第百三十段 一遍会「掲示板」(平成二十四年如月二月)に日録を掲載せしこと。

2月29日(水)
明日訪問する時宗本山「藤沢山清浄光寺」と本山格の「当麻山無量光寺」について禰宜田修然師の名著『時宗の寺々』で予習する。
松山東高同窓会誌「明教」第42号入手。歴史特別寄稿者は下記6名だが白戸紋平(S16卒)大先輩は名古屋大学教授、宇都宮良治(S28卒)先輩は秋山兄弟記念館の事務局長である。
@「伯巌」遺芳  高市俊次(S42)
A松山中学校は偉人教師H.G.ホーキンスの描く松山と松山中学 三好恭治(S29)
B学園回顧 白戸紋平(S16)
C子規の旧居 和田克司(S31)
D秋山好古の真髄 宇都宮良治(S28)
Eバルチック艦隊と真之 徳永佳世(H14)
FNHKスペシャルドラマ「坂の上の雲」全13回あらすじ 編・和久
小学校同期会の富田もと子さんが出席申し出。もともとの発起人だが実姉の介護で世話人を辞退されていたが、これにて一件落着である。よかった。
三好晶子さんから「第1回伊予三好会」の企画書が届く。奥道後に集まり龍姫堂で「三好長門守」を祈念することになる。桜の植樹の提案もあるので奥道後の坪内専務と一回話し合ってみることにしたい。
【→晶子さん】
「伊予三好会」のチラシ(案)拝見しました。すばらしいチラシだと思います。とは云え、不特定多数への呼びかけですから人数の把握が難しいですね。結婚して苗字の変わっている人も多いと思いますので「旧姓OK」「三好氏にゆかりのある人」と拡大解釈していくことになりますね。
初回は核になる人が集まることを主眼に、気軽に「奥道後でお花見を」ということであれば、集まりやすいかもしれません。奥道後の花見エベント(弁当)とか「20名以上だと送迎バスあり」という販売促進活動をしています。桑原にお住まいの皆さんから何名ぐらいがお集まりになるかどうかが鍵でしょう。右記奥道後観光のHPをご覧ください。http://www.okudogo.co.jp/index.php
植樹(桜)はグッドアイデアですね。奥道後の再建問題の中ですから、再建が本決まりになって(遅くとも夏には新オーナーが決まる)からのほうが賢明でしょう。桜は奥道後自身が植樹していますから、交渉次第ですが、土地は別として苗木代は請求されるだろうと思います。坪内洋輔常務に老生がお話することはやぶさかではありません。
またプログラムですが、
@奥道後でのバイキング
A伊予三好さんの歴史についてのレクチャー
B伊予三好さんにまつわる史跡めぐり(奥道後散策)
A、Bを主眼に「参加無料」として、その後希望者が集まってのバイキングの方が現実的かもしれません。弁当持参の花見の方もいらっしゃるでしょうから・・・・・
2月28日(火)
終日、書斎での3月度の準備作業。
@一遍会3月例会、HP改訂作業
A3月旅行計画
  阿波:遠祖三好長慶の勝瑞城址ほか見学
  出雲:出雲大社ほか参拝
  東京:国会図書館(W.M.ヴォーリズ)新橋演舞場 「佐倉義民伝」(幸四郎・菊五郎・梅玉)ほか
明朝から終日関東、信越は積雪のため交通機関が乱れるとの予報。箱根宿泊は中止して新宿を拠点に動くことにした。
2月27日(月)
朝一番に日野歯科受診。昨年末からの虫歯の治療は終わる。「80歳40本」を達成するには年2回の「検歯」が必要か。
午後、例年のお楽しみであるジパング倶楽部主催の「松竹爆笑感謝祭」に参加(ひめぎんホール)。大阪通天閣地下劇場の芸人の「人を笑わす至芸」に感服する。ひさしぶりに大笑いする。
@司会・漫談 かみじょうたけし(ピン 芸人)
A漫談 ナオユキ(ピン 芸人。師匠は笑福亭鶴光)
B太神楽曲芸 豊莱屋板里(豊莱屋一門の若手のエース)
