第百九十七段 令和元年度下半期 日録

3月31日(火)

新型コロナウイルスのグローバルな猛威に振り回された一ヶ月であった。あと数ヶ月は持続されることは必至である。
本日の「友隣サミット」は天候の関係で4日に延期したのだが、午前中に県知事の県内感染者数名発生で道後公園花見自粛の発表があり、結果的に中止する。
「フジ」で花見弁当とビールを買い求め、我が家の庭の櫻を愛でながら一人で花見する。風流である。いやはや。
『一遍会報』第418号、第419号の編集割付作業を進める。順調である。編集後記に下記一文を載せる。第420号には拙論「宝厳寺小史(古代・中世<上>)」を予定する。
【事務局より】
 新型コロナウイルスの地球規模での流行により感染者が激増中である。松山の文化団体では三月以降例会中止が一般化している。
 一遍会では、例会出席を会員のみに限定して不特定者による感染を防止し、会員各位の自主的な判断を尊重して「道後公民館」開館を前提に例会を継続開催とします。
とは申せ、出席者はマスクなど携帯し「自衛」は自己責任でお願いしたい。諸事情により直前に中止する場合もあり得るのでHP一遍会でご確認いただきたい。

リゾートラスト㈱から「リゾーピア箱根閉鎖の報告、ショックである。
もっとも、新たにエキシブの軽井沢、蓼科、初島、浜名湖、琵琶湖が「サンメンバー会員向けに客室が新設されたので、独り者には有難い。
コロナウイルス旋風がおさまれば是非利用したいものだ。
徒歩「エデン」。
『四国遍路と世界の巡礼』(2020March No.5)と『子規博だより』(Vol 38ー3)に目を通す。

3月30日(月)


終日雨模様。
子規会臨時常任委員会開催。(10:30~12:30 東京第一ホテル)
議題①令和二年度定期総会&第九二七回例会について
  ②第九二六回三月例会中止の経緯について
結論ありきの会議であったが、出席者は熱心に討議する。コロナウイルスに関して「戦争」として警戒警報・空襲警報などのたとえてスピーチする。
14時のバスで「エデン」に戻る。
『愛媛新聞』に一遍会4月例会予告掲載。珍しく編集者の意向が同時掲載されている。やれやれ。
夜8時半、都知事の緊急コロナウイルス会見を見て・・・
【メモ】
喜劇俳優・タレント「志村けん」氏(70歳)の急逝コロナウイルスを起因とする肺炎の由。大いに楽しませてもらいました。感謝。

3月29日(日)

終日雨模様。首都圏は積雪あり。春の椿事か。「桜田門の変」はこの頃か。
コロナウイルス治まらず。素人観測では、春休み、五月連休で首都圏、阪神からの家族の帰省でウイルス菌が持ち込まれ、約14日後「陽性患者」が大量発生か。松山のコロナのピークは5月下旬~6月中旬頃か。一遍会六月例会こそ危機ではないか。
柚山氏(伊予史談会副会長)から「奥之谷宝厳寺古図」記載文面の報告を受ける。『一遍会報』に記載して、宝厳寺研究資料として記憶に留めておきたい。
週間の日記を書き込む。4月以降の予定(コロナによる修正)を検討する。残念ながら夏までは長距離バスツアーは中止。薬師寺東塔竣工記念式典には参加したいものだ。
義安寺墓参。にぎたつ会館ランチ&スパ。子規博友の会継続手続き。
夜はTVをどっぷり楽しむ。NHK大河「麒麟がくる」、「ぽつんと一軒屋」、KHK歌舞伎「菅原伝授手習鑑(道明寺)」。
【→柚山氏】
ご教示有難うございました。
「観音堂」は本堂焼失の際にも生き延びましたが、再建に当たり撤去され、現在トイレ棟が建っています。楼門と並ぶ建造物が人為的に撤去されたのは残念至極です。「観音堂」については記録として『一遍会報』に掲載しておきたいと思っております。
お世話になりました。今後ともよろしくお願い申し上げます
「奥之谷宝厳寺古図」内記載文面
文字ハ圖者ノ記入ニ係ル            
十二坊中今名ノ存スルハ林迎坊ノミ此坊ノ
本尊門前ノ観音堂ニ在ルモノ是ナリ
十二坊阯ハ全部松ヶ枝遊廓トナレり
遊廓ヲ開キタルハ明治九年ナリ(元薮)
大正十二年十一月●寫
●は「幕」の字の「巾」部分が「手」になった文字

3月28日(土)

終日雨模様。
NHK朝ドラマ「スカーレット」終わる。主人公である信楽の陶工(女)は現存の由。時代考証の天野隆子さんご苦労さん。慶応経済学部で後輩、「坂の上の雲」の仕事で来松時、仲田先輩と一夕を共にした。
「おひなさま」「梅ちゃん先生」「ごちそうさん」「花子とアン」「半分、青い」「なつぞら」「スカーレット」と彼女の時代考証は続くが、吾らの時代は既に「時代考証を必要とする時代」として認識すべきなのか。
週初の松山子規会決算監査資料に目を通す。一遍会「出納簿」の再点検。
夕、今村さん『一遍会報』第418号校正持参。情報交換では松山坊ちゃん会は四月総会開催の由、仲間が一つ増えた。
雨の中「椿の湯」に出かける。
【メモ】読売新聞「国語力危ない」(上)
あはれ(平安) 清少納言は語彙不足か!?
をかし(平安)
すごい(昭和)
やばい(平成)「格好悪い」→「すごい」(1990年台)
エモい(令和)  エモーションが語源

3月27日(金)

天候崩れる。終日雨模様。
一遍会令和元年度決算、総会資料取りまとめ。
①決算書・予算書は二案作成。将来的には現金(預金通帳)で決算数字を把握できるようにしておきたい。監査役からの希望に沿う。
②令和元年度収支決算
③令和元年度収支決算分析
④令和元年度会費納入者名簿(28名)
ファミリーに定期便(妻の七の百六十日(没1120日目)」。
私的な年間計画も大幅な修正である。旅の計画は「休暇村全国制覇」の残り10箇所を今年中に「征服」のプランがあったが、バスツアーでもあり、順調にいって今秋以降からの実施であるが難しい。
論文の方は計画通り本年度は中世まで進み、来年は近世・近代・現代と進むが、出版社が見つかるかどうかは皆目不明である。
ライフワーク『捨聖一遍と宝厳寺』は「パソコン」の中では離陸させたい。
夕、業務スーパーに買出し。マスク以外は備蓄も大丈夫。NHK「チコちゃんに叱られる」(①「春一番」の秘密 ②魚の頭は左に ③サンドイッチの三角形はメイドインジャパン)である。
【→ファミリー】
今日(令和2年3月27日)は、「母さんの七の百六十日」(没1120日目)です。 「新型コロナウイルス」(チャイナウイルス)は全世界に拡散し勢いが止まりませんね。今朝、愛媛も1名増加しました。
ニューヨークと同様に東京も危機的な状況になってきました。
恒治は危機一髪のところで広島に「疎開」、とは云え、大阪も神戸も広島も道後も油断ができません。安心なのは、我が家の草ぼうぼうのは畑での草引きでしょうか。いやはや。 
毎日二時間挑戦中です。元気で~す。体が鈍ったら、いつでも草引きにいらっしゃ~い。!!!
4月、5月は「山歩き」と「読書」がお勧め。毎年のことですが、花めぐりを企画中です。「読書」はカミューの『ペスト』(新潮文庫など)がお勧めです。(難しい本ですが、今回のチャイナウイルスに引っ掛けて読むと興味深いと思いますよ。)
父は、大学1年の春にこの本に出会い、不条理→虚無→実存主義→(ケルケゴール~サルトル)に読書領域を広げた次第です。
4月例会も、状況は3月以上に深刻なので、多くの文化団体は「中止」となりましたが、一遍会は堂々と4月例会開催をマスコミに告示しました。愛媛新聞社のデスクから照会があり、プレッシャーがきついです。いやはや。
今後のスケジュール
27日(金)義安寺墓参 にぎたつ会館ランチ&スパ
28日(土)晴耕雨読 
29日(日)晴耕雨読読
30日(月)松山子規会役員会
31日(火)友隣サミット(道後公園花見)
 1日(水)道後公民館 子規博 松山神社・常信寺花見
 2日(木)一遍会会計監査 松山城花見
 3日(金)義安寺墓参 奥道後温泉ランチ&スパ&花見

3月26日(木)

6時間熟睡(22時就寝~4時目覚め)、起床6時半、体調は完全に回復したか。徒歩帰宅。週間の日記を「日記帳」にペン記載。
午後、4月2日実施の一遍会会計監査資料作成。
愛媛新聞から4月11日開催の一遍会4月例会に関しての詳細な質問・・・要は自粛ムードの中での開催についての照会である。「愛媛新聞、お前もか」と云いたい。
徒歩エデン。
松山歴史文化研究会はウイルスで休会になったが、「エデン」での喫食申請を忘れており、祝谷の「セブン」までとぼとぼ弁当とビールを買出し、お楽しみの「プレバト」を観ながら部屋で食べる。酔いが回り、風呂抜きでダウン。いやはや。

3月25日(水)

昨夜はエアコンをつけなかったからか、ぐっすり睡眠がとれて、5時に目覚める。エアコングッバイである。終日、鶯が「ホーホケキョウ」の練習・・・随分上達したようだ。彼女が近づいてくる日も近いか、いやはや。
新型コロナウイルス(中国ウイルス)の猛威は世界的にも、日本的にも治まろそうにもない。楽観主義者だが、一遍会の前半期の活動に関して見直しに入る。
快晴。午後2時間、表庭の除草・整備作業を進める。週末には庭に花見客が来るだろうから、それなりの準備はしておきたい。毎年の客人の中には春を待たず逝った友も居る。
16時、徒歩「エデン」。

3月24日(火)


徒歩帰宅。鶯の声を楽しむ。道後公園の櫻は本日が「開花宣言」か。サミット仲間との花見は31日、ぴったりか。
神戸の長男ファミリーと電話。大学入試が順調に進まず、滑り止めの私大工学部に入学となる。本人は「建築士」希望であり、4年後国立系の修士コースで一級建築士取得挑戦の由。祝意を伝える。道後で建築事務所を開設してもらえばと思うが、その夢を私が直接見るのは無理か。
午前中、表庭の草引きを1.5時間楽しむ。午後、一遍会令和元年度の出納簿点検。
伊予史談会柚山副会長に「奥之谷宝厳寺古図」の文面につき照会する。
夕、徒歩「エデン」。

3月23日(月)

快晴、朝一番に洗濯開始。咳と痰は残るが、体調は良好である。
一遍会令和初年度の収支決算を銀行口座で確認する。ついて、総会資料(令和元年決算、令和2年度予算書)作成。
15時のバスで「エデン」帰宅。一週間ぶりに入浴。TV.ラジオを視聴しながらベッドで横になる。

3月22日(日)

風邪は回復基調、気分は良好である。
一遍会令和2年度総会資料とりまとめ。
松山歴史文化研究会、4~5月中止の旨連絡あり。
夕方、すーっと風邪の熱気が薄れていく。正常体に戻りつつある。
大相撲春場所(白鳳優勝)、大河「麒麟がくる」。「ぽつんと一軒屋」を何事ももかったようにTVを眺める。日常的な生活がなんと素晴らしいことか・・・

3月21日(土)

体温は36度6分℃、平熱よりはちょっと高い。大事をとって戸外作業は避け、ベッドで横になる時間が多い。
一遍会四月例会予告をマスコミ・ミニコミに流す。四月も伊予史談会。松山子規会共に中止である。
レディー薬局で市販の感冒薬二日分を購入する。今日も大事をとって「椿の湯」には出掛けず。

3月20日(金)

春彼岸の中日・・・3連休である。体調が優れない。終日ベッドで横になる。新型コロナウイルスにひかかったかもしれない。
夕、晃子さんが弁当の差し入れをしてくれる。有難し。

3月19日(木)

体調優れず。今日は松山子規会月例会当日であるが例会中止。幹部だけが正宗寺に集まる。子規埋髪碑、正岡家墓などに参る。その後、伊予鉄本社一階の「フタバ」で月末開催の役員会の内容につき審議する。
16時市駅前からバスで「エデン」。夕食抜きで「ベッド」に横たわる。大事いたらねば良いのだが・・・

3月18日(水)


熱っぽい。連絡バスにて帰宅。
『一遍会報』第418号編集、割付。今村論文は「能『墨田川』を観る」一本で3ページ超占める。今村氏に校正を依頼する。
午後、三井住友信託の新規担当者挨拶。早めに「エデン」に戻り、休養する。風邪でなければいいのだが。
愛媛県で3人目の新型コロナウイルス検査で陽性者が出た。昨日は香川県でも陽性者が出た・・・・・

3月17日(火)

徒歩帰宅。
一遍会四月例会で配布する『一遍会報』第418号の編集に入る。この号は今村威理事の二本の論文を掲載したい。
1)旧別子村民謡「天竺踊り」について
2)能「墨田川」を観る
夕、徒歩「エデン」。
『熱源』(川越宗一 直木賞)読書。

3月16日(月)

10時半、大樹生命(旧三井生命)の山下女の上司()挨拶。
郵便局手続き。賀状未使用分で『一遍会報』送料相殺。なんとなく儲かった気分である。いやはや。
徒歩「エデン」
『熱源』(川越宗一 直木賞)。
【メモ】
本日「一遍会IT会員三月度定期便」を発送致しました。
卓話「善応寺  二羽の兎」(江刺精久理事)はパワ-ポイントによる報告でありレジュメがありません。『一遍会報』に掲載の予定です。お待ちください
三月例会は「新型コロナウイルス」対応により松山市内の文化団体の多くが月例会を中止されました。
一遍会としては、例年開催しております宝厳寺での一遍生誕祭「松寿丸湯浴み式」が中止となりましたので、ささやかではありますが「一遍上人第七百八十一回生誕会」として十念仏を唱和致しました。
先人たちが創始されました「一遍生誕会」を絶やすことなく実施致しましたので謹んでご報告申し上げます。一遍上人にも喜んで頂けたと思っております。南無阿弥陀仏
四月から令和二年度に入ります。引き続きのご支援をお願い申し上げます。

3月15日(日)


一遍会IT会員定期便、取りまとめ封筒入れ完了、明日発送。
一遍会3月収支決算仮締め切りして年度決算作業開始。
TV「大相撲」「大河 麒麟がくる」「ぽつんと一軒屋」で大忙しである
慌しかった一遍会3月例会(一遍上人生誕会)であったが、大勢には従わず独自路線で実施してよかったと思う。文化団体に「臨危不変」のメッセージを送りたい。

3月14日(土)


「チコちゃんに叱られる」(①リチウム電池とは ②卒業式の「呼びかけ」<カリスマ校長斎藤喜博> ③「柿の種」の形状の秘密<メイカー社長夫人のミス>)
午後、一遍会3月例会開催(13:00~15:30)。今回は「一遍上人生誕七八一年祭」の祝意を添えることとした。
1)卓話 江刺精久理事「善応寺 二羽の兎」
2)講話 三好恭治理事「宝厳寺小史Ⅱ中世(鎌倉期)」
次いで理事会では令和二年事業計画と四月総会の(中止を含む)細部打ち合わせ。
「ブラタモリ」(天草へ 天草四郎伝説の城探険)
「椿の湯」
御幸中学校同期会中止の旨山本幹事から連絡あり。了承するも、全国的なヒステリー現象にはいささか疑問ありだ。

3月13日(金)

徒歩帰宅。
妻の「七の百五十七日」(没1099日目)、ファミリーに週一回の定期メールを流す。今日だけは、ファミリー全員が思い出すから「生きている」筈だ。
一遍会3月例会持参資料を取りまとめる。松山のメジャー文化団体で3月例会を開催するのは一遍会だけだろう。今月は「一遍上人生誕(1239年2月15日)781年祭でもある。旧暦2月15日は「涅槃会」でもある。
大樹生命(旧三井生命)担当者の年1回の定期訪問・・・スポーツウーマンで、爽やかな感じである。保険額を確認したが、息子たちには有効に活用してもらいたいものだ。
「セブン」「フジ」で食料品調達。外出抑制の時流に沿って、冷凍食品の活用を考えてみることにした。電子レンジがあれば、手間要らずで料理できそうだ。
一週間ぶりに「椿の湯」。

3月12日(木)

徒歩帰宅。懸案事項片付け。
早昼を食べて「ダイキ」に出かけ『一遍会報』第417号100部印刷。帰宅後、例会配布資料を各人ごとにまとめる。一件落着。
徒歩にて「エデン」。
TV「プレバト」を見て、のんびりする。
【メモ】
①千原ジュニア 「顔面骨折 カニューレの接ぐ 春の朝」
②中田喜子 「テーピングの足 春泥を撥ね上ぐ<跳ね上げる>」
③千賀健水 「稽古場の靴ずれ血豆 春の雨」
④松岡 充 「春の星 ギターケースに絆創膏」

3月11日(水)


11時から「紀の国屋」で松山子規会常任委員会。主要議題は3月例会取り扱い(中止・延期・実施)。実施案は老生のみ。殆どは中止、数名はあいまい派。
昼食(味噌ラーメン)後、烏谷、渡部、三好、嶌川4名で正宗寺を訪ね、3月例会中止を住職夫人に伝える。帰途、平岡さん(相談役)宅を訪ね、その旨伝える。
いささか疲れたので、夕5時バスにてエデンに戻る。
【メモ】
○新型コロナウイルス肺炎への対処法
喫煙者  罹災率 2倍
重症化率・致死率 3倍強 
2月28日付 「MEJM誌」(The New England Jounal OF Medicine )
大阪 ライブハウス  喫煙可
○松山の陽性(男性)勤務先 山西駅乗降の教師

3月10日(火)

徒歩帰宅。
「セブン」で『一遍会報』必要部数印刷。
 例会講話レジュメ再検討。
午後、「サミット」(14:00~16:00)。県障害者センターま喫茶部門は閉鎖、来客なしの借り切りのホールで、例によって老人どもの放談である。ことしの花見は、31日11時「フジ」集合である。
送迎バスに間に合って「エデン」。 
『熱源』(川越宗一 文芸春秋 2020年直木賞)読みはじめる。登場人物がアイヌだから、ヤヨマネクフ シシラトカ キサライス チコピロー などの名前の抵抗にてこずったが、人物像がわかってくると、随分読みやすくなった。

3月9日(月)


一遍会例会配布の「一遍会3月度ニュース」を取りまとめテスト印幸。本印刷は週の半ばに「ダイキ」で印刷予定。例会準備は一件落着。
神戸のファミリーからメール連絡なし。孫の進学をめぐって「てんやわんや」の状態か・・・しばらくは静観しよう。
ランチは「花楽里」。徒歩で「エデン」。例会講演「宝厳寺小史Ⅱ」を再度見直す。
『文芸春秋』④入手。特集①「新型肺炎」中国と日本の大罪 ②ニッポン教育再生会議など

3月8日(日)

夜半雨が降っていたが、日中はどうやら持ちこたえた。
一遍会3月例会並びに理事会配布資料並びに『一遍会報』第417号テスト印刷。
3月度講話「宝厳寺小史Ⅱ 中世(鎌倉期)」の重要参考資料テスト印刷(①奥之谷宝厳寺古図 慶長以前之図 ②『条条行儀法則』遊行七祖他阿弥陀仏 述 現代語訳付)
引き続き、例会講話レジュメの詳細検討。
夕刻早めに「椿の湯」入湯。黒田「団長」、山の辺の道「会長」とおしゃべり。
TV大河「麒麟がくる」、「ぽつんと一軒屋」,「三屋清左衛門残日録 三十年ぶりの再会」。
「新型コロナウイルス」情報が、刻々と流れる。フェイスニュースも多いようだ。WHYを考えて判断・行動する賢い日本人が少なくなったのか。一億総批評家(コメンテーター)では、情報過多で動きようがない。

3月7日(土)


「チコちゃんに叱られる」(①成人になると背が伸びなくなるのは ②バスケットのボードって ③年をとると涙もろくなるのは)
①3月度一遍会理事会検討資料資料②令和二年度一遍会総会資料③『一遍会報』第417号テスト印刷。
一遍会3月例会につき、昨日照会のあった「潮見公民館」にも確認し、小沼代表と電話で打ち合わせ、現段階では「例会開催」の結論を出す。
薬師寺さんから「東塔大修理落慶法要」の招待状が届いたので、4月23・24日参列希望の旨返信する。
午後、庭と畑作業。カルティベーターでかなり能率が上がる。
夜「ブラタモリ」(甲賀へ 信楽焼と忍者の不思議)。

3月6日(金)

徒歩帰宅。
一遍会総会の事業計画・決算明細などの作業を続ける。午後、伊予銀行の帳簿と確認する。繰越額も増加し、引き続き2年間は事業活動は大丈夫である。
今週末から、「新型コロナウイルス」対応による催事中止が続出する。外出もままならないので、じっくりと読書と研究調査をするしかあるまい。孫の進学もあり、昭和55年(1980)の日記を読み返してみた。妻が生きていれば、当時のことを楽しく語り合えるのだが・・・・・
夜は久しぶりに「椿の湯」。入湯の客人は減っている。
【⇒ファミリー】
3月は卒業シーズンだし、4月は入学シーズンだし・・・・
昭和55年の日記を開いてみました。
3月
7日 恒治 神戸高校卒業式(母さん)
15日 淳志 本山中学校卒業式(母さん)
   恒治 大阪YMCA予備校受験
17日 恒治 大阪YMCA予備校合格
19日 恒治 和歌山大学経済学部合格
20日 淳志 神戸高校ガイダンス(母さん)
23日 大学・高校合格祝賀会 大阪新地「朝日」 家族4人で腹いっぱい牛肉を食べました!!! 覚えていますかな。 
   日記コメント「父親としての仕合せは、子供が未来に挑戦することである」
4月
7日  恒治 和歌山大学入学式
   祝電「入学おめでとう 一歩一歩たゆみない努力で素晴らしい学生生活を送るように希 望します 父 母」
8日  淳志 神戸高校入学式(母さん)
父は人事課長でしたから、3月、4月は超多忙でした。受験、学校の同伴は母さんに頼みました。母さんと一緒で心強かったでしょう。母さんの三周忌は過ぎましたが、母さんのことを改めて思い出してください。 
ところで、今日(令和2年3月6日)は、「母さんの七の百五十七日」(没1099日目)です。 これからの日程は「新型コロナウイルス」対応による催事中止続きで錯乱状態です。いやはや。お互い自衛を完璧にやりましょう。
薬師寺さんから東塔大修理落慶法要の招待状が届いたので、春には関西に出掛けたいと思っています。

3月5日(木)

徒歩帰宅。
令和元年度の一遍会収支決算と事業計画書がほぼまとまる。3月度は仮決算になるので、3月末には決定し、4月上旬に監査を受けて、予定通り4月例会を開催したいが、コロナウイルスの流行は正直誰も見通しがきかない。
週末の子規亭も中止になったので、じっくりと一遍会3月例会の準備と庭と畑の作業に取り組むか。
徒歩「エデン」。
「プレバト」。

3月4日(水)

妻の死から丸3年が経った。仕事場や趣味の部屋はそのままにしているので「只今外出中」の雰囲気である。
子規会三役会議は連絡ミスで昨日開催した由。10時半「大和屋」で烏谷会長と話し合う。率直に意見交換ができて却ってよかった。11日11時に再度子規会役員会開催予定(紀乃国屋)。
松山税務署まで車で送ってもらう。令和元年度の確定申告を済ます。一件落着。
日切地蔵の食堂でランチ。「ファミマ」で今夕・明朝食を調達、13時発のバスで「エデン」。
第162回直木賞受賞作 川越宗一著『熱源』(文芸春秋社2019年 426頁)読み始める。
TV「斉藤道三 親子二代の美濃支配の真実」はなかなか面白い。「新型コロナウイルス陽性」中年女性が松山市内に発生。女性の「濃厚接触」が多いのは???

3月3日(火)

フェイクニュースではないが、新型コロナウイルス感染情報が混乱してきた。
愛南町女性の「新型コロナウイルス陽性」は大阪のライブハウスで感染の情報が、知人の高知の女性が大阪に持ち込んだらしいという局面に急展開した。となると四国の感染者は急増するかもしれない。
徒歩帰宅。
伊予史談会3月例会中止の連絡を山内会長からもらい、田中・江刺・大西氏にメールして、情報の拡散を依頼する。一遍会は公民館がオープンしておれば3月例会は開催する予定。
例会講演「宝厳寺小史Ⅱ 中世 鎌倉期」の粗原稿を取りまとめる。A4版6ページと史資料2ページとなるか。『一遍会報』第417号校正終了。
午後2時間、庭と畑の作業。
徒歩エデン。

3月2日(月)


愛媛県でも愛南町の女性が「新型コロナウイルス」陽性と判明、いよいよ迫ってきたか。
道後公民館に一遍会4月例会の申し込み。2月度収支決算取りまとめ。
令和元年度総会資料の取り纏めを開始する。
15時の伊予鉄バスで「エデン」に戻る。
島本理生『ファーストラブ』読了。直木賞受賞作だけに小説の醍醐味を味わうことができた。

3月1日(日)

朝9時から「令和二年度道後公民館貸館利用者日程調整会」出席(受付08:45)。
幸い日程的にバッティングする文化団体もなく毎月第二土曜日12:30~15:30で決定する。やれやれ。蜂須賀さんも出席してもらった。
10時半、淳志ファミリー帰宅。
11時、龍穏寺住職により、「三香院春雅温妙大姉」三年忌法要を執り行う。「にぎたつ会館」でランチの後、義安寺墓参。15時ファミリー帰神する。史晃の大学進学校について恒治と話をする。
18時大河「麒麟が来る」、「ぽつんと一軒屋」を見て就寝。
なにやかやで疲れた。温子は久しぶりに家族に会って喜んでくれたと思いたい。
2月29日(土)

朝「チコちゃんに叱られる」(①道路標識の謎 ②ジーンズの青さって ③石油の謎)
雨であるが、「令和二年度道後公民館貸館利用者日程調整会」資料3部作成、郵便局で3月分の生活費を引き出し。
「にぎたつ荘」でランチ(和食)、義安寺墓苑でシキミを供える。10本ほど自宅に持ち帰り仏壇に供える。
恒治が昼過ぎ帰宅、今年から温子の三周忌(四回忌)法要の仏壇をセットしてもらう、大助かりである。
コロナウイルス感染の影響もあり、3月予定の「松寿丸湯浴み祭り」延期の旨、宝厳寺住職と檀家総代からメール連絡、返事する。
蜂須賀さんに明日の「公民館貸館利用者日程調整会」出席を依頼する。
夕方に法要の準備完了。久しぶりに息子と酒を飲みながらの夕食、「椿の湯」。
【→宝厳寺】
3月14・15日の「秘密ジャナイ縁日」の開催が延期となり、それに伴い「一遍上人生誕祭(湯浴み祭)」の法要も延期の由、まことに的確なご判断と存じ上げます。
併せて、9月のお施餓鬼の際に「湯浴み」を執り行うご計画、妙案というか素晴らしいご着想と感嘆いたしております。一遍会も、お手伝いできることがあればご協力させていただきます。
私事になりますが、私も八十五歳になり、思うことがあって例会で「宝厳寺小史」を何回かに分けて会員にお話しておきたいと云うことで、二月から具体化することにしました。
毎月、故隆祥師と二時間ほどお話できたことは大変有益でした。お教えを頂いたご恩の何十分の一でも会員にお返しできたらの気持ちです。体力と知力の続く限り頑張っていきたいと考えております。
お気づきのことがあればご教導ください。お願い申し上げます。まずはお知らせの御礼と近況ご報告まで。

2月28日(金)

朝、ベッドの中で、島本理生『ファーストラブ』読む。
送迎バスで帰宅。日中、座敷・次の間・玄関間の障子を開放して春の空気を入れ込む。リビングの大掃除。コタツの片付け。
「温子の七の百五十六日」(没1092日目)なのでファミリーに定期便。
田中さんの照会(久万通賢「久阿弥陀仏」得度)につき今後の見通しを知らせる。
新型肺炎は危険な段階に入った可能性が出てきた。来週から小・中・高校の休校が決まる。春休みを含めると一ヶ月になるか。
国民の一人として、大集団行事やバスツアーは「不参加」でいきたい。一遍会例会については、先輩格である伊予史談会、松山子規会の例会運営に準じていきたい。

2月27日(木)

「三越」で分解掃除を依頼した時計を受け取る(@3万円)。美術ギャラリーで「原田泰治版画展」鑑賞。アエル明屋書店をぶらつく。
大街道から伊予鉄バスで「天山橋」下車(12:21~12:35)。
松山歴史文化研究会出席10名(13:00~16:30)、熱心である。
①近藤元規「平成23年研究会発足(二神将・和久正博・井手隣之・安永純子・戸嶋健二)」
②二神将「絵はがきに見る明治の松山風景(1)」
③和久正博「『明教』50号」
④佐伯健「子規の見た『浅草木製富士』
⑤越智和彦「新浜塩田と塩神社」
⑥戸嶋健二「加藤拓川の未発表書簡二通について」
⑦三好恭治「『戦国天下人三好長慶を語る』」
⑧平岡英「歴史文化研究会 研修候補地資料」
⑨竹田美喜「子規と連句―愚陀佛庵で連句ー ほか」
戸嶋さんの車で帰宅、17時のバスで「エデン」
TV「プレバト」。島本理生『ファーストラブ』読書。

2月26日(水)

徒歩帰宅。プラスティックゴミ出し。
「令和元年確定申告書」再点検。
本日打ち合わせの「南北朝期の遊行上人と河野氏」、明日松山歴史文化研で報告の「伊予における三好氏」の資料を整理する。
午後道後駅「フタバ」で田中さんと歴史談義。
徒歩「エデン」。17時半でも明るく気温も下がらないので有難い。
島本理生『ファーストラブ』(直木賞受賞作)読書。

2月25日(火)

徒歩帰宅。
令和元年確定申告書に添付する「マイナンバー」を複写して添付、一件落着。
27日開催の松山歴史文化研究会に配布する『戦国天下人三好長慶を語る』(三好長慶会)の抜粋をまとめる。論文としては①天野忠孝天理大准教授「三好長慶と松永久秀」②拙論「伊予の三好姓と『三好長門守秀吉』」③真鍋通康「東予を制した三好氏~その血縁同盟~」の3本である。
西澤孝一氏(坂村真民記念館館長)から一遍会11月例会講演の内諾を得る。令和二年度の例会講師のラインアップ完了。これまた一件落着である。
午後のニュースで中村県知事から、「ダイヤモンド・プリンセス」県人乗船者7名は「陰性」の旨報告あり。やれやれ、ちょっとほっとした気分である。
二時間庭仕事。夕、徒歩「エデン」。暖かくなり、快調である。
図書室で①島本理生『ファーストラブ』(文芸春秋社2018)、古川真人『背高泡立草』(秀英社2020)貸し出し、深更まで読書。

2月24日(月)

晴天。朝一番に洗濯、ゴミ出し。主夫業である。いやはや。
午前中2時間で「令和元年分所得税等の確定申告書B」パソコン作成。やれやれ。不動産収入が23万円減収したので納付源泉徴収額も2万3千円減額された。単純明快な数字である。いやはや。
午後二時間、表庭の草引きなど。
徒歩にて松山神社から蜜柑山の麓に沿いながら「エデン」に戻る。
クルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス」乗船者中7名愛媛県人であることを報道中。
先週21日(金)にこのニュースをキャッチしたので散髪を済ませランチは客が限定されている「花楽里」と「にぎたつ会館」に絞る。自衛策である。夕食は自宅(主夫業)である。明日陽性か陰性かが知事から発表される由。

2月23日(日)


天皇誕生日である。60歳還暦である。まずはおめでたい。
西澤孝一氏(坂村真民記念館館長)に一遍会例会講話の依頼の書状を認める。数年前には同館での企画展には一遍会でご協力したが、それ以来である。
午後、義安寺墓参。次いで子規博の冬季子規塾受講。講師は森まゆみさんでテーマは「子規の音―根岸に生きた10年」。数年前の特別講座でも受講した。子規庵での10年、子規の詠んだ句中、根岸周辺を詠んだ句も多い。
20年近く地域雑誌『谷中・根津・千駄木』の編集長であった同氏の解説は余人をもって代えがたい。東京時代の懐かしさも在るが、至福の90分であった。竹田美喜館長とは挨拶のみ。
次いで「ふなや 合歓の間」で開催中の「濃田綾美 無量寿人形展」に立ち寄る。温子が人形つくりに興味があったので、案内状が来ると、一緒に出掛けたものだった。今回が最後の展示会の由、挨拶はしたが足が不自由になられたようだ。喜寿かな。
次いで2ヶ月ぶりで「しげまつ」で散髪し「ファミマ」でビールと駄菓子を購入する。
NHK大河「麒麟がくる」は「三好長慶暗殺事件」、「ぽつんと一軒屋」。「ぽつんと一軒屋」を見てしまうのは、自分が「街の中のぽつんと一軒屋」に住んでいるだけに、同世代のシニアの生き方に共感するところがあるのだろうか。ともあれ、健康でなければ一軒屋は無人化してしまうのは必定である。
【⇒坂村真民記念館】
謹啓 ご無沙汰を重ねております。ご清祥のこととお慶び申し上げます。
貴「坂村真民記念館」には開館六周年を迎えられ、ますますのご発展を心よりお慶び申し上げます。
さて、当「一遍会」は本年創立五十周年を迎えることになりました。昭和四五年に「一遍上人奉賛会」として創設され、昭和五三年に「一遍会」に改組し、今日に到っております。多難なる創設期に坂村真民先生には三度にわたりご講演をなさっておられます。有難いことと感謝申し上げております。
第十三回例会(昭和四七年一月)詩人としての一遍
第十五回例会(昭和四七年三月)賦算者としての一遍 
第十六回例会(昭和四七年四月)捨聖としての一遍
残念ながら当時は『一遍会報』を発行しておらず、ご講演の内容は不明ですが、その後のご著作を通して拝察しております。
館長殿にはきわめてご多用のことと存じ上げますが、一遍会創設五十周年中に当例会にてご講話をいただけないかと願っております。ご講演のテーマはご一任申し上げます。ご検討の程、よろしくお願い申し上げます。

2月22日(土)

2月22日は「ニャン ニャン ニャン」で「猫の日」と言うらしい。ということは1月11日は「ワン ワン ワン」で「犬の日」かな。
朝、「チコちゃんに叱られる」を見る。(①仮面ライダーとバイク ②唐辛子はなぜ辛い ③納豆 醗酵と腐敗)
伊予史談会に「例会報告」をメール送信。次回の『伊予史談』に掲載される予定。
午後、令和元年度の「確定申告」作業。全添付資料の点検を済ませ、収支内訳書を記入する。「確定申告書B」は税務署書式でパソコン作業であり2時間で完了か。月末までに松山税務署に持参したいものだ。
夕、二時間、表庭の草引き作業。
「ブラタモリ」(岩手 三陸鉄道)、BS「ファーストラヴ](島本理生直木賞受賞作)。

2月21日(金)

徒歩帰宅。
週間の日記を整理。
愛媛県民文化大学講演会受講申し込み。講師はデヴィ夫人・五木寛之・姜尚中・舞の海、養老孟司・姫野友美・東条秀樹・石破茂。意外性のある講師陣である。
午後、県文化講座「歌舞伎」受講。約二時間、亭庭の草引き。
久しぶりに「椿の湯」。八塚君に出会う。

2月20日(木)

連絡バスで帰宅。
一遍会3月例会予告をマスコミ、ミニコミに流す。『一遍会報』第417号校正。第418号は今村威理事の2本の論文を掲載予定。
田中さんから南北朝期の河野氏の「空白期・空白場所」についての問い合わせ、来週初ミーティングを予定する。
天候よし、体調よしなので、庭作業をスタートする。約2時間。表庭の除草と亭庭の草引き・・・毎日2時間庭の整美することを決める。
夕、祝谷の山沿いを遠回りしてエデンに戻る。完全に体調が戻ったようだ。良かった。
TV「プレバト」。
【プレバト俳句】
○花曇り 今日は降るよと 祖母の声   平井理央 
○花粉来て 獺(おそ)の祭りのごと ちり紙   梅沢富美男

2月19日(水)


徒歩帰宅。
『一遍会報』(杉野祥一理事、小沼大八代表論文)校正依頼。大本敬久氏に例会講師依頼。
午後、松山子規会2月度例会(愛媛新聞社ホール)。
1)卓話 福井みどり理事「子規と母の二弦琴」
2)講話 西松陽介氏(子規博学芸員)「柳原極堂と子規 ―俳誌『鶏頭』での極堂の子規顕彰活動ー」
散会後、「エディオン」で「電話ファックスインクフィルム」(@1160)購入。
南町電停から徒歩「エデン」。夕食喫食申込しておらず、「セブン」まで買いに出る。少々疲れる。22時就寝。
【メモ】
〇蘭の香に一弦琴の音じめ哉  子規(明治27年)
〇木犀や母が教ふる二弦琴   子規(明治29年)
「暁雨館」(四国中央市土居町入野 庄屋第十代当主 山中時風)館長 三宅威
【→松山子規会】
昨日の松山子規会例会での福井みどりさんの卓話は大いに啓発されました。
和田克司さんがご存命であれば、「椿の湯」で松山藩の士族の子女の「習い事」について話し合っただろうなと温泉に入りながら想像しました。
お琴と三味線が お城下の子女の嗜みかと思っていました。
ところで、一弦琴も二弦琴も、インターネットで「一弦琴」「二弦琴」で検索すると、ユーチューブで何曲も妙なる調べを聴くことができました。是非お試しください。
会員の方でパソコンをお持ちの方に是非聴いてほしいものです。土居町まで出掛けるのも億劫ですし・・・・・ 動画ですので、お奨めです。
福井さんにも、その旨お伝えいただければ有難いのですが・・・・・ お願い致します。

2月18日(火)


愛媛銀行担当者来訪。定期預金を解約する。同銀行の営業政策に疑問を感じたのが主な原因である。危惧であればいいのだが・・・
『一遍会報』第417号の編集と割付を一気におこなう。杉野祥一理事「良忍伝と融通念仏宗」、小沼大八代表「縄文文化」の二論文を掲載することにした。4ページでうまく納まったというところである。やれやれ。
「新型肺炎」は確実に広まっている。マスコミがドラマ仕立てにするものだから大衆は踊らされている。年間のインフルエンザの死亡者は1万人だから、「新型肺炎」を含めて死者1万人に抑えることがポイントではないか。理想論(100点)でなく現実論(80~60点)で行動すべきかと思うのだが・・・
気温は日中で6度、寒い。エデン~自宅7キロ往復徒歩、体は温かくはならない。

2月17日(月)


寒波襲来、半時ほど粉雪、強風で吹っ飛ぶ。
11時半「日野歯科」受診。歯垢除去等完了。次回は夏休み明けの9月を予定する。
午後、週間の日記整理。
連絡バスで「エデン」に戻る。「エデン」では、飲み会、映画上映会、カラオケ、卓球など複数の集まりが自粛の告示。
近いうちに「外泊制限」になるかもしれない。となると、道後の自宅で過ごすことになるだろう。過剰反応だが施設の管理者(経営者)にとっては100%安全対策を講じるのだろう。
毎年インフルエンザでの死亡者は1万人、「新型肺炎」を合算して1万人以下に死亡者を押さえ込めば大成功と考えるべきではないのかな。
21時、ベッドで横になる。案の定、早朝3時に目覚める。深夜ラジオを楽しみながら・・・・・

2月16日(日)

午前中、「宝厳寺小史② 中世(鎌倉期)」執筆に集中。粗原稿まとまる。Å4版6ページと資料「条々行儀法則」序文。引き続き、「パワーポイント」資料を作成。
午後、懸案の事務処理。①「伊予史談」誌講話要約②令和二年度公民館会場申し込み外。
「フジ」買出し。
NHK大河「麒麟がくる」「ぽつんと一軒屋」を見る。

2月15日(土)

朝、「チコちゃんに叱られる」(エスカレータの謎 大根のおろしの不思議 お風呂と湯船)を楽しむ。
昼、にぎたつ会館(ランチ&スパ)に立ち寄り、義安寺墓参。雨上がりの墓碑と早春を感じさせる墓苑。ゆっくりと「三香院春雅温妙大姉]と対話する。妻を喪った悲しみは永遠に消えることはないだろう。
日中は「宝厳寺小史② 中世(鎌倉期)」執筆に集中する。中間地点に到達した感じで、やっとゴールが見えてきたようだ。
「ブラタモリ」は三陸。去年の早春に訪ねた感慨深い場所だ。

2月14日(金)


早朝四時起床。「宝厳寺小史② 中世(鎌倉期)」執筆開始。
連絡バスにて帰宅。
妻の七の百五十四日」(没1078日目)。ファミリーに定期メールを送る。
史談会報告「時衆奥谷派の盛衰」に関して田中さんから真摯な質問や指摘を受ける。折り返しメールする。墓参りは時間が取れず、週末に変更する。
午後、松山子規会常任委員会開催(東京第一ホテル松山 14:00~16:30)。
烏谷新体制での第二年度の実績は確たるものがあるが、3点指摘する。
1)例会講師のベテラン起用は問題なきも、卓話には思い切って新人、若手を起用しては如何。講師陣の育成を考えていく。
2)会費で『子規会誌』が賄えるように、会費拡大と会誌圧縮の両面で対応しては如何。寄稿原稿のページ数の厳守。
3)経営的に対前年130%は問題なきも、10%アップでの持続を中期的には健闘しては如何。
「紀乃国屋」で井手顧問も参加して、大いに談じる。参会後、高島屋地下食堂で、細部の業務について詰める。駅前のローソンで明日の食品調達。20時帰宅。
シャックリは出ず、胃液も逆流しない。快方に向かっているようだ。やれやれ。大事をとって、22時就寝。
長い一日であり、充実した一日でもあった。

2月13日(木)

徒歩にて帰宅。
一遍会IT会員(30名)への「定期便」を取りまとめ、郵便局から発送する。大本氏には20部送付。これにて一件落着。
昼食後「宝厳寺小史② 中世(鎌倉期)」の構想(目次)をまとめる。
1)河野氏と宝厳寺
2)承久の変、南北朝と宝厳寺
3)託何上人と奥谷道場
4)湯釜薬師の真実
が、メインの内容である。
夕16時、連絡バスでエデン。
夜「プレバト」。
「山笑う赤ちゃん象に哺乳瓶  松岡充」
「観覧車の列に春ショールの教師  村上健志(フルーツポンチ)」
名人の梅沢冨美男の句は平凡で現状維持の評価、同感。
「長閑なり かの日の屋上遊園地  梅沢冨美男」

2月12日(水)

6時起床、8時間睡眠確保す。一日一日と体調がよくなってくるようだ。
一遍会IT会員「定期便」印刷。
「宝嚴寺小史② 中世(鎌倉期)」の構想を練る。
連絡バスでエデンに戻る。
数日手つかずになっていた日記を書き込む。

2月11日(火)

昨夜は20時にダウンしたので、午前3時に目覚める。シャックリの頻度も減ったので起床、数日間の日記をメモる。
3月の一遍会例会で「宝嚴寺小史② 中世(鎌倉喜)」を予定しているので、今週中に構想をまとめ(頭の中ではまとめているのだが)来週から執筆したい。今月も後半は多忙になろう。
連絡バスにて帰宅。薬の効果か、胃液は逆流せず、気にならない程度のシャックリの頻度が減る。やれやれ
午後、2月度友隣サミット。たわいもなく駄弁る。夜、エデンで執筆作業。
徒歩にてエデン。入浴後、無理をせず就寝す。

2月10日(月)


軽度のしゃっくりが続く。時にはゲップが出る。体調不良である。
11時、日野歯科受診⑤(歯垢除去ほか)、治療中もシャックリがでる。
かかりつけ医である「柳井クリニック」受診。逆流性食道炎の疑いもあり、「タケキャブ錠」と胃薬の「レバミピド錠」を2週間分受け取る。薬を飲むのは久しぶりである。
午後、一遍会、史談会例会資料の整理。
夕、16時連絡バスで「エデン」に戻る。夕食、入浴後、ベッドで横になる、軽度のしゃっくりが終日続き、さすがにストレスを感じる。深夜2時まで5時間ほど熟睡でき安心する。
【⇒田中さん】
申すまでもありませんが古代・中世の「出生地」については、今日的な厳格さでは確認が不可能で「生育地」くらいの範疇で理解したほうが良いのではと愚考しております。
空海の出生地も「讃岐 善通寺」でなく「都の佐伯氏」邸宅で出生したと云われますが、生育地は「讃岐」とされています。
一遍も「実家出産」でいくと、松寿丸の母親の里(鎌倉有力幕僚である大江広元につながる「大江氏」で当麻領)で生まれたことになります。
例の刀傷沙汰の後一遍が伊予から逃避した先も「当麻」であり、鎌倉を追われた後しばらく逗留したのも「当麻」で、現在の当麻の「時宗(当麻派)無量光寺」が其の跡ではないかとも云われております。可能性もありますが、断定はできません。
という次第で、『一遍聖絵』に記載されている「延応元年予州にして誕生」の記述を尊重し、時宗本山では「実家出産」には一切触れていません。宝厳寺は当時「天台寺院」であり、まずは浄土系統の僧が庫裏に住むとは考えられず(遊行寺本山説)、別府河野通広の所領地の邸宅(拝志領)で生誕したと推定したのだろうと思います。但し、「別府」については、伊予の研究者に任せるとして断言を避けています。

2月9日(日)

伊予史談会2月例会(県生活文化会館)。
1)柚山俊夫氏「松山領伊予郡絵図と外山村地図、高岸村」
2)三好恭治「時宗奥谷派の盛衰~時衆奥谷道場(宝厳寺)・松前道場(今蓮寺)~
気にしていたのだが、1時間の報告中30分経過後、のどが変調をきたし、シャックリが続いてまともに声が出なくなった。
予定した内容は報告したが、自己採点は60点といったところか。出席者の半分は理解不能ではなかったか、悔やまれる。
帰宅後、ダウン。16時「椿の湯」に出掛け、20時ベッド。
シャックリが止まらず。熟睡できず、一時間おきに目が覚める感じで朝を迎える。仕事が手に着かない。残念。

2月8日(土)


一遍会2月例会開催(道後公民館)
1)今村威氏「謡曲『隅田川』」
2)三好恭治氏「宝嚴寺小史①古代」
檀家総代も出席。パワーポイントを使用する。
理事会では①令和2年度例会講師ラインアップ②正月懇親会差益処分(案)の審議、原案通り承認。散会後、理事各位と懇談。
今日も断続的にしゃっくりが続く。ゲップの際の胃液の感じは薄らぐ。晩酌ののち、温泉にもいかずベッドでダウン。

2月7日(金)


猛烈に寒い。最低気温は1度C。昨夕から1時間間隔でシャックリがでたが、今朝はおさまっている。連絡バスで帰宅。
妻の七の百五十三日」(没1071日目)。ファミリーに定期メールを送る。外出は避け、墓参りは週末に変更する。
書斎で終日片付けと作業。
早めに「椿の湯」に出掛ける。

2月6日(木)

