雨は降らない。菜種梅雨なのであろう。
午後、一遍会四月例会開催。
1)平成29年度総会
2)講話:小沼大八代表「柳田民俗学における神の問題」
理事会では本年度の一遍会運営についての討議。中心テーマは、宝厳寺を如何に支援するかである。難しい問題である。
IT会員に送付する資料の印刷と整理。夕食は八分咲きのわが家の桜を愛でて一人で乾杯する。
20時「椿の湯」に入り22時就寝。
4月7日(金)
妻の七七日法要と納骨式について息子二人にメールを送る。早々に返信来る。
子規会恒例の花見は雨の為「石手公民館」で実施となる。参加者は9名(男5名、女4名)、いままでで最少人員である。しかも役員以外では女子会員2名である。
①大江健三郎と子規の「反松山的志向」
②文化団体所有の(歴史的な)資料の行政による保管と活用
③柳原極堂翁の新たな顕彰(正宗寺<子規堂>に顕彰碑建立)など
酔いざましに庭の草引き、夕食は簡単に済ます。
「JCBザ・クラス2017」のオムロン上腕式血圧計が届く。朝・夕二回のチェックで血圧管理をしていく。サミットの仲間にも脳出血による後遺症があるので充分に予防的な管理を進めていかねばと思う。
「椿の湯」。
【→息子たち】
おはようございます
母さんの「五七日」を迎えました。あの寒かった日から一ヶ月余、桜も6~7分咲きになりました。16日の法要の時には葉桜になっているのでしょうか。
出席は本多兄ご夫妻、本多弟ご夫妻、山口晃子さん、山地真子さん、柏井正子さんです。食事の席には龍穏寺ご住職も出られます。「お渡し」については、6家族8名(含ご住職)でお願いします。「お供え」を加えれば、プラス1になります。
14日には、仏壇のお飾りやご住職へのお包みなどの準備は済ましておきます。墓石はイフイとの打ち合わせでは2ヶ月で可能ということです。納骨には法要にご出席のみなさんに案内をしたいと思っています。2案あります。
(1案)「新盆<あらぼん>」の場合は、ご住職が超多忙ですが、8月14日か15日の夕方であれば早期にお願いすれば可能かと思います。龍穏寺さんが14日朝、義安寺さんが15日午前中に「棚経」で例年通りお見えになります。
(2案)「秋分の日」頃(9月23日~24日)か「敬老の日」頃(9月16日~18日)でもいいのではないかと思います。
兄弟で相談してファミリーのスケジュールを考えて、希望日を知らせてください。その上で、義安寺のご住職にお願いします。まずは、七七日法要と納骨式の相談まで。
4月6日(木)
午前10時イフイの島内正英氏(外商)と拙宅で墓石についての打ち合わせ。墓石の品質、サイズもあり、義安寺にも出掛け確認する。
父母の墓は庵治石を使用しており、一般的な墓石サイズより大きい。通常の倍の価格となるが、当家にふさわしい墓石としたい。
座敷の庭の草引きに取りかかったところで雨となり、終日降り続く。明日の子規会の花見
が心配になってきた。
午後、妻の七七日法要出席者に配る妻の葬儀記録写真12葉を選択し、A4版2ページにまとめた。
最後のフレーズに「故 三好温子(旧姓本多) 永眠 平成29年3月4日 ありがとう さようなら ごきげんよう」と記載した。涙が出てきた。母さん ありがとう。
雨の中「椿の湯」には出掛ける。
4月5日(水)
花曇り、花見には絶好に日和となる。
座敷、次の間の控えの間の片付け・・・といっても、備品と人形類を押入れに移し替えた。応接室に「長屋門全景」と「表庭の満開の桜」の写真を飾る。牧野君の遺作である。
11時過ぎ、町内会の花見(道後公園)に出かける。参加者15名中男子は4名。(宇都宮会長・西山副会長・野本班長)。会長、副会長とはじめてゆっくりと話が出来た。3月4日以来、はじめてアルコールを口にする。
柏井正子さん訪問。
夕食は、花見弁当(友輪荘調理)の残り物もあり、買い物に行かず。「椿の湯」。
4月4日(火)
生活リズムが少し変わってきたようだ。朝3時間(6:00~9:00)、昼2時間(11:00~13:00)、夕3時間(17:00~20:00)の総計必要だった家事だが、朝は2時間、昼1時間に短縮できた。夕は、「椿の湯」と「業務スーパー」「セブン」の立ち寄りで5時間(17:00~22:00)、就寝は22:00に決めているので、家事ほか8時間、就寝8時間、フリー8時間となった。8時間のうち2時間は庭と畑の手入れだから、机に向かうのは3~4時間といったところか。
午後、「ムラタ」の見浦さんと七七日法要の打ち合わせと「お返し」の依頼。葬儀の写真アルバムが届く。なかなかよく撮れている。七七日法要の参列者用に再編集して手渡すか。
気温がどんどん上がり、午後3時には19度C、5月の気温である。明日の花見は最高だろう。
【→満中陰志挨拶】
謹啓 陽春の候、ご尊家益々ご清祥の御事とお慶び申し上げます。 さて先般亡妻 温子儀 春を俟つことなく此の世を去りましたが、葬儀の際にはご丁重なるご弔問を忝うし且つ過分のお供物を賜りましてまことに有難く厚く御礼申し上げます。
葬儀の参列には、卓球や琴の仲間も多く「ピンポン菊」を飾り「六段の調」によりお別れを致しました。
お蔭を以ちまして「三香院春雅温妙大姉」満中陰に当り、近親者が拙宅に相集い、龍穏寺様を導師にお願いし滞りなく法要を相営みました。これひとえに皆々様のお蔭と深謝申し上げます。
早速に拝趨して親しく御礼申し上げるべきではございますが略儀ながら書中を以ちまして謹んで御礼のご挨拶を申し上げます。敬具
尚、忌明けに際して供養のしるしまでに甚だ粗品でございますが別便でお送りさせていただきました。何卒アルバムの中からお選びいただきましてご受納くださいますようお願い申し上げます。
4月3日(月)
一遍会6月度例会会場申し込み(道後公民館)。
一遍会4月例会で配布する①「四月度一遍会ニュース」②『一遍会報』第387号③平成29年度一遍会総会資料印刷。
温子の金融資産のうち株式について取りまとめる。主婦向けの株式が殆どである。今日、カゴメの株主サービスである「ジュース用トマト『凛々子』の苗4本」を申し込む。去年は実りもよく大いに活用でした。
わが家も一斉に春となる。表庭の桜の20本くらい花が開く。一週間で満開になるだろう。芝桜も可愛い花をつけた。ケール(青汁)もやっと発芽して、すくすく伸び始めた。
1ヶ月前に温子が此の世を去ったが、寒さの中での枝切り作業が心臓を痛めつけたのでしょう。なんで一ヶ月、いや半月、庭の作業が待てなかったのか悔やまれてならない。
今週、①「ムラタ」の見浦さんと七七日法要の打ち合わせと「お返し」の依頼、②「イフイ」と墓についての相談③野中経営グループ(税理事務所)と妻の相続遺産についての打ち合わせと続く。5日(水)と7日(金)は町内会と子規会花見である。
一遍会四月例会配布資料の整理完了。一件落着。「椿の湯」と「業務スーパー」は日常的パターン。
4月2日(日)
朝食後、リビングと玄関の掃除、箒とモップの重複で、それなりに綺麗になったヵ。
勝岡昭氏によるHP四月度分に映像とリンクを加える。蜂須賀理事の指摘もあり『一遍会報』第377号の一部修正して編集完了。
日記の欠落部分(3月4日~9日)である妻の死去から初七日までの行動を書く。つらい作業であった。
4月1日(土)
「四七日」は寒くて寒くて震え上がった。供花を処分したので座敷が急に寂しくなった。畑に咲いている「みよし菜」の花を10本ほど手折って飾った。季節感もあり、温子がジュースやおひたしにしてくれた「みよし菜」だから喜んでくれていると思う。恒治、淳志、尚子さんへこちらの様子を伝える。
