7月31日(水)
明日から8月である。快晴・猛暑である。
7月中に取りまとめる予定の『子規会誌』寄稿論文「子規と遊里遊廓俳句」は『子規会誌』の24字×21行×2段×12ページで収める。約12,000字である。
子規会8月例会時に校正を済ませて編集部に提出する予定。
今週末の一遍会8月例会に明日から全力を挙げて取り組むことにしたい。
14時過ぎのバスで「エデン」に戻る。
15時半からエデンの担当者との誕生月面談(約30分)。「夜間温水装置」は使用しないので電源を切ってもらうことにした。3,000円弱経費削減ヵ。
夜、NHKBS「英雄たちの選択」(そして万葉集が生まれた~大友家持が残した日本人の心)。
7月30日(火)
朝5時起床。一週間分の日記を整理する。
27日の山崎氏との話で話題になった鴨川にある久保氏の「御降りや」の句碑につきインターネットで探索、「久保病院」内にある由。名前から判断して祖父―父―子の三代医師であるらしい。取りまとめて山崎氏にメール。
午前中「子規と遊里遊郭俳句」執筆。午後3時、タテ組で1,000字×12頁(ほぼ12,000字)の粗原稿ができ上がる。やれやれ。
夕方「エデン」に戻る。
【→山崎氏】
「アルネ」での懇談、楽しいひとときでした。有難うございました。機会があれば、またお会いしたいものです。「烏谷章中将の件」は、ぼつぼつと話を膨らませていきます。
ところで鴨川にある「御降りや・・・」の句碑につき、下記ご参考になればと存じご報告します。
「御降りや外湯に通ふ宿の傘(久保蘭香)」句碑
所在地 鴨川1丁目 (潮見) 「久保内科循環器クリニック」敷地内
院 長 久保 俊 副院長 久保 俊彦
「久保蘭香」の本名は「久保昂」氏ですし、名前が「一字」です。(昂⇒ 俊⇒ 俊彦)
久保俊彦医師は「 松山赤十字病院循環器センター部長」を退職後病院を引き継いだものと思います。「祖父ー父ー子」の系譜です。(ご当人とは未確認です。)
道後の元「久保病院」跡の「柳井内科」は、久保昂医師の娘(柳井家に嫁ぐ)の次男で、長男は市内で開業中の由です。華麗なる医師ファミリーです。うらやましき限りです。
という次第で、「御降りや外湯に通ふ宿の傘(久保蘭香)」句碑(鴨川在)の謎がとけました。
7月29日(月)
梅雨明けの快晴。猛暑である。
朝6時起床。朝食までに「一遍会8月度ニュース」を取りまとめ会員に流す。
朝食後、洗濯から一日が始まる。
午前中「子規と遊里遊郭俳句」執筆。ほぼ12,000字の枠内で粗原稿ができ上がる。やれやれ。
午後、書斎の整理をして、熱中症対策もあり、屋外作業は「水やり」など最低限にする。
夕方「エデン」に戻る。
鳥取のAK氏(一遍会会員)から、一年ぶりに9月例会に出席との連絡があり。大歓迎である。
7月28日(日)
朝6時から「子規と遊里遊郭俳句」の執筆。「はじめに」と「遊郭十句集」がまとまる。
明日以降、②子規が訪ねた遊里遊郭 ③子規の使用した遊里用語の順序を逆にして、吉原と道後松ヶ枝町をたっぷり説明していきたい。
午後2時から5時まで、戒田さんがボランティアで我が家の除草剪定作業に来ていただく。除草剤も散布したのでお盆にはすっきりした庭になりだろう。とはいえ、随分疲れた。寝るまで体が水分を要求している。『みよしの湯」で汗を流し、夕飯の用意。ビール旨し。
併せて、一遍会8月例会での戒田氏の講話のレジュメをベースに浄土宗の話をする。事前打ち合わせ完了。
夜、NHK大河「いだてん」と「ぽつんと一軒屋」を見る。
次男と帰省の細部打ち合わせを済ます。
7月27日(土)
朝から『子規会誌』寄稿のにかかる。
主に①「遊郭十句集」 に絞って取りまとめる予定である。
①については『子規選集』第14巻「子規の一生」和田克司編 (増進会出版社2003年)と『子規全集』別巻三「回想の子規二」〔俳句会稿補券遺・十句集〕(講談社1978年)により、合計七三回の「月次十句集」をリストアップし、子規の10句を紹介することにした。