寒い、最低気温は1度C。最高気温も一桁である。
連絡バスで帰宅。
一遍会2月度予算を検討する。次年度に10万円弱繰り越せそうだ。やれやれ。
週末の講義「宝厳寺小史① 古代」「時衆奥谷派の盛衰」再度見直し。
連絡バスで「エデン」。
「プレバト」を楽しむ
○大人の入り口 春日の蒸しタオル  勝村政信
○啓蟄の決意 辞表とショートヘア  馬場典子
○白髪の薄色に染め春立ちぬ⇒白髪をうすむらさきに春立ちぬ 梅沢富美男
『文芸春秋』3月号入手。ざ~と目を通す。
シャックリが止まらず、22時就寝。

2月5日(水)


睡眠不足だったので昨夜は21時に就寝して今朝は5時に目覚める。
一遍会2月例会資料印刷(ダイキ)。
『一遍会報』100部、「一遍会2月度ニュース」60部、レジュメ「宝嚴寺小史①」60部(5頁),理事会検討資料10部・・・印刷に2時間弱要した。「青汁」の在庫がなく。大塚食品の一人用のチン食品を数個買い求める。
帰宅後、例会用にファイリング作業。一件落着である。
16時連絡バスで「エデン」。
今夜から再び寒くなる由、「お椿さん」が盛大に終わったというのに・・・

2月4日(火)


朝食は止む無く有料キャンセル。連絡バスで帰宅。
伊予史談会の配布資料は事務局に依頼したので一遍会配布資料のみ整える。
①『宝厳寺縁起 一遍上人略伝並びに和歌』小林覚住著
②「宝厳寺小史(1)古代」24項目
③「一遍会二月度ニュース」
④『一遍会報』第416号(「ダイキ」での印刷は明後日か)
「レディー薬局」で「パンシロンキュア(胃痛、胃酸逆流などによる胸やけ)」を買う。1回2錠一日3回である。週末には治っていると思う。
夕食後、レジュメ「奥谷派の盛衰」に目を通す。早めに就寝す。

2月3日(月)

日野歯科(歯垢除去)受診④
道後公民館で「令和二年度道後公民館貸館利用者日程調整会」申込書受け取り。当日(3月1日)は妻の三周忌とバッティング。困った。
「一遍会二月度ニュース」を流し、配布資料の点検。
夕、連絡バスで「エデン」。
週末の伊予史談会例会講演録(レジュメ)の検証をする予定であったが、ハップニン発生。胃酸の逆流か、反吐が30分置きに催し、21時にベッドで横になるがおさまらない。食中毒かなと疑ったが、「エデン」では大騒ぎになっていない。
朝まで熟睡できず。
気になっていたステッキはエデンに、懐中電灯は神棚の下にある、まずは良かった。

2月2日(日)

HP一遍会の二月度版改定作業完了。二月度子規さん俳句鑑賞エッセイ執筆完了、アップロードする。
一月中に溜まった私信の返信を書き始める。まずは吉永直道君からスタート、毎年奈良には出掛けているので、39年入社組の集まりがあれば是非会いたいものだと思う。
「山男」梅木君から正月登山の報告。香川県西部の妙見山登山で、浦島太郎伝説の色濃く残る荘内半島の付け根の部分に当たる。山名の通り妙見信仰の山で、地元の朝日地区では「妙見さん」として親しまれ、多くの人々の願いを叶えてきたと言われている。山中にはミニ西国33番観音霊場巡りの参道もある。今回は里山歩きが目的で、詫間町から博智山(ばくちやま、237m)と妙見山(319.6m)を経て「妙見宮」に下る北南縦走である。健脚者が羨ましい限りだ。
夕食をしながらNHK大河「麒麟がくる」、20時から「ぽつんと一軒屋」。
【⇒俳友】
令和二年二月 「まだ咲いてゐまいと見れば梅の花   子規」
子規記念博物館(館長 竹田美喜氏)監修の子規さんの令和二年二月の句は「まだ咲いてゐまいと見れば梅の花 子規」です。『子規全集』第三巻 俳句三「寒山落木 拾遺」511頁(明治二十五年)、第十八巻 書簡一 274頁(明治二十五年)に掲載されています。季語は「梅」(春)です。
この句は、明治25年2月26日に五百木良三(瓢亭)に送った封書にしたためられた俳句で「正月の梅さく頃駒込の梅園にて」と書き添えられています。「残余の風七ヶ月」「煙草十二ヶ月」「十二支十二ヶ月」と題して三十三句披露しています。
それぞれの二月の句を抜書きします。
○春風にしぼむものあり干大根<残余の風>
○はいふきにしたあともあり落椿<煙草>
○牛部屋に牛のうなりや朧月<十二支>
俳句はともかく、子規らしい思いつきの十二ヶ月句を、同年2月21日(?)にも瓢亭に「灯火十二ヶ月」「男女句合十二ヶ月」と題して送っています。それぞれの二月の句を抜書きします。
○紅梅や雪洞遠き長廊下<灯火>
○一鞭に其数知れず落ち椿    男
 いもうとの袂さぐれば椿かな  女<男女句合>
この年、子規は「梅ちらりちらりと松の木の間哉」「鶯の奥に家あり梅の花」など、梅の句を二〇数句詠んでいます。明治期には食用にもなる梅は庭園に植えられていたものです。
子規さんと同じような体験は私にもあります。3年前までは、妻も元気でしたから、梅干と干し柿づくりは、ずうっと続けてきたのですが・・・・・
子規さんにあやかって一句
「まだ咲くまいと見上ぐれば 梅一輪    子規もどき」

2月1日(土)

一遍会IT会員に「2月度例会のお知らせ」を流す。
「外出を遠慮しておられる会員の皆さんも多いことかと思います。二月度例会は、講話、卓話共に「一遍さん(遊行上人)」の物語です。「宝厳寺小史」はシリーズになりますので、宝厳寺のお檀家の皆さんには是非お越し頂きたいと願っています。
一遍会の講師をお願い致しておりました石野弥栄氏には令和元年10月26日にご逝去されました(享年75歳)。最後の著作である『中世河野氏権力の形成と展開』(2015 戎光祥出版)には、一遍会例会でのご講演(論文)も掲載されております。謹んでご冥福をお祈り申し上げます。」
公民館で令和二年度の公民館会場予約の相談、子規博で二月度子規さん俳句の確認。「まだ咲いてゐまいと見れば梅の花   子規」。よもだ俳句(子規もどき句は「まだ咲くまいと見上ぐれば梅一輪」とした。
義安寺墓参の後、にぎたつ会館でランチ(和食)&スパ、「フジ」で買物して帰宅。
集中して「宝厳寺小史」と資料の検証。
①宝厳寺二十六世其阿覚住『宝厳寺縁起 一遍上人略伝並びに和歌』
②流島尚道・時宗教学研究所長『遊行』「時衆十二派」
③北川淳一郎『一遍上人伝』(愛媛先覚叢書第十巻)
『一遍会報』第416号は、大本敬久、蜂須賀理事、田中理事の校正、加筆修正が完了。
NHK「ブラタモリ」は「日本最後の清流四万十川」①を見る。
HP一遍会の二月度更改作業に入る。という次第で、予定通り進行するが、書斎の片付けは50%、杖と懐中電灯をどこにおいたか思い出せない。困った。
1月31日(金)

6時半朝風呂。9時半の休暇村の送迎車で壬生川駅に出て、JR西条駅10時半下車。13時発の松山行きのバスまで二時間半あるので、湧水公園を散策し、市民ホールにも入館し、伊藤五百亀氏の青年像を二つ発見する。
西条ではお気に入りの「カフェ蔵はち」で、「おこわランチセット」と「湧水コーヒー」と「噴水」を楽しむ。1,000円でおつりが来るとは、お釈迦さまでも・・である。
松山に戻り「アエル明屋」に立ち寄るが、本年度の愛媛出版文化賞(奨励賞)受賞作『カナンの地』(小暮照)が置いていない。「明屋書店、お前もか」と云いたくもなる文化の貧困である。
一週間ぶりに「椿の湯」。椿の湯サミットの常連に会えず、残念。
『伊予史談』第396号入手。一遍会の講師でもあった石野弥栄氏の死去(令和元年10月26日 享年75歳)を知る。書架から石野弥栄著『中世河野氏権力の形成と展開』(2015)を取り出し、謹んでご冥福を祈る。

1月30日(木)

連絡バスで帰宅。
明日が「妻の七の百五十二日」(没1064日目)だが、休暇村東予に一泊で出立するのでファミリーにメールする。
午後、伊予鉄バスで小松支所下車、瀬戸内バスでJR壬生川駅、休暇村の送迎車で16時到着。早速温泉に入浴。さっぱりしてところで備え付けの「休暇村瀬戸内俳句集」をばらばらめくると、なんと昨年七月宿泊時に詠んだ句が筆頭に出ている。
「七夕や 水鏡の海 父子島」。記念にコピーしてもらった。
宿泊者は30名ほどで、ゆっくりと瀬戸内の魚料理を味わう。新鮮で旨い。
 TV「プレバト」で 森口瑤子さんの俳句「道草は砂町銀座おでん食ふ」。東京での最後の二年間は江東区の砂町のマンションに居住したので、妻の日常の買い物は砂町銀座であったし、二人でよく寿司を食べに出掛けたものだった。懐かしいし、東京時代の妻の姿を思い出す。「砂町銀座」が俳句に登場するとは! 
22時に二回目の温泉入浴。 
【プレバト俳句】
道草は 砂町銀座 おでん食ふ  森口瑤子
春近し 鳩居堂二階 句帳買ふ  梅沢富美男

1月29日(水)

月末になって、やっと「1月度子規さん俳句」エッセイ執筆、HPにアップロードする。
エデンの「消防設備点検」に立ち会う。
午後、県文化セミナー「愛媛学」⑧「新春・祭など」受講。
〇大空に羽根の白妙とどまれり 虚子
〇賽銭のひびきに落つる椿かな 子規
〇船で来し椿祭の客どっと   雷夢
〇百万の椿詣でのその一人   黙禅
〇子規堂に椿祭のこぼれ客   酔花
【⇒俳友】
令和二年一月 「白猫の行衛わからず 雪の朝  子規」
子規記念博物館(館長 竹田美喜氏)監修の子規さんの令和二年一月の句は「白猫の行衛わからず 雪の朝 子規」です。
『子規全集』第一巻 俳句一「寒山落木 抹消句」415頁(明治十八年)に掲載されています。季語は「雪」(冬)です。
子規18歳の俳句ですが、郷里松山から上京し、暖国四国とは違う雪の光景に戸惑ったのかもしれません。それにしても理屈っぽい句です。
白猫の白、雪の朝の白、白猫は雪の白さの中で存在がわからない。猫の足跡が残っていないから、雪は降り続いているのだろうか。それとも足跡を雪が消して静寂な朝を迎えたということか。
今まで可愛がっていた白猫が行方不明になって白猫を案じている句でもある。
けがれのない白の世界である。もっとも作者は白に溶け込んでいなくて他者である。説明句ですし、現代の高校生の俳句に比して理屈っぽい駄作と云えましょう。
写生句いうより観念句であろう。抹消句になっています。子規青年も、分かってのことでしょうか。
昭和初期、松山中学の後輩に当たる中村草田男が上京して東京の雪を初めて見たとき「降る雪や 明治は遠くなりにけり」と詠んでいます。更に後輩で東京帝大に学んだ渡部克巳(松山東高校、愛媛大学教官 漢文学)も同じ経験をしている。
松山では下駄に足袋だが東京の小学生は長靴で雪の中を走り回っている。文明の格差である。
私も終戦後の昭和29年に上京したが、さすがに東京と松山の雪景色に落差を感じなかった。同時期東京大学に進学した大江健三郎も同様だろうと思う。
前月(令和元年12月)の子規句「雪の日や巨燵の上に眠る猫」も猫が主人公である。勿論、炬燵の猫と雪に消えた猫は同じ猫ではないのだが、ダブらせてみると、結構面白い。
子規は猫が好きだったのだろうか。随筆で「子規と『吾輩は猫である』」を書いてみるか。いやはや。
子規さんにあやかって一句
「道も田も 一つ世界や 雪の朝   子規もどき」
「雪原に 黒点二つ 空高し  子規もどき」

1月28日(火)

連絡バスで帰宅。
論文「時宗奥谷派の盛衰」につき細部疑問点を再調査。
1)一遍智真の生誕地 長澤昌幸(時宗宗学林学頭)
2)『一遍聖絵』聖戒ペンネーム説 遠山元浩(遊行寺宝物間館長)
3)「一人のすすめによりて」解釈 ①いちじん(天皇)②いちにん(右大臣)③いちのひと(摂政関白)④ひとり(他阿真教)
4)其阿(ごあ)弥阿(みあ)
5)願成寺 一世 通治母(貞忍尼)二世 聖戒 九州への拠点
足助威男
6)遊行上人伊予回国 
 13人+1人(一遍智真)
7)『條條行儀法則』
時衆 遊行派 奥谷派
夕、送迎バスにてエデン。

1月27日(月)

朝9時半、日野歯科受診(歯垢とり)③
正月用品の片付け、処分(掛け軸、置物、鏡餅など)。お餅は立春から雑煮で数日頂くことにするか。
書斎に積み上げた宝厳寺関連史資料は、伊予史談会、一遍会ともレジュメを印刷したので片付ける。松山子規会例会での講話はおそらく今秋になるだろうから、気分的にはほっとしている次第。
夕、連絡バスで「エデン」に戻る。先週の日誌を日記帳に書き込む。21時頃、轟音と共に落雷。TVやインターネットがミスマッチ。20分後に復旧する。

1月26日(日)


雨模様で西条・五百亀記念館行きを躊躇したが、予定通り9時半大街道発のバスで出立、11時に「西条登り口」下車、市図書館で「」を見学して、いざ出発。いつものように、自噴の清水の川沿いに散策、西条陣屋跡に出る。
堀端にある「五百亀記念館」から市立西条郷土博物館、愛媛民芸館を見学する。どちらも初めてである。
博物館は田中大祐翁(不詳)の貴重な資料が母体であるが、スペースが狭く、乱雑に陳列され、博物館の雰囲気はない。
一方民芸館は、当地でクラレ(倉敷レーヨン)が創業しており、大原総一郎氏の提唱もあり四国唯一の民芸館として今日に至っている。陶器、染織、金工・漆器の常設展示のほか今月は正月のお飾りの特別展示があった。甚だ興味深い。
五百亀記念館の広場でおにぎりの昼食、一時間かけて伊藤五百亀の彫刻を鑑賞する。安倍能成、正岡子規、正岡子規、柳原極堂、井上正夫など郷土の文化人の胸像も多い。
メインの講演は、今村威氏の「」子規、虚堂、能成をつなぐもの」。今村さんとは月二回は交流しており、特に目新しい話ではないが、西条の文化人にとっては刺激になったのではないかと思う。当方は、この話を通して、彫刻家・伊藤五百亀氏のイメージが明白になった。
松山から、烏谷、戒田さんも出席。館長、学芸員の藤原英子と一緒に「安倍能成胸像」を囲んで記念撮影。帰途は、戒田さんの車に同乗。
NHK大河ドラマ「麒麟がくる」。一週間ぶりに「椿の湯」。

1月25日(土)

朝「チコちゃんに叱られる」を見る。①脂が乗っているとおいしいか ②新聞の「4コマ漫画」の秘密 ③鍾乳洞の秘密
10時過ぎに、やっとパワーポイントからA4用紙に4ファイル印刷ができた。サクセス!!! 田中さんに連絡する。ありがとう。
一遍会2月例会講話「宝厳寺小史① 古代」に引き続き、3月例会講義「宝厳寺小史② 中世(鎌倉期)」も同様に製作することにした。
昼食は日赤の食堂(カレー定食)。
午後から「四国遍路を世界遺産に 国際シンポジウム」聴講(愛媛大学南加記念ホール 13:30~16:30)。
基調報告 「四国遍路の顕著で普遍的な価値とは」金田章裕氏(京大名誉教授)
基調講演 「世界文化遺産の動向とアジアの巡礼」ガミニ・ウィジェスリア氏
パネルディスカッション「四国遍路の価値と世界文化遺産登録に向けた課題」
 コーディネーター稲葉信子氏(筑波大学大学院世界遺産専攻教授)
 パネラー ガミニ・ウィジェスリア氏、胡光氏(愛媛大)、鈴木地平氏(文化庁文化資源活用課調査官)
NHK「ブラタモリ 浜松 なぜ世界一の楽器の街」。一週間ぶりに「椿の湯」。

1月24日(金)


8時半の連絡バスで帰宅。
午前中の大仕事は『一遍会報』第416号の割付。大本氏の「災害と地域文化―西日本豪雨での被災地支援活動―」と「一遍会一月例会&懇親会報告」で取りまとめる。最終稿を大本氏にメール送信し、校閲を依頼する。今月中に完了の見通しである。やれやれ。
正午過ぎに、妻の「七の百五十一日」(没1057日目)に当たるので義安寺に墓参、「にぎたつ会館」でランチ&スパ。
帰途、子規博に立ち寄り特別展「虚子、松山から雄飛する」を再度見学する。虚子の明治二九年の句「菜の花や 山を下れば 宝厳寺」「菜の花や 左山門 右鳥居」を発見する。山から下って宝厳寺へのコースは今日ではありえないコースである。
杉野理事から「良忍伝と融通念仏宗」寄稿、次号掲載の予定。
夕方、パワーポイントからファイルをコピーするノウハウを田中さんから伝授してもらう。試行錯誤があり、満足する出来栄えは夜に入ってからである。楽しみにしていた「チコちゃんに叱られる」は明朝の番組で見ることにする。
多忙ではあったが、実り多い週末の一日であった。

1月23日(木)

雨、連絡バスで帰宅。
「年賀状お年玉」は4枚当選。確立では100枚に3枚だから6枚当選してほしかったが・・・
パワーポイントの二二個のファイルをワードにコピーして「レジュメ」として配布したかったが、本日はテクニックが及ばず。田中さんにSOSメール。
夕16時の連絡バスでエデン。夕、月一回の「ほろ酔いサロン」の新年会?ではしゃぐ。

1月22日(水)

徒歩帰宅。
竹田美喜氏(子規博)から一遍会七月例会講話了承のメール受ける。年末の大本敬久氏(県歴博)で招聘講師の講話月度が決定。会員講師をセットして、二月度理事会で事業内容を詰めたい。
「宝厳寺小史(古代)」のパワーポイント作業は順調にすすむ。22ファイル分完了。2ファイル分は追加可能、初めてのパワーポイントを用いた卓話だが、問題なく行くかどうか、楽しみである。
夕、雨模様で、連絡バスで「エデン」。

1月21日(火)

徒歩帰宅。
長男の孫の大学入試共通テストの「自己採点結果」の報告がメールで届く。芳しくない成績のようだ。
次男の孫は、昨春大事をとって京大でなく阪大に変更して合格したが、今回は帝大ランクには程遠い由。
思い切って愛媛大学工学部は如何と伝える。愛大工学部は、宇宙・地球工学や分析化学では地方大学のトップクラスであることは知る人ぞ知るである。
孫が近くに居てくれると老人の生甲斐にもなるのだが・・・いやはや。
妻の三周忌に合わせて龍穏寺さんにお越しいただくようにお願いする。3月1日(日)11時からでセットし、息子たちにも連絡する。
午後、「宝厳寺小史(古代)」作業。徒歩「エデン」。
夜、『文芸春秋』二月号に目を通す。
山本太郎「消費税ゼロで日本は蘇る」
渡邊恒雄「わが友、中曽根康弘との六十年」
金敬哲「格差社会・韓国『無限競争』の苦しみ」
が特に印象に残る。
「宝厳寺小史(古代)」のパワーポイント作業を進める。実に楽しい作業である。

1月20日(月)

11時「日野歯科」受診。年1回の歯垢除去だが、今年から年2回にする。歯科衛生士に聞くと、歯はしっかりしておる由、一安心。
「花楽里」は珍しく超満員でご飯が用意できないと云う、いやはや。
14時、愛媛銀行道後支店の課長と担当者が来訪。定期預金の解約に合わせて利率を下げてほしいという。継続を断る。無盡会社からの付き合いだが、今後はビジネスライクで行くことになるか。
第二地銀として単独の銀行での経営を考えているようだが、現実は厳しいはずだ。北海道拓殖銀行消滅のプロセスを話し、激励する。三か月猶予を与えることにして、4月には資金を引き揚げる旨伝える。
16時の連絡バスでエデンに戻る。
「宝厳寺小史(古代)」を大幅見直し。宝厳寺住職の「人事異動」(?)について興味ある「発見」をする。

1月19日(日)


松山子規会1月例会並び正月懇親会出席(1100:14:30)。引き続き反省会(~15:30)。
盛りたくさんの行事で、関係者の努力を多としたいが、例会と懇親会で3時間半は長すぎるか。
①年頭挨拶 烏谷会長、②卓話 渡部平人「漱石の『子規に送りたる句稿』」③詩吟「後夜聞佛法僧鳥」(武田峰松)④漢詩 庚子新年松山子規会書感」(嶌川武彦)⑤合気道演舞(森慎吾)⑥三味線「梅にも春、伊予節」(福井みどり)
卓話が小一時間に及び、テーブルスピーチでなくなった。スピーチが長くなるとスープは冷めるものだ。
メインテーブルのメンバーは来賓(愛媛銀行、民間放送局、不二印刷、井手康夫、今村威、竹田美喜、烏谷照雄&三好)。井手顧問の欠席で乾杯を担当。
懇親会出席者は満足したが、例会のみの出席者は物足りなかったのではないか、な。
16時帰宅。
TVNHK大河「麒麟がくる」「ぽつんと一軒屋」など。
孫の大学入試共通テストが終わる。結果が心配だし、心待ちしている。
【乾杯挨拶】
本年の十二支では「庚子」である。二回前の「庚子」は1900年、明治三三年で、19世紀最後の年を子規さんは病臥して短歌革新に燃えて20世紀に花が開いた。
ことしのNHK大河ドラマは石田三成が主人公の「麒麟がくる」。今年一年、松山子規会に「麒麟」が躍動するように、会員一同でがんばろうではないか。乾杯!

1月18日(土)

前園実知雄氏から一遍会五月例会での講話了承の電話あり。次いで竹田美喜氏に7月以降の講話の依頼をする。8月以降は会員理事中心にラインアップする。
一遍会二月度卓話「宝厳寺小史①古代」の講義案(粗案)、予定通りまとまる。A4版7頁でテスト印刷。
NHK「ブラタモリ(浜名湖 うなぎの秘密)」。
正月を挟んで半月ぶりで「椿の湯」。隣家の西山さんに会う。「椿の湯」仲間が安否を気遣っていたようだ。有難し。

1月17日(金)

朝5時に目覚め、5時47分の神戸の様子をNHKラジオで聞く。あの日、あの瞬間、妻のこと、淳志が「救助」に飛び込んできたこと、夕方尚子さんの心づくしの食事をして共に無事であったことを喜び合ったこと、翌早朝六甲トンネルを無事通過して「福知山グランドホテル」で安堵したことなどなど、鮮明に思い出します。
20数年前の記録文集『鎮魂 平成七年乙亥 阪神・淡路大震災私記 臨危不変』を一時間かけて年一度読み返す。「I LOVE KOBE!」である。 http://home.e-catv.ne.jp/miyoshik/ 
徒歩帰宅。ゴミ出し。
今日は「妻の七の百五十日」(没1050日目)でもある。メール連絡を済ませ、義安寺墓参り。にぎたつ会館でランチ&スパ。
帰途、伊予銀行(定期預金処理)、郵便局(伊予史談会例会講話レジュメの印刷依頼)、業務スーパー(3日分の食料品調達)を回る。
一遍会二月度卓話「宝厳寺小史①古代」の講義案に取り組む。
今年のNHK大河「麒麟がくる」(1月19日第一回)の登場人物に三好長慶(山根和弘)、松永久秀(吉田鋼太郎)の配役を知る。
夜,NHK「あしたも晴れ!人生レシピ「さらば孤独!人とのつながりが生きる力に」」。

1月16日(木)


徒歩帰宅。日中、10度Cを越えず、寒し。
一遍会二月例会案内を、マスコミ、ミニコミに流す。
一遍会卓話「宝厳寺小史(1)古代」の執筆を進める。「一遍堂」新田兼市氏の顕彰をしておきたいものだ。
徒歩「エデン」。体温まらず、冷えた体で大浴場に直行する。酒が恋しい。
夜、「プレバト」。
「落椿爪皮の紅きを妬む」 近藤サト
「抜き衿寒し酔客のうしろ姿」 ミッツ・マングローブ
「爪革の紅のさくさく霜柱」梅沢富美男
芸人(タレント)ではあるが、芸が昇華し、俳人になっている。素晴らしい。

1月15日(水)


連絡バスで帰宅。ごみ搬出。
御幸中学同期会役員会に出席(国際ホテル内「吉長」)。5月29日開催日を決める。今年度は
卒業70周年に当たる記念同期会となる。
三越で例の時計を持参する。非を認めて無料で修理してもらう。当然と云えば当然なのだが・・・
帰途愛大ミュージアムに立ち寄り「愛大開学70周年記念・ミュージアム会館10周年記念特別展」を鑑賞する。「四国遍路と弘法大師信仰(後期展)」は興味あり。
愛大から30分歩いてエデンに戻る。珍しく明るい内に大浴場にゆったりする。。
一遍会2月例会の卓話「宝嚴寺小史(1)古代」のレジュメ作成。骨子は頭の中に入っているので、今週中には取り纏めたい。今回はパワ―ポイントを使っての講義となる。
1月も半分消化したが、充実した一年のスタートを切れたようだ。

1月14日(火)


徒歩帰宅。
伊予史談会例会発表論文「時宗奥谷派の盛衰」をHP一遍会の「熟田津今昔第七七章」にアップロードする。
新居浜の合田神官(九〇歳翁)から突然の、久しぶりの電話。嬉しかった。懐かしかった。
二〇数年前の神戸淡路大震災の後、安否を気遣って調査して電話をもらった合田さんである。神社庁の会議が「ふなや」で開催される由。会えるかな。
午後「友隣サミット」(新年会)出席。テーマは「メモ」記載。
雨が降り始め、一五時過ぎのバスで「エデン」。
『公家源氏―王権を支えた名族』(倉本一宏 中公新書)を読む。全く不明である。ショック。『源氏物語』の「源氏」の意味がやっと分かりかけた。なんと古典に無知であったことか。
NHK「麒麟がくる―予告編」を見る。
【メモ】
【日本】
1、消費税増税後の日本経済 キャッシュレス
2、オリンピック後
3、物づくり日本の今後 トヨタの未来都市構想
4、都知事選
5、安倍首相の賞味期限と後継争い 岸田・石破・菅・小池
6、724212問題 時代閉塞と人口問題
7、東京五輪
8、東アジアにおける日本の位置対中国関係、北朝鮮関係、隣国韓国との距離感
9、北方領土問題
10、世界の中の日本 アメリカとの関係 EUとの関係
【世界】
1、世界景気の潮目はIT・AT
2、技術のデカップリング
3、米中新冷戦
4、米大統領選
5、EUポピュリズム・EU英離脱のその後
6、インドのモディ化
7、中・ロ同盟か
8、南米のグローバリズム
9、気候変動 温暖化防止運動
10、変わる自動車のその後

1月13日(月)


伊予史談会2月例会講義「時宗奥谷派の盛衰」執筆完了、A3で7ページ、印刷する。再度校正して週末に事務局に発送。一件落着。
蜂須賀さん来訪。お土産が甲州干し柿である。これが実に美味い。
夕、徒歩エデン。『文芸春秋』②、『公家源氏―王権を支えた名族』、『(復刻版)初等科国史 文部省』読書。

1月12日(日)

伊予史談会一月例会(09:30 生活文化会館)
1)大成経凡「伊予が生んだ実業界の巨人 八木亀三郎②―そのとき八木亀三郎が動いた―
2)松友武昭「当たるも八景、当たらぬも八景 景観論を弄ぶ」
大成氏の著作「伊予が生んだ実業界の巨人 八木亀三郎」は愛媛新聞出版文化賞を得た。地道に調査した資料に基づく八木亀三郎伝である。攻めは強いが守りに弱い経営管理についても検討を進めてほしい。
松友さんの「定数名所の略史」は実に面白いが、物知りの楽しみに終わってはなるまい。道後八景、道後十二景、道後八勝は、道後の歴史を語るのに利用したが、文化史の範疇に入るとも思えないが・・・
山内会長、柚山副会長、二神、田中さんらと新年挨拶を済ます。
高島屋で腕時計の電池入れ、三越に比べて段違いに接遇が良い。「岩波・朝日・三越」をベスト評価してきたが、最後の三越の評価も地に落ちた。地下街の「デリー」でカツカレー。
「紀伊国屋」で①『公家源氏―王権を支えた名族』(倉本一宏・国際日本文化センター教授)②『(復刻版)初等科国史 文部省』(昭和18年版 三浦小太郎解説)。
『初等科国史』を学習したのは昭和一桁生まれであり、昭和二桁はGHQ検閲済みの薄っぺらい『くにのあゆみ』を学んだ。
県立図書館で夕方まで伊予史談会2月発表の「奥谷派の盛衰」の参考文献を再度検証する。明日、最終稿を仕上げる予定。
「ふじ」で今週の食料品を買い込む。焼酎を飲み、ゆったり気分で日曜の夜を楽しむ。

1月11日(土)

一遍会一月例会並びに正月懇親会を「友輪荘」で開催。参加者17名。
11時役員集合、12時一月例会(年頭挨拶、卓話「紙芝居 衛門三郎」)、12時30分から正月懇親会。特別ショウ(蜂須賀理事、田中理事)。ビンゴは大いに盛り上がる。定刻14時30分散会。
全員を見送ってから内湯に入浴、道後温泉の引き湯だけにさっぱりする。
帰宅後、収支決算。会費は4,500円であったが、4,000円で納まる。次回の例会で@500円返却したい。正子さん、年始挨拶。正月飾り片付け開始。
夜、なんとなく気分が乗らない。何することもなく時間を過ごす。

1月10日(金)


連絡バス(08:30)帰宅。一遍会正月懇親会景品用の焼酎重し。
伊予銀行で一遍会12月度口座チェック。シルバーセンターに松剪定代4万円送金。子規博に立ち寄り、義安寺墓参り。「にぎたつ会館」でランチ&スパ。セブンで一遍会正月例会資料印刷。「ビンゴ」部品チェック、異常なし。
一遍会例会講師圓増治之氏から六月出講連絡、早速、前園実知雄氏に五月又は七月例会の出講を依頼する。その後竹田美喜氏の出講月が内定すれば、令和二年度の講師のラインアップが8割方決まる予定。8月は一遍会創設50周年になるので小沼代表に思い出を語ってもらうかな。
ファミリーに定期便(妻の七の百四十九日・没1043日目)を送る。妻の三周忌(三回忌は済ます)の日程につき息子たちに照会する。
夕食は「おでん」と酒で・・・・・ 20時から週末の楽しみであるNHK「チコちゃんに叱られる」。

1月9日(木)

徒歩帰宅。洗濯。
一遍会第3四半期の収支決算、例会配布用「一遍会1月度ニュース」など作成。印刷は明日予定。
昼、郵便局で義安寺寺務費(令和二年度)送金。「セブン」で日用品購入。公民館で一遍会3月度例会の会場予約など。
『文芸春秋』二月号入手。
徒歩にて「エデン」。正月疲れが出たのか、軽快に歩くというわけにもいかず。

1月8日(水)

午前中、ベテル病院で「人間ドック」を受診。今回が同病院は始めてであるが、胃カメラ、超音波、頭部Cを加えた。
結果は数日後だが、内科の医師診断が三好ドクター。同姓である。
医師から佐々木安隆さんをご存知ですか。私の大叔父です。」とのこと。
今年一遍会は創立50周年を迎えるが、佐々木安隆氏は一遍会の初代会長である。運命的な出会いか、な。
ドックの診断結果は異常なし。医師とは「一遍会」のご縁で個人的なお付き合いがはじまることになろう。
12時40分発の連絡バスで帰宅。ランチは「花楽里」のカツカレー。
賀状は2通。
『伊予史談』誌掲載の越智通敏氏の論文を再調査する。
圓増治之氏に令和二年度の一遍会例会講師の依頼メールを送る。
夕17時バスにてエデン。

1月7日(火)

賀状4通受け取る。
天気が崩れそうである。徒歩帰宅。
パソコンにセットした「ルーター」がフリーズ。CATVに依頼し、修理してもらう。本日の外出などのプランは「即中止」する。
講義録「奥谷派の盛衰」の原本照合に取り組む。
託阿上人の道後温泉記述は『器朴論』と思い違いしていた。正しくは『禅時論』である。伊予の時衆三大「道場」を『遊行日鑑』で調査開始。
16時、徒歩「エデン」。

1月6日(月)

賀状10通受け取る。
朝五時起床し、講義録「奥谷派の盛衰」の「おわりに」2ページ分を午前中に取りまとめる。今週中に県図書館で資料と照合し完了したいものだ。締め切りは1月末である。
大本氏(県歴博)から『一遍会報』第416号(2月例会配布)掲載論文入手。たっぷり時間があるので有難い。
長男からのメールでは手術後の経過が100%というわけでもなさそうだ。15日に上京して正常勤務になるので完治してほしいものだ。
夕、徒歩「エデン」。


1月5日(日)

賀状6通受け取る。
淳志ファミリーが午前11時に帰宅。
湯之町「かどや」で鯛めしセット。ビールとノンアルコールビール(淳志・雄大)で乾杯。「飛鳥乃湯泉」に入る。
岩崎さん来訪。雄薫さんが12月中旬死去の由。長男が窓口になって「賃貸契約」を継続することとした。
小学校のグルッペ蛍雪会の嘉村武夫君の死去の連絡を受ける。仲間 10人中6名死亡。現在、古茂田・満野・小山・小生の四名が今年も年賀状の交換ができた。
15時、淳志ファミリー帰神。孫二人にお年玉を奮発する。
夜、NHK大河は例の女優のトラブルで開始は来週以降になるので「ぽつんと一軒屋」を見る。夫婦あっての一軒屋の守りがある。道後のこの家の「守り」は・・・・・
コタツが二台とも故障である。30年使ってきたから止むを得ないが、今更新規購入は如何なものかと躊躇している。

1月4日(土)

「おせち料理」がやっと片付く。ひとりで食べても、あまり美味しくはない。来年からどうするかな。
一日遅れで、義安寺墓参。当家の墓苑の奥の一角が「墓しまい」か、撤去されている。次男の墓地希望が強ければ義安寺さんと話し合うこととするか。「にぎたつ会館」でランチ&スパ。刺身・かずのこ・てんぷら・煮物・茶碗蒸し、サラダ、味噌汁&フリードリンク、入湯付きで@1,090円は満足、満足。
応接室、リビング、書斎、トイレの掃除、「フジ」の買出しなど、日常へ戻るのも大変だ。レジュメ「奥谷派の盛衰」は本文はA4で10ページ。参考資料はA3で2ページ。配布資料としてはA3で7ページとなる。県立図書館等で原本に当り、1月中旬には完了したい。引き続き一遍会二月度例会卓話「宝厳寺小史(1) 古代」を1月中に取りまとめる。やっとアクションスケジュールの目処が立った。
夕、晃子さんと久美さんが道後温泉の帰りに寄ってくれる。温子の話を久しぶりにする。
夜、21時過ぎに眠くなる。

1月3日(金)

徒歩帰宅。
講義「奥谷派の盛衰」の資料検証、執筆に集中する。「おわりに」を除き、大綱まとまる。
追加賀状8通届く。妻宛が一通あり、宇和高校同期の男性で医師である。何年続くことやら・・・である。
日中の「箱根駅伝(復路)」に引き続き、夜はTVの番をする。「プレバト俳句頂上戦」「チコちゃんに叱られる」「警視庁・捜査一課長正月スペシャル」。
5日に神戸の次男ファミリーが墓参に日帰り帰郷の連絡あり。「母さん」も大喜びだろう。

1月2日(木)


快晴である。
箱根駅伝(往路)を見る。①青山学院(5:21:16)②国学院③東京国際④東海⑤明治・・・④まで往路新(従来5:26:31)。
エデンシネマ「パパは奮闘中」(ベルギー・フランス映画 2019 監督:ギョーム・セネズ 出演:ロマン・デュリス ロール・カラミー レティシア・ドッシュ  99分)鑑賞。
徒歩帰宅、途中で孫たちと「ケータイ」でおしゃべり。お節料理のランチ。
HP一遍会の一月度版更改と一遍会正月例会案内メールを会員に流す。「仕事始め」である。
「奥谷派の盛衰」検討。
徒歩にてエデンに戻る。日常の生活リズムに戻る。

1月1日(水)


朝7時前起床。残念なら初日を拝めず。
9時からエデン新年会。昭和一桁生まれの山本さん、古茂田夫妻と同席、二時間近く、飲みかつ語り、笑う。
TVニューイヤー駅伝を見る。11時頃、1位ヤクルト、2位旭化成、3位カネボウ、4位マツダ、5位トヨタと続く。20数年前、陸上実業団副会長をしていた当時を思い出す。
旭化成、カネボウ、マツダはよきライバルだった。が、旭化成を抜くことはできなかった。
昼、バスで帰宅。仙波さんご夫婦は松山神社初詣の由。
年賀状150数通届く。当方から出していない賀状が30通もあり、ローソンで「初買い」は賀状30枚。パソコン印刷して16時投函する。先方に届くのは、正月明けかな。
17時のバスでエデンに戻る。冬至から旬日経過しただけだが、日没が遅くなり、明るいうちに移動できるようになった。春の訪れが待ち遠しい。
NHK「ウイーンフィルニューイヤーコンサート」を聞きながら元旦の新聞を丹念に読む。
「奥谷派の盛衰」目次に合わせて資料の割り付けをほぼまとめる。
12月31日(火)

曇天ではあるが洗濯して屋内で干す。ファミリーと梅木君に年内最後の返信メール。仏壇の掃除と線香を供える。
昼食に「年越しそば」を求めて道後商店街を歩くも発見できず。「ローソン」で蕎麦と数の子入りおにぎりを買う。蕎麦が道後の食堂のメニューに無い。いやはや。
キッチンを片付け、ごみを袋入れして外に出し、最後に玄関を掃除。16時発のバスでエデンに戻る。妻が合格点をつけてくれるかな。 
夜はNHK紅白歌合戦も見るが、ベートーベン「第九交響楽」やエンターテインメントを「梯子テレビ」する。かすかに除夜の鐘を聞いて就寝。

12月30日(月)

終日雨。洗濯できず。年越しヵ。
JAバンク担当者が定期継続手続きで来訪。松前出身とのこと、早速「定善寺」など寺社仏閣について質問する。「古泉」は「いづみ」と言う。貯水池もあり、かつては自噴していたか。下水工事でも深く掘ると地下水が湧いて出る由。
本年度の日記はひとまず「空白なし」となる。息子二人は、兄の「怪我治癒」を祝って温泉+忘年会に出かけた由、夫婦喧嘩にならねばよいが、いやはや。
掛け軸、屠蘇の用意、正月は奥に上がる年賀客はないのだが・・・
午後、伊予史談会2月度例会講話「奥谷派の盛衰」の内容がまとまり、目次が決まる。
夕4時、バスにてエデンに戻る。

【メモ 「奥谷派の盛衰」目次】
はじめに  ~時衆と時宗~ 
1)「二祖真教上人七百年御遠忌」 時宗総本山  藤沢山無量光院清浄光寺(遊行寺)
2)時衆(時宗)の三祖師
3)時宗(時衆)十二派

第一章 遊行上人と武家 ~敵味方供養~
1)遊行五代 藤澤二世 安国 弘安二年~延年二年(1279~1337)
2)遊行六代 藤沢三世 一鎮  建治三年~文和四年(1277~1355)
3)遊行七代 託何 弘安八年~文和三年(1285~1354)

第二章 奥谷道場宝厳寺と松前道場定善寺  ~山人と海人~
1)宝厳寺縁起と定善寺縁起
2)伊予の時衆道場と一遍ゆかりの寺)
3)伊予を取り巻く時衆道場
4)時宗総本山遊行寺の統治機構と宝厳寺・定善寺の位置づけ

第三章 遊行七代託何上人と奥谷派 ~遊行派の吸収~
1)託何上人著述「条々行儀法則」を読む
2)遊行派消滅のプロセス

おわりに ~一遍の遺したもの~
1)奥谷派大檀那(河野得能家と河野宗家)をめぐって
2)遊行派の覇権と「一向宗」の独立化
3)「奥谷派」とは

12月29日(日)

昨夜の「椿の湯」が最良の睡眠薬になって、一度トイレには行ったが、朝6時まで熟睡する。爽快である。
午前中、「時宗奥谷派の盛衰」(宝厳寺縁起、金蓮寺(性尋寺 定善寺)縁起)執筆。いよいよ、本題である遊行託何上人の『条々行儀法則』(康永三年(1344)六月起筆、伊予宝厳寺遊行時執筆)に取り組む。このペースでいくと、正月開けに草稿が纏まることになるか!!!
『松山百点』(2020.1)入手。気になっていた「道後界隈トリビア」(御手洗川<みたらいかわ>の流れと橋)は直接取材してくれて橋名が正式には「みたらしはし」であることを写真で示してくれた。やっと「みたらし団子」が浮かばれた次第。いやはや。担当者に感謝!
午後、「フジ」でお飾り、鏡餅などを購入、座敷、応接室の新年の準備を進める。
TV「ぽつんと一軒屋」大特集を見る。
【→戸嶋さん】
素晴らしいポストクリスマスの晩餐会ありがとうございました。山口県防府市で4年間過ごした旅人しては河豚こそ福の極みといった感慨です。これで満足して越年できます。
22日(日)阿波で「三好長慶会」20周年記念祝賀会に出席、徳島県知事ほか全国の「三好さん」と2022年長慶生誕500年祭に併せて、NHK大河ドラマの主人公として三好長慶を登場さすことを「エイエイオー」と誓い合いました。
忘年会の写真ありがとうございました。前列の長老たち、ともあれ張り切りガール&ボーイズですし、後列の美青年隊が支えるという・・・いい雰囲気ですなあ。
台湾、内子の夢のプランが楽しみです。ところで、近くですが正岡家ゆかりの「正岡(村)」には正岡家の歴史の記憶が残っていないのでしょうか。
よいお年をお迎えになりますように・・・・・

12月28日(土)

書斎の片付け。作業用にコタツをセットする。コタツの方が能率が上がるのは「むかし人間」の証拠か、いやはや。
午後から引き続き「レジュメ執筆。」
第一章 遊行上人と武家
1)遊行五代 藤澤二世 安国
2)遊行六代 藤沢三世 一鎮 
3)遊行七代      託何 
今回の論文のメインは奥谷宝厳寺と遊行七代託何上人である。
灯油が切れたのでガソリンスタンドで補給する。
子規博竹田館長から来年の講話テーマと過日の歴史文化研究会での漱石をめぐる私立山口高等学校の情報提供あり。折り返し返事する。
「椿の湯」。
【→竹田館長】
歳末のご多用ご多端の中、一遍会例会ご講話のテーマにつきご内示を承り、まことにありがとうございました。
それぞれに魅力的なテーマでありますので私の一存できめるのは如何かと存じ、正月例会の席で、小沼、今村両氏と相談させていただきます。よろしくお願い申し上げます。
過日の歴史文化研究会での「漱石と私立山口高等学校」の件ですが、個人的には「山口」への思い入れがあります。実は、昭和最後の数年、山口にある鐘紡の事業所長として勤務し、山頭火を知り、中也を知り、みすずを知り、詩歌への興味が湧きました。
平成18年『子規会誌』109号に「子規の東京大学予備門「落第」の周辺―隈本有尚と漱石・子規-」を発表し、「山口高等学校事件」を載せました。山口県では拙論が話題になり、数編の関連論文が発表された由です。ご笑覧いただければ幸甚です。
本年はいろいろとお世話になりました。引き続きご支援、ご教導のほど、お願い申し上げます。

12月27日(金)


朝から断続的にかなり激しい雨が降る。
週末のファミリーへの定期便(妻の七の百四十七日」(没1029日目))を送る。最後に一文を加える。
「年末最後のハッピーニュースですが、岩波文庫最新刊の復本一郎編『子規紀行文集』に父の名前が3ヶ所載っています(319、267、262頁)。別にどうということはないのですが、青春時代愛読した「岩波文庫」であることが嬉しかったです。本屋で確認してみてください、な。」はて、孫たちの反応は如何。
午後から夜にかけて「時宗奥谷派の盛衰」のレジュメ執筆。
   はじめに
1)「二祖真教上人七百年御遠忌」 時宗総本山  藤沢山無量光院清浄光寺(遊行寺)
2)時衆(時宗)の三祖師
3)時宗(時衆)十二派
夕18時になって「フジ」に師走までの食料買出し。
NHK「チコちゃんに叱られる」を見て、引き続きレジュメ執筆。「椿の湯」は中止。

12月26日(木)

徒歩帰宅。
今月の日記類とHP一遍会の点検整理。歳末準備に取り掛かる。
夕、松山歴史文化研究会の忘年会。(伊予銀行保養所)。例年通り、豪華な「ふぐ料理」である。正直、年一回のふぐ料理だけに楽しみでもある。
①竹田美喜氏「漱石と古白と松風会―松山行きを促したもの―」
②二神将氏「名将秋山好古を誕生させ、台湾発展にも貢献した県人達」
③和久正博氏「松山藩和久家(正辰)」
慶応義塾から『塾 社中特別号』が届く。

12月25日(水)

徒歩帰宅。
本日締め切りの年賀状を子規博前のポストに投函、子規博内売店に立ち寄るも復本一郎著『子規紀行文集』(岩波文庫)なし。
大街道アエルの明屋書店にもなく、高島屋内の紀伊国屋書店でやっと見つける。
老生の名前が3カ所記載されており驚く。さすが学者である。「大寺」「避病院」は、もっとも苦労した記述である。よかった。
息子の2年後松山勤務が「内示」された旨連絡あり。「果報は寝て待て」しかあるまい。
午後、県文化振興財団の文化セミナー⑦青木亮人「冬の松山、佐田岬」聴講。「友輪荘」に一遍会正月例会出席人員(17名)を伝える。
徒歩エデン。
夕、クリスマスパーティー初出席。盛大である。
①クリスマスメッセージ ベテル病院佐々木真理チャプレン
②ヴァイオリン&ピアノ演奏(三上徹 大空佳穂里)「サンタが街にやってくる ホワイトクリスマス アヴェ・マリア サンタクロースがやってくる ほか計9曲」
入浴後21時半就寝。
【→子規会渡部副会長】
貴メール拝見いたしました。有難うございました。早速ご返事をと思いつつも、復本一郎氏著『子規紀行文集』(岩波文庫)を一読してからと思い数日経ちました。
本日、紀伊国屋書店に立ち寄り同書を購入しました。『松山 子規事典』を学者の目で検討された結果を脚注として採用されたのだろうと思います。
『松山 子規事典』がここまで評価されたということは、克司さんを含めて執筆者一同誇りに思いますとともに、編集のご担当者のご労苦に衷心より御礼申し上げる次第です。
 機会を得てお話しする機会を持ちたいものです。まずは御礼まで。
子規研究者や子規フアンにとって、同書を通して『松山 子規事典』を入手したい希望が増えることになるのかなと思います。喜ばしいことではありますが難問題でもあります。

12月24日(火)


徒歩帰宅。
庭の松の木3本剪定。
賀状150数通完了、明日が正月配達締め切りなので、やっと間に合った。やれやれ。
12月21・22日の阿波紀行(?)をパソコン打ち。
松山子規会渡部副会長から下記メールが届く。
「復本一郎先生の近著『子規紀行文集』(岩波文庫)の「散策集」のページに、『松山 子規事典』からの引用紹介として、大兄のお名前が掲載されていることに、今頃になって初めて気が付きました。ご研究が優れた学者に認められ、岩波書店出版の研究書で引用されたことは、誠に素晴らしいことに存じます。
『松山 子規事典』の編集に携わった一員としても、とても誇らしく喜ばしくも思っております。今後のご研究にご期待申し上げますとともに、ご指導くださいますよう、よろしくお願いいたします。」
【メモ】
県中央図書館所蔵『道後花柳情史』(附道後美人写真鑑)大正6年9月22日

12月23日(月)

朝一番に賀状の宛名パソコン印刷開始。午前中に終了予定がパソコンのトラブルとリストの不備で夕方までかかる。参った!参った!
夕、ベテルバスで5日ぶりにエデンに戻る。
夜、徳島で22日開催の「三好長慶会」と徳島公園などの印象をとりまとめる。
特記すべきは、徳島城の前身である渭山城は、「富田荘」の地頭である河野通純が文永九年(1272)に築城した一説がある。城山は西から眺めるとイノシシに似ているので「猪山」と呼んだ由。また興味ある歴史探索テーマが増えたぞ!