「一遍会四月度例会案内」をIT会員に流す。HP一遍会の4月更改分を正式に掲示する。
夜7時から今市上町内会総会出席(県身障者センター)。いつもより遅く「椿の湯」に出かヶ、滑り込みで「業務スーパー」でショッピング、「セブン」で食パン購入。23時就寝。
【→句友】
平成29年4月 「鶯の籠をかけたり上根岸 子規」
子規記念博物館(館長 竹田美喜氏)選句の子規さんの平成29年4月の句は「鶯の籠をかけたり上根岸 子規」です。
明治30年(1897)の作品で、季語は「鶯」(春)です。『子規全集』第三巻 俳句三「俳句稿」25頁 (明治二十八年 春)に掲載されています。同じ時期に鶯の句を十数句詠んでいます。
鶯や寺子屋に行く道の藪
楢の木や鶯来鳴く家の北
鶯のうたゝ眼白の眼を妬む
木さへあれば鶯啼くや上根岸
鶯の松になく也寛永寺
我病んで鶯を待つ西枕
梅が枝にあれ鶯が鶯が
鶯の籠をかけたり上根岸
寺町の鶯鳴くや垣つたひ
根岸行けば鶯なくや垣の内
十日ばかり鶯遅し椎の雨
現在の根岸から想像もつきませんが、根岸は江戸時代から「初音の里」と呼ばれるほど鶯が多く、子規庵のあたりは「鶯横町」(うぐいすよこちょう)と呼ばれていたそうです。上記11句から汲み取れる情景は、まさに鶯の里と云えそうです。
明治30年頃は子規は病臥の状態でしたが、子規庵の軒に小鳥籠をかけ、鶉を飼ったり、雀を飼ったりしていたようです。鶯も籠の入れていたことが、この句から分かります。
道後の拙宅の庭にも晩春には里山から鶯が引っ越してきて「ほ ほけきょう」の美声を着かけてくれます。子規も、鶯の声を聞きながら、虚子・碧梧桐と語りあったのでしょうか。
鶯を捕まえたことはないのですが、雀のように、餌でおびき寄せて、籠をパタンと倒して捕えるのでしょうか。ご同輩の子供の頃の話を聞かせていただけませんか。雀は籠に入れても怯えて餌を食べようとしないので、夕方には逃がしてやったものですが・・・・・
子規さんにあやかって一句
「鶯の鳴く方一里道後村 子規もどき」 道後関所番 |
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3月31日(金)
温子の四七日に当る。早いもので一ヶ月が経過しつつある。恒治・淳志・尚子さんにメールする。
伊予銀行貸金庫から温子の金融資産の資料を自宅に持ち帰る。配偶者は1億6,000万円までは課税が免除されるので手続きさえ正確にすれば特に問題はない。
今後のこともあるので申告は税理士に依頼することにしたい。
午後になっても天候が回復せず室内は寒い。チョッキを着込む。雨の中、フジへ買い物。袋に入った「おでん」に手が出る。夕、早めに食事を済ませ、「椿の湯」。セブンで、明朝のサンドとおにぎりを求める。22時前に床に入る。
【→恒治、淳志】
母さんの「四七日」を迎えました。朝から雨が降っています。
供花も萎れてしまい片付けました。なんとなく寂しくなりました。七七日まで3週間、法要まで2週間余、時間の流れを痛感しています。
早寝早起きの生活リズムに慣れてきました。元気ですから、安心してください。
3月30日(木)
松山子規会の役員でもある平岡英さんが弔問。昼食は大街道「すき家」で「ねぎキムチ丼」。明屋の書籍、文房具を見て回る。「スタバ」で岩田、池田監事による一遍会平成28年度収支決算書の監査。その後は、余生と終末期の迎え方、過ごし方についての語らいになる。現役生活は米寿迄か。15時帰宅し、2時間表庭の草引き。
椿の湯。
【→恒治】
やっと春を実感しています。明日は「四七日」です。事務処理の方は予定通り進んでいます。
来週、母さんの遺産目録と墓についての基本的なフレイムをまとめます。お互いに忙しいと思いますが、休日には淳志と連絡をとりあって意思疎通をはかってください。
なにか連絡なり相談があれば、週末までにメールしてください。
3月29日(水)
寒い、日中でも13度Cを越さないので、室内にいるとひんやりする。やむなく暖房する。これでは桜の開花も遅れるだろう。
『一遍会報』第378号「特集一遍生誕会」の編集・割付開始。午前中にほぼまとまり、田中理事に「会報」紙面をメールし意見を聞くことにした。蜂須賀理事宅を訪ね、会報のゲラを手渡す。来週初の総代会で説明をする由、一任する。
午後、妻の遺産(財産目録)の取りまとめ作業。資料を揃えるのに時間がかかりそうだ。
尚子さんから「洗濯ネット」を利用するようにとのアドバイスがあったので早速購入する。
「椿の湯」で身体を温めて寝たのだが・・・
3月28日(火)
セブンイレブンの朝食セット(@200円 コーヒー&パン)を買う。サラリーマンの朝食か。
晴天であり朝から洗濯。
3月10日以降の日記の記述が終わる。温子が亡くなった3月4日(土)から9日(木)の6日間の日記は「空白」である。もう少し精神的に落ちついてから、当時のメモを文章にしたい。
昼、一遍会田中理事が一遍生誕会の写真並びに資料持参。式台に座って日向ぼっこしながら情報交換する。
午後、『一遍会報』第377号の編集に入る。月末には割付が完了するだろう。
夕方、フジで「おばんさい」。暗くなると花韮(はなにら)の白花が離れの庭に浮き出てくる。寂しい気分になる。「椿の湯」。
3月27日(月)
四月例会で配布する『一遍会報』(第387号)の締め切りが迫ってきたので、田中、蜂須賀両理事に追加原稿を依頼する。
次号の第388号では青山淳平氏の3月度講話「一遍と今をあるく」がメインになるので、4月22日締め切りで草稿を依頼する。
4月に入れば、一遍会、松山子規会、伊予史談会の活動を再開したい。
夕、「道後彩朝楽」の地元格安招待バイキング&温泉に参加(@1,630円)する。久しぶりで満腹、満腹。
【→恒治】
連日ご苦労様です。七七日法要の案内状、発送しました。
3月は落ち着いた気持ちになれなかったのですが、今日は愉快リゾート系列の「道後彩朝楽」が夕食バイキング+温泉の地元住民サービス(@1,630円)を企画したので利用しました。目玉はビフテキ&てんぷら食べ放題でした。どちらも最近食べていなかったので大助かりでした。リフレッシュできましたので、4月に向かって頑張っていけそうです。
そう云えば、同じ系列の天然温泉「愉快のゆ 門真店」がある由、入浴したことはありますか。門真の近くだから、ここで落ち合いますか。
3月26日(日)
一遍会平成28年度収支決算並びに活動の最終案を取りまとめ印刷、3月30日に監査を受け総会資料を作成する。
4月16日温子の「七七日法要」の案内状(5家族7名)作成、いよいよ墓と相続手続きの準備に入りたい。
法要の当日の仕事は二人の嫁に任せるしかあるまい。
一遍会田中弘道理事から「一遍会報」387号の割付原稿が届く。メインになる「一遍生誕会法要・松寿丸湯浴み式」と例会の原稿と写真が届かない。月末までに届くよう依頼する。
午後、奥の間の片付け。ベッドと仏壇と裁縫机があるが、アイロン以外の用具や布地はミシンコーナー(廊下)に移動。暖房器具の片付けなどなど、結構身体を動かす。
夕方、フジで「おばんさい」。NHK大河ドラマ「おんな城主直虎」を見てから。
風呂屋談義は「稀勢の里」の逆転優勝。「結果オーライ」だが10人中9人が「無謀であったのではないか。長期的に考えるべき」の見解ではあった。
【→淳志】
おはよう。神戸ですか。期末でもあり多忙でしょう。休日は家族とのんびり過ごしてください。