C漫才 暁照夫・光夫(2008年芸術祭大衆芸能部門大賞受賞)
D漫才 酒井くにお・とおる(2007年上方漫才大賞・大賞受賞)
E横山たかし・ひろし(1993年上方漫才大賞・金賞受賞。たかしは松前町出身 ひろしは今治市波方出身)
F爆笑音楽ショー 横山ホットブラザーズ(1996年芸術祭大衆芸能部門大賞受賞)
夕方の連絡で小学校同期会参加者がやっと四〇人台に乗った。世話人の一人として正直ほっとした次第である。何とか45名に達してほしいものだ。欠席連絡は60名である。
2月26日(日)
午後、冬季子規塾参加(子規博視聴覚室 14:00〜16:30)。講師は今村威氏(松山子規会常任理事)でテーマは「子規のふるさと」である。
「古事記」「伊予風土記」「万葉集」「源氏物語」「體源集」「一遍上人〜時衆(阿弥衆)」「大山祇神社法楽連歌」「栗田樗堂」「小林一茶」「子規と仲間、恩師」と古代から明治初期までの松山ゆかりの文化人のラインアップは見事である。
同氏とは最低月2回は交流しているので内容はすべて承知しているが、松山文学史を「通し」で聴くのははじめてである。内容は充実しており参加者は満足であったろう。
「莵玖波集」(最初の連歌撰集。20巻。二条良基が救済<きゅうせい>と共撰。1356年(延文1)成る。2000句余集)から「ほととぎす鳴かぬ初音ぞめづらしき  一遍」を紹介。「莵玖波集」の一遍の句は子規の「獺祭書屋俳話」(下巻)に出ているが、一遍の句かどうかは検証すべきと思う。
面会予定の竹田美喜子規博館長は「熱発」でお休み。子規会の井手会長以下の仲間と挨拶を交わす。幼馴染の柿原さんと館内の喫茶室でコーヒーブレイク。
「歴史読本」4月号で古事記特集を精読する。
【→東の窓】
「雪解けて雪踏の音の嬉しさよ   子規」の問題提起、難しいですなあ。考えているうちにキャンディーズの「春一番」のメロディーが浮かんできました。
雪が溶けて川になって 流れて行きます
つくしの子がはずかしげに 顔を出します
もうすぐ春ですね
そうなんです。「雪が解けて川になって」ではなく「雪が溶けて川になって」流れていくんです。雪の形がなくなって水になった状態なんですね。「雪溶けて雪踏の音の嬉しさよ   子規もどき」では、雪は水(または氷)になっていますから「雪を踏む音」は「ピッチピッチ」「ジャブジャブ」ではないでしょうか。「雪解けて」も道には雪が残っていて「雪踏の音」は、「ざくざく」から「ピチャピチャ」までではないでしょうか。子規さんは病床にあって「雪踏の音」を「嬉し」く感じたのでしょうか。 実作者のご見解を是非お聞きしたいものです。「雪解」「雪踏」の季語は「春」ですが、ここまで「季重ね」すれば、なにおか云わんやです。俳句を超えた俳句なんでしょうか。いやはや。
そこで「季重ね」の一句
「雪溶けて春の足音の嬉しさよ    子規もどき」
【→東の窓A】
「雪解けて 雪踏む音の 嬉しさよ  子規」は「雪解けて 雪踏の音の 嬉しさよ  子規」に訂正してコメントはしたのですが、「雪踏む音」と「雪踏の音」を同義解釈してしまいました。いやはや。雪踏(セッタ)は雪駄、「季語」などある筈はありません。大ポカです。大訂正します。
「雪踏」「雪隠」「雪客」「雪辱」「雪堤」「雪山(せつざん)」などなど雪と直接結びつかない言葉がたくさんあるんですなあ。
2月25日(土)
台湾周遊ツアー旅行記(A4版×10枚)を印刷する。要約を「掲示板」に掲載し、最新の台湾情報を提供したい。
午後、理化学研究所(計算科学研究機構)主催の「スーパーコンピューター『京』を知る集い」に出席する。(子規博ホール 14:00〜16:00)