12月22日(月)

ホテルで朝食、朝ドラを見て、9時半にチェックアウト。
市内散策は、ホテル→両国橋→新町川公園→紺屋町商店街→瑞巌寺に向かう。庭園が見事である。10年近く前に、妻と眉山に宿泊、「モラエス館」を見学しモラエスの墓所に詣でたが、今回山麓に在った「海音寺」と間違えて「瑞巌寺」を訪ねた次第。新町小学校内にある「モラエス像」を写真に撮る。
ついで、「阿波おどり会館」に立ち寄る。新町橋を渡って「そごう」に立ち寄る。神戸三宮の「そごう」は阪急百貨店になったが、「徳島そごう」も年内に閉店の由。ぶらぶら歩きをして「レストラン」で鳴門料理を食べる。25年前薬品の関西担当時、四国支店長の案内で徳島を回った時に「祖谷蕎麦」を頼んだが、メニューには祖谷蕎麦が書かれていなかった。
今回調査したかった「河野氏」の呼称だが、想定の通り阿波では「こうの」ではなく「かわの」であった。「NTT企業番号簿」では「かわの」30数社、「こうの」1社である。
正午過ぎ「ホテルクレメント徳島」到着、息子と待ち合せ、三好長慶会20周年記念 公開講演会・出版記念祝賀会に出席する。
講演会は天野忠幸氏(天理大学准教授)『大河ドラマの主人公にふさわしい三好長慶』。一般市民向けのくだけた内容であったが、2020年の三好長慶生誕五百年祭りに是非実現してほしいと思う次第。
出版記念会は「全国の三好さん」が「桐」テーブルに集結。北海道富良野からT氏夫妻、同じくK氏夫妻、広島のT氏と孫のA君、愛媛から我がファミリー3名、ほか2名で11名、それに「蘭」テーブルの伊吹島の三好兼光さん、阿波の三好敬子さんを加えて13名が揃った。
メイン席には飯泉嘉門県知事初め県議・市議のお歴々である。総員220名を越す大盛会であった。
20年間でここまで育ててきた出水康生氏に脱帽、大感謝である。
17時半参加以後、息子二人とホテルのダイニングルームで珈琲を飲んで散会。19時松山行き高速バス最終便で徳島を離れる。23時に帰宅。あまり疲れをない徳島小旅行であった。

12月21日(土)

6時半起床。大街道ローソンで「おにぎり」、お茶&珈琲。   発のJRバスで徳島へ向かう。「三好」(吉野川)で小休憩して  :  徳島駅前に着く。駅近くの「宝ラーメン」で「徳島ラーメン」を注文する。煮卵がサ-ビス。
徳島市にはたびたび訪ねているが徳島城址を歩いていない。線路沿いに歩いて10分、徳島文理大学前の線路を跨ぐ大橋を渡って徳島城址公園に入る。
市立徳島博物館の常設展と特別展「阿波の水軍 森家と徳島藩」を見学する。その後「名勝 旧徳島城表御殿庭園」を散策する。自然石の橋、枯山水庭園、心字池などなど、あまり広くはないが静かであり心の洗濯ができた。
城山は高くはないが急坂であり、頂上まで階段が続く。頂上は広場だが、天守は一段下の広場にあり、頂上には兵糧や武器を蓄えていた建物があったと説明板石に書かれている。
16時前に「東横イン徳島駅前」にチェックインする。そのあと、市内をぶらぶら歩き。飲み屋が多いのでびっくりする。繁華街の新町は、明日の楽しみに取っておく。18時過ぎると気温も下がり、ローソンで夕食と飲み物を調達してホテルでのんびりと食事をする。

12月20日(金)

午前、子規博「令和二年新春特別展『虚子、松山から雄飛する』内覧会出席。参加者少なし。松山子規会の烏谷会長、今村顧問に会う。特に印象に残る展示もなし。
午後、文化セミナー「歌舞伎」⑦名作案内『祇園祭礼信仰記』―「金閣寺」―。
「フジ」で夕食(寿司)調達。
ファミリーに定期便(妻の七の百四十七日・没1022日目)を送る。

12月19日(木)

ベテルバスで帰宅。
10時半、市駅に出て、賀状追加50枚。地下街「デリー」でカレイライス。
松山子規会12月例会(愛媛新聞社1階ホール)
卓話:戸嶋健二理事「幻の延齢館」 
講話:烏谷照雄会長「『ある日の子規庵茶事』子規、茶の道への見識」
会場を「紀ノ国屋」に移して役員懇親会。大いに飲み、かつしゃべる。21時前に帰宅。

12月18日(水)

徒歩帰宅。
年賀状宛名の最終チェック(喪中はがき、死亡連絡他)。
昼食後、バスでエデンに戻る。
武智利博先生から一遍会正月例会出席との連絡、有難い。
14時からエデン全体会議。その間デボット(お掃除ロボット)で部屋掃除、30分で完了。
「時衆奥谷派の盛衰」のテーマの深化を図る。浅山圓祥『一遍と時衆』を読む。
NHK「英雄たちの選択 光格天皇」・・・初めて知る天皇だが、明治維新につながる尊王思想の素地を作った由。
【メモ】
一遍会正月懇親会推移
25年 25名 26年 18名 27年 21名 28年 21名
29年 21名 30年 21名 31年 12名  2年 16名

12月17日(火)

徒歩帰宅。朝のうちは曇天、午後雨となる。
年賀状の宛名170名分パソコンで点検完了。あとは印刷するのみ。
「エデン」でクリスマスコンサートが午後開催されたが残念ながら出席できず。
松の剪定の打ち合わせでシルバーセンター担当者と打ち合わせ。焼却を含めて松3本で4万円である。10年前までは、夫婦で松の剪定をやっていたのだが・・・・・
夕16時、雨のため送迎バスでエデンに戻る。
「パワーポイント」初心者であり、試行錯誤を繰り返しながら「時衆奥谷派の盛衰」の作業を開始する。また楽し。

12月16日(月)


快晴である。朝一番に洗濯する。
一遍会IT会員に「定期便」を郵便局から発送、「町屋三好」さんには届ける。クリーニングを受け取る。
12月例会講師大本敬久氏に『一遍会報』への寄稿を依頼。了承の旨連絡あり。災害と復興と「文化」に関しての強力な発信になろう。
民生委員来訪、懇談。芦屋出身で神戸深江で勤務ということで、話が大いに弾む。
平成31年賀状(170通)について点検する。25日までには投函可能である。
論文「奥谷派の盛衰」のパワーポイント取りまとめの作業に入る。
夜、日韓交渉のTVから目を離せない。
 
12月15日(日)

昨晩はほろ酔いで就寝、朝3時トイレ、6時半に目覚める。快眠である。
一遍会IT会員への定期便を取りまとめ封筒に入れる。
午後、県立図書館に「一遍会報」の令和元年分を一括納入、JRバスで週末開催の「三好長慶会」出席のため往復チケット購入。賀状本文150枚印刷完了、今年は150枚に削減してと考えてはいるのだが・・・・・
18時、NHK大河「いだてん」最終回を見る。ドラマではあったが、オリンピックと平和、オリンピックと政治について考えさせられた一年でもあった。年末はロシアの国家的な興奮剤の使用についての大論戦である。来春までに決着するのか。
TV「ぽつんと一軒屋」。「椿の湯」。

12月14日(土)

腰痛薄らぐ。やれやれ。
「チコちゃんに叱られる」を見て書斎に入る。一遍会12月度例会準備。
午後、一遍会12月例会並びに理事会。出席18名。
1)卓話 大西修史理事「赤穂浪士討ち入りと松山観光ボランティアガイド」
2)講話 大本敬久氏(県歴博専門学芸員)「豪雨被災地のおける復興と地域文化の果たす役割」
子規博竹田館長からの子規博の災害対策についての質問は急務の問題と云えよう。
引き続き理事会。原案につき承認を受ける。夕、戒田淳氏と一遍会の運営につき語る。
沖縄焼酎「久米仙ブラック古酒35度」の湯割りでいい気分になり「ブラタモリ」(姫路城)を見て就寝。楽しみにしていた土曜ドラマ「みおつくし料理帳」の黒木華を見れず、残念。

12月13日(金)
 

昨日はエデン→自宅→愛媛大学→エデンと約6キロ歩いたこともあり、熟睡し、朝6時に目覚める。
徒歩帰宅。
一遍会12月度理事会資料作成。
①一遍会令和2・3年度役員(案)
②令和元年度一遍会会員名簿(報告)
③令和2年度例会講話講師(案)
④令和元年上期収支決算(報告)
ファミリーに定期便(妻の「七の百四十五日」)を送る。クイックレスポンスあり。
週末の徳島での「三好長慶会」に出席するが日帰りバス7時間余は年齢も考えて、「東横イン徳島駅前」に予約を取る。朝食つきで@7,000円。徳島城公園、資料館などなど見学の予定。
三越(時計)、三井住友信託(年末挨拶)から電話。夕、義安寺を墓参して、「フジ」で3日分の買出し。
夜、京都の森さんから電話。三好長慶会出席の由。「椿の湯」は早めに出かける。
今週はリック担いで歩き過ぎたのか腰が痛む。腰痛の湿布薬を貼って就寝。

12月12日(木)

田中氏メールの足利尊氏と河野通盛(通治)の絡みについて早朝4時から作業。
徒歩帰宅。
奥島病院で年1回の脊椎腫瘍の検査。2年前に比べて縮小し腫瘍もボケて来ている。快癒はしないが、寿命のあるうちは大丈夫らしい。一応「経過観察」となった。やれやれ。
午後3時から愛媛大学文系研究センター開設記念合同シンポジウム「松尾芭蕉・旅・芭蕉和紙」聴講。
①戎光「松尾芭蕉の時代の旅人たち
②三浦和尚、東賢司「芭蕉の旅・芭蕉和紙の特性」
③福垣内暁「芭蕉和紙の特性とその活用について」
講師は愛媛大学の教職員だが、文系の教授も専門バカでは生きていかれないらしい。いやはや。
夜、プレバト。

12月11日(水)


徒歩帰宅。
「12月度一遍会ニュース」取りまとめ。
読売新聞文化欄 磯田道史「古今をちこち」(12月11日)「『吉良の首切断式』の主役」を切り抜き、例会で配布とする。
午後「ダイキ」で一遍会配布資料印刷。(『一遍会報』「一遍会ニュース」「赤穂浪士討ち入り」)
電車内で田中順治さん出会う。小沼ゼミのメンバーらしい。
上一万から徒歩で「エデン」に戻る。上りが少々きつく汗をかく。さっそくどぶんと大浴場に入る。
夕食前に例会配布資料を整理する。一件落着。
田中さんから、足利尊氏と河野通盛(通治)の絡みについて幾つかの仮定を提示される。建武2・3年に限定した史実確認だけにお手上げであるが・・・・・

12月10日(火)


徒歩帰宅。
メールのミスマッチで連絡が途切れていた県歴史博物館専門学芸員の大本さんから『一遍会報』(第415号)の校正が届く。
①日本古代の年号と『伊予風土記』②『万葉集』と新年号「令和」-大伴旅人をめぐる政治状況ー
併せて、講師からの「一口メモ」も届く。
『一遍会報』の割り付けとHPアップロード。これで一件落着。
午後、「友隣サミット」。「友輪荘」で「二段重おせち」(@9,000円)予約。これで今年同様に正月三ケ日を楽しめそうだ。一件落着。徒歩「エデン」。
夜、『文芸春秋』正月号を読む。

12月9日(月)

徒歩帰宅。
今年届いた年賀状の所在が不明、慌てるも発見できず。いやはや。
クリーニング店、郵便局に立ち寄り、松山市駅前のチケット店で賀状150枚購入(@60円)
12月・1月業務計画チェック。徒歩「エデン」。
『文芸春秋』正月号に目を通す。
〇「英語教育が日本を滅ぼす」藤原正彦
〇麻生太郎「安倍総理よ 改憲へ4選の覚悟を
〇美智子さまと緒方貞子の「絆」

12月8日(日)

昭和16年(1941)12月8日の「大東亜戦争」「真珠湾攻撃」「詔勅」の生の記憶はあまりない。後で作られた記憶だろう。78年前である。
伊予史談会12月例会出席。
1)志後野迫希世氏(伊達博物館学芸員)「江戸時代の地震被害にみる絵図と古文書の活用」
2)平井誠氏(県歴博学芸員)「地図に見る愛媛の近代都市―松山・今治・宇和島を中心に―」
災害多発の近年、風水害、地震の歴史的な調査が流行しているが、今回もその流れの中での研究報告である。
歴史研究なのかどうかは別として、災害情報としては貴重であり、大いに参考にはなった。以前のような地味な研究の集積といった方向ではない。情報の集積か。
午後、田中さんと足利氏、河野氏、遊行上人の鎌倉での絡みについて情報交換する。
伊予史談会2月発表の「時宗奥谷派の盛衰」の論旨・史料の構成がほぼまとまった。結構興味ある南北朝期の郷土史になりそうだ。
この論文を一部修正すれば一遍会3月度例会「宝厳寺小史(中世)」で発表可能である。大助かりである。
NHK 大河「いだてん」、「ぽつんと一軒家」を楽しむ。

【メモ】
 建武二年二月(1335)、通盛(通治)が藤沢道場参詣、従者久万太郎左衛門通賢が上人の弟子となり「久阿弥陀仏」となる。『遊行・藤沢歴代上人史』(注)建武三年(延元元年)『望月崋山『時宗年表』
河野通盛(通治)は安国上人を頼って遁世を乞い、上人はこれを鎌倉建長寺南山士雲(1254~1335)に請うて得度「善慧」させている。(参考 石野論文 浅山圓祥論文)
建武二年八月、足利尊氏は征夷将軍として、幕府回復を図る北条高時の子時行を破り鎌倉に入り、武家政治の再興を宣言。この前後に南山和尚の推挙で尊氏と面会し、結果、尊氏から通盛(通治)に安堵状が出される。
「伊予国河野四郎通信跡の所領等の事 元の如く安堵すべきの状如件
  建武二年九月十六日 尊氏 判  河野対馬守入道殿」(善応寺文書) 184

12月7日(土)

昨夜の「椿の湯」のお蔭か、一度目が覚めたが、7時に目覚める。快眠・快食・快便で一日を送りたいものだ。
寒い。洗濯。
終日、「時宗奥谷派の盛衰」の史資料の検討と執筆。リビングの片付けとコタツの設置。
「ブラタモリ」(花巻 宮沢賢治)
「椿の湯」。

12月6日(金)


早朝4時に目覚める。「時宗奥谷派の盛衰」の史資料を検討。二度寝して7時起床。
エデン シアターで日本映画の名作『静かなる決闘』(1949年)を鑑賞する。監督:黒澤明 出演:三船敏郎、三条美紀、志村喬 (95分)学生時代名画劇場で見た記憶はあるが、定かではない。
野戦病院での手術中に当時不治とされた梅毒をうつされた青年医師が、一人で病と向き合う覚悟を決めて誠実に生きようとした姿を描いたヒューマン・ドラマ。
父親である老医師、婚約者、医師を敬愛する看護婦、梅毒患者とその妻などなど登場人物の個性が明確であり、感動がこみ上げて来る。次は『生きる』で「ゴンドラの歌」を聞きながら思いっきり泣くとするか。いやはや。
送迎バスで帰宅。昼食は「花楽里」(カツカレー)。
12月度子規俳句鑑賞エッセイ執筆完了、HPにアップロードする。ファミリーに定期便(妻の「七の百四十四日」)を送る。妻と死別してから1千日が経過したことになる。
夕、義安寺に墓参「フジ」で食料を調達する。
「椿の湯」。
【⇒俳友】
令和元年十二月 「雪の日や巨燵の上に眠る猫  子規」
子規記念博物館(館長 竹田美喜氏)監修の子規さんの令和元年十二月の句は「雪の日や巨燵の上に眠る猫 子規」です。
『子規全集』第二巻 俳句三「寒山落木」493頁(明治二十三年)と第十三巻 小説紀行 「銀世界」(権妻の雪)に掲載されています。季語は「雪」(冬)です。
鑑賞としては、雪の降る寒い日、温かい炬燵の上で、猫が気持ちよさそうにねむっている。作者もこたつで猫と一緒に眠っているという情景でしょうか。外の寒さと家の中の暖かさの対比が鮮やかです。もっとも、「雪の日」と「巨燵」は季重なりですが、実作者のもなさんは如何お考えでしょうか。
子規の友人夏目漱石の処女作『吾輩は猫である』のイメージが強くて、珍野苦沙弥先生と飼われている猫の漱石邸のある日の情景が浮かんできます。
実はこの句は子規の短編小説「銀世界」に載っています。といっても、子規さんの小説は読んだことがないので、今回は子規博の学芸員である西岡美咲さんの解説を引用させていただきます。
(注)西岡さんの解説の文章中、「この句はその内の「権妻の妻」という題名の句」とありますが、正しくは「権妻の雪」です。誤植でしょう。
・・・短編小説「銀世界」は、雪景色にちなんだ全五編の小説です。この句は、その内の「権妻の雪」という題中の句で、主人公の「権妻」は、正妻ではない妻のことです。この物語は、旦那が本宅に帰ってしまうのを惜しむ情勢の目線で描かれています。旦那が帰った後、権妻はこたつで暖を取りながら酒をのみ、眠くなってしまいます。そのこたつでは、外の雪の寒さを知らぬ気の猫が、あたたかそうに眠っています。・・・
この句を詠んだ明治二三年一月は、子規の松山帰省中です。この頃の子規は、新海非風、五百木瓢亭の三人で合作することを日課にしており、非風と二人で「山吹の一枝」という作品を執筆しています。二三歳というと、今日では大学を卒業して実社会にスタートした時期ですが・・・・・
子規さんにあやかって一句
「雪の日や炬燵で絡む猫と足   子規もどき」

12月5日(木)

昨夜貴重な「名刺入れ」の不明に気付き、「エデンシアター」はキャンセルして朝食後徒歩帰宅。30分ほど探してやっと「発見」す。やれやれ。
休暇村ツアー①中部、②九州とJR「四国家(伊予吉田)」の写真をパソコンに取り込む。「エデン」の夜なべ作業に充てるかな。
午後、「時衆奥谷派の盛衰」執筆作業は、南北朝期の遊行上人と武家との鬩ぎ合いにさしかかる。楽しい作業となる。
夕、徒歩「エデン」。
TV「プレバト」。
森口瑤子「ブティックの鏡うそつき落葉蹴る」
千賀健永「黒革の匂い雪の滑走路」」

12月4日(水)

早朝、遊行上人と武家の絡みについて思索する。足利と河野氏の出会いも興味あり。遊行上人の斡旋があるような、無いような・・・・・
徒歩帰宅、ゴミ出し。終日、業務作業だが結構疲れる。事務処理能力が低下してきているということか。
1)一遍会12月例会マスコミ・ミニコミ案内
2)一遍会10月・11月収支決算ならびに銀行残高確認
3)銀行定期預金手続き&郵便局株式配当金手続き
4)JR 「四国家ツアー」アンケート
5)庭木剪定依頼(シルバーセンター)
年末の忘年会で「エデン」と「松山歴史文化研究会」がバッティング。歴史談義で年末を送ることとするか。
夕、徒歩「エデン」。年末・年始の行事を精査する

12月3日(火)

晴天。朝、バスにて帰宅。20度Cにエアコンをセットして懸案事項の処理に注力す。
12月22日(日)徳島で開催する「三好長慶」公開講演会・出版記念会に息子二人が参加してくれることになり三好長慶会出水厚生会長にメール連絡。
杉野理事に『一遍会報』論文「良忍伝と融通念仏宗」寄稿依頼。
午後、子規俳句鑑賞エッセイ、九州休暇村旅エッセイ,伊予史談会講演「時衆奥谷派の盛衰」原稿執筆。
夕、徒歩にて「エデン」。引き続き執筆。

12月2日(月)

昨夜半から雷鳴交じりの雨である。
午前中に九州休暇村の旅をまとめる。子規さん12月度俳句鑑賞エッセイを除いてHP一遍会の12月度更改版をアップロードする。
12月22日徳島で開催の「三好長慶会」の講演会。出版祝賀会の内容を息子に流す。休日でもあり参加であれば2ヶ月ぶりに再会できる。楽しみである。
午後、郵便局。16時、12日ぶりに徒歩にてエデンに帰る。本宅と別宅の生活、結構エンジョイしているなと思う。

12月1日(日)


朝から一遍会業務。
1)HP一遍会の12月度改定作業
2)青山淳平講師宛「一遍会報」校閲依頼
3)大本敬久講師宛「一遍会報」校閲依頼 12月度例会テーマ等確認
4)杉野祥一講師「一遍会報」寄稿依頼
子規博(12月度子規さん俳句「雪の日や巨燵の上に眠る猫(明治二十三年)」確認)
午後、前週の日誌(九州休暇村めぐり 伊予吉田伊達3万石歩き)執筆。
戒田さん来訪、庭の整備をしていただく、有難し。戒田氏寄稿論文掲載『一遍会報』20部贈呈。
NHK「いだてん」、「ぽつんと一軒屋」。
11月30日(土)

6時起床。まずはリビングの片づけからスタート。「チコちゃんに叱られる」を見て、いつもの生活リズムを取り戻す。
午前中「湯築城歴史塾」(本年度最終回)出席。梅木、神尾君に会う。
テーマは「伊予府中の寺社勢力と河野氏の文芸」、講師は川岡勉氏(愛媛大学教育学部教授)。宝厳寺小史で取り上げる内容でも大いに参考になった。
特に「大山祇神社法楽連歌」の連歌師の統計的な分析は、調査時間の大幅な節約になった。
『禅時論』は託何上人とされるが仮托と思われる。道後宝厳寺の時衆に関係ある一文であり、来春2月の伊予史談会の講演では細部を説明したい。
義安寺墓参後、「にぎたつ会館」でランチ&スパ。
午後、資料整理とファミリーへの定期便。
NHK「ブラタモリ」(“岡山といえば桃太郎”なのはナゼ?)

11月29日(金)


松山駅10:16 発特急「宇和海」で伊予吉田駅11:28着。JR関係者(宇和島駅長、JR「四国家」事務局)と吉田町観光関係者ほか10数名の出迎えに驚く。歓迎式典を済ませ「もう一つの伊達家 吉田3万石の街」の下、バスと徒歩で半日過ごす。ガイドは河野哲夫さん。@8,800円
1)国安の郷・・・御用商人法花津屋三引高月家の本店(移築)が核となった施設。 
2)大乗寺・伊達家墓所・・・「果祖田間守公御廟所」、吉田藩主伊達宗純公他歴代、伊達兵部一族の墓など
3)吉田陣屋跡・・・①簡野道明記念図書館 ②時観堂址
4)町並み散策・・・①家中町 ②町人町 ③「元祖河合太刀魚巻焼」
5)真珠会館
6)特記 ①吉田秋祭の神鋼幸行事  ②簡野道明、山下亀三郎、村井保固、清家吉次郎、村松春太郎、松尾武美 ③国安川 立間川 横堀川

伊予吉田駅17:17発特急「宇和海」で松山駅18:35着。道後温泉駅前のローソンで弁当とビールを調達。早めに「椿の湯」で体を休める。

11月28日(木)


九州休暇村めぐりの最終日を迎える。9時出発なので朝ドラを見る。

知覧に入ると、道路に沿って両側に並ぶ灯篭の多さに驚く。いうまでもなく大東亜戦争終末期の特攻隊への追憶であり、戦争への反省もあろう。『聞けわたつみの声』に生き残った人は何と応えたら良いのか。カントの『永久平和の為に』からも回答は引き出せない。戦争は外交の一手段であり、最終の武力解決でもある。「平和の為の戦争」は今日的課題でもある。

知覧は阪急や読売のバスツアーで数回訪ねているが、地元のガイド付の「知覧武家屋敷名勝庭園散策」は初めてである。88歳のやや助べえのガイドだが、これもまた一興か、とは言えご婦人には如何なものか。
知覧の庭園はこじんまりだが、どこか中華的、沖縄的は雰囲気である。①西郷恵一郎庭園②平山克己庭園③平山亮一庭園④佐多美舟庭園⑤佐多民子庭園⑥佐多直忠庭園⑦森重堅庭園が
コースである。
弘前の武家屋敷群と比較すると大分貧弱だが、手入れは行き届いている。松山には武家屋敷は皆無である。佐多家が多いが,島津家の分家であり、佐多氏が当地の地頭であった由。しかも島津姓が許されていた名門家である。四国の佐田岬ではなく当地は佐多岬である。
錦江湾に沿って鹿児島市に戻り、西郷どんの話を聞きながら「城山観光ホテル」の昼食となる。男性シングル4名が同じテーブルで「最後の正餐」を頂く。波長が合ったのは名古屋の銀行OB、他の一人は寡黙な「カメラマン」、もう一人は柔和なおじさんといったところか。
新八代駅15:23発「さくら」号で岡山18:02着、売店で弁当、ビールを調達、「しおかぜ」号で松山に向かう。21時半頃帰宅、神戸のファミリーの安着のメールを送る。

11月27日(水)


休暇村南阿蘇8:30出発。口之津港からフェリー30分で鬼池港着。バスで崎津に向かう。駐車場から徒歩20分余で「崎津教会」(長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産)に着く。集落内を散策、静かな集落も世界遺産の指定で観光ラッシュになった由。
牛深港傍の「うしぶか海彩館」で新鮮な魚でのランチ。 
フェリーで「蔵之元港」に向かう。   
17時過ぎ「休暇村指宿」に着き、まず休暇村にある砂蒸し温泉に入浴し汗とともに疲れを発散させる。六白黒豚しゃぶしゃぶコースで腹満腹になる。

11月26日(火)


休暇村南阿蘇出8:20発。ツアーで数回訪ねた日本の原風景が残る高千穂である。見所は①天岩戸神社②天安河原③高千穂神社④高千穂峡か。地元ガイドについて回ったが、足が悪伊野で一行に遅れまいと必死の散策となる。いやはや。
高千穂神社近くの国民宿舎であった(?)場所に昨年開業した「ソレスト高千穂ホテル」で郷土料理のランチ。前回は当地の旅館に宿泊して、妻と「夜神楽」を楽しんだのだが・・・・・ 
熊本港に出て、フェリーで島原港に向かう。「休暇村雲仙」に着いた頃には日没。「秋会(伊勢海老のお造り、のどぐろ塩焼き、味噌汁」とビュフェの献立。熱燗に気持ちよく酔う。)
休暇村雲仙は温泉ではない。驚きとショックである。休暇村の中ではワーストクラスである。さもありなん。大浴場に体を浮かせて、新婚旅行で宿泊した「九州ホテル」のことを回想する

11月25日(月)


5時頃に目覚めたが、朝湯も朝の散歩も今回のツアーでは遠慮することにして体力の温存を図った。
7時からNHKBSのニュース、「おしん」「」を見てから朝食(控えめ)。9時ホテルを出立、県境を越えて日田に向かう。昭和33年(1958)卒業旅行で松澤泉君と別れて久大線で別府に向かったとき「夜明」「日田」と駅名が続き、維新の青年たちの感慨を共有したことを思い出しました。飛騨高山と同様に日田は天領である。日田のボランティアガイドは歌も上手く、心底日田を愛している思いが伝わってくる。
日田の本陣の案内はなかったが町屋を一時間かけて散策する。江戸末期から昭和初期までの建物郡である。町づくりの先駆的な町だけにマスタープランの素晴らしさに感嘆しました。内子町や卯之町の関係者にも是非見学してほしいと思いました。
水害の跡も残ってたいますが・・・・・

1)上町通り:清酒薫長醸造元・日本丸館(薬舗)・天領日田はきもの資料館・広瀬淡窓旧宅(記念館)
2)土産物通り
3)御幸通り:草野本家・天領日田資料館・豆田まちづくり歴史交流館

「大はら茶屋」で山里料理。参加者24名中シングルが7名(男性4名、女性3名)が同じ席になる。

次いで「鍋ヶ滝」(滝の裏側から見学)を見て、一路阿蘇に向かう。大観峰(ライ山陽命名)からの展望はイマイチで外輪山の全貌は見えず、残念。
暗くなってから休暇村南阿蘇に到着。ビュッフェの夕食。入浴は勿論温泉。
11月25日(月)

昨夜は「休暇村志賀島」宿泊、本日は「日田」の町を歩きました。11月25日(月)

昨夜は「休暇村志賀島」宿泊、本日は「日田」の町を歩きました。町づくりの先駆的な街だけにマスタープランの素晴らしさに感嘆しました。内子町や卯之町の関係者にも是非見学してほしいと思いました。
60数年前に国鉄の「夜明駅」で維新の青年たちの感慨を共有したことを思い出しました。
今宵は「休暇村南阿蘇」に泊まります。水害の跡も残ってたいますが・・・・・

60数年前に国鉄の「夜明駅」で維新の青年たちの感慨を共有したことを思い出しました。
今宵は「休暇村南阿蘇」に泊まります。水害の跡も残ってたいますが・・・・・


11月24日(日)

松山駅 発    で岡山駅 着。駅弁を車中で食べる。岡山駅   発新幹線「さくら」で博多駅  着。添乗員は顔なじみの福岡さん。気遣い満点であり、今回のツアーも大安心である。博多駅からは九州中央交通専用バスで休暇村志賀島着。ガイドはベテランである。
志賀島は「金印」が発見された地である。10年近く前に福岡市博物館で実物を拝見し古代のロマンを感じた。志賀島に温泉が出るとは知らなかった。夕食(ビュフェ)の後、ゆっくりと温泉に入浴する。

11月23日(土)


書斎に面した庭のもみじも紅葉し、ガラスとにすり寄ってきている。晩秋の風情である。
晴天、洗濯から一日が始まる。
『いしぶみ』の「三好保徳」について校正の依頼あり、廣田章子さん宛てに返信。プリンターを更新したので『一遍会報』第  号を際印刷。
令和二年の賀状原稿を記す。推敲の上、12月中旬に印刷するか。
夕、「しげまつ」で散髪。主人から古茂田、白石の名前が出る。これに山本を加えると同期の悪餓鬼4名は常連客らしい。いやはや。
今夜も早めに「椿の湯」。残念ながら地元の常連に会えず。
【メモ 年賀状(案)】
謹んで新年をお慶び申し上げます令和初の新年を迎えます。独居生活も三年になりましたが、お蔭さまで「日日是多忙」にて過ごしております。
一遍会、松山子規会、伊予史談会、松山歴史文化研究会、東雲女子大で一遍上人や正岡子規を中心に松山・道後の歴史を語る機会を与えられ、図々しくお話しています。
昨年NHKが「天下人三好長慶」を放映しましたが、小論「伊予の三好姓と『三好長門守秀吉』」を発表し「伊予三好会」の具現化を図っております。このプロジェクトは息子たちに期待をつないでおります。
昨年春には三陸鉄道の全線開通に併せて東北六県を回り、夏には信越北陸、秋には京阪奈美濃、冬には九州と一人旅を楽しんでおります。
お蔭さまで健康状態はまずまずで、杖はついておりますが、一日1万歩を老いの一徹で実行しております。他事ながらご休心ください。
四国遍路などで道後温泉にお立ち寄りの節はお知らせください。お会いしたいものです。
ご家族皆々様のご多幸とご健勝を心からお祈り申し上げます。本年もよろしくお願い致します。     

11月22日(金)


猛烈に寒い一日・・・冬到来の感じである・
エデンシアターは日本映画「同胞(はらから)」(1976年 監督:山田洋次 出演:倍賞千恵子 寺尾聰 岡本茉利 128分)。40年以上も前の映画の再度上映???
バスにて帰宅。ランチは「花楽里」の「野菜カレー」。
リビングに初めて暖房を入れる。NHKFMでオペラを流しっぱなし。
午後、「お助けサンライオン㈱」(山根晃彦社長)によるプリンターのセット作業。これで年賀状作成はOK。やれやれ。
今日は語呂合わせで「いい夫婦の日」。義安寺墓参、亡き妻との思い出にひたる。
12月、1月の行事予定の検討
早めに「椿の湯」

11月21日(木)

エデンシアターはイギリス映画「ウインストン・チャーチル」(2017年 125分)は封切り時に観たので、9時徒歩帰宅。
キャノンプリンターの調整に入るが、残念ながら、ギブアップ。愛媛CATVに電話して訪問修理を依頼する。(明日午後)
ランチは大街道「すき家」の「すき焼丼+味噌汁」。旨い。「三越」をぶらつく。
「千住博展」を観る(無料)。価格は600万~1200万円・・・正直、こんなに高価なのかと思う。
「ウォーターフォール」「朧月夜」「イチョウ朧月」「断崖図」など、千住画伯ならではの作品である。
杖のゴムキャップ、パイロットインクなど、ぶらぶら歩きでやっと売り場が分かった。(杖は靴売り場、文房具は?)
大街道から16時「バス」。
TV「プレバト」。
【メモ プレバト俳句】
名人 乗り換えのマフラーの波寡黙なり 梅沢冨美男
1位 口づさむアトムの出だし冬銀河  橋本良亮
2位 月曜の副都心線秋思   美保純
3位 網棚の小さきマフラー「Y」の文字 千原せいじ

11月20日(水)

9時帰宅。プラスティックごみ出し。
「遊行上人と武家」に関して、研究ステップが1段階上がる。(詳細メモ)
プリンタートラブル・・・お手上げである。
17時エデン。

【メモ】
遊行五代 安国(1279~1337)
①元弘三年 北条高時自刃。南部藩士切腹。『過去帳』。遊行寺墓有り。
②元弘三年五月二二日、京都六波羅探題北条仲時、時益らの軍も破れ、近江番場の堂(時衆・蓮華寺 現在は浄土宗本山蓮華寺)で仲時以下屠腹(『太平記』)『過去帳』墓有り。
③建武二年二月(1335)
河野通盛(通治)が藤沢道場参詣、従者久万太郎通賢⇒「久阿弥陀仏」となる。
河野通盛は安国上人を頼って遁世を乞い、これを鎌倉建長寺南山士雲(1254~1335)
に請うて得度「善慧」。
伊予国安国寺(現臨済宗妙心寺派 温泉郡川内町則之内):暦応二年(1339)、足利尊氏開祖、夢窓疎石の法(□ジ)普明妙□(?~1388)を開山として、守護河野通盛が建立。

11月19日(火)


ジパング企画ツアー「もう一つの伊達家 吉田藩3万石の街」が手配済みであったのでワ―プ松山支店で購入。『文芸春秋』次年度定期購読手配。昼食は「セブン」の蕎麦。
午後、松山子規会11月例会出席(正宗寺)
1)佐伯健理事「砂土手再考」
2)小林祐代(さちよ)氏(虚子記念文学館学芸員)「『ホトトギス』の役割分担―東遷前後における虚子の活動を中心に―]
小林さんの資料から俳人虚子でなく青年虚子の実像が浮かび上がる。個人的には素晴らしい報告であったと思う。虚子が長兄(政忠)に依頼した「ホトトギス」の当座資金三百円の調達だが、夏目漱石の中学での月額給与六十円が念頭になかったか・・・・・
散会後時計のガラスの外れに気付きワープに受け取りに行く。専門店での修理の要あり。
「喪中はがき」に「加藤」君の名前あり。昭和38年入社組で最も信頼した人事労務のエリートだが80歳を前に去った。
金久、中川(裕)、中川(健)、平山君たちは元気だろうか。我が同期の人事労務マンはみんないなくなった。嗚呼。

11月18日(月)

朝から天気が崩れ始まる。夕方から雨になる。
JAバンク担当者来訪、定期預金の更改処理。
一遍会IT会員へ「定期便」を郵便局から発送する。宝厳寺檀家総代と子規博(竹田館長)には直接届ける。
田中さん宅に論文掲載の『一遍会報』第414号を持参する。
遊行上人と武家(北条家・足利家、南北朝期の武士、河野家)について情報交換する。
16時、連絡バスで「エデン」に戻る。



11月17日(日)

午前中、日誌等の整理。
午後、JR松山駅で来週初の乗車券手配を済ます。駅構内の食堂「徳島ラーメン」旨い。
「ダイキ」で一遍会IT会員への定期便の資料’(『一遍会報』「一遍会ニュース」「講師レジュメ」を印刷、「フジ」で封筒等を手配し、夕方まで発送準備。
NHK大河「いだてん」。19時過ぎ「椿の湯」。
戒田さん、昨日に続き来訪、有難し。

11月16日(土)

日誌の整理。勝岡氏宛メール(HP一遍会アップロード)。
午後、一遍会11月度例会。出席12名。寂しい。小沼代表、今村理事欠席。(13:00-15:30)
1)杉野祥一理事「良忍伝と融通念仏宗」
2)発須賀俊一理事「時宗本山遊行寺参詣ツアー『二祖他阿真教上人七百忌大遠忌』に参加して」
引き続き理事会で正月懇親会の打ち合わせ。
子規博で今夕の「子規亭寄席」の整理券受け取り(№100)。一旦帰宅。
戒田氏が庭の整美をボランティアでやっていただく。ありがたき哉。
「子規亭 林家正蔵・たま平親子会 寄席の江戸芸を楽しむ」(18:30~20:00)。中央7列目、べストポジションである。
正蔵師匠は①「一つ目小僧」②「幾代餅」、たま平は2017年「二ツ目」に昇進した正蔵の長男である。たま平は熱演だが出し物は忘れた。次男も入門の由。「幾代餅」同様の噺は「紺屋高尾」で耳にしている。この方のオチには色気があるのだが・・・
お土産は「水口酒造」から①「伊予の薄墨櫻 うるおいマスク」②「道後ビール ビーフシチュー」。単夜券@4,000円に土産代は含まれているのかな。上野「鈴本亭」では高くて2,000円といったところか。ともあれ、道後の寄席の灯は守り続けねばなるまい。
席亭でもある竹田子規博館長に「江戸の遊里遊廓また好し」と言葉を交わした。「幾代
餅」での吉原の花魁の花代が15両、1両を13~15万円とすれば、195~225万円である。
帰宅後、遅い夕食。冷え込みが厳しいので「椿の湯」には出かけず、温かくしてベッドイン。

11月15日(金)

エデンシアターで日本映画「ソローキンの見た桜」(2019年 監督:井上雅貴 出演:阿部順子、山本陽子、ロデオン・ガリュチェンコ 111分)。
原作は青山淳平氏(作家)の『松山ロシア物語』『ロシア人俘虜へ一生を捧げた日本人』だが、原作とはまったく違った脚本になっている。見事というほかない。
映画の展開はロシア人将校ソローキンとミッションの教師で看護婦を志願した「ゆい」の愛の物語以上に、ロシア革命の動きとドッキングさせて見事な作品になっている。
「花楽里」で野菜カレー。
午後、銀行、コンビニ、一遍会11月度例会資料印刷、整理。
『松山百点』から道後周辺の川と橋についての取材。「御手洗橋」(みたらいばし・みたらしはし)について写真取材のポイントを伝える。道後の人も驚くに違いあるまい。
夕食後、「チコちゃんに叱られる」は見ずに、一週間ぶりに「椿の湯」。冷え込んできた。
22時就寝。

11月14日(木)


早朝4時過ぎから「11月度子規さん俳句」の鑑賞エッセイ執筆。
午前中
①昨日修理したパソコンのセット 
②新規プリンターのセット 
③新規電話機のセット 
心配だったが、何とか細かい注意事項もチェックし、3台ともに順調に動く。やれやれ。
④「11月度一遍会ニュース」編集並びに一遍会例会資料(原本)印刷
⑤明日は結構忙しいので、ファミリーに週末定期便「妻の七の百四十一日」(没987日目)のメールを送る。週初の神戸・大垣・奈良寄稿エッセイを併記する。
「子規さん俳句エッセイ」では青春の思い出を記す。
夜「プレバト」。
【→あなたへ】
ひさしぶりに法隆寺を訪ねました。足が弱くなり杖を突いていますので駅からお寺まで歩くのが億劫になり、最近は近鉄で西の京(薬師寺・唐招提寺・西大寺)を訪ねることが多くなりました。薬師寺では毎年写経をして、在りし日の高田好胤師を偲んでいます。JR法隆寺駅と法隆寺までの循環バスが1時間に3本出ており助かりました。

南大門―西室―西円堂―中門&回廊―【西院伽藍】(五重塔・金堂・大講堂)―子規句碑&池―東室―大宝殿院(百済観音、夢違観音、玉虫厨子)―夢殿(救世観音像)から中宮寺(如意輪観世音菩薩半跏像、「天寿国曼荼羅繍帳」・・・・・と、60年前と同じコースを回りました。

五重塔内陣の説明を旅行中の女子大生がしてくれました。「東面は維摩居士と文殊菩薩の問答、北面は釈尊の入滅、西面は釈尊遺骨(舎利)の分割、南面は弥勒菩薩の説法などの場面です。」 お返しに女子大生に「聖徳太子の道後来湯」の話をし、「あなたに会えてよかった」と感謝の気持ちを伝えました。にっこり微笑んでくれました。初めてあなたに出会った六十年前の記憶がよみがえってきました。

「奈良は古寺古仏」ではありますが、法隆寺の内部は雰囲気が随分変わりました。
金堂の内部には昭二四年(1949年)の焼損の翳はまったく感じられません。百済観音は豪華な大宝殿院に安置されています。もっとも変わったのは、中宮寺のお堂です。改築されたのは50年も前ですが、古ぼけたお堂に安置された如意輪観世音菩薩半跏像と左手前にあった「天寿国曼荼羅繍帳」・・・国宝の繍帳は奈良国立博物館に寄託されています。庭には会津八一の歌碑が目立たぬように立っています。

 あなたがご壮健なら傘壽を迎えられたのですね。如意輪観世音菩薩半跏像とあなたがダブって「永遠に女性なるもの」を真剣に考え悩んだ青春でした。やがて妻を知ることになるのですが、妻は私を残して数年前に突然旅立ち、私にとって「永遠に女性なるもの」として菩提寺に眠っています。

偶然ですが、法隆寺の西伽藍の回廊を歩いている時に正午を知らせる鐘の音が聞こえてきました。子規も聞いた鐘の音です。回廊を出て、池のたもとに立つ子規の柿の句碑を眺めながら、「柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺」と「行く秋や奈良は古寺古仏」を口に出しました。「鐘の鳴るなり」でなく「鐘が鳴るなり」の真実が分かった次第です。

子規と漱石が散策したコースを案内してあげたかったと今になって思う。せめても子規さんにあやかって子規もどきの一句をあなたに捧げる。
「秋冷や伊予は湯泉(ゆ)の国媛(ひめ)の国    道後関所番」

11月13日(水)

早朝4時過ぎから『一遍会報』の校正。校正原稿を執筆者の田中氏にメールする。数回メールのやり取りがあって夕方最終原稿が届く。
午後「エデオン」に出かけ、故障中のパソコンの調査・修理を依頼す。リセットすることなく、機能回復する。「スリープ」でなく「電源を切る」方がベターであるとのアドバイスを受ける。
20年使用しているファックス機能付き電話機もトラブル多く、新規に購入する。勿論パナソニックにした。
夕、伊予鉄バスで帰園。21時就寝。


11月12日(火)

朝食後、溜まった新聞や郵便物に目を通す。再配達の依頼、CATVテレビのミスマッチの連絡、JAバンク担当者訪問、金利が0.2から0.15に切り下げの依頼である。銀行の苦境は事実であり「金持ち喧嘩せず」ではなく「年寄り喧嘩せず」で了解の旨伝える。担当のベテラン女性はほっとしている。
『一遍会報』第414号(11月例会配布)の田中弘道理事原稿「日本の大航海時代の終焉」の校正作業。フロイス『日本史』の翻訳の硬さが今日の日本語になじまないので、読みにくい。何とか読みやすくしようと腐心するのだが・・・
「セブン」で牛乳、卵、サラダパックと「ざるそば」を調達。14時から「友隣サミット」(小中学悪餓鬼連)出席。渡部(校長)君欠席・・・おそらく日程ボケか。
17時徒歩にて帰寮。『一遍会報』の校正を続ける。

11月11日(月)

「1111」は中国では「独身」を意味し、インターネットの大バーゲンが展開するとか。日本では障害者の道路標識(文字盤)か。
6時半ホテルで朝食。朝ドラは辛抱して、7時半駅前からバスで「奈良国立博物館」に向かう。一時間待ち、第一陣で「第71回正倉院展」を鑑賞する。今回は御即位記念でもあり41件が出展されている。
「鳥毛立女屏風(6枚)」「衲御礼履」(儀式用靴)「赤漆文●木御厨司子(ケヤキの戸棚)」「紫檀金鈿鈿柄香炉」(柄の付いた香炉)「螺鈿紫檀五弦琵琶」(インド期限の琵琶)などなど。教科書や一度見たことのある作品もある。「子日手辛鋤」(ねのひのでからすき)「子日目利箒」(ねのひのめとぎのほうき)なる儀式用の鋤や箒があり、来年の干支でもあり記憶に残った。
入場までの一時間、隣に並んだインテリ女性と、歴史から映画論まで語る。楽しいひとときになる。前回は切符購入で並んでいたら見知らぬ紳士から招待券が余ったのでと手渡してくれて第三陣で入場できたラッキーがあった。
東大寺・春日大社参拝はあきらめて、奈良駅から斑鳩(法隆寺・中宮寺)に向かう。法隆寺駅から1時間3本のバスが出ている。助かった。乗客多し。法隆寺・中宮寺は10年振りか。
南大門―西室―西円堂―中門&回廊―【西院伽藍】(五重塔・金堂・大講堂)―子規句碑&池―東室―大宝殿院(百済観音、夢違観音、玉虫厨子)―夢殿(救世観音像)から中宮寺(如意輪観世音菩薩半跏像、「天寿国曼荼羅繍帳」本物の国宝は奈良博物館にて保管)・・・・・
五重塔内陣の説明を旅行中の女子大生がしてくれる。東面は維摩居士と文殊菩薩の問答、北面は釈尊の入滅、西面は釈尊遺骨(舎利)の分割、南面は弥勒菩薩の説法などの場面。お返しに女子大生に「聖徳太子の道後来湯」の話をする。
バスで法隆寺駅に出て、大阪駅から伊丹空港に直行。最終便(20時)は予約済みだが、16時45分発の3人並び×2列の中型機で松山に発つ。珍しくアクセスが順調で、昼食抜きとなる。
松山空港ではリムジンバスがなく「奥道後行き」普通バスでラッシュの混雑に巻き込まれながら19時過ぎにやっと道後に着き、コンビニで弁当を調達して帰宅。神戸に「安着メール」。食後、「一遍会11月度ニュース」を会員に流す。

