第百九十九段 

3月31日(土)

月末、週末の快晴とくれば、道後公園に花見客が押し寄せる。「友隣サミット」も花見サミットに変更して「フジ」の花見弁当とビールで2時間過ごす。
仲間と別れて義安寺に詣で、線香を供えて、妻に九州旅行の報告をする。
子規博懸垂幕の4月度子規さん俳句を確認する。「故郷やどちらを見ても山笑ふ」。子規もどき句は「城山やどちらを見ても花見客」。
帰宅後、庭の草引きと鉢の水遣り。夕、HP一遍会の四月改訂版の作業開始。
「椿の湯」。

3月30日(金)


午前中、旅行中のメール、日誌、書状の取りまとめ。午後、「エデンの園」訪問、担当者と話し合い。 君と懇談。
もっとも若い孫へ中学進学祝いを贈る。満開の庭の桜を眺めながらの花見。「椿の湯」。
【→孫】
弘華、本山第三小学校卒業おめでとう、本山中学校への進学おめでとう。お父さん、お兄さんも中学校の先輩になりますね。すばらしい中学校ですよ。
中学から英語を学習するのかな。それとも小学校上級生からスタートしているのかな。弘華は勉強好きでがんばり屋だから、リーダー格で中学生活を楽しんでください。これからの時代は英語が本当に重要になるでしょうから、英語嫌いにならないように頼みますよ。海外旅行で外国人と会話するのは楽しいですよ。
中学校進学のお祝いを送ります。お母さんと相談して、気に入ったものを買ってください。あわせて「三年連用日記」を贈ります。思いつくものを書き込んでいくと、大人になってから懐かしい記憶としてよみがえってくるでしょう。くれぐれも健康には気をつけてください。

3月29日(木)


朝6時過ぎ、別府湾に昇る朝日に起こされる。7時、レストランのオープンと同時に入場、ゆっくりと朝食を取る。露天風呂に入浴して8時からNHK「おてんさん」を見る。10時送迎車で別府駅に向かう。
快晴で気温も20度以下なので、的ヶ浜シーサイドをぶらぶら歩き、立命館APUと市立幼稚園を一周する。
次いで、的ヶ浜ウオーキングコースを「散策」、2時間ほどかけて5キロ「歩く」。妻とは生前年2回別府温泉に立ち寄ったが、いつもフェリー乗り場から別府駅までの4キロは楽しくおしゃべりして歩いたものだ。次回(秋)は、鉄輪温泉まで約4キロを歩いて「ひょうたん温泉」で汗を流すことにしよう。
14時発のフェリーで八幡浜に16時40分着。17時発の伊予鉄バスで松山に向かう。20時帰宅する。息子に安着のメール。22時就寝。

3月28日(水)

別府温泉一泊旅行。ひとり旅になってからは一泊旅行が多くなった。
リュックに最低限のものを詰めて、伊予鉄バス市駅9:10発で八幡浜港10:55着。「みなっと」で新鮮な「海鮮どんぶり」を賞味する。
八幡浜港13:00発の宇和島運輸フェリーで15:50別府港着。的ヶ浜の海岸をぶらぶら歩きして17時前に別府駅に着く。ホテルの送迎車で会員制ホテル「リゾーピア別府」着。春休みで家族連れ特に子供が多く騒々しいし甲高い声にストレスを感じる。
露天風呂にゆっくり入り、夕食をこれまたゆっくり食べて、なんとレストランを出たのが21時半。
別途で横になっていたらいつの間にか熟睡、2時半にトイレに行き、目覚めは翌朝6時、別府湾に昇る朝日に起こされた。爽快である。

3月27日(火)

午後、松山子規会役員会。平成30年度講師内容、決算内容と役員人事である。例年報告を受けて承認のパターンであるが、今回は予想外の展開となる。
会長候補の「事前調整」をしておらず、候補者が2名となり、話し合いを期待したのだが結論出ず。規約により「選挙」となる。な、なんと同数である。来週初、再度役員会開催となる。
散会後、有志との呑み会となる。20時帰宅する。(詳しい事情は省略する。)明朝の九州旅行の準備をして寝る。

3月26日(月)


快晴である。
『一遍会報』第398号の初校を済ませ、寄稿者武智利博氏に最終校閲を依頼する。午後2時間半ばかり、表庭、座敷庭、亭庭の目立った雑草を引き抜く。数ヶ月はこの作業が続くことになる。
四月中旬に上阪するので「サンメンバーズ梅田」に予約、「エデンの園」は月末に出掛け、展望を重視した居住部屋を絞り込みたい。
「ふじ」へ買出し。トマトが安くなった。「椿の湯」。

3月25日(日)

快晴で四月上旬の気温である。昼食は「フジ」で花見弁当を調達して我が家に庭で花見を楽しむ。駐車場の門扉を開放して、道行く人に見てもらうことにした。その後、表庭の草引き作業を小一時間。
『の編集と割付作業に注力する。武智利博氏の手書き草稿なのでから午前中一杯かかった。夕方までに4頁分の割付を完了する。1・2面が一遍生誕会、松寿丸像湯浴み式、一遍会3月例会、3・4面が武智利博氏「一遍上人 北国(山陰道の遊行・賦算 ―上人に狩猟民。漁民も結縁―」)の講話要約。何とかうまく割付できた。
NHK大河「西郷どん」を見て「椿の湯」。

3月24日(土)


5、6分咲きだが、好天で絶好の花見である。
義安寺に詣で線香を供える。彼岸でもあり、墓参りの家族連れも多い。墓が隣り合ってる「小山さん夫妻」に会う。
後藤さん(前道後旅館組合事務局長)に出会う。地震の被害で廃業した「寿苑」に勤めていた由だが、社長の意向で無縁仏になった嘗ての従業員の遺骨を義安寺の合同墓で永代供養しているという。社長も亡くなったが、自分の健康が続く限りお参りを欠かさない決意という。まさに崇高な「お接待」であり感激する。高校同期の高岡君が「番頭」を勤めていたと思うのだが・・・
メルパルクでランチ(和食)&スパ。宝厳寺で先住夫人に陽子尼への伝言を依頼する。ここから半年振りに湯之町の外延を歩く。
宝厳寺―円満寺上―やすらぎ荘(ルナパーク別邸)―市共同墓地(秋山好古大将墓、佐久間象山子息墓)―(「寿苑」跡)―ぎやまんガラス美術館 ・山の手ガーデンプレイス―常信寺―松山神社―自宅。約2時間だから7〜8キロは歩いた感じだ。体調すこぶる良し。
武智利博氏から3月末締め切りの『一遍会報』掲載原稿(「一遍上人 北国(山陰道の遊行・賦算 ―上人に狩猟民。漁民も結縁―」)届く。早速ワープロ作業に入る。

3月23日(金)

洗濯日和である。洗濯、屋内の掃除、表庭の草引きで午前中がつぶれる。
午後、「エデンの園」3月イベントに参加。テーマは「知らないと損する生前整理」。
ばったり山本さん(元 県警察学校長)に出会い、お互いに驚く。お身内がエデンの園の住人の由。
散会後、高校同期の高瀬光一君と「珈琲蔵人 珈蔵」で2時間ほど語る。話題の中心は、愛媛大学仏教会についてである。
彼が中心になって作った愛大仏教会の発端からの苦労話。原点は松山東高校当時の仏書読書会から始まった由。実に興味ある、刺激的な活動である。
当時の自分は「マルクス坊や」で学校の統制に反発していた。今となっては懐かしい。
旧制松山高校当時の第1期仏教会(北川淳一郎氏)と愛媛大学第U期仏教会をつないでストーリー展開ができないものか。
「珈蔵」から2キロ歩いて帰宅したので、「エデンの園」から3キロ歩いたことになる。
「椿の湯」。

3月22日(木)


昨晩21時に床に就いたので今朝は5時に目覚める。
一遍会平成29年度収支決算表、平成30年一遍会総会資料を取りまとめ印刷する。中学校同窓会挨拶状をまとめ、森世話人に郵送する。午前中に当面の業務はすべて処理済みとなる。
木曜日のお楽しみである「プレバト俳句」を見て「椿の湯」。

3月21日(水)

「秋山真之生誕150年祭記念講演会」出席(11時〜 秋山兄弟生誕地)。
講師は中畑泰樹氏(海上自衛隊第一術科学校長)で松山東高校昭和47年卒の後輩に当たる。テーマは「伝統の継承―秋山真之の功績と海上自衛隊―」。海上自衛隊幹部からの現状の報告と解説は大いに勉強になったが・・・・・
岩田克之氏(一遍会監事)とスタバで一遍会総会の打合せを済ます。「エディオン」でケイタイの充電器を購入し、15時帰宅。
「彼岸の中日」だが雨も降っており義安寺には詣でず、TVでのんびり過ごす。疲れも出て、21時就寝する。

3月20日(火)

午後から雨。
午前中、一遍会平成29年度収支決算を取りまとめる。次年度繰越が70千円強計上できた。伊予銀行で残高確認を済ます。。
昼、国際ホテル内「吉長」で御幸中学同期会の世話人会開催。出席は森保子さん、八塚豪、山本敬喜両君と老生。小学校も同様だが隔年実施を建前にしている。何とか、卒寿までは続けたいものだ。
6月8日(金)正午から、国際ホテル内「吉長」で会費5,000円(飲料代込み)、参加人員30人(目標)で企画する。今回から、近藤元規君も世話人に依頼することにした。
夜、一遍会総会資料を作成する。原案が纏まったので、4月早々に監事による監査を受けて4月例会に間に合わせたい。
雑務多く、今宵は「椿の湯」は諦める。

3月19日(月)

終日雨、暖か。
午後、松山子規会3月度例会(正宗寺)
講師は井手康夫会長でテーマは「水月について」。松山出身の彫塑家「好川恒方」の業績が中心である。聞き書きが中心であり、資料に当たっていないのが寂しい。渡部平人編集部長には父「好川方渡(号 馬骨)」と三男「好川恒方」についての情報を提供する。

3月18日(日)

リビングを春向けに模様替え。「暖房よ、さらば」である。神戸の妻の友人に礼状を送る。
午後「時宗宗祖一遍と開祖真教」の講義レジュメ継続執筆。
NHK大河「西郷どん」。「椿の湯」。
【→妻の友人】
冠省  このたびは道後までお訪ねいただき、妻のご供養を頂き、まことに有難うございました。昨日、菩提寺である義安寺に詣で、妻の墓前で貴女様といろいろお話したことを報告しました。喜んでいることと思います。
 お供えいただいた「和風ろうそく華和」は、早速朝夕のお祈りに使わせていただいております。以前お供え頂いた「北陸七尾の和ろうそく」も大変重宝させていただきました。改めて御礼申し上げます。
 宇和島はいかがでしたか。三時間あまりではゆっくり観光気分は味わえなかったかと存じますが、仙台伊達家の分家でもありますので、それなりの歴史の風格を感じていただいたのではと存じます。息子どもにも早速知らせておきました。懐かしがっていました。まずは御礼のご挨拶まで。草々

3月17日(土)

快晴である。朝一番に洗濯。
午前中に、一遍会3月度収支決算をまとめる。週初銀行で残高確認をして、平成27年度の決算書を作成し、来月初の監査を受ける段取りである。
昼、義安寺に参り線香を供える。春彼岸前であり、墓掃除に訪れる人が結構多い。メルパルクでランチ(和定食)&スパ。
座敷の床の間に設置した温子の一周忌法要の祭壇、仏具を片付け、仏間に移す。春彼岸向けに仏壇を整理する。半日を要したが夕方には完了する。やれやれ。
夜は、「時宗宗祖一遍と開祖真教」の講義レジュメ執筆に集中する。
 
3月16日(金)

終日雨となる。
「時宗 宗祖一遍と開祖真教 〜二祖他阿真教上人七百回御遠忌に寄せて〜 」執筆開始。
 1、時宗(時衆)の位置づけ
 2、他阿真教の生い立ち
 3、一遍・真教の出逢いと同行(遊行)
 4、一遍の死と時衆再結集
 5、真教の遺したもの
「椿の湯」」
【→ファミリー】
今日3月16日(金)は「母さんの七の五十四日」(没378日目)です。母さんの一周忌から半月・・・早いものですね。すっかり暖かくなりました。
前嶋さんに訪ねてもらって、母さんも喜んでくれていると思います。恒治、淳志によろしくとのことでした。これで踏ん切りがついて祭壇を片付けます。ほっとして、疲れが一時に出て来たようです。
「椿の湯」。
【来週のスケジュール】
 16日(金)義安寺参詣  メルパルクランチ&スパ
  17日(土)畑づくり
 18日(日)畑づくり
 19日(月)松山子規会3月例会
 20日(火)中学同期会発起人会
 21日(水)秋山兄弟会セミナー 史錬会
 22日(木)
 23日(金)「エデンの園」打合せ
今月末に「リゾートトラスト梶vから招待があり、「リゾーピア別府」に一泊して鎌倉期の豊後国大友氏の旧跡を訪ねてきます。孫たちは「春休み」・・・ことしは「忙中閑」の時間は持てそうもないですかね。「プレバト」見ていますか。

3月15日(木)

温子の一周忌法要の祭壇、仏具を片付けることにした。なんとなく気が重い。
春向けの料理・献立をインターネットで検索する。1年前は料理はせず(正確にはできず)スーパー・コンビニの完成品やカップものを常用したが、最近はマイクッキングである。温子も驚いていると思う。
TV「プレバト(夏井宗匠俳句)」を楽しんで、三日ぶりに「椿の湯」。
月末に別府・鉄輪温泉と大分美術館に立ち寄ることにして会員制ホテル「リゾーピア別府」を予約する。

3月14日(水)

厚着から薄着へ・・・一冬かぶっていた毛糸の帽子からスポーツ帽に代わる。ピーク20度℃。
温子の神戸時代の友人が訪ねてくるので、座敷の一周忌に設営した祭壇を改めて整頓する。午後4時半道後温泉駅出迎え、我が家に案内する。友人前嶋さんとは3年ぶりである。温子と前嶋さんとの語らいを聞く。人事部生活20年であり、社宅での夫人同士の付き合いには苦労したようだ。6時半、宿泊のホテルまで案内する。
「時宗開祖一遍と二祖真教」の構想が更に煮詰まって、自分なりの時宗史のモデルを展開することにしたい。テーマも「時宗始祖一遍と開祖真教 ―南無阿弥陀仏と他阿弥陀仏」に変える。

3月13日(火)

一遍会IT会員に3月度定期便を発送する。隔月間の予定が年間10回発行できた。予算的にはオーバーしたが、講師からのご寄稿も順調であった。心から御礼申し上げたい。3月中旬には平成29年度収支仮決算を行うが、ご寄付やお布施も多く、まずまずの決算ができそうである。
夕、ポーランド・シレジア・フィルハーモニー管弦楽団と共演する「ピアノ・コンチェルトとの夢の出逢い」に甥の娘が出演するので出掛ける。(ひめぎんホール)。
「時宗開祖一遍と二祖真教」の構想が纏まったので、一遍会例会の講師欠席の穴埋め講義のレジュメを作成することにした。事務局としてはストレスを感じなくて済みそうである。

3月12日(月)

一遍生誕会&一遍会3月例会に関してお世話になった宝厳寺(長岡陽子尼)と子規博・竹田美喜館長に礼状と当日の写真を数葉送る。
午後、畑の手入れと除草。ケール畑は今年もつくる。きゅうり、ナス、トマトなど簡単なものはつくることにした。もっとも鍬作業は2時間が限度のようだ。この一年で握力がものすごく減退した。
今晩の酒の友は妻の手料理を思い出しながら「ふきのとう味噌」を仕上げる。「椿の湯」。

3月11日(日)

伊予史談会3月例会出席(県生活文化センター)。
1)「鎌倉期伊予国支配について―出雲地域史との比較から―」 佐伯徳哉氏(新居浜工専教授)。同氏は松山出身で黒田俊雄氏の門下。長く島根県で過ごし、近年リターンした由。
2)「みちのく紀行―芭蕉・子規・碧梧桐」 門田恭一郎氏(前史談会副会長)
1)については、出雲地域史との比較という前提で、実に明快に日本中世史の権力構造を明らかにする。黒田理論の展開である。
伊予における承久の乱から蒙古襲来までの未解明に背景を仮説ながら論述され、大いに参考になる。
南予の「三好」姓は西園寺系「三善」と理解していたが、備後国からの有力御家人「三善氏」の伊予国は派遣の指摘あり。早速、山内譲論文当たってみよう。
午後、洗濯。情報整理。宝厳寺に一遍生誕会法要細部につき照会する。
NHK「西郷どん」。「椿の湯」。

3月10日(土)


一遍会にとっての最大の行事である「一遍上人第七七九回御生誕法要・第二一回松寿丸像湯浴み式・第五五三回一遍会三月例会」を開催する。(於 宝厳寺)
小沼大八代表と今村威・杉野祥一両理事が欠席で、一人三役で進行を進める。
導師は宝厳寺住職 長岡陽子尼、脇導師は願成寺住職 長岡義尚師と伯済寺(はくさいじ)住職 内田光寿師。
来賓は檀信徒総代 三好隆氏、道後温泉誇れるまちづくり推進協議会会長 宮崎光彦氏、道後温泉旅館協同組合 副理事長 河内広志氏、愛媛銀行会長 中山次郎氏、子規記念博物館館長 竹田美喜氏。  
例会講話は竹田美喜氏(子規記念博物館 館長)でテーマは「万葉歌人天田愚庵と子規」。本堂には暖房がないので、正直寒かった。15時定刻に全行事が恙なく終了する。さすがに疲れる。
早めに夕食、「椿の湯」を済ませ、22時就寝する。 

3月9日(金)

義安寺に墓参り、線香を供える。「メルパルク」でランチ(和食)&スパ。
〇鐘紡燦々会から入社60周年記念会開催連絡(4月12日大阪「太閤園」)
〇鐘友会関西支部から隔年開催の例会連絡(5月18日大阪)
先輩、同期にこの機会に会っておきたいものだ。
HP一遍会表紙の「カウントナンバー」を一新した。興味ある会員の閲覧回数が増えることを期待したい。12万台に限りなく接近してほしいものだ。

3月8日(木)


終日雨である。
週末10日(土)開催の「一遍生誕会法要&三月度例会」の準備を進める。写真は江刺理事に依頼する。
午後、友隣サミット。
一遍会4月例会講話の構想を練る。「時宗始祖一遍と二祖真教と時衆」(仮題)として
@一遍と真教の出会い
A一遍との同行(遊行)と別離
B真教の活動
C真教の残したもの
を中心に話を展開していきたい。
TV「プレ(夏井俳句)」を見る。「友ふたり卒業の日の病室に  梅沢富美男」は秀作である。「椿の湯」。   

3月7日(水)

「ダイキ」で『一遍会報』第397号最終版120部印刷。帰宅したところで三好隆宝厳寺檀信徒家総代から来賓変更の連絡。愛媛銀行は中山紘治郎会長が出席の由。時間切れで打つ手なし。いやはや。一遍生誕会&一遍会3月例会の準備に入る。
小沼大八代表から「本日退院」の連絡、元気そうなので一安心。もっとも、四月例会の出席は微妙の由。総会の議長と例会講師でもあるので代理の依頼の必要あり。講師の代理については持ち駒なし。困った、困った。
「椿の湯」。

3月6日(火


蜂須賀理事宅に「粗供養」を届ける。午前中に松山税務署で「確定申告」を済ます。県図書館で玉井健三著『江戸・東京のなかの伊予』貸し出し。
昼食は「東京第一ホテル松山」内の割烹「花のれん」で「おすすめ膳」とコーヒー。旨くて安い(@1,200円)。
午後は、HP一遍会のカウントナンバーの修理作業。やっと「113129」表示(16時50分現在)、やれやれ。『一遍会報』第397号最終版完了。明日120部印刷予定。
18時に「フジ」買い物、17時と錯覚した明るさである。春は足元まで来たことを実感する。「椿の湯」。

3月5日(月)


終日雨である。
一周忌法要の後片付け並びに事務処理。平成29年度確定申告の最終チェック完了、明日税務署に提出の予定。一件落着である。
仮テーマ「江戸の中の松山」についての資料集め。伊予史談会1074回例会で老生の「慶応義塾入社第一号 伊予松山藩士 小林小太郎」とご一緒に講演した玉井健三氏の「江戸・東京のなかの伊予」から取材をはじめたい。
「椿の湯」。

3月4日(日)

10時から、龍穏寺住職により妻「三香院春雅温妙大姉」の一周忌法要。本多伸光、本多昌次夫妻&長男、山口晃子、柏井正子さんと三好ファミリーの13名。当初予定より3名減ったが、お互い高齢になったので「想定内」としておこう。
11時、義安寺墓苑で住職の読経と線香を供え、私から道後三好家の歴史の説明と墓苑の説明をする。義安寺住職と挨拶する。
12時から「ふなや」で会食、妻の写真を正面に置き蔭膳を供える。参加者で妻の思い出を語り合い14時散会。16時「ふなや」に再度出掛けて温泉に入浴し疲れをとる。
大河ドラマ「西郷どん」を見て、22時就寝する。

3月3日(土)


朝から、妻の一周忌法要の準備。御霊具膳の支度も「満中陰」法要に次いで2回目なので、味噌汁を除いて順調に料理をつくる。
午後、長男、次男夫婦と孫が到着、屋敷内の掃除と墓の手入れを進める。
18時、夕食で温泉街に出掛けたが満席、やっと4軒目の「すし丸」で部屋が取れ、郷土料理と地酒でファミリー6名と団欒する。入浴は、「飛鳥乃湯泉」と「椿の湯」に分かれる。

3月2日(金)

義安寺墓参、シキミをどなたか供えてくれている。有難いことである。墓苑に妻が植樹したシキミも大きく育っているので、それも合わせて墓に供える。メルパルクでランチ(中華)&スパ。
午後は、法要の準備と御霊具膳の「献立(メニュー)」の考える。当日は忙しいので、明日中に完了したい。墓苑の掃除は息子ファミリーに任せることにした。
HP「一遍会」は、子規の3月句「春や昔十五万石の城下哉」の鑑賞エッセイを執筆して完了する。子規もどき句は「春や春一遍産みし道後の湯泉(ゆ)」。 
【→俳句会】
子規記念博物館(館長 竹田美喜氏)選句の子規さんの平成30年3月の句は「春や昔十五万石の城下哉   子規」です。
季語は「春」(春)です。『子規全集』第二巻 「寒山落木 巻四」177頁(明治二十八年 春)と第二十一巻 草稿ノート「病余漫吟」43頁(明治二十八年 春)に掲載されている。前書きに「松山」と付されている。
伊予では子規を代表する句である「春や昔十五万石の城下哉」が子規記念博物館選句の子規さん俳句が始めて登場するとは思えず、慌てて平成15年1月からの現在までの百八十二句に当たってみたが該当句がない。まさに「真打登場」である。「正岡屋〜」と叫んでみたくなる。
明治28年春、日清戦争の従軍記者として出発予定だった子規が、出征前の3月14日から三日間、松山に帰省する。体調から判断して、故郷へ別れの旅立ちを告げたかったのであろうか。父の墓参も済ませ、遼東半島に旅立つ。
改めて、松平(久松)十五万石の親藩であるご城下の佇まいも維新後三〇年近く経つと明治の佇まいとなったことを痛感したが、後輩に当たる「松風会」の仲間との触れ合いに、尽きせぬ思いを語ったことだろう。
この句は「月やあらぬ 春や昔の春ならぬ わが身一つはもとの身にして」(『伊勢物語』)が下敷きになっているのだろうか。
道後生まれの筆者が子規さんにあやかっての一句
「春や春一遍産みし道後の湯泉(ゆ)  子規もどき」 
因みに、一遍智真が生まれたのは延応元年(1239)陰暦二月十五日である。おそらく、宝厳寺の建つ奥谷の早咲きの山桜は咲いていたのだろう。奥の谷の北には桜谷の地名が残っている。

3月1日(木)


3月に入る。全国的な天候異変(風、雨、竜巻、雪・・・)。
公民館で一遍会5月度会場予約、子規博「子規さん三月度俳句 ―春や昔十五万石の城下哉―」確認。銀行周り。
妻の一周忌法要の準備。シキミのほかに庭に咲く梅、水仙などを飾る。
「一遍会三月度例会案内」をメールする。HP「一遍会」の三月度更改作業。

2月28日(水)

「ジュンク堂」で生駒哲郎『畜生・餓鬼・地獄の中世仏教史 因果応報と極道』(吉川弘文館 歴史文化ライブラリー460)を求む。
15時から松山子規会役員会出席。平成29年度の総括と30年度の事業計画検討。
4年前から主張してきた次年度会費の「先食い」が今期末で清算されることになった。松山子規会もやっと一人前に会計原則が尊重されることになったと思う。烏谷事務局長の手腕を高く評価したい。
懇親会は大いに盛り上がる。帰宅したのが20時、大事をとって「椿の湯」には出掛けず。

2月27日(火)

快晴、温暖な一日。窓と障子を開ける。裏庭の梅が満開である。温子の一周忌法要では梅の花を飾ろう。桜は華やかだが、温子には梅が相応しいかもしれない。洗濯、掃除を済ます。
午後、高瀬君らとのサミットを予定したが主役が都合悪くなり中止、梅木君が来訪する。
一遍生誕会につき宝厳寺 三好檀家総代と細部打合せ。
「椿の湯」。

2月26日(月)

北陸鯖江の河野さんを迎える。案内は「北条ふるさと館」元館長の和田さん、「湯築城ボランティア」の田中さん、一遍会の私の三名である。
まずは河野家の菩提寺の一つ名刹「天徳寺」で住職の挨拶を受け約1時間半近く情報交換。次いで宝厳寺に参る。
河野さんは奉納した「河野・得能始祖大位牌」と2年ぶりの再会である。「一遍上人堂」に参ってから庫裏の応接室で住職(陽子尼)と先住夫人と小一時間懇談する。今回の四人のつながりは、一遍さんのお導き以外考えられない。
「フジ」でショッピング。「椿の湯」で鐘紡の導入主事として教育したT君に三〇年ぶりの再会。実兄が「飛鳥乃湯泉」で倒れて救急車で運ばれ意識は回復したが要介護2級の由。大阪から駆けつけ、息抜きに温泉入浴らしい。ひとごととも思えない、万一私がそうなったら、東京・大阪の息子達の世話になるしか方法がない。

2月25日(日)

温子の一周忌を前に長男、次男とメールで打合せ。インターネットは迅速で便利だし、シニアにとっては記録が残るので有難い。
午後、第4回「愛顔感動ものがたり」(ひめぎんホール)。新井満、紺野美沙子(女優)、神野紗希紀(俳人)、白川義貞(写真家)、中村知事と昨年と同じメンバーである。「感動のエピソード」9篇の朗読では参会者のほとんどが涙した。
毎回、温子と共に参加した。去年は2月5日開催で、温子がこの世を去る一ヶ月前のエベントだった。
今年のハイライトは新井満氏と「海辺の生活」の執筆者西岡奈緒子(神奈川)の25年ぶりの「対面」であったが、私にとっては知事が披露した中村つよし作詞作曲「愛のカタチ」である。

「桜舞い散る春を待たずして もしもあなたがこの世を去ったら
  実り黄金の秋を待たずして あたしはあなたを追うでしょう
   ・・・・・・
愛なんてあたしには 愛なんて分からないけど
 一人で居る時にあなたを思う事が愛ならば これは愛です
 あなたが教えてくれた事 言葉には何もないけれど
 あなたが教えてくれた事 おれは本当の「愛のカタチ」
   ・・・・・・
 幾年老いてあなたの記憶を病が徒に食らえども
 温子(愛子)の名を忘れ我が名を忘れ
 それでもあなたを忘れません」

温子の一周忌を前に、自分の気持ちにぴったりの歌詞である。慶応の後輩でもある知事、プレゼント有難う。
14時半から17時までの2時間半の発表会であったが、まさに「感動」を体感できた。
NHK大河ドラマ「西郷どん」を見て「椿の湯」。「オリンピックハイライト」を見て23時就寝。満足、満足。

2月24日(土)


春である。雨戸、ガラス戸、障子を開け広げて、光と風を居室に運び入れる。掃除機をフル回転させて掃除完了。法要の客人も驚くだろうなと思った次第。残念だが、義兄がインフルエンザで宇和から出て来れない由、義姉から連絡あり。
合間に洗濯と庭掃除。
北陸鯖江の河野さんが週初に來松の由、一遍会田中理事と応対の打合せ。神奈川の「三好さん」からルーツ探しの相談等、本日も多忙である。
「椿の湯」
【メモ  河野さんの「道後での時間つぶし」】
湯神社「子守社」・・・祭神 河野通広 墓(?)二基
伊佐爾波神社「一遍上人 透かし彫り」
石手寺「宝物館」・・・「南無阿弥陀仏」「衛門三郎玉の石」
得能寺・・・
龍穏寺坂・・・
湯築城跡・・・(多分見学している筈です)
(山越)
龍穏寺跡 
ロシア人兵士の墓

2月23日(金)


温子の「七の五十一日」(没357日目)である。義安寺に墓参りして、メルパルクでランチ(和食)&スパ。浴室の修理改修で1ヶ月余りクローズしていたので久しぶりである。
一遍会講師 武智利博氏に『一遍会報』寄稿依頼、歌人佐藤氏に献歌を依頼する。
松山子規会平岡編集部長と電話で情報交換。
TV「天才を育てた女房」を見る。岡潔(佐々木蔵之介)と妻(天海祐希)のヒストリーである。超難問「三大問題」を解いた稀有な数学者だが、高校・大学時代に身近に感じたのは老境に入った同氏の随筆だった。
このドラマにプリンストン大学に留学する湯川秀樹氏が一役買うとは思っていなかった。TV見るべきかな。
【→ファミリー】
今日2月23日(金)は「母さんの「七の五十一日」です。「365日」が目前に迫りました。庭の佇まいも一年前と同じになり、在りし日の母さんのことを思い出すことが多くなりました。
これから義安寺へ墓参りに出掛けます。1ヶ月ほど休業していた「メルパルク」の浴室の修理が終わり再開します。ランチの後の入浴が楽しみです。
松山では22〜24日の「椿さん」が大盛況です。いよいよ春の到来です。母さんの一周忌法要の直前です。くれぐれも健康管理に努めて、元気で帰省してください。
【来週のスケジュール】
 23日(金)義安寺参詣  メルパルクランチ&スパ
 24日(土)
 25日(日)新井満イベント(ひめぎんホール)
 26日(月)
 27日(火)高校同期サミット
 28日(水)子規会役員会
  1日(木)月初手続き(公民館、子規博、銀行、郵便局)
  2日(金)義安寺参詣  メルパルクランチ&スパ
  3日(土)法要準備  義安寺整美
  4日(日)一周忌法要 「ふなや」会食

2月22日(木)

日中の気温は12度Cだが、風も吹かず暖かである。午後、表庭の草引き。
一遍会2月度収支決算作業。新規会員が9名とは有難い。松寿丸(一遍幼名)生誕会の献歌句は目下四句。
TV「プレバト(俳句)」を見る。「椿の湯」。
【メモ 時宗教学年報】
A「時衆の形成理念― 二祖と三祖を中心として」(竹内明正)
 「藤沢・当麻対立問題について」(橘俊雄)
D「河野通盛と遊行寺」(浅山円祥)
E「時衆二祖の教学」(河野憲善)
I「融通念仏の流れの中で一遍を考える」(梅谷繁樹)
P「一遍の和歌に関する一考察 ―一遍神格説を中心に―」(長島尚道)
Q「一遍と他阿の時衆について」(石岡信一)
(22)「花の下連歌師から時衆連歌師」(広木一人)
(23)「他阿弥陀仏真教の丹生山入山・淡河逗留・越前遊行」(砂川博)
(24)「一遍・聖戒活動の背景」(戸村浩人)
(28)「一遍・真教の初賦算」(金井清光)
 
2月21日(水)

一遍生誕会(松寿丸像湯浴み式)の打合せ。窪野に住む中川顧問が20年間設営してもらった湯浴み式だが、今年(から)は無理とのこと。何とか窪野の春の草木が息子さんに届けてもらうことにした。活け花は住職夫人に依頼する。
午後、県図書館に『一遍会報』を届け、3時間かけて『時宗教学年報』を第1巻から第29巻まで目を通す。二祖他阿真教上人と当麻山無量光寺について、平成30年度に2〜3回講話して会員に関心をもってもらう予定だ。
一つは、「初めての賦算」の切り口で遊行の比較をするのと、二つには和歌(法歌)の比較を通して一遍と真教の人物像を浮かび上がらせたい。
やっと暖かくなったので一遍研究のテンションが上がってきた。
「椿の湯」。

2月20日(火)

「本日も晴天なり」の一日であった。表庭の草引きを腰痛にならない程度(最大2時間)に
やっていくことにする。
『一遍会報』第396号を郵送する。妻名義の配当金の郵貯受け入れの最終処理を終える。約3ヶ月を要した。一件落着。
午後、暖かい日差しの中でのんびりと表庭の草引き。妻の一周忌を控えて、昨年の今時分の光景がよみがえってくる。
一遍会3月例会案内をマスコミ、ミニコミに流す。
「椿の湯」。
【→前嶋さん】
ここ数日で庭の草も柔らかな葉を伸ばし始めました。家内が急逝した昨年の早春の感じが強く胸に響いてまいります。三月四日に親戚一同が集まり一周忌法要を執り行うことにしております。
前嶋様からご書状を頂き、まことにありがとうございます。是非々々拙宅にお立ち寄り頂きたく、お待ちしております。お一人で「ルナパーク」にご宿泊であれば、夕食をご一緒してもと考えております。
空便の日程が決まれば。ご一報ください。まずはご返信まで。

2月19日(月)


『一遍会報』第396号をIT会員用に印刷。伊予鉄地下街で昼食(カレー)。
松山子規会2月例会出席。1)田村七重氏「世界文学としての俳句 子規生誕150周年記念シンポ」(ボストン大学)報告
2)清登典子氏「蕪村研究に新時代を拓いた書 ―「蕪村自筆句帳」―」
「蕪村自筆句帳」の存在をはじめて知った。興味ある研究に驚く。子規会会員の40年前の卒論が骨子である。
帰宅、夕支度(ジャーマポテト)して、晩酌して、ほろ酔いで「椿の湯」。
温子の親友である前嶋さんが、一周忌に当たって、近々拙宅訪問の由。4年前には我家に泊まり温子と内子・大洲を観光。はて、今回は何処を案内しようかと頭を抱える。

2月18日(日)

龍穏寺に温子の一周忌法要を書面で正式に依頼する。
午後、生涯学習センターに出掛け、松山子規会の二神将評議員の講義A「極堂の子規顕彰と俳句の殿堂〜子規記念博物館ができるまで〜」を聴く(12:00〜16:30)。子規会の今村副会長、烏谷事務局長も参加。
古川雅山『一遍と空海』(1982)を読むフジで中華弁当を調達。NHK大河ドラマ「西郷どん」を見て「椿の湯」。

2月17日(土)

晴天になったので朝一番に洗濯。
日中は、平成29年度確定申告の最終的な取りまとめ作業、午後、印刷完了。「寡夫」になったので申告税額の増加が如何ほどか興味があったが、結果的には配偶者控除(480,000円)が無くなり、それ相応にアップした。
夕から、TVでオリンピックのハイライトを見物し、MHKお勧めのスペシャルドラマ「荒神」(原作 宮部みゆき 主役 内田有紀ほか)を見る。(19:00〜23:00)。「椿の湯」は半年振りにお休みとなる。

2月16日(金)

朝一番に知人が講演中舌がもつれ救急車で済世会病院に運ばれた由、他人事ではない。健康チェックを更に徹底せねば・・・
妻の「七の五十日」(没350日目)に当たる。義安寺に参詣、線香を供える。「メルパルク」でランチ(和食)。
妻の一周忌法要の諸準備。法要棚、仏具等を納戸から取り出し、20年以上前の母の一周忌法要の写真を見ながら配置する。90%の進行か。妻が愛したお琴と卓球用具を座敷の違い棚に立て掛ける。「御霊具膳」の献立が一苦労である。半月あるから何とかなるだろう。
芥川賞の二作品を読む。どうも眠くなって困る。疲れているのか、頭脳の回転が鈍くなったのか・・・
「椿の湯」。

2月15日(木)

終日、雨模様。
朝から、妻の一周忌法要の準備(段取り)に取り組む。
母の25回忌、父の17回忌も20年以上も前だし、大半は妻がやってくれたので、記憶をたどりながらの作業。
半分程度は準備ができたかな。仏壇を飾る布が何処に片付けているのか皆目見当がつかない。困った。
3月開催の一遍生誕会のパンフレットが出来上がり、檀家総代の三好隆さんからメール来る。会員に早速パンフの画像をメールし、献句、献歌を依頼したら、折り返しY氏から送稿あり。
「椿の湯」。
【→檀家総代】
一遍生誕会のパンフ拝見しました。さすが立派な仕上がりで驚きました。一般の方々は勿論ですが、お檀家の女性の皆さんに参加していただいて、ご詠歌や念仏踊りのサークルが出来て一層盛大なお祭りになるように願っています。会員に早速メールで広報しました。ご了承ください。

2月14日(水)

『一遍会報』第397号(3月例会配布)の編集、割付作業を進める。
一遍生誕会の導師は宝厳寺住職(長岡陽子尼)、願成寺住職(長岡義尚師)、 伯済寺住職(内田光寿師)を予定。
午後、妻の一周忌法要の準備(段取り)を進める。法事の棚つくりを一人ですると、棚が重く、左右のバランスがとりにくく苦労する。
中学校同期会の準備を八塚、山本、万年3氏と老生が発起人となって3月中に具体化することとなった。30名くらい集まってほしいものだ。小学校の同期会は来年となろう。何とか米寿までは同期会を続けて行きたいものだ。
ひめ銀の担当者が交代挨拶。
冬季オリンピックもメタルラッシュになってきたが、TVを見たいとも思わない。
「椿の湯」。

2月13日(火)

『一遍会報』を宝厳寺と三好隆氏(檀家総代)に届ける。先住夫人と陽子尼に会う。吟行中の小沼大八氏(一遍会代表)にからくり時計前で出会う。和田茂樹邸跡が更地となる。
14時から16時半まで小中学同期とのサミット。今回は道後温泉駅舎内のスタバ。H君が軽度の脳梗塞か、同病の夫人と一緒に買い物に行っていり由、心配ではある。
今回はTVの「おてんさん」「西郷どん」「ブラタモリ」「越路吹雪」などなどから「宝塚歌劇「吉本興業」〜「有馬」「ジョン万次郎」まで幅広い雑談に終始する。楽しい哉。
3連休中のメール処理完了。「椿の湯」。22時就寝。気温も7〜10度Cに上がる。

2月12日(月)

朝食後、ホテル9時発の送迎車で「湯快リゾート 道後催朝楽」を後にする。
「エデンの園」を恒治と共に訪問、担当の赤松龍次氏から説明を受け、園内を見学する。3度目であり、親しみを覚える。
15時、雪催いとなったので、息子は慌てて出立し神戸に向かう。
「椿の湯」。NHK映画「ソロモンの偽証」(後編 裁判)を見る。

2月11日(日)

午前中、伊予史談会2月例会出席(県生活文化センター)。
1)テーマ:「山岡栄先生台湾に殉職す」 講師:井手窪 理氏(中山町史談会 会長)
2)テーマ:「幕末明治期を生きた画家 沖冠岳」 講師:梶岡 秀一氏(県美術館 学芸員)
午後、恒治帰宅。@ライフプラン A相続分割 B「エデンの園」説明。夕、義安寺詣でる。「道後湯快リゾート」宿泊し、バイキング「本ズワイガニまるごと食べ放題」をたらふく食べて厳冬を満喫する。この料理で一泊二食で9,000円は確かに安い。館内の温泉に2度入浴する。
夜、NHK大河ドラマ「西郷どん」を見る。23時まで、息子と「ライフプラン」を語る。

2月10日(土)

午後、一遍会2月例会&理事会。出席は20名。
演題は「一遍上人 北国(山陰道)の遊行・賦算― 一遍に狩猟民・漁民も結縁−」、講師は武智利博氏(一遍会会員 伊予史談会相談役)。 
卓話は杉野祥一氏(一遍会理事)「「一遍語録」を読む(21)」。
理事会は平成30年度事業計画(案)の検討。
一遍会が創設した「松寿丸湯浴み式(一遍生誕会)」ならびに「窪寺まんじゅしゃげ祭り(一遍忌)」を宝厳寺に禅譲する案であり、理事各位の思いもあるが、原案通り承認を得た。今後の飛躍的な発展を望みたい。
昼、平岡英氏(松山子規会編集局長)から子規会例会講演を2本頼まれる。今春5月は「子規と一遍〜生死への執着と安心〜」、来春6月は「『松山 子規事典』の江戸図絵」(仮題)で引き受けた。一遍会は、講話1本と卓話1本を予定している。
少々疲れた。冬季オリンピックのライブをそれほど見たいとも思わず、20時いつものように「椿の湯」に出掛ける。

2月9日(金)

昼、義安寺に参詣、線香を供える。妻の「七の四十九日」(没343日目)に当たる。 「メルパルク」でランチ。
午後、息子の帰省を控えてリビングの大掃除。「セブン」の「もやしのにんにく醤油炒め」の「具入りソース」はなかなかの美味。「椿の湯」。22時半まで冬季オリンピックのライブを楽しむ。
【→ファミリー】
今日2月9日(金)は「母さんの七の四十九日」(没343日目)です。
昨日8日の宇和の最低気温は−13度、積雪も日毎に高くなり、本多の義兄に連絡したら、ここ一週間は町に出ていない(出れない)とのことでした。
母さんと結婚した当時(昭和35年当時)宇和は四国のチベットと云われていたことを思いだしました。正月帰省しても母さんは「里帰り」できなかったのですよ。
3月4日の母さんの一周忌法要には、本多兄夫妻、本多弟夫妻+息子、晃子さん、真子さん+息子、正子さんの9名が出席されます。有難いことです。
来週も寒さが続くようです。くれぐれも健康管理に努めてください。
来週も多忙な日程です。頑張っていますよ。
【来週のスケジュール】
  9日(金)義安寺参詣 メルパルクランチ
 10日(土)一遍会2月例会
 11日(日)伊予史談会2月例会 ライフプラン相談(恒治)
 12日(月)「エデンの園」関係者面談(恒治) 建国記念日サミット
 13日(火)小・中学校同期サミット
 14日(水)一周忌段取り(龍穏寺 ムラタ)   
 15日(木)
 16日(金)義安寺参詣  メルパルクランチ
 17日(土)
 18日(日)生涯学習センター講演 
 19日(月)松山子規会2月度例会

2月8日(木)

洗い場の石の瓶の表面の氷が数日経っても溶けないで厚くなっている。今朝、妻の実家の宇和盆地では−13度Cを記録した。義兄に連絡したら、こんな寒さは経験ないというからおそらく100年に1度の寒さかも知れぬ。積雪もひどく、ここ数日は町に外出していないと云う。
午前中は書斎にこもっての執筆。
午後、「ダイキ」に出かけ、一遍会例会資料のコピー、自転車の空気入れなど。電車を利用するので2時間かかった。
昨日の「一遍生誕会&湯浴み式」の打ち合わせ内容の確認を済ませる。明日の一遍会理事会での最終承認を受けて、いよいよ平成28年度事業計画を決定する。
TV「プレバト(俳句)」を見る。元アナウンサーの徳光氏の「車窓から梅だあの娘の校章だ」を夏井いつき宗匠がべたぼめ。
この句、青春のほろ苦い初恋と失恋を想起させる。俳句の醍醐味がそこにありそうだ。
「椿の湯」。

2月7日(水)


猛烈に寒いがつかの間の日和か。掃除、洗濯をして10時半にやっと書斎入りである。
午後、宝厳寺で「一遍生誕会&湯浴み式」について宝厳寺総代会(三好隆氏他)と「道後温泉誇れるまちづくり推進協議会」(奥村敏仁氏他)と一遍会(三好恭治氏他)で協議する。
「一遍生誕会&湯浴み式」を宝厳寺主催として「道後温泉誇れるまちづくり推進協議会」が支援(共催)する方向を了承する。今後、一遍生誕日(旧暦2月15日)か「道後温泉祭り」とドッキングしての運用となろう。一遍会主催で21回開催してきた「一遍生誕会&湯浴み式」を円満に宝厳寺と「道後温泉誇れるまちづくり推進協議会」にお譲りしようという趣旨である。
一遍会としては、「一遍生誕会&湯浴み式」と「一遍忌窪寺まんじゅしゃげ祭り」を永続さすために、一遍生誕寺・宝厳寺が主となる組織運営に移行させたい。一遍会の将来構想としては「宗教文化を基底とした文化サークル」として永続させたいと思う。息子と同じ50台の「青年」との語らいに英気をもらった感じである。
夜、「椿の湯」で前・旅館組合の事務局長である後藤さんに報告し知恵を借りる。
【メモ】
成長(カルピーCEO)
@市場(マーケット)拡大
A革新(イノベーション)
B市場占有率(シェア)拡大
一遍会の成長?
@老齢人口の増大↑ 寺院離れの危惧↓
A寺院の崩壊 青年住職の激減↓
B文化サークル参加↓ 日本仏教最低シェア↓
⇒シニア女性の囲い込み

2月6日(火)

エアコンをつけてもなかなか暖かくならない。室温を零度から17度Cまで上昇させるのだから当然ではあるが・・・
やっと一遍会会員YA氏にメールが通じる。一年間余り一遍会の広報が通じていると思っていたのが・・・、いやはや。
一遍会理事会資料(@平成30年度例会講師ラインアップ案、A平成30年度事業計画書案)を取りまとめる。まずは次年度も円滑な船出ができそうだ。
訃報で「祝谷 古茂田某(83)」とあり、小学校の名簿を取り出す。我が同期は、今年から「享年84歳」である。安堵はしたが、84歳に愕然とした次第、いやはや。
「椿の湯」。

2月5日(月)

さらに寒くなり、気温は最低でマイナス2度で最高でも3度C。
一遍会業務に集中する。
1)「一遍会2月度ニュース」メール発信。
2)例会配布用「一遍会2月度ニュース」編集。
トピックス
@道後公民館での「飲食禁止」
A和田茂樹氏旧蔵図書(3万5千冊)が「湯の山文庫」として公開
B正月懇親会収支決算報告
3)2月度収支報告と、平成29年度一遍会決算報告書(案)
4)『一遍会報』第396号最終割付とテスト印刷
あとは平成30年度例会講師(案)を残すのみ。
銀行、郵便局、コンビニを回る。
「椿の湯」。

2月4日(日)

最低で気温は零℃、日中でも3度を越えず、猛烈に寒い。今冬の最低気温である。久万高原では積雪15センチの由。
明年は「二祖他阿真教上七百遠忌」に当たるので一遍会例会での講話の準備に入る。『定本時宗宗典』(下)「一遍上人縁起絵」全10巻の第6巻から読み始める。なんとか6月までに読了して7月中に草稿ができればと考える。ただ先行文献が宗教関連だけに目を通すのが困難であり悔やまれる。県立図書館に一部所蔵の「時宗教学年報」に当たってみるか。
NHK大河ドラマ「西郷どん」。「椿の湯」。
【メモ】
日頃はインタ−ネットの評論はあまり目を通さないのだが、月刊『創』編集長 篠田博之氏の評論はきわめて適切で同感するところが多い。数本目を通す。今後は注目していきたい。
https://news.yahoo.co.jp/byline/shinodahiroyuki/
【メモ】
今すぐ見直すべき、無駄な買い物18選(米国版)
わたしたちは無駄な買い物、過剰な物欲に悩まされがちだ。自分が何を買っているのかほとんど意識することなく、日々多くの商品を購入している。だが、一歩引いてそうしたコストを考えてみれば、無駄な買い物を避け、かなりの節約ができるだろう。無駄な買い物になりがちな18の商品をまとめた。
@宝くじAタバコBボトル入り飲料水Cブランド名を冠した医薬品D映画館の売店EカフェのコーヒーF本GタイムシェアHボートICD、DVDJケーブルテレビKグリーティングカードLギフトカードMジムの会費NハイオクガソリンO最新のガジェットPゲーム内課金Q至急便

2月3日(土)


昨日同様に摂氏5度の厳しい寒さが続く。
子規博2月度子規さん俳句「春寒き机の下の湯婆哉」鑑賞エッセイをHPに掲載する。例の「子規もどき」は平凡句「春寒き机の下の足温器」とした。
一遍会4月度例会講師(小沼大八代表)からテーマと「一口メモ」が届く。テーマは「鑑真と戒律の問題」である。
「一遍上人第779回ご生誕法要と第21回松寿丸(一遍幼名)湯浴み式」の検討資料を取りまとめ印刷す。来年が第780回ご生誕法要となる。盛大に挙行したいものだ。尚、二祖他阿真教上人の700年遠忌にも当たる。
資料印刷の帰途、回り道して「レデイ薬局」に立ち寄る。懐かしさもありカネボウEROICAのヘヤートニックとアフターシェイブローションを購入する。
TV「ブラタモリ」は有馬温泉。道後温泉と同じく「非火山性温泉」だが、マントル排出、温泉の塩分・鉄分・炭酸ガス成分の発生因が理解できた。
「椿の湯」
【→俳友】
 子規記念博物館(館長 竹田美喜氏)選句の子規さんの平成30年2月の句は「春寒き机の下の湯婆哉   子規」です。
季語は「春浅き」(春)です。『子規全集』第三巻 俳句稿 246頁(明治三十二年 春)と第十二巻 随筆二「室内の什物」291頁(明治三十二年)に掲載されている。
 ことしの如月は殊の外寒い。気象観測では平成に入ってから一番寒い「冬」らしい。明治32年当時といえば、暖房は火鉢と炬燵と湯婆(ゆたんぽ)と厚着くらいか。根岸の子規庵の寒々とした居室で、机の下にゆたんぽを置いて、文学活動に取り組む子規さんの姿が浮かんでくる。子規の病状は悪化し、左脚は曲がったままで伸びなくなっていたらしい。湯婆(ゆたんぽ)の暖かさは、家族の温もりでもあり、短歌革新に燃える子規自身の情熱でもあったろう。
 随筆「室内の什物」で子規さんが挙げた品は下記である。
@軸一つ       「軸掛けて椿活たる忌日かな
A油畫の額一つ    「油畫極彩色や春の宿」
B水畫の額一つ    「雪の絵を春も掛けたる埃かな」
C写真版の額一つ   「古文に羅馬の春の残りけり」
D蓑一つ       「蓑掛けし病の牀や日の永き」
E笠一つ       「春雨のふるき小笠や霰の句」
F机一つ       「春寒き机の下の湯婆哉」
Gラムプ一つ     「暗き灯や蛙鳴く夜の写し物」
H絵巻物一つ     「絵巻物三月の部は花見なり」
I花瓶一つ      「投入の椿山吹調和せず」
 子規さんにあやかって一句
  「春寒き机の下の足温器   子規もどき」 
 味気ない一句だが、書斎の机に向かって、膝に毛布を掛け、机の下には足温器を置いて、只今子規さん俳句の鑑賞エッセイを執筆している。
 思い出した。子規さんの机は置き机で、左膝のあたる部分をくり抜いた専用の机であった。当方の机は、20年前の阪神淡路大震災で自宅が倒壊し、疎開先の大阪で急いで購入した安物の机である。「ゆたんぽ」を愛用していたが、妻を亡くしたこの冬からは「あんか」になり、「湯たんぽ」二つが押入れで冬眠中である。
 「室内の什物」にはそれぞれ歴史があり、所有者(使用者)にとっては忘れがたい思い出がある。   

2月2日(金)

「温子の七の四十八日」(没336日目)、義安寺に詣で線香を供える。樒は毎週水を取りかえているので生き生きしている。メルパルクでランチ。
帰り道、宝厳寺に詣でる。先住夫人と三好檀家総代に出会う。@一遍生誕会の取り扱いA和田茂樹旧蔵一遍関連図書一覧B夏井いつき氏の「伊月庵」の所在等情報を入手できた。
「花の句道十歩上がれば伊月庵  子規もどき」
7日(水)午後、宝厳寺で道後町おこしの有力メンバーとの打ち合わせで方向付けすることに決める。
「椿の湯」。
【→ファミリー】
今日2月2日(金)は「母さんの七の四十八日」(没336日目)です。まだまだ寒さが続きますね。元気でやっていますか。
母さんと過ごした最期の月ですし、昨年の2月は旅行中に腰痛で動けなくなり大阪梅田のサンメンバーズでダウン、急遽帰宅して奥島病院で診察を受け・・・2月中は3,000歩がやっとという段階でした。そんな、こんなで、母さんが頑張ってくれたのだろうと思っています。
3月4日の母さんの一周忌法要の正式な案内状を本多の兄弟妹と正子さん宛に発送しました。余程のことがない限り皆さん出席してくれると思っています。
1月は結構多忙でした。2月は@「確定申告」作業A「一周忌法要」段取りB「エデンの園」対応がありますが、中旬には息抜きを兼ねて「サンメンバーズ洲本」に出かける予定にしています。
くれぐれも健康管理に努めてください。父はまずまずの元気ですが、身を切るような冷たさの中での炊事に苦労しています。主婦の苦労が、この年になって分かるとは思ってもいませんでした。いやはや。
【今後のスケジュール】
  2日(金)義安寺参詣 メルパルクランチ
  3日(土)
  4日(日)
  5日(月)確定申告作業開始 一周忌段取り(龍穏寺 ムラタ)
  6日(火)
  7日(水)   
  8日(木)
  9日(金)義安寺参詣  メルパルクランチ
 10日(土)一遍会2月例会
 11日(日)伊予史談会2月例会 恒治ライフプラン相談
 12日(月)「エデンの園」関係者面談

2月1日(木)

2月に入って寒さが一層厳しくなった。家の中でも防寒用のジャンバー着用である。
月初の業務でまず@道後公民館で一遍会4月度の例会場所を予約しA子規博で2月度子規俳句の確認B金融機関を一巡する。
「一遍会2月度例会案内」をメールで会員に流す。子規の俳句「春寒き机の下の湯婆(たんぼ)哉」鑑賞執筆。
妻の一周忌法要を三月四日(日)に自宅で執り行なうので親類縁者に「往復はがき」で案内する。20名を予定している。法要→義安寺→「ふなや」で4時間を予定している。
夜はお楽しみのTV「プレバト」。夏井いつきさんのパフォーマンスは楽しいが、俳句がエンターテイメントになり俳句の宗匠がエンターテイナー化するのは、若干違和感があるのは事実だ。宇都宮先輩と10日ぶりに情報交換する。
「椿の湯」。
【伊予国「別府」考A】
(別府氏の墓所)浄土寺天竜院の近くに五輪塔ほか数基並ぶ。10数年前に現地視察しましたので記憶にあります。現地写真を見つけました。ご参考までに・・・
越智通敏著『一遍 ―遊行の跡を訪ねて― 』(愛媛県文化双書30 昭和53年刊)9頁