②については新吉原と道後松ヶ枝町が中心になる。③はすでに取りまとめている。
夕方4時に書斎を離れる。
夜、NHK「ブラタモリ」(阿寒湖・摩周湖・黄色い山・黒い滝)。「椿の湯」
八月は長男夫婦がお盆に帰省、次男ファミリーは19・20日帰省の由、楽しみに待つことにしたい。
7月26日(金)
朝6時に目覚める。熟睡したようだ。さわやかである。
エデンシアターで邦画「そらのレストラン」を鑑賞する。(監督:深川栄洋 出演:大泉洋、本上まなみ、岡田将生 2018年 126分)。北海道せたな町の海が見える牧場での大人の童話である。青年に送るファンタジーかシニアへの激励なのかよく分からない。通常は夫婦愛があるのだが、本上まなみは顔立ちは良いが、せりふは素人である。
(注)「せたな町」平成17年9月北檜山北部3町合併
ランチは「花楽里」の野菜カレー。
「アルネ」で山兄弟生誕地館の山崎理事長とおしゃべり(15:00~17:00)。久保氏句碑「お降がりや」、「道後温泉碑」、松ヶ枝町遊郭からご城下でのトピックスなど話題は豊富である。
①烏谷中将の本名は「烏谷章」であること。
②秋山好古大将の影に隠れているが、大将に事績を支え継承した大恩人であること。
③無名だが「井上某」なる人物も支え続けた人物であること。
「坂雲」「子規博」との連携は密でありこと。ロシア人は「帝政ロシア」に否定的であるので、特に「日露(露日)戦争」の説明には過激な反応はないことなどを知った。
道後本館の改修工事現場を見て周り帰宅す。20時過ぎ「椿の湯」に出掛ける。ガラガラである。西山さんに出会う。
7月25日(木)
早朝4時起床、『子規会誌』寄稿論文「子規と遊里遊郭俳句」(締め切り8月末)執筆開始。
9時帰宅。洗濯の後、事務処理と庭木の剪定をしてシャワーで汗を流す。
午後、愛媛県振興財団文化講座「四季と愛媛」受講。講師は愛媛大学 青木亮人准教授(13:30~15:00)
「冷さつま」(獅子文六)、「風板」(碧梧桐、山本富次郎)、さつま汁など食に関するソフトタッチの話に引き寄せられる。
夕、「エデン」ほろ酔いサロン(17:00~18:30)。南予のさつま汁、ひゅうが飯を話題にする。大いに盛り上がる。
夜、TV「プレバト」。
最優秀作はフルポン村上の「行間に 次頁の影 夕立晴」。作者と五〇センチ内の世界で、これほどの詩が生まれるとは奇跡に近い。脱帽だ。上手い。
子規忌への句は「へちま仏「明治」は遠くなりにける」とした。
酔いもあり、入浴せずにダウン。
7月24日(水)
早朝4時目覚める。『文芸春秋』⑧読み始める。
①藤原正彦「ヨーロッパの轍」
②年金放壊すべてに答える(自民党vs,ミスタ―年金vs,金融庁委員」徹底討論
③「家族という病」を治す(橋下徹、橘玲、樋口進ほか)
④広野真嗣「就職氷河期世代孤独と悲哀の事件簿」
好論文が続く。
8時半の車で帰宅。プラスティックゴミ出し。
9時から庭の紫陽花や雑木の剪定に挑戦。暑さと湿度で1時間で休止、シャワーを浴びる。参ったまいった。
正子宅を訪ねる。2ヶ月ほど会っていなかったので気になっていたが健康そうで安心した。白石さん、綿岡さん、洋子さんなど小学校時代の懐かしい女の子の話を聞けた。
2019年度検診申し込み(9月9日JA道後支所)。
8月末目標で『子規会誌』寄稿の「子規と遊里遊郭俳句」(12,000字)を講演記録(約20,000字)からまとめることにした。自宅と「エデン」の2箇所での執筆になるので情報を「リムーバブルディスク」に取り込んでの作業となる。それにしても、便利になったものだ。
夕、16時のバスで「エデン」に戻る
7月23日(火)
雨が晴れたので紫陽花の剪定をやろうと張り切ったが、剪定鋏数本の所在が分からない。思い出せない。昨秋息子たちが庭木の剪定をしてくれたのだが、いつもとは違う場所に格納したのだろうか。