11月10日(日)

風呂には入らず髭剃りのみ。7時前にホテルの朝食。「朝ドラ」を見て、快速で大垣に向かう。9時大垣に着く。大垣の代表的なファッション発信地であった「ヤナゲン」(デパート)が今年8月閉店、ショックである。
郭町を歩き、戸田藩10万石の大垣城に入る。何年振りかな。前回は船町(芭蕉筆結びの地)まで遠出したのだが・・・・・  館内の展示資料は充実しており、急な階段を上り最上階(4階?)から市内、濃尾平野を展望する。平城であるので、期待するほどでもない。前回と同様「大垣郷土館」を訪ね、「大垣藩校敬教堂跡」から「八幡神社」参拝(七五三詣で賑やかである)。
11時第35回鐘紡大垣会の会場である「クインテッサホテル大垣」に着く。ロビーで伊藤、室賀さん(旧姓)に出会う。高校と中学卒の「大垣工場同期生」である。ついで伊藤勲君。彼と同期の上野優君は今年死去した。ほかに山田鎮臣、森岡達郎、蝦名忠雄の三氏が物故、3名が後輩である。
Aテーブルは秋田久康、大津完、椎名義太郎(会長)、鈴木恒、吉田高久(元会長)と老生。吉田さんは90歳の由。皆勤の和歌山からの十川君の顔が見えない。列車の乗換えが億劫のこと、老化かな、すごく残念。安藤司、大島正光、楠本春男、手品の小林義則、塩本雄児、向井悦也君らと旧交を温める。出席は47名(男子33名 女子14名)。
12時開宴で15時過ぎお開きになる。「万歳三唱」の音頭をとる。松井研三さんとは大垣から米原まで同行、当方は新幹線で京都を経由し、JR奈良駅に向かう。

奈良駅前のコンビニ(セブンとローソン)で弁当とビール等を調達。「コンフォートホテル奈良」チェックイン。お気に入りのホテルである。閑静で、デスクが明るく、読書ができるのが良い。すべてがセルフサービスなのが却って 清々しい。炒りたての珈琲が旨く、結構何杯も飲んでいる。
18時、NHK大河「いだてん」に間に合う。夕食、入浴。TV「ぽつんと一軒家」を見る。やっと日常生活を取り戻す。いやはや。

11月9日(土)


道後温泉駅(06:42)で出発、松山駅07:20発「しおかぜ8号」で岡山駅には09:59着。岡山からは新幹線10:23発「ひかり466」で新神戸駅到着(11:29)。駅内で昼食を済ませ、地下鉄、モノレールを乗り継いで「医療センター駅」下車。
「動く歩道」を通り、路上の道を渡って「神戸大学医学部付属国際がん医療・研究センター」の建物に着くが、あいにくの休日でドアはクローズ。
一階の守衛室で申込書に必要事項を記入し6階のナースセンターで病室を確認、やっと長男との対面となった。
酸素ボンベ、麻酔コントロール壜、尿回収瓶などなど、いかにも手術後の痛々しい姿である。麻酔が効いており、痛みがないので、元気そうに話をしてくれる。安堵する。
14時過ぎに次男夫妻が来る。4人で語る。泰代が居ればなお良かったが、午前中に来院して帰宅した由。
16時過ぎに長男と別れ、三宮で次男夫婦と別れ、新神戸から17時新大阪乗換えで米原着。18時というのに真っ暗である。
駅のコンビニで弁当とビールを調達、駅前の「東横イン米原駅新幹線西口」というそのものずばりのホテルに宿泊。雨が降っても傘不要の、駅から至近のホテルである。信州への旅はここを起点に、始発・最終便でプランをたててみるか。 ホテルの近くにコンビにはあるらしい。
「チコちゃんに叱られる」で寛ぐ。21時ころベッドイン。

11月8日(金)


半月ぶりにバスにて帰宅。
「キャノンプリンター」セット。午後、文化講座「歌舞伎」⑥受講。テーマは「歌舞伎の音楽 ―清元『色彩間苅豆』(いろもようちょっとかりまめ)」
1)「語りもの」:義太夫節、一中節、常磐津節、新内節、清元節、浪曲等
「唄もの」:地歌、長唄、小唄等
2)本題名:『色彩間苅豆』、通称:かさね  初演:文政六年(1823)六月 江戸森田屋
「椿の湯

11月7日(木)


エデンシアターでアメリカ映画「駅馬車」(1939 監督:ジョン・フォード 出演:クレア・トレバー、ジョン・ウェイン、アンディ・ディバイン 96分)。懐かしい映画、懐かしい俳優である。大学時代に新宿か渋谷の「名画座」で見たのかな。
ジョン・フォード監督生誕120年の記念上映由。時代がかっているが、それぞれの人物の「個性」がはっきりしていて実に面白い。
大男なるも臆病な駅馬車の馭者、飲んだくれの医師、ウイスキー行商人、身重の将校夫人、前科のある女、大博打人、前科者(ジョン・ウエイン)と彼らに絡んでくる西部の男と女たち・・・である。
徒歩帰宅。ランチは「花楽里」のカツカレー。
神戸大学病院で手術を受け入院した恒治から電話で元気な声を聞く。安心する。週末に神戸に立ち寄り見舞う予定。
伊予史談会から講話は来年2月度例会との連絡あり、了承の返信する。テーマは「時宗奥谷派の盛衰~時衆奥谷道場(宝厳寺)と松前道場(定善寺)」とした。
田中氏から『一遍会報』寄稿原稿が届く(11月例会で配布予定)。
夕、徒歩にて帰園。
『文芸春秋』⑫読み始める。

11月6日(水)


昨晩は21時に就寝したので、早朝4時から宝厳寺関係史料を読み込む。
エデンシアターで日本映画「酔いどれ天使」(1946 監督:黒澤明 出演:志村喬、三船敏郎、山本礼三郎、小暮実千代、久我美子、笠置シズ子 98分)。懐かしい映画である。初めて見たのは中学時代か高校時代か?
戦後の混乱期の闇市を舞台に飲兵衛の町医者と結核にかかった若いチンピラやくざとの交流を描いた作品だが、救いのないフィナーレである。黒澤監督の「生きる」を見たくなった。
徒歩帰宅。ランチは「花楽里」の野菜カレー。
村上和恵さん(道後地区民生委員)宅に松山市への独居申請書を届ける。
恒治からのメールで本日神戸大学病院で緊急手術の由。折れた肋骨が肺に刺さっている由。来週初、奈良から直通で神戸に直行し見舞いに行くとするか。淳志には連絡する。
午後、伊予史談会例会の「パワーポイント」作成の準備作業に入る。
夕、徒歩にて帰園。

11月5日(火)


9時帰宅。
青山淳平氏と『一遍会報』につき打ち合わせ。
道後地区民生委員(村上和恵さん)来訪。①松山市・独居・ねたきり・認知症・高齢者実態調査表②松山市避難行動要支援申込書兼個別プラン③愛の一声訪問事業新規利用申込書など。
一人前の独居老人となった。いやはや。
夕、帰園。
午後、郵便局。
メール 三好長慶会(出水康生) 青山淳平氏(『一遍会報』寄稿)

11月4日(月)


8時過ぎ、息子たちを神戸に戻す。一週間も静養すれば勤務に戻れるだろう。それにしても兄弟で帰宅してくれたので事後処理」が助かった。尚子さんにメールで連絡する。クイックレスポンスあり。
午後やっと落ち着いたので、11月度の計画を検討する。伊予史談会、一遍会例会の発表をを活用することにした。初めての挑戦である。
エデンでの夜の作業となろう。
午後3時過ぎ、淳志から電話にて帰宅の報告あり。一件落着。17時、徒歩にて「エデン」に戻る。

11月3日(日)

伊予史談会11月例会出席。
1、能島村上氏に関する覚書―さらなる「海賊理解」を目指して 講師:大上幹広氏(村上水軍博物館学芸員)
2、加藤嘉明と初期松山藩関係資料 講師:山内治朗氏(愛媛県歴史文化博物館学芸員)
大上氏の例会報告は研究関係者の身内で話すべき内容、報告であろう。伊予史談会の例会報告としては如何なものか。
山内氏の報告は、12月の同館のテーマ展「松山藩の歴代藩主」のエッセンスの予告編であろう。なかなか充実している。加藤嘉明の松山治世が30年であったことに改めて驚く。
午後、恒治・淳志帰省。作業中に恒治が3米の枝から落下、野本病院に運ぶ。肋骨3本折れる大怪我だが特に治療法はなく自然治癒を待つのみとか。
本人の希望で「道後彩朝楽」に予定通り宿泊、父子3人で温泉に浴し、ビフテキを食べる。
二人をホテルに残して帰宅。TV「ぽつんと一軒屋」。   

11月2日(土)


昨晩NHK「チコちゃんに叱られる」を見なかったので「朝ドラ」のあと再放映を見る。
来週のゴミ仕分け作業。
江刺さん来訪。奥州における河野姓の「こうの」「かわの」呼称につき「えさし郷土文化館(野坂晃平学芸員)」の分析データ持参。
午後、愛媛大学宇宙進化研究センター講演会受講。講師は篠原育氏(NASA宇宙科学研究所准教授 「あらせ」開発責任者)、テーマは「太陽活動に伴って激しく変動するヴァン・アレン帯―「あらせ」衛星の挑戦」。正直、異次元の世界で皆目分からなかった。
再来週の「京都・大垣・奈良博物館の旅」のJRチケット購入。
NHK「ブラタモリ」は草津温泉(たっぷり・あつあつ・ピリピリ)。
「椿の湯」。

11月1日(金)


11月(霜月)に入る。全国的に快晴である。
エデンシアターは日本映画「不思議な岬の物語」(2014年 監督成島出 出演:吉永小百合、阿部寛、笑福亭鶴瓶 117分)。吉永小百合の旧年の作品で当然見ている。
鶴瓶が姉に当たる小百合に病床で「お姉ちゃん」と甘えるシーンは印象的だった。映画を見ずに徒歩帰宅。
一遍会11月度予告をメールで流す。
JA道後で「紅まどんな」の最高級品を予約、今月末には茅ヶ崎に届くと思う。義安寺墓参、ご住職とお盆以来3ヶ月ぶりに出会い、宗門の行事について話す。
子規博で「子規さん11月俳句」の「行く秋や奈良は古寺古仏」確認。瞬間によもだ俳句が浮かぶ。「秋冷や伊予は湯泉の国媛の国」。鑑賞エッセイ執筆はじめる。
行事が多い11月だけに、予定表を綿密に検討する。「椿の湯」。
【物故者】
中嶋章義(8月25日69歳)一回り違う鐘紡最後の社長。10年近く前に、鐘友会と連合三田会で話し合ったのだが・・・ストレスが彼の命をちじめたか。兄貴分の井上浩一君と、私の噂話をしてくれているかな。
荻野晃(9月25日77歳)30年入社の早稲田マン。労働組合の執行委員を務めた。酔うと「人生劇場」を歌った。
大橋荘作(5月26日99歳)大垣舎監当時、食堂主任として寮生の面倒をよくみてもらった。ご冥福を祈るや、切。
10月31日(木)

エデンシアターでアメリカ映画「ドリーム」(2018年 監督セオドア・メウフィ 127分)鑑賞。
人種差別が横行していた1960年代初頭のアメリカで、初の有人宇宙飛行計画を陰で支えたNASA の黒人女性スタッフ3人の知られざる功績を描く伝記ドラマである。実話だが、この映画で初めて知った。NASAの初の黒人女性管理職、数理分析で卓抜の成果を挙げ彼女の名前を付した研究室のある黒人女性天才数学者、黒人女性初の宇宙ロケット技術者の活躍である。
小泉元首相ではないが、見終わって「感動した」!!!。
ランチは「香楽里」の野菜カレー。
午後、HP一遍会11月度改定作業。
夕、「エデン」まで徒歩。
夜。「プレバト」(2時間)を見ながら眠る。いやはや。
○「色変えぬ松は渋沢栄一像」立川志らく(名人初段↑)
○「冬隣る振込み画面の静電気」皆藤愛子(特待生4級↑)
○「通帳にバリの絵葉書冬近し」バックン(特待生4級↑)

10月30日(水)

遊行寺参拝旅(1泊2日)の旅日誌をとりまとめる。早速ファミリーにメールで知らせる。
ジパングクラブ11月度のツアー申し込み。
(1)吉田藩三万石の街(①吉田ふれあい国安の里 ②大乗寺 ③吉田陣屋跡 ④吉田の町並み<旧藩校:時観堂跡ほか>)
(2)瀬戸内美術館めぐり(①川島猛アートファクトリー ②NAGARE STUDIO流政行 ③イサムノグチ庭園美術館④ジョージナカジマ記念館)
HP一遍会11月度改定作業。
夕、「エデン」まで徒歩。

10月29日(火)

朝6時のモーニングコール。熱海湾は朝焼け、真正面に初島が見える。温子と初島のリゾートに宿泊したこともある。元気だった当時のことを思い出す。朝風呂。アサドラを見て朝食(ブッフェ)。9時半に送迎車で熱海駅に出る。熱海駅発10:10で藤沢駅10:54着。改札口で松澤泉君の出迎え。顔色が白く病み上がりには見えないが、溌剌さは感じられない。タクシーで市内のカニ料理店「甲羅本店」に案内される。昼食をいただきながら1時間半、久々に懇談する。慶応時代の親友で就職では保証人。もう一人の高村ゼミの萱森君は六十代で亡くなった。
駅で奥様に会い、お土産を頂く(湘南名物「七色せんべい」、ゴヂバチョコレート)。大散財させてしまった。
13時過ぎ茅ヶ崎を発ち30分弱で横浜駅、東急みなとみらい線「馬車道通り」下車。神奈川県歴史博物館で開催中の「真教と時衆」(第二会場)見学。ガイドブックに載っている仏像、絵巻物、什器、身の回り品などのすべてを見たことになる。帰宅後、じっくり「復習」することにしよう。1時間半程かけて2回見て回る。
横浜に戻りYCAT発16:10で羽田空港、松山発最終便を一便繰り上げて17:15 発で松山空港に向かう。20時帰宅、ファミリーに安着をメールして夕食はコンビニの弁当。心配した雨にもあわず、予定とおりに旅をすることができた。

10月28日(月)

藤沢山清浄光寺(遊行寺)参拝に1泊2日で出立。
5時起床。駅前ローソンでサンドウイッチと「おにぎり」を購入、リムジンバス道後駅発(06:02)で松山空港。ANA(07:30)で 羽田空港着(08:50)。空港出口まで随分歩かせれる。9時台には藤沢行きのリムジンがないので、空港発09:25の「江ノ電バス」で大船に向かう。大船に着いたが、ロータリーがない。茅ヶ崎行きのバス乗り場が会社ごとに3箇所あり、それぞれ500米以上離れている。運が悪いことに「神奈川中央交通」のバス乗り場(JR西口)は3番目で、30分要した。「藤沢橋」で下車の予定だが、運転手が「足が不自由な老人」を気遣って2停留所「山王神社前」を案内してくれる。やっとのことで11時に遊行寺に着く。やれやれ。結果的には「小さな親切 大きなお世話」であったのだが・・・
災いあれば吉もある。たまたま栃木県安中市の「聞名寺」参拝団の法要中で、バスの運転手とガイドに説明しながら「見物」する。100歳の真円上人の「南無阿弥陀仏」の張りのある御声と御顔を二年ぶりに拝見することができた、ラッキー!木陰のベンチで昼食のおにぎり2個。
次いで、遊行寺宝物館で「時宗二祖上人七百年御遠忌記念特別展 真教と時衆」を遠山元浩館長の説明を聞きながら鑑賞する。寺務所で長澤昌幸師宗学林学頭宛への手土産と『子規会誌』(第164号)を修行僧に手渡す。ガイドブック(@2,000円)。境内の菓匠「いもと」のおばあさんに賑わいぶりを聞かせてもらう。
藤沢駅までは徒歩25分。14:21発「快速アクティ」で熱海駅15:11着、送迎車で「リゾーピア熱海」に15:40着。歩き疲れたのでしたので外出は止め、まずは温泉でゆっくりする。夕食は19時なので、「ガイドブック」に目を通し展示物の「復習」。
今回の「リゾーピア熱海」は招待なので夕食は「梅会席」(6,000円相当)。ビールと熱燗を飲む。今回はアジア系のツアー客はなく、夜10時頃の温泉は借りきりである。
  
10月27日(日)


一週間分の日誌、新聞、郵便物の整理。
上京のスケジュール、チケット、手土産(山田屋まんじゅう)など確認。
午後、小暮照著『パナマ運河を渡る風』読了。
○パナマ運河を渡る風(逃亡、金の蛙)
○ケーブ・ハンター
○女人禁制
○空中田園
NHK大河「いだてん」。
「椿の湯」

10月26日(土)

穏やかな秋日、且多忙な一日であった。
午前中、湯築城歴史塾④出席(子規博)。テーマは「戦国末期河野氏の肖像画について」、講師は土居聡朋氏(県スポーツ・文化部文化局まなび推進課生涯学習係長)。舌を噛みそうな職名である。いやはや。
龍穏寺が所蔵していた河野氏の肖像に関する人物特定の詳細な研究報告である。当家の旦那寺でもあり興味津々。どんでん返しもあり、一度自分なりに研究の追体験をするか。
コンビニのおにぎりを食べ、大街道12:20発伊予鉄バスで砥部文化会館に急行する。
砥部歴史講座①は山内譲氏(伊予史談会会長)講師の「南北朝内乱と伊予の諸勢力―大森彦七の時代―」。
来春の伊予史談会例会で「時宗奥谷派の盛衰 奥谷道場&松前道場」の発表があるので、中世史学の権威である山内氏の話はぜひ聞いておきたかった。ヒントをもらった。長野喜久男さん(湯築城資料館館長)の車に同乗させてもらって16時半に帰宅する。
19時半から90分NHK「プロフェショナル日本の心・吉永小百合」を見る。60年来のサユリストとして満足満足。73歳の彼女に最大限の賛辞を送ろう。「プロフェショナル日本人の心・吉永小百合」永遠のアマチュアであれ!!!

10月25日(金)

8時半のバスで帰宅。
ファミリーに週末のメールを送る。妻の「七の百三十八日」(没966日目)である。
一週間分の日誌、郵便物等の見直し。来週のアクションプランのチェック。特にANA、JR、羽田空港リムジンバスの発着時刻を再確認。加齢に伴い、不安になったようだ。
伐採庭木の片付け。湿度高く1・5時間でダウン。
大島真寿美『渦』(直木賞受賞作)読了。歌舞伎「妹背山婦女庭訓」は鑑賞しているだけに実に面白い。語り口はサマセット・モームか。冗漫のようだが、その冗漫さがいいのだ。
浄瑠璃作家「近松半二」の生涯がリアルに迫ってくる。名作である。
「フジ」で3日分の食材を購入。ビールを飲む。珍しくアルコールの三連荘である。
「チコちゃんに叱られる」(薬はなぜ苦いか? 小腸での吸収の為)を見て「椿の湯」。

10月24日(木)

朝7時半、伊予鉄バスで「エデン」に朝帰りして朝食。
午前中「エデンシアター」でコメディ映画「僕たちのラストステージ」(2018年 イギリス・カナダ・アメリカ合作 監督:ジョン・S・ベアード 出演:スティーヴ・クーガン、ジョン・C・ライリー  98分)を見る。
子供の頃見たか、ローレル&ハーディーのコンビは日本の「エンタツ&アチャコ」コンビかな。デブのハーディーの熱演が笑いをそそる。
11:40のバスで道後町に戻り「花楽里」でカツカレー。県文化振興財団の担当者と同席、会話する。
16時のバスでエデンに戻り月一回の「ほろ酔いサロン」で仲間とのおしゃべり。今回幹事が特に小暮さんと加藤さんの対面の席をセットしてくれ郷土史の話が中心になる。
小暮氏から自著『パナマ運河を渡る風』(創風社2007)を贈呈される。特に「女人禁制」(松山女子師範生徒の石鎚登山)を読みたい。
エデン図書室で大島真寿美『渦』(直木賞受賞作 文芸春秋社)を見つける。この2冊が今週末の読書の楽しみになろう
「プレバト」。少々アクが出てきたようだ。素直に喜び楽しめなくなった。
佐伯健氏に天童荒太の情報を流す。依頼のあった鉄砲鍛冶の岡氏について調査開始。岡氏は著名な鍛冶だが、松山藩の詳細は不明である。阿弥衆であれば「物語」は発展するのだが・・・

10月23日(水)

午前中「エデンシアター」で日本映画「七つの会議」(2019年、監督:福沢克雄 出演:野村満斎、香川照之、及川光男 119分)を見る。原作は作家・池井戸潤の小説。
11:40のバスで道後に戻り「花楽里」で野菜カレー。
午後、松山子規会役員会(紀国屋 15:30~ )引き続き懇親会。散会後、伊予鉄「スタバ」で懇談(烏谷・佐伯・戸嶋・嶌川&三好)
エデンへの最終バス(20:00)に間に合わず、自宅泊。

10月22日(火)


帰宅(9時~17時)。
雨が多かったので10日分の洗濯。
午前中、長澤昌幸(時宗宗学林学頭)著『一遍仏教と時宗教団』第六節「一遍教学とその展開」研究、特に融通念仏との関わりを検討する。
午後、『子規会誌』第164号(拙論「子規と遊里遊廓俳句」掲載)配布先検討。「エデン」の元教師2名に進呈することにする。できればこっそりしておきたいのだが・・・・・
「キャノンプリンター」届く。

10月21日(月


週初の「燃えるゴミ」出しから一日が始まる。終日、天候悪し、洗濯できず。
ラグビー・ワールドカップ日本×南アの準々決勝は3点×26点で敗れる。よく頑張ったものだ。一遍会11月例会予告をマスコミ・ミニコミに流す。
プリンターの印刷の乱れ(ノズル)修理は満点ではないが、まずまずの修正ができた。例会のレジュメ程度では活用できそうだ。
永井さん、パンフ「皆一緒大仏修行次第」(冊子)と「小田原うめ(チュウーハイ)」持参。
二祖他阿真教の本名につき『浄土惣系図』「踊念仏元祖」(西谷本)(名越本)に下記記述あり。(長澤昌幸『一遍仏教と時宗教団』)
伊予国革野一族、西山御弟子ニ聖達・観智ト二人之弟子也、念仏而忘他念、諸国遊行念仏元祖也
 (本名智心)  (本名小住心)
 一遍上人―――他阿弥陀仏   四国遊行相続之
「小住心」とはどういう意味づけか。革野は川野、河野ではない。
夕、徒歩「エデン」

10月20日(日)


午前中、、一週間の日記の整理、メール(青山、田中、松澤氏ほか)
午後、子規博で、天童荒太氏の『巡礼の家』出版トークがあり出席(13:30~15:00)。
道後生まれとは知っていたが、現在の道後郵便局の敷地に在った家で育ち、本名「栗田教行」。
道後小・中学を経て松山北高校進学。「絵手紙の小池さん」も道後(南町)、他人事ながら豊かな気持ちになりました。
彼の話では『巡礼の家』の主人公は15歳の少女、彼女の成長に合わせて3部作位にしたいと抱負を述べていた。宝厳寺が舞台になることもありうるのかな。
鼎談の相手は宮崎光彦氏(道後温泉誇れるまちづくり協議会会長 「宝荘グループ(道後御湯、椿館、椿館別館の3館)」)と女神輿の得能さん(幼馴染の由)。
子規博で永井信子さんに会う。一遍会正月例会での紙芝居口演快諾。一件落着。
夜「椿の湯」。

10月19日(土)

昨夜10時から6時間熟睡する。さすが道後温泉の効果であろうか。
午前中県美術館で特別展「国立トレチャコフ美術館所蔵 ロマンティック・ロシア」鑑賞。19世紀帝政ロシア末期の写実主義の作品が多い。
構成は4区分され、鑑賞には最適な誘いである。
第一章ロマンティックな風景(春・夏・秋・冬)、
第二章ロシアの人々(ロシアの魂・女性たち)、
第三章子供の世界、
第四章都市と生活(都市の風景、日常と祝祭)
目玉はイワン・ニコラエヴィチ・クラムスコイの「忘れえぬ女」であるが、私自身は第一章のロシアの四季に惹かれた。妻と二回ロシアを訪ね、特にセントペテルブルグの町や農村の光景は当時の印象と相俟って絵画から立ち去りがたかった。
「忘れえぬ女」は帝政ロシアの貴族の令嬢が馬車から見下ろしている高慢さが印象に残った。自分だけの錯誤だろうか。展覧会の画集を購入する。重い!
昼食は松山第一ホテル内の割烹「花のれん」のランチ&コーヒー(@1,300円)
午後松山子規会10月例会(正宗寺 13:30~16:00)
○講演 高村昌雄 「かけはしの記」と子規文学碑
○卓話 豊田 渉 歌原家と二神家
『子規会誌』第164号(拙論「子規と遊里遊廓俳句」掲載)発行。20冊受領。重い!重い!
「たんぽぽだより」(2019秋号)「今村理事 宇和島東高校時代の真民先生の思い出」受領。
「いしぶみ」39号「廣田章子 みかん王国の基礎を築いた人々(1)~三好保徳~」受領。
「フジ」でお好みの食材とビールを買う。
「椿の湯」、21時就寝す。

10月18日(金)

6時起床。
小冊子『時宗二祖上人七百年御遠忌 法灯を継ぐ ―真教上人の生涯とその教え―』の後半部分を読む。
「エデンシアター」で日本映画「蝶の眠り」(2018年 監督:チョン・ジュウン 出演:中山美穂、キミ・ジュク、石橋杏奈 112分)鑑賞。
アルツハイマー進行中の女性作家と口述筆記(パソコン)担当の青年の出会いと別れ。アルツハイマーですべての記憶を失っても「愛した人との『愛の記憶』は残る」という救いのあるドラマである。脚本もしっかりしており佳品と思います。題名の「蝶の眠り」とは韓国語で「赤子が両手を広げてぐっすり眠っている状態」を云うらしい。わが子を慈しむ親の情愛がこもっている言葉である。
伊予鉄バス(11:42)で帰宅。昼食は「花楽里」の野菜カレー。
午後はメール中心。ファミリーに毎週末の定期便、蜂須賀さんには本山参拝、松沢君には10月末遊行寺参詣の折に茅ヶ崎で会いたい旨のラブコール。
雨の中「椿の湯」。
22時就寝。

10月17日(木)


6時起床。通宅徒歩(9時~17時)
小冊子『時宗二祖上人七百年御遠忌 法灯を継ぐ ―真教上人の生涯とその教え―』に目を通す。
(1)一遍智真生誕地としての「宝厳寺」が消え、伊予の別府(松山市<北条>、東温市<拝志>)に変更
(2)一遍賦算目録記載人数 二十五億一千七廿四人 が「二五〇万余」と記載。通説は二十五万余(「億」は「万」の誤記)
(3)伊勢神宮内宮での法要・・・疑問点残る.
午後2時間、屋外作業。伐採、ネット塀の除草作業(数日必要か)。
キャノンプリンター、「ヨドバシカメラ」にメール注文。1割引は結構メリット大である。
夜はBSでアメリカ、韓国、中国などの政治、経済、軍事と日本の立ち位置についての専門家の見解を聞く。
中国・ロシア・朝鮮半島(北朝鮮、韓国)の極東の開発のプロジェクト構想を初めて知る。21世紀のアメリカと中国の覇権争いは確実に表でも裏でも起こっている。

10月16日(水)


通宅(9時~17時)
宝厳寺総代の「町屋の三好さん」から「二祖真教上人700年御遠忌法要参拝」の報告と記念品が届く。一読、御礼をメールで送る。
キャノンプリンターの修理。不成功に終わる。明日再挑戦だ。
午後、戒田氏来訪、庭、畑の雑草除去作業をボランティアでしていただく。(
13時~17時)有難きかな。伊予鉄バス(17:15)にて帰園。
入浴後、疲れもあり、ベッドからTVを見る。いつの間にか眠り、深夜目覚める。
【⇒町屋の三好さん】
 台風一過、心配したアクセスも順調に回復し、つつがなく本山の二祖真教上人700年御遠忌法要をご参拝されてご安堵のことと存じます。ご苦労様でした。
 記念品をお贈りいただき有難うございました。「法統を継ぐ」の冊子を一読し、執筆者が前宗学林学頭の「長澤昌幸」師であることを知りました。冊子4ページ目の一遍上人の誕生地は「宝厳寺」ではなく「別府」(松山市・東温市)での誕生と記述しています。
 長澤師とは肌合いが合い、数年来メール交換や本山遊行寺で「伊予の時宗」について意見交換をしました。師を通して『一遍会報』を創刊号から最新号まで本山にお納めしております。
 時宗で公式に一遍の出生地を宝厳寺外で認めた初「論文」と考えます。檀家の方には申し訳ないのですが、私は「別府=東温市=拝志郡(上林・下林郷)」論者で、「窪寺」にも近く、聖戒が日参して一遍聖の面倒を見ることも可能です。最近では有力な論になっております。
 来春伊予史談会で長澤師からご教示を受け「伊予における時宗奥谷派の盛衰―奥谷道場と松前道場ー」を報告する予定です。
尚、来年2月例会から「宝厳寺小史」を6回(3年間)に分けてお話しする予定です。お時間があればご出席いただければ幸甚です。
 長澤師が本山を離れられましたので、個人的には寂しい気持ちです。長々と書きました。蜂須賀さんの11月例会での卓話を楽しみにしております。まずは御礼とご報告まで。

10月15日(火)


秋冬に向かっての生活リズムが固まってきた。通宅所要時間(自宅~エデン2・5キロ)は上り45分、下り40分。
6時   起床
6~7時 読書。
7~8時 NHKニュース、朝ドラ、朝食
8~9時 通宅 ゴミ出し 洗濯 仏壇
9~0時 書斎(日記、メール、郷土史研究ほか)
1~4時 作業(庭仕事、読書、来客応接) 外部勉強会&会合出席
4~6時 通宅(または買い物&夕食用意)
7時   入浴
8~10時 TV、新聞、読書
10時  就寝 

午前中、洗濯後、「宝厳寺小史(古代)」継続執筆。
午後、郵便局(一遍会IT会員10月度定期便、大垣OB会参加申し込み外)

10月14日(月)

三連休の最終日である。「体育の日」の振り替え休日である。
一遍会二月例会発表の「宝厳寺小史(古代)」の執筆を続ける。骨子がまとまり印刷する。識者や宝厳寺檀家にとっては興味ある内容になりそうである。
NHKは今回の台風・水害報道を大々的に報じている。公共放送としては必要だが、首都圏以外での地震・台風・水害は定時番組で放映すりだけである。四国猿のひがみだろうか。

10月13日(日)

台風一過、秋空爽やかとはいかず。東日本を襲った台風・豪雨の爪あとは、堤防の決壊となって田畑を沈め、行方不明者も時間の経過とともに多くなってきている。昨日に引き続き今日もNHKは被害状況を流し続けている。(21河川決壊、26人死亡、23人不明)
9月末、美濃、信越を一週間旅したが千曲川は美しかった。水害の後を新聞で確認しながら、旅日誌を改めて読むことにするか。
午前10時、伊予史談会10月例会出席。
講師は西尾和美氏でテーマは「豊臣政権と伊予河野氏のゆくえ」。西尾氏は東雲女子大教授の時代には一遍会で講演をお願いした。今はノートルダム清心女子大教授である。
郷土史的視野でなくグローバルな視野で河野家最後の当主「河野通直(幼名牛福)のゆくえを分析する。素晴らしい切り口である。さすがさすが・・・豊かな気分になった。
午後、「宝厳寺小史(古代)」の骨子と「はじめに」を執筆。一遍会IT会員「10月定期便」とりまとめ、封筒入れ作業。
夜はNHK大河「いだてん」「ぽつんと一軒屋」「ラグビーワールドカップ」を見る。スコットランドを28対21で破り史上初の決勝リーグに進出する。おめでとう。
「椿の湯」 

10月12日(土)

台風19号の影響か、朝から時折強い風が吹き込む。
午後、一遍会10月例会。出席者14名、まずまずギリギリか。
講話:青山淳平氏「新渡戸稲造と松山事件」
卓話:小沼大八氏「縄文文化」
理事会は中止。
夕、湯築城跡での「観月祭」ぶらり歩き。田中君、柿原さんと話する。義安寺参詣。
NHKは午後から深夜まで「台風19号特集」???である。2000万人に影響するから止む無し。首都圏が停電にならぬように祈っておこう。
深夜ラジオで被害状況を聞く。予想以上である。

10月11日(金)

朝食後、徒歩40分で帰宅。ゴミ出し。
自転車で「ダイキ」に出掛け、一遍会例会資料印刷。
①『一遍会報』第413号、②「一遍会10月度ニュース」、③青山淳平氏講話レジュメ「新渡戸稲造と松山事件」④会員要望資料など
「ダイキ青汁」を二箱購入(2か月分)。
「セブン(平和通り)」で昼食を調達、午後、配布資料を各人別にファイリング。明日の一遍会例会の準備作業。一件落着。
「フジ」で三連休の食材を調達。
「椿の湯」。台風の話で持ちきりである。
関東は台風がまともに襲来の由、報道では狩野川台風(昭和33年9月26日)の再来かということらしい。死者・行方不明者1,260名、住宅半壊・流失16,743戸であった。

10月10日(木)


本来は「体育の日」なのだが・・・
「エデンシアター」でアメリカ映画「紳士協定」(1947 監督:エリア・カザン 出演:グレゴリー・ペック、ドロシー・マクガイア)を鑑賞。
 50年前の「ユダヤ人差別告発」の映画だけに、30才台で見た時は大いに共感したものだが・・・その後「ローマの休日」での新聞記者は良かった。今は昔の物語だが、今回の上映の意図が目下不明。
バスで帰宅、ありあわせの食材で昼食、13:30開始の県文化振興財団「歌舞伎セミナー」に駆けつける。
テーマは「新歌舞伎の流行-明治から大正へー」。
夕、徒歩で「エデン」。
夜、「プレバト」。
【メモ】
錦秋戦決勝
1位 東国原英夫 「信号の点滅は稲妻への合図」→「信号は点滅稲妻の合図」」
2位 藤本 敏史 「信号待つ騎馬警官の背のさわやか」
3位 横尾 渉  「天泣のプラチナ通りの檸檬の香」→「天気雨のプラチナ通り檸檬の香」
4位 中田 喜子 「横断の人波秋光を放つ」
5位 千原ジュニア「台風やぐぅやんぐぅやんと信号機」

6位 石田 明  「我だけを停める信号秋あかつき」→「我のみを停める信号秋の暁」
7位 村上 健志 「廃校の名の信号機秋の蝶」→「廃校名残る信号秋の風」
8位 梅沢富美男 「徒歩で行く免許返納秋の風」→「秋風を歩きて免許返納す」
9位 松岡 充  「交差点律の調べか通りゃんせ」→「通りゃんせ律の調べの交差点」

10月9日(水)

9;30「エデンシアター」で日本映画「サムライマラソン」(2018年 監督:バーナード・ローズ 出演:佐藤健、小松菜奈、森山未来ほか 105分)鑑賞。
オリンピックのあやかりか、日本最初の「マラソン」は1855年安中藩の藩士による「安政遠足」の由。荒唐無稽ですが、それなりに映画的面白みがありました。
なぜ外国人監督なのかなあ。
11:40の伊予鉄バス。 昼食は、「花楽里」のいつもの野菜カレーライス。
「セブン」で一遍会10月例会資料のテスト印刷。


10月8日(火)


台風の影響か小雨混じりの天候だが、気温は平年並み。
3ヶ月半ぶりに「エデン~自宅」の2.5キロの「通宅」を再開する。45分の予定が50分を要する。確実に歩幅が短くなったということか。横断歩道の信号は1メートル1秒(60メートル1分)で計算されている。となると、所要時間45分は2.7キロ(60m×45分)に相当する。40分を目標に「挑戦」するか。
ファミリー(恒治・淳志・尚子)各人にメールの返事。
一遍会田中理事に一遍会例会関連の印刷を依頼。
感銘を受けた『捨て聖の歌』(西林寺住職 大橋俊雄 東大名誉教授 脇本平也 対談)NHK「こころの時代 1996)、「休暇村信越ひとり旅」パソコン印刷。
14時、10月度「友隣サミット」出席。
夜は「エデン」で『文芸春秋』⑪と「捨て聖の歌」(大橋俊雄)読書。
秋の夜の風情・・・ガラス戸を締め切っての就寝。

10月7日(月)

秋祭り・・・伊佐爾波神社、湯神社からの「宮出し」で、朝5時から「神輿の鉢合わせ」のマイク放送と怒声が聞こえてくる。
鉢合わせを見物する気持ちはなくCATVの実況を眺める。
パジャマを厚手に替えたので、朝方までぐっすり眠ることができた。もっとも日中は動くとまだ暑く感じる。
一遍会上期収支決算の銀行口座とも照合でミスマッチ、2時間を要す。
『一遍会報』413号「雄略天皇の泊瀬朝倉宮のテスト
印刷。明日のサミットで出席者に渡すことにしよう。
夕5時、伊予鉄バスで「エデン」に戻る。

10月6日(日)

4時に目覚める。気温が下がって体が冷えたようだ。秋向きの掛け布団に取りかえる必要がありそうだ。こんな時に、妻が元気だったらと思う次第。
先週一週間分の日誌をまとめて日記に書く。
朝食後、リビングを片付け、ごみ(紙類)の分別作業準備。
「一遍会10月度ニュース」を取りまとめる。
寝具、パジャマから肌着、室内着、外出着も、ひとまず全部タンスから取り出し、見えるように並べる。
午後、義安寺墓参り。表庭の草引き2時間。まあまあ表庭もすっきりしてきた。
前園実知雄氏から校正が届く。『一遍会報』印刷へ・・・
夜、NHK大河「いだてん」。先週に引き続き「ぽつんと一軒屋」は愛媛県である。
「椿の湯」。

10月5日(土)

終日書斎で作業。
1)『一遍会報』割付完了し、前園実知雄宛校正を依頼する。
2)一遍会9月度収支並びに上期決算書作成。月曜日に銀行口座と確認して完了。 
3)「休暇村旅エッセイ」コピー(日記への転記はエデンの夜を使うことにする。
4)その他
●休暇村「申し込み」等送付 アクセス確認
●人事労務会 欠席通知
●大垣会 出席通知
●天童荒太トークショー(10月20日)申し込み
●「まつやま落語まつり」(12月2日)申し込み
●「道後彩朝楽」11月3日 洋室 夕食18:30 OK連絡あり
夕1持間半、表庭の草引きと川の掃除。
NHK「ブラタモリ」で浅間山噴火を勉強して「椿の湯」。秋祭りの神輿の宮入りを間近かに見る。
多忙な一日であった。

10月4日(金)

午前中は「エデンシアター」で日本映画「この道」(監督:佐々部清 出演:大森南朋、貫地谷しぼり、松本若菜、AKIRA 2018年 105分)鑑賞。
北原白秋と山田耕筰の伝記ドラマですが、与謝野鉄幹・晶子、鈴木三重吉はじめ同世代の詩人たちが総登場で文学史の勉強になりました。なぜこの時期のこの映画が企画されたのか、少々不可解なり。
昼食は「花楽里」のカツカレー。
午後、アフラックス代理店(竹内誠氏)来訪、商品の切替勧誘。40年前のアメリカンファミリー創設時の話をする。郵貯保険のトラブルもあり。各社とも新規、切り替え手数料を狙っているようだ。
ファミリーに「休暇村ひとり旅」エッセイを取りまとめてメールする。反響や如何に。
表の苔庭の草引き、半日はかかるか。西山さんが秋祭り用品の年間保管料として清酒1本届けてくれる。祝儀であり有難く受け取る。
夕、「フジ」「業務スーパー」「セブン」に買出し。
夜、NHK「チコちゃんに叱られる」を見て一週間ぶりに「椿の湯」。常連5人が顔を揃える。

10月3日(木)

五時起床。休暇村旅行記の取りまとめ。
「エデンシアター」でイギリス映画「荒野にて」(監督:アンドリュース・ヘイ 出演:チャーリー・プラマーほか 2017年 122分)
15歳のチャーリーは競走馬ピートの世話をしているが、父は浮気の相手にの夫に刺されて死亡。殺処分のピートとともに荒野をさまよい・・・・・最後は家を出た母の元を訪ね安らぎを得る。
見終わってアメリカ映画にしては妙なハッピーエンドだなと思い確認するとイギリス映画である。納得。
「レディー薬局」に立ち寄り、昼食は自宅。
9月度の日誌を取りまとめパソコンに取り込み。HP一遍会10月度改定版を勝岡昭氏に連絡する。一件落着。
夕、エデン。 

10月2日(水)

早朝四時起床、睡眠時間6時間は確保している。一遍関連論文に目を通す。
①「自阿弥陀仏」=「一遍智真」についての指摘文献 2本
②「二十五億千七廿四人」→ 「約二百六十万人]
10時からエデンで「秋の感謝祭」(松山エデン物故者慰霊祭)。開設以来40年、百数十名の物故者を数える。初参加であるが、牧師も僧侶も招かず、「松山エデン」と入居者の共同企画・運営ですっきりしている。
昼食は「花楽里」の「野菜カレー」(@530円 消費税10%で15円アップ)。
一遍会9月度収支決算。松山歴史文化研究会に例会出欠連絡ほか。
【→戸嶋さん】
ご連絡のお葉書受領致しました。昨年の忘年会の写真を拝見して、一年の早さに驚いています。いつもお世話になり深謝申し上げます。
研究会の件ですが、まことに勝手ながら11月28日の会は欠席させていただきます。12月の忘年会は張り切って参加いたします。
九月例会は欠席させていただいたのですが、妙高山を眺めながら、妙高、安曇野、嬬恋鹿沢の高原を訪ね、一人もの思いに耽ってきました。十一月例会も「ひとり旅」を企画しておりますので残念ながら欠席します。足の具合から「ひとり旅」は85歳(来年夏)迄かなと考えており、亡妻とのセンチメンタルジャニーを実行中です。甘いですなあ! いやはや
「三好長慶」もNHKの御蔭で少しは知られるようになりました。なんとか「インターネット伊予三好会」を立ち上げたいなと夢見ています。
まずは御礼とご報告まで
 
10月1日(火)

エデンから8時半の送迎バスで帰宅。ゴミ出し。結構暑い。10月になってエアコンを使用するとは考えてもいなかった。大袈裟にいうとこれも地球温暖化の要因か、いやはや。
子規会佐伯氏から、原稿追加了承のメールが届く。いよいよ、「松山発 子規サロン」のデビューである。
道後公民館で一遍会12月例会の会場予約。子規博で10月度子規さん俳句「団栗に添ふて落ちけりかぜの音  子規」確認。例の「もどき俳句」は「石垣に添ふて歩けり曼殊沙華」。
一遍会IT会員に「一遍会10月例会案内」をメール。休暇村ツアー旅日誌を整理しパソコンに取り込む。エッセイに仕上げるには数日を要すだろう。
昼食。
10月度子規さん俳句鑑賞エッセイ執筆。
年末までの行事計画、情報収集開始。
【→俳友】
令和元年十月 「団栗に添ふて落ちけりかぜの音  子規」
子規記念博物館(館長 竹田美喜氏)監修の子規さんの令和元年十月の句は「団栗に添ふて落ちけりかぜの音  子規」です。
『子規全集』第三巻 俳句三「寒山落木 拾遺」484頁(明治二十一年)に掲載されています。季語は「団栗」(秋)です。
『子規全集』「寒山落木 拾遺」で調査すると子規の最初期の俳句は判明する。
 明治十八年  「ノート」      一句
 「黒雲を起こしてゆくや蒸気船」
 明治二十年  「写真の賛」      一句 
 「まだ 花に心もこすか蝶の梦」
        『真砂の志良邊』   六句
 明治二十一年 『真砂の志良邊』   十句

「団栗に添ふて落ちけりかぜの音 」は『真砂の志良邊』(明治二十一年十月十二日号)に掲載されているが、その時の句は「団栗に添ふて落ちりの是(これ)の音」であり、「寒山落木」では修正されている。もっとも元歌は解釈不能である。
 山で栗の落ちる音は聞いたことはないが、団栗が地面に落ちる瞬間に一陣の風が吹いてくる。団栗と風の音が一体になって目と耳を驚かさせるという哲学的な俳句というか、哲学青年らしい俳句といえようか。
 『真砂の志良邊』(まさごのしらべ)は松山三津に住む大原其戎が主宰する同人誌である。旧派ではあるが、子規に俳句をてほどきした俳人であり、子規は其戎を唯一の「我が俳諧の師」として慕い、毎月句を送り指導を受けた。
子規さんに肖ってい一句
「石垣に添ふて歩けり曼殊沙華   子規もどき」
9月30日(月)

6時起床。
今回の旅のエッセイ執筆,最終日(9月28日の「コンフォートホテル心斎橋」)まで取りまとめる。パソコン打ちは「エデン」の夜を充てたい。旅の写真をパソコンに取り込む。
朝食前に洗濯。朝食後、リビングの整理。ゴミ出し。
HP一遍会の10月度版の改定作業。
『子規会誌』最終校正を終えて事務局(佐伯さん)にメールする。
10月度の予定を詰める。「時宗宝厳寺小史」(古代・中世)の執筆に注力したいものだ。
一週間ぶりで「エデン」に戻る。夕食、浴場で「お久しぶり」と声をかけられる。高原の秋の風情を報告する。

9月29日(日)

23時に就寝。今朝は6時に起床、入浴、朝食のサービスを受け8時前にホテル出発する。地下鉄で千里中央に出て、モノレールで阪大のキャンパスを眺めながら伊丹空港着。9時半発のANAで松山へ発つ。11時半帰宅。
午後は超多忙な後処理業務に追われる。
①ファミリーに安着連絡
②前園実知雄氏『一遍会報』寄稿御礼
③松山子規会(佐伯さん)から『子規会誌』初校依頼、追加文章執筆
④留守中の手紙類の受け取り&チェック
⑤「セブン」買出し(昼・夕・翌朝食分)
⑥日記類の整理
県厚生連検診センターから9月9日の検診結果報告が届く。「要経過観察」はあるが、「要治療」はなし。ひとまず安心。ビールを飲みながらNHK大河「いだてん」、ついで「ぽつんと一軒屋」は愛媛県の山村。10日ぶりに「椿の湯」。疲れた!