お願いがあります。七七日法要案内状の文案をまとめました。大丈夫とは思いますが、一度目を通してください。月曜日に投函したいと思っています。
七七日法要案内状(文案)
十五年前に帰郷しました節に記念植樹した白木蓮が満開になり、庭を明るくしてくれています。温子の葬儀・告別式にはご列席賜りまことににありがとうございました。 さて、七七日法要の儀を左記により執り行いますので、ご出席方のご依頼、ご案内を申し上げます。よろしくお願い申し上げます。ご都合がつかないときは事前にお知らせください。
記
一、日 時 平成二九年四月十六日(日曜)正午より
二、場 所 自宅(市内道後町二丁目十一―三)
三、導 師 曹洞宗龍穏寺住職
四、その他 法要後、食事をご一緒にしながら温子の思い出を語っていただきたくお願い致します。尚、当家は夫婦墓ですので、納骨の儀は一周忌法要後の予定です。 以上
3月25日(土)
NHK朝ドラ「べっぴんさん」は、草創期の「ファミリア」のベビー服を自分の子供にも着せたいという要望が多く「仕立て直し部」がスタートする。そのくだりから温子が登場する。
「ファミリア」から「芦屋アトリエスミコ」「芦屋大丸」「東京三越」と、松山に戻ってくるまで「洋裁・裁縫・手直し」は、孫の服から恒治の服の手直しまで終生続く。奥の間の廊下に置いてあるミシンを中心に温子の洋裁の「レガシー」を保存することに決めた。
4月16日(日)の七七日法要案内状の文案を作る。週明けに投函したい。
午後、坂の上の雲ミュージアムでのシンポジウム「近代日本成人の時」出席。パネリストは
滝井一博(国際日本文化センター)・三沢伸生(東洋大学)・松原正毅(坂雲ミュージアム)の三氏。
土曜日でもあり「椿の湯」は観光客と学生で大賑わいである。
【メモ】七七日法要案内状(文案)
十五年前に帰郷しました節に記念植樹した白木蓮が満開になり、庭を明るくしてくれています。温子の葬儀・告別式にはご列席賜りまことににありがとうございました。 さて、七七日法要の儀を左記により執り行いますので、ご出席方のご依頼、ご案内を申し上げます。よろしくお願い申し上げます。ご都合がつかないときは事前にお知らせください。
記
一、日 時 平成二九年四月十六日(日曜)正午より
二、場 所 自宅(市内道後町二丁目十一―三)
三、導 師 曹洞宗龍穏寺住職
四、その他 法要後、食事をご一緒にしながら温子の思い出を語っていただきたくお願い致します。尚、当家は夫婦墓ですので、納骨の儀は一周忌法要後の予定です。 以上 平成二九年三月二七日
【→恒治】
「史晃は滝川がうれしくてならないようで、毎晩、学校案内を眺めています。お祝い有難うございます。」 いいじゃないですか。よかった、よかった。
恒治が神戸高校に入学してすぐの父兄会には、母さんとバトンタッチして父が出かけました。覚えていますか。演劇部に入りたいとか云って体育館(?)で照明をいじっていましたね。それから、コーラス部に入って・・・・・ 1学期の成績が極端に悪くて、さすがにお父さんも驚きました。スタートを頑張っていたら、高校生活がず~っと楽しかったと思いますよ。
史晃には、恒治の経験から、1学期は「全体の中のランク付け」だから、しっかり勉強するように励ましてやることです。恒治自身も国語、英語は一緒に学んでやることが必要ではないでしょうか。それに青春の悩みの聞き役にもなってやることです。いよいよ恒治君の出番ですよ。楽しみですね。
今日は母さんの「三七日」に当ります。飾り花も萎れてきだしました。時間が経っていくのですね。暖かいので庭の草引きをしました。何とか、四月の法要までは、庭の整備を維持したいと考えています。
【→恒治】
会社ですか。
NHKの「べっぴんさん」、父も見ていました。このくだりから「母さん」が登場するのですね。「ファミリア」から「芦屋アトリエスミコ」「芦屋大丸」「東京三越」と、松山に戻ってくるまで、母さんの「洋裁・裁縫・手直し」は孫の服から恒治の服の手直しまで終生続きました。廊下に置いてあるミシンを中心に母さんの洋裁の「レガシー」を「保存する」ことに決めています。
七七日法要の原稿です。気がついたところを云ってください。月曜日に投函しようかと思っています。
【十五年前に帰郷しました節に記念植樹した白木蓮が満開になり、庭を明るくしてくれています。温子の葬儀・告別式にはご列席賜りまことににありがとうございました。 さて、七七日法要の儀を左記により執り行いますので、ご出席方のご依頼、ご案内を申し上げます。よろしくお願い申し上げます。ご都合がつかないときは事前にお知らせください。
記
一、日 時 平成二九年四月十六日(日曜)正午より
二、場 所 自宅(市内道後町二丁目十一―三)
三、導 師 曹洞宗龍穏寺住職
四、その他 法要後、食事をご一緒にしながら温子の思い出を語っていただきたくお願い致します。尚、当家は夫婦墓ですので、納骨の儀は一周忌法要後の予定です。 以上
3月24日(金)
温子の二七日を迎える。なんとなく日常生活に戻りつつある。ともあれ一人だから、温子の写真に「おはよう」「お茶で~す」「行って来るよ」「帰ったよ」「おやすみ」と声をかける毎日ではある。。
本多勝子叔母の92歳の誕生日。温子が朝一番にお祝いの電話をしていたので、同じように電話する。大いに喜んでもらえた。
ムラタ葬儀社の担当者(見浦雄悟)に礼状を書き七七日法要の依頼をする。
「ケイタイ」ではメール以外にアラーム(朝6時)・タイマーをセットする。
午後、庭の草引きでのんびりする。尚子さんに震災前の森南町の三軒の「山本さん」について返信する。
3月23日(木)
朝のイギリスからのニュースに驚く。ビッグベン近くでイスラム主義者(?)によるテロ活動・・・雄大はロンドンに居る筈だから、危険はないとは云え驚いただろう。平和な日本と対比してテロ脅威の英国を体感したことは貴重な体験だ。
「位牌」が届く。位牌の左側に温子の戒名「三香院春雅温妙大姉」が彫られている。七七日法要が終われば、仏壇に置くことになる。
午後、梅木賢正君訪問。松山市考古館で開催された講演会のレジュメと冊子を頂く。
冊子は「『魏志』倭人伝に記された一支国の世界」、講師は壱岐市教育委員会の松見裕二氏。
現代では壱岐・対馬をひとくくりで捉えるが、古代は壱岐(一支)は朝鮮と日本を結ぶ貿易の中継基地であったことを初めて知る。
「おばんさい」を買いにフジに出かけたら奥島病院の今井洋子医師に会う。近況報告する。今日は小学校の友人である梅木、今井両氏に会い、気分爽快である。「椿の湯」でのんびりする。
3月22日(水)
愛媛CATVの訪問サポートチームの「西林彩華」さん訪問、ケータイの使用法の説明を受ける。これからの活用が楽しみである。
晴天なので、午後は洗濯と庭掃除と「ケール」の播種など、久しぶりに日常的な生活をする。「朝食はパン、昼食はうどん、夕食はご飯」は、妻の食事献立のスタイルだった。
慶應のクラス会(東京ガス青山クラブ)の案内が届く。開催日が4月15日(土)。温子の七七日法要の前日であり、欠席の旨連絡する。
「JCBザ・クラスサービス2017」は、ホテル食事券ではなく、オムロン製「上腕式血圧計」を申し込む。
【→恒治】
3月21日付のメール拝見しました。
恒治と泰世さんが作ってきた「ファミリー文化」については、第三者が軽々しく話すことは控えます。
父と祖父との「事実」だけを伝えておきましょう。参考にしてください。
祖父(章)が亡くなったのが、ちょうど今の父の年齢(82歳)でした。祖母(末美)が亡くなって犬と一緒の独居生活でした(お手伝いさんが午前中は来ていました)。