という次第で、青山淳平著「『坊っちゃん』の漢学者はなぜ斬殺されたか」の第三部「「歴史のたくらみ」」読了。
左氏珠山を惨殺した宿毛藩士「三好蔦江」の輪郭がぼんやりとしか浮かんでこない。今後高知県に出掛けた折には「三好蔦江」の情報を発掘したいと思う。
7月22日(月)
終日雨である。
週末の月例会、勉強会の復習と資料の整理。
『一遍会報』第412号の検討開始。
青山淳平著「『坊っちゃん』の漢学者はなぜ斬殺されたか」再読。第一部「十九年の空白」 第二部「物語『しき石なれど』」読了。次いで、第三部「歴史のたくらみ」に入る。
夜、TVで参議院選挙の分析番組を2本見る。「安部史観」なる言葉を知る。祖父岸信介氏から引き継いだ遺伝子は確かに生きている様だ。
7月21日(日)
本日も朝から雨である。うんざりである。
○武智氏メール(消息)
○青山淳平氏宛一遍会10月度例会講師正式依頼⇒応諾「新渡戸稲造と松山事件」
○日誌整理
午後、道後公民館で参議院総選挙投票。投票した二人とは、地方区は高校の後輩、比例区は大学の後輩で、二人の「不遇時代」に一緒に酒を飲んで政治を語った「仲間」である。当選した二人に乾杯!!! そういえば県知事も10数年前の衆議院選挙に落選した浪人の時代に松山三田会で知り合った。息子と同年であり親しみを感じている。
午後2時から子規博夏季子規塾(子規博講堂)出席。
テーマ 子規と『坊っちゃん
講 師 佐藤栄作 愛媛大学教育学部教授
久しぶりに「知の力」を感じたが、子規・漱石の文章から「ええとこ取り」で論旨を組み立て巧みなレトリックで聴衆を酔わしてしまった佐藤教授の言語力に感服した。
それにしても引用資料に目を通して「追体験」してみたいという誘惑にかられながら退出した。
「フジ」の買い物で現実に戻り、ワインを飲みながら大相撲千秋楽を観戦(横綱鶴竜 7場所ぶり6度目の優勝)する。
夜は楽しみにしている大河「いだてん」も「ぽつんと一軒屋」の放映はなく総選挙開票速報ばかりである。
半年振りで「みよしの湯」でのんびりと我が家の庭を眺め、なんということもなしに選挙結果を見る。「安倍体制」は変わらず、安心ではあるが、二大政党制は日本には定着することはないのだろうか。
長男からは雨中の富士登山の報告、次男夫婦からはウェスティンホテルでの獺祭の会参加報告・・・・・対蹠的な息子たちの日常生活を垣間見た。
7月20日(土)
朝6時半から「作業」開始。
○小島孝子さん 安否照会
○大本敬久氏 『一遍会報』掲載論文依頼
○青山淳平氏 一遍会例会講話について
朝10時、湯築城歴史塾「河野氏を支えた文武の道」①受講。(子規記念博物館)。
講師 友澤明氏(日本甲冑武具研究保存会評議員 小松温芳図書館・郷土資料館専門員)
講義 「河野氏所用の甲冑再考~工芸史から~」
90分の講義であるが、何を語りたかったかが不明である。
大山祇神社所蔵の国宝、重文の甲冑について、時代考証として疑問を提示するにはいいが、だからどうなのかの提示・提案がないと非専門家にはチンプンカンプン分からないし、却って混乱する。
数名の仲間にも聞いてみたが、同様の見解である。
昨晩、田中さんから質問があった「祝谷の無栗池(むうくりいけ)」の地図を持参したが、祝谷で育った神尾・梅木両君から明快な回答を得た。田中さんも了解した筈だ。
イタリア料理店「イル ポジターノ」で梅木君とランチ、カレーライスだが@1,000円となると結構旨い。
午後はエアコンの書斎で過ごす。
夜、「ブラタモリ(釧路へ 世界に誇る湿原の奇跡)」を見る。
7月19日(金)
大雨である。
朝10時、愛媛県立図書館で『一遍会報』ファイル点検。司書の柚山さんに直接依頼したのでパーフェクトにファイルされている。
高島屋、東急ハンズに固定電話用のロール型転写用紙を仕入れておらず困った。昼食はデパート8階「とんかつ 活」の35%割引の「そうめんとミニ丼セット@648円」。