@主催者挨拶 平尾公彦(理研・計算科学研究機構 機構長)
A世界最速スーパーコンピューター「京」 渡邉貞(理研 次世代スーパーコンピューター開発本部 プロジェクトリーダー)
B計算機で観る蛋白質の形と動き 杉田有治(理研 粒子系生物物理研究チーム チームリーダー)
C「京」が映し出す未来の気候 富田浩文(理研 複合系気候科学研究チーム チームリーダー)
知的エリートの一般向きの報告だが、半分も理解できなかった。結果(データ)の分析はスーパーだが、気象予測はモデルが合致しない限り正確に予知できないことだけは分かった。経済予測も景気予測も、同様に正確には予想できないし、人生も明日が分からないからこそ「安心」して生きていけるということか。
「歴史読本」4月号入手。特集は「古事記の見方・楽しみ方」である。雑学の幅が増えていくか。
【メモ】
@大数の名前
一 十 百 千 万 億 兆 京 垓 穰 溝 澗 正 載 極 恒河沙 阿僧祇 那由他 不可思議 無量大数(値としては、万までは10倍づつ、万以上恒河沙までは万進、恒河沙以上無量大数までは万万進となる。億は10の8乗、兆は10の12乗、京は10の16乗)
A劫
ヒンドゥー教では、1劫(カルパ) = 1000マハーユガ (mahayuga)、1マハーユガ = 4ユガ (yuga) = 神々の12000年(4つのユガは不等長で、1ユガ =神々の4800、3600、2400、1200年)、神々の1年 = 360太陽年とされている。つまり、1劫 = 43億2000万年である。
仏教では、『大智度論』に「1辺40里(現代中国の換算比で20km。)の岩を3年に1度(100年に1度という説もある)、天女が舞い降りて羽衣でなで、岩がすり切れてなくなってしまうまでの時間を指す」としている。
2月24日(金)
終日、台湾周遊ツアーの旅行記を取り纏める。台湾・故宮博物館については専門書もあり割愛した。詳しくはHPに掲載する台湾紀行をご覧いただきたい。印象度合いでは@九フンの「千と千尋の世界」A太魯閣峡谷B赤?楼の「国姓爺合戦の世界」Cは宝覚(禅)寺、文武廟、蓮池譚、忠烈祠が並ぶ。別格は故宮博物館としよう。韓国も近くの国だが、漢字と英文の解説を重ね合わせて読むと、大要は理解できるのでありがたかった。ハングル語は食わず嫌いである。
一遍会5月度例会講師の奈良芸術短大教授の前園実知雄氏からテーマ「チベットの歴史と仏教」が届く。現地をこれから旅行されるので、学者の目を通したチベット仏教の講話は期待したい。
【前園実知雄氏→】
 大変遅くなりました。5月12日のテーマは「チベットの歴史と仏教」にします。ヒマラヤ山脈の北側のヤルツアンポ川沿いに割拠する勢力を、7世紀になってソンツエンガンボ王が統一し、成立した吐蕃(チベット)王国の変遷と、13世紀にインドで滅んだ仏教をそのまま受け継ぎ、その後ダライ・ラマ制度を生み出した、チベット仏教について考える。明日25日から一週間あまり、中国の雲南からラオスを旅し、現代に生きる上座部仏教の姿を学んでこようと思っています。
2月23日(木)
2月18日から4泊5日で「台湾周遊」で日本での寒さを忘れました。週末までに旅のエッセイを執筆しますが、反日感情はまったくなく、日本の風景も残っておりシニアにとっては快適な旅でした。
朝10時半、「JALシティ松山」で小山国三氏と20年ぶりに再会する。カネボウ薬品を退任してから書道に勤しみ、その後東洋大学大学院文学研究科科目等履修生として「学び心」を持ち続けている。今回、同大学文学部教授吉田公平氏と『川田雄琴全集』を出版するに当たっての現地調査の由。早速、県図書館で川田雄琴資料に当たることとなった。県図書館関係者を紹介し、12時半頃分かれる。