父は防府・東京へ単身赴任中でしたが、毎月1回金曜日、東京から夜行バスで帰松し、昼間道後に居て、その日(土曜日)の夕方神戸に向かい、神戸に1泊して、日曜日夕に上京という強行スケジュールでした。(防府の時は広島からの船便でした。)恒治もおぼろげながら記憶していると思いますが・・・
祖父が亡くなった時は、金曜日に帰松し一泊して、土曜日午前中にATMで祖父の生活費を引き出し四方山話をして神戸に戻りました。翌月曜日、上京中に母さんから連絡で祖父の死を知り、東京から急遽バック、道後には22時30分に着きました。
祖父は日曜日に倒れて翌朝(月曜日)お手伝いさんが発見、救急車で運ばれ病院で亡くなりました。最後に祖父に会った金曜日は元気でした。大阪勤務だったら、土曜日に道後で一泊して、もっと祖父の手助けができたのですが・・・
ところでビジネスの話
「印鑑証明」急いでください。七七日法要が終わったら大西会計事務所と相談することになりますので、頼みますよ。「印鑑証明」がないと前へ進めません。
3月21日(火)
今日は一日がかりで、①葬儀参列者住所録 ②弔電住所録を作成。①の対象者が100名とは驚く。③香典「お返し」名簿は作成済み。来週に入ってから七七日法要のご案内を差し出す予定。
史晃に高校進学のお祝いメッセージと「三年連用日記」と金一封を送る。
雄大は高校の研修旅行でケンブリッジ大学に旅立ち、尚子さんから緊張の面持ちでゲートに向かう孫の写真を送ってくる。
小雨だが「椿の湯」に出掛ける。
【→恒治】
何通かメールしましたが、会社のパソコンに行っているのでしょうね。父はアドバイス通り「ケイタイ」を購入しました。そのうち「ケイタイ」からメールを打てるようになるでしょう。
恒治の方でも、休日の情報対応を考えてください。よろしく願います。史晃はショックを受けていませんか。
雄大は高校の研修旅行で、今朝ケンブリッジに出立の由、10日間の予定。びっくりしました。
3月20日(月)
神戸では史晃の高校進学に伴い保証人を淳志に依頼するので、交流が再会するようだ。喜ばしい。雄大と史晃の従兄弟同士で相互研鑽してほしいものだ。
「彼岸の中日」でもあり、義安寺参詣。膝関節の調子が悪いので、墓苑の掃除は勘弁してもらうことにした。墓参りの後は温子の存命中と同様に「メルパルク」で昼食をとり、ホテル内の温泉に入浴する。その足でムラタ種苗店で「ケール」のタネ(一袋)を購入する。今年もケールのジュースを毎朝飲むことにする。
温子の葬儀の弔電のリストを作成する。七七日明けに、個人分には礼状を出したい。
雨がひどくなったので「椿の湯」は行かず。
【→淳志】
1)史晃君の保証人ではお世話になります。ありがとう。
「 明日、泰世さんがうちに来られることになりました。こういう機会でもなければ来られないので、私は嬉しいです。久しぶりに会うので少々緊張しますが、お役に立てるなら何よりです。」
二つのファミリーの絆が強く結ばれれば母さんも喜んでくれるだろうなあと思います。
通夜の後で、恒治と淳志には「2ヶ月に1度くらいファミリーに会いたいものだ。元気なうちはどこへでも出かけていくよ。」と伝えてありますが、実現できればと願っています。よろしくお願いします。
2)思い切ってケイタイを購入しました。レッスンは受けていません。これから勉強します。
電話番号は「070 4412 3376」です。淳志のナンバーは「090 7753 2740」ですね。当面はSOS用ですから、あまり使いませんが、登録だけお願いします。
3)今日は、お彼岸の中日。お昼頃お参りに出かけて、近くの「メルパルク」でランチを食べ、入浴してきます。これも母さんとの恒例行事でした。1月の中旬に母さんと草引きをしたので、あまり草は生えていませんでした。ご安心ください。
4)一日の始まりです。「ケールのジュース」づくりからスタートです。三連休最終日を楽しんでください。
【→恒治】
1)史晃君の保証人ではお世話になります。ありがとう。
「 明日、泰世さんがうちに来られることになりました。こういう機会でもなければ来られないので、私は嬉しいです。久しぶりに会うので少々緊張しますが、お役に立てるなら何よりです。」
二つのファミリーの絆が強く結ばれれば母さんも喜んでくれるだろうなあと思います。
通夜の後で、恒治と淳志には「2ヶ月に1度くらいファミリーに会いたいものだ。元気なうちはどこへでも出かけていくよ。」と伝えてありますが、実現できればと願っています。よろしくお願いします。
2)思い切ってケイタイを購入しました。レッスンは受けていません。これから勉強します。
電話番号は「070 4412 3376」です。 淳志のナンバーは「090 7753 2740」ですね。当面はSOS用ですから、あまり使いませんが、登録だけお願いします。
3)今日は、お彼岸の中日。お昼頃お参りに出かけて、近くの「メルパルク」でランチを食べ、入浴してきます。これも母さんとの恒例行事でした。1月の中旬に母さんと草引きをしたので、あまり草は生えていませんでした。ご安心ください。
4)一日の始まりです。「ケールのジュース」づくりからスタートです。三連休最終日を楽しんでください。
【→淳志】
本日、弔電の整理をしました。下記照会します。
1)銀行関係(友人を含めて)の弔電が多いのですが、この事案は七七日法要で帰省の節、一括して淳志に弔電を手渡せば良いですか。こちらで「処分」ということであれば、七七日法要後に処分はしますが・・・・・
2)東京都目黒区在住の「岩田響」氏からの弔電ですが、父の該当者はいません。母か淳志かなと思いますが、心当たりはありませんか。
3)母さんの知人・友人の弔電には父から礼状を送る予定にしています。
【→淳志】
弔電の後処理の件、了解しました。
お彼岸だったので、ゆっくりと義安寺をお参りしました。足の回復がまだまだなので、墓地の掃除は残念ながら諦めました。
改めて祖父(父)の墓を見て享年83歳を確認しました。同じ年齢に当たります。58歳の年だったかと思います。60歳で阪神大震災、後半の波乱の人生の始まりでした。
「ケイタイ」は、マスターするのにしばらく時間がかかりそうです。明朝に神戸からスタートですか。頑張ってください。
【→恒治】
史晃の保証人の件、淳志から連絡がありました。一件落着ですね。よかった。
今日はお彼岸の中日ですから、ゆっくりと義安寺をお参りしました。足の回復がまだまだなので、墓地の掃除は残念ながら諦めました。
改めて祖父(父)の墓を見て享年83歳を確認しました。同じ年齢に当たります。父の58歳の年だったかと思います。60歳で阪神大震災、後半の波乱の人生の始まりでした。
相変わらず、バタバタとして、一日を送っています。「七七日法要」について、昌史さん夫妻、昌次さん夫妻、晃子さん、真子さん、柏井正子さんと、電話では出席確認しました。
龍穏寺住職と7名で合計8名、三好サイドが9名で17名になりますね。
3月19日(日)
愛媛FMで「ケータイ」購入手続きを済ます。「ジュンク堂」で史晃の滝川高校(国際理数コース)進学のお祝いに「三年連用日記」を購入する。地下街「活よし」の「とんかつセット」で馬力をつける。
松山子規会3月例会出席。2月に亡くなった今井女子も温子と同年齢だが心臓麻痺で急逝された由。
講師は松浦巻夫(元高校校長)氏。テーマは「明治二十八年の正岡子規」。研究し尽くされてテーマであり、いかにも高校教師の授業といった感じである。
愛媛FMでケータイを受け取る。当面は受信専門というかSOS対応器具として保持したい。