「エデオン」まで足をのばしやっと電話用転写紙を入手。グランフジ「タリーズコーヒー@330円」で時間調整。13時、愛媛新聞社に着く。
松山子規会7月例会出席(愛媛新聞社1階ホール)。
1)加藤幸男氏(極堂会会長)「俳人 極堂とその交友」
2)戸田政和氏(元松山東高教員)「俳句甲子園」。
両氏の講演は学問的ではないが、文献でなく自らの見聞の上で実証的に組み立てている。特に昭和5年頃の松山名物「子規せんべい(煎餅)」の調査と「俳句甲子園」での選者のポジションは大いに参考になり、興味をそそられた。
井手、烏谷、渡部、佐伯、近藤、二神、戸嶋、今村各氏と短時間ながら懇談できた。戸嶋氏に家まで送ってもらう。雨なので大いに助かる。
『子規会誌』第164号掲載予定の拙論「子規と遊里遊郭」は12000字での寄稿を要請される。編集の苦労がわかるだけに、8月末には編集部に提出したいものだ。
雨の中、戸嶋氏に自宅まで送ってもらう。有難し。
夜、NHK「チコちゃんに叱られる」を見て就寝。
7月18日(木)
高温で蒸し暑い・・・虚脱状態である。夏バテか。
ただなんとなくTVを見て過ごす。こんな日があって良いか。気にせずに過ごそう。
①パソコンとプロジェクターのミスマッチは「古き情報(旧式プロジェクター)は古きシステム(マイクロソフト7)に」で解決。
②松山歴史文化研究会例会はエデンほろ酔いサロンと日程がバッティング。バッカスの神に乾杯!!!
③子規博竹田館長から「泊瀬朝倉宮=脇本遺跡説」の説得力のコメントあり。学者同士の話には門外漢はついていけないのだが・・・ともかくよかった。
夜、「プレバト俳句」を楽しむ。
1位 千賀健永
黒き地の 正体は海 揚花火
2位 千原ジュニア
渋滞や 花火の映る ボンネット
3位 皆藤愛子
ラムネ瓶 浮かぶ未明の 川しづか
7月17日(水)
朝一番にごみの運搬、洗濯からスタートする。
昨日の「年男の誕生日」をエッセイで記録に残す。子規博夏季塾、住友信託シニアセミナー担当者に出席の旨連絡。
一遍会8月例会予告を取りまとめ、マスコミ・ミニコミに連絡。
午後1時過ぎの伊予鉄バスでエデンに戻る。
2時からエデン全体会議出席。7月誕生者の紹介あり。
エデン本部(聖隷福祉事業団)と松山エデンの園の2018年の決算書の報告あり。本部の常務出席も出席。なかなかしっかりしたガバナンスである。
担当者の誕生日面接が予定されているので①尊厳死の宣言書②終末期の医療に関する意向確認書等を記入する。
TVで7月17日が石原裕次郎の「三三回忌」であることを知る。日吉の時代、数回彼に出会ったことがあった。
彼は既にスターだったから授業も受けることができなかったろうし二年次で退学して慶応を去っていった。
石原裕次郎、美空ひばりは、ともに五〇代でこの世を去ったのか。
7月16日(火)
84歳の誕生日を迎える。
義安寺に出掛け、妻の墓前に報告し、庫裏で先住夫人に寺費、御施餓鬼料を納める。
伊予銀行(一遍会6月度収支決算、駐車場管理費納入、定期預金)、愛媛銀行(駐車場料金)、郵便局(各種支払い)、クリーニング店(作務衣)など。改装の道後駅前ローソン店をのぞく。
次男から誕生祝に珍しいフルーツドリンクが届く。中に「ミドリムシドリンク」もある。
16時、エデンに5日ぶりに戻る。
晴れ間に洗濯。座敷の土塀修理再開。
7月15日(月)
やっと天候が回復する。午前中、表庭の草引き。恒治は裏庭(畑)の除草作業。11時過ぎに一応目処がついたので父子共同作業は終わる。
「大黒屋」で冷たい「大黒うどん」を注文する。旨い。
午後1時、恒治は帰神する。5時間の車の運転である。8月13日~15日の盆帰省は息子夫婦二組の予定である。孫たちは冠婚葬祭以外は帰省することはなくなるだろう。
がらんとしたリビングで休息。