9月28日(土) 晴れ


早朝3時に目覚める。二度寝する。5時に起床、旅の日誌をまとめる。6時露天風呂。NHK朝ドラ「なつぞら」最終回である。主人公「なつ」には実在の人物のモデル(奥山玲子1936~2007)があり、彼女の生き方が強く印象に残った。佳品である。
群馬県から昨日とは別の峠を越えて再び信州入り、諏訪湖に向かう。信濃国一宮諏訪大社(上宮・下宮)は初めてである。TVを通して「御神渡り」、「御柱祭(木落とし)」、「武田信玄・勝頼」の印象が強い。
諏訪大社(下宮)参拝。大社は南の上社(前宮・本宮)、下社(春宮、秋宮)の四社あり。ご神体はご神木で本殿(幣拝殿、宝殿)を囲むように4本の神木が立つ。七年ごとの遷宮で宝殿の内の一つが立て替えられる。
春宮の近くを流れる砥川の浮島(浮島社あり)を渡り「万治の石仏」を見る。阿弥陀仏の石仏で大石の上に似つかない小さな頭部が乗っている感じである。

昼食は諏訪湖沿いの「ガラスの里」にある洋風料理昼食である。女性に人気があるらしい。新鮮なサラダとフルーツが主体である。
これでツアー行事はすべて終了し名古屋駅に直行する。約1時間余裕あり。構内の店を一巡する。

名古屋駅発18:08で新大阪19時着。「コンフォートホテル心斎橋」に直行、今年になって3度目の宿泊であり、フロントの女性と軽口をたたく。近くのコンビニで調達した弁当、ビール、牛乳、菓子で食欲を満たしながら、「ブラタモリ(比叡山延暦寺)」と「ラグビーW杯アイルランド戦」(再放送)を見る。23時就寝。

9月27日(金)晴れ

4時半目覚める。昨日の日誌を記す。朝風呂6時、朝食は豪華な地元特産をメインにした御膳、生卵が4個付いている。いやはや。08:50ホテル出立す。
ガイドの説明を耳にしながら、昨日通った安曇野高原の道から山・谷・畑・草原を眺めながら、戸隠神社に向かう。創建2000年以上の歴史を持つ由緒ある神社である。高天原岩戸伝承から判断すれば、大和朝廷支配の北限を示すのだろうか。
駐車場から10分ほど参道を下り「中社」を参拝、上り1・5キロ先に「奥社」が安置されている由。なお「下社」として「宝光社」がある。(バスの車窓からチラッと確認する)。石段、坂道を下り、信州(戸隠)そば中心の盛り場に出る。トイレを済ませ駐車場に戻る。バスは長野駅に向かう。

「ウイキペディア」に拠れば、戸隠神社は①宝光社 ②火之御子社 ③中社  ④九頭龍社 ⑤奥社の5社から成り、奥社・中社・宝光社は天台系で、激しく争った真言系の西光寺などは500年前に滅亡した由。

長野駅はすっかり変わっている。毎年のように善光寺と軽井沢を訪ねているが、いつもはツアーバスなので長野駅は通過である。今回は駅内のショッピングゾーンを30分ほどぶらぶらする。
「しなの鉄道(ろくもん)」で小布施の「鈴花」の二段折箱の弁当と地ビール(2本)を飲みつつ・・・ 沿線の幼稚園の園児や「しなの鉄道」社員の見送りを受けつつ、2時間半の鉄道の旅である。(13:24~15:51) 相席は女性のシングルで70歳前後かな。

①上田駅では駅長が武者姿で出迎え記念写真 
②田中駅では宿場町風の駅舎 
③小諸駅では停車場ガーデン 
④終着軽井沢駅では旧駅舎を利用した「ろくもんラウンジ」。
コーヒーブレイクまではよかったが、ここから待機中のバス乗り場まで「軽井沢プリンスホテルアウトレット」の構内を横切っての10分以上歩きにうんざりする。週末の首都圏からの集客に驚く。

信州から群馬への山岳コースをバスが走る。峠を二つ越えたあたりから夕暮れ。定刻17時から一時間遅れの18時に「休暇村嬬恋鹿沢」到着。2度目である。
ビュッフェスタイルの夕食だが、本日は朝・昼ともに美食であったので、食べ過ぎを警戒して、アルコールも飲まず、シンプルにスマートな夕食である。。220時温泉入浴(鹿沢温泉で古くからの湯治場)。TVを見ながら体が冷えるのを待って就寝。

9月26日(木) 晴れ。


 本日の移動は「食事付列車の旅」である。早朝5時に目覚める。昨日の日誌を書き、朝風呂、TV(「おしん」「なつぞら」)を見て、8時朝食は控えめにする。9時ホテル出立。休暇村から新潟米(こしひかり)1キロプレゼント、旅には重すぎるかな。いやはや。

糸魚川に出る。60年ぶりか、町の記憶はまったくない。30分の休憩時間を活用して童謡「春の来い」の作詞者「相馬御風」の生家(記念館)を訪ねる。こんな粋人?は、一行では我のみである。それにしても、「地名・糸魚川と人名・相馬」は結びつかないな。
驚いたことに11月には俳人夏井いつきさんを選者に迎えて「第13回 相馬御風顕彰ふるさと俳句大会」が開催される由。まさに夏井宗匠は全国ブランドである。

糸魚川駅11:09発「えちごリゾート雪月花」号で日本海、妙高山を望む景観を愛でながら和食フルコースを頂く。豪華な2台連結車は22名のツアーが借り切りである。これまたお召し列車の如き豪華さである。
食事は糸魚川市の老舗「鶴来家」(つるきや)の三重折詰め。①スパークスワイン ②ベニズワイガニのちらし寿司 ③郷土料理 ④鯛、鱸ほか ⑤めぎすのつみれ汁 ⑥珈琲など。

途中停車駅は下記。
①トンネルの中の「筒石駅」は「名立駅」と「能生駅」間の前兆11kmの頚城トンネルの中ほどの駅。290段の階段である。(9分停車)
②直江津駅(11分停車)
③スイッチバックと鉄道遺産「二本木駅」 (15分停車)
④妙高高原駅(撮影スポット 土産屋)で車掌の説明あり。(18分停車)
3時間の列車の旅で一時間弱が観光である。アテンダントの女性はもちろん新潟美人である。終着「上越妙高駅」には定刻14:03着。

先回りしたツアーバスで、一路「休暇村安曇野B&B」に向かう。16:30頃着。「安曇」はアズミ族が住み、東海の「渥美(アツミ)半島」も同族の由、驚いた。
穂高駅近くの穂高神社の大祭(御船まつり)中で、山車は「巨大な船」である。バスの窓から眺める。大陸から翡翠(ヒスイ)を求めて北陸に着き、北に向かい、糸魚川から「●●川」(不明)を遡上してこの地に定住した由。糸魚川市には糸魚川なる川は流れていない。なんちゃこっちゃ。にわかに信じがたいが、戸隠山の「天岩戸」伝説同様に、古代日本の壮大なロマンである。

休暇村で小休憩の後、18時に暗くなった安曇野の高原をバスで20分、「田んぼの中のぽつんと一軒家」ならぬレストラン「ラトリエ・デ・サンヌ」でフランス料理(ただしメインは魚)。二人席で相方は男性シングルの神戸の「赤松さん」。作務衣着用だが、なかなかのおしゃれである。ビールとワインを飲みながら神戸談義。
20時休暇村に戻る。酔いをさまし、21時入浴、湯量が豊富で露天風呂は最高、夜なので景観の素晴らしさは明朝のお楽しみだ。添乗員の話ではこの建物は「豊田市の休暇施設」であったが売りに出され休暇村が購入した由。冬季に改修して来春正式オープンの由。フロントの話では来夏まで予約でほぼ満員の由、いやはや。23時就寝。

9月25日(水) 晴れ

4時目覚める。昨日の日誌をつけ、今回の3泊4日の休暇村ツアーの全体を頭に入れる。「コンフォートホテル新大阪」は外資系ホテルだがハウステンボスの「奇妙なホテル」のごとき珍奇さはなく、あくまでビジネスライクである。慣れればコンビニ並に対人関係がなくでもチェックイン・アウトが可能である。これも時代か。朝食には白飯はないが味噌汁(ミソスープ)はある。まずまずの朝食メニューである。

新大阪駅9:30集合、ツアーのスタートである。受付は前回のツアーの添乗員と今回の添乗員の竹平さん。この場所この時間帯で業務連絡をしている、大丈夫かな。再雇用した管理職らしい。イメージとしては「お客様第一」とはほど遠い。参加者は22名(シングル6名(男2、女4名)、ペアー8組16名)。

新幹線「ひかり462号」で名古屋へ(09:43~10:36)。高城観光バスで名古屋城など市内を遠望して、愛知県から岐阜県に入り恵那峡に近い高台に建つ「恵那峡グランドホテル」で昼食となる。近くの「恵那峡国際ホテル」は「湯快グループ」になっている。これといった魅力ない観光地区だけに経営は苦しいのだろう。

遊覧船による「恵那峡クルーズ」 。シーズンオフであり、どこにでもありそうな遊覧船である。
福沢桃介と川上貞奴のロマンスが著名らしいが・・・ もっとも福沢桃介は当時「電力の鬼」として木曽川電力の経営に当たっていた。桃介の名誉の為に記すが、桃介と貞奴のロマンスは、夫・川上音二郎死別後のことである。
愛媛県でも鉄道敷設で活躍した記録が残っている。

高速道路の工事もあり大幅に遅れる。中央自動車道(駒ケ岳SA)、長野自動車道(姥捨SA)で休憩。ガイドはベテランでしゃべり通しである。「ふゆさん」みたいだ。

「休暇村妙高高原」には45分遅れで16時15分着。16時30分頃レストランでひとりぽつんと食事する。ツアーの初日はいつもこんなものだ。
「のどぐろとぬか釜会席」①のどぐろの塩焼き ②吸い物 松茸土瓶蒸し ③揚げ物 松茸てんぷら・・・と豪勢であるが、松茸はなんとなくといったところである。いやはや。「初物」である。
以前この休暇村に来たのは妻と一緒だったか定かではない。食後、妙高の自然について地元のカメラマンの説明。21時温泉入浴。TVは面白くなく和室の布団で眠る。気温が下がりそうで23度Cにエアコンをセットする。初日であり、もっぱら単独行動である。旅は3泊あり、親しい相方も見つかるかな。

9月24日(火) 晴れ

午前5時起床。道後温泉06:20発のリムジンバスで松山空港着06:40.今回はストレートにチェックインし、待合室でコンビニのおにぎりと昨日の宝厳寺大施餓鬼法要の引き出物の菓子が朝食である。
ANA08:00発で伊丹空港着08:50。30分待ってリムジンバスで近鉄奈良駅に向かう(09:35~10:15)。 近鉄西大寺駅で乗換えて「西ノ京」駅下車し、薬師寺の「お写経道場」に向かう。今回で八回目の写経となる。令和に改元してからは初めてである。満願は108回、一巻の納経帖は12回分、九巻で完結する。そこまでは寿命がなかろう。いやはや。
写経の後、玄奘三蔵院伽藍、白鳳伽藍を拝観し、孫太郎稲荷神社、休ヶ岡八幡宮(改修中)を参拝、来春東塔が完成する。「東僧坊」で修学旅行生を相手に若い坊主が説明(説教)する。いつもながら、話がうまく、高校生との丁々発止の掛け合いは聞いていて楽しい。

西ノ京駅近くの食堂で「奈良うどん」を食べる。「道後ラーメン」と同じく、何が「奈良」なのか分からない。15時前に唐招提寺に着く。南大門から金堂までの参道は昔通りだが、境内の雰囲気が違う。
会津八一歌碑、戒壇跡、鐘楼、鼓楼、講堂、松尾芭蕉句碑を回ってやっと気づく。鑑真和上のお出迎えがないのだ。「開山堂」でお会いしても「御身代わり」である。文化財保護の建前はわかるが、「永遠の恋人」に会いに来て替え玉と「ご対面」とは情けない。

会津八一の歌は「おほてら の まろき はしら の つきかげ を つち にふみ つつ もの を こそ おもへ」
松尾芭蕉の句は「」若葉して御目の雫拭はばや」

鑑真和上霊廟にお参りして、新宝殿で重文「唐招提勅額」や奈良期の国宝・重文の金堂の鴟尾、仏像ならびに仏頭など22点を参観。来た道を「西ノ京」駅に引き返す。17時過ぎ近鉄に乗車、終点難波で地下鉄に乗り換えて「新大阪」駅下車。

新大阪駅は何十回と利用しているが、周辺を歩いたことはほとんどない。「コンフォートホテル新大阪」は「ワシントンホテル」裏手にあるのは地図でわかったが、肝心の通路がよくわからない。明るい時間なので問題はなかったが、深夜だと苦労するに違いあるまい。
今春オープンした「コンフォートホテル新大阪」にチェックインはフロントの係員と応対なしに機械との対話で精算まで済ますことができる。驚いた。九州はハウステンボスの「奇妙なホテル」ほどではないが、エレベーターもカードが必要。ニューヨークではじめて使った時は驚いたなあ、40年以上も前のことだが・・・夕食は「ワシントンホテル」内のコンビニで弁当・ビール・牛乳などを調達する。23時ベッドイン。@6,800円。

9月23日(月)

秋彼岸の中日。
義安寺御参り
伊佐爾波神社参拝
宝厳寺大施餓鬼
宝厳寺住職、檀家総代と懇親

9月22日(日


昨日と一変して天気が崩れる。ジメジメして鬱陶しい。台風の影響か。
週間の日記を記す。一遍会10月例会予告をマスコミ・ミニコミに流す。7月度前園実知雄講師に『一遍会報』原稿の督促。来週の旅行計画の最終確認。
夕「エデン」。NHK大河「いだてん」と「ぽつんと一軒屋」を見て就寝。
台風17号が九州から日本海沿いに北上するも、四国の被害はあまりなさそうである。

9月21日(土)

湯築城歴史塾③出席(子規博10:00~12:00)。テーマは「湯築城の茶のおもてなし・出土品を中心に」で講師は桐山秀穂氏(野村碧雲荘勤務。前野村美術館学芸員)。
1)湯築城と茶の世界
2)茶の湯とは ①点前の成立 ②茶道具の成立 ③茶室の成立
3)日本の茶の湯の歴史
4)中世の茶
  ①禅院内における茶礼 ②武家階層を中心にした茶寄合 ③会所における茶 ④淋汗茶湯⑤庶民の飲茶
5)喫茶を考古学資料からみてみる
6)点茶法による喫茶の機能的なセット
7)考古資料からみた喫茶の歴史
8)湯築城の出土品から
実に刺激的な、啓発的な講演であった。時衆、時宗、聖、阿弥と喫茶について議論を発展させたい。
午後、今週の日誌を整理する。NHK「ブラタモリ(比叡山)」

9月20日(金)

朝夕涼しくなり夏バテは回復したのか、目覚めたら7時半、慌てました。8時に朝食、8時半のバスに飛び乗って帰宅し、「ゴミ出し」はセーフ。いやはや。
妻の「七の百三十三日」(没931日目)。例によってファミリーに週末定期メールを送る。孫娘にも返信メール。
午後、県文化振興財団文化セミナー「歌舞伎」受講。今回は「歌舞伎 ―幕が開くまで― 」。毎月末まで公演して月初公演であり、その間4日間~2日間の舞台稽古を含めての準備である。しかも、場所も東京、名古屋、京都、大阪、博多と移動する。きわめて高度の専門職能でないと不可能である。華やかな舞台の裏での「歌舞伎ビジネス」の厳しさがわかった。
夕、エデンに戻る。
NHK「チコちゃんに叱られる」。

9月19日(木)

一年で数回あるなしの超多忙な一日・・・子規忌行事に参加する。
午前は、子規博主催の「糸瓜忌~子規忌の集い~」。最前列中央の席で隣席が東京の「子規研究の会」の半田美永会長。文化団体の会長各位と懇談・挨拶する。
子規追悼式(献茶・献花)の後、子規追悼一人芝居「淳さんからのハガキ」(演劇ネットワーク渡部和也)。子規博竹田館長の講演「子規と真之の青春時代―真之、オスマントルコ帝国へ行く―」と続く。(10:00~11:20)
昼食抜きで正宗寺(子規堂)に直行する。午後13時半から松山子規会主催の「第118回子規忌法要並びに松山子規会物故者法要」開催、「墓前祭」のあと本堂での法要。烏谷照雄会長の尽力で約30名の来賓者に驚く。子規忌は松山の文化振興の起爆剤になってほしいものだ。参列者全員の焼香も終わり、副会長として閉会の挨拶をする。
子規忌献詠で「へちま佛『明治』は遠くなりにける」と詠んだが、「松山兎月庵」代表の小椋浩介さんからお褒めの言葉を頂いた。褒められると嬉しいものである。
特別講演は「子規研究の会」半田美永会長の「子規さん・どこへ行きなさる? ―俳句革新への道のり」。軽妙な語り口に魅せられたが、内容は卓見である。じっくり復習して、自分なりに取りまとめたい。
緊張の疲れもあり、ビールを飲む。
TV「プレバト」を見る。エンターテインメントからバトル化してきた。もっと気楽に見たいものだが、視聴率が邪魔するのだろうか。

9月18日(水)


日中は30度を越す猛暑である。
TVでは千葉県下の台風の被害報道が一週間も続く。地震・津波は「天災」だが台風は「天災」とは云えまい。人災の部分が大きい。
「自助」の次の「共助」は期待できず、「公助」と「ボランティア(労働力・金力)」を期待する。どこか間違っていると思うのだが・・・・・
郵便局に留守の連絡手続き。
子規博で「子規亭(第二夜、第四夜)」申し込み。第二夜は林家正蔵・林家たま平、第四夜は市川右團次である。楽しみな企画である。
明日の第118回子規忌法要ならびに松山子規会物故者法要の「閉会の辞」のリハーサル。副会長としての唯一の「業務」である。いやはや。
孫(弘華)の近況報告に長々と手紙を書く。

9月17日(火)

朝9時帰宅。インターネット会員に「9月度定期便」を発送。カッターシャツをクリーニング店に持参。午後1時半エデンに戻る。
午後2時から「エデンシネマ」で 秋彼岸も近いのでインド映画『ガンジスに還る』(2016年)上映。(監督 シュパシシュ・ブティヤニ  出演 アディル・フセイン<『ライフ・オブ・パイ トラと漂流した227日>)ベナレスの「解脱の家」での穏やかな死を待つ家族の物語である。
十数年前、妻とインドに行き、ベナレスで乗った輪タク、沐浴した舟、夜のセレモニーなど次々と思い出して涙が出た。又10年後に見たいものだ。
やっと『オール読物』に掲載されている本年度直木賞受賞作 大島真寿美著「渦 妹背山婦女庭訓 魂結び」(第一篇~第四編)読了。関西弁というか「なにわ弁」の文章をこんなにゆっくり味わったことはない。第四編~第七編は単行本で見ることにしよう。
夏バテか。21時、ラジオを聞きつつ寝込む、午前2時目覚め、ガラス戸を閉めて朝4時まで眠る。

9月16日(月)

「敬老の日」の祝日。三連休である。さすがにメールは入ってこない。ゴミ出しして家業は終わる。夏バテか、ぐったりする。
月末のツアー前後の日程調整。
①奈良薬師寺の年1回の写経と唐招提寺参詣
②近つ飛鳥博物館見学
4日ぶり、バスにて「エデン」に戻る。
NHK「ファミリーヒストリー」は、祖父「中村翫右衛門」、父「梅之助」、「梅雀」とつながる。
翫右衛門は「前進座」創設メンバー。松山時代、演劇に飢えていた自分に感動を与えてくれたのは「前進座」と「すわらじ劇園」。上京してすぐに「俳優座劇場」に出掛けた。今は昔の物語である。
【→ファミリー】
三連休は中国路ですか。
A君は「津山」ですか。子供がいなかった(と思っています)ので奥さんと二人で住んでいるんですか。お勤めは?
今春「休暇村ツアー」で「奥大山」から「奥津温泉」「津山城址」「津山まなびの鉄道館」を見てきました。母さんとは、櫻の季節に神戸から高速バスで津山に何度か出かけました。当時は津山にある音大(作州音大?)が有名でした。
鷲羽山近くにも「悪友」が居たんですね。驚きました。 道中「吉備の里」ですか。吹屋、高梁(城跡)、吉備津大社、鬼ノ城・・・見物するスポットは多いでしょう。横溝正史の「犬神家の一族」のロケをした旧家(大邸宅)も近くにありました。一見に値します。母さんとは、岡山で下車して倉敷や吉備に立ち寄りましたので記憶が鮮明です。 
吉備は大被害を受けたこともあり時間があれば立ち寄ってみたいです。それにしても別宅を構えるとは「悪友」も豪勢なものですね。
TVで日曜日に「ぽつんと一軒屋」が放映されています。ガラクタものの中で過ごすことが「昭和への郷愁」でしょう。「椿の湯」では「道後の『ぽつんと一軒屋』」として三好邸が有名です。いやはや。

9月15日(日)

晴天。洗濯からスタート。
一遍会例会内容の整理とインターネット会員への「定期便」取りまとめ作業。鳥取の赤井さんから頂戴した20世紀梨を朝食後に頂戴する。美味い。
「オリンピック女子マラソン選抜」を見る。瀬古さんの「決断」の由、大いに評価したい。
午後、一遍会例会資料印刷(セブン)、IT会員「定期便」送準完了。一件落着。
夕、川掃除。
大河ドラマ「いだてん」、「ぽつんと一軒屋」を見て「椿の湯」。

9月14日(土)

朝、見逃した「チコちゃんに叱られる」と「なつそら」のダイジェストを見る。一遍会9月例会&理事会。出席
1)田中弘道理事「大航海時代『フロイス 日本史』を読む」」
2)今村威理事「旧別子山村民謡『天竺踊り』について
今村理事の発表は特筆すべき日本歌謡史にもなっている。
中世歌謡「早歌」(「徒然草」)が別子山村に「天竺踊り」として残り、この歌謡が本歌となって近畿、中国、四国地方に広く分布する。この替え歌「よめそしり」がこの村では婚礼の席で歌われる。『一遍会報』で広く内容を流していきたい。
食事会はフランス料理の「NOTRE」。ゲストの赤井さんと小島、蜂須賀、田中、三好の5名。18時から2時間、歴史談義と道後の話が続く。
赤井さんを「友輪荘」に送って帰宅。酒も入っており、「椿の湯」は断念。漠然とTVを眺め22時就寝。ガラス戸を開けると涼風が部屋に虫の声とともに入ってくる。秋だなあ。

9月13日(金)

エデンシアターで 『森山中教習所』(日本映画(2017年)監督 豊島圭介 出演 野村周平、賀来賢人、岸野ゆきの)鑑賞。
この映画がエデン向きとは思わないが、若い世代の交際観、結婚観は参考になった。案外まともなのかなとも思う。もっとも自分の意思では、この映画は決して見ないだろう。
昼「敬老の日お祝い会」出席。フルコースの会席(@1,700円)である。食前酒・祝い八寸・煮物椀・焼き物・揚げ物・酢の物。凌ぎ・止め椀・和菓子&ビール。。
聖母幼稚園年長組の踊りと歌の披露、曾孫年代で可愛いものだ。最高は101歳で85歳以上が大半で、84歳は初年である。いやはや。
14時過ぎのバスで帰宅。
時衆松前道場中心に、現在の地図で松前城址(松前道場跡)、金蓮寺、矢取川(鏡川)、八蔵(八倉)を確認する。砥部の「大森盛長(彦七)館(千里城)」「魔住の窪」は次回に廻す。
夕、気温が下がったので、ひさびさに表庭の除草作業。今後は、毎日30分~1時間の草引きノルマを課すか。
夜、「椿の湯」。

9月12日(木)


エデンシアターで韓国映画「それから」鑑賞。(韓国 2017年 91分 監督 ホン・サンス 出演 省略)。第70回カンヌ国際映画祭コンペティション部門出品作。
ストーリーは男女関係だが、台詞中心に展開する。場面転換があまりなく演劇の映画への転換かと思ったがそうでもないらしい。
題名の「それから」はフィナーレで著名な評論家で出版社を経営する不倫の男が、一日だけ出勤した小説家希望の女性に手渡した本が漱石の「それから」によるらしい。
漱石の「それから」と云われても・・・
昼食は「花楽里」。
午後、珍一房、仏阿弥陀仏、託何上人と出典
である『播州法語集』『条々行儀法則』について考えてみる。
珍一房と仏阿弥陀仏が同一人であるという論文はないものか。
夕5時、バスにて「エデン」に戻る。
夜は「プレバト」

9月11日(水)


令和元年前期末一遍会理事会資料作成。
1、令和元年前期末収支決算と期末見通し
2、令和元年下期例会講師リスト 
3、審議事項 
 1)令和2年度一遍会創立50周年行事(案) 
 2)令和2・3年度 役員候補(案)
4、その他
もっともメンバーが高齢化しているので内輪でのパーティで終わるかな、いやはや。
午後、瀬戸内の時宗寺院(道場)につき
①『遊行派末寺帳』(京都七条道場旧蔵  享保六年1721筆写)
②『時宗の寺々』禰宜田修然著(昭和55年)をベースにリストアップ。
夕、バスにて「エデン」に戻る。
夜は「第四次安部再改造内閣」の詳報と解説に釘付けなる。初入閣13人とは驚きである。始めて知った人名が6名。
マスコミ的には「小泉進次郎」環境・原子力防災担当大臣ということになる。

9月10日(火)

「令和元年9月度一遍会ニュース」と『一遍会報』第411号印刷。午後「友隣サミット」で配布する。
夕、バスにて「エデン」に戻る。
夜は「宝厳寺小史」の資料作成。

9月9日(月)


「重陽の節句(節供)」にはあまりにも程遠い日本全体では台風・豪雨・水害・猛暑の「菊節供」である。いやはや。

朝8時過ぎからの健康診断受診(JA道後支所)。血圧が高すぎて「大腸検査」(バリウム)はストップ。高血圧にショック、ドクターから一時的なものでしょう、抗血圧薬の服用は特に必要なしとのことで安心する。
「一遍会9月度ニュース」を会員に流す。明年一遍会は創立50周年を迎えるので次回の理事会で理事各位の意見、希望を聞いて具体的なアクションプランを作成することにしたい。
『一遍会報』第412号テスト印刷。
夕、バスにて「エデン」に戻る。夜は「宝厳寺小史」の資料作成。

9月8日(日)


朝から猛暑、ジメジメする。
自転車で伊予史談会9月度例会出席(県生活文化会館)。出席少ない。一遍会メンバーは全滅。
1)「丸山定夫巡礼」篠原孝明氏(高校教員) 
松山の生んだ演劇人として新派の「井上正夫」、新劇の「丸山定夫」が双璧か。といっても、それほど詳しくは知らない。鎌倉妙隆寺の「丸山定夫碑」の胸像レリーフがモリエールの戯曲『守銭奴』のアルパゴンの由。中学時代、旧制松山高校講堂で初めて見た演劇が「守銭奴」で、断片的にシーンを思い出す。
2)「目黒山模型に見る十七世紀の景観」宮本春樹(高校教員 予土歴史文化研究会)
辛口でいえば、講師は何を伝えたかったのだろうか。おしゃべりタイムの印象しか残らない。
10月26日「砥部歴史塾」で山内譲氏の講演「南北朝内乱と伊予の諸勢力―大森彦七の時代―」あり。楽しみである。
『一遍会報』第412号最終版テスト印刷。HP一遍会ニュース最終版掲載。
NHK「いだてん」「ぽつんと一軒屋」。「椿の湯」。

9月7日(土)


朝から30度を越す猛暑、
午前中読書。
①宝厳寺住職浅山圓祥師著『一遍と時衆』中「一遍上人御誕生地宝厳寺秘話」
②『文芸春秋』⑩ 総力特集「日韓断絶 憤激と裏切りの朝鮮半島」ほか
午後、仏壇の片付けと整美。床の間の掛け軸を秋の草花に替える。
NHK「ブラタモリ」(京都御所の位置)。「椿の湯」。

9月6日(金)

エデンシネマで 『マスカレード・ホテル』(日本映画(2017年)監督鈴木雅之 出演 木村拓哉 長澤まさみ 小日向文世)鑑賞。
原作は東野奎吾の同名小説だが実に面白い。なんとなくフィナーレが良い。
昼食はカップラーメンで済ます。
午後、帰宅。洗濯が待っていた。週末の定期便(妻の七の百三十一日」(没917日目))を東京、神戸のファミリーに送る。
宝厳寺小史(古代)研究作業。
①宝厳寺住職小林覚住師著『一遍上人略伝並に和歌』中「宝厳寺略伝」と、
②宝厳寺住職浅山圓祥師著『一遍と時衆』中「」一遍上人御誕生地宝厳寺秘話」
をテキストにして日本仏教ならびに伊予国仏教を背景にして取りまとめることにする。ほぼ輪郭が出来た。
NHK「チコちゃんに叱られる」。「椿の湯」。

9月5日(木)

「エデンシネマ」は『家へ帰ろう』(スペイン・アルゼンチン映画 2017年 93分)。ホ
ロコーストが背景にあり、アルジェンチン、フランス、ドイツ、ポーランドと親友を訪ねる旅はつらく長い。なかなかの秀作。
昼食は「花楽里」の野菜カレー。
宝厳寺の古代について『愛媛県史』(学問・宗教)、『愛媛の仏教史』(三浦章夫著)精読し、メモを取る。
三井住友信託担当者との打ち合わせ。

戒田淳氏来訪、『一遍会報』第411号掲載論文の校正持参。『会報』の最終原稿完了する。
夕、バスにて「エデン」に戻る。
TV「プレバト」。引き続き『愛媛の仏教史』を読む。

9月4日(水)

山下り45分で汗びっしょりであるがさわやかでもある。一週間後の体重測定が楽しみである。
時宗教団の本末関係を①『清浄光寺史』②『時宗末寺帳』をベースに調査研究する。
総本山(1寺)・大本山(4寺)・別格本山(1寺)・檀林(3寺)・準檀林(2寺)・末寺(約500寺)である。一遍生誕寺てある「宝厳寺」は清浄光寺の末寺の格である。
夕、バスにて「エデン」に戻る。
TV歴史ヒストリア「西郷と最後まで闘った男(酒井玄蕃)」初めて聞く名前であるが・・・

9月3日(火)

早朝4時から「松前道場」の取り組み。
八蔵「入仏寺」、松前「金蓮寺」は真言宗智山派。松前「定善寺」は「金蓮寺」の塔中。
金蓮寺は古くは「性尋寺(定善寺)」と呼称し、正式は「玉松山十二光院金蓮寺」である。本尊は薬師如来。興味が尽きない。
「エデン」から自宅は徒歩に切り替えた。「エデン」へは上りになるので、10月からにするか。
『一遍会報』第412号の校正を依頼(戒田、田中両氏)。
月末の休暇村信州ツアーの旅程を作る。前泊は「コンフォートホテル新大阪」、帰途は新幹線を利用して深夜帰宅の5泊6日でセットする。
夜「エデン」でもパソコン作業が出来るようにセットする。

9月2日(月)

一遍会11月例会を公民館に申し込み。
HP一遍会の9月度版の改定作業完了。例会講師に例会講話の演題と「講師からのひとこと」を今週末締め切りで依頼する。
子規博で9月度子規さん俳句「堀割を四角に返す蜻蛉哉  子規」確認。鑑賞エッセイ執筆、子規もどき句は「堀割にさしこむ夕陽蜻蛉つり」とした。
午後から書斎と寝室、仏壇の整理。川掃除の藻類をゴミ処理。
日中も冷房せず、扇風機だけで過ごせるようになった。やれやれ。
夕5時、洗濯物を持ってバスで「エデン」に戻る。9月からは徒歩でのエデン往復を考えていたのだが、残暑が厳しすぎる。
【→俳友】
令和元年九月 「堀割を四角に返す蜻蛉哉  子規」
子規記念博物館(館長 竹田美喜氏)監修の子規さんの令和元年九月の句は「堀割を四角に返す蜻蛉哉  子規」です。
『子規全集』第二巻 俳句二「寒山落木 巻三」108頁(明治二十七年 秋)に掲載されています。季語は「蜻蛉」(秋)です。
明治27年というと、上根岸に転居し、『小日本』の編集責任者として油の乗り切った時期でもあります。
「堀割の上をすいすいと四角く飛んでいる蜻蛉だなあ」という映像がすぐに浮かんでくる俳句です。蜻蛉が堀割の上を「四角に返す」という表現は、さすが子規さんの的確な写実と云えます。
私にとっての「堀割の記憶」は古びた酒蔵や醤油倉の裏手の路ですし、蜻蛉は長屋門の東のイチジクがあって蓮の葉っぱが覆いかぶさったまっ四角な池の周囲を飛んでいる姿です。映像的には、江戸時代でもあり、昭和の時代の光景でもありました。
研究によると、同年11月2日の雨上がりに根岸の郊外を散策した折の写生句十七句のうちの一句です。また明治29年の新体詩『病の窓』には「左にかけり右に行き終に戻りて竹竿の上にとまりて、こくこくと首を動かす影しるし」と庭を四角に飛ぶ蜻蛉を描いている。
子規さんにあやかって一句
「堀割にさしこむ夕陽蜻蛉つり  子規もどき」

9月1日(日)


月が改まって9月になったが、天候は雨催いでジメジメでぜんぜん変わらない。
思い切って遠出、といっても砥部の上野にある県生涯学習センター内にある「人物博物館」。「別子銅山の近代化に尽くした偉人たち~広瀬宰平・伊庭貞剛・鈴木馬左也~」。「坊つちゃん劇場」で公演中の「瀬戸内工進曲」のおさらいでもある。
家を9時に出たが接続がよく10時過ぎに着く。1時間半見学して大街道に戻り「すき家」の牛丼で済ます。
次いで「坂雲ミュージアム」でたっぷり時間をかけて常設展示を見て、特別展「中世の忽那諸島ー海の領主・忽那氏の世界―」を見学する。
南北朝期の皇国四年(1343)、南朝の左中将(四条有資公)から忽那下野法眼館と三好卿法眼館に加勢依頼状が出ており親しみがある。
ANAホテルで「G20労働雇用大臣会合」が開催中で警備が厳重である。愛媛県では初めての大規模な閣僚級の国際会議の由。
15時過ぎ帰宅、リビングで横になる。
「一遍会9月度例会案内」をメールで流す。
「時衆奥谷派の盛衰」の構想がほぼまとまる。
1)はじめに  時衆十二派
2)河野得能家と時衆」・宝厳寺
3)大森盛長(彦七)と時衆・金蓮寺
4)遊行七祖託何上人の伊予国賦算
5)おわりに  時衆奥谷派から遊行派移行
  年表
8月31日(土)

本日も天気悪し、午後から雨の由。洗濯に困ったが洗濯機をまわす。
午前中、事務整理。
午後、県図書館で、『松前町史』(中世、寺院)の調査。収穫多し。
図書館司書と三好長慶について語る。閲覧者からの質問には照会してもらえれば返事しますと連絡する。ともあれ、「伊予のみよしさんの会」を拡充したいものだ。
夕5時帰宅。ビールをグラス一杯飲んで休養。
「椿の湯」。
【メモ】「松前町史」ピックアップ
①律令制下の伊予
②中世初期の伊予
③南北朝時代の松前
④玉松山十二光院金蓮寺(性尋寺)
⑤松前城跡
⑥大森彦七
⑦年表

8月30日(金)


9時帰宅。メールと日誌の整理。
昼食後、義安寺の週末参詣。シキミは生き生きしている。一安心。
子規博の特別展「子規と草花」を改めで見学し、ついで常設展示で河東碧梧桐と内藤鳴雪の特別展示を見る。高校生のグループと外国人ペアが二組見学中で、ひっそりしている。
湯築城址をショートカットして古書「猛牛堂」で郷土関連図書をチェックする。
「しげまつ」で散髪。西龍寺と持田三好家に回り道する。
「フジ」で食料品を調達、ついでに『オール読物』9・10合併号(直木賞受賞作「渦 妹背山婦女庭訓 魂結び」掲載)購入。
夕食後 NHK「チコちゃんに叱られる」を楽しんで、「椿の湯」。22時やっと落ち着いて・・・・・

8月29日(木)

エデンシアターで「イージーライダー」を見る。(アメリカ映画 1969 出演 ピーター・フォンダ デニス・ホッパー ジャック・ニコルソン)。
50年前のヒッピー全盛時代の「現代的アメリカ西部劇」でロスから南部のバージニアに大陸横断するロード・ムービー。
見たような、見ていなかったような、アメリカ映画の傑作である。ピーター・フォンダが今年8月16日に死去したので哀悼の意を表して上映したか。父はヘンリー・フォンダ。
昼、帰宅。午後、スコールのような豪雨が単発的に繰り返す。一歩も外出できず。
「太平記」巻二十三「203大森彦七事」をパソコンに取り込み印刷。松前定蓮寺(松前道場)、猿楽、宇多津郷照寺(宇多津道場)等のキーワードで構想を膨らます。
午後5時過ぎの伊予鉄バス(20分遅れ)でエデンに戻る。
「宝厳寺史(古代)」の構想を練る。

8月28日(水)


豪雨。10時40分、松山市に大雨警戒情報レベル3発令。道後はそれほどでもないのだが、宮前川が氾濫する危険性があるようだ。
「時衆奥谷派の盛衰」関連で松前・定蓮寺の資料漁り。
○『太平記』岩波本巻二十三 大森彦七事
○ウィキペィア「大森盛長」
○「矢鳥川の鬼女(大森彦七と矢鳥川の鬼女)」
→金蓮寺は南北朝期は時衆「松前道場」であった。(発掘)
午後、住友信託担当者来訪。

8月27日(火)


甚平と短パンツを「エデン」から持ち帰る。
前園実知雄氏(奈良芸術短大教授)からウズベキスタンへの視察で『一遍会報』寄稿論文が一ヶ月遅れる旨メールあり。想定内の出来事なので慌てず。
長男から今秋の帰省(剪定、伐採など)日程の照会、有難い。息子たちと「道後彩朝楽」での一杯が楽しみである。
午後、「時衆奥谷派の盛衰」関連の年表を作成。
【→前園氏】
貴メール拝見いたしました。ウズペキスタンご視察の由、何よりと存じ上げます。気候のことはよくは分かりませんが、ともあれ猛暑ですので健康には呉々もご留意くださいませ。
『一遍会報』へのご寄稿の件、ご連絡まことにありがとうございました。10月度の会報に掲載させていただきます。よろしくお願いします。
9月度会報につきましたは、8月度例会講師の戒田淳氏の「日本教と浄土系宗教」と代替致します。ご休心くださいませ。
今後ともご教導の程、よろしくお願い申し上げます。

8月26日(月)


しのぎやすい一日となった。
洗濯から一日が始まる。一週間分の日誌の見直し。
午後、来年初の一遍会、伊予史談会で発表する「時衆奥谷派の盛衰」に関して、メインになる遊行七祖他阿弥陀仏述『條々行儀法則』のメモをとる。
『時宗過去帳』から珍一坊の記載を見つける。大収穫である。
夕、秋用の作務衣と長パンツを「エデン」に持参する。夏から秋への衣替えの季節の到来である。
【→恒治】
インターネット調査、ご苦労さん。いよいよ「三好史」研究開始ですね。結構!結構!
ところで、このデータは正確ではないし、調査方法も明示されていないので参考にはなりません。 恒治の今後の研究には「文献調査」を大切にしてください、な。
インターネットの調査は、調査機関・執筆者が明示されているものを中心にするべきでしょう。不明なものは無視したほうが良いでしょう。引用すると大怪我しますよ。
父の論文は『日本姓氏辞典』に拠りました。1位は愛媛県、2位は香川県、3位が大阪府、4位が兵庫県、5位が広島県です。この順位であれば歴史的な必然を感じます。ご参考までに・・・
「坊ちゃん劇場」ミュージカル「瀬戸内工進曲」は良かったです。 

8月25日(日)

初秋を感じさせるさわやかな一日となる。
朝5時から『文芸春秋』⑨に全文掲載の芥川賞受賞作 今村夏子「むらさきのスカートの女」を読む。久しぶりに面白い小説に出会った。文句なしの優秀作品と思う。
東温市の「坊っちゃん劇場」に遠出する。
9時に我が家を出立、市駅経由で見奈良で下車、10時過ぎ「天然温泉利楽」着。90分ほどのんびりと温泉で過ごす。昼食は生ビール小グラスと「ばらすし」。
14時からミュージカル「瀬戸内工進曲」。別子銅山の公害と植林が社会的テーマだが、そこはミュージカル・・・涙あり、笑いあり、楽しい2時間であった。
今回の「坊っちゃん劇場ミュージカル」で14回。11回までは温子と夏生まれのふたりの誕生日祝いを兼ねて毎年出掛けた。それも伊予銀行の株主招待でであった。
16時過ぎ劇場を出て、伊予鉄経由で18時帰宅。
NHK大河「いだてん」を見て夕食、20時から「ぽつんと一軒屋」を見る。
今後の一遍会例会のテーマは「宝厳寺の歴史」とし、①古代②鎌倉期③室町戦国期④江戸期⑤戦前期⑥戦後期に大別して講述したい。最終的には『捨聖一遍と宝厳寺』にまとめる予定である。

8月24日(土)


義安寺墓参り。シキミ、まずまず葉っぱは落ちていない。
高須賀さん、休暇村(大阪)に書状投函。一遍会例会後の赤井厚生さんとの懇親の「NOTRE」確認。なかなかしゃれた感じのサロンである。
週間の仕残し分の片付け。雨の止んだところを見計らって庭の草引き。
『一遍会報』第412号(9月例会配布)の割付完了。①戒田淳会員「日本教と浄土系宗教」②田中順治会員「『武士の日本史』を読んで(一遍さん時代の武士)」
雨も降っており「みよしの湯」で辛抱する。
【→高須賀氏】
残暑お見舞い申し上げます
御書簡拝受いたしました、詳細な御所見を拝し、まことにありがとうございました。
さらに県図書館にご寄贈いただける由、感激いたしております。衷心より御礼申し上げます。
「三好長慶」は信濃の小笠原氏流ではなく阿波国の在地の武士集団との論考もあります。とは申せ「戦国天下人 三好長慶」と伊予三好氏の結びつきにはロマンを感じます。今後ともご教導の程よろしくお願い申し上げます。
まずは御礼まで。草々
【→田中さん】
「NOTRE」ですか。「宇和島バス」南の通りですね。田中さんの「隠れ家」に決めてもらって最高ですなあ。当日はよろしくお願いします。
明日「坊ちゃん劇場」で上演中の「瀬戸内工進曲」と「利楽温泉」で一日清遊に出かけます。そして9月度一遍会例会準備開始です。講話、よろしくお願いいたします。

8月23日(金)

妻の「七の百二十九日」(没903日目)に当たるので、息子たちに「毎週メール」を送る。
嬉しい話だが、三好長慶会20周年記念誌『戦国天下人 三好長慶を語る』が県立図書館に納本され、郷土資料室で読むことが出来ることになった。高須賀康生氏のご尽力によるもので有難いことと感謝したい。
先祖調べに興味のある「みよし(三好・三吉・三善)」さんが手にとってくれれば有難いのだが・・・
8月も来週を残すのみになったので、「暑中見舞い」を頂いた方にギリギリで「残暑見舞い」を出してノルマを果たした。
日中は30度位か、エアコンがなくても過ごせそうである。日曜日に「坊ちゃん劇場」で公演中のミュージカル「瀬戸内工進曲」を予約する。夏休み最後の清遊の一日か。
久しぶりの「椿の湯」か。常連との話がはずむ。

8月22日(木)
「エデンシアター」で『マンマ・ミーア!ヒア・ウィ・ゴー』(2018年 アメリカ 114分
監督:オル・バーカー 出演:アマンダ・セイフライド、ピアース・ブロスナン、コロン・ファース)。
『マンマ・ミーア』の続編だが、正直ミュージカルの映画にはついていけない。
夕、月一回の「エデン ほろ酔いサロン」で談笑。TV「プレバト」をやっと見てダウン。

「八月の機内に点る読書灯  村上健志」
「秋夕焼機内に遺影の席ひとつ  梅沢富美男」
23時目覚める。深夜放送を聞きつつ、眠りにつく。

8月21日(水)

「エデンシアター」で『人魚の眠る家』(2018年 日本 120分 監督:堤幸彦 出演:篠原涼子。西島秀俊、坂口健太郎、川栄李奈)
脳死、臓器提供、最先端医療技術などなどの視点からドラマが展開する。なかなかに興味ある。哲学的には「全体と個」の正解はない。個人的には「生命体のしての吾」の死は「心臓の停止」だが「移植した心臓」は「吾の心臓」ではあるまい。
昼「セブン」(そば)と郵便局(葉書)に立ち寄る。
ファミリー、伊予史談会(柚山副会長)にメール。
マスコミ・ミニコミに「一遍会9月例会」の案内。
『三好長慶会20周年記念誌』贈呈挨拶(宇和三好さん、本多さん外)
『文芸春秋』連載の「大名倒産」が42回で完結である。3年半の長期連載であり、ストーリーも忘れかけている。読み返してみるか。

8月20日(火)

朝から雨。10時過ぎ、淳志ファミリー帰宅、仏壇におまいりする。柏井宅に立ち寄り、義安寺のお墓に詣で、風のごとく神戸に出立する。
お供えに「三好長慶うすかわまんじゅう」あり、ご先祖様には大笑いだろう。
住友信託担当者の季節挨拶訪問。
午後、雑務処理、片付けに追われる。夕「エデン」に戻る。
TVで「クライミング世界選手権」を観戦。ルールも簡単であり、見ていて楽しい「スポーツ」である。雰囲気は「ショー」的ではある。種目別で最低一種目は1位でないと優勝は不可能な点数計算である。
「エデン」ではエアコンをつけず扇風機ですごす。どうやら猛暑は終了してようだ。9月からは、「エデン~自宅」(片道3キロ)の移動は「歩き」に戻るとするか。

8月19日(月)

今夕淳志ファミリーが帰省するので、家内の片付けと空気の入れ替え。
午後、松山子規会8月例会出席。
1)「河東家の出自について 相模国~伊豆国~伊賀国~備前~伊予国まで 竹村鍛 一家のその後」高木貞雄氏
2)「漢詩の遊び」嶌川武彦氏
引き続き常任理事会で9月19日の子規忌法要の役割分担等の打ち合わせ。
18時、大和屋で淳志ファミリーとの会席。今春の雄大、亜実の進学祝いから5ヶ月、落ち着きが出て来たようだ。
温泉本館の「火の鳥ショウ」を観て別れる。「みよしの湯」で辛抱する。
夜半から雨激し。

8月18日(日)

伊予鉄バスで帰宅。
一遍会赤井さんに葉書す。
新聞整理。
①「ニュースの門」(8月17日)「脱24時間」を阻む たばこと酒」
  ファミマ店舗売上高25・8%は「たばこ」。酒を加えると30%超。
②「1463~1634年製 最古の日の丸  奈良・五条の旧家(堀家)保存が」(8月17日)
③【経済学×現代】①アダム・スミス ②ジョン・メイナード・ケインズ ③ヨゼフ・シュンペーター
NHK大河「いだてん」「ぽつんと一軒屋」「俳句甲子園決勝戦」。弘前高校優勝 おめでとう。子規の恩人 陸羯南氏もお慶びのことと思う。
「秋来ぬと目にさやかに見えねどもエアコンなしで眠り安らか」・・・もうそこに秋は来ている。やれやれ。
【メモ 俳句甲子園】
「新緑や父のつくりしベンチ置く」
「新涼や嫌いなやつの良いところ」
「新涼や内陸国の雲の波」
 最優秀賞「中腰の世界に玉葱の匂ふ  重田渉(開成高校一年) 」
 
8月17日(土)