史晃は県立御影高校不合格で、私立滝川高校(国際理数コース)進学が決まる。史晃に連絡し激励する。
NHK大河ドラマ「おんな城主直虎」を見てから「椿の湯」。道後温泉祭りで温泉も混んでいる。
【→恒治】
三連休は、いかが過ごしてますか。今日は史晃の高校入試の発表・・・大丈夫でしょうが、「吉報」を待っています。
1)10年近く飲み続けてきた自家製の青汁ですが、半月ぶりに「ケールのジュース」は復活しました。夫婦の最良の健康飲料だったし、牛乳を毎日カップ2杯飲んでいたことになります。
2)葬儀の「お返し」を検討、香典1万円、2万円、3万円以上の3区分に分けました。次いで弔電の礼状の検討にはいります。
3)馬力をつける必要もあり、三越レストランで「ビーフシチュー」を注文、デパートの食堂は一人客も多く、孤独感を感じないことを「発見」しました。
4)今日は松山子規会3月例会開催日。日中は留守にしています。念の為。
3月18日(土)
朝食に半月ぶりに「ケールのジュース」。10年近く飲み続けてきた青汁だが、夫婦の最良の健康飲料だった。
午前中、温子葬儀の「お返し」を検討、香典1万円、2万円、3万円以上の3区分に分ける。
午後、三越レストランで「ビーフシチュー」、JR駅近くのタネダ種苗店まで出掛けたが「ケール」無し、愛媛CATVで「ケイタイ」の品種について相談。帰途「フジ」で寿司ほかを求む。
柏井正子さん来訪。「独居老人」に関する行政支援についての最近の情報を得る、有難し。
「椿の湯」では、常連との顔合わせ。
3月17日(金)
温子の二七日を迎える。悲しみや無念さもある程度耐えることができるようになった。衣食住のうち食の部分が一応こなせるようになったことも大きい。
恒治、淳志、尚子さんからの定期便メールと尚子さんの細やかな買い物・料理などのアドバイスは「主夫業新入生」にとっては有難い。
朝食に「みよし菜」の「おひたし」、夕食に「ケール」のジューをセットする。お祝いに夕食は「牛肉弁当」。
午前中、一遍会平成28年度収支決算の分析に入る。「赤字決算」にはなったが、制御可能と判断している。
午後、表庭の草引き1時間。昼間なんとか1時間の余裕時間を生み出して草引きに精をだしたい。
義妹から「市地域包括支援センター 桑原・道後」の飯田さんを紹介される。一度訪ねてみるか。(℡993-6666 F993-6668)
【→恒治】
1)「モーニングコール」ありがとう。姫路での仕事は3月末までですか。ご苦労さん。
2)この2日ほどの「挑戦」で、「ケール」を使った「青汁(ジュース)」と「みよし菜」の「おひたし」が食卓にのりました。
母さんがいなくなったから野菜づくりは止めにするかと思っていましたが、20日の「春分の日」にケールの種まきをします。
「みよし菜」は「秋分の日」を予定しています。集まりがあった時、「みよし菜」の種一袋を事務局からもらってくれませんか。
3)坐骨神経痛や風邪や病気で動けなくなった時の対応で近々「市地域包括支援センター」に登録してこようと思います。緊急入院、デイサービス、入浴サービスなどなどです。
4)3年後(85歳)の生活のことは秋ごろに相談しましょうか。祝谷の聖ベテル病院老人施設の場合、申し込んでから1~2年後の入居になります。900坪の大邸宅を「老人」一人で維持管理するのは無理です。恒治ファミリーの将来設計を決めてください。
父としては、道後の土地と墓を守ってほしいと願っています。
5)義安寺の墓については七七日法要の帰省時に場所確認をして発注したいと思っています。それと「神戸土産」は龍穏寺さんの分も忘れないでください。よろしく。
3月16日(木)
朝食で初めて畑で育っている「みよし菜」と「ほーれんそう」の「おひたし」を食べる。葉を摘んで、水洗いして、ラップで巻いて、「チン」させて、「味ぽん」をかけて、新鮮な青菜を味わいました。これを機に、自家野菜を活用していく。
一遍会平成28年度収支決算を昨夜に引き続いての作業。引き続き総会資料をまとめる。岩田監事に連絡、3月30日午後1時一番町スタバで監査を受けることにする。
JA担当者交代挨拶、 ハウス営業担当者の土地活用案、三井住友信託( 課長弔問とビジネス)。
昼はフジ、夕は業務スーパー(5時から2~3割引)。
淳志、尚子。恒治にメール。
三菱UFJホールディングから「ピーターラビット オリジナルガラスキッチンプレートとコースター」のプレゼントを、温子の食卓の定位置に置く。なんとなく落ち着く。
【→恒治】
このリストは恒治が今後付き合ってほしい従弟たちのリストです。
「一人者で、親と同居」「丁寧は丁寧ですが・・・」の判断とは違いと思いますが・・・ 恒治への父の真意を理解してくれてないようですね。残念。
恵子さん?、美和さん? ちょっと意味が分かりませんが・・・
【→恒治】
14日の演劇「花火」(すわらじ劇園)に続いて昨日15日は明大マンドリンクラブの第60回松山定期演奏会を聞きに行きました。両方とも母さんと一緒に行く予定でしたので、隣の席には母さんのバッグを置いて一緒に演奏を聞きました。
庭の木蓮が大きなつぼみをつけ、開花の一瞬を待っているようです。帰郷した時の「記念植樹」です。今年も大きな花をつけてくれると思います。座敷の花は、まだ数日は飾っておけそうです。
ゆで卵を「やかん」を利用して作ってみました。成功しましたので、次回は鍋でつくってみます。畑の野菜ですが、今朝は、「ほうれん草」と「みよし菜」の「おひたし」を作る予定です。
今日は一遍会の平成28年度総会資料(決算書)の作成です。ビジネスの「仕事」がありますので気はまぎれます。
【→淳志】
比較的落ち着いて一日を送りました。
1)「三好長慶」について「東京大学史料編纂所データーベース」に「源姓三好家系図」が載っています。明治初年に全国的に調査した系図のうち、道後・三好家系図が「本物と判断されて」東京大学史料編纂所が写しを保管したものです。コピーは持っていますよ。
2)三菱UFJホールディングから「ピーターラビット オリジナルガラスキッチンプレートとコースター」のプレゼントがありました。食卓の母さんの定位置に置きました。
3)新任地で役立つかなと思い、宮本又次著「風土記大阪」3部作(船場・てんま・キタ)を書架から引き出しました。気に入ったら持ち帰ってください。
若い研究者や経営者クラスから高度成長期の経営学の書籍の希望があったら無償で差し上げます。長屋門にある書架を眺めておいてください。経営学関連は随分買い求めていますよ。
表庭の木蓮が今にも咲きだしそうです。春はそこまで来ましたね。支店長としての有終の美を飾ってください。
3月15日(水)
伊予銀担当者訪問。温子名義の取り扱いを相談する。
夕、明大マンドリンクラブ第60回松山定期演奏会。隣席に温子のバッグを置いて演奏を聞く。ゲストは森山良子。彼女はこの演奏会に40年前と20年前にゲスト出演しており、演奏の学生に「お父さんと一緒に松山で演奏したかもしれないね。」と声をかけていました。「涙そうそう」ではジーンとくる。
【→恒治】
昌次さんの長男については、名前が浮かびません。宏君に聞いてください。従兄弟の中では恒治が一番年長だから、今後の付き合いはよろしく頼みます。母さんの兄弟姉妹がイザという時には松山に戻って「母さんの義理」を果たしてください。
あわせて、尚子さんの兄弟姉妹は関西に住んでいますから淳志に任せるにせよ、堺さんのご両親については三好家としては恒治が父母の代理を果たしてください。お願いします。