パソコンとパワーポイントのミスマッチがあり、田中さんと電話とメールで情報交換する。9月例会までに結論を出さねばならない。少々困った。
疲れもあり「椿の湯」にも出掛けず、ベッドダウン。
7月14日(日)
伊予史談会7月例会出席(県成生活文化会館)。
1)演題:「国史跡等妙寺旧境内の調査成果について」 講師 幡上敬一氏(鬼北町教育委員会)
2)演題:「松山城下絵図を読み解く-「亀郭城秘図」中心に」 講師 井上淳氏(県歴博学芸員)
旧知のご両人であり、説明も明快でわかりやすい。もっとも等妙寺旧境内の調査結果についてはほとんどが既知であった。反対に「亀郭城秘図」については全くの無知である。いやはや。
史談会の高須賀、山内、柚山、二神氏、一遍会の田中、江刺、戒田氏らとの語らいが楽しい。
恒治は雨中の外仕事で疲れたようだが、あまり成果は上がらなかったようだ。
椿の湯」。息子と「金兵衛」で22時まで飲む。
7月13日(土)
午後1時から一遍会7月例会開催(道後公民館)。
1)演題「雄略天皇の泊瀬朝倉宮と脇本遺跡」講師 前園実知雄氏 (奈良芸術短大教授)
2)卓話 「大航海時代前編「東西交流の歴史」」講師 田中弘道氏(一遍会 理事)
夕、5時より一遍会役員懇親会(すし丸)
午後、長男東京より帰宅。除草作業が目的だが、生憎の雨である。
7月12日(金)
庭の蝉の声に気づく。もう梅雨が明けたのだろうか。
エデンシアター「文福茶釜」を見る。
日本映画 2018年制作 監督:大畑拓也 出演 駿河太郎 小芝風花 赤井秀和)。
久しぶりの喜劇映画で大いに笑いました。いやはや。
午後、明日の一遍会7月度例会準備。
恒治が三連休で帰宅するので、食料品等の調達。
「椿の湯」。
「中山カメラ」氏(「現代音頭作家)からメール。事務局内で情報のミスマッチがあり、今日午後の私との面談が実現できなかった。
蜂須賀氏に連絡し調整を依頼する。
7月11日(木)
長男から定年前に松山勤務の可能性が出て来た旨連絡あり。人事からの来春の「内内示」らしい。将来生活の設計上、ホット&グッドニュースである。「果報は寝て待て」で行くか。
「一遍会7月度ニュース」を取りまとめる。
午後、「ダイキ」で一遍会配布資料印刷(『一遍会報』、「一遍会7月度ニュース」「前園実知雄氏講演レジュメ」)。
夜、TV「プレバト」。『文芸春秋』8月号を読む。
①「豪雨の登山 これより先は 神の庭 立川志らく」
②「ひまわりや 配線沿いの ラーメン屋 横尾渉」
①の「これより先は」は新鮮。②は私的には「駄作」と思う。「ひまわり」でなくとも良いし「ラーメン屋」である必然のない。「配線沿い」しか残らない。夏井宗匠の選考に疑問を感じた。
7月10日(水)
エデンで令和元年前半期の日記を一通りチェックする。
エデン七・八月度誕生会に初参加。僅か7名と園長と担当者の9名。
場所は元食堂勤務の川崎さんが2月に開業した北条の「そば処 かわ咲」。なかなか落ち着いた雰囲気で満員の盛況の由。三谷さんと話がはずむ。
11時半出発して13時40分帰着。14時過ぎのバスで帰宅。
SRさん(一遍会)の依頼で「松山方言校閲者」に今村威氏を推薦する。
子規博夏期子規塾(愛大 佐藤栄作教授「子規と『坊っちゃん』7月21日)申し込む。
17時のバスでエデンに戻る。
NHK「英雄たちの選択権」は「藤堂高虎」。宇和島城、今治城の城主であるが、家康の信頼の深さに驚く。
結構忙しい一日ではあった。
7月9日(火)
曇天なるも寝具の洗濯。
『一遍会報』第409号テスト印刷。
前園美知雄氏の一遍会7月例会講演レジュメ、『延喜式』(神祇官関係の式)印刷。作務衣上下クリーニングなどなどで午前中がつぶれる。
午後2時、友隣7月度サミット。
道後町商店街振興組合から町おこしの一環として「念仏踊り」を企画したいので相談に乗ってほしい旨、蜂須賀氏から依頼。