1月31日(水)

猛烈に寒い。室内で6度C、外は5度C以下である。
引き続き、小栗判官・照手姫関連図書―@『説教節』(東洋文庫)A『さんせう太夫考』(平凡社)再読。
遊行寺から照会があった「伊予国「別府」考」につき私見を返信する。
19時「椿の湯」。21時からTV「相棒300回記念 いわんや悪人をや」を見る。
『伊予史談』第388号入手。活字が大きく行間も気持ち広くなり、読みやすくなった。
【伊予国「別府」考】
1)尊証上人について
 上人は「伊予国出身」で、元禄十二年四国回国途上で@宝厳寺庫裏再建A児守社参詣B拝志村別府墓所代参の記述があります。@、Aは道後で確認できますので、Bも事実と考えています。確証はありませんが「伊予国出身]でもあり、河野氏の縁者かもしれません。
2)伊予国「別府」について
 現在の松山市内に「別府」の地名が3箇所ある旨先にご報告しましたが、河野氏の研究者の過半は河野氏の拠点であった北条市(現在は松山市と合併)「河野郷の別府」説です。「拝志」説は、少数派(一遍会)です。
3)「拝志郡別府」について
 @現在の地名
 「東温市重信町下林(別府)791-0222」
 A宝厳寺旧蔵(焼失)『越智姓河野系図』  
  「(河野通広)拝志郷別府庄を領す 以て氏となす」
4)「一遍上人の生家である別府氏の墓所」について
  伊予鉄バス「別府」下車、「拝志農協」近くに「一遍建立寺院」(?)なる「浄土寺天竜院」が建つ。現在は真言宗醍醐派、たびたび焼失しするも、寺縁起の断片が残る。
 @「智真云後号一遍上人時宗開祖也 文永十一年八月八日浮穴郡拝志郷別府庄寺院建立是承久之乱戦没及祖父叔父諸?為菩提香花院浄土東王仙光三寺」
 (注)浄土寺、仙光寺は現存。東王寺は不詳。
 A「上人皈故郷参祖廟墓碑?香花院ヲ建給フ事」
 B「文永十一年河野通秀寺領トシテ水田三十貫文ノ寄付アリ」
 (注)河野(別府)通秀は一遍上人。別人 河野(得能)通秀の可能性もある。
5)別府氏の墓所について
 @浄土寺天竜院の近くに五輪塔ほか数基並ぶ。
 A「河野殿古墳拝志郷別府 承久年中河野得能別府の墓なり・・・」(『予陽郡郷漫遊記』
6)その他
 提示の史資料はあくまで第2次史資料です。伊予国出身の「尊証上人」の文書が「発掘」できればと願っています。

1月30日(火)

久しぶりの晴れ間、朝一番に洗濯。HP一遍会2月改訂版作業開始。
会員山田斌治氏に一遍会例会初講師を依頼する。平成30年度の例会講師のラインアップ完了。
午後、炬燵に入って、小栗判官・照手姫関連図書―@『説教節』東洋文庫243 A『さんせう太夫考』(岩崎武夫 平凡社)―を再読する。今回、田中理事との論点となった和田萃編『熊野権現 熊野詣・修験道』(筑摩書房1988)を一読せねばと思う。
寒さの中「椿の湯」。常連客が揃い、サミットは花見の話題。いやはや。

1月29日(月)

午前、先週の日記取りまとめ。伊予銀行インターネット支店開設・・・一般支店より利率は0・1%高い。
午後、一遍会の田中、蜂須賀両理事、松山子規会の烏谷事務局長らとメール打ち合わせ。
「椿の湯」。TV「BS日本の歌」。

【→田中理事】
豊島修氏(京都女子大学短期大学部教授<国語・国文学専攻> は山岳宗教、修験道に関する学術論文も多い由ですが、まったく読んでおりません。是非、教えてください。よろしくお願いします。
引用された文章で不明な箇所があります。
「一遍以降、熊野に入った時衆の念仏聖は熊野の勧進権を独占、そのような時衆聖の勧進形態は戦国時代まで続いていたらしい・・諸国の山岳霊場の多くは女性の参詣を許さなかったが、熊野権現だけは女性の登山を厭わなかった。熊野も院政期まではそうであったが、一遍の熊野本宮参籠以後、変わっていった・・豊島修」

@「熊野も院政期まではそうであったが」ですが、鳥羽上皇はじめ多くの宮中の上皇、天皇、女官たちは「熊野詣」をしており、『一遍聖絵』でも女性の参詣者が多く描かれています。「一遍の熊野本宮参籠以後、変わっていった」のは何が変わっていったのでしょうか。
(注)白河院熊野参詣 2回 寛治4年(1090年)、永久4年(1116年)A後白河院熊野参詣 34回 大治2年(1127年)〜 建久3年(1192年)が著名です。この時期に街道沿いに九十九王子(標識)が設置され、急激に参詣人が増加し、13世紀には一遍もこの道を歩き、神託を得て、境内で九十九王子に賦算したとする『一遍聖絵』の絵を信用しますが・・・
A「高野聖」が時衆であったかどうかは疑問ですが、「聖」であったのは事実で、比丘尼も全国で「絵解き」をして回ったのは事実です。
先週、雪のお江戸を旅していました。国立劇場で、時衆ゆかりの「通し狂言 世界花小栗判官」を観劇しました。ご存知のようにライ病で盲目の「小栗判官」を「いざり車」に乗せて「照手姫」が押して熊野詣をして「湯峰温泉」で蘇生開眼するストーリーですが、14〜15世紀に念仏聖が広めていったと思います。「熊野本宮の湯峯街道沿いにある「一遍上人爪書の名号」碑」は後世の偽書ですから無視すべきでしょう。一遍の熊野参詣は1回切りです。宗門でも史実とは認識していませんが・・・

1月28日(日)

故・和田茂樹氏(愛媛大学名誉教授・子規記念博初代館長)の所蔵する文学、地方史等関連資料を一括展示する「湯の山文庫」(奥道後壱湯の守 別館カメリアビレッジ)に出掛ける(10時〜14時)。
「湯の山文庫」開設者は小椋浩介氏(古美術がgallery小椋)、場所提供者は「壱湯の守」坪内洋輔氏(奥道後国際観光社長)で、私とは親子ほど年齢は離れているのだが10数年来の旧知の間柄である。「和田文庫」を中心に2時間あまり立ち話する。和田茂樹氏の一遍研究ノートは老生が預かり研究することにした。子規の「紙芝居」は松山子規会、一遍会で披露することにしたい。
注目していた「河野系図」は河野氏本流の系図でなく、越智氏・河野氏・得能氏がミックスした系図である。史料としては亜流に属すると思う。
小雨の休日ではあったが、実に豊富な情報を得た一日となった。
終日気温は6度Cで、体が冷えるので、大根とこんにゃく中心の「おでん」と日本酒で温める。
NHK大河ドラマ「西郷どん」。「椿の湯」。
【→一遍会】
雨の中、和田茂樹氏(愛媛大学名誉教授 子規博初代館長)所蔵の文学、地方史等関連資料を一括展示している「湯の山文庫」(奥道後壱湯の守 別館カメリアビレッジ)に出掛けてきました。
今回の企画者である小椋浩介氏(古美術がgallery小椋)とは旧知ですので、坪内洋輔氏(奥道後国際観光社長)と3人で2時間ほど話ができました。
和田茂樹氏の「一遍研究ノート」を預かり研究調査することになりました。まとまれば、一遍会で発表し、宝厳寺に納めたいと考えています。
小椋さんから一遍に関する書籍は既に宝厳寺に寄付しましたと報告がありました。ついては宝厳寺に収まった書籍類のリストを是非お知らせください。愛媛県立図書館の「越智通敏文庫」にない時宗・一遍上人関連書籍があれば、リストアップする必要がありますので・・・
よろしくお願いします。
本山からかなり難しい調査の依頼がありました。情報交換したいものですなあ。

1月27日(土)

午後、義安寺に詣で線香を供え、温子に熱海、東京の出来事を報告する。14時スタバ道後温泉店でTUMサミット(14時〜16時)。「松山学生仏教会」の話を聴く。旧制松山高校の学生仏教会のリーダーが北川淳一郎氏(一遍会創世期の有力メンバー)、戦後の愛媛大学学生仏教会のリーダーは今治の「大西氏」(住職の由)で事務局を高瀬君が担当した由。現在の活動は不明。
散会後、商店街を歩く。「かど半」はクローズしている、閉店か?夜、「椿の湯」。
【→横内氏】
掲示板にご寄稿ありがとうございました。お久しぶりです。帰宅してから貴メッセージ拝見しました。
今回の上京の目的のひとつは時宗・遊行上人ゆかりの歌舞伎「通し狂言 世界花小栗判官」を鑑賞することでした。
フィナーレに舞台の役者から「手ぬぐい」の投げ込みがありましたが、なんと尾上菊五郎のサイン入りの「手ぬぐい」が私の席に飛び込んできました。すばらしい記念になりました。2月の一遍会例会でご披露しようと思っています。
又の機会にお会いしたいものです。掲示板やメールでのメッセージを心待ちしています。ありがとうございました。

1月26日(金)

南国四国も寒い、寒い。気温は5度C以上には上がらない。
留守中の手紙とメールの整理。引き続いて、上京の出来事を忘れないうちに取りまとめる。
「フジ」で食料品の調達。最近中華料理を食べていないので、中華惣菜セットを購入、チンして熱々料理と「おばあちゃんの松山すし」と日本酒の夕食。
4日ぶりに「椿の湯」。早速、西山さんらと平成30〜31年度の町内会長候補について「裸サミット」を開始する。
【→ファミリー】
今日1月26日(金)は「母さんの七の四十七日」(没329日目)です。今週は「雪の江戸見物」を楽しんできました。2月に入ったら、母さんの一周忌法要(3月4日)の準備に入ります。
【今後のスケジュール】 
 26日(金)義安寺参詣  メルパルクランチ
 27日(土)「エデンの園」サミット
 28日(日)奥道後「和田茂樹(子規博初代館長)旧蔵書展」
 29日(月)
 30日(火)
 31日(水)HP「一遍会」2月度版更改作業 
  1日(木)公民館・銀行・子規博等(月初定型業務)
  2日(金)義安寺参詣  メルパルクランチ

1月25日(木)

朝ドラを見て9時半にホテルを出る。
都営地下鉄御成門〜神保町(乗換) 半蔵門線神保町〜半蔵門
@国立劇場伝統芸能情報館「おどりの衣装」 映画「歌舞伎の魅力 舞踊」 映画「鏡獅子」 
A国立劇場「通し狂言 世界花小栗判官」 
◎台本「通し狂言 世界花小栗判官」四幕十場(@500)
今回は特等席(7列29番)を張りこんで正面席に陣取ったので、歌舞伎俳優の表情をつぶさに観察できた。フィナーレで新春興行でもあり手ぬぐいの投げ込みがあったが、なんと自分の席にも届いた。これが「尾上菊五郎」のサインのある手ぬぐい・・・家宝とはいかぬが思い出の品にはなった。
都営バスで、国立劇場から新橋駅に出て、新橋からは浜松町で乗換えてモノレールで空港第2ビルに向かう。2時間ほど余裕があったが、「空弁」とビールで腹を満たし、TVで大相撲を観戦する。
 羽田空港19:50(20分遅れ)〜松山空港21:30  リムジンバス(松山空港〜道後駅)
22時半過ぎに帰宅。雪の中での上京であり、心配している息子ファミリーにメールを送り、就寝する。

1月24日(水)

朝6時に目覚める。真正面の伊豆の海に「初島」が見える。10年程前になるが、妻と伊豆旅行した節、熱海港から船で初島に渡る。周囲4キロ程か、夕暮れまで散策し、潮騒を聞きつつ、温子と語り合ったあの日が懐かしい。
ほとんどの客はバイキングだが、お膳セットでゆっくりと朝食を味あう。熱海の高級リゾートマンションに住む平田暢夫君と電話で挨拶。9時発のホテル送迎車で出立。
 熱海駅 09:29〜 10:17 東京駅
 東京駅   (山手線) 上野駅
上野公園には雪が残っていたが、まずまずの人出ではある。杖を突き、滑らないように慎重な足取りで園内を歩く。
@東京国立博物館(平成館)【仁和寺と御室派のみほとけ − 天平と真言密教の明宝 −】展
 ◎図録『仁和寺と御室派のみほとけ』(@2,800)
A東京国立博物館(表慶館)「アラビアの道 サウジアラビア王国の至宝」(出品数 424点)<アラビアコーヒー接待>
B東京科学博物館「生誕150年周年企画展 南方熊楠」
昼食は「上野精養軒」。JRで上野駅から浜松町駅下車。芝公園・増上寺を詣で、御成門脇の「サンメンバーズ新橋」<03−3431−1411>宿泊。近くのローソンで、夕食、朝食、ビール、コーヒー、牛乳を調達。

1月23日(火)


1月21日(日)から全国的な寒波襲来で東京でも10センチ以上の積雪、松山便も欠航の状態。今回の上京は、初日新幹線で熱海宿泊を予定していたので、計画通り出立した。
 道後駅 06:42〜07:06 松山駅    
 松山駅 07:20〜09:59 岡山駅 (宇和島2号)
 岡山駅 10:23〜13:56 三島駅 (ひかり466号 岡山始発)
 三島  14:23〜14:32 熱海駅 (こだま652号) 
生憎、雪空で富士山の全貌は見ることはできなかった。静岡では3年前に母さんと淳志ファミリーを訪ねて歓待を受けたことを思い出す。熱海駅からホテルの送迎車が30分毎に出ているが、昔通りに15分ほど海に下って「サンメンバーズ熱海」<0557−83−7134>にチェックイン。
課長になった昭和50年頃(40歳)@エスカイヤクラブ Aサンメンバーズクラブ B明石カントリークラブの会員になり、プライベートに社内外にネットワークを広げた。今回はサンメンバーズの宿泊料無料招待でもある。熱海も結構寒いので散策は止めて、温泉に入り、熱燗に酔い、のんびりする。メンバーにはドリンク1杯サービスが、なんとも心憎い。

1月22日(月)

全国的な寒波襲来、瀬戸内だけに雪ではなく雨が朝から降り続いている。気温も朝から上がらない。
伊予銀行、愛媛銀行外交担当者訪問、銀行の個人顧客軽視(無視)方針で対人からネット対応に移行する(だろうが)メカに弱い高齢者の対応につき事情聴取。
明日からの東京小旅行の諸準備を黙々とおこなう。TVでは首都圏の大雪情報が流れる。明朝の羽田空港は恐らくクローズだろう。
今回はJRだから岡山で新幹線が動いておれば、予定通り熱海に出掛け、熱海で悠々自適中の「極楽蜻蛉」君と旧交を温めるか、な。
「椿の湯」。

1月21日(日)

午後1時半から「生誕150年記念 柳原極堂 所蔵品展」関連講座が開催されたので遠路電車、バスを乗り継いで出かける。講師は二神将氏、テーマは「子規と極堂、本当の友情」。
講師とは、奥道後「壱湯之守」で展示中の故・和田茂樹氏所蔵の「湯の山文庫」の内「河野家系図」の出所について語る。「河野家系図」が焼失した宝厳寺所蔵の系図のコピーの可能性もある。
センターの冨吉将平学芸員に出会い話しができたのがラッキーであった。松山子規会の佐伯氏とも情報交換する。(11時出発〜16時帰宅)。
NHK大河ドラマ「西郷どん」を見て「椿の湯」。寒くなりそうなのでエアコンを17度にセットして就寝。

1月20日(土)

JR松山駅で上京のキップ手配。経費節減で「のぞみ」を「ひかり」にしたので14,830円(乗車券8,570円、特急券6,260円)、飛行機の半額というところか。
「あじな散歩道」「JR四国Sキップ」「JRバス久万高原エリアフリー」などの情報を入手。
高島屋で「折りたたみステッキ」購入、これで飛行機の機内持ち込みがスムースにいきそうだ。
昼食は「お日切りさん食堂」の「鍋焼きうどん」と「日切り焼き」。節約家の妻との昼食は予算1,000円なので、よく利用した。コンビニの「コーヒー」も予算内におさまる。
県美術館で「生誕200年記念沖冠岳(1817〜1876)と江戸の絵画展」鑑賞。沖冠岳は江戸時代後期に今治藩に生まれ、京都・江戸で学ぶ。江戸画壇で人気を馳せ、後年今治に戻り、数多くの作品を残す。
本名は「中川」だが、「川」をサンズイに置き換えて「沖」とした由。(と云っても、自分にとっては、まったく未知の画人である。いやはや)
夕18時から「子規寄席第三夜 音楽を楽しむ「クミコ」」に出掛ける。妻が「クミコ」フアンでもあり、4〜5回は聞いている。90分の熱唱である。
ラストの「最後だとわかっていたなら」は、去年3月4日妻に見送られて会議に出席し夕方冷たくなった妻の顔に触れたときの思いが込み上げてきて泣いてしまった。
母さん!いつまでも「あなたを愛してる」よ。クミコさん、有難う。お土産は「一六本舗「道後夢菓子噺(白鷺・椿)」
「椿の湯」。
【メモ クミコ歌唱】
「最後だとわかっていたなら」(作詞 訳詞:佐川睦 作曲 都志見隆)

今日という日が最後だとわかっていたら
一言でいい「あなたを愛してる」と私は伝えただろう

あなたが眠りにつくのを見るのが最後だとわかっていたら
その魂を守れるように神様に祈っただろう

忙しさを理由にあなたの喜ぶ事をたとえばそっと微笑むことさえ
何故出来ずに来る日を過ごしたのだろう

今日という日が最後だとわかっていたら
一言でいい「あなたを愛している」と私は伝えただろう

あなたがドアから出るのを見るのが最後だとわかっていたら
キスしてそしてまたもう一度呼び寄せ抱きしめただろう

「ごめんね」「許してね」「ありがとう」そんな気持ちを時を惜しまず伝えられたら
きっと今日を後悔しなかっただろう

今日という日が最後だとわかっていたら
一言でいい「あなたを愛している」と私は伝えただろう
一言でいい「あなたを愛している」と私は伝えただろう

1月19日(金)

妻の「七の四十六日」(没322日目)であり、義安寺に詣で線香を供える。午後、松山子規会新年例会出席(石手公民館13:30〜16:00)。手土産は「芋屋金次郎のゆあがりケンピ」。
会次第
@会長年頭挨拶
A子規漢詩朗詠「子規を聞く」
  一声孤月の下 啼血聞くに堪えず
  半夜空しく枕をそばだつ 古郷万里の雲
B居合演武
C乾杯 懇親 ビンゴゲーム 小倉百人一首
D閉会

盛り上がりに少々欠ける、マンネリという気分だ。
夕食は、おでんの大根と蒟蒻を追加する。「椿の湯」。

1月18日(木)

愛媛銀行主催の「桜井よしこ氏新春講演会」をひめぎんホール4階の最前列でゆったりした気分で聴く。(13:30〜15:00)今年で11回目であるが8〜9回は出席している。「隠れよしこ」フアンかな、いやはや。
『一遍会報』大本敬久氏の講話の最終校正終わる。伊予銀行インターネット支店開設。これも時代の流れか。
夕食は「鶏もも肉とじゃがいもの照り焼き」。「COOKPAD」のレシピに拠ったが、まずまずの出来で満足。
夜、「プレバト」を見て「椿の湯」。

1月17日(水)

早朝4時目覚める。今日17日は阪神淡路大震災から23年目、罹災者のひとりとして、あの日のあの瞬間を思い出し、布団の中で「午前五時四十六分」を待つ。
毎年のことだが、HPに記載した 「鎮魂 平成七年乙亥 阪神・淡路大震災私記 臨危不変」に目を通す。還暦の年であり、そこから20数年は妻との共同作業で多くのトラブルを克服してきた。その妻が、此の世には居ない。
終日雨模様。
午前中、懸案事項の処理に充てる。
@一遍会2月度例会マスコミ・ミニコミ広報
A「エデンの園」訪問依頼
B妻名義配当金処理(6月末締め切り)
C松山子規会正月懇親会ビンゴ交換品
D「年賀状」等来状の返信(1月末目途)
午後、炬燵に入っての読書。
「椿の湯」。

1月16日(火)

大本敬久氏寄稿の「空海の誕生―仏道修行の動機となった時代背景―」を『一遍会報』第396号に割付、校正を依頼する。第396号に予定していた@今村威A小沼大八両氏の寄稿はB一遍生誕会解説と合せて『一遍会報』第397号(3月例会配布)に掲載することとした。
公民館から「一遍会正月例会での弁当や空き缶が箱に入れたままで放置されている」とのクレーム。先ずは詫びてから「松山給食センター」に連絡して回収に向かわせる。午後、公民館に出向き、直接お詫びする。困ったことだがサービス業だけに、若手の配送担当者を甘やかさず「責任」を徹底させて欲しい。
午後、気温が15度℃まで上がり、久方振りで2時間ほど表庭の草引きと川掃除をする。気分爽快である。
息子が帰省するので「彩朝楽 道後」のキャンセル待ち。「椿の湯」。

1月15日(月)

一遍会正月例会も無事終了し後処理を進める。
1)平成30年会費(預かり金)105,000円(35人)
2)懇親会処理 残金約3,000円
3)「一遍会報」大本講師寄稿
4)平成30年度例会講師ラインアップ
5)HP一遍会 一部改訂伊予銀行インターネット支店開設。利率 0.1%加算。
柏井さん御供えの酒持参。「椿の湯」。

1月14日(日)

伊予史談会1月例会出席(県生活文化会館 9:30〜12:00)
1)大成経凡氏「伊予が生んだ実業界の巨星・八木亀三郎―株式会社八木本店旧蔵資料が語る近代史」
2)山崎 薫氏「好古にならった人々のあしおと」
1)の南予の「山下亀三郎」についての知識はあるが、東予の波止浜出身の「八木亀三郎」についての知識は皆無である。日露漁業の先駆者で鮭漁業、塩蔵鮭の取引では日本のトップクラスであった由。「蟹工船」「日露漁業」「尼港(ニコライスク)事件」など興味ある史実。
2)山崎氏は秋山兄弟舘のスタッフであるが、司馬遼太郎の『ひとびとの跫音』を想起する山崎版「秋山好古をめぐるひとびとの跫音』である。実に興味深い人物紹介であった。
@親族をめぐる物語
A郷里のひとびと―井上要たち
B軍隊で出会ったひとびと―白川義則ら
C常盤会寄宿舎(常盤舎)の人々―内藤鳴雪、船田一雄、石崎仙太郎
D松山同郷会の人々―鈴木厚、茂木史郎、藤井徳二郎
E北予中学の人々―小川清四郎、野中義一、一色武行、有光聿郎
高須賀名誉会長、柚山副会長から平成30年度一遍会会費を受領。伊予史談会双書『手鑑・膾残録(松山藩研究資料)』購入。「フジ」で食料品調達。
NHK大河ドラマ「西郷どん」A。「椿の湯」。
 
1月13日(土)

一遍会1月例会並びに正月懇親会開催(11時〜15時)。出席は21名、例年並である。
>青山淳平、池田元治、今村 威、岩田克之、上田 淳、江刺精久、大西修史、戒田 淳、小沼大八、小島孝子、白石英志、武智利博、田中順治、田中弘道、永井信子、西原利一、蜂須賀俊一、水田茂隆、水野芳樹、三好恭治、山田 斌治
卓 話 紙芝居「地蔵菩薩他」「狸ばなし」(永井信子会員)
懇親会:同唱十念(蜂須賀理事) 年頭挨拶(小沼代表) 乾杯(武智利博会員)
余興:太極拳48式(田中理事) 手品(江刺理事)歌唱(今村理事) ビンゴ&福引 
「椿の湯」。

1月12日(金)

気温は更に下がり、最高4度、最低マイナス1℃の厳寒である。水瓶には氷が張っている。
義安寺参詣、手洗い場の水道水が凍っている。いやはや。
メルパルクでランチ(洋食)。2月17日まで館内の浴室は改装工事で休館である。
三井生命から担当者訪問。三井生命は日本生命グループに属していることを初めて知る。
「椿の湯」。
【→ファミリー】
今日1月12日(金)は「母さんの七の四十五日」(没315日目)です。全国的な寒波に驚いています。天気予報では、今日は最高が3℃、最低がマイナス1℃です。氷が張っています。体が冷えあがりました。「椿の湯」で温めて寝ているので、トイレは1回のみ、まずまず健康体です。安心して下さい。
母さんの一周忌法要をセットしました。3月4日(日) 10時〜 一周忌法要(自宅 座敷) 11時〜 墓前供養(義安寺)12時〜 食事(「ふなや」)です。
お願いですが、3日(土)義安寺の清掃は頼みます。母さんの兄弟妹も出席します。前回と同様に、芦屋のしゃれた菓子を用意して下さい。予定は7個です。
【今後のスケジュール】
 12日(金)義安寺参詣 メルパルク「三井生命」打ち合わせ
 13日(土)一遍会正月例会(新年会)
 14日(日)伊予史談会正月例会
 15日(月)
 16日(火)
 17日(水)
 18日(木)桜井よし子講演会
 19日(金)義安寺参詣 松山子規会正月例会(新年会)
 20日(土)子規寄席(クミコ)
 21日(日)柳原極堂セミナー(子規友人「ほととぎす」発行者)
更に寒くなるようです。健康にはくれぐれも留意してください。インフルエンザの由、早めに帰宅して、晩酌して、早めに休んでください、な。

1月11日(木)

気温は更に下がり、最高5度、最低2℃の厳寒である。寒い、寒い、寒い。
一遍会正月例会配布の「一遍会ニュース」の印刷を済ます。
恒治の帰省が2月11日〜12日と決まる。長男のライフプランを聞いて、いよいよ隠遁計画を具体化するか。
八木不動産に平成29年下期駐車場管理料支払い。
「椿の湯」、寒いので観光客が来ず、常連客だけで空いている。65歳以上入湯料金@200円は確かに安い。

1月10日(水)

天気予報の降雪はなかったが終日雨、しかも気温は最高7度で最低5度・・・真冬並みである。松山東高東京同期会事務局長の漆原康行君に連絡して平田君の消息を把握する。元気で居てくれよ、わが同輩!!!
一遍会正月例会の段取りチェック。杉野理事が風邪で欠席、調声役は蜂須賀理事に依頼。例会配布の「一遍会ニュース」の執筆。
トピックスは
@時宗二祖他阿真教上人600年遠忌(平成31年)準備
A一遍上人窪寺閑室特定30周年(平成31年)準備
B句会場「伊月庵(俳人夏井いつき氏)」5月頃オープン予定、
  松山市四庵構想 @愚陀仏庵(子規・漱石)A庚申庵(樗堂)一草庵(山頭火)C伊月庵(?)
松山子規会 井手康夫会長から、新年度の人事で大役を仰せつかる。お引き受けして、後進を育成していきたい。
夕食は「おでん」に変更して「フジ」に買出し。「椿の湯」。

1月9日(火)

1月下旬の上京の宿舎は「リゾーリア熱海」「サンメンバーズホテル新宿」で予約、高校時代の友人との交流の時間も持ちたい。
11時半から「友隣サミット」新年会(11:30〜14:00)。2年振りに道後温泉引湯のバス入浴(@400円)。昨年改装したので清潔感一杯である。
偶々、慶應同期の平田君を話題にしていたら従弟さん(陽一郎氏弟の子)が声を掛けてきて驚く。帰宅(15:30)。
「クラシエニュース」(一月号)入手。会長 水野真紀夫、副会長 石橋康哉、社長 岩倉昌弘、製薬社長 古市貞雄の由。20年前にカネボウを退任したので、「全く知らない人」になってしまった。
【NY様→】
寒中お見舞い申しあげます。奥様のご冥福を心よりお祈りいたします。
遠い昔 森社宅へお伺いさせて頂きました折、「きっと良いお薬ができますよ」と主人の病いにお気遣い下さいました。心に残っています。時節柄、何とぞご自愛下さいませ。
(心に沁みたお葉書を頂き、人事マンの妻として蔭で50年支えてくれた妻の姿が浮かんできた。)

1月8日(月)

終日雨の「成人の日」である。
「一遍会一月度ニュース」を流す。9月には「一遍忌 窪寺まんじゅしゃげ祭り」の5年ぶりの復活を予告する。反響や如何?!
妻の一周忌(3月4日)の予定をセットする。10時自宅にて一周忌法要、11時義安寺参詣、12時〜13時半「ふなや」で会席。館内の温泉入浴はフリー。親戚に連絡する。出席は15名程度か。
午後、書斎、書類等の整理。「椿の湯」。
【→「一遍会ニュース」より】
今日は「成人の日」ですが終日雨です。シニアには1月15日(小正月、元服の儀)の方が「成人の日」に相応しいと思うのですが・・・
平成30年度の事業計画を検討中です。窪寺跡や一遍成道の地「閑室跡」の所在を指定してから30年になります。なんとか「一遍忌」(窪寺まんじゅしゃげまつり)を5年ぶりに復活させたいのですが・・・
正月例会(1月13日)出席は21名です。福引景品やアルコールなどのご持参大歓迎です。よろしくお願いします。尚、参加費は3,000円、年会費と併せて6,000円です。(申込みは締め切りました)

1月7日(日)

「リゾーピア熱海」予約(1月23日)完了。熱海の梅林でも見物するか。
『子規会誌』特別号掲載「『松山 子規事典』と歩く」完了、送稿。
日中、メールでの情報交換が続く。
○「東の窓」事務局:「極楽蜻蛉」アドレス照会
○蜂須賀俊一理事:「伊月庵十歩はなれて花の道」窪寺・閑室指定30周年
○渡部平人局長:「『松山 子規事典』と歩く」送稿
○MT氏:愛媛三好会の活動
○極楽蜻蛉:温泉三昧
NHK大河ドラマ「西郷(せご)どん」(初回)。「椿の湯」。
【子規会誌編集部→】
新年のお慶びを申し上げます。本年もお世話になります。よろしくお願いいたしします。
今日は小正月、まだ多少は正月気分が残っている時ですが、早速に玉稿をご執筆、お送りいただきまして、ありがとうございます。一遍会のみなさん

今日は「成人の日」ですが終日雨です。シニアには1月15日(小正月、元服の儀)の方が「成人の日」に相応しいと思うのですが・・・

平成30年度の事業計画を検討中です。窪寺跡や一遍成道の地「閑室跡」の所在を指定してから30年になります。なんとか「一遍忌」(窪寺まんじゅしゃげまつり)を5年ぶりに復活させたいのですが・・・

正月例会(1月13日)出席は21名です。福引景品やアルコールなどのご持参大歓迎です。よろしくお願いします。尚、参加費は3,000円、年会費と併せて6,000円です。(申込みは締め切りました)
編集担当として、極めて有り難く、励まされる思いです。
玉稿では、「散策集」の入り組んだコースを辿ることの記録を見事に綴っていただいき、事典の成立過程の貴重な一面を語っていただきました。編集担当者の願いを的確にご推察いただき、感謝のほかございません。
今後とも、よろしくお願い申し上げます。

1月6日(土)

一遍会次年度上期例会講師を依頼する(前園実知雄、大本敬久、杉野祥一氏)。下期講師は1月末に内定したい。9月の「一遍忌(まんじゅしゃげまつり)」と8月の企画(映写)
は理事会で妙案を出してもらうか、な。
午後、『子規会誌』特別号掲載の原稿テーマ「『松山 子規事典』と歩く」を一気に執筆する。内容は@「散策記」(石手・道後編)とA「久松小学校」と歩きである。結論では事典執筆者はこれからも歩き続ける決意であると表明した。明日、再度点検と考証して脱稿したい。
夕、一遍会永井芳枝理事と会い正月例会の弁当を確認、ビンゴセットを受け取る。準備はOKである。同じく蜂須賀俊一理事から俳人夏井いつき氏の上人坂に建設中で5月頃オープンの俳句会場「伊月庵(いげつあん)」についての詳報を受ける。朗報である。「椿の湯」。
【→MK氏】
例年になく厳しい寒さの中で正月を迎えました。ご清祥にてお過ごしのこととお慶び申しあげます。「熊本 MK」は一瞬結びつきませんでした。ご書状を拝見し、一昨年三月に神戸大学大学院博士課程を修了され熊本学園大学にご赴任の由知りました。おめでとうございました。ご大成を衷心より祈念申し上げます。昨年の水害での復旧はいかがなのでしょうか。
貴論文作成に当り如何ほどのご助力ができたか汗顔の至りですが、御地の銘茶をご恵贈いただき衷心より御礼申し上げます。早速仏壇に供え妻に報告しました。
妻を喪い家族共同体の喪失を痛感しております。七〇歳超の定年延長は有難いのですが、三〇年単位での都市と田園の年代ローテーションが完全に壊滅しました。「老・中・若」共同体の再構築を考えています。
昨年は「子規・漱石生誕一五〇周年」で熊本を身近に感じた一年でもありました。今後ともよろしくお願いします。まずは御礼まで。         

1月5日(金)

子規会誌編集部から依頼原稿テーマは「『松山 子規事典』を歩く」とした。道後編、郊外編、城下編、東京編とシリーズ展開が書けそうである。
新生銀行の手続き終了し、妻の遺産手続き完了。
1月下旬上京し、時宗ゆかりの歌舞伎「通し狂言 世界花小栗判官」(国立劇場)と「特別展「仁和寺と御室派のみほとけ ― 天平と真言密教の名宝 ―」(トーハク)を予定する。宿泊は招待を受けた「熱海リゾーピア」。
思いがけずMK氏(熊本学園大講師)から熊本・鶴屋の銘茶の贈呈を受ける。神戸大博士課程在学中に研究のお手伝いをしたことのお礼の由。義理堅い青年である。大成を祈るや、切。
「フジ」で食料品調達。「椿の湯」。
【→ファミリー】
今日1月5日(金)は「母さんの七の四十四日」(没308日目)です。
家族水入らずの正月は楽しかったでしょう。孫にとっては受験勉強のストレスがあるのでしょうが、長丁場ですからメリハリをつけないと緊張感を持ち続けるのが一苦労ですね。そう云えば父の受験時代の「友人」は愛犬でした。毎晩、書斎の廊下で寝そべって付き合ってくれましたが、よくいびきをかいて寝てもいました。いやはや。
暮に風邪を引いたらしく柳井内科クリニックで5日分の薬をもらいました。幸い熱が出なかったので日常生活には支障はなかったです。心配ご無用です。正月3ヶ日で外出したのは初詣と温泉だけでした。寒さが厳しいので、正月明けに別府に出かけても露天風呂を楽しめないので、気温が15度になるまで待つことにしました。
正月3ヶ日、「紅白歌合戦」「箱根駅伝」など楽しみましたが、映画「君の名は」は大収穫でした。「この世界の片隅で」は見ましたが「君の名は」は見逃していました。初恋時代の「夢想」・・・懐かしいロマンを思い出しました。
【今後のスケジュール】
 5日(金)義安寺参詣 メルパルクランチ&スパ
 6日(土)*依頼原稿「『松山 子規事典』を歩く」執筆
 7日(日)*依頼原稿「『松山 子規事典』を歩く」執筆
 8日(月)
 9日(火)サミット(小・中学校同期新年会)
10日(水)
11日(木)
12日(金)義安寺参詣 「にきたつ会館」ランチ&スパ
13日(土)一遍会正月例会(新年会)
更に寒くなるようです。健康にはくれぐれも留意してください、な。

1月4日(木)

一遍会12月収支決算を伊予銀行口座で確認、3月には余裕を以て一遍会の決算ができそうである。愛媛銀行八十八ヵ所支店の手続き完了。あとは新生銀行のみ。
夕食は正月料理の「残飯整理」。すっかり片付いたぞ。「プレバト」を見て「椿の湯」。
やっと風邪が抜けたような気分である。活動開始である。

1月3日(水)

雑煮、数の子の正月の朝食、やはり餅が入らないと正月気分にならない。年末には心配もあったが・・・温子も安心してくれたと思いたい。
箱根駅伝は青山学院が1位で総合優勝(4連勝)、2位は東洋大学(3年連続)と予想通りの展開、それにしても青山学院の選手スカウトと監督の采配には驚く。一遍会平成30年度事業計画の準備。講師依頼者にメールで依頼する。後日電話で正式に依頼の予定。「愛媛銀行四国八十八ヵ所支店」「ソークネクスト」とのネット作業の準備。
「椿の湯」。
夜、TVで「君の名は」を観る。「この世界の片隅で」と比較する。歴史派としては「この世界に・・・」に軍配を挙げるが、「君の名は」は近未来作品としては秀作だし、初恋感情とはこんなものだったかなとも思う。
そのほかのTVは「世界遺産 仁和寺」「スペシャル 人体@<再>」「箱根駅伝(復路」)。

【→一遍会講師】
明けましておめでとうございます。常々一遍会活動にご支援、ご厚誼を賜り、衷心より御礼申し上げます。
年末に宝厳寺 故長岡隆祥師の後任について次女である長岡陽子尼が継承することが決まりました。宗門のことではありますが、檀信徒のみなさんは一様に安堵しております。一遍会としても極力応援したいと考えております。
さて、年も明けましたので事務局として、平成30年度の事業計画に取り掛かります。
4月は小沼代表の講話と年度総会を予定しておりますので、5月以降でご講話を引き続きお願いできるのであれば、ご都合のよい月度で内定させていただきたく存じます。
例会は従来通り@日時は第2土曜日午後1時からA場所は道後公民館3階視聴覚教室です。
年初早々ではありますが、ご講話いただける例会月を1月中旬までにお知らせいただきたくお願い申し上げます。よろしくお願いします。

1月2日(火)

先週の寒さが嘘のような陽気である。
10時、初詣に出かける。道後温泉商店街を通って温泉本館を抜けて宝厳寺に詣でる。故長岡隆祥師夫人と年賀挨拶。次いで伊佐爾波神社で御祈祷(@5,000円)をお願いする。例年は妻かファミリーが一緒なのだが今年は一人である。野口宮司と挨拶を交わす。
「風土記の丘」を越えて「密教洞門」から石手寺に入り本堂を拝む。次いで、義安寺の墓苑で墓に線香を供える。メルパルクで正月ランチ(和食@1,500円)を食べ、温泉でゆっくりする。満足満足。
湯築城跡を通り、今年の恵方に当る南町の「宇佐八幡社」を礼拝、「フジ」の初売りを見て午後3時帰宅する。5時間1万2000歩といったところかな。マイペースで歩けば金毘羅さんの奥の院まで歩けるなと妙な自信を持つ。
一遍会の次年度講師として作家の青山淳平氏から内諾を得る。正月懇親会も出席である。久々にHP「東の窓」を開ける。
TVは箱根駅伝(往路)、東洋大が1位で青山学院が2位。約一分差があるが、青山学院の総合優勝を期待したい。
夜、TVはNHK「高麗屋三代 松本白鸚・松本幸四郎・市川染五郎襲名披露」を堪能す。(19:00〜21:30)。

平成30年1月1日(月)

平成30年の元旦を迎える。快晴である。初詣は明日にして、体調を考えて「蟄居」する。
平成31年は来年4月末と決定されたので、平成の時代は16ヵ月後にはなくなり新たな天皇が誕生する。限られた「平成時代」を厳粛に受け止めて、高い視野を以て過ごさねばなるまい。
独居老人一人の元旦の朝食は、雑煮と「数の子」というシンプルな献立。昼食は炊き立てのご飯と「おせち料理」。夕食は「おでん」「おせち料理」と酒。正月三ヶ日は同じメニューとなろう。
「一遍会一月度例会案内」の初メール。神戸の長男・次男ファミリーから電話コール。喪中葉書は送ったのだが、賀状が43通届く。メール賀状は一件のみ。
ニューイヤー駅伝(第62回全日本実業対抗駅伝競走大会団)のTV観戦。30数年前には旭化成と鐘紡で覇権を争ったこともあるのだが・・・当時の関係者だけにカネボウの復活を祈るに切なるものがある。夜もTV鑑賞。@「風雲児たち〜蘭学革命編〜『解体新書』の誕生」A「ウイーンフィルニューイヤーコンサート」(冒頭と後半部分) 
【落穂集】
Society1.0 狩猟社会<古代>
Society2.0 農耕社会<中世> 
Society3.0 工業社会<近代>
Society4.0 情報社会<現代>
Society5.0 超スマート社会<近未来>「サイバー空間」と「フィジカル空間」の融合「空即色 色即空」ヵ
【落穂集】
AI(人工知能) 眼(視覚)・耳(聴覚)・鼻(臭覚)・舌(味覚)・身(触覚)・意(AI)・・・心<真・善・美> 
12月31日(日)

7時半ゆっくりと起床する。体調快復する、やれやれ。薄暗い陰鬱な大晦日である。
朝食後、キッチンとリビングの片付けと整理。多少レイアウトを変更。日記、書状の整理、HP一遍会の一月度掲載分の点検で午前中は終わる。
午後「フジ」で歳末の買い物、「友輪荘」で「おせち料理」を受け取り仏壇に供える。地酒と年越し蕎麦(越前蕎麦)と「かに弁当」で一年を締めくくる。
「紅白歌合戦」を一人で見た記憶がない、傍にはいつも家人がいたのだが・・・

12月30日(土)

寒い一日となった。HP一遍会の平成30年1月度版の改定作業に入る。
子規博の一月度俳句が早々と懸垂幕で表示、鑑賞エッセイを執筆する。
 「正月のひとあつまりし落語かな   子規」
 「正月のひとあつまりし伊予万歳   子規もどき」
「椿の湯」。21時就寝。
【→俳友】
子規記念博物館(館長 竹田美喜氏)選句の子規さんの平成30年1月の句は「正月の人あつまりし落語かな   子規」です。
明治28年(1895)といえば「紀元二千五百五十五年哉   子規」なる句を残している。季語は「正月」(新年)です。『子規全集』第二巻 俳句二 「寒山落木 巻四」166頁(明治二十八年 新年)に掲載されている。
正月に子規が友人と一緒に落語を聞きに行ったという記述にはお目にかかっていない。が、上京以来、秋山真之や柳原極堂とよく寄席に通っていたし、江戸っ子である夏目漱石とは寄席がきっかけで親しくなったという逸話も残っている。
一世を風靡した三遊亭円朝師匠は明治二十八年には57歳で晩年期を迎えている。円朝師匠は子規にとってお気に入りの落語家であり、円朝師匠の言文一致の口述が近代文学に与えた影響は大きい。円朝を頂点とする落語は講談と併せて、正月にはなくてはならぬ演芸であったろう。
現存する上野の「鈴本亭」は、安政四年(1857年)開設された「軍談席本牧亭」まで遡れる老舗席亭であり、経営者鈴木家の(鈴)と本牧亭の(本)をとって鈴本亭と名付けられた由。子規も立ち寄ったかもしれない。
上京時には、上野「鈴本亭」か国立劇場演芸場には顔を出しているが、個人的には、落語は江戸、漫才は上方のフアンである。
子規さんにあやかって一句
「正月の人あつまりし伊予万歳    子規もどき」

12月29日(金)


感冒薬を服用しており作業を止めて静養を旨とする。昼、義安寺に参る。Kさんに出会う。
妻の死去が3月4日金曜だったので、毎週金曜日には欠かさず墓参りして線香を供えた。今日が「妻の七の四十三日」(没301日目)に当る。
昼食はメルパルクのランチ(和食)、同舘の温泉でゆっくり身体を温める。
「フジ」で正月用の献立を調達する。元旦から営業の由、有難い。帰宅後は炬燵に入って静養につとめる。だいぶん体が楽になった。
【→ファミリー】
今日12月29日(金)は「母さんの七の四十三日」(没301日目)です。母さんが亡くなってから300日が経ちました。
連日の寒波に震え上がっています。23・24日の庭の作業は暖かくて順調に作業ができてよかったです。後片付は寒さの為休業中で、来年にしました。ご苦労様でした。
年1回の健康診断と脊椎の腫瘍検査は、「異常なし」なので、安心して新年を迎えられます。丸餅も買い、おせち料理も予約しました。
正月3ヶ日は炬燵に入って、昨年の来状の返信、近況報告書きで終わりそうです。喪中につき、孫たちへのお年玉は遠慮しました。悪しからず。
【今後のスケジュール】
29日(金)義安寺参詣 メルパルク(ランチ&スパ) 
30日(土)
31日(日)年越し蕎麦 「おせち料理」受け取り 
 1日(月)初詣(伊佐爾波神社 宝厳寺 石手寺 義安寺)
 2日(火)恵方詣(今年は南の方向です)初湯泉
 3日(水)
 4日(木)
 5日(金)義安寺参詣 
母さんの突然の他界から300日、父を支えてもらい感謝しています。母さんの一周忌は来春3月4日(日)を予定しています。よろしく頼みます。よいお年をお迎えください。

12月28日(木)

ここ数日厳寒の中で戸外作業集中したので身体は冷えたか、体調が今一つである。大事をとってかかりつけの「柳井内科クリニック」を受診する。正月中は休診なので、通常の風邪薬のほかに頓服(解熱剤)をもらう。
午後は、炬燵の入って『文芸春秋』K、@をおとなしく読む。早めに「椿の湯」に出掛ける。

12月27日(水)

JAバンク定期繰越(金利0.2%)。
竃中経営を通じて税務署に相続関係届け提出、費用等支払い、一件落着。正直手続き等が長かった。
年末、年初のアクションプランをリストアップ。正月中に、一遍会平成30年度事業計画を取りまとめておきたい。
寒さの中での屋外作業で冷え込んだのか、風邪気味である。「椿の湯」に入って、21時に就寝す。
「ジパング倶楽部」(2018.1)届く。『松山百点』(2018新春号)入手。「ヒーロー列伝 関定(さだむ)」でセキ印刷の歴史、創業者の人生を初めて知る。防府時代の大村印刷の大村氏との交流を思い出す。

12月26日(火)

つかの間も晴天か。朝一番に洗濯。午後、仕残しの表庭の剪定作業。書斎の大掃除を済ます。
3ヶ月振りに「椿の湯」再開場、ホームグラウンドの浴場が最高で寛ろげる。浴槽は狭くなり深さも30センチほど浅くなった。湯の容量としては「3分の2」くらいか。45度以上の湯温に満足、満足。浴客の大半は顔なじみである。「お前さんも元気だったか」という表情で
挨拶を交わす。

12月25日(月)

クリスマスイブもクリスマスもまったく無関係なライフスタイルである。
朝、2日間の庭木の剪定作業の片付け。
正子さんからの預かり物を神戸に送る。妻名義の配当を郵便局で手続き、平成29年中間決算で妻名義の手続きは終わりたいものである。金融関係は、一遍会の12月度収支決算をのこして完了する。
応接室の整理――人形の飾り棚を10年振りにチェックする。父母に贈った海外のドールが結構多い。
今月4日に受診した県厚生連の年1回の健診報告来る。「結果オーライ」である。来年度も一遍会、松山子規会の世話人を引き続き担当できそうである。
帝国ホテル機関誌『IMPERIAL』が100号を迎える。特集は「帝国ホテル物語100話」である。来年夏は温子と泊まった「上高地帝国ホテル」にセンチメンタルジャーニーに出掛けることにするか。

12月24日(日)

昨日に引き続き、表庭の庭木の剪定等。
義安寺墓参りと掃除、ランチは「メルパルク」。
15時過ぎ、長男・次男帰神。16時過ぎ、正子さんが神戸へのみやげ物を持参。
TV話題作「陸汪」の総編集と最終回の3時間番組視聴。マラソンとランニングシューズ、開発と企業間のかけひきと死闘・・・実に面白く感動して涙が出る。
企業人としての血が湧いてきたようだ。なかなか眠られず。

12月23日(土)

長男と次男帰省。年末を控えて亭庭の庭木の伐採。
夕食は「道後 魚武」(店長 三好彰吾)、入浴は「飛鳥乃湯泉」。

12月22日(金)

妻の「七の四一日」(没287日目)に当る。義安寺に参り線香を供える。メルパルクでランチ(和定食)&スパ。
道後温泉本館に出て、息子たちの手土産として「山田屋まんじゅう」と「芋屋金次郎のけんぴ」を購める。「椿の湯」は26日からの開場、道後温泉駅の「スタバ」は本日開業で長い列になっている。新規店もあり、温泉街は確実に変貌してきている。
15:30から竃中経営の税理士と最終打ち合わせ。税務申告も年内に完了し、一件落着である。「ふるさと納税」の功罪について意見を交換する。来年から「ふるさと納税」を有効活用?するか。
「セブン」で一人用牛・豚肉パックを調達、2時間かけて帰省する息子用に「おでん」を大鍋で仕込む。
【→ファミリー】
今日12月22日日(金)は「母さんの七の四十二日」(没294日目)です。今日が「冬至」で、一年で一番夜が長いのですが、ということは一番昼間が短い日に当ります。
残り10日で大晦日(おおつごもり)。12月28日には母さんが亡くなって300日が経つんですね。まだ相続実務は「新生銀行」と株式の関係が終わっていません。当方の手続きは完了しているのですが・・・
今週は息子たちと一緒に「外回り」に挑戦です。来年からは父は足が悪いので「家庭菜園」は止めます。畑をそれなりに整理整頓したいということであれば「家庭用耕運機」は用意しますよ。春と秋に作業すれば、それほど惨めな状態にはならないと思います。水遣りと除草は父がやります。「三好菜園」継続はどうですか
【今後のスケジュール】
22日(金)義安寺参詣 メルパルク(ランチ&スパ) 
23日(土)<外作業> 「飛鳥乃湯泉」
24日(日)<外作業> 
25日(月)<外回り>
26日(火)<外回り>
27日(水)迎春準備
28日(木)迎春準備
29日(金)義安寺参詣 メルパルク(ランチ&スパ)
30日(土)
31日(日)年越し蕎麦 「おせち料理」
歳末は、それぞれに大変ですね。クリスマスや正月のファミリー文化をみんなで作っていって欲しいものです。正月明けの「サンメンバーズホテルの旅」は、大分「別府」にするか、淡路(洲本)にするか目下迷っています。

12月21日(木)

奥島病院で年1回の脊椎のMRI検査。愛媛大学病院派遣の忽那辰彦医師から「著変なし」とのこと。「著変」は『広辞苑』に載っていない。医学用語かな???
「しげまつ」で散髪、伊予銀行、郵便局に立ち寄る。息子たちが庭仕事で帰省するので「フジ」で食料調達。「おでん」を用意しておく。
『一遍会報』小沼大八氏の卓話「漢字文字の話」の校正届く。書簡類を再点検して、年末廃棄分を取りまとめる。夜、TV「プレバト」。

12月20日(水)

『一遍会報』第396号の校正を小沼代表、今村理事に依頼する。年末には第1〜3頁の割付完了、第4ページは正月懇親会と例会報告を予定。
午後2時、子規博での「創作人形展 森川真紀子と子規の世界」内覧会に出席。伊予史談会会長山内譲氏が珍しく出席。
「新春の見世物としては可もなく不可もなしといったところか」というと関係者から大目玉を食らうか。子規さんが可愛く健康的なのが気になるが、中年の女性には受けるのではあるまいか。
野村證券担当課長が来訪、年間で3%の運用益がでている。まずまずである。
愛媛銀行担当課長から電話、「四国八十八ヵ所支店」と銀行支店との利子が4倍差とは解せぬと思う。個人的には行員との対話が必要と思うが、インターネットの効率を優先する時代になったのか、残念。
次男も今週末帰省し、長男と庭の作業をやってくれるという。ありがたき哉。

12月19日(火)

松山子規会12月例会出席(正宗寺)。
1)卓話:高橋俊夫氏「松山円光寺の子規の句について」
2)講話:嶌川武彦氏「子規・漱石 漢詩のやりり」
漱石の漢詩は二〇六首残っているが、最後の漢詩である「十一月二十日」は二二日に死去しているだけに「辞世の句」に当る。記憶に留めておきたい。
出席の同期から月1回の「同期の集い」参加の誘いあり。回顧談と病気の話が主題になっているので婉曲に断る。会社のOB会でも病気の話題は厳禁している。シニアであればこそ過去の話でなく未来の話で盛り上げて欲しいものだ。
夕、「紀乃国屋」で役員クラスの忘年会。三好先輩(昭和7年生)と高村昌雄氏(昭和9年)が初参加。三好先輩は元官僚で橋本龍太郎首相の秘書官を務めた由。
帰途、平岡英氏と松山子規会の今後のあり方につき語る。『子規会誌』特別号に「恩師渡部勝巳先生に「再会」なるエッセイを寄稿することにする。(平成30年1月末締め切り)
ビール、清酒のちゃんぽんで少々酔った。入浴は控え、「生姜湯」を飲んで就寝す。

12月18日(月)

寒い一日となる。7℃〜2℃といったところか。キッチンとトイレの掃除。トイレ掃除は勉強不足で汚れがあまり落とせず、再度「挑戦」が必要である。尿石除去をしたいが業者用(大瓶)しか手に入らないようだ。
道後公園を散策、「フジ」で室内用に運動靴を求める。転倒防止に役立てたい。古茂田夫妻に出会う。
上田淳君が健康を快復し一年ぶりに一遍会に出席の連絡、正月懇親会も20名以上の参加となった。善き哉、善き哉。
「みよし湯」、「BS日本の歌」を聴いて就寝。

12月17日(日)

午前中は日記、郵便、メール等の整理。
午後、窓ガラスの拭き掃除。今まで夫婦の共同作業であったが、今年からは一人作業となり結構重労働となる(座敷・次の間で10面、仏間4面、廊下8面、書斎8面、リビング4面合計24面)。応接室」、茶室、物置、長屋門の窓ガラスは時間切れ。
「フジ」買出し。歳末・新春の献立がうずたかく積まれている。はて、どうしたものか。
年越し蕎麦と新春の昼食が「うどん」にするか。「キイチ」から「讃岐めん石丸」、JAから「雲仙手延べうどん普賢」が歳暮の届け物。例年初詣は琴平宮だし、新婚旅行は雲仙「九州ホテル」だったから年越し、新春に相応しいか、な。
NHK大河ドラマ「おんな城主直虎」最終回。フィナーレとしては盛り上がりに欠ける。井伊家の「再興」についてもう少しドラマの展開が欲しかった。家康の描き方にはいささか疑問が残る。「みよしの湯」。

12月16日(土)