伊予鉄バスで帰宅。
史談会山内会長宛、例会発表応諾の旨連絡する。一遍会三月例会発表と半分ほどダブルが却って好都合でもある。
「友輪荘」で一遍会九月例会出席の赤井厚生さんの予約を確認、当夜ささやかな懇親会を開くことにしたい。幹事役の田中さんに依頼する。
夕、「エデン」。
TVNHKBS「花へんろ特別編」、「京都人密かな愉しみ(祇園さん)」を楽しむ。硬派の終戦特集「昭和天皇の新資料発見 宮内庁長官の極秘記録」と映画「日本のいちばん長い日」(原田真人監督)はバッティングして見ることが出来ない。残念。
【→史談会】
台風一過、一日も早く秋の気配を感じたいと願っております。常日頃、伊予史談会でご教導いただき真にありがとうございます。
このたびは伊予史談会例会での発表につきご推挙いただき深謝申し上げます。一遍会の大先輩である越智通敏先生に肖って、発表の機会が与えられれば光栄であると存じておりました。
今年は一遍上人の後継者である二祖真教上人の七百年御遠忌に当たりますので、一遍亡き後の伊予の時宗と宝厳寺について発表できればと存じます。
仮題として「時宗奥谷派の盛衰~時衆奥谷道場(宝厳寺)と松前道場(定善寺)~」を考えております。
発表時期は2,3月、いずれにても結構です。ご一任申し上げます。よろしくお願い申し上げます。ありがとうございました。

8月16日(金)

台風一過、晴天なり。
盆供養の御霊具膳の片付け。仏壇は次男ファミリーが19日(月)帰省するので、そのままにする。
午後、「送り火」を焚き祖霊を見送る。お盆行事はつつがなく終了する。
伊予史談会山内譲会長から例会講師の依頼受ける。伊予史談会では①小林小太郎 ②松山中学校の外国人教師について過去に講演した。
今回は20年間の集大成として一遍上人についてまとめてみたい。テーマとして「「一遍時宗奥谷派」考~時衆奥谷道場と松前道場~」(仮題)を考えたい。
夕、一週間ぶりに「エデン」。

8月15日(木)

台風10号、九州・四国直撃。
9時半、恒治ファミリーは予定を変更して急いで神戸(しまなみ海道経由)に出立。17時、無事神戸帰着。やれやれ。
10時過ぎ義安寺住職「棚経」。『三好長慶会20周年記念誌』を贈呈。檀家の三好家は数十軒か。
静寂な我が家に戻る。「ウインドウズ10」トラブル。
『三好長慶会20周年記念誌』に目を通す。興味あるストーリーを記す。
1)長慶の希求した理想「理世安民」
2)阿(波)伊(予)讃(岐)土(佐)→「あいのさと」
3)長慶―義継―之勝―長門守秀吉の系譜で「之勝」がキーパーソンヵ。
 義継の正室が十五代将軍「義昭」妹。義昭将軍が信長と仲違いして義継の居城若江城に逃げ込む。織田勢の攻勢で夫妻ともに自刃。その子として「之勝」、その孫として「秀吉」(伊予温泉郡三好家元祖)。その子としての「長勝」(周防宇部三好家元祖)とか・・・云々
夜TV「プレバト」。「みよしの湯」
  
8月14日(水)

朝5時起床。
6時定刻に龍穏寺住職「棚経」。『三好長慶会20周年記念誌』を贈呈、お檀家の三好家は4~5軒の由。
住職に血色がいいですねと褒められる。血圧が一年前より40ほど下がり。目下140前後の旨伝える。精進料理はいいが、結構味噌醤油を使うとのこと。
恒治ファミリーは義安寺に出掛けた後、朝食である。恒治ファミリーとは生活リズムが合わないのが気になる。
泰世と孫娘は実家に出かけたので、三好長門守秀吉の眠る食場三好家墓地に半年振りで詣でて線香を供える。
「奥道後・壱湯之守」でランチバイキングと「翠明之湯」の露天風呂で山の緑を眺めながらの休養。
ロビーの高級感あるレイアウトはおそらく小倉さんのプロデュースだろう。現在のホテル利用者レベルとのアンマッチを感じる。
15時帰宅、のんびり過ごす。
台風が明日四国上陸の報道。松山の雨は降ったり止んだりでそれほどひどくないが、明日は本格的な豪雨のようだ。恒治ファミリーの帰神の予定もあり、気がもめること多し。
【メモ】道後公民館報第38号
(昔ばなし) 湧ヶ渕 
 湧ヶ渕は奥道後の一画をなし、両岸には奇岩が重なり、川水は渕や急流となり、渓谷美を呈しております。
 此処には、その昔大蛇が棲んでいて、夜な夜な美女に化けては、道行く人々をたぶらかしていたそうですが、この地域の豪族で、鉄砲の名手だった三好蔵人秀勝(500年余の昔、土着の豪族・河野通直の客分として、阿波国(あわのくに)三好郡から来予し、食場(じきば)に住んで、付近一帯を領有していた三好長門守秀吉の養子で、織田信長の末子。)が大蛇を撃ち止めたそうですが、かつて聞いたところでは、大蛇の頭骨は三好家で祀り、毎年蛇骨祭をしているそうです。
(高市 沖見)『ふるさと祝谷』「道後公民館報」第38号
長門守養子が織田信長の末子という荒唐無稽な話にただただ唖然とするばかり。いやはや。

8月13日(火)

彼岸の入りである。朝7時で30度近い猛暑となる。
午前中、母屋の掃除に集中する。
日記の整理。昨夜TV「ぶっちゃけ寺2019夏」で興味深い話を聞く。下記する。
「西遊記」と「仏語 三毒(貪・瞋・痴)」との関連付けである。実に面白い。「孫悟空」(猿)は「空ヲ悟ル」であり「猪八戒」(豚)は「八戒」である。沙悟浄(砂漠の妖怪)は「浄ヲ悟ル」である。。
【八戒:不殺生・不偸盗・不邪淫・不妄語・不飲酒・ゆったりとしたベッドに寝ないこと・装身具をつけず歌舞を見ないこと・昼すぎの食事をとらないこと】
「猪八戒」(豚)は貪(欲)、「孫悟空」(猿)は「瞋恚」(しんに)、沙悟浄(砂漠の妖怪)は(愚)痴に対応する。これを束ねるのが「三蔵法師」である。なるほど、なるほど。
午後2時頃恒治ファミリー帰宅。盆供養の設営に入る。
夕、「迎え火」を焚き、祖霊をお迎えする。
道後温泉駅前の「イ0」レストランで夕食(鯛めしセット)。
温泉本館、別館飛鳥乃湯泉の夜景を見物。嫁に今治タオルのリバーシブル帽子をプレゼント。「六時屋」で氷菓子を食べて散会。恒治のみ「椿の湯」に出掛ける。疲れたので22時就寝す。

8月12日(月)


朝7時、義安寺墓苑の清掃、供花、線香をつける。シキミは一束分を家に持ち帰り仏壇に供える。
洗濯、ガラス戸を開放して、室内清掃。外回りは結局間に合わず。致し方なし。毎年のことになるのだろうか。
玄関、仏間だけは本日中に完了。明日一日あるので、何とか片付きそうである。
明日午後長男ファミリーが盆帰省する旨メールが入る。
掃除を兼ねて「みよしの湯」。
NHK「ファミリーヒストリー」は小沢征悦。父は小澤征爾、母は白系ロシア人で意外な事実が飛び出す。まさに世界史的な話題である。

8月11日(日)

午前中、伊予史談会8月例会(県生活文化会館 09:30~12:00)
1)「三間岡本合戦の年代考」中平景介氏(松山西中等教育学校教諭)
2)「河野氏と能島村上氏の関係について」桑名洋一氏(東温高校教諭)
専門的というか年代を中心にした細部研究である。研究者間で大いに議論してほしいテーマと云えよう。素人は「定説」(通説)を利用するしかないと思うが・・・
『三好長慶会20周年記念誌』を山内会長、柚山副会長、高須賀名誉会長に贈呈する。徳島史談会からの要請があれば協力していただくように依頼する。一遍会関係では田中、江刺理事と話す。三好長慶会の出水会長には、メールで本件を連絡する。
午後、洗濯。盆行事の準備。『一遍会報』第412号割付(案)まとめる。
猛暑、書斎でぶら~と過ごす。
NHK大河「いだてん」、「ぽつんと一軒屋」。「椿の湯」。
【→三好長慶会長】
暑中お見舞い申し上げます。
貴「三好長慶会20周年記念誌」、過日受領致しました。質・量ともに「15周年記念誌」の水準を遥かに超す充実振りに正直驚きました。
会長の長年にわたるご尽力が着々と実りつつあることを実感いたしました。有難いことと思っております。
本日伊予史談会8月例会が開催されましたので、高須賀康生名誉会長、山内譲会長(現 松山大学教授)、柚山俊夫副会長に「20周年記念誌」を贈呈し、「三好長慶会」への理解と伊予における三好氏の研究への支援をお願い致しておきました。山内譲氏は日本中世史特に瀬戸内の「海賊(村上氏)」研究の第一人者であります。
まずはご報告まで。

8月10日(土)

9時帰宅。
午前中、仏壇の整理とお盆用法具、料具膳の取り出し、墓地持参の線香、蝋燭など準備。棚経料(10,000円)×龍穏寺・義安寺のお包みセット。設営は長男担当にしたので13日午後となる。
午後、戒田淳さん来訪。8月例会講話の『一遍会報』寄稿原稿持参される。一時間半、郷土史中心の話が続く。『三好長慶会20周年記念誌』を贈呈する。
「椿の湯」。

8月9日(金)

妻の「七の百二十七日」(没889日目)に当たるので、息子たちに「毎週メール」を送る。
銀行、郵便局を回る。一遍会蜂須賀俊一さんと結構長い立ち話。
午後、県文化講座「歌舞伎」③「平家女護島」―俊寛ー受講。講師は神楽岡幼子 愛大教授。歌舞伎「俊寛」は何回も鑑賞したので、講師説明がす~と腹におさ8月10かまる。インターネットで検索すると「平家女護島」の五段ものの全容を知る。『平家物語』の俊寛物語とは違う「意思を通した俊寛と妻の悲劇を知ることとなった。真実は二つ、事実は一つか。
17時のバスでエデンに戻る。夜はTVで過ごす。エアコンの「除湿」は快適である。

8月8日(木)

エデンシアターで「かくも長き不在」を鑑賞する。60年程前にお映画である。20代だが見た記憶があるし、とくに題名の「かくも長き不在」は鮮明に記憶に残っている。
監督はアンリ・コルビ 出演者はアダリ・ヴァリ(テレーズ)、ジョルジュ・ウイルソン(記憶喪失の浮浪者→アルベール・ランダロワ)、ジャック・アルダン。1960年制作 98分。
反戦映画に分類されるのだろうが、なんとフランス的な「これぞ映画」というべき古典的な映画である。
フィナーレの「アルベール」と呼ぶ声が、夜になっても頭から離れない。
11時10分発のバスで帰宅。「花楽里」でハンバーグランチ。
午後、「四季と愛媛の講座」③「夏、秋」(青木亮人 愛大准教授)受講(13:30~15:00)。
 ひとすじの秋風なりし蚊遣香   渡辺水巴 
 風鈴の一つ鳴らして涼しさよ   高浜虚子
 城山の月へ行き交うロープウェー 富田狸通
 子を伴れて堀端に出る夕涼み   大浜逸龍
夕5時バスで「エデン」に戻る。
夜「プレバト」。
『文芸春秋』⑨、『サライ』⑨届く。

8月7日(水)

夏の高校野球選手権が甲子園で開催されているのに合わせたのか。エデンシアターは「バッテリー」(2007年 監督滝田洋二郎 出演 林遣都、山田健太、鑓田晟裕、蓮佛美沙子)
上映。10年以上前の作品だが、出演者は蓮佛美沙子以外は現在も活躍中だろうか。展開は面白いが、漫画(劇画)的である。一昔前の野球少年にはたまらない映画ではある。
昼食は「花楽里」の野菜カレー。
新聞で「上田淳」君の死去を知る。一遍会会員にメール。9日10時からの告別式(ベルモニー鷹子)には出掛けて友を見送るか。
小沼大八氏から「話者からのひとこと」が届く。早速、HPに掲示する。
勝岡大先輩から「子規さん8月俳句」の看板写真が届く。お元気でなによりである。
夕、「エデン」の盆踊り。祝谷の踊り子(おばさん)も参加して盛大である。

8月6日(火)


子規博8月度子規さん俳句「」鑑賞エッセイ執筆。
HP「一遍会」8月度更新作業完了。勝岡昭氏に連絡する。一遍落着。
午後、「友隣サミット」。「三好長慶会20周年記念誌」を手渡す。
会員赤井さんとの交流会を「友輪荘」で開催する案を検討する。予算3,000円ヵ。
夕、エデンに戻る。
【→俳友】
子規記念博物館(館長 竹田美喜氏)監修の子規さんの令和元年八月の句は「紫のふつとふくらむ桔梗哉  子規」です。季語は「桔梗」(秋)です。
『子規全集』第三巻 俳句三「俳句稿」96頁(明治三十年 秋)、第十四巻「評論 日記」中「病床手記」433頁(明治三十年)に掲載されています。
九月二十日 晴
 俳句ヲ分類ス
 午後阪本四方来ル
 瓢亭来ルボタ餅ヲモテナス
 夕方ヨリ雨、柳某来
 此頃の天気になりぬ秋の空
 松を伐てうれし小菊に旭のあたる
 紫のふつとふくらむ桔梗哉
この句の魅力は「ふっとふくらむ」という桔梗の蕾の生命力を的確に描いた子規さんの写生眼、写生力と思います。三句を通して、根岸の子規庵の庭の佇まいが浮かんできます。
子規博では、今年八月中は第65回特別企画展「子規と草花 ―命の輝き―」が開催中です。8月2日に内覧会があり出席しました。三部構成になっています。
1、子規のガーデンライフ -子規庵の庭から―
2、「草花は我が命なり」―子規の命をつないだ草花たち―
3、明治時代の園芸文化
 桔梗は子規庵の庭では、子規が病臥していた八畳間の左手の花壇に葉鶏頭・鶏頭・オシロイバナ・松葉牡丹などの一緒に植え込まれています。四季の移り行きの中で、身動きのきかない子規さんにとって、まさに「草花は我が命」だったのでしょう。
 老生は馬齢を重ね八十五才になりましたが、足が悪く、妻を喪ったこともあり、園芸作業は休止してしまいました。息子夫婦が帰省すれば、また復活するのでしょうが、今しばらくは無理なようです。せめてその日が来ても慌てないように、雑草だけは無心に引き抜いていますが・・・いやはや
子規さんにあやかって一句
  妻を偲んで
「七夕やぽっと赤らむ妻の顔  子規もどき」

8月5日(月)


銀行回り。
一遍会7月度収支、銀行口座確認。お盆行事を息子に知らせる。「送り火」だけはこちらで対応する旨伝える。
13日(月)午後 お盆の仏壇、お料具、掃除。 夕方 義安寺 →「迎え火」
14日(火)朝6時ヵ  龍穏寺棚経
15日(水)11時頃ヵ 義安寺棚経   
16日(木)夕方 「送り火」→ 義安寺
午後、「子規会誌」寄稿論文「子規と遊里・遊廓俳句」を編集事務局(佐伯健氏)にメールで送る。一件落着。
→「子規会誌」事務局】
『子規会誌』寄稿拙論「子規と遊里・遊廓俳句」を取りまとめましたのでご送付いたします。ご受理ください。
1)多くの論文が「俳号」でもって人物を特定しておりますが、私自身は本名を確定して報告すべきであろうと考えております。今回、若干名(北里病院入院者など)の名前は不詳のままになっております。なんとか印刷までには間に合わせたいと願っています。
2)連日の猛暑でバテ気味ですので、引用文献の原典照合が遅々としてすすみません。校正までには原典照合を完了させます。文字の訂正(旧字 歴史的仮名遣いの修正)が主となるだろうかと思います。
 3)今回はスペースの余裕がありませんので、引用文献リストの提示は省略しました。ご了承ください。
まずは原稿送付まで。
(提言)
『伊予史談』では執筆者の住所を末尾に記載しております。研究者同士、図書館・博物館等の司書・学芸員からの照会に応える為です。『子規会誌』についてもこのレベルに達しているのではと考えています。ご検討ください。

8月4日(日)


快晴。洗濯からスタートする。
HP一遍会8月度分の継続執筆。リビングの片付け、ゴミ類の分類。
宅急便で「三好長慶会20周年記念誌」(255頁)が三好長慶会(会長 出水康生氏)より20冊届く。拙論「伊予の三好姓と『三好長門守秀吉』」を寄稿しているので親族や伊予史談会,
サミットの面々に配りたい。一読して、早速出水氏に礼状を送る。
午後、書斎の整理。『一遍会報』寄稿を前園実知雄、戒田淳、田中順治 三氏に依頼する。最低二氏から8月末に手元に頂ければ編集は楽である。待つこと切なるものがある。
NHK大河「いだてん」,「ぽつんと一軒屋」。「椿の湯」。
「椿の湯」。
【→三好長慶会 出水康生会長】
「三好長慶会20周年記念誌」を受領致しました。見事な出来栄えの記念誌に感動致しました。編集のご労苦如何ばかりかとお察しし、頭が下がる思いでございます。
出水様の「回顧と展望」、天野氏の「長慶と久秀」を一読し、拙論にも目を通しました。「編集補足」のご高配、まことに有難うございました。
東予の「三好氏」について不詳ではありましたが、真鍋通康氏の「東予を制した三好氏」で新たな知見を得ました。
「伊予史談会」の関係者にも貴・記念誌を手渡し、研究者サイドからも関心を持っていただくようにお願いすることに致します。まことに有難うございました。併せて貴会20周年記念を心より慶賀申し上げます。

8月3日(土)


湯築城歴史塾(第2回)受講。(子規博10:30~12:00)
テーマ「古文書にみる人間模様―能島村上と来島村上の相克―」
講演者 桑名洋一 東温高校教諭
あまりに「各論過ぎて」素人には理解できない。研究者同士で討論すべき内容か。
義安寺墓苑に詣でる。
午後、一遍会8月例会(道後公民館 13:00~15:30)
1)卓話 『武士の日本史』を読んで(一遍さん時代の武士)(下)
  講師 田中 順治
2)講話 「法然・親鸞・一遍 全ての人は救われる 日本浄土教を考える」
  講師 戒田 淳
16時帰宅。2本立ての講座であり、さすがに疲れた。ビールを飲み休養。
「椿の湯」。

8月2日(金)

8時半帰宅。
子規博第65回特別企画展「子規と草花―命の輝きー」内覧会出席(10:30~12:00)
1、子規のガーデンライフ -子規庵の庭から―
2、「草花は我が命なり」―子規の命をつないだ草花たち―
3、明治時代の園芸文化
正午頃、義安寺墓地に線香を供える。
駅前の新装のレストランでランチ。サービスの悪さに失望、人には薦められない。
午後、一遍会8月例会の準備など。一段落して夜8時に「椿の湯」に出掛ける。
メール関係
①長男・次男夫婦宛「毎週メール」
②孫娘
③「三好長慶会」出水会長
④一遍会・田中氏(卓話原稿依頼)
⑤一遍会・小島さん(赤井厚生氏)
⑤友隣サミット(梅木・井上さん)ほか

8月1日(木)

8月に入る。猛暑、快晴・・・本格的な夏到来である。
6時起床、月末の日記を整理する。
8時半、エデンから帰宅。一遍会8月例会案内を会員に流す。
9時半、道後村夏祭の嚆矢である「湯釜薬師祭」に一遍会代表として列席す。
子規博で8月度子規さん俳句「紫のふっとふくらむ桔梗哉」を確認、竹田館長と一言二言・・・
道後公民館で10月度一遍会例会の予約を済ませ「フジ」で食料品調達。
HP一遍会8月度の更改作業。
15時、三井住友信託フォローアップカレッジ出席(えひめ共済会館)。
テーマ:新元号「令和」と大伴旅人『万葉集』巻五・梅花歌について
講師:竹田美喜 子規博館長
竹田女史は「万葉集学者」であり、今回マスコミで流された情報とは違く視点で明快に歴史的な分析と提言を行う。見事なものである。感服した。
旅人の歌「我が園に梅の花散るひさかたの天より雪の流れ来るかも」と子規の句「天の息かすかに届く寒の梅」の結びつきを考える。
強烈な知的刺激を受けたので知人がおれば酒を酌み交わしながら語りたかったが誰もいない。高島屋地下で弁当を調達し、17時のバスで「エデン」に戻る。
「プレバト」「科捜研の女」を愉しみ、竹田館長の講演の「復習」。時が過ぎるのを忘れる。
三好長慶会の出水会長から「長慶会20周年記念号」出版の連絡あり。お祝いを伝える。
7月31日(水)

明日から8月である。快晴・猛暑である。
7月中に取りまとめる予定の『子規会誌』寄稿論文「子規と遊里遊廓俳句」は『子規会誌』の24字×21行×2段×12ページで収める。約12,000字である。
子規会8月例会時に校正を済ませて編集部に提出する予定。
今週末の一遍会8月例会に明日から全力を挙げて取り組むことにしたい。
14時過ぎのバスで「エデン」に戻る。
15時半からエデンの担当者との誕生月面談(約30分)。「夜間温水装置」は使用しないので電源を切ってもらうことにした。3,000円弱経費削減ヵ。
夜、NHKBS「英雄たちの選択」(そして万葉集が生まれた~大友家持が残した日本人の心)。

7月30日(火)
朝5時起床。一週間分の日記を整理する。
27日の山崎氏との話で話題になった鴨川にある久保氏の「御降りや」の句碑につきインターネットで探索、「久保病院」内にある由。名前から判断して祖父―父―子の三代医師であるらしい。取りまとめて山崎氏にメール。
午前中「子規と遊里遊郭俳句」執筆。午後3時、タテ組で1,000字×12頁(ほぼ12,000字)の粗原稿ができ上がる。やれやれ。
夕方「エデン」に戻る。
【→山崎氏】
「アルネ」での懇談、楽しいひとときでした。有難うございました。機会があれば、またお会いしたいものです。「烏谷章中将の件」は、ぼつぼつと話を膨らませていきます。
ところで鴨川にある「御降りや・・・」の句碑につき、下記ご参考になればと存じご報告します。
「御降りや外湯に通ふ宿の傘(久保蘭香)」句碑
所在地 鴨川1丁目 (潮見) 「久保内科循環器クリニック」敷地内
院 長 久保  俊   副院長 久保  俊彦
「久保蘭香」の本名は「久保昂」氏ですし、名前が「一字」です。(昂⇒ 俊⇒ 俊彦)
久保俊彦医師は「 松山赤十字病院循環器センター部長」を退職後病院を引き継いだものと思います。「祖父ー父ー子」の系譜です。(ご当人とは未確認です。)
道後の元「久保病院」跡の「柳井内科」は、久保昂医師の娘(柳井家に嫁ぐ)の次男で、長男は市内で開業中の由です。華麗なる医師ファミリーです。うらやましき限りです。
という次第で、「御降りや外湯に通ふ宿の傘(久保蘭香)」句碑(鴨川在)の謎がとけました。

7月29日(月)

梅雨明けの快晴。猛暑である。
朝6時起床。朝食までに「一遍会8月度ニュース」を取りまとめ会員に流す。
朝食後、洗濯から一日が始まる。
午前中「子規と遊里遊郭俳句」執筆。ほぼ12,000字の枠内で粗原稿ができ上がる。やれやれ。
午後、書斎の整理をして、熱中症対策もあり、屋外作業は「水やり」など最低限にする。
夕方「エデン」に戻る。
鳥取のAK氏(一遍会会員)から、一年ぶりに9月例会に出席との連絡があり。大歓迎である。

7月28日(日)
朝6時から「子規と遊里遊郭俳句」の執筆。「はじめに」と「遊郭十句集」がまとまる。
明日以降、②子規が訪ねた遊里遊郭 ③子規の使用した遊里用語の順序を逆にして、吉原と道後松ヶ枝町をたっぷり説明していきたい。
午後2時から5時まで、戒田さんがボランティアで我が家の除草剪定作業に来ていただく。除草剤も散布したのでお盆にはすっきりした庭になりだろう。とはいえ、随分疲れた。寝るまで体が水分を要求している。『みよしの湯」で汗を流し、夕飯の用意。ビール旨し。
併せて、一遍会8月例会での戒田氏の講話のレジュメをベースに浄土宗の話をする。事前打ち合わせ完了。
夜、NHK大河「いだてん」と「ぽつんと一軒屋」を見る。
次男と帰省の細部打ち合わせを済ます。

7月27日(土)

朝から『子規会誌』寄稿のにかかる。
主に①「遊郭十句集」 に絞って取りまとめる予定である。
①については『子規選集』第14巻「子規の一生」和田克司編 (増進会出版社2003年)と『子規全集』別巻三「回想の子規二」〔俳句会稿補券遺・十句集〕(講談社1978年)により、合計七三回の「月次十句集」をリストアップし、子規の10句を紹介することにした。
②については新吉原と道後松ヶ枝町が中心になる。③はすでに取りまとめている。
夕方4時に書斎を離れる。
夜、NHK「ブラタモリ」(阿寒湖・摩周湖・黄色い山・黒い滝)。「椿の湯」
八月は長男夫婦がお盆に帰省、次男ファミリーは19・20日帰省の由、楽しみに待つことにしたい。

7月26日(金)

朝6時に目覚める。熟睡したようだ。さわやかである。
エデンシアターで邦画「そらのレストラン」を鑑賞する。(監督:深川栄洋 出演:大泉洋、本上まなみ、岡田将生 2018年 126分)。北海道せたな町の海が見える牧場での大人の童話である。青年に送るファンタジーかシニアへの激励なのかよく分からない。通常は夫婦愛があるのだが、本上まなみは顔立ちは良いが、せりふは素人である。
(注)「せたな町」平成17年9月北檜山北部3町合併
ランチは「花楽里」の野菜カレー。
「アルネ」で山兄弟生誕地館の山崎理事長とおしゃべり(15:00~17:00)。久保氏句碑「お降がりや」、「道後温泉碑」、松ヶ枝町遊郭からご城下でのトピックスなど話題は豊富である。
①烏谷中将の本名は「烏谷章」であること。
②秋山好古大将の影に隠れているが、大将に事績を支え継承した大恩人であること。
③無名だが「井上某」なる人物も支え続けた人物であること。
「坂雲」「子規博」との連携は密でありこと。ロシア人は「帝政ロシア」に否定的であるので、特に「日露(露日)戦争」の説明には過激な反応はないことなどを知った。
道後本館の改修工事現場を見て周り帰宅す。20時過ぎ「椿の湯」に出掛ける。ガラガラである。西山さんに出会う。

7月25日(木)
早朝4時起床、『子規会誌』寄稿論文「子規と遊里遊郭俳句」(締め切り8月末)執筆開始。
9時帰宅。洗濯の後、事務処理と庭木の剪定をしてシャワーで汗を流す。
午後、愛媛県振興財団文化講座「四季と愛媛」受講。講師は愛媛大学 青木亮人准教授(13:30~15:00)
「冷さつま」(獅子文六)、「風板」(碧梧桐、山本富次郎)、さつま汁など食に関するソフトタッチの話に引き寄せられる。
夕、「エデン」ほろ酔いサロン(17:00~18:30)。南予のさつま汁、ひゅうが飯を話題にする。大いに盛り上がる。
夜、TV「プレバト」。
最優秀作はフルポン村上の「行間に 次頁の影 夕立晴」。作者と五〇センチ内の世界で、これほどの詩が生まれるとは奇跡に近い。脱帽だ。上手い。
子規忌への句は「へちま仏「明治」は遠くなりにける」とした。
酔いもあり、入浴せずにダウン。

7月24日(水)
早朝4時目覚める。『文芸春秋』⑧読み始める。
①藤原正彦「ヨーロッパの轍」
②年金放壊すべてに答える(自民党vs,ミスタ―年金vs,金融庁委員」徹底討論
③「家族という病」を治す(橋下徹、橘玲、樋口進ほか)
④広野真嗣「就職氷河期世代孤独と悲哀の事件簿」
好論文が続く。
8時半の車で帰宅。プラスティックゴミ出し。
9時から庭の紫陽花や雑木の剪定に挑戦。暑さと湿度で1時間で休止、シャワーを浴びる。参ったまいった。
正子宅を訪ねる。2ヶ月ほど会っていなかったので気になっていたが健康そうで安心した。白石さん、綿岡さん、洋子さんなど小学校時代の懐かしい女の子の話を聞けた。
2019年度検診申し込み(9月9日JA道後支所)。
8月末目標で『子規会誌』寄稿の「子規と遊里遊郭俳句」(12,000字)を講演記録(約20,000字)からまとめることにした。自宅と「エデン」の2箇所での執筆になるので情報を「リムーバブルディスク」に取り込んでの作業となる。それにしても、便利になったものだ。
夕、16時のバスで「エデン」に戻る

7月23日(火)
雨が晴れたので紫陽花の剪定をやろうと張り切ったが、剪定鋏数本の所在が分からない。思い出せない。昨秋息子たちが庭木の剪定をしてくれたのだが、いつもとは違う場所に格納したのだろうか。
という次第で、青山淳平著「『坊っちゃん』の漢学者はなぜ斬殺されたか」の第三部「「歴史のたくらみ」」読了。
左氏珠山を惨殺した宿毛藩士「三好蔦江」の輪郭がぼんやりとしか浮かんでこない。今後高知県に出掛けた折には「三好蔦江」の情報を発掘したいと思う。

7月22日(月)
終日雨である。
週末の月例会、勉強会の復習と資料の整理。
『一遍会報』第412号の検討開始。
青山淳平著「『坊っちゃん』の漢学者はなぜ斬殺されたか」再読。第一部「十九年の空白」 第二部「物語『しき石なれど』」読了。次いで、第三部「歴史のたくらみ」に入る。
夜、TVで参議院選挙の分析番組を2本見る。「安部史観」なる言葉を知る。祖父岸信介氏から引き継いだ遺伝子は確かに生きている様だ。

7月21日(日)
本日も朝から雨である。うんざりである。
○武智氏メール(消息)
○青山淳平氏宛一遍会10月度例会講師正式依頼⇒応諾「新渡戸稲造と松山事件」
○日誌整理
午後、道後公民館で参議院総選挙投票。投票した二人とは、地方区は高校の後輩、比例区は大学の後輩で、二人の「不遇時代」に一緒に酒を飲んで政治を語った「仲間」である。当選した二人に乾杯!!! そういえば県知事も10数年前の衆議院選挙に落選した浪人の時代に松山三田会で知り合った。息子と同年であり親しみを感じている。
午後2時から子規博夏季子規塾(子規博講堂)出席。
テーマ 子規と『坊っちゃん
講 師 佐藤栄作 愛媛大学教育学部教授
久しぶりに「知の力」を感じたが、子規・漱石の文章から「ええとこ取り」で論旨を組み立て巧みなレトリックで聴衆を酔わしてしまった佐藤教授の言語力に感服した。
それにしても引用資料に目を通して「追体験」してみたいという誘惑にかられながら退出した。
「フジ」の買い物で現実に戻り、ワインを飲みながら大相撲千秋楽を観戦(横綱鶴竜 7場所ぶり6度目の優勝)する。
夜は楽しみにしている大河「いだてん」も「ぽつんと一軒屋」の放映はなく総選挙開票速報ばかりである。
半年振りで「みよしの湯」でのんびりと我が家の庭を眺め、なんということもなしに選挙結果を見る。「安倍体制」は変わらず、安心ではあるが、二大政党制は日本には定着することはないのだろうか。
長男からは雨中の富士登山の報告、次男夫婦からはウェスティンホテルでの獺祭の会参加報告・・・・・対蹠的な息子たちの日常生活を垣間見た。

7月20日(土)
朝6時半から「作業」開始。
○小島孝子さん 安否照会
○大本敬久氏 『一遍会報』掲載論文依頼
○青山淳平氏  一遍会例会講話について
朝10時、湯築城歴史塾「河野氏を支えた文武の道」①受講。(子規記念博物館)。
講師 友澤明氏(日本甲冑武具研究保存会評議員 小松温芳図書館・郷土資料館専門員)
講義 「河野氏所用の甲冑再考~工芸史から~」
90分の講義であるが、何を語りたかったかが不明である。
大山祇神社所蔵の国宝、重文の甲冑について、時代考証として疑問を提示するにはいいが、だからどうなのかの提示・提案がないと非専門家にはチンプンカンプン分からないし、却って混乱する。
数名の仲間にも聞いてみたが、同様の見解である。
昨晩、田中さんから質問があった「祝谷の無栗池(むうくりいけ)」の地図を持参したが、祝谷で育った神尾・梅木両君から明快な回答を得た。田中さんも了解した筈だ。
イタリア料理店「イル ポジターノ」で梅木君とランチ、カレーライスだが@1,000円となると結構旨い。
午後はエアコンの書斎で過ごす。
夜、「ブラタモリ(釧路へ 世界に誇る湿原の奇跡)」を見る。

7月19日(金)

大雨である。
朝10時、愛媛県立図書館で『一遍会報』ファイル点検。司書の柚山さんに直接依頼したのでパーフェクトにファイルされている。
高島屋、東急ハンズに固定電話用のロール型転写用紙を仕入れておらず困った。昼食はデパート8階「とんかつ 活」の35%割引の「そうめんとミニ丼セット@648円」。
「エデオン」まで足をのばしやっと電話用転写紙を入手。グランフジ「タリーズコーヒー@330円」で時間調整。13時、愛媛新聞社に着く。
松山子規会7月例会出席(愛媛新聞社1階ホール)。
1)加藤幸男氏(極堂会会長)「俳人 極堂とその交友」
2)戸田政和氏(元松山東高教員)「俳句甲子園」。
両氏の講演は学問的ではないが、文献でなく自らの見聞の上で実証的に組み立てている。特に昭和5年頃の松山名物「子規せんべい(煎餅)」の調査と「俳句甲子園」での選者のポジションは大いに参考になり、興味をそそられた。
井手、烏谷、渡部、佐伯、近藤、二神、戸嶋、今村各氏と短時間ながら懇談できた。戸嶋氏に家まで送ってもらう。雨なので大いに助かる。
『子規会誌』第164号掲載予定の拙論「子規と遊里遊郭」は12000字での寄稿を要請される。編集の苦労がわかるだけに、8月末には編集部に提出したいものだ。
雨の中、戸嶋氏に自宅まで送ってもらう。有難し。
夜、NHK「チコちゃんに叱られる」を見て就寝。

7月18日(木)
高温で蒸し暑い・・・虚脱状態である。夏バテか。
ただなんとなくTVを見て過ごす。こんな日があって良いか。気にせずに過ごそう。
①パソコンとプロジェクターのミスマッチは「古き情報(旧式プロジェクター)は古きシステム(マイクロソフト7)に」で解決。
②松山歴史文化研究会例会はエデンほろ酔いサロンと日程がバッティング。バッカスの神に乾杯!!!
③子規博竹田館長から「泊瀬朝倉宮=脇本遺跡説」の説得力のコメントあり。学者同士の話には門外漢はついていけないのだが・・・ともかくよかった。
夜、「プレバト俳句」を楽しむ。
1位 千賀健永
黒き地の 正体は海 揚花火
2位 千原ジュニア
渋滞や 花火の映る ボンネット
3位 皆藤愛子
ラムネ瓶 浮かぶ未明の 川しづか

7月17日(水)
朝一番にごみの運搬、洗濯からスタートする。
昨日の「年男の誕生日」をエッセイで記録に残す。子規博夏季塾、住友信託シニアセミナー担当者に出席の旨連絡。
一遍会8月例会予告を取りまとめ、マスコミ・ミニコミに連絡。
午後1時過ぎの伊予鉄バスでエデンに戻る。
2時からエデン全体会議出席。7月誕生者の紹介あり。
エデン本部(聖隷福祉事業団)と松山エデンの園の2018年の決算書の報告あり。本部の常務出席も出席。なかなかしっかりしたガバナンスである。
担当者の誕生日面接が予定されているので①尊厳死の宣言書②終末期の医療に関する意向確認書等を記入する。
TVで7月17日が石原裕次郎の「三三回忌」であることを知る。日吉の時代、数回彼に出会ったことがあった。
彼は既にスターだったから授業も受けることができなかったろうし二年次で退学して慶応を去っていった。
石原裕次郎、美空ひばりは、ともに五〇代でこの世を去ったのか。

7月16日(火)

84歳の誕生日を迎える。
義安寺に出掛け、妻の墓前に報告し、庫裏で先住夫人に寺費、御施餓鬼料を納める。
伊予銀行(一遍会6月度収支決算、駐車場管理費納入、定期預金)、愛媛銀行(駐車場料金)、郵便局(各種支払い)、クリーニング店(作務衣)など。改装の道後駅前ローソン店をのぞく。
次男から誕生祝に珍しいフルーツドリンクが届く。中に「ミドリムシドリンク」もある。
16時、エデンに5日ぶりに戻る。
晴れ間に洗濯。座敷の土塀修理再開。

7月15日(月)
やっと天候が回復する。午前中、表庭の草引き。恒治は裏庭(畑)の除草作業。11時過ぎに一応目処がついたので父子共同作業は終わる。
「大黒屋」で冷たい「大黒うどん」を注文する。旨い。
午後1時、恒治は帰神する。5時間の車の運転である。8月13日~15日の盆帰省は息子夫婦二組の予定である。孫たちは冠婚葬祭以外は帰省することはなくなるだろう。
がらんとしたリビングで休息。
パソコンとパワーポイントのミスマッチがあり、田中さんと電話とメールで情報交換する。9月例会までに結論を出さねばならない。少々困った。
疲れもあり「椿の湯」にも出掛けず、ベッドダウン。

7月14日(日)

伊予史談会7月例会出席(県成生活文化会館)。
1)演題:「国史跡等妙寺旧境内の調査成果について」 講師 幡上敬一氏(鬼北町教育委員会)
2)演題:「松山城下絵図を読み解く-「亀郭城秘図」中心に」 講師 井上淳氏(県歴博学芸員)
旧知のご両人であり、説明も明快でわかりやすい。もっとも等妙寺旧境内の調査結果についてはほとんどが既知であった。反対に「亀郭城秘図」については全くの無知である。いやはや。
史談会の高須賀、山内、柚山、二神氏、一遍会の田中、江刺、戒田氏らとの語らいが楽しい。
恒治は雨中の外仕事で疲れたようだが、あまり成果は上がらなかったようだ。
椿の湯」。息子と「金兵衛」で22時まで飲む。

7月13日(土)
午後1時から一遍会7月例会開催(道後公民館)。
1)演題「雄略天皇の泊瀬朝倉宮と脇本遺跡」講師 前園実知雄氏 (奈良芸術短大教授)
2)卓話 「大航海時代前編「東西交流の歴史」」講師 田中弘道氏(一遍会 理事)
夕、5時より一遍会役員懇親会(すし丸)
午後、長男東京より帰宅。除草作業が目的だが、生憎の雨である。

7月12日(金)
庭の蝉の声に気づく。もう梅雨が明けたのだろうか。
エデンシアター「文福茶釜」を見る。
日本映画 2018年制作 監督:大畑拓也 出演 駿河太郎 小芝風花 赤井秀和)。
久しぶりの喜劇映画で大いに笑いました。いやはや。
午後、明日の一遍会7月度例会準備。
恒治が三連休で帰宅するので、食料品等の調達。
「椿の湯」。
「中山カメラ」氏(「現代音頭作家)からメール。事務局内で情報のミスマッチがあり、今日午後の私との面談が実現できなかった。
蜂須賀氏に連絡し調整を依頼する。

7月11日(木)
長男から定年前に松山勤務の可能性が出て来た旨連絡あり。人事からの来春の「内内示」らしい。将来生活の設計上、ホット&グッドニュースである。「果報は寝て待て」で行くか。
「一遍会7月度ニュース」を取りまとめる。
午後、「ダイキ」で一遍会配布資料印刷(『一遍会報』、「一遍会7月度ニュース」「前園実知雄氏講演レジュメ」)。
夜、TV「プレバト」。『文芸春秋』8月号を読む。
①「豪雨の登山 これより先は 神の庭   立川志らく」
②「ひまわりや 配線沿いの ラーメン屋  横尾渉」
①の「これより先は」は新鮮。②は私的には「駄作」と思う。「ひまわり」でなくとも良いし「ラーメン屋」である必然のない。「配線沿い」しか残らない。夏井宗匠の選考に疑問を感じた。

7月10日(水)

エデンで令和元年前半期の日記を一通りチェックする。
エデン七・八月度誕生会に初参加。僅か7名と園長と担当者の9名。
場所は元食堂勤務の川崎さんが2月に開業した北条の「そば処 かわ咲」。なかなか落ち着いた雰囲気で満員の盛況の由。三谷さんと話がはずむ。
11時半出発して13時40分帰着。14時過ぎのバスで帰宅。
SRさん(一遍会)の依頼で「松山方言校閲者」に今村威氏を推薦する。
子規博夏期子規塾(愛大 佐藤栄作教授「子規と『坊っちゃん』7月21日)申し込む。
17時のバスでエデンに戻る。
NHK「英雄たちの選択権」は「藤堂高虎」。宇和島城、今治城の城主であるが、家康の信頼の深さに驚く。
結構忙しい一日ではあった。

7月9日(火)
曇天なるも寝具の洗濯。
『一遍会報』第409号テスト印刷。
前園美知雄氏の一遍会7月例会講演レジュメ、『延喜式』(神祇官関係の式)印刷。作務衣上下クリーニングなどなどで午前中がつぶれる。
午後2時、友隣7月度サミット。
道後町商店街振興組合から町おこしの一環として「念仏踊り」を企画したいので相談に乗ってほしい旨、蜂須賀氏から依頼。
面談者は「現代音頭作家:中山カメラ」氏・・・名前は知っている。面談日の調整が必要だが、7月13日(木)午後になりそうだ。

7月8日(月)
エデンで朝10時から小暮照氏の「戦後75年 日本の今・昔」の映写会あり(約2時間)
。バスで往復する。
午後、「一遍会ニュース」を会員に流す。『一遍会報』第411号の原紙制作。7・8月予定表検討。

7月7日(日)
晴天。
朝一番に洗濯、キッチン整理、リビング掃除。門前の川掃除。手紙を一本書いたところで昼食。
午後、令和元年上半期の来状、定期刊行物(主に月刊誌)の整理と処分。リビング内がすっきりする。
NHK「いだてん」。「椿の湯」。
今宵は七夕である。
一昨日休暇村で詠んだ句は「七夕や水鏡の海父子島」だが「天の川水鏡の海父子島」の方が俳句的かもしれない。妻を喪い息子とともにそれぞれが妻、母を追憶するという切なさなのだが・・・

7月6日(土)
9時半、送迎車で壬生川駅、JRで西条駅下車、伊予史談会の柚山副会長ご夫妻に出会う。
西条は私にとってお気に入りの町である。今回は駅から「五輪塔」(徳常寺任瑞和尚遺跡)ー「モニュメント うちぬき水の和き水」―禎祥寺(天正の陣の林瑞和尚ゆかりの寺でフジの名所)―観音水(新町川水源・自噴)を経てバックする。
瀟洒な建物の「蔵はちかふえ」で「山菜おこしセット」&コーヒーで軽めのランチにする。
「水舞台」「ほたるの里」「大通寺」界隈を散策して、13時「西条登道」で伊予鉄バス乗車15時過ぎに帰宅する。
CATVの巡回サービスの女性にNHK通信教育チャネルを追加してもらう。
2日分のメール処理の追われる。「椿の湯」。
【→ファミリー】
「休暇村瀬戸内東予」で一泊して先程帰宅しました。「マイバースデイ」前祝いです。年数回母さんと一緒に「休暇村」を利用していましたから、どの休暇村を訪ねてもアットホームな雰囲気です。
昨日は夕方むしむしする中で1時間ほど山歩きをして、温泉で汗を流して、下着を洗濯して、バイキングです。久しぶりのビールの旨かったこと。いやはや。
米寿と八十歳の名古屋からの夫婦づれと親しくなりました。大手企業のOBらしく、登山が好きな上品な紳士でした。西条からケーブルで石鎚山7合目(成就社)までのコースを紹介し、西条駅までお送りしました。「お接待」なのか「お節介」なのか分かりませんが・・・・・随分喜んでくれました。(以下 略)

7月5日(金)
伊予鉄バス大街道13:31発新居浜行きで西条駅1510着。JR15:19発普通列車で壬生川駅15:32着(5分遅れ)、送迎車で16時に「休暇村瀬戸内東予」着。
日没まで時間があるので、二年ぶりに、休暇村の遊歩道を歩く。ここの遊歩道は山越えがあり結構大変である。
杖を頼り、山に登り下りして中腹の庭園から別の道を通って本館に戻る。
温泉で汗を流し、上下の下着を水洗いする。18時過ぎにレストランで瀬戸内の魚を中心にバイキングを楽しむ。最後は、アイスクリーム、フルーツ、コーヒーで仕上げる。
22時に2度目の入浴、ぐっすり熟睡する。

7月4日(木)

雨は峠を越したようだ。
昨日に引き続き「エデンシアター」で映画鑑賞。
「メリーポピンズ・リターンズ」(監督 ロブ。マーシャル 出演 エミリー・ブラント他  アメリカ映画 2018年 131分)。
「メリー・ポピンズ」を観たのは50年近く前かな。映画の世界にす~と入ることができた。131分というから2時間、ミュージカルの世界を楽しめた。
午後1時帰宅。
一遍会の太田美智子元理事、岩田監事と電話連絡と病気見舞い。江刺理事に懇親会出席者連絡。
一遍会講師の圓増治之氏から校正届き、再割付して『一遍会報』(第409号)最終版をメールする。
予約済みの「休暇村瀬戸内東予」は誕生日プレゼント付の由、折角だから晴天であってほしいものだ。
夜「プレバト」。

7月3日(水)
九州を中心に記録的大雨となり避難指示対象人員100万人とがいうが、実際に避難するとすると物理的に可能だろうか。
愛媛県も夜分になると、南予を中心に猛烈な雨となるらしい。
8時半、通常通り専用バスで帰宅。9時にJA担当者と定期預金事務処理。仕上がったワイシャツをクリーニング店で受け取り。セブンで「烏谷章陸軍中将」の資料を複写。
13時過ぎの伊予鉄バスで「エデン」に戻る。
14時「エデンシアター」で『日日是好日』(監督:大森立嗣 出演:黒木華 樹木希林 原田麻由 2018 100分)鑑賞。
第92回キネマ旬報ベスト・テン第9位、 日本映画ベスト・テン第7位、第42回日本アカデミー賞第8位、 優秀主演女優賞(黒木華)、優秀助演女優賞(樹木希林)受賞作品であり、樹木希林の最後の作品でもある。期待以上の感銘を受けた。
茶道、華道を老後の友とした母のことを思い出す。[日日是好日]と合わせて、「聴雨」「遠仁者疎道 (おにはそと ) 不苦者有智 (ふくはうち) 」(福は内)などの言葉を知る。
小暮照氏宛に「烏谷章陸軍中将資料」を送る。

7月2日(火)