面談者は「現代音頭作家:中山カメラ」氏・・・名前は知っている。面談日の調整が必要だが、7月13日(木)午後になりそうだ。
7月8日(月)
エデンで朝10時から小暮照氏の「戦後75年 日本の今・昔」の映写会あり(約2時間)
。バスで往復する。
午後、「一遍会ニュース」を会員に流す。『一遍会報』第411号の原紙制作。7・8月予定表検討。
7月7日(日)
晴天。
朝一番に洗濯、キッチン整理、リビング掃除。門前の川掃除。手紙を一本書いたところで昼食。
午後、令和元年上半期の来状、定期刊行物(主に月刊誌)の整理と処分。リビング内がすっきりする。
NHK「いだてん」。「椿の湯」。
今宵は七夕である。
一昨日休暇村で詠んだ句は「七夕や水鏡の海父子島」だが「天の川水鏡の海父子島」の方が俳句的かもしれない。妻を喪い息子とともにそれぞれが妻、母を追憶するという切なさなのだが・・・
7月6日(土)
9時半、送迎車で壬生川駅、JRで西条駅下車、伊予史談会の柚山副会長ご夫妻に出会う。
西条は私にとってお気に入りの町である。今回は駅から「五輪塔」(徳常寺任瑞和尚遺跡)ー「モニュメント うちぬき水の和き水」―禎祥寺(天正の陣の林瑞和尚ゆかりの寺でフジの名所)―観音水(新町川水源・自噴)を経てバックする。
瀟洒な建物の「蔵はちかふえ」で「山菜おこしセット」&コーヒーで軽めのランチにする。
「水舞台」「ほたるの里」「大通寺」界隈を散策して、13時「西条登道」で伊予鉄バス乗車15時過ぎに帰宅する。
CATVの巡回サービスの女性にNHK通信教育チャネルを追加してもらう。
2日分のメール処理の追われる。「椿の湯」。
【→ファミリー】
「休暇村瀬戸内東予」で一泊して先程帰宅しました。「マイバースデイ」前祝いです。年数回母さんと一緒に「休暇村」を利用していましたから、どの休暇村を訪ねてもアットホームな雰囲気です。
昨日は夕方むしむしする中で1時間ほど山歩きをして、温泉で汗を流して、下着を洗濯して、バイキングです。久しぶりのビールの旨かったこと。いやはや。
米寿と八十歳の名古屋からの夫婦づれと親しくなりました。大手企業のOBらしく、登山が好きな上品な紳士でした。西条からケーブルで石鎚山7合目(成就社)までのコースを紹介し、西条駅までお送りしました。「お接待」なのか「お節介」なのか分かりませんが・・・・・随分喜んでくれました。(以下 略)
7月5日(金)
伊予鉄バス大街道13:31発新居浜行きで西条駅1510着。JR15:19発普通列車で壬生川駅15:32着(5分遅れ)、送迎車で16時に「休暇村瀬戸内東予」着。
日没まで時間があるので、二年ぶりに、休暇村の遊歩道を歩く。ここの遊歩道は山越えがあり結構大変である。
杖を頼り、山に登り下りして中腹の庭園から別の道を通って本館に戻る。
温泉で汗を流し、上下の下着を水洗いする。18時過ぎにレストランで瀬戸内の魚を中心にバイキングを楽しむ。最後は、アイスクリーム、フルーツ、コーヒーで仕上げる。
22時に2度目の入浴、ぐっすり熟睡する。
7月4日(木)
雨は峠を越したようだ。
昨日に引き続き「エデンシアター」で映画鑑賞。
「メリーポピンズ・リターンズ」(監督 ロブ。マーシャル 出演 エミリー・ブラント他 アメリカ映画 2018年 131分)。
「メリー・ポピンズ」を観たのは50年近く前かな。映画の世界にす~と入ることができた。131分というから2時間、ミュージカルの世界を楽しめた。
午後1時帰宅。
一遍会の太田美智子元理事、岩田監事と電話連絡と病気見舞い。江刺理事に懇親会出席者連絡。
一遍会講師の圓増治之氏から校正届き、再割付して『一遍会報』(第409号)最終版をメールする。
予約済みの「休暇村瀬戸内東予」は誕生日プレゼント付の由、折角だから晴天であってほしいものだ。
夜「プレバト」。
7月3日(水)
九州を中心に記録的大雨となり避難指示対象人員100万人とがいうが、実際に避難するとすると物理的に可能だろうか。