朝10時、湯築城歴史塾出席(子規博)。講師は桑名洋一氏(東温高校教諭)。テーマは「天正年間に於ける芸予土の動静」。郷土史の現下話題になっているテーマであるが、論者によれば「論争中」の由。一般的なセミナーでは、古文書の解釈をめぐっての展開には、難解すぎてついていけない感じである。芥川龍之介の『侏儒の言葉』ではないが笛吹けど汝踊らずである。
江刺氏から時宗「巌松山伯済寺」の資料受け取る。政治家小沢一郎氏の菩提寺である。
コンビニのおにぎりを道後温泉駅のベンチで食べて、コムズで13時から上映する愛媛LGBT映画祭に急ぐ。人権関連映画は妻と東京時代からよく見たのだが今回の「彼らが本気で編むときは、」はイデオロギー色も強くなく、トランスジェンダーを描いた秀作である。監督は萩上直子氏(「かもめ食堂」「恋は七・五・七」)主演は生田斗真、助演は桐谷健太、柿原りんか。
夕、帰宅。おでんと酒で身体を温めて、20時半にベッドにもぐりこむ。0時に目が覚める。深夜ラジオを聞きながら、再び眠りにつく。
【→一遍会】
奥州市伯斉寺について(続)
1)奥州市伯斉寺の住所は「(前水沢市)東上野町2−21」(0197−23−6235)です。
2)「内田光寿」師は同寺の第九世です。江戸期に再建された寺院でしょうか。
3)政治家小沢一郎氏は「時宗」ですが、今回調査していて菩提寺が伯斉寺であることが判明しました。父「小沢佐重喜」氏の墓があります。
4)近くに水沢公園、「高野長英記念館」がありました。
小沢さんは慶應の後輩ですが、世間で言うほど悪くはないです。手紙を書くと返事をくれます。大物代議士としては珍しいです。同じ後輩の県知事は、なかなか返事をくれませんが・・・ いやはや。

12月15日(金)

妻の「七の四一日」(没287日目)に当る。先週金曜日のみぞれの寒さでなく今日は小春日和である。義安寺に墓参りし、線香を供える。足達住職は車の手入れ。「メルパルク」でランチ(和定食)&スパ。
家では年末大掃除。座敷、次の間、玄関間の掃除と濡れ縁のモップでの床磨きを済ます。
読売新聞で入浴の「ヒートショック」の警告。湯温は41度以下に設定との事。熱湯好きだから現在45度に設定している。脱衣場の温度を10度とすると40度の差がある。急激な変化で血圧が上下し命の危険にもつながる由。早速41度に設定し直す。
【→ファミリー】
今日12月15日(金)は「母さんの七の四十一日」(没288日目)です。
寒いですね。氷点下にはなりませんが、日中で6〜7℃、深夜は2〜3℃といったところでしょうか。お変わりはないですか。父も感冒には特に注意しています。毎晩「生姜糖」を飲んで身体を温めて寝ています。
玄関と応接室のノブにクリスマスのお飾りをつけました。正月のお飾りは今年は自粛かなと思っています。お雑煮はなんとか作りたいと目下「勉強中」です。
障子の切り張りと張替えは終わりました。目下、納屋と納戸を整理中です。次週(18日〜)は外回り、ガラス拭き、次々週(25日〜)は浴室、トイレ、台所、お墓を予定しています。正月3ヶ日は家にいて、その後は「外出?」の予定です。
【今後のスケジュール】
15日(金)義安寺参詣 メルパルク(ランチ&スパ) 
16日(土)@湯築城歴史塾A愛媛大セミナーB人権映画「彼らが本気で編むときは、」
17日(日)<作業>
18日(月)<作業>
19日(火)松山子規会12月例会、役員忘年会
20日(水)<作業>
21日(木)奥島病院定期MRI検査(脊椎)
22日(金)義安寺参詣 メルパルク(ランチ&スパ)
23日(土)<作業>
寒いですから、呉々も無茶しないで、家庭団欒でいきましょう。

12月14日(木)

本日も10℃以下の寒さの中での生活となる。
障子の張替作業3枚からスタート。毎年、家内との共同作業であったので楽しくまた手早くできたが、一人作業となると3倍時間がかかる。
恒治が23・24日と庭木の伐採、片付け作業で帰宅することが決まったので、年末までに大掃除ができそうである。障子貼りで一山越えたような感じである。
夕食は五目飯と「おでん」。TV「プレバト」。「みよしの湯」。今日も、完全に主夫業の丸一日となった。いやはや。

12月13日(水)

氷点下にはならないが、日中でも10度以上には上がることはない。ここ数日の寒さにはまったまいったである。
延び延びになっていた障子の張替え作業。次の間、玄関、仏間、離れの4部屋の障子だが、切り張りできるものは切り張りにして、張替作業は3枚に絞った。
浴場を念入りに洗う。
玄関、応接室のノブには、クリスマスの飾りつけ。納戸の整理では、おでんセットや料理用陶板が見つかり、さっそく調理に使う。大きい鍋なので、数日分の容量である。いやはや。
子規博の竹田美喜館長に一遍会3月度例会のテーマと講師からの一口メッセージを依頼、夕刻には返事を受け取る。テーマは「万葉歌人天田愚庵と子規」である。
「フジ」買い出し。完全に主夫業の丸一日となった。

12月12日(火)

気温は最高が6℃・・・室内はエアコン(20℃)をセットしているので快適なのだが・・・
一遍会IT会員(30人)への「定期便」を道後郵便局から投函する。一件落着。週末の書状の整理と返信。
午後、友隣サミット。サロンでなく会議室を使う。井上君から制作した「カレンダー」の披露、彼はカメラ店を経営しておりセミプロに写真に見とれる。国内外の旅行先は共通しており、妻との旅行を懐かしく思い出す。
今冬の彼の撮影旅行(地獄谷野猿公苑)・・・温泉に入ったサルの表情が楽しみに待つことにする。次回は新年懇親会である。
「みよしの湯」。

12月11日(月)

朝が10℃(最高)で、寒冷前線の影響とかで、徐々に気温が下がり始め3℃(最低)となる。震え上がる。
妻の相続手続きで最後になった「日本郵便」と「新生銀行」分が本日最終処理。一件落着である。会計士に一任しなかったので、随分勉強になったが、時間も随分要した。相続税納付が相続開始から10ヶ月(明年1月3日)だから、ギリギリセーフといったところか。
一遍会12月例会資料等のIT会員向けの印刷、「定期便」の袋入れ(27名分)を済ます。正月懇親会の弁当注文を永井理事に依頼する。
朝、古紙回収業者に半年分の古紙を渡す。トイレットペーパー6本が「礼金」である。10年以上出入りしているので、「おじさん」も慣れたものである。
『一遍会報』第396号の編集開始。@今村威理事「日本人が人類にために出きること」A小沼大八代表「漢字文字の話」B新年懇親会C例会記録の構成となる。
「みよしの湯」。

12月10日(日)

終日雨、気温は10℃前後で寒い。
伊予史談会12月例会出席(県生活文化会館)。
1)平岡 英氏「初期の『ほととぎす』の動向」
2)岡 淳司氏(愛媛新聞社編集員)「『漱石全集』が解けなかった謎―森圓月資料から判明―」。
伊予史談会でなく松山子規会例会での内容である。
1)平岡氏は子規や子規派(日本派)俳句を特別扱いすることなく客観的に論旨を連解する。個人的には、大いに参考になった。
2)森圓月の人となりはよく知らないが、知識としては承知している。江戸末期、三好家から森家に嫁いだ女の曾孫が、二、三度拙宅にも訪ねてくれた。但し、講演の内容についてはまったく知らない「事実」であった。知ったから「どうだ」という事ではないのだが・・・
高須賀名誉会長、三好先輩、田中、戒田両氏らと会い懇談す。
「フジ」買出し。NHK大河ドラマ「おんな城主直虎」。「みよしの湯」。

12月9日(土)

11時から「道後今市遺跡16・17字調査現地説明会」に出席する。町内のマンション建築現場である。近くに河野氏の「方形館」があり、「市隠軒」は河野通宣」の女で「足利義昭」の妾の隠居寺である。鎌倉時代の墓(人骨、歯出土)の存在と80センチ地下の弥生期の土器や自然流域の跡などあり。大いに興味あり。
13時、一遍会12月例会(550回)開催(道後公民館)出席は19名。
1)大本敬久氏(県歴史文化博物館専門学芸員)「古代伊予の史料を読む〜空海著『三教指帰』〜」
2)杉野祥一氏(理事)「『一遍語録』を読むS」
大本氏の講話は空海と四国遍路の関係について懐疑的な展開となる。「空海伝承」は「一遍伝承」と同様に当時の庶民に受け入れられ、また作為的に「仕掛けた」修験者や支配者が存在したのも事実であろう。
理事会では正月例会(懇親会)の細部と役割分担を決める。出席は20名を予定。
帰宅後疲れが出る。買い置き分で夕食を済ます。TY「ブラタモリ」(彦根)<彦根はイイ>を見る。@山(鈴鹿山系)と湖(琵琶湖)に囲まれた要害の地であることA京都(天皇家)を護衛する拠点で「足軽(鉄砲隊)屋敷」の意味づけなど知見多し。
「みよしの湯」。ぐっすり寝たらしく、目が覚めたのが翌朝の6時半、近年では珍しいことだ。

12月8日(金)

妻の「七の四〇日」(没280日目)に当る。墓参りし、線香を供える。「メルパルク」でランチ(和定食)&スパ。道後公園を通り「フジ」で買いもの。昨日は初雪が降ったが、今日は雪ならぬ霙(みぞれ)である。道中、震え上がる。
日本郵便と新生銀行から相続手続きについて最終連絡あり。孫(亜実)から「今年の漢字を「努」としたがおじいちゃんの漢字は」との手紙が来る。真面目に返事を書く。
生涯学習センターの冨吉氏宛「柳原極堂 所蔵品展」の解説書についての礼状を送る。
【→亜実ちゃん】
 亜実ちゃん お手紙ありがとう。 楽しく読ませてもらいました。充実した学校生活ですね。すばらしいことです。「ベルマーク」の取りまとめ・・・立派な社会奉仕活動ですね。おじいちゃんは高校生の時、「青少年赤十字団」(JRCジュニアーレッドクラブ)に入っていて赤十字活動の真似事(まねごと)をしていました。
 「今年の漢字」で校長先生にインタビューですか。これは大変だ。校長先生には文化祭の時トイレで話したから覚えています。優しい校長先生でしたよ。緊張しないで、亜実ちゃんらしくお話してみることですね。亜実ちゃんなら大丈夫、大丈夫!
 おじいちゃんの「今年の漢字」ですか。困ったな。
おじいちゃんは、今春、おばあちゃんと永遠の別れをしました。58年間一緒に夫婦として歩んできたので、正直寂しいです。お互いに信頼して、励ましあって生きてきましたから、この気持ちをずっと持ち続けようと思います。
お互いを信じなければ、何も生まれません。おじいちゃんの「今年の漢字」は「信」です。この「信」から「伸(張)」「新(生)」「真(実)」「親(善)」「清(純)」「進(歩)」といったすばらしい明日が生まれてほしいなあと願っています。
 残り20日ほどで、平成30年(2018年)ですね。亜実ちゃんにとっていい年であるように願っています。「飛鳥乃湯泉(あすかのゆ)」は繁盛していますよ。魚料理もたくさんありますよ。「愛媛新聞」の第二号を期待していますよ。  おじいさんより
【→冨吉氏】
ご無沙汰を重ねています。 お変わりありませんか。益々のご活躍、なによりのことと存じます。
このたびは、貴愛媛人物博物館企画展の「柳原極堂 所蔵品展」の解説書並びにご案内をいただき深謝申しあげます。まことにありがとうございました。早々に鑑賞したいとは思いますが歳末多端でもあり、二神将氏の講座@Aに出席の節の楽しみにとっておくことに致しました。ご了承ください。
私事になりますが、過日「中国・四国地区城館調査検討会」に出席した際、柚山氏から「三好さんの道後学が「文献」で紹介されています」と知らされ、驚きました。冨吉様に企画していただいた「道後学セミナー」での「道後八景十六谷」の資料でした。
また、時宗本山遊行寺の長澤昌幸学頭から、宝厳寺、石手寺(安養寺)、伊台・高縄の天台寺院をトータルで捉えて、修験道と一遍・時衆の関連を研究して欲しいとの依頼がありました。改めて、拙論「道後八景十六谷」が少しはお役にたっていることを知りました。
相変わらず「道後」というレンズで郷土史を眺めています。『松山 子規事典』にも道後の記事を若干寄稿しました。ご高覧いただければありがたいです。ご高配を感謝しつつ、近況報告まで。

12月7日(木)

郵便局、愛媛銀行に立ち寄り、「ダイキ」で『一遍会報』「一遍会12月度ニュース」を印刷。帰途、身障者施設「花楽里」で新メニュー「和風ラーメン」を注文、あっさりしたラーメンである。光田石油で灯油18L(¥1,458)、値上がり傾向にある。
「キイチ」から歳暮「讃岐うどん石丸」が届く。古紙業者に年内に回収に来るように依頼する。なかなか年末の片付け、大掃除が進まない。
『文芸春秋』@創刊95周年記念号届く。大型企画は「文芸春秋」を彩った95人。
TV「プレバト」を楽しむ。「みよしの湯」。「飛鳥乃湯泉」と「椿の湯」のグランドオープンが12月26日であるので、今日も工事現場を訪ねたが、追い込みの最中である。年末からは「椿の湯」入湯を再開したい。

12月6日(水)

今暁、初雪が降ったようだ。日中の気温は10度前後である。寒い。
『一遍会報』第395号てすと印刷。午後、友輪荘で高瀬、梅木両君と喫茶2時間。
2月度例会講演の武智利博氏と連絡がつく。テーマの変更があり、本年度は「一遍と狩猟民・漁民について」、次年度は「十返舎一九の『草履十四編 道後温泉」となる。次年度は宝厳寺での一遍生誕会での特別講演としたい。
時宗宗学林学頭長澤昌幸師宛礼状を書く。TVドラマ「相棒 ドグマ」(水谷豊、反町隆史)。「みよしの湯」。
【→長澤師】
過日遊行寺に参りました節には、貴重な時間をご割愛していただき、心温まるご応対に心から深謝申し上げます。ありがとうございました。
昨日、御著『一遍仏教と時宗教団』が届きました。時宗教学、一遍教学の専門的な論考であり、序章に目を通し、ただいま第一章に入ったところです。冬の夜長、じっくりと読ませていただきます。ありがとうございました。
今週末(9日)は一遍会12月例会ですので、御著を会員に紹介し、併せて「一遍会ニュース」でインターネット会員にもご紹介することにしました。
先年、松山(昔の伊予郡ですが)の寺院に一遍の著作があるという照会がありましたが、「ありえない」伝承と思い、うち捨てておいたのですが、誓願寺所蔵『西山上人所持』にロマンを感じ、一度調べてみることにします。
桜井哲夫氏の『一遍と時衆の謎  時宗史を読み解く』から研究のヒントを得ておりましたが、伊予ともつながりのあります一向上人について同学の仲間と話してみたいと考えております。
御著を通して宗門の方々の活発な活動が展開されますよう、益々のご発展を祈念申し上げます。
宝厳寺の陽子尼は浅山圓祥師の孫でもありますので、ご指導ご鞭撻の程、呉々もお願い申し上げます。一遍会はあくまでも文化団体ですが、宝厳寺並びに陽子尼のお役に立てるように努力してまいる所存です。今後ともよろしくお願い申し上げます。

12月5日(火)

昨日の健康診断で服用したバリウムの排便が今ひとつなので、朝下剤を飲む。外作業は中止する。
時宗宗学林学頭である長澤昌幸師から『一遍仏教と時宗教団』(法蔵館)が届く。過日本山(藤沢・清浄光寺)でお話しする機会を得て伊予における一遍上人、時宗寺院等の研究の進め方について貴重なご示唆を頂いた。本著作は、時宗教学、一遍教学の専門的な論考である。一遍の著作の可能性がある誓願寺所蔵『西山上人所持』なる聖教が紹介されている。興味深い。
伊予銀行、愛媛銀行に出かける。相続分割分を息子に送金する。一件落着である。この冬一番の寒さである。終日、室内は20℃でセットした。
「みよしの湯」。

12月4日(月)


県介護会館で県厚生連の健診。8時半開始だが隣家でもあり8時過ぎに受付を済ます。受付NOは「1」である。独居生活で食事のバランスもとれていないと思うので全項目の検診を依頼する。本来は無料であるが、6,000円を要した。約一時間で終わる。
新生銀行の遺産相続の手続きに入り、午後「簡易書留」で必要書類を送付する。線香、香典の送り主に丁重な礼状を出す。
今日届いた喪中葉書に驚く。現役最後に担当した薬品事業で補佐してくれた宮久保隆司君(77歳)の名があった。先年亡くなった野村君と彼とは、導入教育主事から人事部長までの20年余り成長を楽しみにしていた早・慶の逸材である。
健診でバリウムを飲んだので、遠出もままならず残務整理をする。
【→MI君】
メール拝見、早速にHPを検索しました。
昭和30年代のキャンパスの光景がよみがえりました。日吉時代の会話の中でもよく映研の話がでましたね。あの時代に、こんな素晴らしいプロジェクトがあったのですね。驚きました。
吾らは99回生ですから、三田の時代のそのままの光景ですね。講堂の残骸はすっかり忘れていました。図書館、演説舘、食堂・・・懐かしさで一杯です。学生服の時代だったのだなあと痛感しました。懐かしき、良き時代でした。
「進行 松澤泉」もちゃんと確認しました。先輩松澤さんの提言で慶応義塾に寄託――さすがですね、先輩は!!!ご案内、ありがとうございました。

12月3日(日)

一週間の日記をまとめて記帳する。午前中、紙類(紙バックを含む)とポリエチレン袋を取りまとめる。紙はなじみの回収業者、フィルムは市の回収日に処分する。年末大掃除のスタートである。
夕、「フジ」での買い物の後、腰痛が薄らいだので庭の清掃。休日ではあるが、お歳暮、お線香、お香典がばらばら届く。大学の親友からメールが届く。
NHK「おんな大名直虎」。「みよしの湯」。
【MI君→】
大変ご無沙汰しています。お元気ですか。奥様を亡くされてご心痛の年も早や師走に入りました。この年もいろいろなことが起こりました。そして時間が過ぎながら自分の体力が衰えていくのを感じています。
その中で慶応義塾大学のホームページのKeio Times(特集)に新しく「映像で蘇る昭和30年代の三田キャンパス」がUPされました。当時所属していた映画研究会が我々の時代の三田の風景を記録に残したフィルムの紹介です。わずか15分足らずの動画ですが、比較的鮮明な画像が残されています。
仲間の座談会が載っていますが、小生も出席の予定でしたが、座談会が行われた当日の朝家内の兄が亡くなり参加できませんでした。時間があったらご覧ください。向寒の折御身大切に。

12月2日(土)

子規博12月度子規さん俳句「唐の春奈良の秋見て冬こもり」の鑑賞エッセイ執筆、HP「子規サロン」に掲載する。HP一遍会12月度分の更改作業を完了して掲載する。
昼前に八木不動産来訪、満80歳を以て商売を止め、夫人との落ち着いた生活に入ると云う。当方は大痛手になるが止むを得ない。
夕食は1時間かけて「鶏もも肉のとろとろ玉葱煮」(3人分)をつくる。美味しい料理になった。オリックス銀行の名義変更が終わる、続いて「新生銀行」の事務処理に入る。
NHKブラタモリは岐阜(織田信長の平和なまちづくり)を見る。腰痛が続き、庭仕事はできず。「みよしの湯」で身体をほぐす。
【→俳友】
子規記念博物館(館長 竹田美喜氏)選句の子規さんの平成29年12月の句は「唐の春奈良の秋見て冬こもり   子規」です。
明治28年(1895)の作品で、季語は「冬こもり」(冬)です。『子規全集』第二巻 俳句二 「寒山落木 巻四」361頁(明治二十八年 冬)と第二十一巻 草稿 ノート「病余漫吟」110頁(明治二十八年冬)に掲載されている。
明治28年の句というと、子規にとっては、生涯でもっともドラスチックな一年であった。
春には志願して日清戦争の従軍記者となった子規は、中国に渡り、金州城や遼東半島の各地を訪ねている。講和条約の締結もあり、帰国の船中で喀血し、須磨で療養する。
小康を得て松山に帰郷し、夏目漱石との52日間の「愚陀仏庵」の生活を送る。10月帰京の途中奈良に立ち寄り、東大寺、興福寺、薬師寺、法隆寺を周る。子規の代表句の一つでもある「柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺」は、この時の句である。
ほとんど知られていないが「行く秋のわれに神なし仏なし」とか「無着天親その外の仏秋の風」に、俳句としての深みを思えるのは吾一人なのであろうか。
根岸に戻ってからの子規は、亡くなるまで病臥の人となり、旅に出ることは叶わなかった。まさに最後の閃光とでもいうべき印象的な一年間の締めくくりの一句と言えよう。
ここで云う「唐(から)」とは、中国大陸・朝鮮半島を指している。
子規さんにあやかって一句
「江戸の春京の秋見て冬安居   子規もどき」
(補足)早春に妻を喪った。春には上京して櫻を追い求め、秋には上洛して紅葉を愛でるのが老夫婦の楽しみであった。夏は上高地、冬は九州の温泉めぐりであった。この冬は旅する気分にもならず、炬燵を友として冬安居に入ることになるのだろうか。

12月1日(金)

妻の「七の三九日」(没273日目)に当る。墓参りして、水を汲み換え、線香を供える。一遍会2月例会開場申込み、11月度収支決算の銀行口座確認、子規博12月度子規さん俳句の確認。今月句は「唐の春奈良の秋見て冬こもり  子規」である。
一遍会会員に12月度例会の案内をメールする。11月末の大分別府の紀行を取りまとめ日記帳に記す。
午後、1時間ほど庭の掃除。腰にストレスが残っているらしく腰痛気味である。「みよしの湯」。
【→一遍会員】
一遍会のみなさん 12月例会のご案内です。550回を迎えました。会員のみなさんのお蔭と感謝しております。
先月一年ぶりに遊行寺に参上し、宝物舘で開催中の「江嶋縁起」を拝観しました。関東地区にお住まいの会員の方々には是非お奨めしたい企画展でした。健脚の方には江ノ島道(藤沢宿・遊行寺〜江ノ島)約4キロのウオークに挑戦されませんか。是非『一遍会報』に寄稿していただきたいものです。よろしくお願いします。パンフレット4頁分を貼付しました。

出かけるので、日程を念の為見直す。いささか多忙なスケジュールである。健康に留意せねば・・・
夕、「フジ」に買出し。夜は大河ドラマ「」おんな城主直虎」。「みよしの湯」。
11月30日(木)

ホテルで朝風呂、朝ドラ「わろてんか」を見て、8:30からゆっくりとシェフの凝りに凝った朝食をとる。妻と一緒なら大いに話がはずむのだろうが・・・
10:00時の送迎で別府駅に出て、昨晩検討した「西野達in別府」の「アートまちあるきマップ」を参考に町歩きをする。
@油屋ホテル 駅前にある油屋熊八の銅像を主人公にしてゲストルーム、寝室、露天風呂までセットした建物。熊八は宇和島出身の実業家で別府、湯布院開発の最大の功労者である。ガイド役の女性に、西野達プロジェクトの概要を聞く。
A「残るのはいい思い出ばかり」 別府駅前から場末に入ると戦前、戦後の木造住宅が立ち並ぶ。海門寺公園(温泉場あり)に出て、「別府タワー地蔵」を眺望する。
Bやよい天狗通り周辺に分散する展示物を見てまわる。偶然「大分日日新聞」の記者につかまり、取材を受けながらの見学である。愛媛と大分の縁は「速水の湯」と道後温泉からはじまり一遍上人の鉄輪温泉の発掘など話が尽きなかった。
C記者から「別府の魅力から逃れられるか?」なるトラックに家財道具を満載した立体を勧められる。折角なので、立ち寄る。確かに奇抜である。
流川通りを下って「竹瓦温泉」に立ち寄る。ここからフェリー乗り場まで3キロはあるが、時間的な余裕もあり、妻とはいつも小一時間かけて海岸沿いに歩いていたので思い切って歩くことにした。足が悪くなったので、今回が最後の散策か。妻との会話を思い出しながらの長い散策である。
フェリー乗り場で昼食(うどん)、フェリーは空いており、3階の展望室の長椅子の横になって2時間半の船旅を楽しむ。港から松山までの伊予鉄バスも、途中での出入りがあったが、終着までの客人は自分だけであった。いやはや。19時半ころ帰宅、カレーライスの夕食。21時前には就寝する。一泊2日のセンチメンタルジャーニーが終わった。

11月29日(水)

11月末まで有効の「リゾートトラスト」招待もあり、別府に出かける。温子との最後の旅行が今年の正月三ヶ日を過ごした「リゾーピア別府」である。温子との旅では杖を突いていないので思い切って「杖なしの旅」を思い切る。
松山市駅09:10発、八幡浜港10:55着。「ミナット」の「どーや食堂」で毎回同じ献立の「海鮮丼」を注文する。フェリーは13:00発で別府港には15:50着。バスで別府駅に出てぶらぶらと駅内の商店を覗き見しながら時間をつぶして、17時の送迎でホテル着。
早速ホテル内の温泉で足を伸ばして、18時から夕食(日本料理 やまなみ 華花<はなやぎ>会席)。生ビールはサービス。大分ではいつも飲む「西の関」は口に滑らかになじむ。ことし最初で最後の「松茸天麩羅」を特注する。至福の2時間である。ベッドで横になったら、そのまま寝込んだらしい。日付が変わる頃に目覚める。食後の温泉には入れず、残念!

11月28日(火)

今日も小春日和。まずは洗濯から一日が始まる。
東京系銀行と妻の遺産相続の手続きをやっと開始する。電話での打ち合わせは結構時間がかかる。
午後、圓増治之氏から『一遍会報』掲載の「竜の突如の出現・・・・そのとき、一遍上人は・・・・」の校正届く。三好恭治「『予章 与陽盛衰記』 遊行上人由来の事」と併せて校了。来週初、「一遍会12月例会ニュース」と併せて印刷する。()
宇都宮氏と一遍、時宗についての資料調査に入る。現在、全国400ヶ寺ある時宗寺院のうち栃木県に10分の1の40ヶ寺ある。宇都宮氏一族の武茂泰宗をはじめ11人が時宗に帰依している。分かれである伊予宇都宮氏についてはどのようであったのか。興味はある。
温子との最後の旅行は今年正月の別府3泊4日であった。明日、一泊で同じホテルに泊まることにする。
伊賀上礼子さんから「お線香」が届く。「みよしの湯」。

11月27日(月)

小春日和である。
午前中、伊予銀行と郵便局。郵便貯金の遺産相続に伴い名義変更手続きがやっと完了する。
午後、3時間庭の掃除と草引き。柿と櫻の落ち葉の処理に一苦労する。夕、腰痛が出て来る
張り切る過ぎたか。
「みよしの湯」。

11月26日(日)

第22回中国・四国地区城館調査検討会に初参加。テーマは「伊予松山城から見た近世城郭の論点」(市民会館)報告者は中四国の教育委員会とは驚きである。
パンフレットは@2,000円。詳細なレポートであり、じっくり読むしかあるまい。「米子城」のみ見学していない。来春、鳥取・米子・松江の城郭を訪ねてみるか。
基調報告 「伊予松山城ほか」 日和佐宣正(戦乱の空間編集会)
事例報告1「米子城」 浜野浩美(米子市教委)
事例報告2「倭城」 黒田慶一(文化財石垣保存技術協議会)
小テーマ 「武家諸法度発布以降の曲輪の拡張・新設」 
基調報告 「伊予松山城」 西村直人(松山市教委)
事例報告3「宇和島城」 広瀬岳志(宇和島市教委)
事例報告4「岡山城」 乗岡実(岡山市教委)
午後の討議は専門家、研究者に任せることにして帰宅。
圓増尚之氏に『一遍会報』第350号掲載論文の校正依頼。
夕、「フジ」に買出し(チャージ30,000円)。夜は大河ドラマ「」おんな城主直虎」。「みよしの湯」。

11月25日(土)

朝から『一遍会報』第395号編集に取り組む。1・2頁は圓増治之「竜の突如の出現・・・・そのとき、一遍上人は・・・・」、3・4頁は三好恭治「『予章 与陽盛衰記』遊行上人由来の事」で紙面割付。ほぼ輪郭ができたので、12月例会で配布する。
編集疲れで1時間ほど仮眠。夕、2時間かけて「おでん」をつくる。4人前だから3日分に相当するか。
TV「ブラタモリ」は「室蘭」。天然の良港と砂鉄と石炭が室蘭を工業都市を育て、明治の軍拡で兵器生産(大砲など)で巨大化した由、成る程、了解。
広島の従妹(裕子さん)から電話。従姉(妙子さん)は京都で健在だが、共に亭主は亡くなっている。
「みよしの湯」。
【→尚子さん】
「あのような美味しい立食は初めてでした!」というと、帝国ホテルの宴会場かな。私も一度だけそのような経験をしたことがあります。大阪帝国ホテルがオープンしたとき招待されてお祝いのパーティーに出ました。勤務日でしたからシャンペンだけしか飲めませんでしたが、料理は 満足!満足!でした。大満足でしたか。
恒治とは新橋の「せとうち旬菜舘」という居酒屋でしたが、伊予人で満席でした。南予の食材が多かったです。酒は久米(祖母の生地)と南予の地酒にしました。恒治は生ビールを飲んでいました。
歌舞伎は「国立劇場」ですから「大歌舞伎」ではなく以下の2本です。
@「坂崎出羽守」(山本有三作) 出羽守は尾上松緑
A「沓掛時次郎」(長谷川伸作) 時次郎は中村梅玉
役者も若返ってきました。
「GINZASIX」で思い出しました。息子たちは東京の大学にも受験しました。付き添いは母さんで、息子の受験中は完全にフリーでしたから大いに東京を楽しんだようです。尚子さんも受験には是非一緒に出かけたら・・・ 
寒い 寒い 寒い  今夜は2時間かけて「おでん」をつくります。「湯たんぽ」を初めてセットします。神戸も同じでしょう。孫のお夜食は「うどん」ですかな。

11月24日(金)

朝一番にファミリーに「母さんの七の三八日」(没266日目)メールを発送する。
一遍会11月度「定期便」を道後郵便局から投函、週末に届いて欲しい。また、十二月度例会案内をマスコミ・ミニコミに流す。正子さんから「おばんさい」が届く。
昼前に義安寺の墓苑に参る。温子の眠る墓にシキミのほかに随分たくさんの花が飾られているではないか。最初驚き、次いで誰が供えてくれたのか想像すると涙が出てきた。「喪中につき新年の祝賀辞退」の知らせに驚いた友人も多くだろう。墓地は義安寺と記載したのでわざわざ拝みに来ていただいたのだろうか。お琴の仲間か、卓球の仲間か、南予の同級生か、それとも・・・有難い次第である。直接お礼を申し上げることができないのは残念である。
帰途、メルパルクでランチ(和食)&スパと買いもの(「フジ」「業務スーパー」「セブン」)。
終日寒かった。13度Cが最高か。12月中旬に気温である。風が吹かなかったのが、せめてもの救いか。書斎も暖房(17度C)する。20時就寝。

11月23日(木)

東京・湘南の2泊3日の取りまとめ。
旅行中に妻の喪中連絡のお悔やみの連絡が届いている。改めて返事を出さねばなるまい。
松山子規会忘年会の確認(12月19日)。午後、一遍会IT会員への「11月度定期便」の取りまとめに追われる。
自宅の西100米ほどの場所にマンションが建築されるので発掘調査がなされ鎌倉時代の墓と弥生時代の河川の跡が確認された。南100米には河野氏の方形屋敷(奥島病院)が確認されており、自宅周辺が俄かに歴史づいてきたようだ。いやはや。
10年に1回のガス機器の点検あり。次回はお互いに無理でしょうなと笑いあう。
TVはお楽しみの「プレバト」。「みよしの湯」。

11月22日(水)

朝9時隠れ家をチェックアウト。浜松町から上野に出る。今回の上京の最大の目的である東京国立博物館の特別展「運慶」を鑑賞する。平日だから混雑しないだろうと思ったが、9時半には長蛇の列である。40〜50分待ちである。杖をついた「老人」が歩いてくるのでガードマンが見かねたのか、身障者並みに入り口まで案内してもらう。地獄で仏に会ったような幸運である。お蔭で2時間、ゆっくりと鑑賞できた。豪華な解説書「運慶」を購入(@3,000円)。
東京芸大美術館、西洋近代美術館の鑑賞を予定していたが、足へのストレスもあり、羽田空港に向かう。空港内のレストランでカレーを食べ、カード専用休憩室でコーヒーを飲みながら、「運慶」を丹念に読み、画集を眺める。
ANA582便(羽田発17:15発松山着18:50着)で帰着。道後駅前ローソンで弁当と竹輪を買い、20時過ぎの夕食、手紙、メールの確認の上、22時頃就寝す。

11月21日(火)

朝9時隠れ家を出立、増上寺を参詣、「大門」が80年ぶりに改修の由。現役時代の定宿のひとつ「芝パークホテル」のフロントが現代的は改修で驚く。
都営「大門」乗車、「月島」で乗換えて「永田町」(有楽町線)、再度乗換えて「半蔵門」下車(半蔵門線)。国立劇場出口が変わっている。二年ぶりかな。次回は都営大江戸線「清澄白河」で「有楽町線」に乗り換えることにしたい。
お目当ては歌舞伎「坂崎出羽守」(山本有三作)と「沓掛時次郎」(長谷川伸作)で出羽守は尾上松緑、沓掛時次郎は中村梅玉である。開演は12時、終演は16時20分。バスで新橋に出る。
昨夜見逃した「GINZASIX」に直行する。「GINZASIX」の屋上からの夜景は、銀座通りを真下に見、東京の中心部を俯瞰できる最高の観光スポットである。ニューヨークにもパリーにも上海にも負けない夜の光のハイライトである。満足、満足。
18時、恒治と待ち合わせた「せとうち旬彩舘」の2階の居酒屋で21時過ぎまで伊予・讃岐の郷土料理を食べる。帰りは昨夜と同じコース。

11月20日(月)

毎年2回は温子と「東日本の旅」を続けてきたのだが、今年は温子の不幸もあり一人旅となる。
朝6時の道後温泉始発のリムジンで松山空港に7時前に到着、ANA582便07:25発で羽田空港着08:45。リムジンでJR横浜駅に急ぎ、横浜から藤沢まではJR普通列車、時宗総本山遊行寺(清浄光寺)には11時前に着く。受付で到来を告げ、早速「宝物舘」で特別展「江嶋縁起を観覧する。東海道「藤沢宿」から江ノ島まで約4キロであるから、遊行寺を参詣して江ノ島詣は庶民にとっての楽しみではなかったか。
学僧の長島昌幸師に案内されて寺務所で主に伊予における時宗(時衆)の分布について語る。師から中世に喜多郡を支配した「宇都宮氏」の寄与について問題提起があり、後日報告する旨返事する。実りある対談となった。
往復歩きだが、自分の足では片道25分はかかった。13時頃、駅前の「餃子の王将」で餃子を2人前注文して精力をつける。
「快速」で新橋に出て、「パナソニック汐留ミュージアム」で開催中の「カンディンスキー、ルオーと色の冒険者たち」を鑑賞する。元の松下電工の会長・社長の三好俊夫さんのルオーコレクション(約230点)が有名だが、カンディンスキーの絵画は初めてか。「商人たちの到着」は遠くで見ると克明に描かれた市場と群集の光景だがキャンバスに目を近づけると絵の具を散りばめたタッチなどで驚く。ルオーの絵には久しぶりに再会した。至福の一時間であった。
今回銀座通りで立ち寄りたかった建物が二つあった。新橋寄りの「三菱UFJ銀行」の改修と「銀座松坂屋」がリフレッシュした「GINZASIX」である。元の銀行界隈の地下には大学時代の友人との溜まり場があった。「ヤマハホール」はKAC(慶應アコーディオン倶楽部の練習場でもあった。)
都営地下鉄「内幸町」まで歩き「御成門」下車、駅前のローソンで夕食と明朝分を調達して東京の隠れ家(エルミタージュに泊まる。

11月19日(日)

松山子規会11月度例会と四国遍路セミナーがあり出席を予定していたが、明日から上京するので終日家事の整理に充てざるを得なかった。残念。
【→T氏】
冠省 過日の人事労務OB懇親会ではお世話になりました。その後「喫茶にしむら」では尼崎に関して興味あるお話を拝聴でき大いに勉強になりました。早速『創立七〇周年記念誌』をご恵贈いただきありがとうございました。
地方史の記述は正直難解ですが 戸田氏鉄公が大垣に転封されただけに興味深く読了いたしました。大垣の仲間に連絡を取ってみます。併せて、ご生地でのエネルギッシュなご活躍を拝し、大いに刺激を受けました。
翌日は奈良に出掛け、国立博物館(「正倉院展」)。東大寺ミュージアム、薬師寺(写経)をまわり、夜は御堂筋のイルミネーションを楽しみました。
明日上京し、国立博物館(運慶展)、時宗総本山遊行寺を回ってきます。次回お会いできるのを楽しみに致しております。まずは御礼まで。

11月18日(土)

午前中、湯築城歴史塾(子規博)。
講師:山内治朋氏(県歴博専門学芸員)テーマ「南予合戦と山城」
午後13時から一遍会11月例会。
1)
今村威理事「日本人が人類にために出きること」
2)小沼大八代表「漢字文字の話」
夕18時から理事のご子息が経営する「アジアンレストラン」で役員懇親会。小沼代表以下9名集合(2名欠席)。サロン的雰囲気でレベル高い会話が進む。
「老人半人前」というか、朝9時から夜21時までの活動はさすが疲れが残る。

11月17日(金)

妻の「七の三十七日」(没後二五九日目)。
義安寺に詣で線香を手向ける。メルパルクでランチ(洋食)&スパ。郵便局、愛媛銀行、子規記念博物館に立ち寄る。
旅行中の日誌を整理、記帳する。来週の上京の旅程をチェックする。週の始めは、東京の最低気温は2℃〜3℃くらいで猛烈に寒いらしい。冬支度で上京するか。
午後はのんびりする。「みよしの湯」。

11月16日(木)

朝「セブン」に食パン買出しの途中、郵便局で「喪中挨拶」葉書投函、一件落着。「ダイキ」で『一遍会報』と「一遍会ニュース」印刷(240ページ)。ランプ付ソケット購入。炬燵や床暖房の消し忘れで毎日妻に叱られていたが、独居でもありゼロに挑戦する事にした。
午後、愛媛銀行とJAバンクの担当者に応接。神戸の嫁と孫に書簡などなど。今日も外回りの仕事ができず。夕食は「おでん」。「みよしの湯」。
【→喪中挨拶状】
 喪中につき新年のご挨拶をご遠慮申し上げます
 今年3月に妻温子が死去致しました。健康には自信があったのですが、家事中に心臓麻痺で旅立ちました。50数年連れ添っただけに、別れの挨拶が出来なかったことが心残りです。目下独居生活ですが、健康状態はまずまずで、鐘友会で頂いた「寿杖」を支えに活動しております。 
 本年が子規・漱石・極堂生誕150年に当たりますので、9月に松山子規会が『松山 子規事典』を発刊、明治期の松山・道後界隈の歴史について60数項目寄稿しました。
 一遍会では『一遍会報』が400号となり、時宗本山遊行寺(藤沢)と仏教大学(京都)に寄贈し、宗門の研究にささやかながらお役に立てることになりました。
 鐘紡でお世話になった諸先輩、ご同輩、後輩の方々との交遊を引き続き深めたい気持ちは山々ですが、お会いすることもままなりませんので、今後儀礼的なご挨拶状は割愛させていただきたく存じます。ご寛恕の程お願い申し上げます。
 末尾になりますが、益々のご健勝とご家族皆々様のご多幸を心からご祈念申し上げます。

11月15日(水)

関西旅行の日誌と資料の整理。旅行中にかぶっていたシャッポが見当たらず、昨晩から探し回り諦めていたところ、玄関の「衝立」にひかかっており旅行中の紛失はゼロ。
喪中葉書の本文(ビジネス、文化団体、親族)3種類の原稿をセット、夕方から印刷開始、約3時間で完了す。やれやれ。
金融機関から温子の通帳書き換え完了の連絡があり、近回りの伊予銀行、愛媛銀行の口座を確認する。
一遍会11月例会で配布する「一遍会ニュース」には「高校教科書から「時宗」が削除されるというショッキングな朝日新聞の記事(11月14日付)を紹介することにした。
玉垣喜三氏から早々に「尼崎文化協会創立70周年記念誌」が届く。尼崎城、藩主戸田氏鉄公の事績などまったく未知である。城下町とは知らなかった。じっくり読むことにするか。
恒治に依頼していた2017年4月20日オープンした「GINZA SIX」の案内パンフレットと紹介誌が届く。来週の上京時には立ち寄れないと思うが、とりあえず情報は得ておきたい。
「みよしの湯」。

11月14日(火)

朝便で伊丹空港を発って松山には11時帰着する。14時から、月例の「友隣サミット」出席。家の掃除と夕飯の用意で日が暮れる。「みよしの湯」。22時にはベッドにもぐりこむ。

11月13日(月)

7時にホテルを飛び出し、8時半には「第69回正倉院展」を開催中の奈良国立博物館に到着、9時開場。本日が最終日である。観客の第一陣でもあり、ゆっくりと2時間ほど鑑賞する。10時頃からは超満員である。構内で桃谷楼の「正倉院展記念弁当」(薬膳)を朝昼
兼用で食べる。路を渡って「奥村記念館」(元奥村組奈良工事事務所)で珈琲ブレイク。次いで「東大寺ミュージアム」で奈良の仏たちと再会、特に地蔵菩薩像に和む。
奈良県庁屋上の展望所で奈良盆地を展望して、近鉄奈良駅前からバスで薬師寺に向かう。早速「写経」して、温子の冥福を祈る。今春落慶法要した「食堂」(じきどう)に入り、田淵俊夫画伯筆のご本尊「阿弥陀三尊浄土図」と約50メートルに及ぶ「仏教伝来の路と薬師寺」を拝観する。本尊の裏には金色に輝く「千躰阿弥陀仏」がはめこまれており、一体50万円の寄進を呼びかけている。という事は総額で5億円である。写経の@2,000円も同様だが、薬師寺さんはなかなか商売もお上手である。宝厳寺もあやかりたいものである。いやはや。
大阪まで近鉄の普通列車に乗車、ゆっくり車窓から観光見物する。
 梅田に戻ったら暗くなっており、御堂筋のイルミネーション見物。外国人の「ビューティフル」「ワンダフル」の声が聞こえる。神戸の「光のショウ」とは違い、難波までの長い長いイルミネーションはそれなりに感動する。身体も冷えたので、ホテルのバスで身体を温めて、TVを見ながら、「ビール」とコンビニの「とんかつ」で 空腹を満たす。

11月12日(日)

早朝5時起床。パンと目玉焼きの朝食。道後温泉6時発のリムジンで松山空港へ向かう。空港のビジネスコートで珈琲と新聞に目を通し、8時発のANAで伊丹空港9時前に着く。梅田で約2時間歩き回る。阪急の「古書店街」が行方不明で随分探し回ったら、「紀伊国屋書店」の傍にあるではないか。店主と立ち話する。聞けば今春引っ越してきたそうだ。やれやれ。
正午開催の「鐘紡OB会」(大阪駅前第三ビル「河久」)は、僅か10名の参加。元社長の岡本さん(90才)を挟んで、労務部の玉垣さん(88才)と私(83才)が座る。両氏と話して88歳までは「現役」で文化団体のお世話をするかという気になる。
出席は青崎健二、伊藤陽一、伊地知(田村)真由美、岡本進、垣内憲治、高木照雄、玉垣喜三、福原豊高、三好恭治、山下和夫氏。
散会後、玉垣さんと「にしむら珈琲店」で情報交換。玉垣さんは現在尼崎文化協会の会長をしており、目下のプロジェクトは「尼崎城の再建」である。城主である戸田公は、関ヶ原期の大垣城主でもある。戸田公の後裔は大垣に住んでおられるので、この機会に大垣と尼崎の縁組のお手伝いをしようと云うことになった。また一つ、大仕事が増えた。
梅田新道のメンバーズホテルに宿泊。NHK大河ドラマ「おんな城主直虎」を見る。「御堂筋のイルミネーション」のニュースを見て、是非見て帰ろうという好奇心が湧いた。

11月11日(土)

喪中葉書の宛名印刷、会社(ビジネス)関係のみ本文印刷。儀礼的内容を排した一風変わった喪中葉書だと思う。終日作業となる。

11月10日(金)

妻の「七の三十六日」(没後二五二日目)。
9時から愛媛銀行と郵便局で遺産分割処理手続き。『一遍会報』第393号テスト印刷、会員に「一遍会11月度ニュース」を流す。
正午、メルパルクでランチ(和食)&スパの後、義安寺の墓参り。帰途、秋の風情が深まった道後公園を散策する。気持ちが緩んだのか、炬燵に足をいれて「文芸春秋」Kを読みふける。
【喪中葉書】 森保子(夫)、真竹正洋(本人)、高市智子(夫)、伊達幸子(夫)。

11月9日(木)

『一遍会報』第394号の割付完了、テスト印刷。やれやれ。
正午、掃除、洗濯,リビング、納戸の貯蔵品の片付け。
『文芸春秋』Kが手元に届き、早速読み始める。特集「今そこにある戦争」(E・ルトワック×池上彰)
TV「プレバト」(俳句)。「みよしの湯」
【喪中葉書】 安藤敬司(妹)、佐藤辰男(義兄)。

11月8日(水)

昨日とは打って変わって終日雨模様である。
終日、11月例会で配布する『一遍会報』第393号の最終執筆。今週末には割付を完了し印刷まで持っていきたい。柏井正子さんから煮物が届く。有難い。
昼食で、やっと「おでん」が片付く。3日続くといささか飽きが来たので、夕食は「とりの釜飯用炊き込みご飯」(2号)をセットする。これで3食分のご飯だ。
「みよしの湯」。

11月7日(火)

正午から祝谷橋近くの喫茶店「珈蔵」で高校の友人と落ち合う。先日「エデンの園」で出会った高瀬君と梅木君である。
二人は終戦直後大陸で苦労した引揚学童であり、大学は愛媛大学に共に進学した仲間である。
高瀬君が「愛媛大学仏教会」の創設者であることを初めて知った。終戦直後の何かが背景にあるのかしれない。次回、話してもらいたいものだ。
自分の宗教への関心は中学時代に読んだ倉田百三の『出家とその弟子』が契機だが、彼の契機は実体験に根差したものに違いあるまい。
故 和田茂樹邸の句碑が「温泉の町を取り巻く柿の小山哉 子規」であることが判明した。明治二八年、漱石と道後で遊んだ時の句である。
夕、「フジ」でカツオのたたきを求める。古茂田聡君ご夫妻と出会う。「みよしの湯」。

11月6日(月)

愛媛銀行(四国八十八ヵ所支店)、二浪証券の遺産分割処理手続き。愛媛銀行主催新春特別講演会「激動する世界と日本の針路」(櫻井よしこ氏)のチケットを受け取る。10年間皆勤ヵ。
伊予銀行で一遍会10月度収支決算確認、郵便局で「リゾートトラスト」等年会費支払い、「チケット店」で郵便葉書割安購入(350枚 喪中葉書)。昼食は吉野家「牛すき鍋膳」(@650円)。「セブン」で日用品調達し、16時帰宅。

11月5日(日)

伊予史談会11月例会出席(県生活文化会館)。
講師は寺内浩愛媛大学教授。テーマは「承平天慶の乱から天慶の乱へ」。
高校時代には「将門純友の乱」は「承平天慶の乱」と習ったが、今日では「天慶の乱」と呼ばれる。なぜ呼称が変化したのかを、古代史専攻の学者として、その謎を解明する。推理小説のように、この謎解きは面白かった。但し、結論については、若干の違和感が残った。午後、寺内論文の復習。
11月は、遺産分割処理手続きのほかに、東京、大阪・奈良、南予(大洲・宇和)に出かけるので、日程を念の為見直す。いささか多忙なスケジュールである。健康に留意せねば・・・
夕、「フジ」に買出し。夜は大河ドラマ「」おんな城主直虎」。「みよしの湯」。

11月4日(土)

「喪中葉書」の文面案(親戚・知人、会社関係)を取りまとめる。
11時半、温子と毎年欠かさず鑑賞していた「坊っちゃん劇場」に出かける。今回で第11作のミュージカルは「52days〜愚陀仏庵、二人の文豪〜」である。
ミュージカルは素直に楽しめるミュ-ジカルというより教育的ミュージカルか。営業的には中・高校生の校外学習を狙ったかな。
脚本は宝塚歌劇団の石田昌也氏だけにしっかりしている。明治28年8月27日〜10月17日(52日間 子規と漱石)、大正6年(久保猪之吉、ベゴニア夫人)、平成29年(バッティングセンター)という三層構造には驚く。隣席の女教師らしき女性が眠そうに欠伸していた。
二人のときは観劇の後「利楽」で温泉に入浴、夕食を食べて、ミュージカルの鑑賞を語り合って帰宅したのだが、今回は観劇のみ。寂しい哉。帰宅は6時になる。

11月3日(金)

文化の日はやはり秋晴れである。
妻の「七の三十五日」(没245日目)であり、二人の結婚記念日でもあった。義安寺へno
墓参りの後、いつものようにメルパルクでランチ(中華)&スパ。
帰宅後「喪中葉書」の文面を考える。夕食は昨夜の「おでん」の追加分。
【→ファミリー】
今日は「母さんの七の三五日」(没245日目)です。母さんとの結婚記念日でもあり、披露宴をした「山の手ホテル」(旧川吉別館)で贅沢しようかと思ったのですが、母さんに叱られそうなので「メルパルク」のランチにします。仏壇には今年初出荷(11月1日初競り)の「真穴みかん」をお供えしました。
ちょっと「のろけ」を書いておきます。
 母さんとの出会い(見合い)は昭和35年5月15日、翌日のデイトは道後公園→石手寺→大街道(喫茶「ポニー」)。尚子さんの友人のお父さん(満野久君)が父の親友で、彼の母が本多の縁戚(長浜の黒田家)でした。
大学時代から交際話が始まりました。お互いに「運命」を感じていましたので、見合い後すぐに「結納」が交わされ、6ヵ月後に結婚しました。その間の往復書簡は60通(30通×2人)あり、大事に保存しています。父が旅立つ時には、往復書簡を持って行きたいので忘れないでください。
50年以上も昔、毎週1回の文通で将来を語り合い、信じ合うことになりました。二人のモットーは「信じあうなかに悦びを 生活の知恵のなかに稔りを」でした。以上で「のろけ」は終わります。いやはや。

11月2日(木)

10時、三井住友信託銀行、11時二浪証券で遺産分割処理手続き。相続人の「戸籍謄本」が必要なので市役所で交付を受ける。「1店1日」と考えていたが、金融機関ごとに取り扱いが微妙に違うので「1件2日」必要である。昼食は牛丼「吉野家」の「牛すき鍋膳」(@650円)、結構美味い。
午後、今月の子規句「芭蕉忌や芭蕉に媚びる人いやし」の鑑賞エッセイ執筆。HP一遍会の11月度改訂版完了、一括掲載する。「フジ」で初物の「真穴みかん」を買い求め、仏壇に供える。温子も喜んでくれるだろうか、高い買いものをと笑いながら叱るのだろうか。
夕食は豪華な「おでん」。「みよしの湯」。
【→俳友】
子規記念博物館(館長 竹田美喜氏)選句の子規さんの平成29年11月の句は「芭蕉忌や芭蕉に媚びる人いやし   子規」です。
明治31年(1898)の作品で、季語は「芭蕉忌」(冬)です。『子規全集』第三巻 俳句稿226頁(明治三十一年 冬)に掲載されている。
松尾芭蕉については解説の必要はなかろうが『広辞苑』の説明を念の為掲載する。
「江戸前期の俳人。名は宗房。号は「はせを」と自署。別号、桃青・泊船堂・釣月軒・風羅坊など。伊賀上野に生まれ、藤堂良精の子良忠(俳号、蝉吟)の近習となり、俳諧に志した。一時京都にあり北村季吟にも師事、のち江戸に下り水道工事などに従事したが、やがて深川の芭蕉庵に移り、談林の俳風を超えて俳諧に高い文芸性を賦与し、蕉風を創始。その間各地を旅して多くの名句と紀行文を残し、難波の旅舎に没。句は「俳諧七部集」などに結集、主な紀行・日記に「野ざらし紀行」「笈の小文」「更科紀行」「奥の細道」「嵯峨日記」などがある。(1644〜1694)」
『ホトトギス』誌の明治31年12月号の「芭蕉忌・選者吟」に七句掲載されている。
 芭蕉忌に何の儀式もなかりけり
 旅に病んで芭蕉忌と書く日記哉
 芭蕉忌や芭蕉に媚びる人いやし
 蒟蒻に発句書かばや翁の日
 無落款の芭蕉の像を祭りけり
 芭蕉忌や其角嵐雪右左
 芭蕉忌や吾に派もなく伝もなし
子規は、没後二百年の芭蕉が遺した句のうち秀句は僅かで、多くは悪句、駄句の類と談じているが、子規もまた没後百年を経て「遺した句のうち秀句は僅かで、多くは悪句、駄句の類」とされる。もっとも子規崇拝者は松山には多いが、彼らに対しては、子規の句「芭蕉忌や芭蕉に媚びる人いやし」の芭蕉を子規に詠みかえて、煎じて飲めばよかろう。
七句を通して読めば、子規は明らかに芭蕉翁に重ねており、「俳諧の開祖 芭蕉」と「新俳句の創造者 子規」の対比と理解するのは、評者の読み過ぎだろうか。
子規さんにあやかって
 「子規忌過ぐ子規子に媚びる人いやし   子規もどき」
 「子規忌過ぐ虚子碧梧桐右左    子規もどき」    道後関所番 

11月1日(水)

道後公民館で一遍会正月例会の申込み(会場は大会議室)。子規博で11月度子規さん俳句「芭蕉忌や芭蕉に媚びる人いやし  子規」を確認する。例の「よもだ句」だが「子規忌過ぐ子規子に媚びる人いやし  子規もどき」とすぐに句が浮かんできた。いやはや。
引き続き、伊予銀行、愛媛銀行で遺産分割処理手続き。手続きのリズムに慣れてきたようだ。会計士のミスマッチでトラブルが生じる。困ったものだ。
午後、一遍会IT会員に11月度例会案内を流す。

10月31日(火)

11月上京のスケジュール調整。国立劇場の歌舞伎「坂崎出羽守/沓掛時次郎」チケット入手。時宗本山遊行寺宝物舘特別展「江嶋縁起」、東京国立博物館「運慶」展、夜は新橋の「香川・愛媛せとうち旬彩館」での懇親を予定している。
午後、伊予銀行、愛媛銀行、JAバンク、市役所道後支所を回り、遺産分割処理手続き・・・金融機関の正確さは評価すべきだが、正直、くたびれ果てた。いやはや。
夕食は「肉じゃが」。夜は各銀行指定用紙に相続手続依頼書を作成する。「みよしの湯」。 
10月31日(火)