JA道後の担当者来訪。定期預金満期手続きの依頼。JAは組合員・非組合員の区別を廃止して同一利率適用となったが、大口であり、従来通りの適用となる。郵便局で配当金受け取りほか。
子規さん7月俳句「」の鑑賞エッセイ執筆。HPに掲載する。暑さボケで下らぬ「子規もどき句」となる。
6月度日録をアップロードして、7月度分のHP更改は完了する。K・A氏と2ヶ月連絡が取れず。米寿翁だけに心配である。
ミニコミ紙の校正完了。一遍会6月度収支決算完了。これにて、令和元年前半の事務局業務は完了した。やれやれ。
【→俳友】
子規記念博物館(館長 竹田美喜氏)監修の子規さんの令和元年七月の句は「行けば熱し休めば涼し蝉の声   子規」です。
季語は「蝉」(夏)です。『子規全集』第一巻 俳句一「寒山落木」492頁(明治二十六年 夏)、第十三巻「小説紀行」中「はて知らずの記」572頁(明治二十六年)に掲載されています。
この句は「寒山落木」では抹消句、「はて知らずの記」では「行けばあつしやめれば涼し蝉の声」です。常識的に云うと、抹消句ではなく活字化(公表)された俳句を表示すべきです。
学生諸君が卒論を書く場合は決して「行けば熱し休めば涼し蝉の声」を使ってはダメです。老婆心ながら付言しておきます。
子規の「はて知らずの記」ですが、明治二六年七月一九日から八月二十日の間に、松尾芭蕉没後二〇〇年を祈念して芭蕉の『奥の細道』の跡をたどる旅を企画し、その旅行記を『はて知らずの記』としてまとめ、新聞「日本」に掲載しました。
この句から芭蕉の「閑さや岩にしみ入る蝉の声」の句が口に出て来ました。子規も「涼し蝉の声」と詠み、芭蕉の句から離れることはできなかったのでは・・・
八月五日、「広瀬川に沿うて遡り・・・・、野川橋を渡りてやうやうに山路深く入」ったあたりの句のようである。「川奇なり夕立雲の立ちめぐる」の句も残している。
「馬子より外は通はぬ田舎道に何憚るべきと独り裳を蹇げて歩めば蚋群ひ人を螫して血痕足を染めむ。
  世の中よ裾かゝぐれば蚋のくふ
  行けばあつしやめれば涼し蝉の声
  馬子歌のはるかに涼し木下道
  風涼し瀧のしぶきを吹き送る
  上下の瀧の中道裾すゞし  (以下 略)」
子規は旅行記を書く(描く)ことで、写生俳句の何たるかを感じ取ったに違いあるまい。
子規さんにあやかって一句
  TV「ぽつんと一軒屋」を見て
「一軒屋下りは涼し蝉の声    子規もどき」 いやはや。

7月1日(月)

令和元年の後半がスタートする。曇天である。数日、雨天か曇天らしい。
月初の業務をすすめる。
1)道後公民館会場予約(一遍会9月例会)。
2)一遍会会員宛7月度例会案内メール。
3)『一遍会報』第411号校正依頼(圓増治之先生)。
4)「友隣サミット」メンバー宛メール。
5)「烏谷章中将」調査連絡。
6)子規さん7月度俳句「」鑑賞エッセイ執筆。
6月30日(日

一遍会業務に集中する。
Ⅰ) 一遍会7月度例会のお知らせ
2) 一遍会7月度ニュース
3)『一遍会報』第409号編集割付
  ①圓増治之氏「一遍上人と他阿弥陀仏真教の涙」
  ②本山遊行寺HP「他阿弥陀仏真教」
  ③融通念仏宗布教誌『心のしるべ』(七九号)中「『一即一切 一切即一』の訓え」
4)東雲女子大講義をHP「松山発子規サロン」に掲載
などなど。
坂本要氏(筑波学院大経営情報学部)論文「踊り念仏の種々相(1)―空也および空也系聖について―」一読す。
烏谷章(陸軍中将)の資料をまとめる。郷土資料は「からすだに」だが陸軍学校資料は「うや」である。愛媛県出身。
NHK「いだてん」。雨強く「椿の湯」はお休み。

6月29日(土)

ファミリーに定期便(妻の「七の百二十一日・没847日目」をメール。
佐伯氏に「烏谷中将」に問い合わせ。国民学校当時の軍人の記憶では「河野部隊長」と「烏谷中将」がある。
県図書館に「一遍会報」既刊号を届ける。又、利用者が2部抜き去っている。窃盗であり、犯罪であるが、一遍フアンに斯様な人物がいるとは信じたくないのだが・・・
エレベーター内で梅木君に出会う。
虎尾俊哉(国立歴史民俗博物館教授)『延喜式』(吉川弘文館 日本歴史叢書)貸出。
昼食は高島屋8階の「とんかつ 活」。伊予鉄の株主総会で貰ったパスポートで「そうめんとミニ丼セット」が@1,030円が648円。大サービスである。腹満腹である。
東野経由道後行バス乗車。桑原農協前の「得能寺」、愛大農学部、東野、石手寺を回って、義安寺下車。墓参を済ませ帰宅。
帰宅後、パソコン作業。
夜、NHK「ブラタモリ<阿蘇へ>」。「椿の湯」。

6月28日(金)

午前中、郵便局(配当金受取)から商店街で一昨日小火を出した「鯛めし屋」をのぞく。「勝手ながら休業」の看板はあるが、詫び状がない。商人道を失した行為に多くのフアンの信用を失うだろう。
県図書館は休館、「三越」で時計の電池交換。美術ギャラリーで開催中の「大端渓硯展」鑑賞。端渓老坑からは「水岩」「土岩」があって、「水岩山水大硯」は貴重の由。担当者から10分ほど説明を受ける。60~150万円の硯だが原価は10~30万円といったところかな。書家が持つには相応しい風格が硯にあることは認めるが・・・
「アエル明屋」で佐々木閑氏(花園大学教授)『大乗仏教』購入。仏教概説書だが、目下の関心テーマにぴったりである。
午後は、資料整理に充てる。
『松山百点』届く。道後界隈トリビア①「道後公園ウォッチング」の散策道紹介は便利・有益である。
大阪で開催されたG20(主要20カ国・地域首脳会議)ニュースと陸上・日本選手権での男子100メートル決勝をTVで見る。サニブラウン 10秒02の大会新で優勝。
「椿の湯」では常連の西山さんの顔が見えない。病気ではないかと仲間内で噂する。疲れも取れ熟睡する。

6月27日(木)


「令和初の台風が上陸する見込み」とのニュースであったが、大したこともなく一日過ぎる。やれやれ。
午前10時から「伊予銀行」の定時株主総会出席、一株主の発言に大荒れ模様。株主の発言には、経営者にとっては痛い問題点を突いている。90分近く経っても終わりそうもないので退出する。
市駅前からバスで天山橋下車、昼食は「うなぎ」。
「松山歴史文化研究会」(会場「北斗七星」)。出席者は一〇名。報告・資料は多彩である。
①佐伯 健「道後鉄道軌道の探索」
②近藤元規「『漱石先生のみち』の案内板
③平岡 英「子規の歩いた松山(一)」
④三好恭治「子規の歩いた松山(二)」
⑤二神 将「森恒太郎(三樹堂孤鶴、盲天外)の俳論と新しい村のを実現した功績について」
⑥戸嶋健二「松山藩の表玄関三津の文化」
⑦竹田美喜
 〇「新元号『令和』と旅人『梅花歌三十二首」序と子規」(『子規博だより』38-1号)
 〇「子規が万葉論調で使用したのは『日本歌学全書』か」
 〇「のぼさん」大洲へ行く(澄田恭一)
【資料】
①「(松山子規会)創立懐古」
②『明教』第47号 「生誕150年 子規そして真之」
③「御大典奉祝記念 写真帳(三津)」 
④「一遍聖絵」第1巻
⑤『道後花柳情史』(吉田音五郎編 大正6年9月)中央図書館
15時半に途中退席。バスにて市駅経由で「エデン」に16時半帰着。
17時から「ほろ酔いサロン」出席、一時間半しゃべくりまくる。いやはや。
19時「プレバト」
21時就寝。

6月26日(水)


早朝4時から、今月24日に授業を受けた学生の「コメントシート」の質問の回答15通を作成。昼に事務局の佐伯氏にメール、一件落着である。
青山淳平氏から礼状への返信が来る。いよいよ一遍の執筆に取り掛かる由。近来の快事である。「啼くまで待とう」の心境である。

6月25日(火)

ベテル病院の車で市駅に9時着。伊予鉄本社内の「スタバ」で時間調整。
10時から伊予鉄グループ定時株主総会出席。出席番号18番で最前列である。いやはや。鉄道本体は対前年若干の落ち込みだが、グループ全体では増収増益である。
お土産は「伯方の塩使用 銘菓塩どら巻」。結構旨い。昼食はソバを茹でて簡単に済ます。小一時間仮眠。家の雑務を片付けて17時のバス便で「エデン」に戻る。疲れがとれていないようだ。各人宛に「コメントシート」の返事と激励のメッセージを送る。素晴らしい教師である。いやはや。

6月24日(月)


当初は欠席にしていた中学同期会世話人会(反省会)に出席(伊予鉄会館)。八塚・山本・
近藤・三好・森・三好6名全員顔を揃える。今回の収支決算と次年度に向けての打ち合わせ。次回は死亡と連絡先不明者を除く全員に発送することにしたので名簿は私が引き受けることにした。最後の同期会名簿となるのかな。
散会後「スタバ大街道」で時間調整して、15時45分東雲女子大到着。16時半から90分、「子規と道後文化」について講義。生徒からの「コメントシート」を受け取る。烏谷氏の車で道後まで送ってもらう。夕食後、「エデン」に戻る。さすが疲れている。
購入した「ジェットストリーム」を聞きながら、「コメントシート」に目を通す。学生らしく真剣に記入している。有難い。

6月23日(日)

終日、曇天。洗濯できず、残念。
午前中、書簡、講演会資料整理、復習。午後、書斎で過ごす。
NHK「いだてん」。「ぽつんと一軒屋」。「椿の湯」。
【→青山淳平氏】
謹啓 天候不順が続きますが、ご清祥にてお過ごしのこととお慶び申し上げます。
この度は御著「『坊っちゃん』の漢学者はなぜ斬殺されたか」をご恵贈賜り厚く御礼申し上げます。早速に御著をひもときましたが、史実に裏打ちされた論証と的確な推理の展開の中で読了するのに両三日かかりました。お礼のご挨拶が遅れて申し訳ありません。
 数年前になるのでしょうか、道後にお住まいだった桜井さんをご存知ですかとお尋ねがあり、文献では承知していますがお会いしたことはありませんとお答えしたことを思い出しました。江戸期ですが加藤公が道後温泉に来駕された折は、大庄屋であった拙宅に宿泊・静養されておりますのでいずれ研究しなければと思いつつ今日に至っておりました。
 左氏珠山を斬殺した人物が同姓の「三好蔦江」なる漢学者で土佐藩(宿毛)出身者であることに驚きました。「蔦江」は本名ではなく号かなと思っています。土佐の「三好姓」は珍しく、南予に移住した土佐者の中に「三好姓」に改名した者も維新には多くいたようです。
 左氏珠山については、宇和の「開明学校」の蔵書を調査した節に珠山の事績も学びました。堀内さんという聡明な女性の方からアドバイスを受けました。
御著によれば「三好蔦江と林有造のことについて」引き続きご調査中の由、機会あればご教導賜りたく存じ上げます。
 それはさておき、維新から西南騒擾、自由民権の動きの中での伊予・土佐西南部の生々しい動向ついては無知でしたので、学ぶことが多く、物語の展開に引き込まれていきました。松山子規会の事務局をしております嶌川氏は漢詩に詳しい学究ですので早速照会しました。左氏珠山の松山中学校以降の「空白」は気になっていたようで、早速御著を読んでみますとのことでした。
 明治三十年前後の「時代の雰囲気の意外性」を痛感しました。一般的には会津はさておき維新期の「清算」は終わり「近代が成立した」という視点で歴史を考えていましたので、もう一度見直してみます。有難うございました。
 お蔭さまで一遍会も五六八回例会、第四一〇号の『一遍会報』を発行することができました。ご支援と併せご多用とは存じますが、一遍会でのご講演いただけますようにお願い申し上げます。まずは御礼まで。敬具     

6月22日(土)

午前中、NHK「チコちゃんに叱られる」を見て、活動開始。
論文「子規の歩いた松山 その二」推敲。①明治文人の死亡年齢と平均年齢②「大正ロマン 昭和モダン」
正午から夕方16時までの4時間「巡礼遍路研究会(高野山大学)第6回研究発表会」出席(愛媛大学法文学部本館)
1)基調講演 胡光(愛大法文学部教授)「明治維新と四国遍路―高群逸枝『娘巡礼記』の歴史的前提」
2)鬼頭尚義「『端四国八十八ヶ所』の御詠歌考―西国・四国からの本歌取りを中心に―」
3)山本孝弘「報恩大師備前四十八ヶ寺について」
4)鴨井智峯(仁和寺総務部長 大島・高龍寺住職)「伊予大島准四国について」
5)三島健司「播磨西国三十三ヶ寺札所番の変遷と徒歩巡礼道」
学者が愛大の胡光だけだが、他の講師の「遍路は高度成長期に変質した」とする体験の話しに真実を感じた。勿論、モータリゼイションの背景はあるのだが・・・
夜、NHK「ブラタモリ」は「白金」。
昭和30年頃、深海君(慶応大学名誉教授)と戸田喬久君(三菱銀行)を白金の住まいに訪ねたら表札が「戸田城聖」。創価学会の第二代会長の息子とは知らなかった。彼とは終生友人であったし、母同士は賀状の交換を続けていた。
もうひとりの住人は三田会会長の服部大先輩。上京のたびにお会いしていたのも、今は思い出の彼方にある。いずれも他界された。

6月21日(金)


週末である。月曜までは自宅で過ごすので、時間がたっぷりあるような気分である。
温子の「七の百二十日」(没840日目)であり、朝の内に義安寺墓参。
温泉本館に立ち寄り、「セブン」で来週水曜日に松山歴史文化研究会で「子規と道後文化」を話すことにしたのでレジュメ等印刷。
午後、ほんの少しばかり表庭の草引き、暑いのでギブアップする。
青山淳平氏著「『坊っちゃん』の漢学者はなぜ斬殺されたか」を一気に読了する。青山氏から大洲藩史の研究家「桜井久次郎」氏のことは聞かされていたが、このような物語の展開になるとは・・・
驚きとともに青山氏の筆力に感動すら覚える。再読は、歴史的視点で、じっくり読み込んでいきたい。
「ユーキャン」から「ヘッドホン付き『JET STREAM』(第一集)」が届く。最近、深夜目覚めた時寝つきが悪くなったが、30~40才代に深夜耳にした城達也の「ジェットストリーム」を思い出し是非聞きたいと思い注文した次第。
[01 恋はみずいろ]を聴きながらの読書となった。第一集は「18 夢幻飛行」までの18巻・・・ひと夏、深夜が楽しめそうである。
夜、青山淳平氏宛の礼状を書き上げる。
愛媛朝日TV(高橋氏)から在米の「三好弥太郎」の問い合わせ。郡中出身で大正12年に渡米した由。また調査案件が一つ増えた。やれやれ。
「椿の湯」。

6月20日(木)


長男から昨夜の「歴史ヒストリア 三好長慶」の所感が届く。折り返し返事する。
午前中、松山子規会6月例会について取りまとめる。論文「子規と遊里遊廓俳句」はHP「松山発 子規サロン」第13章に掲載する。ご興味のある御仁は御笑覧あれ。
マスコミ、ミニコミに一遍会7月度例会案内を送る。
帰京前の村上君と「山の手ホテル」で昼食。
「椿の湯」前で1年ぶりに宝厳寺檀家総代の烏谷さんに出会い立ち話。亡き兄の小学校時代の友であった。
夕「エデン」。
TV「プレバト」。「梅雨寒しコンビニは麻酔の匂ひ   東国原英夫」。上手い。今日只今のコンビニの風情を気づかせてくれた。
【→息子】
見ましたよ。三好長慶会代表の出水さんの大活躍、有難いことです。徳島では今朝はその話で持ちきりでしょう。
文化面、京都の菩提寺を含めて第二段が準備されていると思います。天野さんの著作を中心に、猛スピードで三好長慶の勉強を開始してください。トップランナーで走れる筈です。次代の伊予三好会「会長」さん、頼みますよ。

6月19日(水)

昼食は市駅地下街食堂で「天ぷらそば」。
午後、松山子規会六月例会出席(正宗寺)
1)「子規と遊里遊廓俳句」(三好恭治)
2)「正岡子規の竹村鍛宛書簡をめぐって」(森 正経)
引き続き常任役員会、散会後懇親会(紀之国屋)。
地元のCATVの取材と講演(90分)撮影。取りまとめて近々放映されることになるらしい。楽しみである。
21時帰宅。22時半からNHK歴史秘話ヒストリア「幻の天下人・三好長慶 信長より早い革命児!正親町天皇と戦国乱世の改元」を見る。政治史的な展望だが、今まで関心のなかった視聴者にはショックを与えた筈だ。次回は文化面(特に堺文化)に触れてもらいたい。数年後にはいよいよ「大河ドラマ」に登場してほしい。遠祖三好長慶殿、いま少しお待ちいただきたい。いやはや。

6月18日(火)

午前中、「エデン」内の居室消毒で担当者が回る。カーペットを敷いていないので、ダニ・ゴキブリは出ないでしょうとの担当者の弁。
昼食は「花楽里」の「野菜カレー」ですます。
明日の松山子規会講演「子規と遊里遊廓俳句」につき、引用文献の原典チェック。一、二修正あり。
一遍会講師の青山淳平氏から自著「『坊っちゃん』の漢学者はなぜ斬殺されたか」の贈呈。松山中学の教師でもあった左氏珠山が斬殺されたことを初めて知る。礼状を書く前に読まねば失礼だろう。
明日夜のNHK「歴史ヒストリア」で遠祖である三好長慶が放映される。これまた楽しみである。

6月17日(月)

午前中来客(一遍会 江刺理事、戒田氏 ほか)。銀行廻り(一遍会5,6月度収支決算)。
午後、大街道から久米行バスに乗車、松山東雲女子大に出掛ける。事務局の佐伯氏とレジュメの内容確認を済ます。
平岡英氏(相談役)の講義「正岡子規と伊予の文化 子規の歩いた松山 その一」を聞く。(16:20~17:50)
子規会の烏谷会長、渡部副会長、福井さんと会う。塩崎学長とも挨拶を交わす。
伊予鉄会館1階「とんとん」で「河内晩柑おろしロースカツ」と「竹鶴ピアモルツ」で夕食。旨い。最終バスで「エデン」に戻る。
息子からの「父の日プレゼント」は「クロコダイルの夏向きのシャツ」。おしゃれをして外出するか、いやはや。

6月16日(日)

午前中、論文2本をHPにアップする。エディオン(マウス&時計電池交換)、ダイキ(レジュメ印刷&園芸用具ほか)を廻る。
午後、書斎での作業。
夜はNHK大河「いだてん」。「椿の湯」。

6月15日(土)


朝から雷雨、大雨で外出は控える。「ダイキ」での講義録の印刷も中止。もっぱら、書斎での読書と講義説明資料のまとめ。
『IMPERIAL』(帝国ホテル機関士)は「上高地特集」。毎年出かけているが、昨年のひとり旅は正直寂しいものだ。エッセイスト岸本葉子が「父の人生を思う場所」を書いている。ことしも初秋に出かけるか。
京都西蓮寺の梅谷繁樹師宛の「一遍会6月度定期便」が受取人不明で戻ってくる。お寺はご子息が引き継いでいるのだから、ご子息が父親に手渡せばいいものを俗人は思うのだが・・・・・ 照会のメールを夫人宛に送る。
午後、一遍会の5・6月度収支決算を〆る。特に問題なく推移している。
夕方になって、やっと雨止む。「椿の湯」に行く。

6月14日(金)

9時頃に義安寺墓参。今日は妻の「七の百十九日」(没833日目)。帰宅した10時過ぎから大雨になった。よかった。妻が心待ちしてくれたんだなと思った次第。
午後、県文化振興財団主催の文化講座「歌舞伎講座」。初回は「歌舞伎入門」で、本年度の目ぼしい歌舞伎の予告編の解説である。講師は神楽岡幼子愛大教授。
東雲女子大と松山子規会講演のレジュメ執筆完了。原稿は事務局に送る。先方でセットしてもらえるから楽である。子規会の方は明日「ダイキ」まで出掛けて印刷せねばなるまい。
夜、「チコちゃんに叱られる」を見て「椿の湯」。地元の知人ととりとめのない話をする。もっともリラックスするひとときである。

6月13日(木)

「エデン」から県美術館に直行。
1)ミラクル エッシャー展(生誕120年イスラエル博物館所蔵)
  ①滝(1951)②婚姻の絆(1956)③椅子に座っている自画像(1920)④眼(1946)⑤メタモルフォーゼⅡなど。④の巾4メートルの及ぶ代表的な構図の展開は圧巻である・
2)「馬の目展」(越智一馬画伯指導)
  知人の山内洋子氏は生物1点、風景1点(奥入瀬ホテル)、人物2点出品。
午後は暑くなり、書斎で論文等に目を通す。
TV「プレバト」 

6月12日(水)


薫風、温暖、快晴 ― さわやかな天候と爽快な気分の一日である。
午前中、日野歯科受診。4回で完了する。「84歳26本」は確保できた。半年後の歯垢検査が楽しみとなった。
午後、「しげまつ」で髭剃り中に眠る。初めての経験である。疲れているのか、それとも老化かな。
佐伯氏から東雲女子大授業の細部連絡を受ける。プロジェクター用の写真はセットできた由。一安心。
柴田宵曲著『子規居士の周囲』(岩波文庫2018)に目を通す。数藤五城、今成無事庵、吉野左衛門、末広戯道は初めて出会う俳人である。

6月11日(火)

「休暇村東北6泊7日ゆったり旅」のメモをパソコンに取り込む。現地資料と突き合わせてエッセイ執筆していく。秋は、中部地区と九州を回ってみるか。
午後2時、6月度友隣サミット。「道後の語り部」として2時間半・・・毎月、よく話す話題があるものだ。
夜、子規会講演レジュメの推敲に入る。
「蛤と海草をぬふ  かな」・・・『今昔物語』巻三〇-十一「卑しからぬ男、妻をすてた後、復縁する話」
乾燥しているのか、夜風が心地よい。TVで「寝る時h右向きの方が消化器官が下にさがってくるので健康に良い」とか。いつも左向きであるので右向きに寝たが落ち着かない。真上を向いて就寝する。やれやれ。

6月10日(月)


珍しく外出の予定のない日なので落ち着いて日常業務をこなす。一遍会、伊予史談会例会資料ファイリング。
①一遍会IT会員「6月度定期便」発送
②一遍会7・8月度会場申し込み(道後公民館)
③松山子規会・東雲女子大講演レジュメ印刷。担当者にレジュメを送付。
④「セブン」日用品買い置き(コーヒー、ワイン、おでん等)
⑤メール交換
⑥配当金払い戻し&貯金
17時半、「エデン」に戻り、日記類記入。

6月9日(日)

伊予史談会六月例会出席(県生活文化センター)。
1)「発掘成果から読み解く河後森の歴史」高山剛氏(松野町教委教育課長代理)
2)「広瀬邸の成り立ち」久葉裕可氏(新居浜市広瀬記念館長)
同一テーマで同一人の講演は2度目である。復習にはなった。再度、再三度同地を訪れたい。
午後、帰省中の村上公平君と落ち合い、「回転すし屋」でビールを飲みながら半年ぶりに語る。MK会4人中、牧野・村瀬が他界したので、帰郷する前に再度飲むことにする。
跡見女子大で図書館長を経験しているので「湯の山文庫(和田茂樹記念館)」に立ち寄るように奨めた。
夜、松山子規会と東雲女子大の六月度の講演レジュメ完了。最終原稿を一部印刷する。2ヶ月間集中した研究であるが、「子規の遊里遊廓俳句」は子規学者が触れてこなかったテーマなので話題になるだろう。

6月8日(土)


一遍会六月例会開催(道後公民館)。出席19名
1)「融通念仏宗」杉野祥一氏(理事)
2)「一遍上人と他阿弥陀仏の涙」圓増治之氏(愛媛大学名誉教授)
事務局から、宝厳寺奥の開発?の現状(きわめて問題であるが、寺院サイドは危機感の認識ゼロ)と安倍家(安倍能成実家)と道後・烏谷家との姻戚関係の報告。
理事会で7月例会後、大街道「すし丸」で恒例の役員懇親会を開催することを決定。
帰宅後、昨夜に引き続き、子規の「遊里遊廓句会」作品から遊廓用語と参加者解説を取りまとめる。中々の労作と自画自賛する。やれやれ。
(注)「遊里遊廓句会」参加者リスト
渡邊香墨 青木森々 正岡子規 竹村秋竹 中村楽天 佐藤肋骨 吉野左衝門 新井愚哉 加藤胡堂 (?)東洋 大谷繞石 石井露月 直野碧玲瓏 (?)春風庵 河東碧梧桐 梅沢墨水

6月7日(金)

正午から御幸中学校同期会開催(国際ホテル)。出席20名。24名が22名になり当日のキャンセルが2名。
昨夜来の雨で、延期していた田植えができるので部落総出で田植えをするのでと同期会皆勤の岩田有人君から電話。娘さんが参加費を持参する。義理堅い。
もう一人はY君。ホテルに来て、2階の会場に上がりかけた途端に階段を踏み外し転倒、出血救急車で当番病院に搬送、大怪我に至らなかったのがせめてもの幸いであった。
来年も国際ホテルで開催するので、世話人としては最大限のチェックをする必要があろう。
夕、子規の「遊里遊郭句会」の全作品を、松山子規会六月例会講演で加えることにして、深夜まで鋭意作業を進める。

6月6日(木)


07:15発バスで「エデン」で朝食をとり08:30発連絡バスで帰宅する。
10時、戒田氏に同伴して、宝厳寺訪問。先住夫人と「安倍(能成)家と烏谷家」について寺側の話を聴く。
湯神社宮司「烏谷家」の墓が宝厳寺にあることを初めて知った。について一遍堂さんが検証した奥谷の顕彰碑が処分されておりショック。
歴代住職の墓に参る。「玉之井家」について調査の要あり。
東雲女子大講義のに使用するスライドの写真を選ぶ。夕方までに完了する。
「プレバト」。

6月5日(水)

11時から奥道後「壱湯の守」内にある湯の山文庫で松山子規会の勉強会。25名参加。故・和田茂樹氏の2万冊以上の書籍が中心であるが、内部を模様替えしており、ライブラリーとして重厚さが出てきた。
会員でオーナーでもある小椋さんが一時間ほど説明し、質疑応答。指名されて若者への図書館側の対応について提案する。今夕のローカルTVで放映されたらしい。
次いで「坪田中」で会食懇談、奥道後の坪内社長とも話ができた。
4階の「がらくた市」で一冊@1,000円の古本を2冊求める。平岡さんと「翠明の湯」に入る。
エデンで夕食をとりバスで帰宅。昨夜に引き続き、東雲女子大講義の「子規と道後の歴史文化」の最終レジュメを取りまとめる。23時脱稿。漬物でビールを飲む。旨い。

6月4日(火)

『一遍会報』弟410号の割付完了、寄稿者の江刺氏にメールで校正依頼。「一遍会6月度ニュース」取りまとめ完了。一件落着。7日(金)中に印刷完了の予定。
エデンから連絡。昨日エデンに戻る予定だったらしい。うっかりしていたわけではないが、昨夜は、「椿の湯」にも出かけず、深夜まで執筆作業の為已む無し。
午後から、①6月講演(松山子規会、東雲女子大)の最終チェック ②休暇村東北めぐりのエッセイ執筆 ③日記の整理。今週末までに大いに楽しんでまとめたい。

10日ぶりにエデンの家庭的な夕食、大風呂・・・もう一つの日常生活が再開した。

6月3日(月)


HP6月度分と子規博俳句「紫陽花や赤に化けたる雨上がり」鑑賞エッセイをウエッブで流す。子規もどき句は「紫陽花の赤遠野の天狗辿りけり」。
江刺理事から『一遍会報』第410号の原稿を受け取る。京博特別展「一遍聖絵」の見学に当たり「遊行庵」に宿泊、長楽寺の朝勤行に参加、住職から『牧野礼山足下の生涯―京の古刹長楽寺中興上人』(牧野素山2019)を贈呈していただく。有難し。
午後、日野歯科受診(3回目)
『一遍会報』第410号の割付・編集作業。一遍落着。
【⇒俳友】
子規記念博物館(館長 竹田美喜氏)監修の子規さんの令和元年六月の句は「紫陽花や 赤に化けたる 雨上がり    子規」です。
季語は「紫陽花」(夏)です。『子規全集』第三巻 俳句三「俳句稿」177頁(明治三十一年 夏)、第十五巻「俳句会稿」647頁(明治三十一年)と第十六巻「俳句選集」春夏秋冬 夏の部 451頁に掲載されています。
紫陽花が赤に化けた雨上がりの句です。
わが家の庭にも紫陽花が10数本あり今が盛りです。「赤に化ける」というのは、雨で鮮やかな赤色に蘇ったという風情でしょうが、新緑の庭の木々の緑も同様です。
子規さんは赤色好きですから、紫陽花の赤色の変化に注目したのでしょう。梅雨に入った根岸の子規庵の佇まいが眼に浮かんできます。
5月末に一週間東北の旅に出掛けました。三陸海岸は身長を遥かに越える「万里の長堤」や2~3米も嵩上げした赤茶けた原っぱ、いかにも安っぽい罹災者住宅を前にして、芭蕉も、啄木も、吹っ飛んでしまいました。せめてもの救いは、山深い遠野の民話でした。遠野の紫陽花は夏休みでも楽しめるということでした。
子規さんにあやかって一句
「紫陽花の赤 遠野の天狗 辿りけり  子規もどき」

6月2日(日)

目覚まし時計で6時起床。早速旅装の片付け。
9時、道後公民館で7月から来年3月までの公民館利用の調整会議。8月は第一土曜、11月は第三土曜、他は第二土曜日でセットできた。ひと安心、やれやれ。
10時半、戒田氏がわが家の庭と畑の繁茂ぶりを見かねて、機械と農薬持参で来訪、恐縮する。持つべきは「友」である。
来週は、戒田氏のお手伝いで、安倍家と姻戚関係にある烏谷家のお墓がある宝厳寺に案内し、先住夫人と遺族についてのお話を伺いお参りをする予定。
湯神社宮司烏谷家と東予の烏谷家の「系図」をトータルすると、興味ある歴史物語が展開するかもしれない。楽しみである。
一遍会六月例会案内を会員にメールで流す。深更までHP一遍会の6月度分の改訂作業。

6月1日(土)一時雨

昨夜は22時には眠りについたようだ、4時半ころ目覚め、昨日の日記を書く。6時頃館内の温泉に入る。一つは乳白色の露天風呂、他の一つは酸性の温泉である。7時からニュース、「おしん」、「あおぞら」を見て朝食。八幡氏が席を確保して待って居り驚く。
9時、休暇村乳頭温泉郷を出立、1時間弱で小岩井農場に到着。建物は産業遺産として国重要文化財(21棟)である。妻と訪ねたのはいつだったか。
昼食は「まきば園」の「山麓館」のランチ。フレッシュな牛乳を飲む。13時農園を出発しJR盛岡駅に直行する。13:50発「はやぶさ20号」で東京駅には16:04着。モノレールで空港に17:30着。「福岡藩粋の膳」(弁当)を食べ、旅行の資料に目を通す。松山空港には21:00着、22:00帰宅。無事をメールでファミリーに伝える。
今回の東北の旅では八幡さん、西井さん、山下さん(旧姓 長宗我部 高知出身)と食事,観光を共にすることが多く、エンジョイすることができた。
【メモ】
5月25日から一週間、東北を旅する。
東日本大震災(津波)鎮魂と「山人」と温泉と・・・ 恙無く帰松する。
5月全線開通の「三陸鉄道リアス線」(釜石~陸中高田)の隣席が高知出身の長宗我部おばさんで実家は神官。中世末期の話題となる。
網張温泉は45年ぶり、乳頭温泉は妻と訪ねたかった温泉だ。裏磐梯、羽黒は20年前に妻と旅した、再訪である。
25日(土)松山⇒東京 
26日(日)休暇村裏磐梯
27日(月)休暇村羽黒
28日(火)休暇村気仙沼大島
29日(水)休暇村陸中宮古
30日(木)休暇村岩手網張温泉
31日(金)休暇村乳頭温泉郷
 1日(土)東京⇒松山
5月31日(金)一時雨

5時ホテル内の二つの温泉(白泉の湯・大釈の湯)入浴。大した差はない。次いで、鹿追足湯と薬師の湯に立ち寄り、網張ビジターセンターを窓越しにのぞく。山手にある「網張薬師社」に詣でる。9時30分ホテルを出立、「道の駅」に立ち寄り、11時頃「休暇村温泉郷」に着く。昼食は「稲庭うどん」と天麩羅。
13:09発「湯めぐり号」で「孫六温泉」「黒湯温泉」に向かう。秘湯というが、昭和初期の温泉の風情か。やや不潔で、女性向ではなさそう。外国人パーティーに出会う。黒湯には自炊館もある。一泊2食11,000~14,000位か。決して安いとは云えない。帰途、蟹場(がにば)温泉で一浴して17時休暇村に着く。
一時間休養して、最後の晩餐。熱燗一合にとどめる。
NHK「チコちゃんに叱られる」(「卵の形」「祝祭日」など)を見る。
ゆっくりした日程であるが、のんびりに徹したい温泉郷である。

5月30日(木)晴れ

懸念された天候も回復。5時、朝湯。朝散歩は浄土浜展望所と森の散策(野鳥観察小屋)後朝食。
9時ホテルを出発。10時「飛泉洞」、山口・秋芳洞と高知・龍河洞が三大洞窟の由。秋芳洞の印象が強いのか、それほどの驚嘆はない。
一路、盛岡に向かう。高台にある「盛岡グランドホテル」でフランス料理、量より質の食事にほっとする。
次いで「盛岡手づくり村」で①ちゃぐちゃぐ馬作り②盛岡せんべい焼きを体験する。子供の時代に戻って楽しむ。
バスで2時間余、「小岩井農場」を通って「休暇村岩手網張温泉」着。「網張五湯」中、山中のある「仙女の湯」(混浴)に八幡氏と出掛ける。夕食は会席料理(八幡、西井、大下<長宗我部>3氏同席)。酒に酔い、20時に就寝。網張五湯とは①大釈の湯②仙女の湯③薬師の湯④白泉の湯⑤鹿追足湯の由。
ガイドの岩手の無医村の話を聞きながら涙が出る。40年ほど前に及川和男著『村長ありき―沢内村 深沢晟雄の生涯』を読んで感動し、技術学校の読書感想文コンクールの課題図書としたことを思い出す。沢内村は1961年に国に先駆けて乳幼児医療費や老人医療費の無料化実施、翌年乳児死亡率ゼロを達成した。
残り一泊となり寂しくなった。

5月29日(水)一時雨

朝方雨が降ったが、日中はおおむね天気となった。
東北の地図が頭に入っておらず、また初めて聞く地名も多いので、行程のイメージがわかない。三陸海岸は東日本大震災の津波の跡がいまだ復旧の過程にあり、新しい「国づくり」が展開している。
休暇村気仙沼大島を9時出発し、陸前高田の奇跡の一本杉を見て、山深い遠野の「とおの物語の館」に到着。昔話館、柳田国男展示館(旧高尾旅館)を見学。「遠野座」にておばば(小松敦子さん)の民話を聞く。①動物の目玉、②おしらさま他。柳田国男?佐々木喜善―関敬吾の系譜だ。『山人の発見とその世界観』購入。
近くの「あえりあ遠野」で和食昼食(豪華な三段箱でる)。
釜石駅で製鉄の町である。加藤嘉昭君は元気だろうか。三月開業の三陸鉄道リアス線の貸切客車で陸中山田駅下車。バスで浄土浜観光。17時頃、「休暇村陸中宮古」に着く。近くの姉ケ崎展望所と浄土浜展望所まで散策。夕食は「三陸マグロ会席」。マグロで満腹となる。

5月28日(火)一時小雨

朝入湯。9時出立。国宝の羽黒山五重塔へは駐車場から百数十段の階段を下る。昨年の建立五百年記念に続いて令和記念で塔内見学が可能となった。ラッキーである。今まで数回バスの車窓から眺めたことはあるのだが・・・・・
この後、二つの山脈を越え、仙台は旧伊達伯爵家の料亭「鐘景閣」で和食昼食(@3,000円)。北上して日本三景松島の五大堂・瑞巌寺をぐるりと回る。宝物館に立ち寄る。
さらに2時間弱、東日本大震災の復興は進んでいるが、まだまだ復興は半ばという感じである。大震災後、高速道路・一般道路とも従来と違い高台に移り、海から遠くなり、海岸の防波堤も高くなり、かつてのイメージはなくなった。
今春に連絡橋が竣工した「休暇村気仙沼大島」宿泊。魚中心の会席料理。食後、八幡氏と来し方を語る。大浴場に一回入浴する。体重は、ご飯を控えているので、60キロ台を維持している。

5月27日(月)晴れ、暑し

朝風呂。朝食は福島らしいお惣菜中心、ご飯が食べず。9時ホテル出発、一時間余で米沢着。
上杉神社参拝、主神はもちろん上杉謙信だが、脇社で     直江兼続を祀る。「秘宝館」(稽照殿)見学。
「為せば成る 為さねば成らぬ何事も 成らぬは人の為さぬなりけり」 
作者は不詳だが、初代藩主が次期藩主、家臣に示した和歌とされる。

昼、将棋の天童に入る。豪華な造りの「天童ホテル」で和定食、客はわがツアーのみ。いやはや。
ホテルから一時間余りで「最上川くだり舟」に乗船。案内役の船頭は民謡「最上川舟唄」を英語?で歌う商魂。インバウンド向けか。芭蕉の「奥の細道」の風情は残っている。主なポイントは仙人堂、小外川集落、大滝、七滝、弁慶のつぶて石、駒づめの滝、天狗岩、慈光の滝、神代杉 渓谷の美、たばね滝、尻滝など。
「五月雨やあつめて早し最上川」
晴天続きだが水量は平年並み、風あり。
本日の最後の観光は出羽三山を遠望しながら、「羽黒山三神合祭殿」を参拝。妻と訪ねたのは20年前の東京在住の頃か、月山、湯殿山にも立ち寄り即身成仏のミイラを拝んだ。森敦の『月山』を思い出す。近くに「休暇村庄内羽黒」がある。温泉もついており、夕食は「春ごっつおコース」。庄内と云えば藤沢周平の世界である。鶴岡は近いのだろうか。

5月26日(日)

サンドイッチ、サラダ、牛乳の朝食。10時チェックアウト。トランプ大統領の来日で高速出口の警備が物々しい。
サブ都庁前からは大江戸線で浜松町に出て、JRに乗り換えて東京駅下車。お目当ての「キッテ」内の「東大ミュージアム」見学。「タイガー計算機」発見、担当者に使用法をおしゃべりする。自分も「化石人間」になったかな、いやはや。
東京駅発13:12「なすの259号」で郡山に14:48着、ガイド付きの専用バスでスタート。参加者は35名、添乗員は福岡さん(鳥取出身)である。
大宮から乗車した隣席の八幡さん?おしゃべり好きで、新幹線の一時間聞き役に徹する。夫人を3年前に喪い、現役時代はレースの大手の経理マン。旅行好きである。八幡さんを通して今回の旅の仲間が増えて、夕食は楽しい会話の時間が増えた。
約一時間後、五色沼に着く。小一時間散策、添乗員とおしゃべりする。五色沼には2,3回来ており、特にどうということもない。
17:20「休暇村奥磐梯」に到着する。三階建てのフラットなリゾートタイプ、前面は広々とした草原&芝生で、磐梯山の裏だけに噴火跡がくっきり刻まれている。硫黄泉の露天風呂でひと汗流し、レストランでバイキング。ご当地産の食材を絞る。
TVはトランプ米国大統領の大相撲千秋楽シーンを見る。夜、「運慶と快慶」―新発見の仏像の紹介で、特に運慶が幕府方に接近し、快慶は京風の作品に分かれる経緯は大変興味が湧く。新発見の仏像は、岡崎市の滝山寺にて発見された仏像(聖観音・梵天・帝釈天)で胎内から貴重な古文書や秘宝が確認された由。
22時、二度目の入浴、ぐっすり眠れる。室内は広く快適である。満足、満足。

5月25日(金)


ちょっとだけツキのない一日であった。
空港行きの道後駅発のリムジンが07:15発と思い込んでいたら07:02発で発車後であり、07:25発の普通便に乗車。空港ビル内のビジネスルームで今までパンが用意されていたのだが、喫食中止とやら。待合室ではサンドイッチも弁当も売り切れで、結果空腹で羽田空港に向かう。
更に悲劇はJR上野駅の公園口のレストランは休業、上野文化会館の精養軒も警護中、国立東京博物館内のレストランは満員。どこまでもツイていない。結局、園内の車販売でランチをやっと口にする。
トーハクの特別展は「美を紡ぐ  日本美術の名品―雪舟、  から光琳、北斎まで」。
何十年ぶりに「東洋館」に入館、中国・朝鮮・東南アジアの仏像、美術品を鑑賞する。
ちょっとだけツイていたのは、モノレール、JR、地下鉄はすべて座ることができた。
「サンメンバーズ新宿」宿泊。トランプ大統領夫妻が国賓として来日中であり、警備が厳重である。近くのセブンで食品を調達、ビールで眠くなり21時にベッドに入る。

5月24日(金)

中学同期会の世話人会開催()。近藤君欠席、八塚・山本・万年さんと老生の4名が試食会、勿論論実費であるが・・・ 次年度からは余興に「ビンゴ」を加えることにした。出席は24~25名だが、皆勤組で数名欠席が出た。
午後、論文のチェック。次いで旅行のチェック。
終日、初夏というより30度を越す「猛暑」となる。いやはや。一週間ぶりに「椿の湯」。

5月23日(木)

東雲女子大講義「子規と道後文化」の草稿を推敲する。プロジェクター用の写真の検討を始める。
夕、月1回の「ほろ酔いサロン」は盛会。道後遊里遊郭文化で話が盛り上げる。新人のS氏は昭和33年生まれ。長男とあまり変わらない年齢で東京出身の由。釣りとお城に惹かれた由。
「プレバト」を楽しむ。

5月22日(水)

子規会6月例会講演の「子規と遊里遊郭俳句」のレジュメの取りまとめがやっと完了した。Å版16頁と付録3枚。
付録は、①吉原遊郭を歩こう ②道後松ヶ枝町遊郭を歩こう ③百句「遊郭」一覧 である。
引き続き、東雲女子大講義「子規と道後文化」を月末までに取りまとめるべく、粗案(初案)に目を通す。
子規会 烏谷会長から「安倍家と烏谷家の系譜」の照会あり、6月初旬の面談とする。阿波三好会(出水康夫会長)と「創立20周年記念号」に関して打ち合わす。

5月21日(火)

終日、論文執筆作業。
夜、NHK「プロフェショナル」―「花柳界にこの人あり! 芸者・赤坂育子の日常 この道62年芸の極み!大物魅了したもてなし」。を見る。芸者のイメージを一新させる人間としての偉大さを痛感した。

5月20日(月)

終日、論文執筆作業。夜も集中するため、エデンに泊らず。

5月19日(日)


快晴、気温は26度と高いが湿度が少なく爽やかである。洗濯、掃除、片付けを朝の内に済ます。
一週間の「日記」の整理。
「子規と遊里・遊郭俳句」執筆。
午後、松山子規会5月例会(正宗寺)。
1)「近代俳句史と高浜虚子」平岡英氏(相談役)
2)「新しく見つかった樗堂と子規の資料」今村威(相談役)
NHK「いだてん」と「ぽつんと一軒屋」を見る。「椿の湯」。

5月18日(土)


書斎での作業。
次号の『一遍会報』は江刺精久理事の「大坂城とARPENTRY TOOLS」一本でまとめることにしたが、肝心のオーストリアのエッゲンベルグ城が所蔵する屏風絵に豊臣大坂城の記述がないので加筆を依頼する。
松山子規会六月例会発表の「子規と遊里・遊郭」は「子規と遊里・遊郭俳句」に修正し骨子がまとまる。
  はじめに ~復本一郎氏(国文学者・神奈川大学名誉教授)のエッセイに触れて~
一「遊郭十句集」について
二「東京松山比較表」について
三、子規が訪ねた遊里
四、子規の遊里用語
五、子規の遊里の情景
六、新吉原・元吉原(芳原)を歩く
七、道後松ヶ枝町を歩く
  まとめ ~花街文化と日本文化~
一週間ぶりの「椿の湯」。


5月17日(金)

週末3日間(金・土・日)はわが家で過ごすことにしているが、結構多忙である。
9時前に帰宅、まずガラス戸・障子を開けて空気の入れ替え、仏壇の清掃とお茶の御供えとお祈り、ゴミの分別とプラのゴミ出し、町内会回覧の次の家への送り、金曜日は「妻の七の百十五日(没805日)」に当たるので原則義安寺参詣。
その内、宅配が相次いで届く。・・・それに洗濯がすると、完全に午前中がつぶれる。主夫労働は大変である。いやはや。
午後、日野歯科受診。「フジ」で食料品の調達、銀行・郵便局に立ち寄る。
江刺理事が『一遍会報』掲載原稿を持参されたので、早速紙面割付。4ページの空(あき)をどのように埋めるか。
夕食の献立づくり。
20時NHK「チコちゃんに叱られる」を見て、NHKEテレ「国宝一遍聖絵 ―鎌倉時代の僧侶の生涯絵巻― 」(DVD)を見る。舞踊家田中泯氏の肉体表現としての一遍の「南無阿弥陀仏」は、混乱した敗戦時の「踊る宗教」(北村サヨ?)のコメントに当てはまる。
論文「一遍と遊里遊郭」の構成を検討する。 
月末の「休暇村ツアー」の最終日程が届く。通販の農耕機器が早々に届く。

5月16日(木)

通販の耕作器具とCD コレクション『ジェットストリーム』を再度チェックする。書斎を夏向きに整理整頓する。
午後、戒田氏がパソコンに映像用DVDソフト持参で来訪。週末のNHKEテレ「国宝一遍聖絵 ―鎌倉時代の僧侶の生涯絵巻― 」を頂く。当方からの「お返し」は「安倍家と烏谷家との系図一覧表」である。早速視聴する。
TV「プレバト」。

5月15日(水)

安倍家(安部能成)と烏谷家(道後旧家)の関係についての系譜が一応まとまったので、明日、家で戒田氏(安部能成研究家)に報告すべくセットする。
午後、エデン全体会議に出席。一週間の「日記」執筆。
夕食後、山田池の周辺を散歩、みかんの香りが鼻につく。小学唱歌「みかんの花咲く丘」を口づさむ。
夜、論文「子規と道後文化」の結論の執筆開始。


5月14日(火)


依頼があった安倍家(安部能成)と烏谷家(道後旧家)の関係について資料調査の上、宝厳寺(先住夫人)、蜂須賀氏(檀家総代)、戒田氏(安部能成研究家)と意見交換、情報収集に努める。
安倍家と烏谷家との血族関係はないが系図上はつながっている。能成の祖父の妻(浦)の妹(栄)は烏谷良一に嫁ぎ娘(玉)の墓は宝厳寺にあり、縁故者が数年単位で墓参されていることが判明した。
逆に正宗寺に在った「安倍家」の墓が「無縁仏(無縁墓)」として処理されている。嗚呼!
午後、「友隣サミット」開催。

5月13日(月)