滝野さんについては、お姉さんの家族だけと思います。恒治が父母の代理を果たしてください。
父は日野さん、松浦さん、向井さん、柏井さんとのお付き合いは終生続けました。よろしく頼みますよ。何度も云いますが、亡くなられた滝野さんをみても社会的な付き合いは85歳が限度でしょう。父もあと3年で85歳になります。
本多 伸光 790-0854松山市岩崎町1-3-60-2 089-913-5033
山口 万寿夫 790-0056松山市土居田町675-1 089-972-2807
山地 宏 790-0856松山市南町1-3-26 089-948―1873
山地 泰 790-0038 松山市和泉北2-14-10 089-913-1517
本多 797-0046西予市宇和町上松葉455 089・462・3282
【→恒治】
このリストは恒治が今後付き合ってほしい従弟たちのリストです。「一人者で、親と同居」「丁寧は丁寧ですが・・・」の判断とは違いと思いますが・・・ 恒治への父の真意を理解してくれてないようですね。残念。
恵子さん?、美和さん? ちょっと意味が分かりませんが・・・
3月14日(火)
一遍会四月例会をマスコミ、ミニコミに流す。恒治、淳志、尚子から毎日のようにメールをもらう。励ましであり、労りであり、慰めである。
雄大が約10日間高校の修学旅行でケンブリッジ大学で午前中学習し、午後観光のコースの由。
40歳の人事・教育課長当時、経団連の視察でヨーロッパ、アメリカを半月回ったが、カルチュアショックを強く受けた。雄大は17歳、どんなカルチュアショックを受けて飛躍するのだろうか。楽しみである。
午後、温子と行く予定だった「ダスキン感謝のつどい」(ひめぎんホール13:00~15:30)に出掛ける。
1)ダスキン社会貢献活動報告
2)演劇「花火」(スワラジ劇園)
①素直な心と②祈りを通して見物に感動を与えるメッセージが届く。花火は音で決まる。
【→恒治】
これからは松山の帰省時に周辺の観光地を巡ってはどうですか。山陽路、伊予・阿波・讃岐・淡路島と見るところは多いですよ。子供にとって家族の思い出は、何にもまして貴重ですよ。
子供の成長をデジカメで撮っておくことです。以前と違って現像・焼付けの手間と経費がかからないから、どしどし撮って父にメールで送ってください。編集しますよ。待っています。
【→恒治】
多忙な毎日と思います。父は時間の余裕があれば葬儀に出席していただいた方に御礼の電話をしています。
恒治にとって本多の従弟が5人いますね。母さんは従弟会の最後のチャンスを作ってくれました。帰省した時にもっとも頼りになる仲間です。「瓦煎餅」を添えて御礼と今後よろしくとの挨拶状を今月中には出しておいてほしい。このチャンスを最大限生かすことです。
七七日法要で伯父・叔父さん叔母さんが揃ったときに、さすが恒治君と改めて認めてくれますよ。
3月13日(月)
午前中「平成28年度確定申告」を松山税務署に提出。
次いで市役所で母さんの死去に伴うもろもろの公的な手続きを完了する。
昼食は市駅地下街の南予の食堂「黒潮亭」。フジの食品売り場の食品のレイアウトを頭に入れる。。
【→恒治、淳志】
定年で帰省した時に母さんと庭に植えた白木蓮のつぼみが、ここ数日で大きくなってきました。週末には咲くんだろうなあと思います。母さんの部屋(座敷)に飾りますよ。
今日、「平成28年度確定申告」を税務署に提出し、市役所で母さんの死去に伴うもろもろの公的な手続きを完了しました。
明日と明後日は、母さんと芝居と音楽会を予定していましたので、入場券を2枚持って「楽しんでこよう」と思っています。
その後、香典、弔電を頂いた方々への挨拶状、礼状とお返しの作業に取り掛かります。「春分の日」までに、何とか取りまとめたいと思っています。近況報告まで
【→淳志】
マイペースでやっています。
亜実ちゃんの「初恋の人」は担任の先生のようですね、違うかな。
「ガスコンロ」以外のプレゼント、楽しみですなあ。待っています。ありがとう。
【→恒治】
赤穂には昭和42年2月に行っています。宿泊は赤穂温泉「銀波荘」です。現在も営業中です。ウエッブで検索したら二人泊で一人2食で2~3万円でした。姫路からのお客が多いのでしょう。道後でいえば「道後館」「大和屋」並みかな。母さんの慰労もあって、お父さんも無理していますなあ。大石神社ではなくて「大石良雄宅跡」でした。
恒治ファミリーのアルバムはどうかな。神戸に出かけたときに拝見したいものです。
3月12日(日)
温子が先週4日土曜日に亡くなったから、9日目である。やっと余裕時間が持てるようになった。
伊予史談会3月例会出席。
(1)武知亜耶(日本工業大大学院博士課程)「木子七郎の設計活動と大阪建築界における建築家の自立」。
(注)木子七郎は建築家。県内では、県庁、万翠荘、県立図書館、松山高等商業、石崎汽船、鍵屋カナ頌功堂など建設。
(2)平松利之「三輪田米山(伊予の三筆)書等所蔵品十六点の概略について」
武智利博名誉会長から「香典」と供物(みかん)、高須賀会長からお悔やみ、今村、田中、戒田氏と一遍会の情報交換。
史談会例会を早めに退出して、「しげまつ」で散髪、帰宅して昼食。休憩後、「フジ」で食料品の調達。店員に場所をいちいち尋ねながらの買い物である。案外楽しいものである。温子は、値引き時刻を見計らって出かけたから、3割以上高い買い物だが致し方あるまい。
夕、史晃から県立高校受験終了で電話が来る。自信満々である。温子が知ったらどんな喜ぶことか。
夕食後、NHK大河ドラマ「おんな城主直虎」を見る。「椿の湯」で疲れをほぐし23時前に就寝。
【→恒治】
恒治 殿
メールありがとう。
〇「ガスコンロ」のプレゼント、有難う。
恒治の指摘どおり、スペースとの関係があるし、排気口や給湯設備のドッキング等がありましょうから、帰松の時に確認してください。(簡単な)工事でしょうが、ガス会社指定の工務店が担当するのではないかと思いますが。ガス会社にも推薦する機種があると思います。
〇「洗濯機」は不便でしたから、早速パナソニックの自動洗濯機に取り替えました。
〇「49日の件ですが、大量のアルバムを各自見てもらうと どうしても無口になってしまうので・・・・・」
心配してもらって有難う。出席者は母さんの兄弟姉妹だけですから、住職用に数枚用意したいなと考えています。家族の方は、帰省の度にゆっくり見てもらえばと思います。
父に気持ちの余裕と時間があれが、「ご期待に応えて」ということですが、4月8日(土)が一遍会の平成29年度総会ですので、いずれにしてもそれ以降の作業になります。プロジェクターは持っています。父としては、一周忌に「母さんのアルバム」をまとめたいなと思っています。了解してください。
目下、足のストレスに気をつけながら、法的な手続きと弔問者の応接、日常生活(買物・炊事・洗濯・掃除)で手いっぱいです。恒治と淳志夫妻からのメールが唯一の楽しみと安らぎと慰めです。
仕事の方も大変でしょう。史晃の合格が決まれば良いですね。みなさんによろしく。
追って
「印鑑証明」(実印)がやがて必要になります。用意しておいてください。
【→恒治】
史晃の「合格の自信あり」をにおわす元気な声を聞きました。安心しました。 19日(日)の報告を聞いてからお祝いを贈る予定です。
春暖の一日、散髪をしてきました。すっきりしましたよ。
父も来週は税務署・市役所・保険事務所と街中を歩くことになります。杖をつくことで周囲の人も気遣ってくれるので却って好都合です。