11月上京のスケジュール調整。国立劇場の歌舞伎「坂崎出羽守/沓掛時次郎」チケット入手。時宗本山遊行寺宝物間特別展「江嶋縁起」、東京国立博物館「運慶」展、夜は新橋の「香川・愛媛せとうち旬彩館」での懇親を予定している。
午後、伊予銀行、愛媛銀行、JAバンク、市役所道後支所を回り、遺産分割処理手続き・・・金融機関の正確さは評価すべきだが、正直、くたびれ果てた。いやはや。
夕食は「肉じゃが」。夜は各銀行指定用紙に相続手続依頼書を作成する。「みよしの湯」。 

10月30日(月)

ひさびさの秋晴れ、洗濯日和となる。居室の窓を開放して掃除、洗濯。6時起床して10時にやっと片づけが終わる。やれやれ。
11時、竃中経営と妻の「遺産分割協議書」について最終打ち合わせ。税務署への申告は一任する。各金融機関の名義変更手続きは自分が担当することにした。
講演「子規と一遍の生死観」に関し、1)はじめに 2)おわりに の構想を取りまとめる。副題は「南無糸瓜仏と南無阿弥陀仏」になろう。
夕、「フジ」に買出し,2時間かけて本格的な「おでん」づくりに挑戦する。コンビニのおでんよりは美味くできた。(大根、ゆで卵、こんにゃく、厚揚げ、ちくわ、つくね、「香吟 梅錦」。TVは「鶴瓶の家族に乾杯(三宅宏美)」「BS日本のこころ 追憶歌U」。「みよしの湯」。

【メモ】
1)はじめに
ゲーテ「若きウェルテルの悩み」(1774)〔竹山道雄訳〕
倉田百三「出家とその弟子」(1916)
ゲーテ「ファウスト」(1806〜32)〔相良守峯訳〕
○天上の序曲     「努めている間は迷うに決まったものだ。」」
○悲劇第二部(最終章)「時(間)よ止まれ! 汝はいかにも美しい。」
一遍 「最後の賦算」正応二年(1289)8月21日か22日 播磨の淡河殿の女房(入寂 8月23日辰の始〔午前7時頃〕)
子規 「絶筆糸瓜三句」   明治三五年(1902)9月18日(旧8月17日)日中
 (死去 8月19日未明〔子規逝くや十七日の月明に  虚子〕)
2)おわりに
 召命(使命 ミッション)= 職業(仕事) the call ,calling
マックス・ヴェーバー「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」(1920)(大塚久雄訳)
R・H・ト―ニ―「宗教と資本主義の興隆」(1926)(出口勇蔵訳)
 一遍 賦算          南無阿弥陀仏
 子規 文学革新(俳句)    南無糸瓜仏 

10月29日(日)

台風22号は沖縄方面から北上中。早朝、雨音に目が覚める。終日雨となる。愛媛大学「四国遍路・世界の巡礼研究センター」研究集会は残念ながら欠席する。
伊予史談会から『伊予史談』第387号入手。「歴史余話」に拙稿「宝厳寺の再建」掲載される。同誌抜き刷り版(100部)を蜂須賀理事(檀信徒総代)に届ける。
HP一遍会11月度改定作業を進める。拙稿「宝厳寺の再建」は@「熟田津今昔」第71章とA宝厳寺資料集第12号に掲載した。是非ご高覧いただきたい。
NHK大河ドラマ「おんな城主直虎」。「みよしの湯」。
【メモ】
梅津寺:創建は雪广(せつけん)禅師(1642〜1708)。長崎「興福寺」―宇治「万福寺」―松山「千秋寺」(第四代住職)―隠遁―「梅津寺」。
梅津寺は現存(但し移築再建)。

10月28日(土)

子規博に行く途上、全国障害者スポーツ大会開会式に出席される皇太子の車をお見送りする。柔和は顔はお人柄そのものだが、是非雅子妃とご一緒に全国を周っていただきたいものである。
湯築城歴史塾C(10:00〜12:00)「天文年間の河野氏と来島氏」講師は川岡勉愛媛大学教授。
昼食は梅木君と一緒に日赤病院食堂でカレーライス。
愛媛大学「四国遍路・世界の巡礼研究センター」公開講演会(13:00〜16:30)に出席。講師は長谷川賢二氏(徳島県立博物館人文課長)、テーマは「中世の四国辺路と修験道・山伏〜四国遍路形成史をめぐる一視点〜」(愛大グリーンホール)。コメントは、守田逸人(香川大学准教授)、川岡勉(愛媛大学教授)両氏。
丸一日の勉強、さすがに疲れた。夕食後復習したが、情報量が多く、改めて学習したい。

10月27日(金)

快晴である。朝の内は、土塀の雨よけテント張り、布団の天日干し、掃除、洗濯と結構忙しい。
昼前に義安寺に墓参りして、メルパルクでンチ(和食)&スパ。今日は亡妻の「七の三十四日」(没238日目)である。
14時半、「第17回全国障害者スポーツ大会 (えひめ国体)」で来松中の皇太子を伊予銀行道後支店前でお出迎えする。お宿は「ふなや」である。雅子妃はお越しではない。来年にはご即位の予定であるが、雅子妃の快復の目途がたたないだけに皇太子も大変だろうと思う。
【→ファリー】
先週末は大変お世話になりました。ファミリー全員の元気な顔を見て、大いに安心しました。台風襲来でもう一泊しましたが、松山も暴風雨になったらしく、熟し柿が200個ほど吹き飛ばされていました。母さんが居なくなったから「干し柿」ともおさらばです。
一週間の予定です。
27日(金)義安寺参詣、メルパルク(ランチ&スパ)
28日(土)愛媛大学「遍路セミナー」@、湯築城歴史塾
29日(日)愛媛大学「遍路セミナー」A
30日(月)竃中経営最終打ち合わせ→税務署申告
 3日(金)結婚記念日(披露宴をした「川吉別館」(現在の「山の手ホテル」)でランチを食べようかな。)
11月は、2回旅行を計画しています。
@10日〜12日 関西 @鐘紡「戦友会」A奈良国立博物館「法隆寺展」B薬師寺(写経)
A20日〜22日 東京 @時宗本山遊行寺A東京国立博物館「運慶展」B東京芸大美術館
宿泊は「サンメンバーズ大阪梅田と新橋」での各2泊です。
 秋も深まってきました。流感には留意して、大いに秋をエンジョイしたいと思っています。
孫たちも、いよいよ受験対策で大変ですね。「空即是色 色即是空」は『般若心経』の著名な一節ですが、少しは「空」を持つことが、逆に中身を吸収できるかもしれませんなあ。60数年前になりますが、毎日30分ぐらい道後温泉でぽかんとしていたことを思い出しました。

10月26日(木)

寒からず暑からずの気温である。庭掃除やらトイレの掃除やら食事の用意やら・・・結構家事が忙しい。布団を干すのを忘れた。
午後、子規博特別展「子規博の名品」後期「文学者正岡子規の軌跡ー文学革新の鼓動―」を鑑賞する。『松山 子規事典』の在庫が残り数冊になった由、嬉しいような寂しいような気持ちである。
11月に時宗本山遊行寺に参詣するので、併せて東京国立博物館で「運慶」展を鑑賞すべく日程を調整する。
「みよしの湯」。

10月25日(水)

午前中、関西旅行中の5日分の日記を記す。
午後は、台風で200個位落ちた熟し柿の片付け、土塀のカバー掛け、庭の掃除、草引き、散水ホースの片付けなど大忙し。
業務スーパーと「フジ」買出し。夕食は「肉じゃが」、だいぶん料理が旨くなったようだ。
野中経営との打ち合わせは、30日11時でセットする。計画とおり相続税の申告は10月末で完了する。

10月24日(火)

6時起床、道後での日常生活の再開である。
関西での4日間の記録の取り纏め。130通のメールの点検と返信で午前中は終わる。
一週間分の洗濯の後、メルパルクでランチ(洋食)&スパで心身のリフレッシュをして、義安寺墓苑を詣でる。
気温も15〜17度に下がり、リビングのテーブルとデスクに足温器を設置する。書斎用の燈油を手配せねばなるまい。
時宗本山宗務所 学頭長澤昌幸師から『一遍聖絵』と「関寺叢書『報国寺諸記録』―附『長安寺記録』―関寺霊跡長安寺」の贈呈を受ける。
【→長澤師】
 貴重な御本を拝受致しました。お心遣いに衷心より深謝申し上げます。特に、関寺叢書「『報国寺諸記録』―附『長安寺記録』―関寺霊跡長安寺」は、全く知識もありませんので、秋の夜長にゆっくりと目を通させていただきます。ありがとうございました。巻頭の関寺(長安寺)の写真は例会で会員に紹介させていただきたく、ご了承程お願い申し上げます。
先週末に上洛し、京都国立博物館開館120周年記念特別展覧会「国宝」展と龍谷ミュージアム特別展「地獄絵ワンダーランド」を鑑賞しました。日曜日は飛行機が欠航しホテルで一泊しましたので、当日の夜はガイドブックを丹念に眺めて感動を再度味わうことができました。当然といえば当然ですが、『一遍聖絵』も出展されており、多くの鑑賞者の目にふれることは有難いことだと思いました。
今後ともよろしくお願い申し上げます。
【→ファミリー】
メールありがとう。台風では、四国が孤島になったことを実感しました。東京・大阪には定宿があるので、慌てることなく対応できました。今日は松山も、まずまずの天気です。
 これから義安寺に出かけて母さんに報告してきます。母さんも「家族会」を眺めていてくれたと思います。お蔭で「相続分割協議書」等も整いましたので、月末までに税理士を通して松山税務署に届けます。
 年末の作業が可能なら、11月になったら日程を連絡してください。無理なら業者に依頼します。

10月23日(月)

6時起床。ホテルの窓から眺めると、風もなく、傘を差している通行人もいない。「台風一過」である。
サンドイッチとコーヒー、牛乳の朝食。7時にチェックアウトして、大阪駅北の高速バス乗り場で小一時間待って、8時10分発松山行きに乗車する。
湾岸道路が渋滞(クローズ?)で六甲山の北を大回りして三宮に着く、約30分遅れである。2箇所休憩して、15時松山着、7時間かかった。松山は快晴である。高速バスに「携帯」を忘れ、JR松山駅に受け取りに行き、「フジ」で夕食を調達。100何十通のメールを点検する。「みよしの湯」で寛ぎ、22時過ぎ就寝する。

10月22日(日)

朝9時から息子二人と亡妻の遺産相続分割協議書はじめ税務署届出諸書類を取りまとめる。11時、台風が九州近くに接近しており、三人で伊丹空港に急ぐ。午後3時過ぎのチケットを購入、レストランで食事をして別れる。午後の松山便はすべて欠航が決まる。リムジンで梅田にバックして「サンメンバーズ大阪梅田」で泊まる。飛行機も、四国に架かる橋もすべてクローズ、予讃線も不通となれば、四国は、松山は、孤島になった。
テレビで衆議院選挙の開票結果を断続的に午前2時まで見る。自民党の大勝である。松山(愛媛県第1区)は忽那七島の投票箱を運べず、開票が翌日に延期となる。東京人は松山は僻地を誤解するのではあるまいか。

10月21日(土)

梅田のホテルを9時にチェックアウトして、神戸の次男宅に10時前に着く。早昼を食べて、孫娘の本山南中学校文化祭に次男夫婦と出掛ける。70年振りに中学校の文化祭に触れ、中学生の会話に触れる。楽しいひとときであった。校長とトイレの連れションになり「いい学校ですね」と話しかけると「自分で言うのも変ですが、本当にいい学校です」と返事。まったくイジメを感じさせない学校であると確信した。堺さんのお宅を訪ねる。
夜は、次男宅でファミリー9名での「食事会」。

10月20日(金)

ANA松山空港発09:55で出立、伊丹空港には10:45着。リムジンバスで京都駅に直行、足も悪いので、タクシーで京都国立博物館に急ぐ。「京都国立博物館開館120周年記念特別展覧会」特別展示「国宝」展を鑑賞、3時間。
ついで、タクシーで西本願寺(龍谷山本願寺)に詣でる。台風の影響か、境内の人影もまばらで、阿弥陀堂も御影堂も閑散としている。「龍谷ミュージアム」で特別展「地獄絵ワンダーランド」を楽しむ。
「西利」前から市営バスで京都駅に出て、大阪駅には18時着。台風の前触れの豪雨。コンビニで夕食、朝食を調達し、サンメンバーズ大阪梅田に宿泊する。
夜は、2ヶ所のミュージアムのガイドブックを開き、感動を再び味わう。

10月19日(木)

昨日の講演「秋山好古と習志野騎兵旅団物語」(講師山岸良二)の復習。
午後、松山子規会10月例会出席(正宗寺)。
講演テーマは「子規、極堂周辺」、講師は二神将氏。
週末の神戸打ち合わせの資料検討。

10月18日(水)

終日雨である。
県美術館から、市駅に出て、大街道をぶらり歩いて三越に立ち寄る。「ロンジン」と「クレド−ル」の電池とベルト交換、三越サロンレストランで昼食。「アエルの明屋」で孫に手渡す「読書カード」四枚購入。
午後、秋山兄弟生誕地武道場で開催の講演会「秋山好古と習志野騎兵旅団物語」を聴く。講師は山岸良二氏(習志野市文化財審議会会長)で慶應の後輩でもある。
家を出る時にはHP一遍会の検索アカウントが「111099」であったが、午後5時帰宅してすぐパソコンを開いたら、なんと期待通りの「111111」の数字が表示されている。万歳!
「みよしの湯」。洗濯物が大分溜まったが、洗濯は来週になりそうだ。
【→一遍会会員】
 本日(10月18日)午後5時現在、HP一遍会検索アカウントは「111111」となりました。皆さんに育てて頂いたお蔭で、ささやかな宗教文化の集いが記念すべき「大記録」と「歴史」を創ることができました。ありがとうございました。今後ともご支援をお願いします。
 午後2時から山岸良二氏(習志野市文化財審議会会長)の講演「秋山好古と習志野騎兵旅団物語」を秋山兄弟生誕地にある武道場(松山市歩行町2丁目)で聴き、17時に帰宅してすぐにパソコンの電源を入れて、「111111」をしばし眺めていました。
『一遍会報』は隔月発行の建前ですが、平成28年度は毎月発行しております。例会講師のお蔭と感謝しております。一遍会の運営は経営的には決して楽でありませんが、なんとかやっています。お知り合いの方に呼びかけていただき、会員を増強していただきたく、重ねてお願い申し上げます。

10月17日(火)

終日雨。神戸でのファミリー打ち合わせの資料等点検終了。午後、屋内の全部屋と廊下の掃除に精出す。
「風早歴史里山資料館」開催の「風早別府氏館と一遍聖絵の旅展」について重松光則氏と電話。元「北条ふるさと館館長」の由、一遍会にも顔を出したこともあり、老生のことを知っていた。粟井駅近くの自宅で定年後開設した私設資料館の由。11月末までに休日に挨拶を兼ねて訪ねることにしたい。
湯之町の果物屋で「中山の栗」が出ていたので買う。店主に「茹でる時間は20分。少々塩を振りかける。」というアドバイスをもらう。
早速、4分の1を茹で、4分の1を冷蔵庫、残り2分の1は冷凍庫。スプーンに乗せて口に運ぶ。うまい。
「栗ご飯」に挑戦するか。
【メモ】
風早歴史里山資料館 090-3187-4801(鹿峯202)
北条ふるさと館 089-993-3266

10月16日(月)

終日雨、全国的に初冬並みに気温下がる。厚手の肌着に着替える。
衆議院議員選挙と県会議員補欠選挙の期日前投票を済ます。
期待した「希望の党」の体たらく、共産党に入れる訳にもいかず・・・愛媛県は自民党の圧勝に終わるのではないか、な。
一遍会10月度定期便等25通発送、一件落着。
温子の遺産分割協議に関する資料、手続き等の整備、点検。
夕食は「おでん」のような「水炊き」のような「はてなの鍋物」を用意する。「にごり酒」も飲み、冬到来?を自覚する。
「みよしの湯」。

10月15日(日)

秋雨の中で庭の木蓮の香りが快い刺激になる。
午前中、一遍会インターネット会員宛「10月度定期便」の封筒挿入作業。併せて遊行寺の長澤昌幸師宛に『一遍会報』欠号補充の取りまとめ、明日郵便局から発送予定。
午後、「生死の執着と安心」について、『一遍語録』の消息法語の視点から改めて考察する。
NHK大河ドラマ「おんな城主直虎」。「みよしの湯」。
【メモ】読売「地球を読む」山内昌幸
◎ヘロドトス 代表的政体
@独裁政:ペルシャ人は責任を問われない君主の独裁
A寡頭政:スパルタ人は度し難い貴族の寡頭政
B民主政:アテナイ人は混じり気なしの自治の民主政
◎プルタルコス 失敗のプロセス
@独裁政:無責任さが暴力を
A寡頭政:図々しさが横柄さを
B民主政:その平等さが無秩序を生み出す
【メモ】
@子規 横顔の写真の裏面の俳句   阿弥陀死期 
A正岡子規 随筆「死後」
B正岡子規の死の数日前の言葉「さとりとは、平気で死ねることかと思っていたが、実は
いかなる場合も平気で生きていることだった。https://www.facebook.com/koumyoujitemple/

10月14日(土)

ファミリーと来週末の相続分割書の打ち合わせについての最終調整。
午後、一遍会9月例会(道後公民館)。
講師:杉野祥一:『一遍語録』を読むR「消息法語を読む」
卓話:三好恭治:『与陽盛衰記』遊行上人由来の事
理事会で@一遍会平成29年上期収支決算A理事慰労会の検討並びに打ち合わせ。
引き続き、湯築城月見会に参加。お茶席、落語目白亭小弁さん(学習院卆)の「皿屋敷」、紙芝居「伊佐庭如矢」「道後ぶらぶら歩き」を見る。お茶席では田中弘道氏夫人、寄席では柿原さん、その他ではボランティアの面々と雑談、大いに楽しむ。もっとも名月は顔を出さなかったが・・・
NHK「ブラタモリ」は「黒部ダム」。何度も出かけたが、タモリの博識にはまいったまいった。「みよしの湯」。
【メモ】
子規の横顔の写真の裏面の俳句

10月13日(金)

時宗宗学林学頭 長澤昌幸師から依頼のあった『一遍会報』の(1〜3号、297号〜)を調査、欠如分は本誌から複写する。セブンに数回出掛け、やっと夕方に印刷完了。やれやれ。
温子の「」である。義安寺の墓苑を詣で、メルパルクでランチ&スパで息抜きする。腰痛は一進一退気味である。来週末には上阪するので回復せねばと思っているのだが・・・
【→ファミリー】
 今日10月13日は「母さんの七の三二日」(二二四日目)です。義安寺の墓参りを済ませ、メルパルクでランチ(和食)&スパをエンジョイして先程帰宅しました。昨日の夕食は「おでん」に挑戦しました。コンビニの@200円の「おでん」とどっこいどっこいでした。
今日の午前中はコンビニで「一遍会関連資料」の印刷をしていました。『一遍会報』は今月で第393号になります。第1号から最近号までを取りまとめて、本山である藤沢の遊行寺(清浄光寺)に寄贈する事にしました。本山でも大変喜んでくれています。『松山 子規事典』と併せて、『一遍会報合本』で本年度のプロジェクトは終わりです。やれやれ、
来年は、@春までに「母さんの記録」とA年末までに「道後三好家物語」を取りまとめる予定です。恒治、淳志ファミリーで母さんのことを文章として寄稿してくれるのであれば、「母さんへの追憶」をパソコン印刷したいのですが・・・いかがですか。
一週間の予定です。
13日(金)義安寺墓参(七の三十一日) メルパルクランチ&スパ
14日(土)一遍会10月例会(父の講演「『与陽盛衰記』遊行上人由来の事」) 湯築城月見会
15日(日)一遍会インターネット会員への定期便
18日(水)「坂の上の雲」秋山兄弟講演会
19日(木)松山子規会10月例会
20日(金)松山→大阪 京都国立博物館「国宝」展(「サンメンバーズ梅田新道」泊)
21日(土)神戸
22日(日)神戸 → 松山
23日(月)義安寺墓参(神戸のことを母さんに報告します)
打ち合わせに必要な資料は揃えておいてください。寒くなってきました。風邪にご用心。
尚子さん、週末はお世話になります。

10月12日(木)

午前中、一遍会10月例会準備完了。午後「しげまつ」で理容、3ヶ月振りか。
アフターヌーンブレイクはAGFblendyのココアとカフェオレで楽しむ。
夕方、時間をかけて「おでん」に挑戦する。
3週間ぶりにTV「プレバト」を見る。夏井いつき宗匠選「錦秋賞」の受賞者は東国原さんの句「紅葉燃ゆ石見銀山処刑場」。9月に石見銀山に出掛けただけに光景が目に浮かんだ。
「みよしの湯」。
【0・T氏(宇和中同期会)→】
  幼きより共に学びし級友の みまかりし報せ聞きて悲しき
正月には賀状を貰ってまだまだお元気のことと思っておりましたのに、三月に亡くなられたとのお葉書を貰い驚いております。近所に居る同級生にも知らせましたらやはり驚いておりました。
 温子さんの性格からですとご夫婦仲も大変良く、良い人生であったと拝察いたします。これからは淋しくなられるでしょうが、温子さんの分まで長生きされます様、謹んでお悔やみ申し上げます。

10月11日(水)

昨日に引き続きの秋晴れである。気分は爽快、もっとも無茶に歩くのは慎みたい。
市役所道後支所で@住民票A印鑑登録書類を申請・受理。
使い慣れたパソコンXPの予備パソコンに「スキャン」「プリント」機能をセットアップし、『広辞苑』をインストールする。これでまだまだXPをワープロ専用で駆使できそうだ。やれやれ。
リビングを模様替えして「スキャン」と「プリント」を書斎から移動する。夜はリビングで過ごすことになるか。
表庭の草引き、一時間程で暑くて退散する。
「みよしの湯」。

10月10日(火)

午前中、「ダイキ」で一遍会10月例会配布資料500枚印刷。大事をとって伊予鉄を利用する。
午後「友隣サミット」。渡部君は、愛媛国体陸上最終日の審判の大役であったが、14時に駆けつけてくれた。ご苦労様。
大分、腰痛も薄まり、この調子だと明日からは自由に動くことができそうだ。「みよしの湯」。

10月9日(月)

腰痛の再発を気遣って、ノンビリと一日を過ごす。
ゆっくり歩いて宝厳寺で「一遍会10月度ニュース」用の写真を撮る。メルパルクでランチ(中華)&スパ。義安寺墓参後、「フジ」で買い物。帰宅後、2時間ほど横になり、身体を休める。。
『寺社と民衆』第十三輯(2117)入手。石塚誠論文「『一遍聖絵』に描かれた「実景」と一遍の遊行地」を読む。「一遍会10月度ニュース」最終稿執筆。
   
10月8日(日)

腰が痛む。2月の腰痛の悪夢が頭をよぎる。あの時は温子が傍らにいたから介護もしてもらえたし、車椅子で奥島病院に連れて行ってもらえたが・・・現在は独居である。 
朝8時、世話人が集まり秋祭りの提灯の片付け。さすがに重いものは持てず、杖を付いて見ているだけにした。
9時半伊予史談会10月例会(県生活文化会館)。自転車で恐る恐る移動する。
1)山内治朋(はるとも)県歴博専門学芸員「高虎と嘉明の時代―県歴博特別展の紹介とともに―」
2)田中修司 「十円易者・村上桂山探訪」
対照的な報告であった。田中氏は近刊の『十円易者・村上桂山・風狂の路上人生―狂わざれば生ける屍』のエッセンスであるが時間切れとなった。
山内氏の資料中「加藤嘉明知行目録(柳澤加平次宛 慶長6年(1601)5月21日)に弐百石余のうち「百三拾五石者 湯郡 湯之山内」とある。
帰宅後は食事(昼食、夕食)の支度以外はもっぱら椅子に座っての読書に充て静養に努める。大事にいたらねばよいのだが・・・・・
@『文芸春秋』J「大特集 中国の本当の話をしよう」
A『高虎と嘉明 転換期の伊予と両雄』(県歴史文化博物館特別展図録)
B「ラップ-アイ」創刊号(野村證券)
「みよしの湯」。NHK大河ドラマ「おんな城主直虎」。

10月7日(土)

早朝5時頃から、秋祭りの神輿の宮出しのざわめきが聞こえてくる。喪中でもあり、神輿の鉢合わせも見物せず。
一遍会10月例会配布資料の原本(A4版14頁)作成。パソコン、プリンターのミスマッチがあり苦労する。
@『一遍会報』第393号「真言僧から見た神仏習合」(前園実知雄氏論文)
A例会講話レジュメ「『与陽盛衰記』遊行上人由来の事」(三好)
B「一遍会10月度ニュース」
C「一遍会10月度理事会資料」
午後から夏物を取りまとめ,8の日がサービスデイなので明日クリーニングに出す。スーパーで買いもの、表庭の草引きなど。祭りらしくない平凡な一日となる。

10月6日(金)

朝一番に「母の七の31日(没後二百十七日)」をファミリーに連絡、午後には返信が届いていた。
「四国がんセンター」の年1回の定期検査。大街道7時半発の新居浜行きのバスがなくなっているではないか。タクシーで松山市駅に行き、横河原腺で梅本駅下車、バスに乗り換えて8時にセンターに到着、やれやれ。
数値は1年半変わらず、尿蛋白も(−)で、まったく問題なし。来年10月15日(月)で検査を予約する。
途中下車して、これまた年1回の「鷹ノ子温泉」入浴。個人的には、温泉の泉質は道後郷の中でベストと思っている。肌がヌルヌルの状態になる。@800円の豪華なランチを食べて、セット1,200円は投資効率もベストである。
【→ファミリー】
今日10月6日は「母さんの七の三一日」(二一七日)です。朝から四国がんセンターに出掛けますので、義安寺参詣は明日にします。
一週間の予定です。14日(土)は一遍会10月度例会があり、父が「『与陽盛衰記』遊行上人由来の事」というテーマで講話しますので、来週はお勉強に当てます。いやはや。
 6日(金)四国がんセンター(年1回定期検査) 鷹ノ子温泉 
 7日(土)義安寺墓参(七の三十一日) メルパルクランチ&スパ
 8日(日)秋祭り後片付け(世話人会) 伊予史談会例会
10日(火)友隣サミット(小・中学仲間の会)
13日(金)義安寺墓参(七の三十二日) メルパルクランチ&スパ
21日(土)の神戸行きですが、午前の便は満席でした。ツアーが入っているようです。という次第で、新幹線かバスを利用します。お昼には神戸に着きます。来週末、キップを手配してから連絡します。

10月5日(木)

気温も20〜25度Cとなってきたので秋冬向きに模様替えする。
まずは、扇風機を片付け、書斎とリビングに炬燵台と掛け布団をセット、応接室の長椅子にはダウン毛布を敷く。仏壇はじめ客間の座布団は厚手に切り替える。ベッドの掛け布団は重ね用を準備、衣類も夏物から合い物に切り替える。
家内を喪うと何から何までやらねばならず、正直うんざりする。週末には夏物をクリーニング屋に持参せねば・・・いやはや。
22日神戸で打ち合わす「相続協議書」関係書類の準備をファミリーに連絡。
「みよしの湯」

10月4日(水)

朝8時、道後秋祭りの提灯設置の為世話人が拙宅に集合する。毎年のことではあるが、世話人の高齢化が気になる。
10時、「エデンの園松山」を訪ね、十数年ぶりに高瀬光一君と会う。体調不良と聞いていたが、まずまずの健康状態なので安心する。
終戦で朝鮮から引き上げただけに「自分史」に記憶を書き留めておきたいと張り切っているようだ。夫人が松山出身であり、この老人施設を選んだようだ。私室に招かれ、夫人と3人で話をする。
バスの便が悪いので、30分ほど歩いて帰宅する。5,800歩だから約4キロか。途中、障害者の福祉施設で昼食。
HP一遍会の10月度改訂分掲載。メールは高瀬、梅木、勝岡、尚子さんほか。夕、東京から墓参で帰郷していた荒木仁美さん(温子の従姉妹)の弔問。健保連の健康診断申し込む。
「みよしの湯」。

10月3日(火)

朝,雨が降っていたが、そのうち止む。
一遍会第2四半期収支決算作業、銀行口座との確認を済ます。上期は収入(会費)多く経営は安泰である。
10月度理事会資料作成。
@第2四半期収支決算報告
A平成30年度例会講師(案)
残りはB「一遍会10月度ニュース」C例会卓話レジュメ「『与陽盛衰記』遊行上人由来の事」の最終原稿確認のみとなった。
マスコミに『松山子規事典』に大きく掲載される。愛媛と読売は切抜き保存する。
「みよしの湯」。
【メモ 湯浴み着のある温泉 読売20171003】
@諏訪市温泉旅館「萃 SUI−諏訪湖」
Aみなかみ温泉旅館「宝川温泉  汪泉閣」

10月2日(月)

公民館で一遍会12月度例会(視聴覚室)予約。
11時、『松山 子規事典』出版記念会出席(東京第一ホテル)。出席者は100人超で盛大であった。B席で竹田美喜(子規博)、小沼大八(一遍会)、武内哲志(坊っちゃん会)、石山竹揚(吟詠剣詩舞連盟)、石崎学(松山東高)、松元啓治(坂雲ミュージアム)と子規会ホスト役は今村さんと老生。奈良から正岡さん、京都からは和田克司夫人が出席。マスコミ、金融関係者が多く、驚く。烏谷事務局長の人脈に驚く。
昼の酒でもあり少々疲れた。帰宅後「みよしの湯」、ノンビリする。「かまぼこ板の絵」葉書の返信が届く(田頭洋子様、増井禎子様)。

10月1日(日)

朝7時に剪定職人来る。松一本を一人一日の作業ヵ。午後2時に引き上げ。冬には庭木を10本近く伐採して、庭の整備に取り組みたい。
9時半から小一時間、道後公園前で天皇・皇后両陛下の歓迎出迎え。宇都宮夫妻と並ぶ。
ご宿泊所の「全日空ホテル」まで電車道は両側とも市民で埋め尽くされている。
何十年振りの光景だろう。まさに「国民統合の象徴」であるし、あり続けて欲しいものだ。
晃子さんがぶどう持参、お返しは熟し柿とケール(青汁葉)。
午後、2時間あまり、亭庭の草引き。表から座敷庭を通って亭庭から茶室「温故亭」に通じる道だけは、やっと整美出来た。
NHK大河ドラマ「おんな城主直虎」も新しい局面にさしかかった。NHKスペシャル「人体」が一年間シリーズで開始。初回は「寿命を決めるのは”腎臓”だった」。必見の情報であろう。
9月30日(土)

朝ドラ「ひよっこ」最終回。旧知の天野隆子さん(NHK時代考証担当)にメールを送る。早々に返事をもらう。
只今放送中の土曜ドラマ「植木等とのぼせもん」と、来週からテレ朝で始まる昼ドラ「トットちゃん」も天野さんが考証している由。
湯築城歴史セミナーB「城郭瓦の出現と展開」。講師は加藤理文氏(公財・日本城郭協会理事、教員)。考古学者としては沈思型ではなく情熱型。熱っぽい話しに聞きほれる。「城郭瓦は移動する―瓦が、職人は、城主が・・・」が印象的。四国地方の瓦葺建物の出現はじっくりと復習したい。
神尾、梅木、田中、江刺氏ら歴史フアンと顔合わす。梅木君とメルパルクでランチ&スパ。
道後派出所で明日の天皇皇后両陛下出迎えの細部情報を聞く。
【→天野さん】
ご無沙汰しております。今朝、朝ドラ「ひよっこ」最終回を視聴しました。昭和30年代の青春群像の時代考証、ご苦労様でした。ありがとうございました。
昭和33年4月から39年3月までの6年間、繊維工場の舎監として青春を送りました。寮生は500人で、早勤・遅勤・昼専の3部体制でした。寮生の出身地は新潟・富山・長野・岐阜の山村が中心でした。
ドラマの展開を通じて、かつての寮生の中に、テレビの登場人物の「実像」を求めていることもありました。繊維工場は中卒者が中心で、昭和36・37年頃からナショナルやソニーが高卒主体の女子工員の求人を開始しました。実に楽しかった番組でした。
11月には例年工場のOB.OG会がありますので、「ひよっこ」が大いに話題になるだろうと楽しみに参加する予定です。
子規生誕150年を記念して松山子規会で『松山 子規事典』を刊行しました。老生も執筆しました。売れない本ですので、東京では国会図書館のみかなと思っています。将来、この辞典が時代考証でお役に立てれば幸甚です。まずは御礼と近況報告まで。

9月29日(金)

ファミリーに妻の「七の三十日」(没後二一〇日)のメッセージを送る。半時ほど、東の草引き。
月1回の奥道後温泉「壱湯の守」のランチバイキングとスパに出掛ける。定期バスが20分以上遅れ、一台前のバスに乗車。国体で天皇・皇后両陛下の行幸・行啓の交通整理の為らしい。
バイキング会場が「錦晴の間」に変更、600人の定員に20名では風邪引きそうである。係員に聞くと、国体で朝夕600人の食事となり変更になった由。成程、成程。
この大広間は、10数年前か、坪内洋輔氏の結婚披露宴に招待されてのでよく記憶している。隣席は作家の青山淳平氏と山の手ホテルの若手社長帽子大輔氏であった。青山氏とはこれをご縁に昵懇になって一遍会の常連講師になっていただいた。帽子氏(高野山大学仏教学部卒)は自民党の県会議員でもある。
それにしても、バイキングの味の悪いというか、正直不味い。温かい料理が提供されていない。困った事だ。
大温泉は、浴客はチラホラどころか、チラ1名のみであり、料理の不味さを帳消しにしてくれた。岩風呂と寝湯でノンビリする。
帰途、義安寺の墓地お参り。義安寺住職夫人三代と出会う。先々住夫人は100歳近い筈だ。
前園実知雄氏から『一遍会報』校正原稿が届く。有難い。

9月28日(木)

竃中経営の税理士から「遺産分割協議書」と「税務署提出書類」を受け取り段取りを決める。ファミリーに連絡、10月21.22日神戸に出掛けることにした。
午後、2時間あまり亭庭の草引き。まだまだ暑く、汗びっしょりになって「三好の湯」に飛び込む。「フジ」を見て歩く。
今晩はTV「プレバト」もないし温泉にも行かないので、早めに就寝する。
衆議院解散。「希望の党」に「民進党」が合流、左派系はどう動くのか。「自民党」と「希望の党」(非自民・非共産)の保守2大政党制が確立すると次は憲法改正ヵ。

9月27日(水)

午前中、メール作業。
@前園実知雄氏に『一遍会報』割付(案)照会。
A江刺氏に「国宝『一遍聖絵』びっくりポン」の反響報告。
B八束氏に次年度の例会講話の依頼。
C高瀬君との面談アポイント。
Dファミリーに近況連絡。
正子さんから「さといも」、早速昼食で頂く。
午後、座敷庭2時間草引き。
10・11月旅行計画検討。体調を整えてエンジョイしたいものだ
@10月第4週:ジパング倶楽部企画「3日間四国乗り放題(@8,800円)」で高知(歴史博物館、民俗博物館、久礼市場の戻りガツオ)と金毘羅詣
A11月12日(日)人事労務OB.OG会、19日(日)大垣工場OB.OG会にあわせて、京阪奈と東京の博物館と演劇めぐりと妻の供養で薬師寺の写経。「おんな城主直虎」ツアーがあれば参加したいものだ。
「椿の湯」の休業で、今日から「三好の湯」。
【→ファミリー】
『松山 子規事典』がお手元に届いた由、安心しました。分量も結構多いですから、暇な時に眺めてください。「龍穏寺「義安寺」は載せました。恒治は、週末に神戸に帰ったときに目を通してくださいな。
「捨聖一遍と宝厳寺」「伊予の英学と松山中学」「道後と庄屋三好家」を85歳までにまとめようと「挑戦中」です。来週、同期が住んでいるので「エデンの園」に出かけます。
先週木曜日の「プレバト」俳句は実に面白かった。受験生が俳句をやると「開成高校」並みの国語の読解力がつくのかな。月曜日の「日本のうた」と日曜日の「おんな城主直虎」と「朝ドラ」だけは必ず見ています。
「飛鳥乃湯泉」は昨日オープンしました。「一番風呂」は一昨日の15時から並んだ松山大学生でした。「椿の湯」の帰途、彼と「温泉談義」をしました。好青年でした。
庭のマンジュシャゲもきれいに咲いています。まずは、近況報告まで。

9月26日(火)

正子さんに『松山 子規事典』を贈呈。義安寺詣での際柿原さんに会った由。郵便局で「かまぼこ板の絵」葉書20枚投函。「レディ」で「ゴキブリホイホイ」調達、シーズンオフになったのか大特価である。
中西君に出会う、自宅の風呂を改造して温泉行きは止めた由。また一人元気者がサミットから消えてしまった。いやはや。
『一遍会報』第393号、割付完了し。やれやれと珈琲ブレイク中に、前園実知雄先生から7月例会講話「真言僧から見た神仏習合」の原稿が届く。有難い。
午後の庭の整備は中止して、急遽第393号に掲載すべく割付する。6頁になる見通しである。当方の論文は次号送りとする。

9月25日(月)

朝一番に郵便局から『松山 子規事典』送付。宇和の義姉に連絡する。
賀状ファイルを取り出し、温子の友人宛に秋彼岸にあたってのメッセージを「かまぼこ板の絵」葉書に印刷し宛名を書く。温子は親しい友人に賀状は「かまぼこ板の絵」葉書であったので、当方の思いは理解してくれると思う。温子への思い出を返信してくれれば有難いのだが・・・
午後、座敷庭と東の除草作業2時間。
「椿の湯」。「飛鳥乃湯泉」は明日7時オープンであるが、既に松山大学生(福井義規君)
が最前列で待機している。
「道後ビール」の分店もオープンしておる。こちらは「立ち飲みバー」で、テイクオフもOKである。
衆議院解散、「希望の党」、パンダ命名「香香(シャンシャン)」など、ニュースも多彩である。

9月24日(日)

朝9時過ぎに外出。
県図書館で貸し出し本の返却、県美術館で9月10日に鑑賞した展示を再度鑑賞する。ジュンク堂で新刊本のかおりを嗅ぎ、ランチは田中さんの子息夫妻が経営している「アジアンレストラン」でシンガポール・カレーライスを食べる。食後のコーヒーは「セブン」で100円珈琲で休憩する。
午後「子規・漱石生誕150年 正岡子規のふるさとシンフォニー 〜春や昔を楽しもう!〜」(13:30〜15:30 市民会館中ホール)出席。新井満氏の企画演出ヵ。他の出演者は、青木亮人氏(愛大教育学部准教授)、神野紗希氏(俳人)。
新井満氏との「出会い」は10年前からである。日本ペンクラブ総会が松山であり、その時に「この町で」が生まれた。これ以降、新井満氏が来松のたびに温子とシンポジウムやコンサートに出掛けた。
その後、『春や昔』の発表会で、抽選で「春や昔」(ディスク)」を頂戴し、わが家でこのメロディーを楽しんだ。約2時間、「この町で」「春や昔]のメロディーで妻のことを思い続けて涙すら出た。「この街で」の一節はじ〜んと来る。

「この街で 生まれ この街で 育ち この街で出会いました 
 あなたと 出会いました あなたと この街で
 ・・・・・・・・・・
 ・・・・・・・・・・
 この街で いつか おじいちゃんになりたい
 おばあちゃんに なったあなたと 歩いて ゆきたい
 いつまでも 好きなあなたと 歩いて ゆきたい」

 夜「椿の湯」。明後日から年末まで、改築の為、平常となる。「椿の湯サミット」もしばらくは休会となった。

9月23日(土)

秋彼岸の日を迎える。
午後から、宝厳寺の大施餓鬼法要に一遍会として参加する。小沼代表、今村理事と同席する。
妻の友人へ年末の「喪中」通知に代えて「かまぼこ板の絵」葉書を送る文案作成。本多の義兄、ファミリーに送る『松山 子規事典』の包装を済ませる。
夕2時間余、座敷の草引き。かなりきれいな庭によみがえった。
夜、トラブっていたパソコンメールの「修理」作業がやっと成功する。やれやれやっと半月前のメールの状態に戻ってくれた。
【→温子のお仲間】
秋の彼岸を迎えました。
ことしの春三月四日に、五六年間ともに過ごしてまいりました妻 温子(旧姓本多)を喪いました。いまは「三光院春雅温妙大姉」として、菩提寺である道後の義安寺に眠っております。九月初旬、カルスト高原を散策し、城川に立ち寄り、大洲でぶどう狩りと、例年通りの南予の一日を過ごしました。
宇和小・中学校、高校の同期の方、芦屋・神戸のPTAのお友達、松山の琴や卓球のお仲間・・・暖かい友情をいただきありがとうございました。
「かまぼこ板の絵」を通して、妻からの生前の感謝の気持ちをお伝えさせていただきます。有難うございました。長生きしてください。お幸せに・・・

9月22日(金)

朝から終日雨である。
一遍会10月度例会卓話「『与陽盛衰記』遊行上人由来の事」のレジュメ、A4版2頁にとりまとめる。原本の「遊行上人由来の事」が3頁分ある。『一遍会報』第393号試し印刷。
昼、メルパルクでランチ(中華)&スパの後、義安寺の墓に詣でシキミと線香を供える。温子の「七の二九日」(二〇三日)である。
週1回の墓での「デイト」は、健康でさえあれば、死ぬまで続けたいと思う。「夫婦愛」という概念が、やっと自分なりに分かるようになった。
パソコンの容量オーバーで作業中混乱したが、ローカルディスクCからF(外付け)に子規関係データを移動させた。随分軽く動くようになった。
ファミリーに週1回の定期便メールを送る。
【→ファミリー】
朝から雨が降っています。今日は「母さんの七の二九日」(二〇三日)です。明日が「秋の彼岸」ですから、お墓に樒をお供えしてきます。
先週は「石見銀山日帰りツアー」(16日)、、子規忌エベント(19日 子規博 子規会9月例会)がありました。
子規忌に合わせて子規会編集の『松山 子規事典』が出版されました。父も60数項目執筆しています。母さんが3月に亡くなったので最終のまとめの時期に編集からは手を引きました。
週初に本多と神戸ファミリーに郵送します。孫たちが松山のことを好きになってほしいと願っています。
26日から「椿の湯」は年末まで閉鎖になります。いよいよ「飛鳥乃湯泉」の開場です。当分は混雑しそうですから「三好温泉」で辛抱します。いやはや。
28日に「野中経営」と打ち合わせをします。
今週の予定
22日(金) 義安寺墓参  メルパルク(ランチ&スパ)
23日(土) 宝厳寺施餓鬼法要
28日(木) 野中経営打ち合わせ 
「遺産分割協議書」「相続税申告書」の書類を送ります。「書留」です。
25日(月)〜29日(金)の日中は市内の文化行事を見て歩く予定です。「留守番電話」をセットしておきます。
「行楽の季節」ですが、孫たちは「勉学の季節」でしょう。それぞれに、頑張って、この秋をエンジョイしていきましょう。

9月21日(木)

『一遍会報』第393号割付ほぼ完了。
1)論文「一遍と子規と 〜生死の執着と安心〜」
2)例会報告(6月度〜9月度)
明日から一遍会10月度例会卓話「『与陽盛衰記』遊行上人由来の事」のレジュメを執筆する。
午後2時間、座敷等の草引き。「椿の湯」

9月20日(水)

昨日の「糸瓜忌」の配布資料等の整理。
一遍会10月度例会内容をマスコミ、ミニコミに流す。
1)講話 杉野祥一理事「『一遍語録』を読むR 「消息法話」
2)卓話 三好恭治理事「『与陽盛衰記』遊行上人由来の事」
『松山 子規事典』代金(@3,780×4冊)郵便局から振込み。
午後、2時間座敷の草引き。
松山市から子規・漱石・極堂生誕一五〇周年記念式典の招待状が届く。当日は一遍会10月例会があり、残念ながら欠席。
『一遍会報』第393号掲載の拙論「一遍と子規と 〜生死の執着と安心〜」の執筆。

9月19日(火)

「糸瓜忌〜子規追悼の集い〜」参加(10:00〜 子規博)。
記念講演は、竹田美喜館長「子規最後の帰省 ―松風会と『俳諧大要』―」。文献からの纏めであるが、豊富な資料に驚く。大いに活用できそうだ。
明治28年8月6日漢詩「正岡行」の決意「ただ期す 青史に長く 姓の正岡を記さんことを」は調査中の文献であった。
午後、松山子規会9月例会出席(13:30〜 正宗寺)。
子規忌法要(墓前祭、本堂)に続いて記念講演は正岡明氏(子規研究会主宰)「子規との不思議な縁 ―生誕百五十年に寄せて― 」。明氏は子規の妹「律」の養子「忠三郎」の次男で、忠三郎は加藤拓川の三男に当る。身内しか知らない話だけに興味深かったが・・・
記念撮影では、正面が正岡明氏と井手康夫子規会会長、次いで今村威副会長、老生(評議会議長)が並ぶ。
10数年かけて松山子規会が編集した『松山 子規事典』の贈呈を受け、個人で4冊購入。平岡英編集局長の車に同乗して17時帰宅する。疲れた。
珍しくビールを飲み「椿の湯」でのんびりする。

9月18日(月)

台風一過といいたいが、爽やかとはいえない天候である。午後になって、天候は回復する。
5時半に起き、朝食、ガラス戸や窓を開け、掃除、洗濯を済ませると10時である。3日間買いものに出掛けなかったので冷蔵庫はガラガラである。フジで食料品を調達する。
『一遍会報』第393号掲載の拙論「一遍と子規と 〜生死の執着と安心〜」の執筆が順調に進み、編集開始。前園実知雄氏(6月度例会講師)宛『一遍会報』原稿督促、竃中経営に打合わせ日程の照会。
夕、座敷の草引き1時間。3日ぶりに「椿の湯」。

9月17日(日)


九州に台風は上陸した由。午前中はどうにか保っていた天気も、午後、四国(高知県)に再上陸、本格的な降りになる。風はそれほど強くない。
昨日のバスツアー「世界遺産石見銀山龍源寺間歩・大森の町並み」の感想を取りまとめて、日記と神戸ファミリーに知らせる。
午後、数日間苦労していたパソコンのミスマッチの修理だが、パソコン技術指南役の勝岡昭さんのアドバイスを得て悪戦苦闘、やっと修正できた。やれやれ。HPの容量を超える内容をダウンロードした事が原因であった。一件落着。ほっとして、午睡。
一遍会新加入の小島さんとメール交換。今年、ルター宗教改革500年で10月にドイツに出かけるとか。当方は、大塚久雄氏『宗教改革と近代社会』を再読するか。
NHK大河ドラマ「おんな城主直虎」を見る。

9月16日(土)

読売旅行企画「語り部と歩く! 世界遺産石見銀山龍源寺間歩・大森の町並み」に参加。石見銀山が世界遺産登録から10周年である。台風情報が流れ、雨の中でのツアーになった。幸い豪雨にはならなかった。中型バスで23名、夫婦連れと女性グループと1名参加が2名。
6時に家を出て7時過ぎに市駅からツアーバスに乗って13時前「石見銀山」に到着、傘をさし杖をついて銀山と大森の町を6キロ3時間ぶらつく。登山靴を履いていたので助かった。
16時10分に現地出発、松山へは21時着で、21時30分帰宅。ビールを飲んで22時過ぎに就寝、80歳を越えたシニアとしては正直ハードであった。
戦国期に、島根(石見国)の山中に人口20万人という日本有数の巨大な「産業都市」が存在したことする想像できないが、一見の価値は大いにある。佐渡の「金山」、別子の「銅山」に次いで、大森(石見)の「銀山」を見学できてラッキーでした。
ガイド付きの団体行動で、6キロの後半2キロは「苦行」で、1回転げた。温子と一緒であればが、温子の肩に手を置いて歩くので安心なのだが・・・
石見銀山公園(BS)―(銀山ゾーン)―龍源寺間歩―(武家・町屋ゾーン)―町並み交流センター―(代官所ゾーン)―代官所前ひろば(BS)
有料施設は@龍源寺間歩(まぶ)A石見銀山世界遺産センターB羅漢寺五百羅漢C代官所地役人旧河島家D重要文化財熊谷家住宅E勝源寺F石見銀山資料館(大森代官跡)の7箇所で総計3,100円。ガイド料は@1,000円。スーパーマーケットもコンビニも見かけない、どこかに隠しゾーンがあるのかな。「石見銀山」というより「大森銀山」の方が、歴史マニアにとっては親しみを感じるが・・・

9月15日(金)

温子の「七の二八日」(196日)、義安寺に墓参りして「メルパルク」でランチ(和食)&スパ。
午後は、次号の『一遍会報』掲載予定の拙論「一遍と子規〜生死観をめぐって(仮題)」の執筆に専念する。
【→ファミリー】
今日は、母さんの「七の二七日」(189日)です。
数日中に「台風襲来」とのことですが、今のところ一応落ちついています。今日は義安寺に詣で、「メルパルク」でランチ&スパーを楽しんできます。
孫たちは第2学期が始まって、学校行事も多く慌ただしいようですね。変わりはありませんか。
今週は、子規会役員会(7日)、一遍会(9日)、史談会(10日)、サミット(12日)と結構多忙でした。12日夜の松竹歌舞伎(橋之助の芝翫襲名興行)が息抜きでした。サミットでは、近くの祝谷の「前方後円墳」の発掘説明会の報告がありました。
明日(16日・土)日帰りバスツアーで「石見銀山」に行きます。6キロほど歩くので、父としては「一生懸命に歩く」旅になりそうです。
19日(火)は子規会9月例会(子規忌)です。仲間と10年来研究してきた『松山 子規事典』が出版されます。父の執筆は70項目ほどあります。ささやかなライフワークのひとつです。恒治、 淳志分は用意しました。楽しみにしていてください。
三連休に入りますが、恒治は東京で仕事ですか。若くはないのですから体調にはくれぐれも留意してください。
淳志ファミリーはドライブ?ですか。孫たちの勉強で遠出は無理ですね。ともあれ、「天高く馬肥える秋」・・・健康的に過ごしましょう。みなさんにおよろしく。

9月14日(木)

午前10時頃、パソコンアドレス150名分の「移転作業」がやっと完了、メール返信を慌てて済ます。インターネット会員への一括送付の手順も完了、「必要は発明の母」であることを実感する。一件落着、やれやれ。
ファミリー個々に一筆啓上(恒治、淳志、泰世、史晃、弘華)。
午後2時間、座敷庭の草引き。夕、ひさしぶりに「肉じゃが」をつくる。
TV「プレバト」で夏井いつき宗匠の毒舌を楽しむ。「椿の湯」。

9月13日(水)

午前中、三井住友信託担当者が来訪、継続手続き。
午後、パソコンアドレス150名分の「移転作業」。年末の「喪中」の連絡は「メール」で済まそうかと思う。夕方2時間、座敷の草引き。風呂で汗を流してから夕飯の準備である。
国体に天皇皇后陛下の行幸があるが宿泊は「全日空ホテル」である。道後の「ふなや」でも「大和屋」でもない。道後の不甲斐なさに腹立たしい。
10月1日午前10時頃、道後温泉駅近くでお出迎えするつもりである。

9月12日(火)

早朝4時、雨の音に目覚める、豪雨である。5時に起床、書斎での作業。メールの操作不能になり、別のパソコンで代用開始。不便だが、致し方なし。
午前中、一遍会10月度例会卓話「伊予における一遍伝説」のうち衛門三郎玉の石伝承について「与陽盛衰記」から該当個所を精読する。併せて、黒田日出男著『龍の棲む日本』に目を通す。
午後、友隣サミット(友輪荘)、八月は猛暑で中止したので2ヶ月ぶりである。梅木賢正君から「祝谷大地ケ田(おおちがた)遺跡第6次発掘調査にについての解説、説明あり。
近くの祝谷から、古墳時代に「前方後円墳」や「円墳」が築かれた墓域があったことを初めて知った。弥生時代には集落の「貯蔵施設」が置かれていた由。
夕6時、松竹大歌舞伎(いよぎん中ホール)。
中村橋之助改め八代目中村芝翫襲名披露(3子息の同時襲名披露)である。出しものは@猩猩 A襲名披露口上 B一谷嫩(ふたば)軍記〜熊谷陣屋(中村芝翫、中村扇雀、中村梅玉ほか)で大いに楽しむ。9割は女性客層である。

9月11日(月)

一遍会IT会員への9月度定期便の発送作業。8月度収支決算を済ませ、銀行口座と確認する。上期収入は91,705円、支出は76,935円+αであり、平成29年度収支はプラスの見通しである。これにて一件落着。
個人的には『一遍会報』第395号寄稿原稿「一遍と子規と・・・生死の執着と安心・・・」と10月度例会卓話「伊予における一遍伝説」のレジュメ執筆に取り掛かることにする。
午後、三井生命から新商品の紹介あり。併せて、生命保険の受取人を「温子」から「息子ら」に変更する手続きの依頼あり。
夕(16時)大雨となる。インターネット中、メール操作がミスマッチ。はて、どうするか。「椿の湯」。
【→IT会員】
一遍会インターネット会員各位
本日「9月度定期便」をお送りします。週末までには届く予定です。
1)『一遍会報』第392号 
   一遍会理事 江刺精久「国宝『一遍聖絵』のびっくり・ポン」  
2)9月度例会講話レジュメ
  圓増治之(愛媛大学名誉教授<哲学>)「龍の突如の出現・・・そのとき、一遍上人は・・・
3)「一遍会9月度ニュース」
 圓増先生の講話は哲学的であり、レジュメをご覧いただいても理解が容易ではなかろうと思います。『一遍会報』第394号(次々号)に要旨を掲載の予定です。2ヶ月お待ちください。秋の夜長、龍と行基と一遍に関する手頃な新書をご紹介します。岩波新書(831)黒田日出男著『龍の棲む日本』です。「『一遍聖絵』の昇龍」(p130〜)は黒田氏独特の分析ですが・・・
老生のお気に入りの龍のスポットは、大洲上流の鹿野川ダム手前の「八大竜王神社」の赤い大鳥居から「小藪渓谷」に入って谷川沿いに歩けば一キロで「八大竜王神社」に出ます。そこから更に1キロ上れば、蛍の名所「小藪温泉」に着きます。一軒宿で「国指定重要文化財」でもあります。車でも行けますが、ハイキングがお奨めです。龍が居るような気配する渓谷です。

9月10日(日)