早朝3時から書斎での資料に目を通す。二神将氏(伊予史談会)の道後に関する論文、写真は貴重であり、写真については引用を許可してもらっているので、6月の講演でりようさせてもらうことにする。
戒田氏から調査依頼のあった「安倍家(安部能成家)と道後・烏谷家」について、道後烏谷家の特定化について本格的な調査に入る。
午後、三井住友信託銀行関係者(2名)と不動産取扱いの情報交換。
夕、4日ぶりで「エデン」で夕食と浴場。早起きし過ぎたので21時前に就寝す。

5月12日(日)


伊予史談会5月例会出席(県生活文化会館)。
1)「愛媛の防空監視哨2―大東亜戦争における民間防空― 」多田仁氏(県埋蔵文化センター)
2)「地域社会における民俗文化の形成と変化と残存」森正康氏(松山東雲短大学教授)
①戦時下の県下の防空監視哨の実証的(考古学的)研究の「中間報告」であり、同時代に生きた者として興味深い。伊予史談会の役員としての「私的」利用について懸念するのは私だけだろうか。
②講師は神社宮司でもあり神社祭祀がメインであるが、
○今治市・別宮大山祇神社のオトウ行事
○西条市丹原町・綾延神社の頭屋制度と例祭行事の変遷
③上島町弓削・佐島の宮座式
などの具体的な例示は大変貴重で興味あり。
神仏に関する現代人の過剰な反応や「常識」についての神官としての警鐘は同感である。
高須賀康生氏(前会長)、江刺精久氏(一遍会理事)と情報交換。山内譲氏(史談会会長)と一遍聖、「京博」特別展、故小野澤眞氏(一遍時衆&時宗)について話ができた。
伊予鉄地下街で南予料理のランチ。
午後2時前、伊予十三仏霊場「香積寺」(隻手薬師)に着く。第8回「花まんだら祭」の当番寺院に当たる。一遍会会員の長井信子さんの「紙芝居」があり、例年「花まんだら祭」に顔出ししている。真言密教の雰囲気は好きだが内容の薄い「法話」は長過ぎた。
紙芝居演題の①「隻手薬師縁起」と②「田窪の伝説」は分かり参加者にも好評であった。境内は広く、参加者は「老老男女」500人といったところか。霊場めぐりの10回達成者の表彰で該当者が約10名おり驚く。
法要の途中で退席、「鷹ノ子温泉」に立ち寄る。小一時間、温泉掛け流しの肌ぬるぬるの「美人湯」でリフレッシュ。18時帰宅。TV「ぽつんと一軒家」。ビールは飲まなかったが、疲れと眠気が一気に出て、21時前に就寝。早朝2時に目覚め、思い切って起床して書斎で朝を待つ。

5月Ⅰ1日(土)

快晴。週末の洗濯、ガラス戸、障子を開く放ち薫風を取り込む。ネコが紛れ込んでリビングに入ってくる。いやはや。
一遍会5月度理事会審議・報告事項取りまとめ。亜実から体育祭の報告が届いたので返信する。
一遍会5月例会開催(道後公民館 13:00~15:30)。
講師: 江刺精久理事
演題:大坂城 と CARPENTRY TOOLS
講師からの一口メモは下記。 
「訪日外国人らでにぎわう大阪公園。お目当ては日本一の高さを誇る石垣の城郭と本丸にそびえる天守閣だ。当時のこの天守の外観が視覚的に分かる資料は、壁が黒く塗られた姿が印象的な「大坂夏の陣図屏風」が唯一であった。が、平成に入り、海外からニュースが飛び込んでくる。オーストリアのエッゲンベルグ城が所蔵する屏風に豊臣大坂城が描かれていることが判明、その天守の色はそして大工道具は・・・
卓話:「『武士の日本史』(高橋昌明著)を読む(その1)」
講師: 田中 順治 氏(一遍会 会員)
引き続き理事会。①匿名者の寄付取り扱い ②窪寺まんじゅしゃげ祭り(一遍忌)の今後の運営。②については宝厳寺サイドの意向が固まらず結論が出ず。困ったものである。
「椿の湯」。

5月10日(金)

明日が一遍会5月例会であり、配布資料の準備や理事会資料取りまとめる。
午後、たっぷり時間があったので講話資料に写真を取り込んで、楽しめるレジュメ作業。。
夕、「フジ」で3日分の食品調達。
TV「チコちゃんに叱られる」を見て、一週間ぶりに「椿の湯」。サミット仲間と10連休GWの温泉について語り合う。建物の廊下には「万葉集と伊予の湯泉」「飛鳥之湯泉」の紹介が陳列されている。なかなかの力作である。官房長官よろしく「平成」「令和」の額を持ってのスナップは一興である。

5月9日(木)

月初の銀行・郵便局廻り。一遍会4月度収支決算確認ほか。「ダイキ」で5月度例会配布資料(『一遍会報』「一遍会ニュース」など)印刷。
午後、日野歯科で一年ぶりの定期検査と歯垢除去作業など。
徳島の「三好長慶の会」から寄稿原稿「伊予の三好姓」の照会。編集作業の真っ只中のようだ。
夕、エデン。「プレバト」。

5月8日(水)

週末の一遍会5月度例会の諸準備。HPは最新版に切り替える。7月度までの講師スタッフとテーマ、「講師からのひとこと」を載せる。例会配布資料(①「一遍会ニュース」②『一遍会報』)は明日「ダイキ」にて印刷する。理事会検討資料は金曜日に作成予定。
当面の重要テーマである2本の論文作成資料を再点検して、書斎を整理する。


5月7日(火)

終日、「子規と道後文化」講義録を継続執筆。なかなかはかどらない。大学1年生の知的理解力が分からない。漱石の『坊っちゃん』が理解できない世代だし、漫画『坊っちゃん』で読了ということらしい。子規は更に難解であろう。
町内会会計集金(@2,400円)。キイチ・山岡さんに連絡して、白壁の点検と修理の依頼、お盆までにはすっきり白壁にしたい。

5月6日(月)

10連休大型GWの最終日。
連休前に上京・上洛をしたので、10日間は①庭の除草整地作業②論文2本執筆に注力した。
道後温泉の混雑ぶり(「椿の湯」の札止め)は驚いた。
「子規と道後文化」講義録を継続執筆。子規が道後を訪ねた記録をデータベースで拾い上げる。労作になるが、今後活用してもらえると思う。
「一遍会5月度ニュース」をメール発信する。
瀬戸まいこ『そして、バトンは渡された」(文芸春秋社 2019年本屋大賞受賞)を読む。

5月5日(日)

「こどもの日」(端午の節句)である。快晴。
朝4時に目覚め、東雲女子大「子規と道後文化」講義録中、第三章の漱石との道後湯之町散策までのレジュメを書き上げる。「当用日記」に今週の日誌を記入する。
朝食後、洗濯から活動が始まる。掃除、冬物のクリーニング出しなどあれやこれやで午前中が終わる。正直、家事労働で少々疲れる。
 午後、一遍会4月度収支決算、表庭の草引き2時間。
NHK「いだてん」。
松山子規会田村理事経由でエモイ大学シェリル・クラウリー先生から松山中学外国人教師ターナーについての照会あり。情報提供を約す。
多忙なる「シニアの日」が恙なく終了。いやはや。ご苦労さん。
【⇒田村理事】
貴メール拝読いたしました。「縁」というか、ネットワークがグローバルに広がってきており、大変驚いております。
ご照会のエモイ大学のシェリル・クラウリー先生からの「松山中学の外国人英語教師について」の照会ですが、、お役に立てるのであればご支援したいと思います。「メールアドレス」をお知らせいただいて結構です。
松山中学校での夏目金之助以前の外国人教師はノイス、ターナー、ホーキンス、ジョンソンの4名ですが、ノイスとターナーはその後日本で長く宣教師としての活動をしています。ターナーとホーキンスは「愛松亭」に寄寓しております。漱石も数ヶ月「愛松亭」に寄宿していました。
シェリル・クラウリー先生に予め承知していただきたいことが2点あります。
①クリスチャンでないので、キリスト教については教科書程度の理解力しかないこと。
②可能な限り日本語でお願いしたい。英文の場合は誤訳の恐れがあるので、田村様に翻訳をしていただきたいこと。
尚、シェリル・クラウリー先生とのメール交換が具体化すれば、田村様にもご報告し、アドバイスを受けたいと思います。 よろしくお願い申し上げます。

5月4日(土)

『一遍会報』第409号の最終校正、割付完了。圓増治之氏の六月例会講演の原稿届く。早々に第410号(予定)に打ち込む。
子規博5月度子規さん俳句「一つ二つ 日傘さしたる 渡し哉」の鑑賞エッセイ執筆。HP一遍会5月度分更改完了しアップロードする。
東雲女子大「子規と道後」講義録継続執筆。30%進捗か。来週末には期待できそうだ。
夕方、表庭の草引き、小一時間。
「椿の湯」の札止めが懸念されるので一年ぶりに「みよし湯」に入る、いやはや。
【⇒俳友】
令和元年五月「一つ二つ 日傘さしたる 渡し哉     子規」
子規記念博物館(館長 竹田美喜氏)監修の子規さんの令和元年五月の句は「一つ二つ 日傘さしたる 渡し哉   子規」です。
季語は「日傘」(夏)です。『子規全集』第二巻 俳句二「寒山落木 巻四」231頁(明治二十八年 夏)と第二十一巻 草稿 ノート「病余漫吟」58頁(明治二十八年 夏)に掲載されています。
渡し舟に乗って日傘をさしている光景――木下恵介監督の映画「野菊のごとき君なりき」を思い出した。実際にこの光景が映画に写っていたかどうかは不明だが、柴又の土手から眺めた対岸の伊藤左千夫の旧居があった方角を眺めた時の「矢切の渡し」の光景ではあった。妻と文学散歩の途中に、日傘をさして乗船した。
幼き日、子供心にも日傘をさした美しかった母と手をつないで、あぜ道を歩いた光景を思い出す。
松山には「出合の渡し」「三津の渡し」「垣生の渡し」などがあり、現在も「三津の渡し」は利用されてはいるが、残念ながら詩情は感じられない。子規の句に「出会いの渡し」を詠んだ「若鮎の二手になりてのぼりけり」なる句があるが、日傘とはまったく異質の、無縁の光景といえよう。
明治28年病床に臥せた子規が季語「日傘」から印象深い「渡し」を思い起こしたとすれば、隅田川河畔か葛飾柴又あたりかもしれない。ドラマ的には、隅田川が見渡せる桜餅屋の部屋を借り受け、看板娘の「おとよさん」との語らい、外出するおとよさんの日傘、隅田川の「渡し」のシーンが展開する。
明治初年に、松山では、残念ながら日傘をさした優雅な女性はいなかったのではあるまいか。
子規さんにあやかって一句
「一つ二つ 頭が見える つつじ園  子規もどき」
「杖突いて 日傘さしたる 遍路哉  子規もどき」

5月3日(金)


「憲法記念日」・・・象徴天皇制について考えさせられる。「皇室典範」の男系天皇制は、アメリカ占領軍の「天皇制の自然消滅」の陰謀説が50年程前に流されたこともあったか、な。
エデンシアターで邦画「島々清(かい)しや」(2016年 100分)監督:新藤風 出演:伊東蒼、安藤サクラ 外。
湯山食場の三好家墓地に近藤、竹田両氏を誘う。「祖霊碑」の碑文は近藤氏の曽祖父に当たる「近藤三兄弟」の撰文に拠る。岩堰の「赤橋」や「寺井内川」周辺の、同じく「近藤三兄弟」撰文の碑を見て回る。
一週間分の来発状のチェック。「フジ」で文房具と食料の調達。小一時間、表庭の草引き。
「チコちゃんに叱られる」を見て21時過ぎ「椿の湯」に向かう。「札止め」もあり、入湯客の長蛇の列。あきらめて帰宅する。10連休GWで2回目、いやはや。

5月2日(木)

一遍会5月例会案内を会員にメールで流す。HP一遍会の5月改訂版の作業開始。
「子規と道後」「子規と遊里遊郭」についての骨子をワープロ打ち込み。
5月末の「休暇村巡回ツアー」の予約申し込み完了。
3日間の庭作業で体の節々まで痛む。
早めに夕食を済ませ入浴。
TV「プレバト」、「科捜研の女」を見て21時就寝。
「居残りの鉄砲響く春巡業  御嶽海」よし。

5月1日(水)


令和元年五月一日・・・感慨を以ってこの慶事の日を迎える。新天皇による皇室行事並びに国事が終日実施されているし、ゆかりの地やゆかりの神社では慶祝の行事が実施されている。
もっともわが家は、計画通りに庭整備の第3日目を迎える。
長男は頑張ってくれているが当方は戸外作業は限界に達し、仏壇の掃除と屋内の大掃除。
昼食後、電気関連の点検や照明器具の取替えを息子に依頼し16時に帰神する。2ヶ月に1度は帰宅しないと旧家の維持管理が難しいことを体感したに違いあるまい。今は静かに見守ってやりたいと思う。
『一遍会報』第409号の割付を終え、小沼代表に寄稿論文「神仏習合」の校正を依頼する。この三日間は肉体労働に徹したが、除草作業は2割方進行したに過ぎない。今後毎日2時間は除草整備に振り向けねばなるまい。やれやれ。
夕、バスにて「エデン」に戻る。
4月30日(火)

平成天皇の退位の日を迎える。同世代の天皇であっただけに寂しい。皇太子夫妻も数年後には象徴天皇としてご活躍いただきたいと願う。
降ったり止んだりの天気だが、朝8時から夕方4時まで座敷、亭庭、茶室周辺の草引き。やっと玄関から奥までの通路は雑草がなくなりすっきりした。
畑は恒治に一任したが、慣れないので苦労している。何度か失敗して農事をマスターしてほしいものだ。
夕5時仕事を終りTVで天皇としての国民への最後のご挨拶を聴く。
湯之町に出掛ける。昨日と同じく飲食店は超満員、本湯は90分待ちの行列である。
「すし丸」で恒治と食事&酒。「椿の湯」に二日ぶりで入浴。
本湯前で平成から令和への「カウントダウン」に3000人集合した由。

4月29日(月)


長男の帰宅もあり、3日間で庭や畑を整備する予定であったが、午後から雨で、天気予報では明後日まで大雨の由、参った。
レインコートを着て座敷庭の草引き。苔庭は湿っているので草引きは順調に進む。明日、亭庭まで作業が進展すれば有難いのだが・・・ 恒治には畑の除草作業を一任する。
「すし丸」で久しぶりに恒治と酒を飲みつつ交歓する。
19時から22時近くまで飲食店も温泉も超・超満員。「椿の湯」も「札止め」となる。開業以来初めてのことらしい。
当方は20時の段階で「椿の湯」を断念して長男だけが出掛ける。しかも大雨の中である。
観光客は日本人だから、最近流行のゲストハウスの類で、B&Bスタイルか、それともマイカー族か。
商店街もラッシュのようだ。地元は10日間静観するしか致し方あるまい。いやはや。
論文の構想は草引き中に練り上げ、夜メモする。

4月28日(日)

一週間分の日誌の整理。
『一遍会報』第409号編集開始。第一・二面が例会講話(小沼大八氏)と時宗本山遊行寺団体参拝記事、第四面は「平成30年度総会資料」とし、第三面が目下「空き」である。
会員の時宗関連写真をシリーズで掲載するか、「一遍上人生誕祭」(3月23日実施)のチラシを載せるか、少々悩むところである。
日中数時間、表庭の草引き。
「椿の湯」。大混雑である。

4月27日(土)


朝一番に洗濯からスタートする。
午前中、論文資料の取りまとめ。「子規と遊里・遊郭」と「子規と道後~『散策記』」は過去に作業し、一部は『子規会誌』にも発表しているので、まずまずのデータはまとまった。
午後から、発表論文の構想(骨子)を文章化開始。一番楽しい作業である。
NHKTV「こころの時代」「ブラタモリ 熊野 ②」
「椿の湯」はお盆同様の混雑、これが10日間続くかと思うとうんざりする。
【→佐伯さん】
過日の大洲探訪は興味ある、収穫の多い一日でした、お世話になりました。ありがとうございました。
当日話に出ました東洋城の最後のお世話をした惣河内神社の子女である樋口加壽子(旧姓 佐伯)さんの『明教』掲載論考をやっと確認できましたのでお知らせします。
『明教』第36号(2006年)262~265ペー 「松根東洋城先生と一畳庵の回顧」
10連休GWはわが家の草刈りや庭の手入れで終りそうです。天気が続いてほしいものです。まずはご報告まで。  
【メモ』NHK「こころの時代」
1)仏+不=私
2)看脚下・・・此処+現在
3)知恵 智慧
【メモ】NHK「ブラタモリ」
1)熊野の温泉(川湯、湯の峰)・・・川の中から高温の温泉が湧く謎
2)奇岩、巨岩、那智の瀧

4月26日(金)


「薫風」なる季語が浮かんでくる。爽やかな一日ではある。少々、旅の疲れが残っているようだ。
子規博春季特別展「子規、人生の名場面―子規が生きた証―」内覧会(10:30~11:00)に出席する。4部構成である。学芸員は西松陽介氏。
1)挑戦と挫折 2)人とつながる 3)人生をかけた闘い―権威への挑戦 4)死と
向き合う。
道後公民館で①ごみカレンダー②松山市民便利帳③防災マップ④内水ハザードマップを入手。
「フジ」で大型GWに向けての食料品などの調達。
午後、日誌、メール、書類の整理。
いよいよ6月の松山子規会例会講話「子規と遊里・遊郭」、松山東雲女子大講義「子規と道後」のレジュメ作成に取り組む。楽しみでもあり、苦しみでもあるか。
TV「チコちゃんに叱られる」(何故眠くなると欠伸が出るのか)。「椿の湯」。

4月25日(木)

松山歴史文化研究会による大洲の歴史探訪。参加者8名(近藤・二神・平岡・竹田・佐伯・戸嶋・高村・三好)戸嶋さんの車に二神・平岡・三好が同乗、8:30「フジ」出発。
1)大洲市立博物館 学芸員 山田広史氏
  ①少名彦神社 ②予告往生「安西法師」③大洲古地図
2)松根東洋城大洲旧宅見学(澄田恭一氏現住 大洲市文化財保護審議委員)
  ①「伊予の小京都・ちいさな城下町大洲を歩こう」②「近代俳句と大洲~俳人松根東洋城を語る~」
3)大洲城見学
  大洲鉄砲隊 実演
4)昼食 「油屋」(鯛めし しらす飯)
5)少名彦神社 参篭殿見学
  「おすくな社中」代表 叶 豊氏、二宮一平一級建築士
6)大洲領総鎮守 八幡神社・古学堂訪問 禰宜常磐井守道氏 「中殿」で御祓いを受く。
   ①由緒大要 ②古学堂 水害被災 半壊
7)安西法師のお堂
8)松根東洋城 句碑
9)大洲神伝流水泳史料   井手 隣之(ちかゆき)
18時、県文前で下車。タクシーで「エデン」に直行、月1回の「ほろ酔いサロン」(17:00~18:30)にやっと間に合う。19時TV「プレバト」。入浴。22時就寝。いささか疲れた。今回の研究会の参加者中、最高齢であった。いやはや。

4月24日(水)

朝一番に「一遍会五月例会予告」をマスコミ・ミニコミに流す。上京・上洛の記録を集中して取りまとめる。日中いっぱい要したが、ともかく一件落着。
朝食は冷蔵庫の中のもの、昼食は「お好み焼き」。夕食は「弁当」ほかで済ます。ご飯は一合だけ炊く。
一遍会OB故 川本陽吾・良子夫妻につき問い合わせあり、宇都宮弘之、小沼大八、竹田美喜三氏と電話で話す。
「椿の湯」、ひさしぶりで湯友達と交歓する。

4月23日(火)

5時半ホテルをチェックアウト。JR新宿駅から品川駅下車。朝食は弁当「品川めし」、いつもの「深川めし」より200円高め。
品川発07:10「ひかり401号」で京都着09:48。
京都国立博物館特別展「国宝 一遍聖絵と時宗の名宝」鑑賞。観客は少なく、まばらである。個人的には、じっくりと展示の100点を越す名宝と『一遍聖絵』、『遊行上人縁起絵』を拝観できた。
「東寺展」と「一遍時宗展」の豪華な解説本をリュックに詰めてバスにで京都駅に向かう。5,000円の重荷が肩に圧し掛かる。いやはや。
京都駅から新幹線「ひかり号」で岡山に向かい、岡山発15:35「しおかぜ17号」で松山に18:30着く。松山は雨である。
帰宅後、メールでファミリーに安着を知らせる。「椿の湯」には出掛けず、掛け布団も一枚に減らして21時には就寝する。午前3時目覚める。疲れは残っていないようだ。やれやれ。

4月22日(月)

朝風呂、コーヒー。TV朝ドラ「おしん」「なつぞら」を見て、JR新宿駅で帰途の松山までのジパング乗車券を手配。サブ「新宿」~「都庁前」~「蔵前」~「浅草」。
松山子規会6月例会で「子規と遊里・遊郭」の講話をするので、新吉原の今日の姿を見ておこうと思い立った次第。
吾妻橋脇の「水上バス」乗り場から墨田公園の下り、公園を散策しながら、今戸橋から「待乳山聖天」に参る。ヒンズー教の「歓喜天」(男女和合の神)を祭る。
左折して山谷堀公園を北上する。昔は猪口舟で日本堤まで上がり吉原に向かった。昭和時代は川が残っていた。
子規の句碑「牡丹載せて今戸に帰える小船かな」。子規が吉原に登楼した時の情景句か調べてみたい。元の「猿若町」に来る。新宿「歌舞伎町」を連想する。
吉原大門跡、見返りの柳、松葉屋跡(マンション)、吉原神社(銅版の吉原3時代図)通りに「喫茶 三好」に驚く。町の「長老」の由(派出所談)。
吉原病院裏に鷲神社(おおとりじんじゃ)がある。名物「熊手」は農作業道具が発想の由、まさに「チコちゃんに叱られる」!!!
飛神社から一葉記念館と一葉公園でで小休止。三ノ輪に出て、永久寺(江戸五色不動の一つ目黄不動)から浄閑寺(通称投込寺)に参詣。寛文四年(1664)以来2万人以上の吉原の遊女が投げ込まれた由。
「新吉原供養塔」(生まれては苦界死しては浄閑寺)、永井荷風の文学碑(詩碑)、「ひまわり地蔵尊」(無縁供養塔  主に山谷の住民?)など。
サブ「三ノ輪」から「東銀座」に直行、14時過ぎに「ナイル」でインドカレーとビール。学生時代の飛び込みからだからオーナーのおやじを知っているがよく似ている。「ナイルのマスター」→「ガンジー」→「一遍聖」と連鎖反応した。
改造社ビル内の書肆に入る。歌舞伎座地下の喫茶「タリーズコーヒー」店で歌舞伎座開場時間待ち。「セブン」で幕あきの休憩時間での虫押さえのおにぎり2個購入。
歌舞伎座「四月大歌舞伎」(17:30~21:30 @18,000円)
一、源平布引瀧 実盛物語
   仁左衛門 孝太郎  寺嶋眞秀(寺島しのぶ長男 まほろ  将来が楽しみ)
二、猿翁十種の内 黒塚
   猿之助 猿弥 
三、二人夕霧 傾城買指南所
    鴈治郎 孝太郎 魁春
サブ「東銀座」~「大門」~「都庁前」

4月21日(日)

朝湯、サンドウイッチ・サラダ・コーヒー。
サブ「都庁前」~上野御徒町(乗換)~上野。
東京国立博物館平成館で特別展「国宝 東寺―空海と仏像曼荼羅」@1,600円
第一章 空海と後七日御修法
第二章 真言密教の至宝
第三章 東寺の信仰と歴史
第四章 曼荼羅の世界
本館に移動して「平成30年度新国宝・重文展」鑑賞。
特別展「両陛下と文化交流―日本美を伝える」@1,100円
食堂が満員なので博物館の庭園と文化財を見て回る。
①五重塔②第二回勧業博覧会碑③春草庵④町田久成碑(初代館長)⑤転合庵⑥六窓庵⑦有馬家墓石⑧応挙館⑨九条館⑩大灯篭⑪鉄灯篭
これまた久しぶりに「上野鈴本演芸場」に入る。@2,800円
林家正蔵、金原亭馬生は健在。初日とやらで、「総踊り」まで披露あり、大満足。
上野御徒町まで歩き、サブで都庁前まで直行する。
セブンで弁当、サラダ、コーヒー、ビールを調達。

4月20日(土)


朝風呂、朝食(サンドウイッチ、にぎり、コーヒー)
サブ「都庁前」~青山一丁目~表参道。骨董通りを抜けて「根津美術館」へ直行、10時半の開館まで30分待ち、結構行列ができる。さすが東京である。
特別展「尾形光琳の燕子花図」
第一章 王朝文化への憧れ「源氏物語図屏風 住吉具慶筆」
第二章 草花をめでる「草花図屏風 伊年印」
第三章 名所と人の営みを寿ぐ「洛中洛外図屏風 17世紀」
名園をゆっくり30分程散策する。茶室、水の流れに時間(時代?)を忘れる。
慶応大学経済学部3Cクラス会に出席(青山クラブ 12時~14時半)。例年25~30名出席するのだが今回は17名。橋本・松澤・渡部・豊との5人組だが、橋本は没し、松澤は病後の静養で寂しい限りだ。
同じコースで新宿に戻り、新宿中央公園を散策する。お目当ては新宿(村)の氏神車である「十二社(じゅうにそう)熊野神社」の調査。江戸時代は「熊野十二所権現社」と呼ばれた由。鬱蒼とまではゆかぬが大都会のど真ん中に林があり熊野神社が鎮座している、厳かな神域である。随分昔のことになるが、近くの「新宿十二社天然温泉」に入浴した。是非再度入浴したい。
「セブン」で夕食と朝食を調達、21時に就寝す。

4月19日(金)


松山子規会総会並びに4月度例会並びに常任理事会出席(子規博)。副会長としての役割は「閉会の辞」のみ。昼食は「にぎたつ会館」。食後、義安寺を詣でる。今村理事が結構な線香を御供えいただく、有難し。
例会講演は福本一郎氏(神奈川大学名誉教授)「子規と紅緑―佐藤紅緑没後七十年―」。
道後発17時のリムジンで松山空港へ向かう。空港内の「かどや」でさつま汁とビール、ゲストルームでコーヒーとジュースで腹ごしらえ完了。機内では「ジュース」を注文する。
21時前に羽田空港着。モノレールと山の手線(浜松町乗換え)、新宿駅からは歩きで「サンメンバーズ新宿」に22時チェックイン。ルームナンバーが716室、誕生日である。疲れが吹っ飛ぶ。
フロントでアクセスは大江戸線「都庁前」からは5~7分の由、今後は「都庁前」を利用しよう。ダブルベッド、バス40℃、エアコン24℃、4泊の予定。

4月18日(木)


エデンシアター「ヒトラーを欺朝食後いた黄色い星」(2017年)は割愛し、上京準備の為、徒歩で帰宅する。
旅程、予約確認など年相応のチェックを綿密に行う。
明日の子規会4月例会&総会の下調べ。
留守中に、次男が帰省し、わが家で同僚の松山支店長と交歓するので、ビール、ジュースなどをセットし、その旨を伝える。
孫たちにも休暇中は友人とわが家をベースにして四国旅行を企画するように勧めている。家は利用しないと急速に劣化するものだ。
17時エデンに戻り、夕食後早めに入浴を済ませTVの番人になる。
19時「プレバト」は母校松山東の文芸俳句部の後輩がベテランの名人・特待生に挑戦する。「1勝1敗3引き分け」だったが、得点差で惜敗した。
20時からNHK[ネーミングバラエティー 日本人のおなまえっ]。南予の由良半島の取材である。漁業(魚・網)、農業(野菜)の苗字が多い。(浜地、鈴木、増原、木網、立目、真菜、大根(おおね)など)。
明治期にこの半島の経済的自立を促した「浦和盛三郎」の紹介があり、知人の「加藤朋子」さんが曾祖父への思いを語る。かつての今市上町内会のメンバーである。
『南海僻隅の痴蛙なれど―浦和盛三郎伝 』(1992)の著者犬伏武彦氏はこの世にいない。わが家で何度となく著者と語った思い出は多い。
TV疲れで22時には就寝す。

4月17日(水)

エデンシアター 邦画「四月の永い夢」(2018 93分)監督中川龍太郎 出演 朝倉あき 三浦貴大 川崎ゆり子 高橋由美子
第39回モスクワ国司映画祭で二冠に輝いた作品というが、ストーリー展開が分かりにくい。主人公(朝倉あき)の亡くなった恋人のイメージがよくわからない。
彼の最後の手紙「人生は獲得するものではなく失うものだ。失って初めて重要であることがわかる。」の一節だけは貴重な結論である。
午後、エデン4月度全体会議。徒歩で15時帰宅。2時間集中して、メールでの作業。
大洲の少名彦命神社へのツアーは戸嶋さんの詳細な説明で参加に決める。
旅行記贈呈の著者平尾忠次氏に礼状を書く。
夕食は刺身、季節献立・・・となかなか豪華であった。
〇中学同期会案内文修正(森さん)
〇贈呈本礼状(平尾忠次氏)
【→平尾様】
道後公園の桜も葉桜になってまいりました。その節はお世話になりました。昨夕、御著『歩いて歩いて日本縦断3000キロ 〔宗谷岬~薩摩半島]』拝受し、さっそく拝読しました。
四国遍路にも出たこともありませんが、かつて訪れた都市や町村の光景や味覚や温泉を思い出いながら、宗谷岬から薩摩半島まで一気に「読書旅行」をいたしました。    
奥様の温かいご支援があっての徒歩旅行だったのかなと感じました。関門海峡の歩行者用道路が修理中で断念された由、残念でした。
数年前に、門司港ホテルで宿泊し赤間神社までこの道路を使って往復しました。ぜひ「いつの日か、ここだけは歩いてみたい」ご希望が実現されるように念じています
7度目の年男になりましたが毎日1万歩に挑戦しています。1年間で1500~2000キロになるのでしょうか。
何故歩くのだろうかと反問するときには、御著のリアルな「物語」を思い出すことだろうと思います。ありがとうございました。
願わくは、沖縄や四国にも足をのばされますように・・・ まずは御礼まで ご多幸を念じ上げます。
(注)
目次
第1部 宗谷岬~山形県遊佐町980キロ(宗谷岬~稚内市;稚内~兜沼 ほか)
第2部 山形県遊佐町吹浦~福井県若狭町三方駅742キロ(遊佐~酒田市;酒田~鶴岡市由良温泉 ほか)
第3部 福井県三方駅~福岡県博多駅870キロ(敦賀市;JR三方駅~小浜市 ほか)
第4部 福岡博多~鹿児島県長崎鼻394キロ(博多駅;博多~二日市 ほか)

4月16日(火)

珍しく「事務処理」に追われる。
(1)年会費納入(子規博友の会、県美術館友の会、鐘友会)
(2)休暇村めぐり
(3)大洲「少名彦命神社」ツアー不参加
(4)10連休日程(ファミリー宛)
(5)一遍会継続・寄付ほか手続き(119,000円)  
   ①伊佐岡様②上岡様③大森様④中川様⑤匿名希望(HM様)
(6)上京・上洛プラン
(7)一遍会員依頼案件①小沼氏論文抜粋②時宗総本山遊行寺団体参詣者アドレス
(8)御幸中学校同期会案内状
セブンの「ピリ辛スープの冷し肉味噌坦々麺」旨い。セールス中で30円引もよし。

4月15日(月)

半年振りに四国がんセンターで前立腺がんの定期検査。PSA数値が前年に比べ25%ダウン。ドクターから年1回の検査にするとの話、まずはほっとする。
一遍会IT会員に「4月度定期便」を発送する。
11日ぶりに「エデン」で夕食。夜は日記の執筆に集中する。

4月14日(日)

伊予史談会4月例会出席(県生活文化センター)。
一遍会の会員60名に較べて400人超の会員であるが繰越金が2万円強はいささか少なすぎる。フローの段階では「伊予史談会経営」も多難だろうと思う。
講話は白石成二氏(ソ-シャル・リサーチ代表)の「文化交流の場としての伊予国府」。伊予の国府の場所が特定されていない。国司の多くは最新の知識を身につけた教養人であり受領が地方文化の中心との前提で、文献から伊予の国府周辺の文化を紹介する。
聞きたかった話である。たとえば『一遍聖絵』に描かれた伊予の府中での「三輩九品の念仏道場」など(第三・2段)。
午後から一遍会IT会員向け定期便の取りまとめ作業、夕方に完了する。明日、郵便局から発送したい。
NHK大河「いだてん」。「椿の湯」。

4月13日(土)


一遍会4月度例会(道後公民館)開催。
①総会:
②講話:小沼大八代表「神仏混淆」
③連絡:宝厳寺住職 長岡陽子氏
「二祖真教上人七百年御遠忌」記念 時宗総本山遊行寺団体参詣
     日時:10月14・15日 宿泊:大磯プリンスホテル
     場所:○総本山「遊行寺」○瑞鹿山「円覚興聖禅寺」○鎌倉大仏大異山清常和泉寺「高徳院」)○神奈川県立歴史博物館 
NHK「ブラタモリ 甲府」。「椿の湯」

4月12日(金)

快晴。先週末は満開だったわが家の桜も葉桜になった。メールを点検し、ファミリーと一遍会杉野理事に返信。
「セブン」で朝食を調達。「一遍会4月度ニュース」「一遍会総会口上書」を取りまとめ、明日の例会配布書類は完了。
昼、伊予鉄会館で御幸中学26年卒同期会役員会を開く。(八塚・山本・森・・三好)。
「ダイキ」で一遍会総会資料印刷。
帰宅後は桜旅行エッセイ執筆。
「椿の湯」に入浴して、ほっとする。
NHK「チコちゃんに叱られる」「椿の湯」

4月11日(木)

「休暇村奥大山」は、新しい雪がうっすらと積もっている。午前5時半に朝風呂。9時20分休暇村出発。
サントリーの「大山の水」のコマーシャルの撮影スポットである「木沢谷渓流」に立ち寄り写真を撮る。
南下して、岡山県の奥津温泉の「里山レストランAeru」でランチ。40年以上も前になるのだろうか、妻と奥津温泉を訪ねたことがある。食事もほどほどにして郵便局で昔宿泊した「国民宿舎」の所在を訪ねたが局員は知らないという。老舗旅館「奥津荘」で再度老女に川沿いの露天風呂(現在は洗濯小屋)や国民宿舎のことを尋ねる。「道の駅奥津」で「国民宿舎」は町の温泉施設になったことを聞く。レストランや川沿いの桜は満開である。過去の記憶と繋がって満足である。
【メモ】
後日、昭和44年日本交通公社刊行の『国民宿舎とユース・ホステル 国民休暇村・政府管掌健康保険保養所』を調査。宿舎は「錦山荘」。足踏洗濯の対岸に建物が建っていたから、現在は駐車場になっている様だ。
更にバスは西に走り、津山に入る。津山城の三段になった石垣沿って満開の桜である。「津山まなびの鉄道館」で「D51」はじめ引退した蒸気機関車やディーゼル車を眺めて「鉄道少年」の気持ちは昂ぶる。
ここからは一路新大阪駅に向かい17時過ぎに到着。リムジンで伊丹空港に急ぎ、最終の一便前のANA1647(プロペラ機)で予定より2時間早く帰松。家で軽く夕食を食べ、留守電とメールをチェックする。特に問題はなく、ビールを飲んで早めに就寝する。

4月10日(水)

「休暇村蒜山高原」を9時出立。高原は雪がうっすらと積もっている。日本最大級のフラワーパークである「とっとり花回廊」でご自慢のランや熱帯植物、ゆり館を見て、チューリップ園、水中植物園に立ち寄る。
「ANAクラウンプラザホテル米子」でランチ。食後のスイートが旨い。ついで国宝松江城と外堀の家老屋敷の並びを見て人気の「松江堀川めぐり」に乗船。
「足立美術館」で1時間半庭園と大観とその周辺の画家たちの名画等を鑑賞し、標高1,000米近い「休暇村奥大山」に急ぐ。大山の牛乳と牛肉で満腹である。

4月9日(火)


「休暇村竹野海岸」を定刻9時に出立。山陰松島・浦富海岸遊覧船で40分、断崖絶壁の日本海特有の風景を船上デッキから楽しむ。とは云え大揺れで、片手は支柱をしっかりと握っていた。いやはや。
鳥取砂丘のビジターセンターは半年前に新築されていて、砂丘の紹介映像は優れものである。以前の地味な研究施設的な雰囲気も良いし、鳥取大学出身の研究員の応答もよかったが、美人の若いガイドにチェインジしていた。
TVでよく紹介されているという山里に立つ瀟洒な「大江の郷リゾート」で名物パンケーキとブッフェを楽しむ。若い男女には「食の聖地」であろう。
倉吉の白壁土蔵群を地元のガイドに案内してもらう。正直B級土蔵群だが、観光資源として図々しく町おこしをした倉吉観光協会に乾杯!
17時頃「休暇村蒜山高原」に到着。年数回は立ち寄る蒜山高原パークのレストランに程近い。うっすらと雪化粧している。標高600米位かな。

4月8日(月)


新大阪駅11時15分に集合。休暇村主催の「春の山陰休暇村めぐりとこだわりのグルメ旅」に参加する。参加者は21名でペアが7組とシングルが7人(男子3名女子4名)。
このシングルズは翌日の昼食から打ちとけてのおしゃべりし、夕食は機微に触れての話もできる仲間となった。奇跡に近い楽しい旅になるとは「お釈迦様でも・・・」である。
丹波の「ゆめの樹食堂」で丹波料理を味わい、出石城下町を町並み散策。元町役場の観光課長クラスか、行政・観光・地理・歴史に詳しく、情熱的な話に惹きこまれる。城下町の桜も満開で、話に色を添える。
17時頃「休暇村竹野海岸」に到着、早々に日本海を眺望しながら温泉を入る。夕食は席がばらばらの「孤食」であったが、関西の女性二人と沖縄と四国の爺さんの波長が合い、話が大いに弾む。翌日からは防府と九州の女性と名古屋の男性が加わり7名のシングルズが結成される。防府と九州の女性はインテリ、名古屋の男性は北海道から九州まで徒歩旅行した猛者(もさ)で著書を送ってもらうことになった。
添乗員の菊地さんは南予の出身(菊地姓は八幡浜に多い)、ガイドの老嬢は年齢不詳(というより不可解)だが博覧強記で驚く。台本を見ることもなく一日中しゃべっていたが、歴史に関して云うと9割方は正しい説明であった。記憶力に敬意を表したい。添乗員の配慮で4日間のバスは常に前方の席をセットしてくれた。感謝、感謝である。

4月7日(日)

朝9時のANAで伊丹空港に向かう。夕方までフリーなので大阪駅から地下鉄谷町線で「谷町四丁目」下車。
「大阪城歴史博物館」は数年ぶりである。たっぷり2時間、館内をうろつく。ランチは館内のカフェ&レストラン「スター・アイル」。まずまずの価格でまずまずの料理である。
次いで、桜が満開の大阪城公園を散策する。大阪城天守閣見学では身障者扱いの特別待遇で、入場者の列を抜けて特別通路を通ってエレベータで最上階に着く。各階をじっくり観覧する。博物館と天守閣の見学セットは@1,200円也。
17時前に大阪駅前第三ビルに着き、地下のカフェーでコーヒーブレイク。最上階の33階で淳志ファミリーとぱったり出会い、揃って日本料理「河久」に入る。
大阪大学工学部と仁川学園高校の進学した孫を祝してのホームパーティーを開く。二人ともそれぞれに大人っぽく、娘らしく成長したものだ。至福の時間が過ぎる。
20時、御堂筋でファミリー四人に見送られ、タクシーで「コンフォートホテル心斎橋」に向かう。

4月6日(土)

数日家を空けるだけなのに、結構片付けに追われる。
鐘紡44年入社組から「獅子の会のあゆみ」(スライドショウーDVD)が届き、その返信に苦労する。TM氏からのご教示に対する返信も書き上げたので、気軽く出立できそうである。
手土産は妻の郷里宇和の「」にする。中学校同期会の世話人会の連絡あり。毎年開催に決めたし、道後小学校・御幸中学校のメンバーがダブるので悪ガキとは毎年会っていることになる。
家の中の片付けを済ます。「椿の湯」。

4月5日(金)

エデンシアターで邦画「ミックス」を見る。(2017年 119分)。単に「卓球映画」というには惜しい作品である。監督は石川純一、出演は新垣結衣、瑛太、広末涼子ほか。フィナーレが印象的。
「花楽里」で野菜カレーライス。
帰宅後は超多忙。銀行で「キイチ」の払い込みを済ませ、通帳は貸金庫に入れる。子規博竹田美喜館長と会い、万葉学者である館長から新元号「令和」について個人教授を受ける。有難し。「令」の本義が「にき」に結びつき、道後の古名「にきたつ」(熟田津)にまで言及される。「田」は「の」であり、「にきの津」とか。
メール交換多数
○泉さん心臓手術後でクラス会欠席、残念。秋には茅ヶ崎まで見舞いに出掛けるか。
○毎朝メール(定期便)
○杉野理事「例会卓話」依頼
○圓増治之氏「六月例会テーマ等」御礼
○ファミリー「母さんの七の百九日(没763日目)」
○佐伯氏「東雲大学子規講座受講者数(18名)」
HP一遍会、4月度改訂分の細部修正。
夕食はわが庭の桜を愛でつつ平成の花見を惜しむ。約1時間半、夕暮れの19時まで表庭の草引き。
「チコちゃんに叱られる」を「ちょいと見」して「椿の湯」。
「夜暗くなるのは宇宙に涯があるから」の設問・回答に、頭が混乱する。近代天文学は、この疑問解明がスタートの由???

4月4日(木)


エデンシアターでイギリス・ポーランド映画『ゴッホ(最後の手紙)」を見る。(2017年 96分)監督:ドロダ・コビエラ 出演:ダグラス・ブース外。
「ひまわり」で著名な印象派のフィンセント・ファン・ゴッホの最後の手紙を中心にサスペンスドラマが展開する。全編が油絵風のアニメーションで描かれているのに驚く。
ゴッホの手紙は小林秀雄の著作にも同名のものがあるが20代に読んだきりなので内容を忘れてしまった。再読するか。
4月に入って朝7時から15分ニュース、次いで朝ドラの旧作「おしん」、7時半かr「なつぞら」を見て朝食である。
「おしん」の回想が83歳から始まることを知った。乙羽信子が熱演しているが、同じ年なので妙にしっくり理解できる。
午後は多忙であった。
〇「一遍の遺言『南無阿弥陀仏はうれしきか』」の『一遍会報』割り付け
〇例会6月度講師 圓増治之氏宛「テーマ「講師からのひとこと」依頼。
〇4月度行事検討
〇東雲女子大講義内容打ち合わせなどなど
夜は「プレバト」拡大版を見る。
ゴーン被告の4度目の逮捕は「保釈中」でもあり疑問が残る。

4月3日(水)


早朝から書き忘れていた日誌を整理。
午前中、四月度子規さん俳句「散る花は散らぬ花よりうつくしき 」鑑賞エッセイ執筆。子規もどき句は「散る桜 残る桜や 口惜しき」。
エデンの「お花見弁当」持参で、徒歩で松山神社から天台宗の常信寺に花見。妻とは毎年この寺での花見を欠かしたことはなかった。
帰宅後、HP一遍会の4月度改訂作業、仕上げる。
亭庭の茶室の屋根の修理完了。夕、5時のバスでエデンに戻る。
(メモ)
「平成」に代わる新元号「令和(れいわ)」の考案者は、万葉集研究で知られる中西進・大阪女子大名誉教授(89)だった。政府関係者が認めた。
また、政府が1日に有識者や閣僚らに提示した六つの新元号案は「令和」のほか、
「英弘(えいこう)」
「久化(きゅうか)」
「広至(こうし)」
「万和(ばんな)」
「万保(ばんぽう)」だった。
政府筋によると、うち三つは国書が出典。「令和」で引用された万葉集のほかは、日本最古の歴史書「古事記」と、朝廷の公式な歴史書「日本書紀」という。

【→俳友】
子規記念博物館(館長 竹田美喜氏)監修の子規さんの平成31年4月の句は「散る花は散らぬ花よりうつくしき   子規」です。
季語は「散花」(春)です。『子規全集』第一巻 俳句一「寒山落木」抹消句 436頁(明治二十五年)に掲載されています。
今月の句も抹消句である。道後公園での小学校の悪ガキとの花見の座でも、なぜ抹消句ばかり鑑賞さすのかとの苦情を受けた。
抹消句は作者の意思で削除したものだから再現するのは如何なものか。
漱石の『坊っちゃん』の「四国あたりの」の元の原稿は「中国あた り」であったし、素直に読めば「松山・道後温泉」ではなく「山口・湯田温泉」だろう。案外「松山中学」ではなく「山口高等学校」ではなかったか。
句自体は、説明文的で、詩情はなく、常識的である。
会社を定年で去る時の先輩・同輩・後輩との交わした言葉は「散る桜残る桜も散る桜」だった。在職時代は宴会の後では「同期の桜」を歌ったものだ。それに比べてなんと平凡な句か。
「散る花は散らぬ花より〇〇〇〇〇」の〇〇〇〇〇に幼稚園から老人ホームの老幼男女に5文字書き込んでもらったら、短大クラスの卒業論文が書けるかもしれない。
同趣旨の「散った桜散る桜散らぬ桜哉」(明治29年)と言葉遊びのような子規の句が残っている。散った桜(はな) 散る桜(はな)散らぬ 桜(さくら)哉」と読むのだろうか。
「散る花は散らぬ花よりうつくしき」を鑑賞しようとして、3月に三回忌を迎えた亡き妻のことを思い出した。「永遠に女性的なる伴侶」であった。
「散る桜 残る桜や 口惜しき   子規もどき」を平成最後の桜への挽歌として、妻への挽歌として詠んでみた。

4月2日(火)

11時半に「友隣サミット」メンバーと「フジ」で落ち合い、「花見弁当」と「ビール」を調達して、湯築城跡の岩先の休憩室で岩と桜と湖面を眺めながらのおしゃべり。
食後は「ふなや」の庭園にある足湯で、おしゃべりの続きである。
15時帰宅。亭庭の茶室と合わせて水道の配管と蛇口の修繕。
夕、エデンに向かう。

4月1日(月)

6月度一遍会例会の会場予約(道後公民館)。公民館の収益アップを目的に営利機関も使用料の倍額料金で受け付ける由。すべては効率化、収益化ヵ。
子規博で4月度子規さん俳句の確認。「散る花は散らぬ花より美しき」は正直説明文的で頂けないし凡作ではないか。
「ひめぎん」で孫の大学入学のお祝い分を引き出す。息子には「奨学金」は卒業してから負担になるから孫の教育費はある程度は負担するからと言っている次第。
午後1時、一遍会平成30年度の収支決算の監査。バランスシートの項目について監査人との見解の相違があり、時間がかかる。亊年度分の会費は預かり金として処理しないと安易に流れることを力説する。
子規会でも、2年間でこの方式で「タコの自分の足食い」を止めさせ健全化したので、この点は譲れないところであった。一件落着した。
三日ぶりでエデンに戻る。「お帰りなさい」の挨拶はどうも気になるのだが・・・
新元号が「令和」と決まる。出典は「万葉集」の由。子規博の竹田館長は万葉学者だから、じっくりと教えを乞いたいものだ