川田雄琴は大洲加藤藩の儒者である。地元でも著名ではないらしいが、出版趣意書と解題に目を通して、「人間は本来完全なのだ」という人間学すなわち「心学」の論述らしい。
午後、旅行中の書簡、メールの整理や諸連絡(ミニコミ、竹田美喜・子規博館長)。小学校同期会出席34名、欠席53名で、40名の出席は確保できそうだ。子規会レジュメ「明治二十四年『松山中学校沿革調』を読む」(柚山俊夫氏)を読む。柚山氏の考証は的確で、じっくりと内容に精通していきたい。
【→横内氏】
『広辞苑』によると「売家と唐様で書く三代目」とは「初代が苦労して作った家屋敷も、3代目となると売りに出すことになる。商いをおろそかにし中国風の書体などを凝って習ったおろかさが「売家」のはり紙にあらわれていることを皮肉った句。」と解説しています。なお「唐様」とは、こらまた『広辞苑』によれば「中国風の書体。平安末期の宋風も鎌倉・室町時代の禅宗風もいずれも唐様であるが、普通には、江戸時代に流行した、明の文徴明風を主とした書風をいう。」と説明しています。
老生が講演の導入部で、天皇家(王家)や「遊行上人」の系譜は長いことを強調するためにこの言葉を引用しました。 産業界には大企業の3代目はほとんどいません。例として、「松下電器の松下家<幸之助→正治→正幸>」や今話題の「大王製紙の井川家<伊勢吉→高雄→意高>」、「ダイエーの中内家<功→潤>」を挙げました。トヨタ自動車の豊田家<佐吉→喜一郎→章一郎→章男>の輝ける系譜は稀有でしょうか。
2月22日(水)
早朝5時半にホテルを出発して台北国際空港に向かう。2,000台湾ドルを円に交換する。定刻8時35分発が濃霧のため約一時間遅れる。機内の映画が面白く、遅れを忘れて夢中になる。機内食ではワインを飲む。関西国際空港着が13時に着く。リムジンバスで神戸三宮に直行し、30分待って松山行き高速バス(15:14発)に乗り込む。往路と違い空席が目立つ。20時前に大街道に着く。
日中の移動であるし時差も一時間なので、疲れたという感じは薄い。荷物だけ片付けて就寝する。
2月21日(火)
朝食を済ませ8時20分にホテルを出発し、花蓮駅から瑞芳駅に向かう。乗車時間は2時間である。瑞芳は田舎の駅であるが、観光地九フン(フンは人偏に合)の窓口となる駅である。陳さんの話では、九フンは「何もない町」であるが、かつて金鉱がありゴールドラッシュの時期に町が形成されたという。
レトロな町であるが、近年は日本のアニメの傑作である「千と千尋の物語」の映像の原点になった場所であり、金貨を吐き出した湯婆婆が登場した建物のモデルもある。道後温泉本館がモデルと信じてきたが、なるほど雰囲気的には九フンの町が良く似合っている。宮崎駿監督も九フンにきたことがあるという。赤銅色の瓦、昔々の市場、展望台からの海と山との眺望、テレサ・テンの墓地も眼下にある。 確かに九ふんは「何もない町」であるが、「何かある町」でもある。虚子の句にあやかって「今日よりは九分の行灯懐かしく  虚子もどき」である。昼食は飲食街に在る食堂で田舎料理を食べる。昼食後、坂道を下って大通りに出て待機していた専用バスで台北に向かう。
台北では、忠烈祠に詣でるというより、2時からの衛兵の交代式を見物すべく入場する。九段の靖国神社に相応する祠であり、境内は広く静寂である。
清朝を倒した辛亥革命から今日までの約33万人の英霊が祭られている。特に興味もなかったので回廊を歩いていないが、位牌や遺品、著名な革命家の胸像が飾ってあるとのことである。