愛媛県も夜分になると、南予を中心に猛烈な雨となるらしい。
8時半、通常通り専用バスで帰宅。9時にJA担当者と定期預金事務処理。仕上がったワイシャツをクリーニング店で受け取り。セブンで「烏谷章陸軍中将」の資料を複写。
13時過ぎの伊予鉄バスで「エデン」に戻る。
14時「エデンシアター」で『日日是好日』(監督:大森立嗣 出演:黒木華 樹木希林 原田麻由
2018 100分)鑑賞。
第92回キネマ旬報ベスト・テン第9位、 日本映画ベスト・テン第7位、第42回日本アカデミー賞第8位、
優秀主演女優賞(黒木華)、優秀助演女優賞(樹木希林)受賞作品であり、樹木希林の最後の作品でもある。期待以上の感銘を受けた。
茶道、華道を老後の友とした母のことを思い出す。[日日是好日]と合わせて、「聴雨」「遠仁者疎道
(おにはそと ) 不苦者有智 (ふくはうち) 」(福は内)などの言葉を知る。
小暮照氏宛に「烏谷章陸軍中将資料」を送る。
7月2日(火)
JA道後の担当者来訪。定期預金満期手続きの依頼。JAは組合員・非組合員の区別を廃止して同一利率適用となったが、大口であり、従来通りの適用となる。郵便局で配当金受け取りほか。
子規さん7月俳句「」の鑑賞エッセイ執筆。HPに掲載する。暑さボケで下らぬ「子規もどき句」となる。
6月度日録をアップロードして、7月度分のHP更改は完了する。K・A氏と2ヶ月連絡が取れず。米寿翁だけに心配である。
ミニコミ紙の校正完了。一遍会6月度収支決算完了。これにて、令和元年前半の事務局業務は完了した。やれやれ。
【→俳友】
子規記念博物館(館長 竹田美喜氏)監修の子規さんの令和元年七月の句は「行けば熱し休めば涼し蝉の声
子規」です。
季語は「蝉」(夏)です。『子規全集』第一巻 俳句一「寒山落木」492頁(明治二十六年 夏)、第十三巻「小説紀行」中「はて知らずの記」572頁(明治二十六年)に掲載されています。
この句は「寒山落木」では抹消句、「はて知らずの記」では「行けばあつしやめれば涼し蝉の声」です。常識的に云うと、抹消句ではなく活字化(公表)された俳句を表示すべきです。
学生諸君が卒論を書く場合は決して「行けば熱し休めば涼し蝉の声」を使ってはダメです。老婆心ながら付言しておきます。
子規の「はて知らずの記」ですが、明治二六年七月一九日から八月二十日の間に、松尾芭蕉没後二〇〇年を祈念して芭蕉の『奥の細道』の跡をたどる旅を企画し、その旅行記を『はて知らずの記』としてまとめ、新聞「日本」に掲載しました。
この句から芭蕉の「閑さや岩にしみ入る蝉の声」の句が口に出て来ました。子規も「涼し蝉の声」と詠み、芭蕉の句から離れることはできなかったのでは・・・
八月五日、「広瀬川に沿うて遡り・・・・、野川橋を渡りてやうやうに山路深く入」ったあたりの句のようである。「川奇なり夕立雲の立ちめぐる」の句も残している。
「馬子より外は通はぬ田舎道に何憚るべきと独り裳を蹇げて歩めば蚋群ひ人を螫して血痕足を染めむ。
世の中よ裾かゝぐれば蚋のくふ
行けばあつしやめれば涼し蝉の声
馬子歌のはるかに涼し木下道
風涼し瀧のしぶきを吹き送る
上下の瀧の中道裾すゞし (以下 略)」
子規は旅行記を書く(描く)ことで、写生俳句の何たるかを感じ取ったに違いあるまい。
子規さんにあやかって一句
TV「ぽつんと一軒屋」を見て
「一軒屋下りは涼し蝉の声 子規もどき」 いやはや。
7月1日(月)
令和元年の後半がスタートする。曇天である。数日、雨天か曇天らしい。
月初の業務をすすめる。
1)道後公民館会場予約(一遍会9月例会)。
2)一遍会会員宛7月度例会案内メール。
3)『一遍会報』第411号校正依頼(圓増治之先生)。
4)「友隣サミット」メンバー宛メール。
5)「烏谷章中将」調査連絡。
6)子規さん7月度俳句「」鑑賞エッセイ執筆。 |