「老人半人前」と云うが「一人前」以上張り切ったので、疲労困憊となる。
伊予史談会9月例会に徒歩20分(県生活文化センター9:30〜12:00)。
1)伊予国の中世様式石造物  長井数明氏
2)安倍能成君胸像撰文とその周辺 今村 威氏 (+戒田淳氏)
昼食は三越サロンレストラン(ハンバーグランチ)。時計(電池)と文房具(インク)コーナーで買いもの。
「草間弥生と現代アート展」鑑賞(売価が高価なので驚く。10,000,000円を越える「かぼちゃ作品」あり。)
県美術館での見学・鑑賞。
@「芝舟」作品展
A「安倍能成〜学習院中興の祖と称された偉人〜」
B「侍の美」(所蔵品展)
C「ヨーロッパ美術の新展開」(所蔵品展)
D子規門下の人々(阿部里雪コレクション)
愛媛県立図書館に「一遍会報」を届け、上田薫・佐藤洋二郎共著『一遍上人と遊行の旅』(
松柏社2017)貸し出し。
夕方、川掃除。家のバスで汗を流し、夕飯の支度にかかる。
NHK大河ドラマ「おんな城主直虎」を見る。

9月9日(土)

一遍会9月度例会(13:15〜 道後公民館)。
講話:圓増治之氏(愛媛大学名誉教授)「竜の出現・・・・そのとき、一遍上人は・・・・」
卓話:杉野祥一氏(一遍会 理事)「一遍語録」を読むQ
引き続き、上期末の理事会開催、女性理事増員、平成30年度講師スタッフを内定する。
黒田日出男『龍の棲む日本』(岩波新書2003)再読、金沢文庫所蔵「日本図」(行基図)に改めて興味を抱く。2名の新会員あり。
9月度例会の整理をして「椿の湯」。国体前夜祭で湯之町界隈は人出が多い。
              
9月8日(金)

朝一番に洗濯。城北・ダイキで一遍会9月度例会講師圓増治之氏の「龍の突如の出現・・・そのとき、一遍上人は・・・」のレジュメ印刷。本日は温子の「七の二六日」(182日)に当るので、義安寺の墓参りの後、メルパルクでランチ&スパ。
午後、『文芸春秋』Iを読む。
@大特集「定年後の常識が変わった」
A「豊田真由美議員独占告白」
特に山折哲雄氏「余生を林住期と遊行期にわける」は同感である。極端に云うと、午前中は学生期、午後が家住期と林住期、夜が遊(湯)行期と云えようか。いやはや。
夕食後「フジ」で食料品調達。「読書の秋」に相応しい気温と虫の声である。
【→ファミリー】
今日は母さんの「七の二七日」(189日)です。日中はまだまだ暑いですが、朝夕はめっきり秋らしくなりました。変わりないですか。風邪に気をつけましょう。今週は、結構多忙でしたが、予定通りにエンジョイしました。「夏ばて知らず」で快調でした。
9月1日(金)一遍会会場予約、子規博特別展内覧会、義安寺墓参り、メルパルク・ランチ&スパ
9月2日(土)バスツアー(今治タオル美術館 西条アサヒビール工場<ビール試飲>)
9月3日(日)バスツアー(四国カルスト高原 ギャラリーしろかわ『全国かまぼこの板の絵展覧会』 葡萄狩り)
9月7日(木)松山子規会役員会
今週の献立は「松茸まぜご飯」と「肉じゃが」に挑戦しました。「肉じゃが」の味はほどほどでしたが、野菜(たまねぎ、人参、じゃがいも)の煮込み具合は合格点でした。徐々に「母さんの味」に近づけたいと願っています。
正子さんの快復状態は順調で、若々しく(?)すっかり健康色になっております。手術してよかった。亜実ちゃんの激励のメッセージが病後の励みになったと感謝していましたよ。
当面のスケジュール
9月 8日(金)義安寺墓参 メルパルク(ランチ&スパ)
9月 9日(土)一遍会9月例会
9月10日(日)伊予史談会9月例会
9月11日(月)ミニコミ誌取材
9月12日(火)友隣サミット(小中学校月例会) 「松竹大歌舞伎」(8代目中村芝翫襲名)9月16日(土)バス日帰りツアー(石見銀山)
『文芸春秋』Iの特集は「定年後の常識が変わった」です。いろいろと勉強になりました。一読を進めます。父は五十代に父母、義父母を見送り、恒治・淳志も独立しましたので、母さんと二人の生活になりましたから、経済的にはなんの心配もありませんでした。(還暦の年が「阪神淡路大震災」でした。)
恒治・淳志ファミリーはこれから大変でしょうが、健康には充分気を配って、一層明るい家庭を築いてください、な。

9月7日(木)

午前中は、一遍会9月度例会資料等準備。
昼食後、城北ダイキで一遍会9月度例会配布資料印刷(230枚)。
15:00 市駅前紀の国屋で松山子規会役員会出席。主な議題は下記。
@ 第116回子規忌(9月19日)について
A『松山 子規辞典』関連
B「松山子規会ホームページ」について
17時から懇親会(19:30散会)。
酒も入っており、21時過ぎに就寝する。

9月6日(水)

午前中、「一遍会上半期末理事会資料」,「一遍会9月度ニュース」テスト印刷。
午後は昨日に引き続き、亭庭の草引き3時間。
夕、「肉じゃが」に挑戦、味はほどほどだが、野菜(たまねぎ、人参、じゃがいも)の煮込み具合は合格点。関東は豚肉、関西は牛肉の由。
正子さんが「内祝い」を持参、すっかり健康色になっており安心する。
「椿の湯」。

9月5日(火)

午前中、「一遍会上半期末理事会資料」と「一遍会9月度ニュース」を取りまとめる。
午後は亭庭の草引きに専念する。
9月16日(土)神戸・真光寺の開山忌法要があり、法要の後、御廟の前で「踊り念仏」を奉納する。宝厳寺の「表敬訪問」が中止になったことは残念である。
夕、亭庭の草引き約2時間。数日振りに「椿の湯」。本日は最高温度27度、朝夕は肌寒かった。いよいよ秋である。

9月4日(月)

明日から雨とかで、曇天の一日となる。洗濯。
午前中は、一昨日、昨日のバスツアーの記録を書く。併せて日記をまとめる。
午後、子規さん9月度俳句の鑑賞エッセイをまとめ、HPに掲載する。HP9月度の更改、一件落着。
『一遍会報』第392号テスト印刷。
【→俳友】
平成29年9月「碌堂といひける秋の男かな   子規」
子規記念博物館(館長 竹田美喜氏)選句の子規さんの平成29年9月の句は「碌堂といひける秋の男かな   子規」です。
明治28年(1895)の作品で、季語は「秋」(秋)です。『子規全集』第二巻 俳句二「寒山落木」282頁(明治二十八年)、第二十一巻 草稿 ノート「病余漫吟」80ページ(明治二十八年秋)、同じく第二十一巻 草稿 ノート「病余漫吟」120ページ「留送別会」(明治二十八年)に載っています。
「寒山落木」での「前書き」は「碌堂に戯る」、「病余漫吟」では「碌堂におくる」になっています。
同時期に碌堂を詠んだ二句を対句として鑑賞すると、子規と碌堂(柳原極堂)の幼馴染の交友ぶりが彷彿とします。
   碌堂に別る 
  秋三月馬鹿を尽して別れけり
   碌堂に戯る
  碌堂といひける秋の男かな 
明治二十八年「愚陀仏庵」に寄寓した子規の元に松風会の会員が日毎夜毎集まります。特に熱心だった数人は「日参組」と呼ばれ、その中に碌堂(柳原極堂)も入っています。
この句は、明治二十八年十月十二日、帰京する子規の為に、松山二番町の「花廼屋」(はなのや)で送別会を開催した際、子規が参会者十七名の俳号を詠み込んだ句を作る。この句は、そのうちのひとつです。「留送別会」に書き留めている。
同席した漱石への句も披露しておきたい。
   石女(うまずめ)の蕣(むくげ)の花に嗽(うがひ)かな
「秋の男」の「秋」といえば「白秋」である。透明な輝きもあり、惜別にあたっての寂しさも残る。子規、漱石、極堂は慶応二年生まれである。十七名の松風会員の最後を碌堂(極堂)の句で締めたのは、後に残った松風会の活動を碌堂(極堂)に托したのではあるまいか。
子規さんにあやかって一句
 妻を偲ぶ
「春雅温妙といひける女かな  子規もどき」  道後関所番

9月3日(日)

二日続きの快晴である。秋風がここちよく感じられる。
読売旅行企画「巨峰狩り食べ放題と四国カルスト天狗高原散策、全国かまぼこ板の絵展覧会」に参加する。市駅出発が8:30、同帰着が17:00で、ゆったりしたツアーである。@7,980円
@ギャラリーしろかわ「全国かまぼこ板の絵展覧会」(約45分)が今回のバスツアーの主目的である。入賞作品の絵葉書を温子が気に入って、毎年年賀状に充当していたので、今年の絵葉書で温子の死亡を知らせたいと思い2セット(20枚)買い求めた。
A四国カルスト(約90分)へは妻と数年おきに訪ねている。プライベートでは「高原ふれあいの家 天狗荘」で宿泊し、カルスト高原の「姫鶴荘(めづるそう)」〜「天狗荘」を散策した(往復)思い出は鮮明である。(片道8キロヵ)
今回も滞在時間が90分もあり、カルストの展望東屋で弁当を食べるつもりであったが、右足が云うことを聞いてくれない。近くの広場で食事をし、カルスト学習舘で展示を眺めて時間をつぶした。館長の説明で、足摺岬が確認できたのは収穫だった。
B内子西南巨峰園(約40分)
道後の「ローソン」でカレー(辛口)、夕食、入浴、22時就寝。
【メモ】
松山駅駅弁包装紙(鈴木弁当店)
横綱 (むしあつい)うすれる    (おとぼけ)よもだ
大関 (とてつもない)らしもない  (もちがよい いでらしい)
関脇 (ふところ)ぽっぽ      (こうるさい)やねこい
小結 (だらしがない)びんだれ   (ふざけさわぐ)つばえる
前頭 (こわれる)めげる      (のけもの)はせだ
   (かまわないでしょ)かままい (さわる)まがる
   (とれる)もげる       (よっぱらい)ようたんぼ
   (そっけない)すぼっこい   (口げんか)いいやいこ
   (ほんのちょっと)ちょびっと (ぬかるみ)じゅるたんぼ
 
9月2日(土)

秋晴れで気温も27度Cで快適である。
阪急交通社企画日帰りバスツアー「タオル美術館と西条アサヒビール工場見学」に参加する。市駅出発が8:30、同帰着が18:00で、デイタイムのツアーである。「りんりんパーク」以外は妻とプライベートで何回も訪れた観光スポットである。@8,990円
@道の駅「周ちゃん広場」<JA周桑直販所>(約50分)
Aタオル美術館(約90分)
B「りんりんパーク」昼食(約70分)
C石鎚神社本社(約45分)
Dアサヒビール四国工場(約80分)
タオル美術館での見学はたっぷり1時間以上もあり、俣野温子ギャラリー(常設展示)、「ムーミンの世界へ」、キャッシー中島「愛を綴るキルト展」を満喫する。温子と一緒の時はレストラン王府井で中国料理を食べたのだが・・・
アサヒビール四国工場での試飲は3杯フリーだが、2杯でセーブする。
帰宅後夕食、入浴、22時就寝。

9月1日(金)

8時半、道後公民館で一遍会11月例会の会場セット。伊予銀行、愛媛銀行に立ち寄る。子規博特別展「子規博の名品」(子規・漱石・極堂150年記念)内覧会出席。
新収蔵品は下記である。
@子規の加藤拓宛書年賀状(明治34年)
A夏目漱石の子規宛書簡(明治30年)
B子規の五百木瓢亭宛書簡(明治28年)重要<道灌山事件報告>
C子規句評(詳細不明)
D子規筆「七変化評論第一編」
E子規筆「俳句分類」浄書稿(明治26年)
F柳原極堂日記(昭和6〜32年)
11時半、義安寺墓参り(温子「七の二六日」(182日))。メルパルクでランチ(和定食)&スパ。再度、道後公民館に立ち寄り、一遍会例会会場の確認。
『松山百点』(錦秋 316号)入手。「松山に近代洋風建築をもたらした建築家 木子七郎の建築と人生」は秀作である。
【→ファミリー】
今日は母さんの「七の二六日」(182日)です。半年経ったということでしょうか。
9月に入りました。23日は「秋のお彼岸」になります。
 8月29日には大洲市立博物館の「大洲のお殿様〜加藤家十三代の足跡」を見てきました。昼食は「油屋」の「せいろそば」ですが、本多の父のお気に入りの割烹料理屋でした。母さんは前島さんが来た時には大洲と内子を案内しました。「伊予の小京都」ですが、さすがに暑かったです。
夕暮れになると庭には虫の声が充満します。「秋だなあ」と感じます。無理しないように、1時間〜1時間半程草引きをしています。
昨日(30日)は野中経営」の税理士が来て、母さんの「遺産分割書」(案)が提出されました。恒治、淳志との打ち合わせた資料と殆ど同じです。後日「遺産分割書」への署名・捺印と印鑑証明書を依頼する事になります。
その時に、振り込み先を連絡してください。相続に伴う税金(相続税)は、年内までに各自が支払えば問題ありません。
9月初は結構多忙です。
9月1日(金)一遍会会場予約、子規博特別展内覧会、義安寺墓参り、メルパルク・ランチ&スパ
9月2日(土)バスツアー(今治タオル美術館 西条アサヒビール工場<ビール試飲>)
9月3日(日)バスツアー(四国カルスト高原 ギャラリーしろかわ『全国かまぼこの板の絵展覧会』)
9月7日(木)松山子規会役員会
9月9日(土)一遍会9月例会
9月10日(日)伊予史談会9月例会 
一人分の料理は手間と材料が余るので、大根、青ねぎ、ほうれん草は「冷凍パック」にして活用しています。卵はゆで卵が主です。ご飯は毎日1合炊いていますが、秋になれば2合にして、時には「まぜご飯」で松茸をと考えています。
「夏痩せ」せず1キロ増えましたが、特に問題はなかろうと思います。後片付が億劫になるから、ビールを飲むのは諦めました。飲まなければ飲まないで済むなあと思っています。
9月末には「飛鳥之湯泉」が開業です。夜間照明で、きれいな建屋を毎晩見ています。一足先に入浴して報告する事にしましょう。
残暑厳しいですから、呉々も健康には留意してください。


お父さん、お母さん、兄さんによろしく伝えてください。

   ○京阪奈美術館めぐり「国宝展」10月3日〜11月26日
11月 ○大垣OB会 
   ○奈良・京都 小豆島 紅葉めぐり
   ○秋の信州路


8月31日(木)

終日一遍会関連業務に集中する。
午前中はHP一遍会の9月度改訂作業。午後は『一遍会報』第392号の割付を完了する。来週、『一遍会9月度ニュース』と前期末の理事会資料を執筆すれば一件落着である。九分方完成した。
30度C近くあるのだが、扇風機の風が涼しくなった。暗くなってから秋の虫の声が耳を楽しませてくれる。秋だ。秋がそこまで来たようだ。やれやれ。
夜、TV「プレバト」を見る。最優秀句は「マンモスの滅びた理由ソーダ水」である。夏井宗匠の解説を聞いて初めて納得した。

8月30日(水)

一遍会 江刺精久理事来訪。新会員「竹内眞人」氏紹介を受ける。同氏は東温史談会で活躍された御仁である。
午後、野中経営と打ち合わせ。温子の「遺産分割協議書」最終案提示あり。併せて第二次分割案の提示を受ける。駐車場経営と憂いのない老後生活設計が中心命題となる。9月中には完了させたい。
「富士通A4サイズノートPC WindowsXP」が届く。ワープロ専用で使用していきたい。

8月29日(火)

大洲市立博物館で開催中の「大洲のお殿様〜加藤家十三代の足跡」見学。
道後三好家系図では四代秀行(〜1787)は「湯之町明王院二代目金子忠恒の二男松田藤助(藤太ヵ)の一子の入養子」である。金子忠恒は、大洲・新谷藩加藤公と兄弟らしい(推測)。その後、肱川を渡り旧ご城下を猛暑の中で歩く。
昼食はまちの駅「あさもや」内にある「分油屋」(油屋分店)の「せいろそば」。「大洲歴史探訪館」でビデオを見て、炎暑の中「ブラミヨシ」する。コンビニで缶ビールを買い、帰途のバスの中で飲み、仮眠を楽しむ。
「椿の湯」で汗を流す。
【→神戸】
8月末までにどうしても見ておきたい展示があってバスで大洲市立博物館に出掛けました。テーマは「大洲のお殿様〜加藤家十三代の足跡」です。
息子にも詳しく話していないのですが、系図の上では大洲藩の藩主加藤家の血が若干混ざっています。加藤公の縁者が道後の三好家に養子に入っています。
博物館の学芸員と情報交換することが目的のひとつでもありました。数年後には、この「物語」をまとめてみようと思っています。
その後、猛暑の中、肱川橋を渡り「旧ご城下」をてくてく歩きました。昼食は「まちの駅 あさもや」内にある「油屋」の「せいろそば」を食べました。日中4キロほど歩いたことになります。
臥龍山荘やレンガ舘、蔵町通り、おはなはん通りなどは日本の「原風景」が残っているので、雄大君や亜実ちゃんの記憶に残るだろうと思いました。帰途、コンビニで缶ビールを買ってバスの中で飲みましたので、目が覚めたら疲労が快復していました。いやはや。
淳志と雄大君の尼崎にある銭湯に行ったホットニュース、楽しいですなあ。尼崎に温泉があったかなあ。「森温泉」も時々行きましたよ。電気風呂が良かったです。
亜実ちゃんは8月中に第2学期とは驚きました。なにかと大変でしょうが、今年の夏を乗り切りましょう。

8月28日(月)


朝から気温は30度C近い、庭仕事は止める。
『三好家記』の見直作業。HP熟田津今昔の第二十章「道後村庄屋催事記」と第四十六章「 伊予三好氏の来歴 〜三好長門守秀吉を軸にして〜」の加筆修正。
『松山市史料集』第七巻近世編6 「松山領里正鑑」に関連して「三好観次郎」の縁者に当る「天野キセ」なる人物を再調査する必要がある。
広島の森氏から「食場 三好家」から「樽見 浅川家」、そして「余戸 森家」に繋がる系譜の報告があると、「道後 三好家」との関連が明確になるのだが・・・
16時から2時間表庭の草引き、その後水撒き。そのまま、わが家の風呂で汗を流し休息。一息ついたところで夕飯の支度に取り掛かる。
食後、アマゾン経由で入手した『死してなお踊れ  一遍上人伝』(栗原康 河出書房新社20170130 @1600円)を読む。

8月27日(日)

快晴、風もあり、体感温度は27度位か。
午前中2時間半草引きと洗濯3回。ひと風呂浴びて午睡。
夕、水撒き。メインディッシュは「鶏肉と大根の煮物」。初めて「にんにく」を使う、暑気払いである。
NHK「おんな城主直虎」は悲劇的なドラマ展開、家康の実像は?とふと疑問に感じる。
わが家の風呂に入ると秋の虫の鳴く音の中に没入できる。「椿の湯」もいいのだが、信州の宿屋の露天風呂に入浴しているムードである。
「ソースネクスト」から「おまかせ引越しPro2」届く。

8月26日(土)

午前4時過ぎか、屋根をたたきつける猛烈な雨の音に目覚める。15分くらいでおさまる。6時起床、小雨が続いている。
新聞で「熊野伸二」氏(78歳)の死去を知る。(肺がん)
元愛媛新聞社編集総本部主幹、元高松支社長)、一遍会の理事でもあった。郷土文化に一家言を持ち、大いに世話になった。祭り上げられる人物でまつやま山頭火倶楽部理事長、伊予狸の会会長、県老人大学同窓会事務局長など(会の名称はあやふやである。)。共産党系議員の選挙事務長をしたことが原因で、やや疎遠になった。
正午、ムラタホールの告別式に出席、別れを惜しむ。続いて「初七日法要」。喪主の意向だろうが、興ざめである。そのうち「七の七日」(四十九日)も当日やることになるのか。これが本当に故人の供養になるのか、な。
14時帰宅、昼食。16時、気温が28度に下がったので、早速表庭の草引き一時間半。夕食はサバサラダ(サバ缶詰、たまねぎ刻み、大根。マヨネーズ)。まずまずの出来であった。
「椿の湯」。

8月25日(金)

昨晩は21時過ぎにベッドインしたので朝4時に目覚める。早起きする。
盆用に設えた仏壇を片付ける。春の一周忌まで仏具は格納する。御供えのうち線香は納戸に収納する。
午後から気温は35度近くまで上昇、少し動いても汗が噴き出る。リビングで、のんびりTVを見て過ごす。郵便局、業務スーパー(冷凍の大根、ほうれん草など)。夕食のメインは卵とじ豚肉煮付けというレシピである。食後19時まで庭の草引き、わが家のバスで汗を流す。
宇和の義兄から電話。宇和中学の温子のクラス会幹事(森さん)から御供えが届いた由。
【⇒ファミリー】
今日は母さんの「七の二五日」(175日)です。昨日が「弔い明け」でしたので、義安寺に墓参りして、奥道後でランチバイキング&スパで午後を過ごしました。夕暮れに「送り火」を焚いて、母さんの霊を見送りました。
奥道後では露天風呂を独り占めしましたのでノンビリと昔を思い出しました。
@恒治、淳志が小学生の時、瀬戸風峠を越えて伊台に出て奥道後まで歩いたこと、その夜は本多のおじいさんの還暦のお祝いがあったこと 
A帰省のたびに奥道後に出掛けて「映画」を見たこと。百恵さんの映画の大半は奥道後で見ました。舞台でお父さんが踊ったことを覚えていますか。
B母さんとは毎月1回出かけたこと。
来週から秋に向けての家事、特に庭の草引きと畑づくりに集中します。その後、庭木の剪定をして、10月の秋祭りの準備に入ります。正直「孫の手」を借りたいなあという気持ちです。
 9月1日(金)母さんの「七の二六日」(182日) 子規博特別展内覧会
 9月2日(土)バスツアー(今治タオル美術館 西条アサヒビール工場<ビール試飲>)
 9月3日(日)バスツアー(四国カルスト高原 ギャラリーしろかわ『全国かまぼこの板の絵展覧会』)
 西条アサヒビール工場<ビール試飲>とギャラリーしろかわ『全国かまぼこの板の絵展覧会』は、毎年母さんと出掛けた恒例行事でした。夏バテを一掃してきましょう。
いよいよ2学期の開始・・・孫たちの活躍を祈っています。くれぐれもご自愛ください

8月24日(木)

奥道後(壱湯之守)のランチバイキング&スパ。義安寺墓参り。
今日は温子の「弔い上げ」であり、夕方ひとりで「送り火」を焚いて亡妻を見送る。
「亡き妻のうしろ姿や送り火す」と事前に句作していましたが、送り火をして「母さん、来年ね。また会おう」と呼びかけたら、涙が止まりませんでした。「ふりかえる妻の姿や送り火す」がもっとも素直な現在の気持ちです。
TV「プレバト」の夏井いつき「俳句教室」を楽しむ。
【⇒尚子さん】
夕方に「送り火」焚いて、母さんを見送りました。
昨今の俳句甲子園は開成高校が連戦連勝で・・・・・松山東高校のレベルでは無理になりました。残念!今夜の「プレバト」は役者が多く、楽しかったですね。
「もてなしの豆腐ぶらさげ風の盆」は光景が目に浮かびました。松山から二、三度、ツアーで富山まで出掛けました。哀愁漂う風情がなんとも云えませんね。見終えてから田舎道を母さんと歩きながら語り合ったものです。金沢に居た時に「風の盆」を見ましたか。
梅澤登美男は俳句を楽しんでいる境地に入っていますね。大したものですなあ。尚子さんの先輩の夏井さんは、いつ見ても爽やかですね。

8月23日(水)

午前中に「インク革命」から印刷インクが届く。発注後24時間内である。「驚き桃の木山椒の木」である。
延び延びになっていた芥川賞受賞「影裏(えいり)』(沼田真佑)読了。
『一遍会報』第393号に掲載すべく拙稿「一遍と子規と 〜生死の執着と安心〜」の小論文の執筆開始。10月例会で配布予定である。
松山子規会事務局(烏谷照雄)から『松山 子規事典』の受け取りと「出版記念会」の案内が届く。出席の旨返信す。
「椿の湯」。
【メモ】「影裏」の出典
電光影裏斬春風(仏光国師語録拾遺)

8月22日(火)

気温は35度C、真夏日である。
『一遍会報』第392号の最終チェック。印刷のインクがなく、にインターネットで注文、2,3日中に届く由、半額料金である。助かった。
今市川に川藻が繁茂し、朝夕2回除去作業する。町内の誰もが清掃作業に参加しなくなった。西山さんの更地にマンション建設の公然の噂話が飛び交う。
「椿の湯」。

8月21日(月)

HP一遍会のコンテンツ追加作業。@一遍会8月度例会講話レジュメ A食場三好家と道後三好家など新たに記載する。
小沼代表の愛媛大学の教え子から一遍会の照会、9月例会に出席の由。
正子さん「がんセンター」から午前中に退院、家で出迎える。四代前の親戚(松野木光代<岡宮> 県女43期)に会う。九十才だがお元気である。
夕、フジで一週間分の買いもの。「椿の湯」。TV「BS日本・こころの歌」を楽しみながら、孫娘から送ってきた夏休みの宿題「愛媛県新聞」の所感をメールする。
【⇒亜実】
「愛媛県新聞」楽しく読ましてもらいました。面白かった。よく勉強しましたね。感心しました。パパより愛媛県のことは詳しくなったと思いますよ。
松山市 道後温泉 松山城 正岡子規
今治市 今治タオル
大洲市 うがい 臥龍山荘
宇和島市 真珠 牛鬼まつり 
特産品 名物料理 お菓子(半分以上口にしていますか。今度来た時に、食べてないものに挑戦してください)
編集後記 祖父 字のバランス(きれいな字に感心しています)
おばあちゃんが見たら、どんなに喜ぶだろうなと思いました。おじいちゃんも「選ばれると良いな」「きっと選ばれる」と信じています。
「飛鳥乃湯泉」も9分がた完成して、夜間照明で浮かび上がって見えます。楽しみにしていてください。夏休みも残り少なくなりましたね。宿題がんばってください。

8月20日(日)

10時、湯築城歴史塾「モノが動くヒトが動く」A出席。
講師は柴田圭子氏(県埋蔵文化センター)「湯築城跡出土陶磁器からみた戦国時代の流通」。
考古学研究者に中世商業史を語らすのは無理ではなかったか。最初から最後まで考古学の世界であった。
一遍会(田中、江刺)、高校(篠浦)、中学(神尾)、ボランティア(梅木兄)ほかに出会う。
義安寺墓参り。なんとかシキミは枯れずに持ちこたえているいる。メルパルクでランチ&スパ。14時帰宅。
9月の日帰りバスツアーをインターネット予約する。
2日(土)阪急交通 タオル美術館 アサヒビール
3日(日)読売観光 天狗高原 かまぼこ板の絵展覧会
16日(土)石見銀山
NHK大河ドラマ「おんな城主直虎」、意外な展開に驚く。

8月19日(土)

10時から飛鳥乃湯泉セミナーB、講師は前園実知雄氏。実に実りある3回連続の講演であった。今回のテーマは「飛鳥・奈良時代の大和と伊予 ― 湯ノ岡碑文と法隆寺資財帳をめぐって ―」
@湯ノ岡碑文の持つ意味
A播磨塚天神山古墳
B『日本書紀』に見える来目小楯
C『法隆寺伽藍縁起並流記資材帳』に記された荘園
D法隆寺式軒瓦の分布と伊予
E飛鳥・奈良時代の出土木簡
昼食は市駅地下街の愛南海鮮バイキング、初利用である。南予にしては無愛想である。
13時半から松山子規会8月度例会(正宗寺)。約30名。
1)卓話:山上茂次郎「子規から茂吉へ」(上)―「竹の里歌」に出会い子規の弟子を志す―
2)講話:森 慎吾「三津の俳諧」
@大原其戎
A三津厳島神社に俳額奉納
B「明栄社」設立と「開会自賀」
TVブラタモリ「長瀞」を見て「椿の湯」。

8月18日(金)

妻の「七の二十四日」(168日)。「亡き妻のうしろ姿や送り火す」といった心境である。
息子ファミリーにメール、孫娘には葉書で差別化。年末までの予定表とりまとめ。秋の旅行計画をフィックスせねば・・・
午後、『一遍会報』第392号割付作業。江刺精久理事「国宝『一遍聖絵』のびっくり・ポン」(六月例会講話)である。写真貼付の割付だけに苦労する。夕、江刺理事にメールして進行中の割付で了解してもらう。
表庭の草引き。
NHKファミリーヒストリー「オノ・ヨーコの原点!ショーン・レノンの感激 祖父は日本銀行総裁に、父は東京銀行取締役に、母は安田財閥のお嬢様、名曲イマジン誕生秘話」を見る。
【→亜実】
残暑お見舞い申し上げます お盆にみんなで来てもらって本当に嬉しかったです。楽しい三日間でした。亜実ちゃんの達筆の暑中葉書、どうもありがとう。  
道後温泉、大洲観光、会食、茶室(温故亭)で寝たし、夏休みの宿題の取材も出来たし・・・ 高校に入って「お点前」を習ったら、是非茶室でみんなと飲みましょうか。「飛鳥乃湯泉」に湯浴みに来てください。待っていますよ。
○祖母の声聞こえぬ母屋(おもや)迎え火す
○温泉(ゆ)上がりに伊予のみかんと団子かな
○河のぞむ窓いっぱいに秋の風
お父さん、お母さん、兄さんによろしく伝えてください。

8月17日(木)

晴天、暑いが爽やかである。
下着、寝具、タオルなど、盆中は出来なかったので洗濯から一日が始まる。一週間ブランクになっていた日記を書き込む。
午後、郵便局から「一遍会8月度定期便」発送。公民館から9月度例会は「視聴覚教室利用可」の朗報が届く。ヤレヤレ。
一遍会蜂須賀理事と宝厳寺賛助会費の取り扱い照会。
「EPSON8400U」のスキャンがミスマッチ。ハードのミスマッチか、原因調査を始める。
TV「プレバト」を見て「椿の湯」

【←檀家総代】
お世話様になります。昨日は講話文をお届け頂き有難うございます。変わらぬご労作のご力量に感嘆し拝読いたしました。
・「医学は科学に基ずくアートである」なるほどなるほど
・「道後アート」も厚みを持たせ持続ある取り組みが必要ですね。
・一遍と子規の時空時間を味わいました。
ますますのご活躍をお祈り申し上げます。
新任総代もおり、窪寺の曼珠沙華は訪れてみます。

8月16日(水)

午前中、仏壇、精霊棚、盆提灯、お料具の片付け、お供物の確認と線香などの格納で一汗も二汗もかく。
新仏の「送り火」は8月下旬とのことで、妻の遺影は仏間に移す。里帰りの同期の姥櫻の君に訪ねてもらえれば温子も喜んでくれると思うのだが・・・
「一遍会」会員申込みあり。この時期では珍しい。7月の前園実知雄講話に初出席した御仁らしい。
午後、一遍会インターネット会員に8月度定期便を取りまとめる。
夕、坊っちゃん広場で観光客に混じって音楽を楽しみ「椿の湯」へ。

8月15日(火)

11時、義安寺住職の棚経と新盆法要。義安寺の墓参りして、メルパルクで会食して、帰神するファミリーを見送る。ホテルの温泉に入り帰宅。疲れもあり午睡。
夏の最大行事であった妻の新盆と八月盆の行事が滞りなく終わった。次なる行事は、10月の秋祭りと庭木の剪定である。
夕食後、3日振りにパソコンに向かう。講演会「秋山好古と習志野騎兵旅団」の申込み。

8月14日(月)

朝5時起き、仏間の整理をして表庭の水撒き。6時10分、龍穏寺住職棚経。長男ファミリーは松野町の水族館と滑床渓谷に遠出する。次男ファミリーも同じく南予(大州・臥龍山荘)。
午後、四国がんセンターに出かけ、正子さんのお見舞い。個室なので、一時間ほど話す。元気になっており安心する。本日はフリーにしたので、ファミリーの帰宅は遅く、一人で「椿の湯」。
HP一遍会の閲読(検索)が8月13日中に11万回超に達した。有難い。感激である。検索1万回に1年7ヶ月余りを要している。

8月13日(日)

午前中、伊予史談会8月例会(県生活文化センター)
1)「長宗我部元親の伊予進出について」中平景介(高校教員)
2)「愛媛の偉人、井上正夫 ―演劇・ひと・文化―」三宅紗代(西条市小松温芳図書館・郷土資料館)
午後、お盆法要の用意。「お料具膳」初挑戦である。妻が作っていたお料具とメモを頼りに3時間かかったが、まずまずの出来かと自画自賛する。仏壇用と精霊棚用の2セット。
@ご飯、A味噌汁(茄子)、B煮物、C
和えもの(ホウレン草)D酢のもの(キュウリ)。
長男ファミリーは14時過ぎ、次男ファミリーは18時過ぎ、渋滞に巻き込まれた由。
迎え火を焚き、「大黒屋」で食事、道後温泉でのんびりする。

8月12日(土)

広島の森氏と面談。昨日(11日付)の「メール」につき詳細報告する。本人とは血縁関係にはないが、「三好氏系図」上は縁戚となる。ご本人も納得と満足される。
帰途伊予史談会 高須賀名誉会長に報告しますとのことで別れる。
一遍会8月度例会(道後公民館)
1)卓話「『一遍語録』を読む」杉野祥一理事
2)「一遍と子規と ―生死の執着と安心―」三好恭治理事
理事会で@神戸真光寺「念仏踊り」参加ツアー A窪寺まんじゅしゃげ祭りについて実施・参加について検討する。
『一遍会報』第392号(次号)編集につき寄稿者である江刺理事と拙宅で打ち合わせ。割付の輪郭は確認できた。
夜9時まで盆法要の準備、疲れた。

8月11日(金)

妻の「七の二十三日」(161日) 朝一番に息子たちにメールを送る。義妹の真子さんから「河内晩柑のジュース」が届く、仏壇に供える。か
明日の一遍会8月例会講話「一遍と子規と 〜生死の執着と安心〜」の最終チェック。杉野理事から資料についての照会。
秋山兄弟資料館の佐伯事務局長から明日の一遍会例会出席の照会、了解する。
広島の森さんの照会の「食場三好家と道後三好家の関係」につき「隠居三好家」の存在を提起する。同氏の疑問の解決の糸口を提供できるかどうか。
【→森さん】「道後三好家と食場三好家の関係」
1)食場三好家は「阿波の三好」の係累で、系図では確かめることができますが、歴史的な検証は目下出来ず。
(注)東京大学史料編纂所「源姓三好家系図」デジタル検索可能
2)食場三好家の祖は「三好長門守為勝(秀吉)」で、河野家文書にも記載があり、食場菊ヶ森城主として実在した。
3)松山藩主である加藤、松平に重用され、温泉郡(のちの久米郡は除く)では、江戸期を通して湯山(高野を含む)、道後(持田を含む)の庄屋として継承された。
4)江戸末期、食場三好家の「不祥事」により、道後三好家が「改庄屋」として食場村に入る。幕末には道後三好家の3兄弟により、湯山(長男 三好源内)、道後(次男 三好大平)、持田(三男 三好豊保)の庄屋職の任を果たす。 
5)食場三好家の庄屋を解かれた三好伴蔵は「隠居三好家」として庄屋屋敷(大きな杉の木があり、長い土塀が続く)に住む。この屋敷跡に「隠居三好家」が現在居住している。。当主は「そごう」(大阪或は神戸)に勤務していた。現在は芦屋在住と思う。娘が食場に居住しており、食場「庄屋屋敷」の近所で確認されると娘さんの住居が分かると思う。墓は、「庄屋三好」と「隠居三好」ともう一つの「三好(章夫)」が並んでいる。信江氏の祖母は「隠居三好家」の出身かもしれない。
5)食場三好家と道後三好家の関係
@河野家の家臣で食場にある菊ヶ森城主「三好長門守為勝(秀吉)」が、河野家の消滅とともに食場に帰農。松山藩主である加藤公、松平(久松)公により温泉郡の庄屋の任を受ける。
A江戸期に入り、道後の再開発により、湯山に隠居中の「三好九郎右衛門秀重」が道後村の庄屋に任ぜられる。300年間両家の交流があり、江戸末期からは、藩命により「道後三好家」が改庄屋として「食場三好家」に入る。
B「食場三好家」は消滅したが、「隠居三好家」は存続し、庄屋屋敷に家屋がある。「隠居三好家」と「道後三好家」との交流(親戚付き合い)はない。
C個人的には「三好長門守為勝(秀吉)」を発祥とする「松山三好会」を結成したいものである。
6)徳島ご勤務となれば、系図では三好長門守為勝(秀吉)は阿波の三好長慶の孫(極めて疑問多く、不自然)にあたり、伊予三好氏は阿波三好氏の別れであるから、更にロマンが広がると愚考します。

8月10日(木)

午前中、三井住友信託の支店長と担当者来訪、90分の長話になる。話し相手に飢えていたのかも知れぬ。
柏井さんの手術も順調で、術後はじめて美味しく食事が出来たとの連絡あり。近々四国がんセンターに見舞いに行くことにするか。
午後から32度Cの真夏日。自転車で県図書館に返本。『文芸春秋』H、半分ほど通読。
夜、TV「プレバト」を見て「椿の湯」へ。「鎌で切る鶏の首盆支度   東国原」の句は幼き時代の農家の盆接待の光景を思い出す。

8月9日(水)

朝4時目覚める。早朝から8月例会で配布する「一遍会ニュース」を取りまとめる。一遍会8月例会資料すべての印刷完了(各60部)、一件落着である。やれやれ。午睡。
12日に面会予定の広島の森さんから書状が届く。食場三好家の流れの由、系図としては事実とは残念ながら断定できない。はて、どのようにお話しするか・・・
『文芸春秋』H入手。第157回芥川賞受賞作「影裏(えいり)」(沼田真佑)掲載。読むのが楽しみだ。

8月8日(火)

台風一過といきたいが午前中は曇天である。洗濯は陰干しする。
11時、野中経営と打ち合わせ、ほぼ「遺産分割協議書」はまとまる。
駐車場については法人化を勧められる。我が家のバンカーに10年後のビジョンでまとめてもらうか。松山への足がかりがあることは墓の維持やら墓参もスムーズに行くのでは・・・と思う。
午後、気温が30度cを越える。16時義安寺の施餓鬼法要、西日が入ると本堂は熱射地獄化する。例年より参加者が少ないように思う。
「椿の湯」。

8月7日(月)

台風は九州から四国沖、今晩は本土に上陸して紀伊から滋賀に入るようだ。松山は特に被害は無さそうである。
雨が半日降り、気温も30度Cを切ったので、家中の整理、片付けに注力する。
明日の野中経営の打ち合わせの準備作業。
夕2時間、表庭の草引き。「椿の湯」。
【メモ】秋の旅行プラン(要検討)
9月 ○東予(タオル美術館、アサヒビール四国工場
   ○東京美術館めぐり「運慶展」9月26日」〜11月26日
10月 ○秋の九州「休暇村」めぐり
   ○京阪奈美術館めぐり「国宝展」10月3日〜11月26日
11月 ○大垣OB会 
   ○奈良・京都 小豆島 紅葉めぐり
   ○秋の信州路

8月6日(日)

今朝の新聞を見て昨日(8月5日)の松山での気温は37.2度で「観測史上最高を更新した」由、うだるような暑さが今日も続くのか、それとも台風の影響で夜には暴風雨になるのか。
10時に「ダイキ」に出掛け、一遍会関係の印刷と園芸用品購入。昼食後、「フジ」で今週前半の食料品などを調達する。
天気予報の読み通り、15時過ぎから雨になる。被災地ではないが、電気さえ通じておれば週末までは慌てることはあるまい。
休暇村と阪急交通から秋の旅行案内が届く。「一人旅」になるので、旅館に泊まっても懐石料理を食べても幸福感はなかろう。メンバーズホテルが中心か、「彩朝楽」チェーンかな。
夕、雨となる。気温が5度Cも下がり30度Cを切る。体感的には秋が来たような錯覚を覚えた。
大河ドラマ「おんな城主直虎」とN饗を聞いて就寝す。
 
8月5日(土)

『一遍会報』第381号と一遍会8月例会講話「一遍と子規と〜生死の執着と安心〜」の印刷テスト完了。
『一遍会報』第381号は@京都法蓮寺 梅谷茂樹師「時宗をめぐる二、三の小文」とA平成29年度一遍会総会資料で取りまとめた。
セブンで昼食用に「冷やしうどん」を買う。午後は気温は37度Cに上昇、エアコンの効いたリビングと書斎に「蟄居」する。うだるような暑さである。
日記帳にはモンブラン万年筆を使用しているが、遂に3本目が寿命となった。概ね15年〜20年といったところか。筆塚がほしい。
「椿の湯」。

8月4日(金)

妻の「七の二十二日」(154日)。6時から表庭の草引きと畑の除草。朝風呂を浴びて朝食。
一遍会8月例会講話「一遍と子規〜生死の執着と安心〜」最終校正。
11時、義安寺に出掛け、枯れかけた「シキミ」を処分し雑草を抜く。その後、「メルパルク」で「中華コース」注文、温泉に入って帰宅、午睡。
「鐘友会ニュース」で蟹江の死去を知る。
大垣工場に配属された新入社員6名中、杉田、江口、松石、蟹江の順に亡くなり、小宮と老生の2名だけ。生存率33%は、かなりショック。今秋の燦々会には何が何でも出席せねばなるまい。
夕、ドクダミに除草剤を撒く。

8月3日(木)

朝5時半から表庭の草引きと畑の除草。朝風呂を浴びて朝食の用意。
子規さん八月句「水草の花まだ白し秋の風  子規」の鑑賞エッセイ執筆完了し、HP一遍会に掲載する。子規もどき句は、前書 送り火 「亡き妻のうしろ姿や秋の風 」とした。HP一遍会8月度分更改完了。
8月例会講話レジュメの再点検。9月例会講師圓増治之氏から例会配布資料と「一遍会報」掲載原稿が早々に届く。有難し。
一遍会上半期の運営は、妻の死去もあり正直大変であったが、まずは大過なく終わる見通しである。下半期の運営に取り掛かることになる。
【→俳友】
子規記念博物館(館長 竹田美喜氏)選句の子規さんの平成29年8月の句は「水草の花まだ白し秋の風   子規」です。
明治28年(1895)の作品で、季語は「秋の風」(秋)です。『子規全集』第二巻 俳句二「寒山落木 巻四」303頁(明治二十八年)、第三巻 俳句三「獺祭書屋俳句帖抄」637頁(明治二十八年 秋)、第十三巻 小説紀行 散策集 613頁、第二十一巻 草稿ノート 病余漫吟(明治二十八年 秋)86頁に掲載されています。前書きは「道後公園」。
この句の初出は「散策集」です。
明治二十八年四月、新聞「日本」の記者として日清戦争に「従軍」し、五月金州から帰航時発病、予後郷里松山に帰郷。52日間愚陀仏庵で漱石と起居を共にする。9月20日から10月7日にかけて五回、松山近郊を松風会のメンバーと吟行する。
「水草の花まだ白し秋の風」は最初の散策時で、同行は柳原極堂(碌堂)である。コースは、愚陀仏庵から玉川町を抜けて、石手川を歩き石手寺で遊ぶ。帰途は、道後に向かい、湯築城址の外堀を巡って持田に出る。道後公園(湯築城址)は「御竹薮(おたけやぶ)」と呼ばれ一帯は竹林であった。端には、睡蓮の花だろうか、白い水草の花が咲いている。
書き出しの文章は次のように始まる。
「今日はいつになく心地よければ折柄来合せたる碌堂を催してはじめて散歩せんとて愚陀仏庵を立ち出づる程秋の風のそぞろに背を吹てあつからず玉川町より郊外には出でける見るもの皆心行くさまなり」 子規さんらしい写実の描写である。
子規さんにあやかって一句
 送り火 
「亡き妻のうしろ姿や秋の風   子規もどき」  

8月2日(水)

朝6時、表庭の草引き、ドクダミには除草剤を散布。
一遍会7月度収支決算、勝子叔母に「御供え」御礼電話、やはり温子の話になると涙声になった。
昨日の松山子規会役員会は日程間違いで欠席したので、井手会長、烏谷事務局長に詫び電話、平岡氏から詳細報告を受ける。
散髪。フジ買物、洋子ドクターに出会う。昨晩会ったモーちゃんが話題になる。最近同期も物忘れがひどくなったのか、中西もモーちゃんも変な噂が立っている。「馬には添うてみよ、人には会ってみよ」である。
「椿の湯」。

8月1日(火)

猛暑の中、8月1日を迎える。朝6時から表の草引き。
朝一番に公民館で一遍会10月例会申込み(今月も市役所のサークルが先に会場を押さえている。困った。)
本日から「道後村祭り」がスタート、9時半から道後公園北口で「湯釜薬師祭り」があり一遍会を代表して出席。昼のTV報道に写っていた。
午後、「一遍会8月例会案内」を会員に流す。『一遍会報』第391号の割付完了。梅谷繁樹師に割付紙面を送り校閲を依頼する。
子規博の子規さん八月句「水草の花まだ白し秋の風  子規」。鑑賞エッセイを執筆する。
勝子叔母から「新盆御供え」が届く。
7月31日(月)

夏バテであろうか、昨日は伊佐爾波神社から宝厳寺まで歩いたのが原因か、足のストレスが残っている。家の中で過ごす。
八月盆に恒治、淳志ファミリーが帰省することになった。メールでの連絡である。「三好屋」としては、次の間と離れと温故亭でセットする事にした。素泊まりが前提だから、掃除だけは丁寧にやっておきたい。本多の義兄から「新盆」のお供えが届く。
TV「BS日本・こころの歌」を楽しむ。
【→恒治】
家族で盆帰省とのこと、良かったですね。ありがとう。待っています。
ところで史晃の予定ですが、猛暑の中での運転の方は大丈夫ですか。13日(日)6時間+α、14日(月)7〜8時間、15日(火)6時間+αは、正直なところ大変ですね。本当に大丈夫ですか
14日(月)朝神戸を発って、福山で史晃を乗せて松山に向かう。夕方に着くのであれば、淳志組と合流して「大黒屋」で食事。翌朝(15日)はゆっくりして、11時に義安寺さんの棚経。午後、滝野さんのお盆参り。翌16日休暇が取れるのであれば、15日は恒治組のみ宿泊、16日に義安寺に墓参りして帰神であれば、疲れがそれほどでもないかなと思います。
もっとも史晃は神戸で一人でノンビリしたいのかもしれませんが・・・・・福山〜松山は直通バスが出ています。盆中ですから「予約」が絶対必要ですよ。(福山駅 14:30→ 松山市駅17:30 学割アリ)念の為。
旅館「三好屋」の方は、素泊まり大歓迎ですから、恒治のスケジュールを来週末には知らせてくださいな。

7月30日(日)

朝から30度の真夏日である。午前中、掃除、洗濯、片付けに注力、風呂で汗を流す。
午後、夏季子規塾(子規博14:00〜16:00)出席。
1)神野紗希「あのとき子規は若かった―若さが切りひらく俳句―」
2)森川大和「俳句甲子園のレガシー」
講師二人とも高校の後輩であり、30台後半の「新進の俳人」の発言を楽しみに聞いた。
○「若者らしさ」とは何か
○「新しさ」とは何か 各世代にとっての「新しさ」。青春とは(サムエル・ウルマン)
○俳句甲子園の勝負へのこだわり
○選者の視座
猛暑の中伊佐爾波神社夏越(輪越)祭りで人形(ひとがた)を納める(@1,000)。下って宝厳寺を参詣する。
帰宅、風呂で汗を流す、休息。
ビールを飲み、カツカレーと野菜中心の夕食。大河ドラマ「おんな城主直虎」を見て早めに就寝。
ワンランク脚力が弱ってきたようだ。大事を取って杖をついて3キロほど歩いたが、暑さを考慮しても足が弱ってきた事を実感する。

7月29日(土)

朝食前後に庭の草引き。シャワーして書斎に籠もる。
笠谷和比古『士(サムライ)の思想 日本型組織と個人の自立』(岩波1997)再読。笠谷の論理でいうと子規はドロップアウトである。
日野原重明『アートとヒューマニティー』のキュア、ケア論でいくと、一遍、子規ともに肉親、門弟の24時間ケア体制にあり、治療も当時では良質のキュアを受けている。
『伊予史談』386号高須賀康生「私の歴史三昧」は同氏のおしゃべりほどには面白くない。竹島大祐「伊予の修験寺院」の真面目な論考を読み熊野山石手寺の修験寺院の視座からの研究があれば読んで見たい。
フジで3〜4日分の買物。食料品は一日1,000円程度か、外食の三分の一、中食の二分の一といったところに落ち着いた。
夕、子規亭(第1夜)は「寄席の江戸芸を楽しむ」二代林家三平一座の寄席である。(18:30〜20:15 子規博) 
【メモ 子規亭@】
落   語 林家 あんこ
江戸太神楽 翁家 勝丸
落   語 林家 錦平
紙 切 り 林家 二楽
落   語 林家 三平(二代目)
あんこは「つる」。昔唐土の国から鶴の雄が「つー」と飛んできて、鶴の雌が「るー」と飛んできたから鶴だ。 八五郎、この話を聞いて・・・
錦平は「天狗裁き」。夢のまた夢物語である(八五郎、女房、隣人、奉行、天狗)
三平は「紀州」。七代将軍・徳川家継の急死、次期将軍候補は尾州侯・徳川継友と紀州侯・徳川吉宗の二人。
【トンテンカン、トンテンカン…】→天下取る
【キィ…シューゥ!】→紀州
二代目三平には荷が重い「紀州」であった。

7月28日(金)


妻の「七の二十一日」なので義安寺の墓参りと除草。思い切って除草剤を撒く。八月盆には枯れているので少しはお参りが楽かもしれない。「道後彩朝楽」のプレミアムフライデイサービスが夏休みで中止なので「メルパルク」のランチサービス&スパになる。
『伊予史談』386号(特集 市町における地域史研究の成果と課題)入手。午後は寺内浩論文「衛門三郎伝説と熊野信仰」と主に子規関連の書籍に目を通す。
夕、表庭の除草。一日中30度以上の気温、夏バテか。21時過ぎに就寝。

7月27日(木)

洗濯、庭掃除(草引き)・・・一時間でギブアップ。書斎で8月例会講話「一遍と子規 〜生死の執着と安心〜」のレジュメをほぼ取りまとめる。
引き続き『一遍会報』第391号の編集割付。梅谷繁樹師(京都西蓮寺住職)の寄稿と平成29年度総会資料が中心である。8月に入ってから最終校正の予定。
TV「プレバト」を見て「椿の湯」。

7月26日(水)

午前中、一遍会8月例会講話「一遍と子規 〜生死の執着と安心〜」のレジュメを『子規選集M 子規の一生』(和田克司編)で照合作業開始。
子規の家名を上げたいと願う書簡の特定が出来ず。子規会平岡英氏に照会する。
午後は30度を越す猛暑、あまり無理をせず書斎に籠もる。
ニチレイ「6種の和惣菜(切干大根、ひじき煮、五目きんぴら、小松菜のおひたし、さつま揚げと昆布のうま煮、ほうれんそう胡麻あえ)」を自然解凍する。今後の法要での御料具としても有効活用できそうだ。
夕、川掃除中、龍穏寺住職に出会う。檀家の新盆法要で回っているらしい。
「椿の湯」。
【MS氏】
 暑中お見舞い申し上げます
 猛暑が続いておりますが、ご清祥にてお過ごしのこととお慶び申し上げます。先ほど「ゆうパック」でお手紙とお供物を受領いたしました。ご高配厚く御礼申し上げます。
 五月下旬に「能登・金沢ツアー」のご案内を頂いた節に妻・温子死去のご報告を致しましたが、元気であれば今回もご一緒に能登・金沢を訪ねただろうと思いますと涙が出てまいりました。「七尾和ろうそく」を手にして内子の蝋燭店を思い出しました。温子も恐らく友情に涙していると思います。八月七日が温子の誕生日ですので、お供えの「加賀のお菓子」を口にしながら、「七尾和ろうそく」を灯して、四〇数年にわたるお付き合いの思い出を温子と語り合いたいと思っています。まことにありがとうございました。
 七月二二日に新盆法要を致しまして、東京から長男、神戸からは次男家族が集まってくれました。六月中に新しい墓もできあがり、ほっとしております。次男家族は銀行の金沢支店で数年過ごしておりますし、温子も数回金沢、能登、七尾を訪ねておりますので、今宵は旅のアルバムを開いてみようと思っております。
 お盆には長男、次男も帰省しますので、あなた様のことをいろいろお話しようと思います。二家族とも森に住んでいますのでお近くにお越しの節はお訪ねください。また、四国路を再訪されます節はご連絡ください。私も七月に誕生日を迎え八二才となりましたが、温子の三回忌までは健康でいて道後の家を守っていくつもりです。
 まだまだ暑さが続きますが、呉々もご自愛専一の程お祈りしております。まずは御礼と近況ご報告まで。敬具

7月25日(火)

午前中、一遍会8月例会講話「一遍と子規 〜生死の執着と安心〜」のレジュメを『一遍上人全集』(橘俊道・梅谷繁樹)で照合作業開始。
午後、気温上昇(34度C)。ムラタに新盆の提灯代支払い。
国立国会図書館利用期限の延期手続き(20201003)。運転免許証の更新ではないが、3年後85歳になっても国立国会図書館を利用できる知的能力を保持したいものだ。
書斎の模様替えで気分一新を図ったが・・・
「椿の湯」
【→恒治】
帰宅時に話していた「アルフォンス ミュッシャ展」の関西開催を知りました。必見の価値があれば9月の関西旅行のついでに鑑賞してこようかと思っています。コメントください。
会場:佐川美術館(滋賀県守山市)
期間:7月14日〜9月24日(月曜休館)
料金:1,000円
◎奈良国立博物館「源信 地獄・極楽への扉」7月15日(土)〜9月3日(日)
        「第68回正倉院展」10月22日(土)〜11月7日(月)
◎京都国立博物館「開館120周年記念特別展覧会 国宝」10月3日(火)〜11月26日(木)
◎龍谷ミュージアム「ようこそ地獄の世界へ」9月23日(土)〜11月12日(日)
◎大阪国立国際美術館「バベルの塔」7月18日(火)〜10月15日(日)

7月24日(月)