3月11日(土)
温子の遺品というか、行政、税務署、建保の申請に必要な書類、カード類を確認する。的確に整理・保管されており驚く。
〇「後期高齢者医療被保険者証」
〇「印鑑登録証」
〇「年金手帳」(三好温子)
〇「介護保険証](三好温子)
〇「認印、印鑑証明印」
〇「銀行・郵便局ほか通帳&カード」
〇「定期預金証書」は「伊予銀貸金庫」
午後、洗濯、庭の草引きなど日常的業務をこなし精神を落ち着ける。
宝厳寺での一遍聖生誕会、松寿丸湯浴み式、一遍会3月例会が午後1時から3時半まで開催されたが、蜂須賀さんに一任。16時過ぎに田中さんの車に同乗して、本日の講師である青山淳平氏が弔問に見える。
四年ぶりの一遍生誕会であるが、盛大に執り行うことができた由、まずは良かった。
3月10日(金)
「初七日」を迎える。時間の早さを感じる。「母さん」の呼びかけでは涙は出ないが「ママ~」とか「おばあちゃんはね」という時は涙が自然ににじみ出てくる。
法要祭壇に灯明をつけ、線香を供え、花籠のスポンジに水をたっぷりと注ぐ。一週間か10日くらい保つのだろうか。
温子のことばかり思い続けて気分がふさぎこんでもと思い、平成28年度確定申告作業に取り組む。提出期限が3月15日なので、週明けの月曜日に、税務署、市役所など公的な手続きを済ますことにしたい。葬儀一切を任せた「村田」の清算を済ます。
(2,783,408円)
昼食後、久しぶりに表庭の草引き。落ち着いた気分になる。3時過ぎに今井電気店の御夫婦で「パナソニック洗濯機」を設置してもらう。全自動で、スイッチを入れれば、しぼり迄は機械がやってくれるので頼りにしたいし、洗濯は気分転換になるのでこまめにやっていきたい。
夕食はセブンの「天津飯」。史晃の中学校卒業式であり神戸に電話、泰世、弘華と話す。 「椿の湯」。22時就寝。今日の一日も平穏に終わる。
【→恒治】
今日は母さんの「初七日」です。念入りに「母さんとおしゃべり」しました。史晃の中学校卒業式なので先程電話しました。史晃は留守でしたが・・・
泰世さんといろいろ話をしました。弘華ともおしゃべりができてハッピーな気分ですよ。
滝川高校の内定をもらっているから安心でしょうが、あとは史晃の健闘を期待しましょう。
洗濯機の調子が悪いので、パナソニックのシニア向けを「今井電気店」から運んでもらいました。洗濯と掃除とコンビニと「椿の湯」でほぼ5000歩です。
ムラタの支払い完了しました。以上
3月9日(木)
~08:00〇塵だし(焼却)
~08:15〇朝ドラ
~08:30〇恒治電話
09:00 業務スタート
11:30~13:00〇昼食きつねうどん、バナナ、みかん、コーヒー
〇夕食 すきやき弁当(セブン)
①葬儀収支 <淳志>1,036,000円
②電話→ 森鈴子(要お返し@10,000)、各団体、増井さん
③【電報】リスト作成→電話・礼状作成→発送
④町内会会葬御礼挨拶 松田恒生 平賀喜久夫 (谷本) (井手野安男)+森さん<粗供養差し上げ>
⑤電話←ひめぎん支店長、平岡英(4月講演辞退、4月花見辞退)
、本多兄(ラッキーな帰宅、七七日法要参加家族確認)
⑥確定申告作業(印刷)
〇洗濯機不調 ●●電気店に照会(受付 奥さん)
【→恒治】
電話ありがとう。食事の支度と後片付けで最低1時間半・・・三食で5~6時間かかります。驚きました。連絡・相談事項を記載します。
①パナソニック(大嶋社長)からの弔慰金200,000円については、恒治の郵便局新設口座(到着次第)に振り込みます。今後、社内や親戚の慶弔関係費用として有効に活用してください。
②「社長宛礼状」などは社内慣行に従ってください。その節には父(喪主)からの御礼のメッセージを付け加えてください、お忘れなく。
社長(秘書)に礼状を出す場合、当方で用意した「会葬御礼品」が必要なら会社の恒治の部署に宅急便で送りますから、アドレスを含めて連絡して下さい。くれぐれも「社内慣行」に従って下さい。
③史晃の高校合格の「快報」を心待ちしてしています。その際、史晃から「おばあちゃんへの手紙」を忘れないでください。母さんもその手紙を読んで喜んでくれると信じています。よろしく、頼みましたよ。
④本日は超多忙でした。朝の母さんへのお茶のお供えはちゃんとしましたよ。町内の参列者への挨拶は一軒づつ回ってきました。天気が良いので洗濯もしました。 報告まで。
【→淳志】
疲れが残っているのでしょうが、大丈夫ですか。支店長の感傷が湧いてきていますか。父も、防府の工場長を去るときには、ジーンときました。
今日、確定申告の作業を済ませました。念の為、来週再点検してから税務署に提出の予定です。まずは頭脳活動も正常のようですからご安心ください。
松山での飲み屋・・・楽しみですなあ。楽しみに待っています。ありがとう。
【→恒治】
本多の義兄と今夕法要の件で話をしました。「温子の兄弟姉妹ということで頼みます」とのことで「本多の叔母さん」は外します。三好サイドは正子さんのみです。
来週、案内状を出すことにします。応接室で本多のみなさんは待機してもらうことにしましょうか。取り急ぎ連絡まで。
3月8日(水)
【朝食パターン】納豆 味噌汁 生卵(一日1個最低))
【今後の追加】豆腐 サラダ 「ボンカレー」
〇電話←上田君
〇父の死亡時の国保の手続き 正子案内で温子
【→恒治、淳志】
今、徳島から淡路島ですか。本当に有難うございました。助かりました。
皆を送り出した後、虚脱状況になるかと思いましたが、柏井正子さんと「京都ぶつだん」の担当者と続き18時頃にフリーになりました。
ともかく夕食を作ろうと悪戦苦闘して19時半に終了。予想しなかったことは、食事の準備はず~っと立作業なので、右足へのストレスがひどくなりました。
という次第で、しばらくは弁当を軸にすえる必要があるかなと考えています。
今晩は、ゆっくりと眠って、明日から本格的に活動します。自分のことばかり書きましたが報告まで。寒くなりましたので、これから椿湯に身体を温めにいきます。
ご苦労さん。有難う。父
3月7日(火)
妻温子の葬儀、告別式は滞りなく終了する。
卓球(ピンポン花 背景に球4個) お琴(お別れ曲、最後の曲を胸元に 爪 今井先生)
松田直弘様、横内幸雄様、お悔やみのメッセージを頂戴いたし、心から御礼申し上げます。また弔電をお送りいただきました会員の皆様に衷心より御礼申し上げます。
告別式には、宝厳寺の前住職 故・長岡隆祥師夫人、現・副住職 陽子尼様、宝厳寺檀信徒総代烏谷様はじめ各総代様、一遍会小沼代表、理事、監事の皆様にもご多用の中御列席いただき、ご供養いただくとともに暖かい激励を賜りました。厚く御礼を申し上げます。
七七日の間、故人は浄土への旅立ちの中にありますが、この間は喪に服して、亡き妻の思い残した願いを心に刻み込み、その実現に向かって妻とともに残された人生をともに歩んでまいる所存です。
今後とも、ご支援、ご厚情を賜りますようお願いも申しあげます。有難うございました。合掌
3月6日(月)
通夜式
自宅から15時発。町内会長ら見送り
3月5日(日)
長い長い一日となる。
19時、恒治と淳志ファミリー4人と、「大黒屋」で釜飯と大黒うどんを食べる。まる二日ぶりの暖かいご飯である。おしゃべりをし、空腹が満たされると、ちょっとだけ幸福感、いや温子の死を忘れられた。心の安定、安堵感があった。
帰途、淳志ファミリーは「ホテル 道後」に宿泊するので別れ、恒治と二人で「椿の湯」にゆっくりは入って、身体を心から暖める。西山さんからお悔やみがある、例によって早耳である。西山さんは60台で夫人を亡くしている。悲しみが分かってくれている。