早朝4時起床、慌しかった新盆の2日間の日記を書く。朝風呂、洗濯。
10時、義安寺に諸費用(墓地料、施餓鬼法要13,000円)を届ける。墓苑に除草剤を撒く。お盆には草も枯れてすっきりしているだろう。
午後、気温上昇(35度Cヵ)、エアコンを効かせて、8月例会講演のリハーサル。90分内でおさまりそうである。
夕、フジで週初の買い物(チャージ10,000円)「椿の湯」「BSこころの歌」でリフレッシュして就寝。
【→S庸介君】
冠省 懐かしいお便り拝読しました。ともあれご自宅でのご静養を経てシニア的生活をエンジョイしておられる由、良かったですね。お慶び申し上げます。
二十一年に及ぶ輸入食品のフーズ マーケティング インターナショナルを経営してこられたことに敬意を表します。いろいろとお話しを聞かせていただきたいものです。
同じ期間、当方は松山に帰郷し自由人として過ごしてきました。本年が子規・漱石の生誕一五〇年になりますので『松山 子規事典』を松山子規会の仲間と執筆し十月に上梓します。
四国には鐘紡の先輩、同輩は少なく付き合いもありませんが、東京では集まりがありますか。M弘一郎君は健在でしょうか。
梅雨が明けて本格的な暑さが到来とか、呉々もご自愛ください。草々

7月23日(日)

朝食は7時に長男と一緒に食べ、次男ファミリーは8時に揃って食べる。
9時から応接室で息子ふたりに妻の遺産相続分割取り扱いを「協議」し、建前は「配偶者四分の三、子供四分の一」として、実質的には「相続三人の三分の一」で取りまとめた。
会計事務所で正式の分割に関する書類を作成してお盆に間に合うようにしたい。
総勢6名で義安寺の墓参り、メルパルクでランチを食べ、13時過ぎに息子たちは帰神する。
疲れもあり、マイバスでのんびりと入浴しビールを飲んで午睡、夕方仏壇を片付ける。お料具のお下がりで夕食。
大河ドラマ「おんな大名直虎」を見て、息子たちにメール、22時就寝する。
【→ファミリー】
車は順調に走ったようですね。よかった。新盆にご出席、まことにありがとうございました。母さんもさぞ喜んだことだろうと思います。孫たちによろしく云ってください。
電話が鳴ったとき、庭の水撒きをやっていました。駆けつける途中で呼び出し音は消えましたが、恐らく尚子さんからだろうなと想像していました。
ランチが結構ボリュームがあったので夕食は何にしようかと考えて、お料具のお下がりをいただく事を思いつきました。レンジでチンをして口にしましたが、母さんと同じ料理を食べているんだと思うと嬉しかったです。食後はプレゼントしてもらった湯沸かし器を初使用、コーヒーとケーキを食べました。
写真ありがとう。よく写っていました。母さんの育った南予(宇和島)の料理をみんなで楽しく食べたこと、母さんの母(多恵)の妹の嫁ぎ先の「野武士」を飲んだことはいい企画でした。
次回は、別の南予料理にしましょうか。
20時から「おんな大名直虎」を見て温泉に出かけます。見送ってから、ビールを飲んで昼寝をしましたから目下快調です。安心してください。
息子によろしく云っておいてください。いろいろとありがとう。

7月22日(土)

前園実知雄「飛鳥乃湯泉を知る」A(会場子規博)でレジュメを受け取り、梅木、江刺、大西氏らと面談して帰宅。
温子の新盆法要、掃除洗濯を済ませお料具膳の準備。明神正君(故人)に教わったフリーズドドライの素材を茹で戻せばよい。もっともご飯だけは別であるが・・・
15時恒治,18時淳志ファミリー帰宅。淳志から「ティファール電気ケトル」のプレゼント、重宝したい。
龍穏寺住職の来訪は30分遅れて、19時半から迎え火、法要、「盂蘭盆経」を唱える。(お布施(20,000円)+お車料)
20時半、湯之町の「かどや」で「鯛めし料理」を食べ、松野の正木正光酒造所の「野武士」で乾杯。「椿の湯」と「神の湯」に分かれて入浴、午前零時まで語り合う。
楽しき哉、ファミリーの集い!母さんが生きていてくれたらなあ。

7月21日(金)

温子の「七の二十日」(140日)に当る。朝一番に義安寺の墓に参る。墓苑に植えたシキミの枝を切り、墓と仏壇のシキミを調達する。
「温故亭」の屋根の落ち葉を払い落とし亭庭を掃除する。マイバスで汗を流し昼食となる。
息子ファミリーに新盆の最終連絡、折り返し返事が来る。午後は休養。
裏門周辺の草引き、庭の水やり。「椿の湯」。

7月20日(木)

朝食のパンがなくセブンに買いにいく。便利になったものだ。新盆の準備、野村証券(高木)応接。正子さんとの電話で新盆当日の「迎え火」に顔を出してもらえる事になった。早速息子たちに連絡する。
午後、8月度一遍会例会講話の「子規と一遍 〜生死への執着と安心〜」の導入(はじめに)を全面的に書き直した。7月18日に105歳で亡くなった聖路加国際病院名誉院長 日野原重明氏の「アート論」(生命は短し、芸術(医術)は永し Life is short,Art is long)から話しを始めることにした。
夕、フジでシキミと孫たちのドリンクを買い揃える。TV「プレバト」を見て「椿の湯」。
【メモ 日野原重明氏の記憶】
1)聖路加国際病院名誉院長「日野原重明」氏逝去  平成29年(2017)7月18日(105歳)。明治44年(1911)10月4日山口市で誕生。父善輔(ぜんすけ)は日本メソジスト教会牧師。1037年京都帝大医学部(1932入学〜1037卒業 結核を患い挫折、休学)、41年から聖路加国際病院内科医、聖路加看護大学長、92年同病院長、96年理事長。平成29年(2017)終末期にあたり、同病院での延命治療を断り在宅治療。
座右の銘は、ウィリアム・オスラーの「医学は科学に基づくアートである」
(出会い)
著書「『医のアート、看護のアート』(中央法規出版)、『アートとヒューマニティ (Quality of nursing』(中央法規出版)、『死と、老いと、生と』(中央法規出版)
アート論(生命は短し、芸術(医術)は永し Life is short,Art is long)
「Ars longa, vita brevis」.(古代ギリシャ医者ヒポクラテス)「医術を学ぶには長い月日を必要とするが、人生は短いので怠らず励むべきだ。」
医術(Art)はキュア(Cure 治療 医師)とケア(Care 看護・介護 看護士)から成る。
→「文学作品は作者の死後も後世に残るが、文学者の生命は短い。」 (子規)
→くすし(薬師・医)(一遍は「医聖」)
日野原氏が聖路加看護大学長当時、質問を呈しランチに誘われた思い出あり。

7月19日(水)

猛暑、会う人毎に「お暑いですね」と声をかける。
伊予銀行(キイチ支払)、市役所(マイナンバー受領)、阪急交通(ツア代支払)、県立図書館(『一遍会報』)の後、東京第一ホテル でランチ。
貸し出し図書『仏教の女神たち』(春秋社201704)
松山子規会7月例会出席(正宗寺 13:30〜)。講師は近藤元規、講話は「漱石と近藤我観」。近藤は同期であり、我観は元規の祖父に当る。既知の話も多いし、思い違いもあるが、我観の思い出には「真実」がある。猛暑であったが、居眠りする事もなく、話の中に入り込む事が出来た。
16時に帰宅したが、日中歩いていたので疲れる。わが家のバスで汗を流す。

7月18日(火)


野村證券(高木)応対、ムラタ新盆の岐阜提灯と麻がら持参。仏壇の清掃,新盆の準備にとりかかる。半日を要する。
キイチ(山岡氏)と「温故亭」と「物置」の改修工事を点検、収納する。(@400千円)
龍穏寺の棚経は8月14日(月)06:10参上の通知あり。それにしても、いささか早すぎる。
TV大相撲実況で白鵬の1046勝(単独2位)を見てフジに出かける。シキミ@600。3日ぶりに「椿の湯」。
【メモ】
聖路加国際病院名誉院長「日野原重明」氏105歳で永眠。
アート論(生命は短し、芸術(医術)は永し)
《〈ラテン〉Ars longa, vita brevis.古代ギリシャの医者ヒポクラテスが「医術を学ぶには長い月日を必要とするが、人生は短いので怠らず励むべきだ」と言った言葉から》
芸術作品は作者の死後も後世に残るが、芸術家の生命は短い。
キュア(治療 医師)とケア(介護 看護士)
日野原氏に質問を呈し、ランチに誘われた思い出あり。

7月17日(月)

9時、やっと落ち着いて書斎に入る。朝から30度近い真夏日である。
一ヶ月遅れで初物のニガウリ(ゴーヤ)を金網から取る。今年は一株だけだから一夏で40個位かな。「クックパッド」からニガウリのレシピを2つ採用する。
晴れ間が出て早速下着、寝間着の洗濯。
午後、妻の新盆と八月盆の仏壇、仏具と御料具の点検。御料具づくりは初体験である。幸い、28年度のメモがあったので、これに基づいて当日までに準備せねば・・・。21日(金)「七の二十日」は大忙しになろう。妻が合格点をつけてはくれないだろうが、努力は評価してくれることを期待しよう。
夕、「第二回道後湯上がりコンサート」を聴く。ピアノ黒田映李(松山東・桐朋学園)、チェロ宮坂拡志(N饗)。宮坂氏は歴史好きで有名とのことだが、子規を語るにはもう少し勉強してからに願いたい。
シューベルト、ヨハン・シュトラウス、ポッパー、チャイコフスキー、グラナドス、滝廉太郎、山田耕筰の作品。(19時〜 子規博)帰宅後、夕餉。珍しくビールを飲む。
【メモ】28年度御盆料具
煮付け(ゴーヤ、人参、大根、しいたけ)。焼き茄子。
お供え
胡麻豆腐。トマト。水羊羹。ジュース(缶)

7月16日(日)

82歳の誕生日である。尚子さんからバースデイメッセージが届く。
2017年湯築城歴史塾「モノが動く・ヒトが動く」@出席。
テーマは「戦国期瀬戸内の物流と地域経済」、講師は広島大学大学院教授 本多博之氏。
伊予史談会で広大の若手研究者から『兵庫北関入船(元字は舟+公)納帳」による瀬戸内海流通に関する報告を聞くが、本多氏はボスかな。大いに啓発される。
神尾、田中、江刺氏と話す。梅木、渡部君は珍しく欠席。
午後、歴史塾の資料中心に復習。16時から2時間、座敷の庭の草引き。半年振りにわが家のバスで汗を流す。セルフメイドの夕餉だがバースデイケーキを買うのを忘れた。
【メモ】
誕生日メッセージ有難うございました。嬉しかったです。何歳になっても、誕生日は嬉しいものです。そして、来年の誕生日も健康で迎えたいと祈っています。
母さんも夏生まれでしたので、ふたりの誕生祝いを兼ねて、7月下旬から8月上旬に例年のように信州を訪ねました。
そういえば、お父さんも上高地のウエストン祭りにはよく出席されてましたね。母さんが上高地を初めて歩いたのは東京の学生時代ですから良い思い出があったのでしょう。うきうきしていました。ことしは10月初旬に信州に行く予定です。上高地にも、もちろん立ち寄るつもりです。
淳志は白山ですか。良いですなあ。孫から手が離れたら、尚子さんも淳志と一緒に、山登りやゴルフを楽しんでください。
母さんも60代になってからですが、西日本最高の石鎚山には3回、剣山には1回登りましたよ。足腰を鍛えておくといいですよ。
これから「湯築城歴史塾」(子規博)で歴史仲間と勉強してきます。日中は34度Cとの予報です。午後はのんびりします。
おいしいケーキを食べてくださいな。メッセージありがとう。

7月15日(土)

昨晩は22時前に就寝したので午前3時に目覚める。熟睡感があったので書斎で『文芸春秋』G大特集「認知症の常識が変わった」を読む。
息子の住む神戸で認知症の治療となると勝手知ったる元・カネボウ病院(現・神戸百年記念病院)に厄介になるか、な。
同病院の「認知症疾患医療センター」は神戸市が指定する認知症疾患医療センターの指定を受けている(5病院)ので一応は安心できる。
午後、応接室で『文芸春秋』G読了。夕、フジで食品調達。TV「ブラタモリ(秩父)」を見て「椿の湯」。

7月14日(金)

家内の「七の十八日」(一二六日)命日。奥道後温泉(壱湯之守)でランチバイキング&スパ。気温が32度Cで温泉入浴は酔狂か。広い露天風呂も独り占めで開放感を味あう。バイキングは正直お奨めできないエコノミー団体客向きかな。デザートとコーヒーはまずまずである。
帰途、義安寺へ墓参り。シキミを供える筒の水が熱く葉が大分落ちている。二二日の新盆直前にシキミを新しく供えることにするか。
クーラーの効いたリビングでぐったりしてTVを眺め、うつらうつらする。夕方になって、やっと活動開始。
【→ファミリー】
今日7月14日は母さんの「七の十九日」です。連日30度を越す真夏日で、正直なところ、食事の支度を手抜きしたくなります。奥の間(仏間)にエアコンを設置したので、睡眠はほどほどにとっていますから安心してください。東京、神戸も暑いと思いますが・・・
来週末には、母さんの新盆を迎えます。暑さの中ですが、よろしく頼みます。ビールは冷やしておきます。予定では、19時から迎え火を焚いて、その後で仏間で「般若心経」(と、思いますが)を一同で唱えて終わりです。一時間はかからないだろうと思います。仏間と迎え火の用意は父がしますから心配いりません。母さんへの「お供え」はお願いします。正子さんは四国がんセンターに(恐らく)入院中でしょう。
今週の予定
14日(金)義安寺墓参り(「七の十九日」) 奥道後ランチバイキング&スパ
16日(日)湯築城歴史塾(子規博) 
17日(月)湯上りコンサート(子規博)
18日(火)野村證券打ち合わせ
19日(水)松山子規会7月度例会(正宗寺)
20日(木)葬儀費用、相続分割案取りまとめ(23日朝打ち合わせ予定) 新盆の用意
21日(金)義安寺墓参り(「七の二十日」) メルパルクランチ&スパ 
22日(土)「飛鳥乃湯泉」セミナー(子規博)新盆
ファミリーの健康を祈っています。7月は淳志(3日)、父(16日)、弘華(20日)、恒治(27日)と誕生日が続きましたなあ。母さんの汗をかきながらの出産、育児たいへんでしたよ。淳志の芦屋での出産には立ち会いました。「おぎゃ、おぎゃ」の一声はうれしかったです。
淳志ファミリーは車ですか。安全運転で頼みます。恒治は夜行バスですか。朝6時頃到着です。温泉に入浴して朝食を食べて帰宅してください。モーニングコーヒーとビールは用意しておきますから、ごろりと横になって睡眠不足を補ってくださいな。尚子さん、当日の母さんの新盆はよろしく頼みます。

7月13日(木)

一週間ぶりの快晴である。座敷、次の間、玄関の間と掃除、板間はモップで水拭き、窓を開ける。シャワーを浴び、洗濯機を回転させる。トイレの床カバーは毛が抜けて大失敗。主婦(夫)労働に集中する。夕方日がかげてから庭の草引き。人手がほしい。
一遍会八月例会案内をマスコミ、ミニコミに流す。野村証券(高木氏)応対。
真夏日の一日、さすがに暑いし、うんざりする。
TV「プレバト」での夏井いつき宗匠の「毒舌」は清涼剤になった。その後「椿の湯」。

7月12日(水)


午前3時、目が覚める。暑い、エアコンをつけたが寝つかれない。思い切って書斎で一遍会八月例会講話「生死の執着と安心〜一遍と子規と〜」のレジュメを執筆、A4版9ページにまとめる。3時間の作業である。
6時半過ぎから雨となる。急に涼しくなった。
午前中は専ら家事。伊予銀行(恒岡女)、野村證券(高木氏)応対。伊佐爾波神社(夏越)、義安寺(盂蘭盆会)、市役所(マイカード)などの処理。泰世、弘華宛中元御礼と誕生日祝い。
午後は真夏日で、エアコンを効かせて休養。
「椿の湯」、業務スーパー、セブンなど食料を調達する。

7月11日(火)

温故亭(茶室)のガラス障子に汚れがあり、「キイチ」に連絡して改修してもらうことにした。午前中の晴れ間を利用して、布団干しと洗濯。
国会図書館利用カードの更新依頼が届く、早速手続きする。
午後、7月度友隣サミット、いつものメンバーでいつもの時間、いつもの場所、いつものコーヒー。違うのは、話し合うテーマであるが、テーマまで同じであれば、帰郷以来だから20年は続かなかった筈だ。今回は、「九州王朝説での道後湯泉」といったところである。
京都西蓮寺 梅谷繁樹師から『一遍会報』掲載の原稿が届く。待つこと久しい師の論文である。今秋の会報を飾りたい。

7月10日(月)

8時から庭のアジサイの剪定作業。10本だが今年は花付きが良く、たっぷり2時間かかる。続いて洗濯と大忙しである。
一遍会IT会員への「7月定期便」発送。今月から長澤昌幸師(時宗宗学林学頭)と長岡陽子尼(宝厳寺副住職)が増えた。有難いことである。
午後から、8月例会での講話「一遍と子規と 〜生死への執着と安心〜」の構想を再度練り直す。
温故亭(茶室)に新畳を敷く。お茶席の真似事を老いの嗜みでやるか、な。
猛暑の一日であった。「椿の湯」に入浴にて、やっと一日が終わったなという感じである。

7月9日(日)

伊予史談会7月例会出席(県生活文化センター 9:30〜)
1)「天徳寺資料」を読み解く 田中弘道
2)西予市明浜町狩浜における重要文化財的景観調査について 宮本春樹
会場で伊藤茂著『「西条誌」絵図の今むかし』(@1500円)を著者から購入。ご城下界隈は歩いているが、絵図を中心に解説しているので、テキストにして今秋にも歩いてみるか。
「ダイキ」で一遍会IT会員向け「7月度定期便」を印刷、発送準備完了。
7月末から開催される「子規亭」通しチケットが見当たらない。書斎の大掃除をするが見当たらない。残念至極。
NHK大河ドラマ「おんな城主直虎」を見て「椿の湯」。

【メモ】
1)田中弘道『伊予天徳寺千四百年の歴史』
(1595)加藤嘉明 淡路国から伊予松山に移封
577 藤堂高虎、国府拝志ノ城ヲ今治ニ移シ藤堂氏居之、道後湯築城ヲ松前浜金蓮寺ニ移シ加藤氏居之
(1598)加藤嘉明、加増、10万石松前城主となる
2)時宗の学僧
長澤昌幸師 時宗宗学林学頭です。昨年の宝厳寺落慶法要では司会。
長島尚道師 遊行寺宝物舘館長兼真光寺住職です。今年の一遍生誕会では檀家の方々を引率。

7月8日(土)

朝6時からアジサイの剪定、湿度高く体力ダウン、30分ほどでリタイア。晴天の朝に、洗濯機の音を聞きながら、再挑戦するしかあるまい。
午前中一遍会例会の準備、13時から7月度例会。出席者は21名(道後公民館)。
例会終了後理事会。宗門の長澤昌幸師や梅谷繁樹師の一遍会参加、寄稿の報告には理事一同大喜びとなる。
事務局としては窪寺まんじゅしゃげまつり(一遍忌窪寺法要)を檀家総代に提案する。「窪寺跡遺跡」は宗門にとって、また宝厳寺にとっての「重要文化財」であり、宝厳寺として年1回は最低法要しては如何ということである。
入院中の勝岡昭氏から最低限のパソコン作業はするとの連絡あり、トラブルが生じた時の対応が可能になった。有難い。正直ほっとした。

7月7日(金)


家内の「七の十八日」命日、義安寺へ墓参り。
七夕だが、一昨日からの雨は降り続いている。もっとも九州のような豪雨ではないから心配はいらないが、下着類の洗濯できず困っている。週間の文書類(お中元の礼状)の整理。
午後、野村證券の担当課長来宅。85歳で証券から手を引く旨伝える。現有証券・債券はトータルでプラスで5%運用実績である。
到来物の食料品、飲料品の賞味期限をチェック。期限オーバーの商品も多く、消費期限を確認して食べることにした。温子は案外無頓着の一面があったと思う。
NHK技術部OBの勝岡昭氏が入院の連絡、85歳でもありパソコンから離れたいという。20年に及ぶ付き合いで、パソコンのABCから教わった先生である。無理はできないだろうがパソコン遊びは続けてほしいものだ。ショックである。
「椿の湯」。

7月6日(木)


10時、三井住友信託から財務コンサルタントと担当者来訪。雑談を含めて二時間ほど語る。
午後、「ダイキ」で一遍会配布資料(『一遍会報』「一遍会ニュース」「理事会資料」ほか)印刷。
妻の遺産分割案も取りまとめたので、新盆で息子たちと協議して結論を得たい。八月のお盆までに実務は完了させたいものだ。
夕方になって風も雨もおさまったが,九州は明日も大荒れの模様である。
TVで福岡の朝倉地区の惨状が放映されているが、50数年前に防府でお仕えした調正三工場長の実家は朝倉の名家であった。
661年、斉明天皇の朝倉行宮は朝鮮出兵(百済救済)の関係で道後(熟田津)と縁が深い。
「椿の湯」。

7月5日(水)

台風一過といいたいが、昨日に変わらず雨である。気温が若干低めなので助かる。
一遍会7月例会で配布する『一遍会報』第390号、「一遍会ニュース(7月号)」の最終稿を仕上げテスト印刷。
午後、ピーマンとナスの煮物など、妻や母が料理していた姿を思い出しながら、食用酒、味醂、醤油、味噌、砂糖などをミックスして出来上がる。まあまあの料理が出来た。2,3日は同じ献立になるが独り者であれば致し方ないか。
夕方4時頃に、やっと雨が上がる。
「椿の湯」。「道後温泉別館 飛鳥の湯泉」の外観が道路から見えるようになった。

7月4日(火)

10時、四国がんセンターで正子さんと落ち合う、愛媛大学の仲間3名は先着。セカンドオピニオンの対応は山下素弘副院長・呼吸器外科部長。肺がん手術の日本的権威である。どこかで出合った記憶があるのだが5Wが思い出せない。肺腺がんの初期で手術を勧められる。90%の治癒率であるので大安心である。良かった。
センターでランチ。台風が九州から四国(宇和島あたりか)に上陸したので、急いで帰宅する。夕方には強風はおさまったが雨は降り続く。
道後商店街振興組合から8月1日開催の道後村まつりの湯釜薬師祭典の案内来る。例年通りに出席の旨連絡。「子規博だより(36−1号)」着手。

7月3日(月)

午前4時、気温が高く汗ばんで来たので起床し、「一遍会ニュース」(7月度)を執筆、インターネットで会員に流す。
公民館で9月度例会の申込みするも市役所で押さえられており視聴覚教室は予約できず。やむなく大会議室(大広間)となる。一遍会6月度収支決算を済ませ銀行口座で確認する。第1四半期の収支はきわめて順調である。
午後には34度Cに達し、動くと汗が噴き出る。

7月2日(日)

3日ぶりにガラス戸、障子を開けて空気を入れ替える。午前中に気温は30度に達する。
一遍会7月度例会講師前園実知雄氏に電話、改めて確認する。古田史学の会「温泉から探る愛媛の古代史」(高橋治郎)の復習。
午後、HP一遍会(7月度)アップロード。圓増治之氏(愛媛大学名誉教授)に9月度例会講師を正式に依頼する。
伊予史談会(山内譲会長)から依頼のあった「伊予史談」(歴史余話)掲載原稿「宝厳寺の再建」をメール送稿する。
京都 梅谷繁樹師から『一遍会報』掲載原稿の寄稿あり。有難き哉。
晃子さん来訪、ケールを持ち帰る。梅木夫人と全国コーラス大会の県予選で出合った由。
夜8時、東京都議会議員選挙の開票速報を見て「椿の湯」で汗を流す。
【→俳友】
子規記念博物館(館長 竹田美喜氏)選句の子規さんの平成29年7月の句は「夏痩せて大めし喰ふ男かな   子規」です。
明治28年(1895)の作品で、季語は「夏痩」(夏)です。『子規全集』第二巻 俳句二「寒山落木 巻四」227頁(明治二十八年)、第十八巻 書簡一 内藤素行宛書簡六月三十日付 555頁、第二十一巻 草稿ノート 病余漫吟(明治二十八年)57頁に掲載されています。
出典により漢字等の使い方が少し違っています。子規博句は「寒山落木」に拠っています。
@「寒山落木」では「夏痩せて大めし喰ふ男かな」
A「書簡」では前書(追々元気づき申し候)があって「夏やせて大めし喰ふ男哉」
B「病余漫吟」では「夏やせて大めし喰ふ男哉」
この句は明治二十八年八月三十日付、内藤素行(鳴雪)宛書簡に添えられた句です。
子規が日清戦争の従軍記者として大陸に渡り帰国の船中で喀血し神戸病院に入院したのが5月22日である。静養の為松山に戻ったのが8月25日である。虚子、碧梧桐が克明に記した「病床日誌」には子規の大食いの記述があるので、回復とともに「食いしん坊」になっていったのであろう。この句は、神戸や須磨の病院での子規自身を呼んだ滑稽句、自嘲句でもあろう。読む人にとっては、子規の快復振りが目に浮かぶ句であったろう。夏痩せというより病痩せであるが・・・
子規さんにあやかって一句
 弥生四日に妻を亡くして百日余
 「夏痩せてバイキング喰ふ寡(やもめ)かな  子規もどき」  道後関所番
【→史談会】
伊予史談会の益々の発展をお慶び申し上げます。4月11日付にてご依頼がありました「宝厳寺の再建」につき、別添の通り取りまとめました。ご査収くださいませ。時間的には余裕がありますので、修正すべき、また追加すべき事項がありますれば、ご指摘のほどお願い申し上げます。
執筆に当たって心掛けましたことは、将来「宝厳寺の再建」に関して会員が更に調査されるに当たって、新聞などに報道されなかった事実を記載することに留意しました。寄進等の関係者とは面談し、また宝厳寺並びに檀家総代には閲読を依頼し、正確を期しました。。
長岡陽子尼について、今日「副住職」とマスコミも檀家も呼称しておりますが、陽子尼から宗門で正式に認められていないので「副住職」は削除してほしいとの申し出がありましたので割愛しました。愛媛銀行さんの寄進については、私企業の宗教法人の多額の寄付でありますので、あえて金額表示は避けました。ご了承ください。

7月1日(土)


洗濯から一日はスタートする。合物から夏物に切り替える。
月初であり恒例の一遍会7月度例会案内を会員にメール伝達する。例会講師は前園実知雄氏(奈良芸術短大教授)で 演題は「真言僧からみた神仏習合」である。
午後、第147回古田史学の会・勉強会に出席する。(県男女共同参画センター 13:30〜16:30)。合田洋一事務局長から歓待を受ける。
記念講演は高橋治郎・愛媛大学名誉教授(地質学)でテーマは「温泉から探る愛媛の古代史」。同氏は「ブラタモリ」で道後温泉の謎を「解明」した研究者だが、古田史学と道後温泉の結びつきの説明は正直無理があった。
とは云え、古田史学「九州王朝説」フアンの一人であるので、引きつつき関心を持ち続けたい。夜、合田事務局長から出席御礼の電話があり恐縮する。
夕、フジで一週間分のショッピング。TV「ブラタモリ」(大宮の鉄道基地化の秘密)を見て「椿の湯」。業務スーパーでミツカンポンズ、粉末スープを求める。
熱帯夜の予報があり、26度にエアコンをセットして就寝する。
6月30日(金)

温子の「七の十七日」(119日)である。恒治・淳志ファミリーと本多兄弟姉妹、堺氏にメール、葉書で近況報告。
日南市「小村寿太郎記念館」学芸員長友禎治氏宛礼状を送る。JA定期預金継続手続き。
夕、「道後彩朝楽」のプレミアムフライデイ夕食バイキング&スパに出かける。毎月出かけており、女将と軽口をたたける間柄になった。展望風呂からの四国山脈系の山々の夕暮れの光景は佳し。
【→長友氏】
ご寄贈いただきました貴研究紀要「飫肥西郷と呼ばれた男 小倉処平」、27日落手いたしました。ご高配まことに有難うございました。衷心より御礼申し上げます。
対話形式というユニークな文体だけにすぐに読めるかなと思い一読しはじめましたが、内容が濃くじっくりと読むことにしました。
「振徳堂跡」から「飫肥城歴史資料館」「国際交流センター小村記念館」まで長友様に親しくご案内されているような気分です。
正直、小倉処平なる人物については承知しておりませんでしたが、東祥寺(英国公使館)、貢進生制度、大阪洋学校、ウイリアムウイルス・・・と「小林小太郎ワールド」が出現し、今週末には一気に読み上げたと思います。後日、小林小太郎に関するその後の情報をお知らせすることにします。
まずは御礼のご挨拶まで。ありがとうございました。

6月29日(木)

雨は降らないがじめじめした梅雨特有の気候である。洗濯してもなかなか乾かないだろうと思う。
朝10時、伊予銀行第114期定期株主総会出席、伊予銀の同期生と珍しく顔を合わさず。
午後、書斎にこもって息子に説明する温子の遺産分割資料を作成する。一時でなく、孫たちにも分散する方法をとりたい。息子たちは不動産の相続が大きいので、慎重に対処していきたいし、対処してもらいたいと思う。

6月28日(水)


朝やっと雨が上がる、
10時、温子の納骨。龍穏寺さんが車で来訪、イフイの車で義安寺。法要時は陽がさすというグッドタイミング。(布施10,000、車代5,000)
11時、野中経営と「遺産分割(案)」の打ち合わせ。かなりつっこんだ数字問答。息子二人に各2,500万、孫4人に各1,500万で総額1億1000万円、残り8,000万円を相続の予定。
午後、イフイに墓代金(5,790,540円)送金する。一件落着。
日南市「小村寿太郎記念館」学芸員長友禎治氏から『飫肥西郷と呼ばれた男 小倉処平』が届く。「飫肥城歴史資料館」の研究紀要であるが、読み物風で、しかもインタビュアーと解説者のやりとりになっており理解しやすい。「捨て聖一遍と宝厳寺」のシナリオにも利用できそうだ。『松山百店』盛夏号が届く。特集「郡中二百年」、じわじわ広がる市民・町民ミュージカル」はヴィジュアルで大いに参考になる。
「椿の湯」

6月27日(火)


終日雨模様。
県図書館に立ち寄り『一遍会報』の保存、取り扱いにつきクレーム。
10時伊予鉄道第109期提示株主総会に出席。来年度から「伊予鉄ホールディングス」が統括会社として誕生する。伊予鉄道の株主としての大きな変更はなさそうである。
道後温泉駅前の「ローソン」で昼食を調達する。
夕方、キイチの発注で畳屋が茶室の採寸に来る。畳の搬入は7月にはいってからになりそうだ。新盆には温子の思い出の詰まった茶室が誕生している筈である。楽しみである。
正子さんから連絡あり、来週四国がんセンターに付き添うこととなった。気丈夫にふるまってくれているので助かっているのだが・・・
「椿の湯」。

6月26日(月)

終日雨模様。
郵便局、銀行(伊予、愛媛)を回り、支払いなどを済ませる。
午後、時宗宗学院の長澤師から「伊予の一遍ゆかりの寺院」について照会あり。7月22日の新盆まで落ち着かないので、すでに取りまとめている四国時宗寺院のメモを送る。一遍会にご参加いただくとのことである。有難い話である。
大雨なので「椿の湯」はお休みする。

6月25日(日)

昨晩からず〜っと雨が降り続いている。アジサイだけは生き生きとしている。書斎で郵便物や書類の整理。
ピーマンと大根の煮付けは挑戦したのでなすの煮付けに挑戦することにした。美味くはないが不味くもない自分なりの料理ができるようになってきたヵ。いやはや。
宮崎県日南市「小村寿太郎記念館」学芸員長友禎治氏から著書寄贈の連絡あり。小林小太郎に関し平成27年に小林小太郎について問い合わせを頂いた方である。少しはお役に立てたようだ。
墓と家屋の修理等(1,000万円相当)の資金はネットバンキングを通じて銀行口座に振込み。便利ではある。フジでショッピング。館内のレイアウトが大体頭に入ってきたようだ。
「おんな城主直虎」を見て「椿の湯」。

【メモ】韓国の青年層(上下格差 貧困化)

「三放世代」2011年頃:「恋愛」「結婚」「出産」放棄
「五放世代」:「恋愛」「結婚」「出産」「人間関係」「マイホーム」放棄
「七放世代」2015年頃:「恋愛」「結婚」「出産」「人間関係」「マイホーム」「夢」「就職」放棄


6月24日(土)

日中はまずまずの天気で、夕方から雨となる。
キイチの工事が入り、大工と倉(物置)の内部工事の打ち合わせ。書籍が中心だが備品も置くことにする。段差をなくして床はコンクリートにした。表庭の草引き。
午後、「コムズ」の映画上映会&ミニトークに参加。トークゲストは中村和憲氏(よく知らない)。食育・子育て・人権と話題は豊富である。「砂漠で迷った時、地図と磁石が与えられても動けない。自分の立っている位置が分からない。」と「立つ位置」を強調する。同感である。
映画は数年前のアメリカ映画で「マイ・インターン」。成功したファッション通販サイトの女性社長、イクメンの夫、その会社に再就職した70歳の元管理職のシニアという組み合わせ―現代的なテーマで考えさせられる。
夜は土砂降りの雨なので「椿の湯」は休み、20時半ベッドイン。

6月23日(金)

日中は晴天の予報で、「キイチ」の改修工事@「温故亭」(おちん)A倉(物置)開始。工事内容の細部打ち合わせがあり外出できず。
9時半、ムラタの担当者の交代(見浦雄悟→村上建二)の挨拶があり新盆について打ち合わす。
ムラタで同時刻に「MK会」の村瀬君の告別式があったが欠席する。「MK会」とは牧野晃三、村瀬恭敬、三好恭治、村上公平の名字が「M」で名前が「K」の同期であり命名したものだ。牧野が数年前、村瀬が一昨日亡くなり、これで自然消滅する。残念だし寂しい限りだ。思うに現在同期の男子の4割以上が亡くなり、健康体は3割といったところ。当方は足は悪いが元気者の一人といえよう。
墓と家屋の修理等で1,000万円が当座必要になった。来週対応せねばなるまい。
「椿の湯」。
【メモ 読売】
道後温泉本館改修は来年初の予定であったが、来秋以降に延期となった。椿の湯の改修(休館)10月〜年末は変わらず。

6月22日(木)


快晴である。
朝9時義安寺で新しいお墓の「開眼法要」を義安寺住職に依頼する。当方は私のみの出席だが温子は了解してくれるだろう。
午後、日赤松山病院に出かけ呼吸器内科の梶原浩太郎医師からの正子さんの肺がんの説明を受ける。関係者は大阪の二従兄弟と大学の友人である。
四国がんセンターで「セカンドオピニオン」を依頼し、最終的には日赤で「手術」になるだろうと思う。「放置」も、余命が3〜5年とすれば、一つの選択ではある。当方が将来がんを宣告されたら「手術」(外科的)か「放置」(内科的)かの選択を迫られることになります。他人事ではなくなった。
なんとなく疲れて帰宅後仕事が手につかず。夜、TV「プレバト」で「夏井いつき」俳句を楽しむ。
「椿の湯」でリフレッシュする。
【メモ】
がん闘病中だった市川海老蔵夫人(小林)麻央さんが22日夜、34歳の若さで死去。なんとも痛ましいことだ。

6月21日(水)

昨夜から雨が続く。
来週会計士との打ち合わせをするので、私自身の財産(金融資産、不動産)について取りまとめる。終日作業が続く。
JA道後支所長(坂本英輝氏)来訪。夏福!!定期預金協力要請である。家内の相続手続きが完了しておれば良いのだが・・・
明日の義安寺での新墓の入魂法要に併せてフジでシキミ(@650円×2本、大福餅3個)を用意する。昨夜の雨で地面が柔らかいので表庭の草引き。
「椿の湯」。

6月20日(火)


朝から28℃、夕方は豪雨の予想。エアコンをつけて書斎で作業する。
昨日外出中に財布を紛失したようだ。正宗寺、伊予鉄に照会するも届け出なし。名刺が財布に入っているから善意の第三者が拾得すれば連絡があるはずだが・・・夕方になって玄関の間の卓の上にあった。やれやれ。
プレミアムフライデイで道後彩朝楽で「ディナーバイキング&スパ」を申し込む。「マイナンバー」登録申請を遅ればせながらおこなう。
小池百合子東京都知事による豊洲・築地活用計画案提示。玉虫色であるが、都議会議員選挙対策としては見事な「作品」といえよう。
22日(木)9時より、義安寺で新墓の入魂法要を義安寺住職により実施、7月に入って「骨入れ」(納骨)法要は龍穏寺住職により実施を予定。7〜9月の行事予定表を作成、お盆が無事終わったら、旅に出ることにしよう。
夕方から本降りとなる。「椿の湯」はお休み。

6月19日(月)

松山子規会六月例会出席(正宗寺)。講師は佐伯健氏でテーマは「子規の常盤舎舎友、佐伯伝蔵」。佐伯伝蔵は健氏の祖父に当る。
帰途、義安寺墓苑にて新しく据え付けた「道後 三好家之墓」と対面する。庵治石の見事な墓が出来た。温子も喜んでくれると思う。
日中は暑くて体がついていかない。夕方になって、庭の水やり。20時、「椿の湯」に出掛け、業務スーパーで野菜、果物の買出し。
一遍会7月度例会案内をマスコミ、ミニコミに流す。
【→尚子さん】
「父の日」の贈り物、ありがとう。庭の水遣りの最中に受け取りました。夕飯の支度をして、コーヒーを飲みながら袋を開きました。
パックに詰められた加賀味噌、讃岐のだし醤油、神戸赤ワイン煮、九州産ぶりあら炊き、富山のあられと、各地の銘品の詰め合わせのセンスの素晴らしさに驚きました。尚子さんと亜実ちゃんの心温まるメッセージを読みました。ありがとうございました。まずはお茶受けに「花あらし」から頂くことにしましょう。
早速仏壇に供えて、母さんに報告しました。「久世福商店」の名前は知りませんでしたが、包装紙に印刷された一文が「イザヤ書」43章4節に気付きました。「私の目には、あなたは高価(precious)で尊い(honred)。 わたしは、あなたを愛している。」 経営者がクリスチャンなのでしょうか。企業の理念とベスト商品揃えが合致しているように思いました。素晴らしいプレゼントでした。

亜実ちゃん、おじいちゃんは亜実ちゃんと違って、今は「毎日恋している相手」は残念ながらいません。毎朝仏壇にお茶を供えておばあちゃんと話すことから一日が始まります。夜は、奥の間(仏壇の間)で寝てますから、一晩一緒です。いつもおばあちゃんと一緒だから寂しくありませんが、呼びかけても返事が来ないから、寂しく感じます。
長くなりました。朝食の準備に入ります。トースターは快調です。

6月18日(日)

6時から3時間半、屋内の掃除と洗濯。
座敷と奥の間の掛け軸を掛け換える。
座敷は日下部鳴鶴(仙史)の「七言絶句」で二双の屏風の書体と揃える。奥の間は遊行上人の軸物である。
午後、尚子さんから「父の日」の贈り物、「カネ美食品」からグルメセットが届く。専らリビングで雑読、夕方には庭の散水。
夜、NHK「おんな城主直虎」を見て「椿の湯」

6月17日(土)

6時半から3時間、表庭のカイヅカの生垣の剪定作業完了。
10時、道後温泉別館「飛鳥乃湯泉」開館記念講演会@「文献に見える天皇の行幸と古代湯帳の歴史」(前園実知雄氏)を聴く。子規博3階ホールに300人集まる。
1)はじめに
2)『伊予風土記』逸文に見える天皇の行幸
3)『古事記』・『日本書紀』に見える伊予と湯泉
4)飛鳥で出土した木簡に記された湯評
5)『万葉集』・『源氏物語』に見る伊予の湯
6)古代浴衣(湯帳)について
7)中国古代の皇帝と温泉宮
1)〜5)は既知の歴史であるが6)〜7)は映像であり興味深い。
田中、江刺、八束、池田氏ら一遍会理事クラスの出席多し。
ランチはセブンの「冷やし中華」。午後、前園実知雄氏の講話の復習。川掃除や表庭の水やり。エアコン付で書斎作業。
17時から21時まで映画「三屋清左衛門残日録」(北大路欣也主演)を見る。「椿の湯」。
「椿の湯」。

6月16日(金)


本日快晴!!! 
畑の水やり後、昨年の秋までは家内との共同作業で一日で終わったが、一人作業となると片付け、袋入れの手間が大変で少々腰を痛めたようだ。7時半〜9時半の2時間の作業で打ち切り。
妻の「七の十五日」。11時バスで奥道後(壱湯之守)に向かう。月一回家内と出かけたランチバイキング&スパの恒例行事である。帰途、義安寺で新たに設置した「道後 三好家之墓」を確認する。
夕方までエアコンの効いたリビングでのんびりする。「椿の湯」の予定はないので業務スーパーの陳列棚の商品群をチェック、ジャムは「セブン」で探し求める。
温子の「七の十五日」メールには息子と息子の嫁からメールが届く。

6月15日(木)

本日快晴!!! 
暑くなりそうなので午前中が勝負・・・洗濯、水やり、垣根の刈り込み、シュロの剪定、庭の散水設備の設置、ベットの敷布、カバー干し・・・・・と、6時から働きづめ(?)で、やっと11時に完了。ヤレヤレ。
昼食後はTVを眺めてぼんやり過ごす。16時、今夏初めての庭の水撒き。
夜はTV「プレバト」を見て「椿の湯」。

6月14日(水)

温子の不慮の死に結びついた裏庭の柏の枝切りと片付け。命綱は枝にしっかりと巻きつけられており、心臓発作で1メートル離れた綱の結び目に届かず宙ぶらりんになったのか。
命綱をしていなければ、地上に落下して、骨折くらいで済んだのかもしれない。いずれにしても共同作業であれば助かった生命だったかもしれない。悔やんでも悔やみきれない辛さが残る。
東北の鬼門に当るので除草をしてクリーンな空き地にしておきたい。
遅めの昼食。柏井正子さんの日赤入院に関しての諸々の打ち合わせ。「おひとりの老後と入院」についてはいろいろ考えさせられた。
泰世に「父の日」のプレゼントの礼状を書く。松山子規会烏谷事務局長に所見を送る。
【→烏谷氏】
冠省 過半の打ち合わせ会の席上、宇都宮さんから「HP松山子規会」の提案があり異論はないのですが、HP制作の経験から慎重にご検討いただきたく左記しました。
@担当者 現役員では佐伯さん以外頭に浮かびませんが、佐伯さんは数年を待たず「秋山兄弟記念館」の事務局長かと思います。無理でしょう。適任者を決定後、HP制作の準備に入るべきです。
A費用 担当者には最低限パソコン・スキャン・印刷機・写真取り込み等編集ソフトとあわせてHP容量の業者支払いが必要です。余裕をもった予算が必要です。
BHP担当者と役員の情報交換(受発信)はメールが前提でないと担当者は作業量でパンクするのが必定です。役員は最低限「携帯」でのメール受発信かワープロ原稿の義務付けが必要です。まずは、思いつくままに・・・・ 

6月13日(火)

快晴。屋敷内のガラス戸、障子を開けっ放しにして空気に入れ替え。モップでフローリング、畳の掃除、洗濯と続く。書斎に入ったのが10時。11時、晃子さんが弁当持参で訪問。
午後2時からサミット。
神戸から「父の日」の贈り物(マルチカードケース)。重宝したい。
フジで食料品購入。「椿の湯」。

6月12日(月)

快晴。川掃除で引き上げたゴミの処分。
「野中経営」と温子の遺産相続につき葬儀費用を含めて確定を依頼する。
引き続き、自分の資産を含めて最終的に息子、孫たちへの「相続」につき、この際検討しておくことにした。
「一遍会6月度定期便」23部郵送する。宝厳寺には「宝厳寺古図」の複写資料を送る。
「文芸春秋」F通読。「椿の湯」。
【→宝厳寺 長岡陽子】
お届けすべき「一遍会6月度定期便」と「宝厳寺古図」を今回は郵送させていただきました。
古図の原本は伊予史談会所蔵ですが、一般公開はしていません。高須賀さん(現・伊予史談会相談役 前・会長)にご相談されてはと思います。
是非、パネル展示され、県内外の観光客に広くいにしえの宝厳寺の威容をご覧頂いては如何かと思っています。

6月11日(日)

温子が亡くなって100日、実感はないが確実に月日が過ぎ去ったのは事実である。
午前中伊予史談会6月例会出席(県生活文化センター)。
1)「伊予の修験寺院―吉田領当山派袈裟頭宝冠寺を中心に―」 竹島大佑氏
2)「松山にみる近現代マスメディア史」 松友武昭氏
修験道は概論では理解しているが、具体的な寺院名が出ても内容が理解できない。本山派の聖護院、当山派は醍醐寺三宝院は訪問してはいるが・・・
松友氏のマスメディア史は調査の努力は大いに評価するが、解釈については異論もある。
午後、川掃除。一遍会6月度定期便の袋入れ作業完了。恒治、淳志、尚子さんから温子百ヶ日のメールが届く。
NHK大河ドラマ「おんな城主直虎」。「椿の湯」。

6月10日(土)


一遍会六月例会(道後公民館)。
1)「一遍語録を読む」N 杉野祥一氏
2)「国宝『一遍聖絵』のびっくり・ポン!」
夕6時から大街道「すし丸」で一遍会役員懇親会。@5,000円。杉野祥一・永井芳枝理事欠席で9名参加。江刺精久理事の独演会となる。実に楽しい一夕であった。。

6月9日(金)

温子の「七の十四日」に当る。晴天、朝一番に洗濯。
9時半、蜂須賀さんの車で宝厳寺を訪ね、「伊予史談」寄稿原稿の住職、檀家総代の見解を聴取。陽子尼も尼らしくなってきた。
午後、同誌の「歴史余話」の「宝厳寺の再建」(4,000字)執筆。
『文芸春秋』7月号通読。
@特集 奢れる安倍一強への反旗
Aわたしの師匠22人
B小池百合子「私の政権公約」
C「高齢者と抗がん剤」の真実(国立がんセンター理事長 中釜斉)ほか。
通販申込みのマジックトリマー入手。表庭の生垣と裏庭の雑草の刈り込みを来週実行したい。
晃子さんがトマト煮込み料理を持参。「椿の湯」。

6月8日(木)

午前中、NHK松山支局、県図書館、県美術館。
@「ターナーからモネへ (ウエールズ国立美術館蔵)」
A第28回愛媛独立書展
昼食は「東京第一ホテル松山」、喫茶は「スタバ」。
午後、松山子規会「松山 子規事典」役員会。故 故和田克司編集委員長の「事典」での取り扱いにつきホットな議論。井出会長と小生の少数意見が通る。無情と非情は違う。故人は故人として取り扱うということだ。
結果として平岡英 現編集長を支援することとなった。
「椿の湯」。

6月7日(水)

朝から終日雨である。いよいよ梅雨入りか。午前中、溜まっていた日記の整理や来発状の点検をすます。
正子さんから日赤(梶原医師)で肺がんの疑いがあり、説明(手術、放射線治療など)に同伴してもらいたいとの申し出あり。22日(木)で了承する。手術後の入院となると男では役に立たないから女性の世話人を依頼するようにアドバイスする。
薬師寺から「薬師寺伽藍復興 写経勧進納経集印帳一」送付。今回が5回目である。(@昭和59年5月6日A平成2年1月2日B平成2年4月29日C平成3年1月2日D平成29年6月3日)年1回は薬師寺で写経をするか。

6月6日(火)

朝10時「シネマサンシャイン衣山」で「家族はつらいよA」を鑑賞する。夫妻(橋爪功・吉行和子)、長男夫妻(西村雅彦、夏川結衣)、長女夫妻(中嶋朋子、林家正蔵)次男夫婦(妻夫木聡、蒼井優)の組み合わせが絶妙、笑いを誘う。急死した同期生(小林稔侍)のメイキャップに驚く。
「車の免許証」を巡ってのいざこざは解決されないままだが、山田洋次監督の脚本と演出は当代一流である。実に面白かった。
ランチはゾーン内の「つるちゃん」のうどん。
伊予鉄で古町乗換え清水町下車、「ダイキ」で『一遍会報』第389号印刷。両面カラー印刷で@120円が@60円なので経費的には大助かりである。
なんとなく疲れて無為に過ごす。龍穏寺住職と打ち合わせ、温子の新盆法要を7月22日19:00〜20:00開催と決める。「椿の湯」。

6月5日(月)

爽やかな初夏の一日となる。
懸案の事項を一気に片付ける。
@「一遍会6月度ニュース」」の編集と会員にはメールで伝達。
A『一遍会報』第389号最終稿を取りまとめテスト印刷。初めてのカラー版である。
Bアマゾン経由パソコン未着トラブル処理。
C温子「残高証明書」取りまとめ。
D梅谷繁樹師宛『一遍会報』掲載依頼。
E「新盆」「お盆」日程の打ち合わせ。
F「飛鳥乃温泉開館記念講演会」申込みなど
G一遍会6月例会江刺講師と時間調整
夕、亜実から誕生日お祝いの御礼電話。
「椿の湯」。

6月4日(日)


朝から洗濯(2回)、留守中の空気の入れ替えと掃除で大忙しである。
葉書は6月1日から10円値上がりしたことを忘れ、前嶋さん宛の礼状が返戻、いやはや。
温子の「残高証明書」揃う。相続人の分割協議について息子との確認を今月中に終了したい。
『一遍会報』第390号の足助威男掌上仏写真の編集。
「奈良一人旅 平成29年6月」の紀行文を取りまとめ息子たちに知らせる。
午後3時頃に気温がピーク(28℃)になる。夕方買いものに出かける。(フジ、業務スーパー、セブン)。
NHK大河ドラマ「おんな城主直虎」。「椿の湯」。

6月3日(土)


ホテルで朝食(サービス)後、奈良バスで薬師寺に直行、8時半開門とともに入門、僧侶と朝の読経(般若心経)をあげ、「写経」に入りました。薬師寺での写経は5回目でしょうか、今回は「為三光院春雅温妙大師」を念じました。母さんとは2回一緒に写経しました。竣工した「食堂」や金堂、講堂、西塔を回り、11時近鉄で西大寺に出て、10年ぶりに「西大寺」を参詣しました。法相宗の薬師寺と違い真言律宗の西大寺には密教の雰囲気があり、たまたま管長と出会いお話しが出来ました。
14時奈良に戻り、奈良町界隈を二時間ほどぶらり散策して、最終のリムジンで伊丹に向かい「空弁」とビールで小休憩、ANAの最終便(20時発)に乗り込みました。
暑さの中一日2万歩くらい歩きましたが、奈良は日陰も多く快適な旅でした。奈良一人旅は充実していましたが、ホテルの夜は話し相手の母さんがいなくて寂しかったです。

6月2日(金)

ANA始発(8時)で伊丹空港に着き、リムジンで奈良に直行し11時には奈良国立博物館に入館しました。鎌倉時代の仏師といえば運慶、快慶ですが、「特別展 快慶」と「奈良仏像舘」をたっぷり3時間かけて見学、次いで春日大社と同国宝館を見学、誕生したばかりの「子鹿苑」に立ち寄り童心に帰りました。興福寺を経由して、近鉄奈良駅からバスで国鉄奈良駅に出て「コンフォーとホテル奈良」で17時チェックイン。

6月1日(木)

道後公民館で一遍会8月例会の会場申込み。子規博で6月度子規さん俳句確認「温泉(ゆ)上がりに三津の肴のなます哉   子規」。愛媛銀行、伊予銀行、郵便局を回る。
一遍会6月例会案内を会員に流す。HP「一遍会」の追加(イラスト)を勝岡昭氏に依頼、夕方最終版をセットする。
前嶋さんから「お供え」が届く。史晃、亜実が6月誕生なのでお祝いを贈る(@10,000円)。
明日から奈良一人旅、念入りに準備する。
【→俳句】
平成29年6月 「温泉上がりに三津の肴のなます哉   子規」
子規記念博物館(館長 竹田美喜氏)選句の子規さんの平成29年6月の句は「温泉上がりに三津の肴のなます哉   子規」です。
明治23年(1890)の作品で、季語は「冲膾」(夏)です。『子規全集』第三巻 俳句三「寒山落木 拾遺」494頁 (明治二十八年)と第十八巻 書簡一 165ページに掲載されています。
明治二十三年八月三日付け「大谷藤治郎(是空)」宛書簡を掲載する。
「此度愈鉄窓の方角士を辞し大阪の大川町の大谷といふ身故まづ大三字といふ役に栄転せられたる処欣抃(きんべん)々々 然るに又もや病魔に襲はれ給ふよし不欣抃(きんべん)々々(差引零となる之を是空といふ) 早く来給へ御馳走して待てゐるよ
    温泉上がりに三津の肴のなます哉 」
子規にとっての「親友」である是空に、ふるさと道後の温泉とふるさと料理で病気の友を励まそうとする、子規の優しい気持ちが感じられる句である。
今も同様であるが、近海物は三津であり、伊予節に「三津の朝市 道後の温泉」とある。
子規さんにあやかって一句
「温泉上がりに伊予のみかんと団子哉 子規もどき」 道後関所番
5月31日(水)
8時半からタケオ電気のエアコン設置作業継続、15時に完了する。今夏は、次の間、奥の間、離れの3室ともにエアコン付だから、恒治・淳志ファミリーが帰宅しても大丈夫である。HP一遍会の6月度版は「子規さん6月度俳句」を除いて作業完了。二時間ほど表庭の草引き。
5月30日(火)
8時半、タケオ電気のエアコン設置作業(4台うち2台は更新)。温子と毎年出かけていた「フジファミリーミュージカル」に応募。今年の公演は「あしながおじさん」(13:30〜 ひめぎんホール)。バレーボールの大林素子OGが出演だから彼女があしながおじさん(リペット院長)になるのだろう。10時「イフイ」と墓石の最終打ち合わせ。6月末には完工(予定)。新盆には骨壷を納めることができそうだ。やれやれ。
午後、エアコン5台の据付が始まる。セットが終わると電源を切っての点検確認、パソコンが自由に使えない。その中で、HP一遍会の6月度版の改定作業を進める。昨日と同じく、早めに「椿の湯」。
5月29日(月)
メールに見慣れない名前がある。「一向上人と一遍上人が並んで踊り念仏をしている」という新出史料が出ました。山形県立博物館収蔵です。年間案内の「私たちのたからもの」のところに図像が載っています。
http://www.yamagata-museum.jp/event/schedule/?action=common_download_main&upload_id=8129
早速検索し、一向上人と一遍上人の踊り念仏の画像を入手する。一向上人については数年前に一遍会例会で発表したが、まだまだ一向上人は謎の人物である。
午前中、郵便局、市川バナナ店、クリーニング屋・・・と回る。主夫業も板についてきた。タケオ電気が配線、エアコン取り付け作業に入る。午後、梅木賢正君が来訪。2時間ほど雑談する。今年初めて扇風機を回す。フジで週初のショッピング、早めに19時「椿の湯」。
【→井澤先生】
「一向上人と一遍上人が並んで踊り念仏をしているという新出史料」をご紹介いただき、まことにありがとうございました。一向上人画像は「一向上人立往生の図」のイメージそっくりですが、一遍上人画像は「はて、いかがなものか」が初印象です。大いに興味が湧きました。6月9日に宝厳寺で、故長岡住職夫人と次女陽子尼に会う予定ですので、話題にしたいと思います。まことにありがとうございました。ご紹介いただき感激しております。今後ともよろしくお願い申し上げます。
5月28日(日)
午前中3時間、義安寺で墓掃除、温子との共同作業では半日仕事だったが、一人なので来週再度墓掃除が必要である。「メルパルク」でランチを食べ、温泉で1時間ゆったりと過ごす。気持ちの余裕が出来たところで今週末の奈良一人旅のプランをとりまとめる。ANAの手配、「コンフォートホテル奈良」をセットする。温子の死後はじめて家を一晩空けることになる。NHK大河ドラマ「おんな城主直虎」。
【→神戸】
芭蕉の句に「行く春を近江の人と惜しみける」がありますが、淳志の心は「行く春に近江の人と別れける」なんだろうなあと思います。最後の支店長職が人情味ある近江の草津でよかったですね。6月にはいると暑さが厳しくなるので、朝8時過ぎにお墓の掃除に出かけました。年3回(春、夏、年末)母さんとの共同作業で墓掃除は午前中に終わって、「メルパルク」でランチを食べて、温泉に入って・・・という過ごし方でしたが、やはり一人では半分しかできず、来週にもう一回掃除に出かけます。もっともランチは食べて温泉に入って今帰宅しました。6月末には、墓が出来あがるかなと思っています。昨日の同窓会は散髪して颯爽として出席したので、「おばさん」達から「恭治さん、頑張ってますね。安心しました。」という声援を送られました。もっともデイトの誘いはありませんでした。いやはや。という次第です。恒治と喫茶するそうですね。よろしく云っておいてください。
5月27日(土)
午前中2時間余、表庭の草引き。キイチ(担当 山岡)から茶室&納屋修繕工事の見積書提出(30万円 うち6割は茶室用畳の新調代)。
夕、高校同窓会総会出席(ひめぎんホール真珠の間 17:00〜19:30)
@講演「子規・漱石・極堂生誕150年−松山中学と子規・漱石・極堂」 講師 竹田美喜(子規博館長)
A俳句部紹介−「俳句甲子園」の真似事だが、褒められないし、中学校の水準である。現在部員が5名(男子3名、女子2名)では、子規も大江も失望するだろう、な。
B総会・懇親会。同期の出席は男子5名(石川・戒田・篠浦・三好・山崎)女子10名といったところか。石川君から一遍会参加の申し出あり、大歓迎である。
久しぶりのアルコールで酔ったので、椿の湯はお休み。
5月26日(金)
朝一番に洗濯、引き続き表の草引きとマーガレットの花後の片付け。昼食後、畑の除草など。
夕、義安寺に墓参り。春彼岸は温子の法要等で落ち着かず、墓地の清掃をしなかったので雑草がぼうぼうと伸びている。近日中に草引きをやらねばなるまい。18時、道後彩朝楽のプレミアムバイキング&スパ(@2,288円)。いつもの席に座る。「つかさビューホテル」時代からの利用客でもあり、女将と雑談を楽しむ。露天風呂からの眺望もよし。21時半過ぎ帰宅。妻の「七の十二日」に当るので息子たちに定期的なメッセージを送る。
5月25日(木)
昨夜は雨が降り続くも朝には止む。早速草引き開始して2時間。昼食後、JAバンクで「残高証明書」を受け取り、その足で「しげまつ」で散髪。フジで数日分の食料を買い込む。前嶋さんから温子に、例年通り旅の誘いが来る。早速返信する。驚くだろうなあ。TV「プレバト」を見て「椿の湯」のパターン。
【→前嶋さん】
謹啓 能登、金沢ツアーのご案内ありがとうございました。哀しいご報告となりますが、妻・温子は、三月四日に急逝いたしました。庭で枝切りをしておりました時に心臓麻痺で倒れました。当日九時半に妻に見送られて会議に出席しましたので「発見」は夕方になりました。苦しみもなく、穏やかな、微笑みすら感じられる顔でした。
前嶋様とは、本当に、長い長いお付き合いでした。ありがとうございました。特に近年は、毎年のように上阪し、前嶋様とのデイトを楽しみにしておりました。本年の能登、金沢には何回も夫婦で訪ね、また淳志が金沢支店で勤務したこともあり、大賛成で参加したことと思います。霊前に、お手紙とツアーの切抜きを供えて報告しておきます。前島様にはご主人様を亡くされお寂しい気持ちと存じますが、妻を亡くして二ヶ月半の私にとって「妻宝極楽」から「妻宝浄土」の心の安らぎを得るのは至難のことだろうと思っております。
 松山にお越しの節には、是非お立ち寄りください。お待ちしております。訃報をお知らせしようと思いつつ旬日を重ねてしまいました。七七日法要で配りました写真を同封しました。正倉院展での前島様との写真も掲載しております。早春から初夏へ・・・時の流れを感じております。恒治は六月から東京勤務、淳志は滋賀県の草津支店から五月中旬に大阪(梅田)勤務になりました。定年が延びましたので、松山で一緒に住むことはなくなりました。前島様には末永くご多幸でありますように祈念申し上げます。まずは御礼とお知らせまで。敬具
5月24日(水)
タケオ電気の改修工事が入る。(担当者2名)。20年前の帰郷時の大改修以来の電気工事となる。19時まで仕事が続く。
午後、「フォレスタコンサートIN 愛媛」(市民会館14:00〜16;30)。「フォレス」はBS日本・こころの歌でおなじみのコーラスグループである。松山公演では男性7名、女性が4名、ピアノ3名、司会は石川牧子。男性歌手はなかなかのエンターテイナーである。歌(メロディー)の多くは知っており大いに楽しめた。あざみの歌、浜千鳥、みかんの花咲く丘、熱き心に、荒城の月、故郷の空、まつり、からたち日記、ダンシング・オールナイト、ダイアナ、川の流れのように、「瑞穂幻想」は知らない曲であった。
タケオ電気が退出したのが19時、慌てて夕食に準備、20時30分には「椿の湯」。疲れていたのだろう、22時30分就寝で目覚めが今朝5時30分、正味7時間の熟睡か。
5月23日(火)
市役所道後支所で相続関係証明書手続き。新生銀行とオリックス銀行に「残高証明」請求手続きをする。
キイチ(担当 山岡さん)と家屋の修理・修繕の打ち合わせ。
@屋敷蔵の物置1室を書庫に改修。
A茶室(温故亭)の補修と畳入れ替え
B長屋門内の居室(現在は書庫)の改築・改装プランは息子たちと相談して企画を進める。
午後、コミセンに出掛ける。市図書館で約1時間ぶらり読書して、松山法人会主催の講演会に出席。
講師は田崎史郎氏(時事通信社)「これからの政局のゆくえ」。田崎氏は週何回かTVの時事コメントでお見かけする。実に話題が豊富で、官邸筋の情報が新鮮である。政治とは政治家がつくる。政治家は@人間関係とA二つの「リ」で動く(「理」理念、理論、「利」利益)で動く。「人間関係」は政治家の不遇時の人間関係が重要なファクターである。実に明快である。宅は18:00。急いで夕食の支度、「椿の湯」でゆったりする。
5月22日(月)
可燃ゴミ集配日であり、温子の肌着類、川掃除の藻類が加わってパック5袋になる。8時、日野歯科受診、右奥歯の治療完了。半年間休みにしたので一年がかりとなった。洗濯の後、愛媛信用金庫で「解約手続き」を済ます。昼食は三日続きで「うどん」、出汁さえあれば手間要らずである。
『一遍会報』第390号(八束武夫論文)の割付。原案を八束氏に照会、7月号で発行の予定である。
午後、気温は30度近いが、風があり湿度もあまり高くないので、体感温度は26〜7度か。「松山エデンの園」(聖隷福祉事業団)の担当者から電話。同園の行事の案内は了承する。主協力医療機関は「松山ベテル病院」。21時「椿の湯」。
5月21日(日)
 「まつやま子規亭2017」申し込み。@「寄席の江戸芸を楽しむ」(二代 林家三平)A「歌舞伎を楽しむ〜トークショウー〜」(市川猿之助)B「音楽を楽しむ」(クミコ)C「市川猿之助特別舞踏会」。通し券は15,000円。今週分の溜まっていた未記入の日記に書く。
午後から浴室の不用品、2畳間の温子の肌衣類の処分などなど。夕、今市川の清掃で一汗流す。NHK大河ドラマ「おんな城主直虎」を見て「椿の湯」。
【→息子へ】
おはよう  朝食、片付けが終わって机に向かっています。今日は30度近くに暑さになるそうですね。ゆっくり休養してください、な。「残高証明」は市内の銀行分は終わりましたが、信託銀行や東京・大阪の取り扱い銀行はこれからになります。。そのうち「印鑑証明」などの依頼をすることになるでしょう。恒治は東京だから手続きに時間がかかりますが、よろしく頼みます。
来週から、安全対策で@裸配線の取替えAお蔵の床板の補強工事とB母さんの化粧品類、肌着類の処分C新しい墓の建立と新盆に向けての準備と入ります。来週の予定は(月)日野歯科受診(火)法人会講演会(田崎史郎氏)(水)フォレストコンサート(金)道後彩朝楽バイキング&スパ(土)高校同窓会と続きます。という次第で、杖をつきながら歩きまわっています。シニアにしては元気だと思ってはいますが・・・・・
飛び込みの仕事が入らなければ30〜31日に奈良に出掛け、奈良国立博物館と春日大社資料館を見学したいと思っています。始発のANAを利用すると午前中に奈良に着きますので随分楽になりました。神戸には立ち寄れませんので悪しからず。暑いようだったら中止します。恒治は上京の準備、淳志は新職場赴任と職場環境が大幅に変わりますが、健康には充分留意してください。泰世さんの携帯着信は依然不通です。恒治の上京までに対応しておいてください。
5月20日(土)
子規博で竹田美喜館長の講演会に出席。テーマは「子規と漱石の五十二日−−俳句革新論稿『俳諧大要』誕生秘話−其の一」。力作であり、講師の熱気が伝わってくる。『俳諧大要』は自分の関心テーマではなかったが、改めて勉強してみたいと思う。特に、須磨の病院で生死の境をさまよった時に「日蓮」に傾倒した推移は子規の生死観に大きな影響を与えたのは事実であり、この点からもアプローチしたい。午後、30度近くに気温上昇、外出は取りやめる。
温子の葬儀、法要、相続関係の収支の取りまとめ作業開始。墓が予算600万円であり、支出は1,000万円を越すことになる。
一遍会六月例会予告をマスコミ・ミニコミに流す。5月度例会講演の八束武夫氏から『一遍会報』の原稿が届く。依頼した字数を大幅に越えているので対応に苦慮する。屋内の片付けを進める。やっとタオル類を一ヶ所に格納する。「椿の湯」で汗を流しほっとする。
5月19日(金)
午後、松山子規会5月度例会(正宗寺)出席。講師は高村昌雄氏、テーマは「『はて知らずの記』と子規文学碑」。高村氏が足で歩いた記録と写真である。記念碑は都市開発の関連で移設することが多く、なかなか決定版を取りまとめることは困難なようだ。ところで、一遍の句碑や顕彰碑はどのくらい現存しているのか、な。帰途、平岡英氏と一緒になり、『松山 子規事典』等の情報交換。夕暮れまで草引き。「椿の湯」。
【→息子へ】
今日は母さんの「七の十一日」に当ります。ここ一週間、朝6時には「うぐいす」の「ほ、ほけきょ」で起床です。毎年来ている「うぐいす」かもしれません。「ケール」もやっと15センチまで生育しました。来月からはジュースで飲むのが楽しみです。バラも咲き、新緑も深緑となり、わが家の佇まいはなにも変わってはいないのですが・・・・・
昨日は例年通り「スーパー フジ」の株主総会に出席しました。母さんがいつも楽しみに出席していた株主総会です。今週から、各銀行に母さんの残高証明の申請でまわっています。結構時間がかかります。県外の銀行は郵送になりますので、今月末を目標にしています。
朝夕の気温差、日中の暑さと「夏近し」です。呉々も健康に留意してください。父は健康ですが、右足をかばい過ぎるのか、左足にストレスが溜まってきてちょっと心配しています。孫たちにもよろしく。まずは、近況まで。 
5月18日(木)
10時フジ株主総会。温子が楽しみにして必ず出席していた。手土産は@花カツオA煎茶パックB食器洗剤Cあられ。主夫にとっても有難い土産である。昼食は地下街の「とんかつ活よし」の日替わりランチ。温子名義の銀行残高証明書交付手続き(三井住友信託、二浪証券、愛媛信用金庫、郵便局)。帰宅してから、新生銀行とオリックス信託銀行に電話で手続きする。
「フォレスタコンサートin愛媛」(24日)と「松山子規亭2017」予約申し込み。「プレバト(プレッシャーバトル)」を見て「椿の湯」
5月17日(水)
早朝から草引き。10時、野中経営の吉岡氏来訪。相続関係書類を受け取る。市役所道後支所で印鑑証明書の交付を受け、早速温子名義の銀行残高証明書交付手続き(伊予銀行、愛媛銀行)。取引先が10行あるので結構時間と手間がかかりそうである。
亭庭の草引き、リビング横の納戸の不用品を整理し、仕分けする。「椿の湯」に入って、やっと気分的に落ち着く。
5月16日(火)
朝8時に日野歯科。奥歯の「かぶせ」に約二時間を要す、時間はかかるが丁寧な仕事ぶりである。昼食はセブンの「ドライカレー」、実にうまい。おひたしとスープ付きのMK特製である。宝厳寺に「五月度例会資料」持参、奥さんと話しする。帰宅後、昨日に引き続き、リビング横の納戸を整理。あらかた片付く。リムーバルディスク(F)に松山子規会関係資料を集約する。『松山 子規事典』の出版が一応の区切りとなろう。終日、ウグイスが庭中で鳴く。向こう三軒両隣りの面々は喜んでいることだろう。
5月15日(月)
朝一番に、息子と孫らにメール。昨日の「母の日」を話題にする。郵便局、銀行、市役所道後支所を廻る。ゴルフ会員権贈与の当方の手続きを終え、証明書・申請書を作成する。リビング横の納戸を整理。暑中見舞い、お歳暮、金融機関の贈り物がうずたかく積まれている。食品類、生活関連商品、空箱、紙袋などなどうんざりする。妻も整理整頓は熱心だったが処分は苦手か。「断捨離」に徹していくか。洗濯、畑やプランターの水撒き。今日も肉体的に疲れた。「椿の湯」で身体を休める。
5月14日(日)
伊予史談会5月例会出席。
1)歴史町みつはま漫遊道 越智公行(郷土史家)
2)捨聖一遍の人権に学ぶ 武智利博(伊予史談会顧問)
午後、温子にあやかって「仮称 温故亭」として茶室を活用することにしたので、とりあえず格納していた品を移動させ、掃除を済ます。網戸サッシを4ヶ所(リビング、キッチン、奥の間、離れ)を取り付ける。食器棚の引き出しから在庫の食品をチェック、賞味期限の切れているものは早期に処分していきたい。裏庭の草引き・・・で夕方になる。疲れた。NHK大河ドラマ「おんな城主直虎」を見て「椿の湯」。
5月13日(土)
午前中、(有)タケオ電気社長が見積もり持参。午後、一遍会5月例会並びに理事会開催。講話は八束武夫氏「河野氏の遠祖を探る(3)」。理事会では6月例会後に「すし丸」での懇親会開催を決める。夕、表庭の草引き、2時間余。NHK「ブラタモリ」(箱根関所編)を見て「椿の湯」。セブンに立ち寄る。
5月12日(金)
午後から天候が崩れるとの予報があり、午前中座敷の草引きに集中する。夕方から雨となる。午後、『一遍会報』第389号の写真版の制作に注力し、2頁12枚の掌上仏の写真と坂村真民翁らの詩を割り付ける。これで次号(6月度例会配布分)の見通しが立った。次男は現場(支店長)から経済研究所に転籍の由、まずは順調な銀行マン人生でなかったかと思う。
5月11日(木)
晴れ間の一日、洗濯す。午前中、『一遍会報』第389号の写真版の制作。パソコン技術としてはいささか無謀を承知で『掌上仏の世界 愛燦々無尽 足助威男作陶集』掲載の写真をデジカメで撮り、パソコンに取り込んで会報紙面に割り付けるという作業である。テストしてみたが、なんとか編集できそうである。80歳のおじいちゃん頑張れである。いやはや。昼食は晃子さんが弁当をつくって訪問してくれる。有難し。温子の追憶が中心になる。当然のことではあるが・・・
14:00から「日野歯科」受診。一年越しの(ただし飛び飛びの受診だが・・・)歯の本格的な治療は次回で終了となる。金歯(@6万円)は止めて「保険適用」で奥歯のカバーをすることにした。夕方2時間、座敷、お亭、表庭の草引き。夕食後、20時「椿の湯」に出掛ける。
5月10日(水)
雨が降るようで降らない鬱陶しい一日である。一遍会5月例会で配布する「一遍会ニュース」と『一遍会報』第388号を最終チェック。ダイキで60部と80部印刷する。小論「宝厳寺再建」も印刷。モップを購入。毎週水曜日に濡れ縁を拭き掃除することにする。式台、座敷濡れ縁、亭庭濡れ縁の3ヶ所。子規会嶋川氏『松山 子規事典』販促で来訪。
リビングで5分間隔で「ピー」の警戒音。てっきり冷蔵庫と思ったらガスレンジが発信元とは・・・慌てて修理に出さなくて良かった。尚子さんに主夫業についてのメール照会する。「椿の湯」
5月9日(火)
終日、雨である。伊予史談会依頼の小論「宝厳寺再建」脱稿。息子に贈与する明石ゴルフ倶楽部の会員権の手続きについて同社に照会する。
4月8日から測定を開始した血圧記録一か月分を検証する。80歳の標準は160〜90mmHGであるが、目下最高血圧が160〜170〜180
である。180を越すようなことになれば柳井医師に相談するか。
午後、二ヶ月ぶりに「サミット」参加。気のあった小学生の友人だけに、2時間の会話も楽しい。
5月8日(月)
一遍会5月例会ニュースを会員に流す。奥道後「壱湯の守」バイキング&スパに出かける。GW明けなので予想通りレストランもスパもガラガラである。四つの浴槽で他の客とバッティングしなかったのは入浴客最大4人と云うことか、いやはや。夕方の表庭の草引き以外は一日家事から解放された次第、母さんの気持ちが少しは分かるようになったが、遅すぎた、無念。
5月7日(日)
小論「宝厳寺再建」の継続執筆。初稿としては完了する。冬物の洗濯、亭庭の草引など。NHK大河ドラマ「おんな城主直虎」を見て「椿の湯」。観光客が少なくなり、「椿の湯」にもやっと平穏が戻る。温泉関係者の言だが「これほどの混雑ははじめてだ。」とか。常連の西山さんの言では「これほど汚れていたら入浴する気にもならない。シャワーで全身を洗って出てきた」とのこと。
5月6日(土)
小論「宝厳寺再建」の継続執筆。募金、寄進細部について蜂須賀宝厳寺総代に照会する。予定通り、明日粗稿を仕上げたい。二時間、表庭の草引き。冬物と夏物の衣料の入れ替え・・・はじめての経験になるのでやや途方にくれる。5月中にうまく切り替えていきたいものだ。「椿の湯」は、やっと空いてきたようだ。やれやれ。
5月5日(金)
「こどもの日」である。神戸の息子二人にメッセージを送る。小論「宝厳寺再建」の継続執筆。7割くらいの進行か。『明教』第44号に「宝厳寺炎上す〜在りし寺の記憶の継承の試み〜」を寄稿しており大いに参考になった。
座敷と表庭の草引き2時間。GWも妻が逝ってしまうと孤独の数日間となる。週明けには奥道後温泉に出かけるとするか。「椿の湯」は三日間ではもっとも混雑している。これでは到底温泉気分など湧かない。
5月4日(木)
小論「宝厳寺再建」の執筆。3年間の鮮明な記憶と未発表の宝厳寺史料を組み合わせて伊予史談会会員に興味ある話題を提供したい。座敷の草引き2時間、プランターの「ケール」30本を畑に移植する。妻も「ケール」を便秘に役立つと重宝していたが、毎朝のドリンクは健康のバロメーターのように思える。恒治の「ケータイ」へのメールが毎日の日課となる。安否確認を兼ねるようになった。大成功である。「プレバト」(プレシャー・バトルの略称)の俳句を見て「椿の湯」。昨夜以上の混雑振りである。
5月3日(水)
GW後半の開始、「憲法記念日」である。安倍首相が2020年に憲法改正を発議する意向を表明した。週末までに『伊予史談』掲載の「宝厳寺再建」を執筆するので、保管中の資料をとりまとめて手元に置く。市教委文化財課と市消防局の資料で正確を期したい。合間に座敷の草引きと畑づくり。鍬を手にしたが昨年に比べて体力が極端に落ちたことを痛感する。「椿の湯」は、例年通りの大混雑、本館に入れない団体客がどっと来て・・・
5月2日(火)
快晴。思い切って家中の窓を開けて(二階を含めて)、ついでに押入れや洋服ダンスも開いて空気の入れ替え。陽気に誘われてか、シロアリ発見、警戒警報発令だ!!待ち焦がれていたウグイスがやっと裏庭に来る。「ホ、ホケキョ」の美声を終日聞かせてくれる。洗濯。HP一遍会5の月度改訂版完了。4月度収支決算を済ませ、銀行口座との確認。
「松山エデンの園」に入居中のTK君に松山東高校同窓会の案内のメールを送る。将来入居する「介護付き有料老人ホーム」の候補の一つでもある。夕方になってから1時間表庭の草引き。夕食後、椿の湯。
5月1日(月)
朝一番に一遍会会員に5月度例会案内を流す。公民館で一遍会7月例会の会場申し込み。子規博で五月度懸垂幕子規さん俳句「すよすよと舟の側飛ぶ蛍かな」確認。例のよもだ俳句は「妻の死を悼む すよすよと吾の側飛ぶほたるかな 子規もどき」である。小沼大八氏から『一遍会報』第488号の校正が届く。4ページ全てが小沼論文となる。HP一遍会の4月度更新作業。日中、1時間ほど亭庭と座敷の草引きと畑づくり。「椿の湯」。
【→俳句】
子規記念博物館(館長 竹田美喜氏)選句の子規さんの平成29年5月の句は「すよすよと舟の側飛ぶ蛍かな  子規」です。
明治28年(1895)の作品で、季語は「蛍」(夏)です。『子規全集』第四巻 俳句二「寒山落木」248頁 (明治二十八年 夏)と第二十一巻 草稿ノート67ページに掲載されています。
明治二十八年の蛍の季節といえば6月頃か、子規は従軍記者として大陸に渡り、帰国時船中で喀血し神戸病院に入院したのが5月23日、須磨保養院に移ったのが7月22日であるから、この句が作られたのは神戸であり神戸病院のベッドかもしれない。
子規は、生死のさまよう中で、蛍が闇の中を進む小舟の側を「すよすよ」と飛んでいく幻想をみたのかもしれない。。蛍は子規、あるいは子規の魂かもしれない。飯田蛇笏が芥川龍之介の死を悼み詠んだ「たましひのたとへば秋のほたるかな」を思い出した。
「すよすよと」という言葉は『日本国語大辞典』にもないし『広辞苑』にも載っていない。子規の造語かと思い探索を始める。
「すよすよとのびて淋しや女郎花」(寒山落木巻二 明治二六年秋)
「寒燈明滅小僧すよすよと眠りけり(寒山落木巻二 明治二九年冬)
寒燈明滅の「すよすよ」は、「すやすや」と「そよそよ」の合体か。女郎花の「すよすよ」は「なよなよ」の感じもある。とすると、蛍の句は・・・・・
明治期、松山では「すよすよと」という表現があったのだろうか、非常に興味あることばである。ぜひ、ご意見をお寄せいただきたい。
子規さんにあやかって一句
 妻の死を悼む
「すよすよと吾の側飛ぶほたるかな 子規もどき」 道後関所番
4月30日(日)
リビングの格納棚や物置を整理。賞味期限を越えたドリンクや缶詰、調理器具などを「発見」する。
リビング内に商品を陳列して、見える状態化した。在庫整理を中心にして、当座は必要な食料品だけの補充に絞っていきたい。
日中、亭庭の草引き3時間、気温は25度Cまでに上がり作業は中止。
NHK大河ドラマ「おんな城主直虎」を見て「椿の湯」。

4月29日(土)

気温も20度、爽やかである。畑の手入れと表庭と座敷の草引き。百姓仕事である。畑はケール畑づくり、一週間後くらいにポットから移植する。草引きは全体の3分に1程度の進捗か。まだまだ一ヶ月はかかりそうである。
現在は使っていない茶室だが緊急時の避難場所と考えており、名前は「温恭庵」とした。「温子」と「恭治」から一字づつ頂いたが「温恭」は詩経の商頌、那の「温恭朝夕、執事有恪」(おんきょうあさゆう、ことをとりてつつしみあり)である。おだやかで慎み深いこと。「温和恭敬」なる四字熟語もある。気に入った言葉でありお盆には茶室が使用できるようにしたい。
「椿の湯」。

4月28日(金)

多忙な一日となる。
10時から子規博で「子規・漱石・極堂生誕150周年特別企画」内覧会に招待。
午後は、坂の上の雲ミュージアム創設20周年第11回企画展「好古・真之・子規」を見る。帰宅後1時間ほど、座敷の草引き。
18時半から「道後彩朝楽」のバイキング&温泉入浴。バイキングはお目当てのビフテキを3皿食べる。
浴室は誰もいなくて、露天風呂も大浴場も独り占め。完全にリフレッシュできた。いつもの「指定席」に座る。温子の長湯で、ロビーで一時間くらい待たされ、いらいらしていたことを思い出す。21時に帰宅する。
【→ファミリー】
おはようございます。
 今日は母さんの「七八日」に当ります。いつもより念入りに仏間(奥の間)を掃除してお茶とお水を供えました。数日前の弔問の方からお花をお供えいただいたのでユリやランで華やかです。
大きな遺影は応接間、小さな遺影は仏間(奥の間)に飾りました。奥の間で寝起きしていますから一日の半分は母さんと一緒です。
GWには孫たちに会えると張り切っていた母さんの姿が浮かびます。ことしのGWには神戸ファミリーが合流して母さんの面影を偲んでもらえば、母さんも喜んでくれると思いますよ。
プレミアムフライデイの今日は、10時から子規博で「子規・漱石・極堂生誕150周年特別企画」内覧会に出席して義安寺にお参り、午後は「坂の上の雲ミュージアム」創設20周年に出席。夕は「道後彩朝楽」のバイキング&温泉を楽しんできます。1万歩を越すでしょう。母さんも、父の健脚ぶりを見て安堵してくれると思います。
暫しの時間、母さんのことを思い出して、祈ってください。父

4月27日(木)
8:00「日野歯科」受診。
トイレの消毒、掃除。数年ぶりである。便所掃除は一灯園の教えもあり不潔感は感じないが、雑巾で汚れを拭き取る境地までには到らない。修行中としておこう。
午後は庭が湿っており、表と座敷の庭の草引き3時間、腰に痛みが来ないのでどうやら坐骨神経痛は治まったようだ。
「椿の湯」から業務スーパー。

4月26日(水)
終日雨である。
『一遍会報』第388号に青山淳平氏「写真集「掌上仏の世界」」の掲載を予定したが、写真の割付がうまくいかない。
急遽、四月例会講話の小沼大八代表「柳田民俗学における神の問題」に切り替え、原稿からパソコンへの移し替え、会報紙面割付の大作業となる。夕方にはまとまる。やれやれ。
午後、野中経営・吉岡税理士来訪、業務打ち合わせ。妻の預貯金記録の説明する。
晃子さんから食材が届く。夕、小沼大八代表に会報の割付を送付、ほぼ一件落着となる。

4月25日(火)
愛媛CATV本社を経て、高島屋「四川飯店」でランチ。さすがに旨い。
県図書館司書に『一遍会報』385・386・387号を届ける。
県美術館で友の会の継続手続きを済ませ@京都細見美術館名品展とA名嘉睦稔展を鑑賞する。
伊藤若冲「雪中雄鶏図」、尾形光琳「柳図香包」、池大雅「児島湾真景図」や、仏教美術、茶の湯に関する逸品揃いに驚く。
名嘉睦稔の版画を見ながら棟方志向の版画を思い出す。強靭さ、土着性など東北人と沖縄人に共通する「原日本人」のエネルギーの発散か。
「フジ」で買い物して帰宅。夕食、「椿の湯」と続く。
【メモ】
細見美術館は、公益財団法人細見美術財団が運営する美術館です。
実業家・日本美術コレクター、細見古香庵(1901?79)に始まる細見家三代の蒐集品を基礎として、1998年に開館しました。コレクションは、神道・仏教美術から茶の湯の美術、琳派・伊藤若冲といった江戸絵画など、日本美術のほとんどすべての分野・時代を網羅するものです。美術館では、これらを中心に多彩な企画展を開催、古典に息づく美の魂を未来に活かしたいという志のもと、伝統文化の継承保存と普及振興に努めています。また、美術を愛する多くの人々が集う場所として親しんでいただけるよう、館内には茶室・ショップ・カフェも併設しています。
細見古香庵(本名:亮、良とも)は大阪府泉大津市で毛織物で財を成した実業家である。

4月24日(月)
温子の死去から50日、来状書類、手紙類は目を通しただけで積み上げていたので、午前中整理に当てる。
午後、一遍会の永井道子さんが花束持参で弔問。仏間に通すと「般若心経」を唱えてもらう。有難きかな。
応接間で一時間半ほど懇談する。巾広い交遊関係があり、特にお寺さん関係も多いので一遍会で役立ててほしいと思う。
夕1時間半、表庭の草引き。
泰世さんから突然のメール。今後息子夫婦4人とメール交換をして情報を共有し「共有・共感・共生」の大ファミリーを創造していきたいものだ。

4月23日(日)
来週のゴミの整理と区分と妻の化粧品の一部を処分。不使用の電気器具の整理。セーターなど冬物の洗濯。10時過ぎから机に向かい、昨日の講演会「四国遍路の後背地―<周辺>から見る大師信仰と巡礼ツーリズム―(門田岳久)」の復習。
天気がよく、洗濯を2回、書斎の冬用の敷布などを片付ける。
「満中陰志」が届いたので本多勝子叔母、山地真子さんから御礼の電話あり。
温子の多額の預貯金額について「贈与でない」ことの考え方をまとめる。それにしても温子は贅沢をしないで「旧家の娘」としての矜持を守った。
買い物にも行かず終日作業。NHK大河ドラマ「おんな城主直虎」を見て「椿の湯」。

4月22日(土)
午後、愛媛大学法文学部付属四国遍路・世界の巡礼研究センター2017年度春季公開講演会
に出席(13:30〜16:00)。
講師:門田岳久(立教大学観光学部准教授)
テーマ:四国遍路の後背地―<周辺>から見る大師信仰と巡礼ツーリズム―
新潟・佐渡の民俗行事に根付いた大師信仰と四国遍路関係習俗、更にその延長上にある巡礼ツーリズムをフィールドワークで確認した豊富な事例で紹介する。納得である。
解散後、サミットの梅木、渡部両君とキャンパス内の喫茶店でコーヒーを頼み、並木道のたまりで学生気分に戻っておしゃべりする。実に楽しいひとときであった。
「ふじ」で食材を調達(ハンバーグ旨し)、20時過ぎ「椿の湯」。
恒治からメール。6月1日付で東京転勤。喜ぶべきではあろうが、57歳から10年近く単身赴任は経済的にも身体的にも大変だろう。

4月21日(金)
晴天である。温子の七七日に当る。「七蓮香」なる渦巻線香の最後の線香に火を点ける。温子は浄土に居ると信じたい。
午前中業者との話し合い。
@18年前帰省時で家屋の電気工事を担当してくれたタケオ電気の社長以下担当者に工事依頼。
1)次の間、奥の間、茶室、応接室にエアコン設置。次の間と応接室のエアコンは30年近く前の機器でフロンガス式である。2020年までに撤去が義務付けられている。
2)一部裸電線であり、漏電の心配もあり更新または破棄。
3)生活の中心をリビングに移すので、パソコン、電話機などもリビングに移動させる。
A四国ガス業者がテーブルコンロを設置。
恒治、淳志、尚子さんにメール。恒治からの返信が来ない。これからは資産についての協議が始まるのでメールを常時活用できる体制を組むように要請する。
B「満中陰志」の挨拶状発送。切手は仏事用でなく、今年の「春の花シリーズ」の切手を貼る。恐らくこの気持ちを汲んでくれるだろうと思いたい。
午後は畑の手入れと表庭の草引き。断続的だが3時間の作業となる。
家事をするとまったく読書に時間がなくなる。困ったものではある。「椿の湯」でノンビリする。
【→松沢君】
本日は妻の七七日当日に当ります。(法要は16日の休日、自宅で執り行いました。)3月4日の庭の櫻のつぼみも固かったのに、満開になり、葉櫻になりました。
このたび日本香堂「伽羅 永禄」をご恵送賜り厚く御礼申し上げます。霊前に供え、慶應の仲間の話を致しました。
真澄様にはお会いしたことはありませんでしたが、もう随分前のことになりますね。これからの人生は一人旅になりますが、杖を家人と思い、二人三脚でゆっくりと歩いていきたいと思います。
まことにありがとうございました。本来お手紙にて御礼申し上げるべきですが、遅くなって葉と思いメールで失礼させていただきます。くれぐれもご自愛ください。

4月20日(木)
朝一番8:00日野歯科受診、歯の形をとるので90分を要す。
10:00野中経営の吉岡譲(代表社員 税理士)とグループ部長坂本二郎両氏と面談する。
温子の遺産取り扱いもあるが、トータルに遺産措置を考えることにする。
14;00過ぎムラタの担当者(見浦雄梧氏)来訪。七七日法要までの清算と飾り棚等の整理をしてもらう。一件落着である。
一遍会の、蜂須賀俊一氏とメールにて情報交換。
【→蜂須賀理事】
十六日(日)に亡妻の「七七日法要」をおこない龍穏寺さんに来てもらいました。法要の後の宴で、住職から宝厳寺の奥様とお嬢さんの話が飛び出し驚きました。
龍穏寺の中野裕道住職は現在「松山市仏教会」の事務局長の任にあり、時宗として宝厳寺さんの理事会への参加を依頼に出掛けた由です。陽子さんは副住職で住職は尾道在の住職であることはご存知なかったので説明しておきました。陽子尼の引き立てをよく頼んでおきました。陽子尼も大変とは思いますが集まりに出席されればいいなあと願っています。
昨日19日昼に「一遍会4月度定期便」をお届けに宝厳寺に出掛け、奥様に中野住職の話をしておきました。奥様の方は、三好家は義安寺の檀家と思っておられましたが、義安寺は「墓檀家」で河野氏の関連で戒名は龍穏寺さんから頂くという(分かったような分からんような)説明をしておきました。いやはや。
来年3月の宝厳寺での講話は子規博の竹田美喜館長に快諾してもらいました。奥様はじめ檀家のご夫人方にも大勢出席してほしいなあと願っています。近況報告まで。

4月19日(水)
朝10時から松山子規会役員会(子規博)。ランチは「にぎたつ会館」。休憩時間帯に宝厳寺を訪ね「一遍会定期便」を届ける。
先代住職夫人に会い、松山市仏教会事務局長でもある龍穏寺の中野裕道師のことを話す。三好家の菩提寺は義安寺と思い込んでいたので龍穏寺との関係がよく分からなかった由。
13時半から平成29年度総会、引き続き今村威副会長「子規の新体詩」の講話。
子規博の竹田美喜館長に来年3月度講話(宝厳寺)を依頼、快諾してもらう。
帰途、業務スーパーで食材を調達する。尚子さんからのアドバイスもあり団子汁をつくる。夜はいつものように「椿の湯」。
【メモ】
ミニコミ誌で照会されている「水面を渡る旅へ」は@肱川のんびり遊覧A国宝・松江城B白壁の町並み倉敷C広島・帝釈峡D山口・錦帯橋E高知・四万十沈下橋F徳島・大歩危G福岡・柳川H宮崎・高千穂峡。
温子と二度三度と訪れた名所ばかりである。一人で歩いても寂しさの方が上まわるだろう。

4月18日(火)
曇天から晴天に変わる。祭壇の片づけがほぼ終わったので「家事」に入る。一日、多忙であった。
1)淳志から贈られたレンジと炊飯器をはじめて使う。冷凍シュウマイを解凍してレンジで温め、炊飯器では「こしひかり」を2合炊く。今晩と明日の朝と夕飯である。久しぶりの炊き上げ飯は旨かった。新しい器具は機能的に優れている。特に時刻表示があるのは助かる。
「ちりめんじゃこ」は湯通しして大根おろしを添え、「たけのこ」は本多東子さんがパックに詰めて手渡してくれましたので何回かに分けて食べる。まずまずの献立である。
2)三方に載っていたお供えの団子(5〜60個)を捨てるのはいかがと思い、目下冷凍庫に入っている。5串に刺して味噌をつけて食べるか、味噌汁に入れるか、それとも破棄か・・・いやはや。
3)洗濯は冬物のジャンバーと冬布団の首周りの白布など大物を洗う。礼服のクリーニング代(フジ)が2千数百円とは驚きである。
4)「満中陰志」の挨拶文の印刷が終わりフジで封筒購入。今週末か来週始めに「満中陰志」が届くかな。
5)イフイの担当者(島内正英氏)と16時半打ち合わせ、正式に発注する。6月末にはお墓が出来上がり、7月には「開眼供養」と「お骨入れ」そして「新盆の法要」。8月に入れば「お盆」となる。まだまだ慌しい毎日が続きそうです。
6)畑の菜の花を整理。今週中に夏野菜用の畑作りにとりかかる予定だが、日中の気温が高すぎて困る。
7)20時過ぎ、「椿の湯」に出かける。ヤレヤレである。

4月17日(月)
午前中、妻の七七日法要の片付け。祭壇を座敷から仏間に移動する。新盆までは、仏壇脇の置き台に妻の写真や新しい法具を置く。応接室にも妻の写真を当面飾って置くことにした。
「すし丸」の担当者が食器類を持ち帰る。座敷や次の間を片付けると、この数日の慌しさが嘘の様である。
宇和の義理の弟宅に電話し、法事出席の御礼とあわせて蕗や家庭料理のパックの御礼を伝える。
午後も雨。一遍会5月例会案内(マスコミ、ミニコミ)。『一遍会報』第388号のメインである青山淳平氏の論文が届いた。編集を開始したが、字数がやや中途半端で第一面で採り上げるわけにもいかず正直困った困ったである。。
「椿の湯」。
【→息子】
昨日の満中陰法要では、大変忙しい中、全員勢揃いで母さんの法要が出来たことを心から喜んでいます。ありがとうございました。孫たちにも「ありがとう」と伝えてください。今度道後に帰ってきた時には立派なお墓を建立しておきます。
また、本多の兄弟妹も全員出席してもらい、母さんも喜んでくれていると思います。17名の出席者が揃うことは今後ありますまい。母さんが集めてくれた大パーティーでした。
龍穏寺の住職も最後まで付き合っていただきましたが、このようなことは稀有なことと思います。母さんの「人望」あってのことだと思っています。
疲れは出ていませんか。こちらは朝から祭壇を整理してお位牌やお骨箱を奥の間に移し、写真はお花とともにしばらく応接間に飾ることにしました。1ヶ月前の座敷に戻って、がらんとした部屋に座っていると空虚感を味わってしまいます。
満中陰の挨拶ですが、父なりに文章を書いてみなさんにお送りすることにしました。参考までに目を通してください。母さんのことを思うと、どうしても甘い文章になってしまいます。 
「謹啓 陽春の候、ご尊家益々ご清祥の御事とお慶び申し上げます。
さて先般亡妻 温子儀 春を俟つことなく此の世を去りましたが、葬儀の際にはご丁重なるご弔問を忝うし、且つ過分のお供物を賜りましてまことに有難く厚く御礼申し上げます。葬儀の参列には卓球や琴の仲間も多く「ピンポン菊」を飾り「六段の調」によりお別れを致しました。
お蔭を以ちまして「三香院春雅温妙大姉」満中陰に当り、近親者が拙宅に相集い、曹洞宗天臨山龍穏寺様を導師にお願いし滞りなく法要を相営みました。当日は快晴で、庭の櫻の花も残り、花水木の瑞々しい葉が輝き、故人が愛でてきた芝桜、フリージア、マーガレットも一斉に花をつけ見送ってくれました。これひとえに皆々様のお蔭と深謝申し上げます。
早速に拝趨して親しく御礼申し上げるべきではございますが、略儀ながら書中を以ちまして謹んで御礼のご挨拶を申し上げます。 敬具
尚、忌明けに際して供養のしるしまでに甚だ粗品でございますが別便でお送りさせていただきました。何卒アルバムの中からお選びいただきましてご受納くださいますようお願い申し上げます。

4月16日(日)

3月4日に温子はなくなったので四十二日目に当るが、今日「七七日法要」(満中陰法要)を正午から座敷で執り行う。
出席 曹洞宗天臨山龍穏寺 中野裕道住職、本多昌史・千鶴子夫妻、本多昌次・東子夫妻と本多昌人、山口晃子、山地真子、柏井正子と恒治ファミリー4名、淳志ファミリー4名と老生で18名。
法要の後の会食は龍穏寺・中野裕道住職も出席、二時間ほど懇親する。このメンバーが集まるのはこれが最後であろう。
写真集「葬儀告別式」と「温子と・・・旅」を手渡し、お返しには「芦屋・アンリ・シャルパンティエ」の洋菓子を用意した。
息子たちと義安寺を参詣して16時過ぎ別れる。20時「椿の湯」に出かけて心身とものストレスを和らげる。
龍穏寺5万円、淳志3万円(含ホテル代)+3万円(お返し実費)、尚子5万円(含む葬儀告別式)、恒治1万円、泰世2万円、フジ5,000円  

4月15日(土)
法要の準備。10時、ムラタの担当者見浦さんが豪華な花を籠に入れて持参、最終点検をしてもらう。
座敷、次の間に参列者18名分の座布団を敷く。結構ゆとりがあり安心する。
14時過ぎ、第一陣は恒治ファミリー、18時、第二陣の淳志ファミリー到着。明日の打ち合わせをして、「大黒屋」で9名の夕食。温子が居ないので寂しい限りである。
「椿の湯」
【メモ】
〇昭和35年(1960)11月3日結婚。県神社庁、川吉別荘(現・山の手ホテル)
〇2020年(オリンピック)ダイヤモンド婚。現役引退予定。
〇平成29年3月4日忽然と世を去る。「ぽっくり死」・・・温子の陰徳、善行かな。
「散る桜残る櫻も散る桜」の心境である。
〇七七日法要参加の御礼。法名「三光院春雅温妙大姉」は温子に相応しい法名。
 
4月14日(金)
午前中、庭作業。除草薬「マックロード(希釈)」を「ドクダミ」中心に散布する。表庭の雑草の草引き。気温は20℃を越え約3時間で部屋に引き上げる。
午後、晃子さんが法要用の花束を持参、活けてもらう。我が庭の満開の桜は別の花瓶に投げ入れる。
温子の今後の法事の取り扱いについて検討する。ファミリーとしての法事参加は困難であり、孫も成長したので夫婦での日帰り参加案を提示する。2ヶ月前に手配すれば航空便が手軽に利用できるのだが・・・
【メモ】〇温子法事取り扱い
永眠(平成29年3月4日)
通夜式(平成29年3月6日)
葬儀告別式(平成29年3月7日)
七七日法要(満中陰)(平成29年4月16日)
墓建立式(平成29年7月◇日)
納骨式(平成29年7月または8月◇日)
新盆(平成29年8月14日または15日)
棚経(平成29年8月14日と15日)
一周忌(平成30年2月最終土・日)
三回忌(平成31年2月最終土・日)
七回忌(平成35年2月最終土・日)
十三回忌(平成41年2月最終土・日)
〇納骨、墓石取り扱い 義安寺伺い

4月13日(木)
一遍会・蜂須賀理事、弔問にて来訪。自転車でダイキ城北店に出掛け、除草薬「マックロード(希釈)」2瓶購入。
今年からは草引き作業では庭、畑、墓所の管理が出来ないので薬剤を使用すること止むなしと判断した。
午後、玄関前と中央部の雑草を草引き3時間。明日も引き続き草引き作業して、法事の来客を気持ちよく迎えたい。
「ムラタ」に参加1名増を伝える。
「一遍会5月例会案内」(マスコミ・ミニコミ向け)予告文を取りまとめる。
昼食のうどんは、はじめて「カップもの」でなく出汁をつくっての自家製うどんに切り換わる。ワンランクアップしたなと自賛する。
「椿の湯」

4月12日(水)
日野歯科を朝8時に受診(@150円)。
七七日法要(4月16日)を控えて仏壇・仏具の移動整美。櫻の花枝を生ける。菓子、蜜柑、林檎、シキミを新たに求めて、華やかに飾りつける。
法要の参列者に配る@温子の葬儀記録写真とA温子の旅の写真をそれぞれ12シーンを択んで印刷する。
午後、洗濯と表庭の草引き、「フジ」へ買い物。法要の準備はほぼ完了した。最終確認は14日(金)を予定している。
なんとなく疲れる。「椿の湯」。

4月11日(火)
10時、「イフイ」打ち合わせ。庵治石と大島石との価格差が2倍以上とは驚いた。「三好家代々の墓」になるので庵治石を使用して先祖の御恩と温子の尽力に報いるとするか。
12〜15時、晃子さんが弁当持参で訪問、雨の櫻を見ながら談笑、ケール(青汁)を持ち帰ってもらう。
七七日法要準備で@龍穏寺お包み、A温子の旅の写真を取りまとめる。
「椿の湯」

4月10日(月)

一遍会四月度定期便を郵便局から発送する。銀行、郵便局を回る。ふた昔も前に「サシスセソ夫人」(裁縫・躾・炊事・洗濯・掃除)という言葉があったが、俄か主夫は(財布、仕事・炊事・洗濯・掃除)といったところである。
午後、日野歯科受診。年一回の定期的な治療と予防だが2〜3ヶ月は必要か。今年は根本的な治療はなさそうだ。やれやれ。
子規事典編集の平岡氏からミスの指摘あり。早速返信する。
気温は15度C、雨が降っており肌寒い感じである。雨にも負けず「椿の湯」に行く。

4月9日(日)
快晴ではないがまずまずの天気で、道後公園の花見客も多かったのだろうと思う。
午前中、伊予史談会四月例会出席。
1)平成29年度総会
2)講話:高須賀康生(名誉会長)「私の歴史三昧」
役員改選
顧問   武智 利博(名誉会長)
名誉会長 高須賀康生(会長)
会長   山内 譲
副会長  柚山 俊夫
山内会長から『伊予史談』誌の「研究余滴」に「宝厳寺再建」(400字×10枚)の執筆を依頼される。7月末締め切りであり了承する。
午後、一遍会定期便発送の準備。夕、昨日に続き、九分咲きになったわが家の桜を愛でながらビールで乾杯。
NHK大河ドラマ「おんな城主直虎」を見て「椿の湯」に出掛ける。

4月8日(土)
終日雨模様ではあるが、それほどには雨は降らない。菜種梅雨なのであろう。
午後、一遍会四月例会開催。
1)平成29年度総会
2)講話:小沼大八代表「柳田民俗学における神の問題」
理事会では本年度の一遍会運営についての討議。中心テーマは、宝厳寺を如何に支援するかである。難しい問題である。
IT会員に送付する資料の印刷と整理。夕食は八分咲きのわが家の桜を愛でて一人で乾杯する。
20時「椿の湯」に入り22時就寝。

4月7日(金)
妻の七七日法要と納骨式について息子二人にメールを送る。早々に返信来る。
子規会恒例の花見は雨の為「石手公民館」で実施となる。参加者は9名(男5名、女4名)、いままでで最少人員である。しかも役員以外では女子会員2名である。
@大江健三郎と子規の「反松山的志向」
A文化団体所有の(歴史的な)資料の行政による保管と活用
B柳原極堂翁の新たな顕彰(正宗寺<子規堂>に顕彰碑建立)など
酔いざましに庭の草引き、夕食は簡単に済ます。
「JCBザ・クラス2017」のオムロン上腕式血圧計が届く。朝・夕二回のチェックで血圧管理をしていく。サミットの仲間にも脳出血による後遺症があるので充分に予防的な管理を進めていかねばと思う。
「椿の湯」。
【→息子たち】
おはようございます
母さんの「五七日」を迎えました。あの寒かった日から一ヶ月余、桜も6〜7分咲きになりました。16日の法要の時には葉桜になっているのでしょうか。
出席は本多兄ご夫妻、本多弟ご夫妻、山口晃子さん、山地真子さん、柏井正子さんです。食事の席には龍穏寺ご住職も出られます。「お渡し」については、6家族8名(含ご住職)でお願いします。「お供え」を加えれば、プラス1になります。
14日には、仏壇のお飾りやご住職へのお包みなどの準備は済ましておきます。墓石はイフイとの打ち合わせでは2ヶ月で可能ということです。納骨には法要にご出席のみなさんに案内をしたいと思っています。2案あります。
(1案)「新盆<あらぼん>」の場合は、ご住職が超多忙ですが、8月14日か15日の夕方であれば早期にお願いすれば可能かと思います。龍穏寺さんが14日朝、義安寺さんが15日午前中に「棚経」で例年通りお見えになります。
(2案)「秋分の日」頃(9月23日〜24日)か「敬老の日」頃(9月16日〜18日)でもいいのではないかと思います。
兄弟で相談してファミリーのスケジュールを考えて、希望日を知らせてください。その上で、義安寺のご住職にお願いします。まずは、七七日法要と納骨式の相談まで。 

4月6日(木)
午前10時イフイの島内正英氏(外商)と拙宅で墓石についての打ち合わせ。墓石の品質、サイズもあり、義安寺にも出掛け確認する。
父母の墓は庵治石を使用しており、一般的な墓石サイズより大きい。通常の倍の価格となるが、当家にふさわしい墓石としたい。
座敷の庭の草引きに取りかかったところで雨となり、終日降り続く。明日の子規会の花見
が心配になってきた。
午後、妻の七七日法要出席者に配る妻の葬儀記録写真12葉を選択し、A4版2ページにまとめた。
最後のフレーズに「故 三好温子(旧姓本多) 永眠 平成29年3月4日 ありがとう さようなら ごきげんよう」と記載した。涙が出てきた。母さん ありがとう。
雨の中「椿の湯」には出掛ける。

4月5日(水)
花曇り、花見には絶好に日和となる。
座敷、次の間の控えの間の片付け・・・といっても、備品と人形類を押入れに移し替えた。応接室に「長屋門全景」と「表庭の満開の桜」の写真を飾る。牧野君の遺作である。
11時過ぎ、町内会の花見(道後公園)に出かける。参加者15名中男子は4名。(宇都宮会長・西山副会長・野本班長)。会長、副会長とはじめてゆっくりと話が出来た。3月4日以来、はじめてアルコールを口にする。
柏井正子さん訪問。
夕食は、花見弁当(友輪荘調理)の残り物もあり、買い物に行かず。「椿の湯」。

4月4日(火)
生活リズムが少し変わってきたようだ。朝3時間(6:00〜9:00)、昼2時間(11:00〜13:00)、夕3時間(17:00〜20:00)の総計必要だった家事だが、朝は2時間、昼1時間に短縮できた。夕は、「椿の湯」と「業務スーパー」「セブン」の立ち寄りで5時間(17:00〜22:00)、就寝は22:00に決めているので、家事ほか8時間、就寝8時間、フリー8時間となった。8時間のうち2時間は庭と畑の手入れだから、机に向かうのは3〜4時間といったところか。
午後、「ムラタ」の見浦さんと七七日法要の打ち合わせと「お返し」の依頼。葬儀の写真アルバムが届く。なかなかよく撮れている。七七日法要の参列者用に再編集して手渡すか。
気温がどんどん上がり、午後3時には19度C、5月の気温である。明日の花見は最高だろう。
【→満中陰志挨拶】
謹啓 陽春の候、ご尊家益々ご清祥の御事とお慶び申し上げます。           さて先般亡妻 温子儀 春を俟つことなく此の世を去りましたが、葬儀の際にはご丁重なるご弔問を忝うし且つ過分のお供物を賜りましてまことに有難く厚く御礼申し上げます。
葬儀の参列には、卓球や琴の仲間も多く「ピンポン菊」を飾り「六段の調」によりお別れを致しました。
お蔭を以ちまして「三香院春雅温妙大姉」満中陰に当り、近親者が拙宅に相集い、龍穏寺様を導師にお願いし滞りなく法要を相営みました。これひとえに皆々様のお蔭と深謝申し上げます。
早速に拝趨して親しく御礼申し上げるべきではございますが略儀ながら書中を以ちまして謹んで御礼のご挨拶を申し上げます。敬具
 尚、忌明けに際して供養のしるしまでに甚だ粗品でございますが別便でお送りさせていただきました。何卒アルバムの中からお選びいただきましてご受納くださいますようお願い申し上げます。

4月3日(月)
一遍会6月度例会会場申し込み(道後公民館)。
一遍会4月例会で配布する@「四月度一遍会ニュース」A『一遍会報』第387号B平成29年度一遍会総会資料印刷。
温子の金融資産のうち株式について取りまとめる。主婦向けの株式が殆どである。今日、カゴメの株主サービスである「ジュース用トマト『凛々子』の苗4本」を申し込む。去年は実りもよく大いに活用でした。
わが家も一斉に春となる。表庭の桜の20本くらい花が開く。一週間で満開になるだろう。芝桜も可愛い花をつけた。ケール(青汁)もやっと発芽して、すくすく伸び始めた。
1ヶ月前に温子が此の世を去ったが、寒さの中での枝切り作業が心臓を痛めつけたのでしょう。なんで一ヶ月、いや半月、庭の作業が待てなかったのか悔やまれてならない。
今週、@「ムラタ」の見浦さんと七七日法要の打ち合わせと「お返し」の依頼、A「イフイ」と墓についての相談B野中経営グループ(税理事務所)と妻の相続遺産についての打ち合わせと続く。5日(水)と7日(金)は町内会と子規会花見である。
一遍会四月例会配布資料の整理完了。一件落着。「椿の湯」と「業務スーパー」は日常的パターン。