3月4日(土)
温子が「急性心臓死」(数分と推定)で急逝しました。「死亡診断書」ではなく「死体検査書」になっています。
検査医師は俊野敬吾(市内安城寺町1076-5安城寺クリニック時)。裏庭の柏の枝切り中の事故でした。家にも庭にも温子以外誰も居なかったので、事実は温子以外に知る人はいません。
温子が死の瞬間に思ったこと、伝えたかったことを知ることはできませんが、せめてもの救いは苦痛の時間が非常に短かったことです。刹那だったのかもしれません。
何事もなければ、これほど素晴らしい一日はなかったのではなかろうか。穏やかな春の一日が始まる。朝食が終わり、9時半、宝厳寺檀家総代と3月11日(土)開催の一遍生誕会と一遍会3月例会を宝厳寺で三年ぶりに開催するので、蜂須賀俊一総代の車に同乗して家を出る。
12時半、打ち合わせが終わり帰宅。珍しく昼食の用意もなく、リビングはがらんとしている。買い物かなと別に疑念も抱かず書斎に入り、メールの点検などいつもの作業を行う。13時半、温子が帰宅した様子もないので、カップラーメンで昼食を済ます。不思議に思い邸内を見て回るが異常はない。妙なこともあるものだとは思ったのだが・・・
15時半、「椿の湯」に出掛ける。17時、隣の郵政アパートの広場に救急車やパトカーが数台来ている。何だろうと思いながら、東の裏口から家に入る。
な、なんと、わが家の裏庭に警官が数人いるではないか。まだ、事情が飲み込めない。じっと眺めると、柏の木の枝に温子が屈曲してしがみついている。驚き、声にならない。近づこうとしたが、警官に制止される。冷たく「検視が終わるまで待ってください。」
頭が白くなったという表現は正しくない。冷静に現在の状態を観察するしかなかった。なすべきことは何かを考える。
神戸にいる長男(恒治)と次男(淳志)に「母さんが死んだ。詳しいこと分からないが事故だ。」と伝える。次いで、近所にいる従妹の柏井正子さんに伝える。
3時間近く警察の調査、検視などなど、警察から云えば日常的、定型的な調査が持続、当方にとっては緊張の時間が続く。温子の妹(晃子さん、真子さん)に連絡する。
浩君、真子さん、泰ちゃんが駆けつけてくれる。一時間ぐらいの間をおいて晃子さんが来てくれる。心強い。宇和の義兄との連絡がつかない。
恒治は車で神戸から駆けつけてくれるという。深夜になるだろう。22時頃、解散して、一人で恒治を待つ。妻の死に対する自責の念がこみ上げる。
剪定! 何故なんだ。何故、いつもと同じように二人で剪定をやってやれなかったのか。なぜ、自分だけで剪定をやったのか。(今更、元には返らないのだが)
日が変わって3月5日午前1時頃、恒治帰宅。「母」との哀しい対面が待っている。温子はまるで眠っていて、声を掛けると目を開けて起き上がってくれそうだ。今更ながら美人だなと思う。2箇所擦り傷が残っているがあまり気にはならない。それから、恒治と1時間ほど語り、ともかく寝ることにする。
ベッドに入ってが、眠れはしない。2時、3時・・・5時、6時の時報は記憶している。一睡もしなかった、できなかった。阪神大震災のときも同様だ。あの時は、傍に温子が居てくれたのだが、今回は温子が傍に居てくれない。残念、無念。
3月3日(金)
市役所まで遠出、確定申告用に「後期高齢者医療保険料納付証明書」を受け取る。
明日の宝厳寺総代との打ち合わせ資料印刷。住職夫人来訪。お気軽に立ち寄られるように家人ともどもお話しする。
午後、松山子規会講演レジュメ「生死の執着と安心~一遍と子規と」を点検する。
夕、「椿の湯」。腰膝の調子が良いので杖をつかずに往復する。リハビリがワンランクアップしたようだ。万歩計の2,000歩を越える。
3月2日(木)
昨夜から雨模様。午後、本降りとなり、外出は控える。
子規博3月度子規俳句の鑑賞エッセイ執筆。午後、HP一遍会3月度版の全面公開で一件落着。
午後は、今週末に宝厳寺檀家総代との一遍生誕会打ち合わせがあるので討議資料を取りまとめる。
宝厳寺の再建に多大の尽力をされた島崎有三総代が退任された由、次なる実力者は誰なのか、今後が思いやられる。一遍会も同様だが・・・
【→俳友】
子規記念博物館(館長 竹田美喜氏)選句の子規さんの平成29年3月の句は「雛もなし男許りの桃の宿 子規」です。
明治28年(1895)の作品で、季語は「雛」(春)です。『子規全集』第二巻 俳句二「寒山落木 巻四」180頁 (明治二十八年 春)、第十二巻 随筆二 陣中日記 77頁(明治二十八年)、二十一巻草稿ノート 病余漫吟 44頁 (明治二十八年春)に掲載されています。
この句の背景については子規自身が詳しき書いています。
1)「寒山落木」
日本新聞社楼上に従軍の酒宴を張りて吾を送らる折ふし三月三日なりければ雛もなしといふ題を皆々詠みけるにわれも筆を取りて 二句
雛もなし男許りの桃の宿
首途(かどいで)やきぬぎぬをしむ雛もなし
2)「陣中日記」
正午の頃同僚十余人酒を置て吾を送る。恰も新暦の節句なれば雛もなしといふ題にて人々句を作るに
雛もなし男許りの桃の酒
首途やきぬぎぬをしむ雛もなし
などわれも戯る。
3)「病余漫吟」
雛もなし男はかりの桃の宿
句に「桃の宿」と「桃の酒」の二種あるが、日本新聞社での送別会の句は「雛もなし男許りの桃の酒」であって、のちにこの句を「桃の宿」として、出発に際しての一夜を「桃の宿」で過ごしたという俳句的虚構にまとめあげたのであろう。もっとも「男許りの桃の宿」では送別の余情はまったく感じられないのだが・・・
日本新聞社壮行会の参加者は福本日南、中村不折、仙田土仏、石井露月、佐藤紅緑、諫早(小林)李坪、斉藤信の7名。
新橋駅から3月3日16時10分発の汽車で広島に向かう。前途を暗示するかのように大雪であった。4日、大阪着。5日、夜21時45分発にて広島に向かい、6日、正午に広島に到着。
子規さんにあやかって一句
昭和33年3月大学を卒業す
「桜散る男許りの傘寿会 子規もどき」 道後関所番
3月1日(水)
曇天の一日。東北ではまたまた地震が発生したようだが四国は安泰である。
月初の提携実務をこなす。(1,500歩)
1)道後公民館に出掛け一遍会5月度会場申し込み。道後支所で利用料を払っていたら公民館の女子事務員は「使用許可書」を届けてくれる。新規「身障者」を労わってくれたのだろう。
2)子規博で3月度懸垂幕子規俳句を確認する。「雛もなし男許りの桃の宿 子規」
ついで3階特別展示室で『子規の俳句とかまぼこ板の絵』展を見る。ギャラリーしろかわ主催の全国「かまぼこ板の絵」展覧会の優秀作品と子規の俳句のコラボである。
3)伊予銀行で一遍会2月度収支決算の確認。特に問題点はなし。
4)温泉街にあった喫茶「一遍堂」は昨年末に閉店したが、「うなぎ 小椋 道後店」が新規開店である。うな重、牛重が1,650~3,300の価格帯である。
5)愛媛銀行、郵便局に立ち寄る。県美術館友の会の新年度会費の振込みなど。
一遍会江刺理事から無事退院と6月度例会講師引き受けの連絡あり。何よりである。
午後、①一遍会3月度例会案内と②一遍生誕会献句・献歌依頼のメールを流す。夕、椿の湯(1,500歩)
違いとは?
5、最高の臨終を迎えるために必要なもの
6、臨終が近いことを知らせる“目”の表情とは?
7、カラスや、イヌ、ネコが人間の死の前兆を知っている理由
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