4月2日(日)
朝食後、リビングと玄関の掃除、箒とモップの重複で、それなりに綺麗になったヵ。
勝岡昭氏によるHP四月度分に映像とリンクを加える。蜂須賀理事の指摘もあり『一遍会報』第377号の一部修正して編集完了。
日記の欠落部分(3月4日〜9日)である妻の死去から初七日までの行動を書く。つらい作業であった。

4月1日(土)
「四七日」は寒くて寒くて震え上がった。供花を処分したので座敷が急に寂しくなった。畑に咲いている「みよし菜」の花を10本ほど手折って飾った。季節感もあり、温子がジュースやおひたしにしてくれた「みよし菜」だから喜んでくれていると思う。恒治、淳志、尚子さんへこちらの様子を伝える。
「一遍会四月度例会案内」をIT会員に流す。HP一遍会の4月更改分を正式に掲示する。
夜7時から今市上町内会総会出席(県身障者センター)。いつもより遅く「椿の湯」に出かヶ、滑り込みで「業務スーパー」でショッピング、「セブン」で食パン購入。23時就寝。
【→句友】
平成29年4月 「鶯の籠をかけたり上根岸    子規」
子規記念博物館(館長 竹田美喜氏)選句の子規さんの平成29年4月の句は「鶯の籠をかけたり上根岸  子規」です。
明治30年(1897)の作品で、季語は「鶯」(春)です。『子規全集』第三巻 俳句三「俳句稿」25頁 (明治二十八年 春)に掲載されています。同じ時期に鶯の句を十数句詠んでいます。
  鶯や寺子屋に行く道の藪
  楢の木や鶯来鳴く家の北
  鶯のうたゝ眼白の眼を妬む
  木さへあれば鶯啼くや上根岸
  鶯の松になく也寛永寺
  我病んで鶯を待つ西枕
  梅が枝にあれ鶯が鶯が
  鶯の籠をかけたり上根岸
  寺町の鶯鳴くや垣つたひ
  根岸行けば鶯なくや垣の内
  十日ばかり鶯遅し椎の雨
現在の根岸から想像もつきませんが、根岸は江戸時代から「初音の里」と呼ばれるほど鶯が多く、子規庵のあたりは「鶯横町」(うぐいすよこちょう)と呼ばれていたそうです。上記11句から汲み取れる情景は、まさに鶯の里と云えそうです。
明治30年頃は子規は病臥の状態でしたが、子規庵の軒に小鳥籠をかけ、鶉を飼ったり、雀を飼ったりしていたようです。鶯も籠の入れていたことが、この句から分かります。
道後の拙宅の庭にも晩春には里山から鶯が引っ越してきて「ほ ほけきょう」の美声を着かけてくれます。子規も、鶯の声を聞きながら、虚子・碧梧桐と語りあったのでしょうか。
鶯を捕まえたことはないのですが、雀のように、餌でおびき寄せて、籠をパタンと倒して捕えるのでしょうか。ご同輩の子供の頃の話を聞かせていただけませんか。雀は籠に入れても怯えて餌を食べようとしないので、夕方には逃がしてやったものですが・・・・・
子規さんにあやかって一句
「鶯の鳴く方一里道後村  子規もどき」 道後関所番
3月31日(金)

温子の四七日に当る。早いもので一ヶ月が経過しつつある。恒治・淳志・尚子さんにメールする。
伊予銀行貸金庫から温子の金融資産の資料を自宅に持ち帰る。配偶者は1億6,000万円までは課税が免除されるので手続きさえ正確にすれば特に問題はない。
今後のこともあるので申告は税理士に依頼することにしたい。
午後になっても天候が回復せず室内は寒い。チョッキを着込む。雨の中、フジへ買い物。袋に入った「おでん」に手が出る。夕、早めに食事を済ませ、「椿の湯」。セブンで、明朝のサンドとおにぎりを求める。22時前に床に入る。
【→恒治、淳志】
母さんの「四七日」を迎えました。朝から雨が降っています。
供花も萎れてしまい片付けました。なんとなく寂しくなりました。七七日まで3週間、法要まで2週間余、時間の流れを痛感しています。
早寝早起きの生活リズムに慣れてきました。元気ですから、安心してください。

3月30日(木)

松山子規会の役員でもある平岡英さんが弔問。昼食は大街道「すき家」で「ねぎキムチ丼」。明屋の書籍、文房具を見て回る。「スタバ」で岩田、池田監事による一遍会平成28年度収支決算書の監査。その後は、余生と終末期の迎え方、過ごし方についての語らいになる。現役生活は米寿迄か。15時帰宅し、2時間表庭の草引き。
椿の湯。
【→恒治】
やっと春を実感しています。明日は「四七日」です。事務処理の方は予定通り進んでいます。
来週、母さんの遺産目録と墓についての基本的なフレイムをまとめます。お互いに忙しいと思いますが、休日には淳志と連絡をとりあって意思疎通をはかってください。
なにか連絡なり相談があれば、週末までにメールしてください。

3月29日(水)

寒い、日中でも13度Cを越さないので、室内にいるとひんやりする。やむなく暖房する。これでは桜の開花も遅れるだろう。
『一遍会報』第378号「特集一遍生誕会」の編集・割付開始。午前中にほぼまとまり、田中理事に「会報」紙面をメールし意見を聞くことにした。蜂須賀理事宅を訪ね、会報のゲラを手渡す。来週初の総代会で説明をする由、一任する。
午後、妻の遺産(財産目録)の取りまとめ作業。資料を揃えるのに時間がかかりそうだ。
尚子さんから「洗濯ネット」を利用するようにとのアドバイスがあったので早速購入する。
「椿の湯」で身体を温めて寝たのだが・・・

3月28日(火)

セブンイレブンの朝食セット(@200円 コーヒー&パン)を買う。サラリーマンの朝食か。
晴天であり朝から洗濯。
3月10日以降の日記の記述が終わる。温子が亡くなった3月4日(土)から9日(木)の6日間の日記は「空白」である。もう少し精神的に落ちついてから、当時のメモを文章にしたい。
昼、一遍会田中理事が一遍生誕会の写真並びに資料持参。式台に座って日向ぼっこしながら情報交換する。
午後、『一遍会報』第377号の編集に入る。月末には割付が完了するだろう。
夕方、フジで「おばんさい」。暗くなると花韮(はなにら)の白花が離れの庭に浮き出てくる。寂しい気分になる。「椿の湯」。

3月27日(月)


四月例会で配布する『一遍会報』(第387号)の締め切りが迫ってきたので、田中、蜂須賀両理事に追加原稿を依頼する。
次号の第388号では青山淳平氏の3月度講話「一遍と今をあるく」がメインになるので、4月22日締め切りで草稿を依頼する。
4月に入れば、一遍会、松山子規会、伊予史談会の活動を再開したい。
夕、「道後彩朝楽」の地元格安招待バイキング&温泉に参加(@1,630円)する。久しぶりで満腹、満腹。
【→恒治】
連日ご苦労様です。七七日法要の案内状、発送しました。
3月は落ち着いた気持ちになれなかったのですが、今日は愉快リゾート系列の「道後彩朝楽」が夕食バイキング+温泉の地元住民サービス(@1,630円)を企画したので利用しました。目玉はビフテキ&てんぷら食べ放題でした。どちらも最近食べていなかったので大助かりでした。リフレッシュできましたので、4月に向かって頑張っていけそうです。
そう云えば、同じ系列の天然温泉「愉快のゆ 門真店」がある由、入浴したことはありますか。門真の近くだから、ここで落ち合いますか。

3月26日(日)

一遍会平成28年度収支決算並びに活動の最終案を取りまとめ印刷、3月30日に監査を受け総会資料を作成する。
4月16日温子の「七七日法要」の案内状(5家族7名)作成、いよいよ墓と相続手続きの準備に入りたい。
法要の当日の仕事は二人の嫁に任せるしかあるまい。
一遍会田中弘道理事から「一遍会報」387号の割付原稿が届く。メインになる「一遍生誕会法要・松寿丸湯浴み式」と例会の原稿と写真が届かない。月末までに届くよう依頼する。
午後、奥の間の片付け。ベッドと仏壇と裁縫机があるが、アイロン以外の用具や布地はミシンコーナー(廊下)に移動。暖房器具の片付けなどなど、結構身体を動かす。
夕方、フジで「おばんさい」。NHK大河ドラマ「おんな城主直虎」を見てから。
風呂屋談義は「稀勢の里」の逆転優勝。「結果オーライ」だが10人中9人が「無謀であったのではないか。長期的に考えるべき」の見解ではあった。
【→淳志】
おはよう。神戸ですか。期末でもあり多忙でしょう。休日は家族とのんびり過ごしてください。
お願いがあります。七七日法要案内状の文案をまとめました。大丈夫とは思いますが、一度目を通してください。月曜日に投函したいと思っています。 
七七日法要案内状(文案)
 十五年前に帰郷しました節に記念植樹した白木蓮が満開になり、庭を明るくしてくれています。温子の葬儀・告別式にはご列席賜りまことににありがとうございました。    さて、七七日法要の儀を左記により執り行いますので、ご出席方のご依頼、ご案内を申し上げます。よろしくお願い申し上げます。ご都合がつかないときは事前にお知らせください。
       記
一、日 時 平成二九年四月十六日(日曜)正午より
二、場 所 自宅(市内道後町二丁目十一―三)
三、導 師 曹洞宗龍穏寺住職   
四、その他 法要後、食事をご一緒にしながら温子の思い出を語っていただきたくお願い致します。尚、当家は夫婦墓ですので、納骨の儀は一周忌法要後の予定です。 以上    

3月25日(土)

NHK朝ドラ「べっぴんさん」は、草創期の「ファミリア」のベビー服を自分の子供にも着せたいという要望が多く「仕立て直し部」がスタートする。そのくだりから温子が登場する。
「ファミリア」から「芦屋アトリエスミコ」「芦屋大丸」「東京三越」と、松山に戻ってくるまで「洋裁・裁縫・手直し」は、孫の服から恒治の服の手直しまで終生続く。奥の間の廊下に置いてあるミシンを中心に温子の洋裁の「レガシー」を保存することに決めた。
4月16日(日)の七七日法要案内状の文案を作る。週明けに投函したい。
午後、坂の上の雲ミュージアムでのシンポジウム「近代日本成人の時」出席。パネリストは
滝井一博(国際日本文化センター)・三沢伸生(東洋大学)・松原正毅(坂雲ミュージアム)の三氏。
土曜日でもあり「椿の湯」は観光客と学生で大賑わいである。
【メモ】七七日法要案内状(文案)
十五年前に帰郷しました節に記念植樹した白木蓮が満開になり、庭を明るくしてくれています。温子の葬儀・告別式にはご列席賜りまことににありがとうございました。      さて、七七日法要の儀を左記により執り行いますので、ご出席方のご依頼、ご案内を申し上げます。よろしくお願い申し上げます。ご都合がつかないときは事前にお知らせください。
       記
一、日 時 平成二九年四月十六日(日曜)正午より
二、場 所 自宅(市内道後町二丁目十一―三)
三、導 師 曹洞宗龍穏寺住職   
四、その他 法要後、食事をご一緒にしながら温子の思い出を語っていただきたくお願い致します。尚、当家は夫婦墓ですので、納骨の儀は一周忌法要後の予定です。 以上     平成二九年三月二七日
【→恒治】
「史晃は滝川がうれしくてならないようで、毎晩、学校案内を眺めています。お祝い有難うございます。」 いいじゃないですか。よかった、よかった。
恒治が神戸高校に入学してすぐの父兄会には、母さんとバトンタッチして父が出かけました。覚えていますか。演劇部に入りたいとか云って体育館(?)で照明をいじっていましたね。それから、コーラス部に入って・・・・・ 1学期の成績が極端に悪くて、さすがにお父さんも驚きました。スタートを頑張っていたら、高校生活がず〜っと楽しかったと思いますよ。
史晃には、恒治の経験から、1学期は「全体の中のランク付け」だから、しっかり勉強するように励ましてやることです。恒治自身も国語、英語は一緒に学んでやることが必要ではないでしょうか。それに青春の悩みの聞き役にもなってやることです。いよいよ恒治君の出番ですよ。楽しみですね。
今日は母さんの「三七日」に当ります。飾り花も萎れてきだしました。時間が経っていくのですね。暖かいので庭の草引きをしました。何とか、四月の法要までは、庭の整備を維持したいと考えています。
【→恒治】
会社ですか。
NHKの「べっぴんさん」、父も見ていました。このくだりから「母さん」が登場するのですね。「ファミリア」から「芦屋アトリエスミコ」「芦屋大丸」「東京三越」と、松山に戻ってくるまで、母さんの「洋裁・裁縫・手直し」は孫の服から恒治の服の手直しまで終生続きました。廊下に置いてあるミシンを中心に母さんの洋裁の「レガシー」を「保存する」ことに決めています。
七七日法要の原稿です。気がついたところを云ってください。月曜日に投函しようかと思っています。
【十五年前に帰郷しました節に記念植樹した白木蓮が満開になり、庭を明るくしてくれています。温子の葬儀・告別式にはご列席賜りまことににありがとうございました。   さて、七七日法要の儀を左記により執り行いますので、ご出席方のご依頼、ご案内を申し上げます。よろしくお願い申し上げます。ご都合がつかないときは事前にお知らせください。
       記

一、日 時 平成二九年四月十六日(日曜)正午より
二、場 所 自宅(市内道後町二丁目十一―三)
三、導 師 曹洞宗龍穏寺住職   
四、その他 法要後、食事をご一緒にしながら温子の思い出を語っていただきたくお願い致します。尚、当家は夫婦墓ですので、納骨の儀は一周忌法要後の予定です。 以上 

3月24日(金)

温子の二七日を迎える。なんとなく日常生活に戻りつつある。ともあれ一人だから、温子の写真に「おはよう」「お茶で〜す」「行って来るよ」「帰ったよ」「おやすみ」と声をかける毎日ではある。。
本多勝子叔母の92歳の誕生日。温子が朝一番にお祝いの電話をしていたので、同じように電話する。大いに喜んでもらえた。
ムラタ葬儀社の担当者(見浦雄悟)に礼状を書き七七日法要の依頼をする。
「ケイタイ」ではメール以外にアラーム(朝6時)・タイマーをセットする。
午後、庭の草引きでのんびりする。尚子さんに震災前の森南町の三軒の「山本さん」について返信する。

3月23日(木)

朝のイギリスからのニュースに驚く。ビッグベン近くでイスラム主義者(?)によるテロ活動・・・雄大はロンドンに居る筈だから、危険はないとは云え驚いただろう。平和な日本と対比してテロ脅威の英国を体感したことは貴重な体験だ。
「位牌」が届く。位牌の左側に温子の戒名「三香院春雅温妙大姉」が彫られている。七七日法要が終われば、仏壇に置くことになる。
午後、梅木賢正君訪問。松山市考古館で開催された講演会のレジュメと冊子を頂く。
冊子は「『魏志』倭人伝に記された一支国の世界」、講師は壱岐市教育委員会の松見裕二氏。
現代では壱岐・対馬をひとくくりで捉えるが、古代は壱岐(一支)は朝鮮と日本を結ぶ貿易の中継基地であったことを初めて知る。
「おばんさい」を買いにフジに出かけたら奥島病院の今井洋子医師に会う。近況報告する。今日は小学校の友人である梅木、今井両氏に会い、気分爽快である。「椿の湯」でのんびりする。

3月22日(水)

愛媛CATVの訪問サポートチームの「西林彩華」さん訪問、ケータイの使用法の説明を受ける。これからの活用が楽しみである。
晴天なので、午後は洗濯と庭掃除と「ケール」の播種など、久しぶりに日常的な生活をする。「朝食はパン、昼食はうどん、夕食はご飯」は、妻の食事献立のスタイルだった。
慶應のクラス会(東京ガス青山クラブ)の案内が届く。開催日が4月15日(土)。温子の七七日法要の前日であり、欠席の旨連絡する。
「JCBザ・クラスサービス2017」は、ホテル食事券ではなく、オムロン製「上腕式血圧計」を申し込む。
【→恒治】
3月21日付のメール拝見しました。
恒治と泰世さんが作ってきた「ファミリー文化」については、第三者が軽々しく話すことは控えます。
父と祖父との「事実」だけを伝えておきましょう。参考にしてください。
祖父(章)が亡くなったのが、ちょうど今の父の年齢(82歳)でした。祖母(末美)が亡くなって犬と一緒の独居生活でした(お手伝いさんが午前中は来ていました)。
父は防府・東京へ単身赴任中でしたが、毎月1回金曜日、東京から夜行バスで帰松し、昼間道後に居て、その日(土曜日)の夕方神戸に向かい、神戸に1泊して、日曜日夕に上京という強行スケジュールでした。(防府の時は広島からの船便でした。)恒治もおぼろげながら記憶していると思いますが・・・
祖父が亡くなった時は、金曜日に帰松し一泊して、土曜日午前中にATMで祖父の生活費を引き出し四方山話をして神戸に戻りました。翌月曜日、上京中に母さんから連絡で祖父の死を知り、東京から急遽バック、道後には22時30分に着きました。
祖父は日曜日に倒れて翌朝(月曜日)お手伝いさんが発見、救急車で運ばれ病院で亡くなりました。最後に祖父に会った金曜日は元気でした。大阪勤務だったら、土曜日に道後で一泊して、もっと祖父の手助けができたのですが・・・
ところでビジネスの話
「印鑑証明」急いでください。七七日法要が終わったら大西会計事務所と相談することになりますので、頼みますよ。「印鑑証明」がないと前へ進めません。

3月21日(火)


今日は一日がかりで、@葬儀参列者住所録 A弔電住所録を作成。@の対象者が100名とは驚く。B香典「お返し」名簿は作成済み。来週に入ってから七七日法要のご案内を差し出す予定。
史晃に高校進学のお祝いメッセージと「三年連用日記」と金一封を送る。
雄大は高校の研修旅行でケンブリッジ大学に旅立ち、尚子さんから緊張の面持ちでゲートに向かう孫の写真を送ってくる。
小雨だが「椿の湯」に出掛ける。
【→恒治】
何通かメールしましたが、会社のパソコンに行っているのでしょうね。父はアドバイス通り「ケイタイ」を購入しました。そのうち「ケイタイ」からメールを打てるようになるでしょう。
恒治の方でも、休日の情報対応を考えてください。よろしく願います。史晃はショックを受けていませんか。
雄大は高校の研修旅行で、今朝ケンブリッジに出立の由、10日間の予定。びっくりしました。

3月20日(月)

神戸では史晃の高校進学に伴い保証人を淳志に依頼するので、交流が再会するようだ。喜ばしい。雄大と史晃の従兄弟同士で相互研鑽してほしいものだ。
「彼岸の中日」でもあり、義安寺参詣。膝関節の調子が悪いので、墓苑の掃除は勘弁してもらうことにした。墓参りの後は温子の存命中と同様に「メルパルク」で昼食をとり、ホテル内の温泉に入浴する。その足でムラタ種苗店で「ケール」のタネ(一袋)を購入する。今年もケールのジュースを毎朝飲むことにする。
温子の葬儀の弔電のリストを作成する。七七日明けに、個人分には礼状を出したい。
雨がひどくなったので「椿の湯」は行かず。
【→淳志】
1)史晃君の保証人ではお世話になります。ありがとう。
「 明日、泰世さんがうちに来られることになりました。こういう機会でもなければ来られないので、私は嬉しいです。久しぶりに会うので少々緊張しますが、お役に立てるなら何よりです。」
二つのファミリーの絆が強く結ばれれば母さんも喜んでくれるだろうなあと思います。
通夜の後で、恒治と淳志には「2ヶ月に1度くらいファミリーに会いたいものだ。元気なうちはどこへでも出かけていくよ。」と伝えてありますが、実現できればと願っています。よろしくお願いします。
2)思い切ってケイタイを購入しました。レッスンは受けていません。これから勉強します。
電話番号は「070 4412 3376」です。淳志のナンバーは「090 7753 2740」ですね。当面はSOS用ですから、あまり使いませんが、登録だけお願いします。
3)今日は、お彼岸の中日。お昼頃お参りに出かけて、近くの「メルパルク」でランチを食べ、入浴してきます。これも母さんとの恒例行事でした。1月の中旬に母さんと草引きをしたので、あまり草は生えていませんでした。ご安心ください。
4)一日の始まりです。「ケールのジュース」づくりからスタートです。三連休最終日を楽しんでください。
【→恒治】
1)史晃君の保証人ではお世話になります。ありがとう。
「 明日、泰世さんがうちに来られることになりました。こういう機会でもなければ来られないので、私は嬉しいです。久しぶりに会うので少々緊張しますが、お役に立てるなら何よりです。」
二つのファミリーの絆が強く結ばれれば母さんも喜んでくれるだろうなあと思います。
通夜の後で、恒治と淳志には「2ヶ月に1度くらいファミリーに会いたいものだ。元気なうちはどこへでも出かけていくよ。」と伝えてありますが、実現できればと願っています。よろしくお願いします。
2)思い切ってケイタイを購入しました。レッスンは受けていません。これから勉強します。
電話番号は「070 4412 3376」です。 淳志のナンバーは「090 7753 2740」ですね。当面はSOS用ですから、あまり使いませんが、登録だけお願いします。
3)今日は、お彼岸の中日。お昼頃お参りに出かけて、近くの「メルパルク」でランチを食べ、入浴してきます。これも母さんとの恒例行事でした。1月の中旬に母さんと草引きをしたので、あまり草は生えていませんでした。ご安心ください。
4)一日の始まりです。「ケールのジュース」づくりからスタートです。三連休最終日を楽しんでください。
【→淳志】
本日、弔電の整理をしました。下記照会します。
1)銀行関係(友人を含めて)の弔電が多いのですが、この事案は七七日法要で帰省の節、一括して淳志に弔電を手渡せば良いですか。こちらで「処分」ということであれば、七七日法要後に処分はしますが・・・・・
2)東京都目黒区在住の「岩田響」氏からの弔電ですが、父の該当者はいません。母か淳志かなと思いますが、心当たりはありませんか。
3)母さんの知人・友人の弔電には父から礼状を送る予定にしています。
【→淳志】
弔電の後処理の件、了解しました。
お彼岸だったので、ゆっくりと義安寺をお参りしました。足の回復がまだまだなので、墓地の掃除は残念ながら諦めました。
改めて祖父(父)の墓を見て享年83歳を確認しました。同じ年齢に当たります。58歳の年だったかと思います。60歳で阪神大震災、後半の波乱の人生の始まりでした。
「ケイタイ」は、マスターするのにしばらく時間がかかりそうです。明朝に神戸からスタートですか。頑張ってください。
【→恒治】
史晃の保証人の件、淳志から連絡がありました。一件落着ですね。よかった。
今日はお彼岸の中日ですから、ゆっくりと義安寺をお参りしました。足の回復がまだまだなので、墓地の掃除は残念ながら諦めました。

改めて祖父(父)の墓を見て享年83歳を確認しました。同じ年齢に当たります。父の58歳の年だったかと思います。60歳で阪神大震災、後半の波乱の人生の始まりでした。
相変わらず、バタバタとして、一日を送っています。「七七日法要」について、昌史さん夫妻、昌次さん夫妻、晃子さん、真子さん、柏井正子さんと、電話では出席確認しました。
龍穏寺住職と7名で合計8名、三好サイドが9名で17名になりますね。

3月19日(日)

愛媛FMで「ケータイ」購入手続きを済ます。「ジュンク堂」で史晃の滝川高校(国際理数コース)進学のお祝いに「三年連用日記」を購入する。地下街「活よし」の「とんかつセット」で馬力をつける。
松山子規会3月例会出席。2月に亡くなった今井女子も温子と同年齢だが心臓麻痺で急逝された由。
講師は松浦巻夫(元高校校長)氏。テーマは「明治二十八年の正岡子規」。研究し尽くされてテーマであり、いかにも高校教師の授業といった感じである。
愛媛FMでケータイを受け取る。当面は受信専門というかSOS対応器具として保持したい。
史晃は県立御影高校不合格で、私立滝川高校(国際理数コース)進学が決まる。史晃に連絡し激励する。
NHK大河ドラマ「おんな城主直虎」を見てから「椿の湯」。道後温泉祭りで温泉も混んでいる。
【→恒治】
三連休は、いかが過ごしてますか。今日は史晃の高校入試の発表・・・大丈夫でしょうが、「吉報」を待っています。
1)10年近く飲み続けてきた自家製の青汁ですが、半月ぶりに「ケールのジュース」は復活しました。夫婦の最良の健康飲料だったし、牛乳を毎日カップ2杯飲んでいたことになります。
2)葬儀の「お返し」を検討、香典1万円、2万円、3万円以上の3区分に分けました。次いで弔電の礼状の検討にはいります。
3)馬力をつける必要もあり、三越レストランで「ビーフシチュー」を注文、デパートの食堂は一人客も多く、孤独感を感じないことを「発見」しました。
4)今日は松山子規会3月例会開催日。日中は留守にしています。念の為。

3月18日(土)

朝食に半月ぶりに「ケールのジュース」。10年近く飲み続けてきた青汁だが、夫婦の最良の健康飲料だった。
午前中、温子葬儀の「お返し」を検討、香典1万円、2万円、3万円以上の3区分に分ける。
午後、三越レストランで「ビーフシチュー」、JR駅近くのタネダ種苗店まで出掛けたが「ケール」無し、愛媛CATVで「ケイタイ」の品種について相談。帰途「フジ」で寿司ほかを求む。
柏井正子さん来訪。「独居老人」に関する行政支援についての最近の情報を得る、有難し。
「椿の湯」では、常連との顔合わせ。

3月17日(金)

温子の二七日を迎える。悲しみや無念さもある程度耐えることができるようになった。衣食住のうち食の部分が一応こなせるようになったことも大きい。
恒治、淳志、尚子さんからの定期便メールと尚子さんの細やかな買い物・料理などのアドバイスは「主夫業新入生」にとっては有難い。
朝食に「みよし菜」の「おひたし」、夕食に「ケール」のジューをセットする。お祝いに夕食は「牛肉弁当」。
午前中、一遍会平成28年度収支決算の分析に入る。「赤字決算」にはなったが、制御可能と判断している。
午後、表庭の草引き1時間。昼間なんとか1時間の余裕時間を生み出して草引きに精をだしたい。
義妹から「市地域包括支援センター 桑原・道後」の飯田さんを紹介される。一度訪ねてみるか。(993-6666 F993-6668)
【→恒治】
1)「モーニングコール」ありがとう。姫路での仕事は3月末までですか。ご苦労さん。
2)この2日ほどの「挑戦」で、「ケール」を使った「青汁(ジュース)」と「みよし菜」の「おひたし」が食卓にのりました。
母さんがいなくなったから野菜づくりは止めにするかと思っていましたが、20日の「春分の日」にケールの種まきをします。
「みよし菜」は「秋分の日」を予定しています。集まりがあった時、「みよし菜」の種一袋を事務局からもらってくれませんか。
3)坐骨神経痛や風邪や病気で動けなくなった時の対応で近々「市地域包括支援センター」に登録してこようと思います。緊急入院、デイサービス、入浴サービスなどなどです。
 
4)3年後(85歳)の生活のことは秋ごろに相談しましょうか。祝谷の聖ベテル病院老人施設の場合、申し込んでから1〜2年後の入居になります。900坪の大邸宅を「老人」一人で維持管理するのは無理です。恒治ファミリーの将来設計を決めてください。
 父としては、道後の土地と墓を守ってほしいと願っています。
5)義安寺の墓については七七日法要の帰省時に場所確認をして発注したいと思っています。それと「神戸土産」は龍穏寺さんの分も忘れないでください。よろしく。

3月16日(木)

朝食で初めて畑で育っている「みよし菜」と「ほーれんそう」の「おひたし」を食べる。葉を摘んで、水洗いして、ラップで巻いて、「チン」させて、「味ぽん」をかけて、新鮮な青菜を味わいました。これを機に、自家野菜を活用していく。

一遍会平成28年度収支決算を昨夜に引き続いての作業。引き続き総会資料をまとめる。岩田監事に連絡、3月30日午後1時一番町スタバで監査を受けることにする。

JA担当者交代挨拶、  ハウス営業担当者の土地活用案、三井住友信託( 課長弔問とビジネス)。
昼はフジ、夕は業務スーパー(5時から2〜3割引)。
淳志、尚子。恒治にメール。

三菱UFJホールディングから「ピーターラビット オリジナルガラスキッチンプレートとコースター」のプレゼントを、温子の食卓の定位置に置く。なんとなく落ち着く。
【→恒治】
このリストは恒治が今後付き合ってほしい従弟たちのリストです。
「一人者で、親と同居」「丁寧は丁寧ですが・・・」の判断とは違いと思いますが・・・ 恒治への父の真意を理解してくれてないようですね。残念。
恵子さん?、美和さん? ちょっと意味が分かりませんが・・・
【→恒治】
14日の演劇「花火」(すわらじ劇園)に続いて昨日15日は明大マンドリンクラブの第60回松山定期演奏会を聞きに行きました。両方とも母さんと一緒に行く予定でしたので、隣の席には母さんのバッグを置いて一緒に演奏を聞きました。
庭の木蓮が大きなつぼみをつけ、開花の一瞬を待っているようです。帰郷した時の「記念植樹」です。今年も大きな花をつけてくれると思います。座敷の花は、まだ数日は飾っておけそうです。
ゆで卵を「やかん」を利用して作ってみました。成功しましたので、次回は鍋でつくってみます。畑の野菜ですが、今朝は、「ほうれん草」と「みよし菜」の「おひたし」を作る予定です。
今日は一遍会の平成28年度総会資料(決算書)の作成です。ビジネスの「仕事」がありますので気はまぎれます。
【→淳志】
比較的落ち着いて一日を送りました。
1)「三好長慶」について「東京大学史料編纂所データーベース」に「源姓三好家系図」が載っています。明治初年に全国的に調査した系図のうち、道後・三好家系図が「本物と判断されて」東京大学史料編纂所が写しを保管したものです。コピーは持っていますよ。
2)三菱UFJホールディングから「ピーターラビット オリジナルガラスキッチンプレートとコースター」のプレゼントがありました。食卓の母さんの定位置に置きました。
3)新任地で役立つかなと思い、宮本又次著「風土記大阪」3部作(船場・てんま・キタ)を書架から引き出しました。気に入ったら持ち帰ってください。
若い研究者や経営者クラスから高度成長期の経営学の書籍の希望があったら無償で差し上げます。長屋門にある書架を眺めておいてください。経営学関連は随分買い求めていますよ。
表庭の木蓮が今にも咲きだしそうです。春はそこまで来ましたね。支店長としての有終の美を飾ってください。

3月15日(水)

伊予銀担当者訪問。温子名義の取り扱いを相談する。

夕、明大マンドリンクラブ第60回松山定期演奏会。隣席に温子のバッグを置いて演奏を聞く。ゲストは森山良子。彼女はこの演奏会に40年前と20年前にゲスト出演しており、演奏の学生に「お父さんと一緒に松山で演奏したかもしれないね。」と声をかけていました。「涙そうそう」ではジーンとくる。
【→恒治】
昌次さんの長男については、名前が浮かびません。宏君に聞いてください。従兄弟の中では恒治が一番年長だから、今後の付き合いはよろしく頼みます。母さんの兄弟姉妹がイザという時には松山に戻って「母さんの義理」を果たしてください。
あわせて、尚子さんの兄弟姉妹は関西に住んでいますから淳志に任せるにせよ、堺さんのご両親については三好家としては恒治が父母の代理を果たしてください。お願いします。
滝野さんについては、お姉さんの家族だけと思います。恒治が父母の代理を果たしてください。
父は日野さん、松浦さん、向井さん、柏井さんとのお付き合いは終生続けました。よろしく頼みますよ。何度も云いますが、亡くなられた滝野さんをみても社会的な付き合いは85歳が限度でしょう。父もあと3年で85歳になります。

本多 伸光  790-0854松山市岩崎町1−3−60−2 089−913−5033

山口 万寿夫 790-0056松山市土居田町675−1 089−972−2807

山地 宏 790-0856松山市南町1−3−26 089−948―1873

山地 泰 790-0038 松山市和泉北2−14−10 089−913−1517

本多  797-0046西予市宇和町上松葉455 089・462・3282
【→恒治】
このリストは恒治が今後付き合ってほしい従弟たちのリストです。「一人者で、親と同居」「丁寧は丁寧ですが・・・」の判断とは違いと思いますが・・・ 恒治への父の真意を理解してくれてないようですね。残念。
恵子さん?、美和さん? ちょっと意味が分かりませんが・・・

3月14日(火)

一遍会四月例会をマスコミ、ミニコミに流す。恒治、淳志、尚子から毎日のようにメールをもらう。励ましであり、労りであり、慰めである。
雄大が約10日間高校の修学旅行でケンブリッジ大学で午前中学習し、午後観光のコースの由。
40歳の人事・教育課長当時、経団連の視察でヨーロッパ、アメリカを半月回ったが、カルチュアショックを強く受けた。雄大は17歳、どんなカルチュアショックを受けて飛躍するのだろうか。楽しみである。
午後、温子と行く予定だった「ダスキン感謝のつどい」(ひめぎんホール13:00〜15:30)に出掛ける。
1)ダスキン社会貢献活動報告
2)演劇「花火」(スワラジ劇園)
@素直な心とA祈りを通して見物に感動を与えるメッセージが届く。花火は音で決まる。
【→恒治】
これからは松山の帰省時に周辺の観光地を巡ってはどうですか。山陽路、伊予・阿波・讃岐・淡路島と見るところは多いですよ。子供にとって家族の思い出は、何にもまして貴重ですよ。
子供の成長をデジカメで撮っておくことです。以前と違って現像・焼付けの手間と経費がかからないから、どしどし撮って父にメールで送ってください。編集しますよ。待っています。
【→恒治】
多忙な毎日と思います。父は時間の余裕があれば葬儀に出席していただいた方に御礼の電話をしています。
恒治にとって本多の従弟が5人いますね。母さんは従弟会の最後のチャンスを作ってくれました。帰省した時にもっとも頼りになる仲間です。「瓦煎餅」を添えて御礼と今後よろしくとの挨拶状を今月中には出しておいてほしい。このチャンスを最大限生かすことです。
七七日法要で伯父・叔父さん叔母さんが揃ったときに、さすが恒治君と改めて認めてくれますよ。

3月13日(月)

午前中「平成28年度確定申告」を松山税務署に提出。
次いで市役所で母さんの死去に伴うもろもろの公的な手続きを完了する。
昼食は市駅地下街の南予の食堂「黒潮亭」。フジの食品売り場の食品のレイアウトを頭に入れる。。
【→恒治、淳志】
定年で帰省した時に母さんと庭に植えた白木蓮のつぼみが、ここ数日で大きくなってきました。週末には咲くんだろうなあと思います。母さんの部屋(座敷)に飾りますよ。
今日、「平成28年度確定申告」を税務署に提出し、市役所で母さんの死去に伴うもろもろの公的な手続きを完了しました。
明日と明後日は、母さんと芝居と音楽会を予定していましたので、入場券を2枚持って「楽しんでこよう」と思っています。
その後、香典、弔電を頂いた方々への挨拶状、礼状とお返しの作業に取り掛かります。「春分の日」までに、何とか取りまとめたいと思っています。近況報告まで
【→淳志】
マイペースでやっています。
亜実ちゃんの「初恋の人」は担任の先生のようですね、違うかな。
「ガスコンロ」以外のプレゼント、楽しみですなあ。待っています。ありがとう。
【→恒治】
赤穂には昭和42年2月に行っています。宿泊は赤穂温泉「銀波荘」です。現在も営業中です。ウエッブで検索したら二人泊で一人2食で2〜3万円でした。姫路からのお客が多いのでしょう。道後でいえば「道後館」「大和屋」並みかな。母さんの慰労もあって、お父さんも無理していますなあ。大石神社ではなくて「大石良雄宅跡」でした。
恒治ファミリーのアルバムはどうかな。神戸に出かけたときに拝見したいものです。

3月12日(日)

温子が先週4日土曜日に亡くなったから、9日目である。やっと余裕時間が持てるようになった。
伊予史談会3月例会出席。
(1)武知亜耶(日本工業大大学院博士課程)「木子七郎の設計活動と大阪建築界における建築家の自立」。
(注)木子七郎は建築家。県内では、県庁、万翠荘、県立図書館、松山高等商業、石崎汽船、鍵屋カナ頌功堂など建設。
(2)平松利之「三輪田米山(伊予の三筆)書等所蔵品十六点の概略について」
武智利博名誉会長から「香典」と供物(みかん)、高須賀会長からお悔やみ、今村、田中、戒田氏と一遍会の情報交換。
史談会例会を早めに退出して、「しげまつ」で散髪、帰宅して昼食。休憩後、「フジ」で食料品の調達。店員に場所をいちいち尋ねながらの買い物である。案外楽しいものである。温子は、値引き時刻を見計らって出かけたから、3割以上高い買い物だが致し方あるまい。
夕、史晃から県立高校受験終了で電話が来る。自信満々である。温子が知ったらどんな喜ぶことか。
夕食後、NHK大河ドラマ「おんな城主直虎」を見る。「椿の湯」で疲れをほぐし23時前に就寝。
【→恒治】
恒治 殿
メールありがとう。
〇「ガスコンロ」のプレゼント、有難う。
恒治の指摘どおり、スペースとの関係があるし、排気口や給湯設備のドッキング等がありましょうから、帰松の時に確認してください。(簡単な)工事でしょうが、ガス会社指定の工務店が担当するのではないかと思いますが。ガス会社にも推薦する機種があると思います。
〇「洗濯機」は不便でしたから、早速パナソニックの自動洗濯機に取り替えました。
〇「49日の件ですが、大量のアルバムを各自見てもらうと どうしても無口になってしまうので・・・・・」
心配してもらって有難う。出席者は母さんの兄弟姉妹だけですから、住職用に数枚用意したいなと考えています。家族の方は、帰省の度にゆっくり見てもらえばと思います。
父に気持ちの余裕と時間があれが、「ご期待に応えて」ということですが、4月8日(土)が一遍会の平成29年度総会ですので、いずれにしてもそれ以降の作業になります。プロジェクターは持っています。父としては、一周忌に「母さんのアルバム」をまとめたいなと思っています。了解してください。
目下、足のストレスに気をつけながら、法的な手続きと弔問者の応接、日常生活(買物・炊事・洗濯・掃除)で手いっぱいです。恒治と淳志夫妻からのメールが唯一の楽しみと安らぎと慰めです。
仕事の方も大変でしょう。史晃の合格が決まれば良いですね。みなさんによろしく。
追って
「印鑑証明」(実印)がやがて必要になります。用意しておいてください。
【→恒治】
史晃の「合格の自信あり」をにおわす元気な声を聞きました。安心しました。 19日(日)の報告を聞いてからお祝いを贈る予定です。

春暖の一日、散髪をしてきました。すっきりしましたよ。
父も来週は税務署・市役所・保険事務所と街中を歩くことになります。杖をつくことで周囲の人も気遣ってくれるので却って好都合です。

3月11日(土)

温子の遺品というか、行政、税務署、建保の申請に必要な書類、カード類を確認する。的確に整理・保管されており驚く。
〇「後期高齢者医療被保険者証」
〇「印鑑登録証」
〇「年金手帳」(三好温子)
〇「介護保険証](三好温子)
〇「認印、印鑑証明印」
〇「銀行・郵便局ほか通帳&カード」
〇「定期預金証書」は「伊予銀貸金庫」
午後、洗濯、庭の草引きなど日常的業務をこなし精神を落ち着ける。 
宝厳寺での一遍聖生誕会、松寿丸湯浴み式、一遍会3月例会が午後1時から3時半まで開催されたが、蜂須賀さんに一任。16時過ぎに田中さんの車に同乗して、本日の講師である青山淳平氏が弔問に見える。
四年ぶりの一遍生誕会であるが、盛大に執り行うことができた由、まずは良かった。

3月10日(金)

「初七日」を迎える。時間の早さを感じる。「母さん」の呼びかけでは涙は出ないが「ママ〜」とか「おばあちゃんはね」という時は涙が自然ににじみ出てくる。
 
 法要祭壇に灯明をつけ、線香を供え、花籠のスポンジに水をたっぷりと注ぐ。一週間か10日くらい保つのだろうか。
 温子のことばかり思い続けて気分がふさぎこんでもと思い、平成28年度確定申告作業に取り組む。提出期限が3月15日なので、週明けの月曜日に、税務署、市役所など公的な手続きを済ますことにしたい。葬儀一切を任せた「村田」の清算を済ます。
(2,783,408円)
 昼食後、久しぶりに表庭の草引き。落ち着いた気分になる。3時過ぎに今井電気店の御夫婦で「パナソニック洗濯機」を設置してもらう。全自動で、スイッチを入れれば、しぼり迄は機械がやってくれるので頼りにしたいし、洗濯は気分転換になるのでこまめにやっていきたい。
 夕食はセブンの「天津飯」。史晃の中学校卒業式であり神戸に電話、泰世、弘華と話す。 「椿の湯」。22時就寝。今日の一日も平穏に終わる。
【→恒治】
今日は母さんの「初七日」です。念入りに「母さんとおしゃべり」しました。史晃の中学校卒業式なので先程電話しました。史晃は留守でしたが・・・
泰世さんといろいろ話をしました。弘華ともおしゃべりができてハッピーな気分ですよ。
滝川高校の内定をもらっているから安心でしょうが、あとは史晃の健闘を期待しましょう。

洗濯機の調子が悪いので、パナソニックのシニア向けを「今井電気店」から運んでもらいました。洗濯と掃除とコンビニと「椿の湯」でほぼ5000歩です。
ムラタの支払い完了しました。以上

3月9日(木)


〜08:00〇塵だし(焼却)
〜08:15〇朝ドラ
〜08:30〇恒治電話
09:00  業務スタート
11:30〜13:00〇昼食きつねうどん、バナナ、みかん、コーヒー

〇夕食 すきやき弁当(セブン)

@葬儀収支 <淳志>1,036,000円
A電話→ 森鈴子(要お返し@10,000)、各団体、増井さん
B【電報】リスト作成→電話・礼状作成→発送
C町内会会葬御礼挨拶 松田恒生 平賀喜久夫 (谷本) (井手野安男)+森さん<粗供養差し上げ>
D電話←ひめぎん支店長、平岡英(4月講演辞退、4月花見辞退)
、本多兄(ラッキーな帰宅、七七日法要参加家族確認)
E確定申告作業(印刷)

〇洗濯機不調  ●●電気店に照会(受付 奥さん)
【→恒治】
電話ありがとう。食事の支度と後片付けで最低1時間半・・・三食で5〜6時間かかります。驚きました。連絡・相談事項を記載します。

@パナソニック(大嶋社長)からの弔慰金200,000円については、恒治の郵便局新設口座(到着次第)に振り込みます。今後、社内や親戚の慶弔関係費用として有効に活用してください。
A「社長宛礼状」などは社内慣行に従ってください。その節には父(喪主)からの御礼のメッセージを付け加えてください、お忘れなく。
社長(秘書)に礼状を出す場合、当方で用意した「会葬御礼品」が必要なら会社の恒治の部署に宅急便で送りますから、アドレスを含めて連絡して下さい。くれぐれも「社内慣行」に従って下さい。
B史晃の高校合格の「快報」を心待ちしてしています。その際、史晃から「おばあちゃんへの手紙」を忘れないでください。母さんもその手紙を読んで喜んでくれると信じています。よろしく、頼みましたよ。
C本日は超多忙でした。朝の母さんへのお茶のお供えはちゃんとしましたよ。町内の参列者への挨拶は一軒づつ回ってきました。天気が良いので洗濯もしました。 報告まで。
【→淳志】
疲れが残っているのでしょうが、大丈夫ですか。支店長の感傷が湧いてきていますか。父も、防府の工場長を去るときには、ジーンときました。
今日、確定申告の作業を済ませました。念の為、来週再点検してから税務署に提出の予定です。まずは頭脳活動も正常のようですからご安心ください。
松山での飲み屋・・・楽しみですなあ。楽しみに待っています。ありがとう。
【→恒治】
本多の義兄と今夕法要の件で話をしました。「温子の兄弟姉妹ということで頼みます」とのことで「本多の叔母さん」は外します。三好サイドは正子さんのみです。
来週、案内状を出すことにします。応接室で本多のみなさんは待機してもらうことにしましょうか。取り急ぎ連絡まで。

3月8日(水)

【朝食パターン】納豆 味噌汁 生卵(一日1個最低)) 
【今後の追加】豆腐 サラダ 「ボンカレー」

〇電話←上田君
〇父の死亡時の国保の手続き  正子案内で温子
【→恒治、淳志】
今、徳島から淡路島ですか。本当に有難うございました。助かりました。
皆を送り出した後、虚脱状況になるかと思いましたが、柏井正子さんと「京都ぶつだん」の担当者と続き18時頃にフリーになりました。
ともかく夕食を作ろうと悪戦苦闘して19時半に終了。予想しなかったことは、食事の準備はず〜っと立作業なので、右足へのストレスがひどくなりました。
という次第で、しばらくは弁当を軸にすえる必要があるかなと考えています。
今晩は、ゆっくりと眠って、明日から本格的に活動します。自分のことばかり書きましたが報告まで。寒くなりましたので、これから椿湯に身体を温めにいきます。
ご苦労さん。有難う。父

3月7日(火)

妻温子の葬儀、告別式は滞りなく終了する。

卓球(ピンポン花 背景に球4個) お琴(お別れ曲、最後の曲を胸元に 爪 今井先生)

松田直弘様、横内幸雄様、お悔やみのメッセージを頂戴いたし、心から御礼申し上げます。また弔電をお送りいただきました会員の皆様に衷心より御礼申し上げます。

告別式には、宝厳寺の前住職 故・長岡隆祥師夫人、現・副住職 陽子尼様、宝厳寺檀信徒総代烏谷様はじめ各総代様、一遍会小沼代表、理事、監事の皆様にもご多用の中御列席いただき、ご供養いただくとともに暖かい激励を賜りました。厚く御礼を申し上げます。

七七日の間、故人は浄土への旅立ちの中にありますが、この間は喪に服して、亡き妻の思い残した願いを心に刻み込み、その実現に向かって妻とともに残された人生をともに歩んでまいる所存です。

今後とも、ご支援、ご厚情を賜りますようお願いも申しあげます。有難うございました。合掌


3月6日(月)
通夜式

自宅から15時発。町内会長ら見送り

3月5日(日)

長い長い一日となる。


19時、恒治と淳志ファミリー4人と、「大黒屋」で釜飯と大黒うどんを食べる。まる二日ぶりの暖かいご飯である。おしゃべりをし、空腹が満たされると、ちょっとだけ幸福感、いや温子の死を忘れられた。心の安定、安堵感があった。
帰途、淳志ファミリーは「ホテル   道後」に宿泊するので別れ、恒治と二人で「椿の湯」にゆっくりは入って、身体を心から暖める。西山さんからお悔やみがある、例によって早耳である。西山さんは60台で夫人を亡くしている。悲しみが分かってくれている。


3月4日(土)

温子が「急性心臓死」(数分と推定)で急逝しました。「死亡診断書」ではなく「死体検査書」になっています。
検査医師は俊野敬吾(市内安城寺町1076−5安城寺クリニック時)。裏庭の柏の枝切り中の事故でした。家にも庭にも温子以外誰も居なかったので、事実は温子以外に知る人はいません。
温子が死の瞬間に思ったこと、伝えたかったことを知ることはできませんが、せめてもの救いは苦痛の時間が非常に短かったことです。刹那だったのかもしれません。

 何事もなければ、これほど素晴らしい一日はなかったのではなかろうか。穏やかな春の一日が始まる。朝食が終わり、9時半、宝厳寺檀家総代と3月11日(土)開催の一遍生誕会と一遍会3月例会を宝厳寺で三年ぶりに開催するので、蜂須賀俊一総代の車に同乗して家を出る。
 12時半、打ち合わせが終わり帰宅。珍しく昼食の用意もなく、リビングはがらんとしている。買い物かなと別に疑念も抱かず書斎に入り、メールの点検などいつもの作業を行う。13時半、温子が帰宅した様子もないので、カップラーメンで昼食を済ます。不思議に思い邸内を見て回るが異常はない。妙なこともあるものだとは思ったのだが・・・
 15時半、「椿の湯」に出掛ける。17時、隣の郵政アパートの広場に救急車やパトカーが数台来ている。何だろうと思いながら、東の裏口から家に入る。
な、なんと、わが家の裏庭に警官が数人いるではないか。まだ、事情が飲み込めない。じっと眺めると、柏の木の枝に温子が屈曲してしがみついている。驚き、声にならない。近づこうとしたが、警官に制止される。冷たく「検視が終わるまで待ってください。」
頭が白くなったという表現は正しくない。冷静に現在の状態を観察するしかなかった。なすべきことは何かを考える。
 神戸にいる長男(恒治)と次男(淳志)に「母さんが死んだ。詳しいこと分からないが事故だ。」と伝える。次いで、近所にいる従妹の柏井正子さんに伝える。
 3時間近く警察の調査、検視などなど、警察から云えば日常的、定型的な調査が持続、当方にとっては緊張の時間が続く。温子の妹(晃子さん、真子さん)に連絡する。
浩君、真子さん、泰ちゃんが駆けつけてくれる。一時間ぐらいの間をおいて晃子さんが来てくれる。心強い。宇和の義兄との連絡がつかない。
 恒治は車で神戸から駆けつけてくれるという。深夜になるだろう。22時頃、解散して、一人で恒治を待つ。妻の死に対する自責の念がこみ上げる。
 剪定! 何故なんだ。何故、いつもと同じように二人で剪定をやってやれなかったのか。なぜ、自分だけで剪定をやったのか。(今更、元には返らないのだが)
 日が変わって3月5日午前1時頃、恒治帰宅。「母」との哀しい対面が待っている。温子はまるで眠っていて、声を掛けると目を開けて起き上がってくれそうだ。今更ながら美人だなと思う。2箇所擦り傷が残っているがあまり気にはならない。それから、恒治と1時間ほど語り、ともかく寝ることにする。
 ベッドに入ってが、眠れはしない。2時、3時・・・5時、6時の時報は記憶している。一睡もしなかった、できなかった。阪神大震災のときも同様だ。あの時は、傍に温子が居てくれたのだが、今回は温子が傍に居てくれない。残念、無念。

3月3日(金)

市役所まで遠出、確定申告用に「後期高齢者医療保険料納付証明書」を受け取る。
明日の宝厳寺総代との打ち合わせ資料印刷。住職夫人来訪。お気軽に立ち寄られるように家人ともどもお話しする。
午後、松山子規会講演レジュメ「生死の執着と安心〜一遍と子規と」を点検する。
夕、「椿の湯」。腰膝の調子が良いので杖をつかずに往復する。リハビリがワンランクアップしたようだ。万歩計の2,000歩を越える。

3月2日(木)

昨夜から雨模様。午後、本降りとなり、外出は控える。
子規博3月度子規俳句の鑑賞エッセイ執筆。午後、HP一遍会3月度版の全面公開で一件落着。
午後は、今週末に宝厳寺檀家総代との一遍生誕会打ち合わせがあるので討議資料を取りまとめる。
宝厳寺の再建に多大の尽力をされた島崎有三総代が退任された由、次なる実力者は誰なのか、今後が思いやられる。一遍会も同様だが・・・
【→俳友】
子規記念博物館(館長 竹田美喜氏)選句の子規さんの平成29年3月の句は「雛もなし男許りの桃の宿  子規」です。
明治28年(1895)の作品で、季語は「雛」(春)です。『子規全集』第二巻 俳句二「寒山落木 巻四」180頁 (明治二十八年 春)、第十二巻 随筆二 陣中日記 77頁(明治二十八年)、二十一巻草稿ノート 病余漫吟 44頁 (明治二十八年春)に掲載されています。
この句の背景については子規自身が詳しき書いています。
1)「寒山落木」
 日本新聞社楼上に従軍の酒宴を張りて吾を送らる折ふし三月三日なりければ雛もなしといふ題を皆々詠みけるにわれも筆を取りて 二句
 雛もなし男許りの桃の宿
 首途(かどいで)やきぬぎぬをしむ雛もなし
2)「陣中日記」
 正午の頃同僚十余人酒を置て吾を送る。恰も新暦の節句なれば雛もなしといふ題にて人々句を作るに
 雛もなし男許りの桃の酒  
 首途やきぬぎぬをしむ雛もなし
などわれも戯る。
3)「病余漫吟」
 雛もなし男はかりの桃の宿
句に「桃の宿」と「桃の酒」の二種あるが、日本新聞社での送別会の句は「雛もなし男許りの桃の酒」であって、のちにこの句を「桃の宿」として、出発に際しての一夜を「桃の宿」で過ごしたという俳句的虚構にまとめあげたのであろう。もっとも「男許りの桃の宿」では送別の余情はまったく感じられないのだが・・・
日本新聞社壮行会の参加者は福本日南、中村不折、仙田土仏、石井露月、佐藤紅緑、諫早(小林)李坪、斉藤信の7名。
新橋駅から3月3日16時10分発の汽車で広島に向かう。前途を暗示するかのように大雪であった。4日、大阪着。5日、夜21時45分発にて広島に向かい、6日、正午に広島に到着。
子規さんにあやかって一句
 昭和33年3月大学を卒業す 
「桜散る男許りの傘寿会  子規もどき」 道後関所番

3月1日(水)

曇天の一日。東北ではまたまた地震が発生したようだが四国は安泰である。
月初の提携実務をこなす。(1,500歩)
1)道後公民館に出掛け一遍会5月度会場申し込み。道後支所で利用料を払っていたら公民館の女子事務員は「使用許可書」を届けてくれる。新規「身障者」を労わってくれたのだろう。
2)子規博で3月度懸垂幕子規俳句を確認する。「雛もなし男許りの桃の宿  子規」
ついで3階特別展示室で『子規の俳句とかまぼこ板の絵』展を見る。ギャラリーしろかわ主催の全国「かまぼこ板の絵」展覧会の優秀作品と子規の俳句のコラボである。
3)伊予銀行で一遍会2月度収支決算の確認。特に問題点はなし。
4)温泉街にあった喫茶「一遍堂」は昨年末に閉店したが、「うなぎ 小椋 道後店」が新規開店である。うな重、牛重が1,650〜3,300の価格帯である。
5)愛媛銀行、郵便局に立ち寄る。県美術館友の会の新年度会費の振込みなど。
一遍会江刺理事から無事退院と6月度例会講師引き受けの連絡あり。何よりである。
午後、@一遍会3月度例会案内とA一遍生誕会献句・献歌依頼のメールを流す。夕、椿の湯(1,500歩)

違いとは?
5、最高の臨終を迎えるために必要なもの
6、臨終が近いことを知らせる“目”の表情とは?
7、カラスや、イヌ、ネコが人間の死の前兆を知っている理由