台湾最後の観光は故宮博物館である。陳さんの名講義をイヤホンで聴きながら国宝級の展示品を見て廻る。観光ガイドと同じく説明では分かったように思うが、右から左に抜けてあまり印象に残らない。もし個人的に再度来館することができたら予習してからにしたい。1時間半の見学を終えて、石鍋料理でツアーの最後の晩餐を締めくくる。TAIPEI101展望台見学等のオプショナルツアーには参加せずホテルに戻り、近くのスーパーで買い物し夜店を見て歩く。
2月20日(月)
ホテルで朝食をとり、高雄発8:45発の特急列車で花蓮に向かう。
台北が北九州・博多、台中は熊本で台南・高雄は鹿児島である。東に回り太平洋岸を北上するのだが、台東が宮崎で、花蓮は大分・別府といったところであろう。中央部に北から南にかけて富士山よりの高い3000メーター級の山脈が走り、その東側に海岸沿いにはやや低い山脈は走っている。新高山と習った台湾最高の山は玉山と呼ばれている。
高雄から出発した鉄道は、やがて海岸から二つの山脈に囲まれた谷筋を北上していく。花蓮に到着後宝石店に立ち寄り、郷土料理の昼食をとって、バスで台湾を代表する景勝地 太魯閣峡谷に向かう。太魯閣峡谷の山も谷も川床も一口で云うと大理石でできているらしい。太古、海底から隆起してこの峡谷はできた。ガイド役のアミ族の女性と記念写真を撮って長春祠を眺めていから、手掘りで開拓した洞窟や山道をバスがひた走る。軍隊や原住民のほか囚人を多数使役したとのこと・・・北海道の原野に道路を造り鉄道を敷設するのに網走刑務所に凶悪犯を使役したのと同じである。
中国本土から来た学童たちと狭い山道を登りながら、峡谷を眺める。「燕子口」という観光スポットは、岩壁に岩穴がありツバメの巣になっているらしい。佐々木小次郎の燕返しの秘剣を見たいものである。もっとも最近はツバメも来なくなったという。バスの帰途、アミ族のガイドの歌を聞き、アミ族の民芸品が販売される。台湾の原住民は14あるらしく、多くは首狩りの伝統文化を持っていた、部族間の抗争で首狩りすることにより男は部族から認知を受けてきたらしい。
子供の頃の記憶だが、高砂族の集落の駐在巡査が転勤で山を下ることになった。信望厚いこの巡査をいつまでのこの部落に居てほしいので、衆議一決して巡査の首を狩り神として祭ろうとした。大事件となり、軍隊や警察の手でこの部族を一掃したという。オプショナルツアーのアミ族民族舞踊鑑賞には過半が参加したが、ホテルに戻り体調を整える。
2月19日(日)
ホテルの朝食バイキングで腹ごしらえをして08:30分にホテルを出発する。台湾はなんとなく九州に似ているので、台北を北九州・博多、台中を熊本、台南を鹿児島、台東を宮崎に当てはめて観光視覚にした。さて台中は台湾中部の中心都市であり、18世紀初めに大量の漢民族が移住し都市を形成した由。1884年には台湾省府が台中に置かれたが、間もなく台北に移された経緯がある。
台中での最初の観光地は「宝聰(禅)寺(ほうがくじ)」である。建立は大正3年(1928)年で、日本の植民地になってからである。陳さんの説明では、住職は日本で修行しており、戦前、台湾中部で亡くなった一万四千人の日本人移民の遺骨が奉納されており、境内には日本人遺骨安置所がある。一方「霊安故郷」碑は李登輝大統領の揮毫というから台湾人の霊を祭っているのだろうか。
南国の明るい境内に入るとインド象が出迎えてくれる。本堂には落ち着いた雰囲気で釈迦三尊が安置されており、日本の禅寺の静かな空間が広がっている。この寺の目玉は弥勒大菩薩である。弥勒仏というより日本では布袋さんである。柔和な、太っ腹の布袋像を眺めていると、現実の苦労は忘れてしまいそうである。背丈が約30メートルあり台湾では2番目の大きさという。
お愛嬌は、30メートルの布袋像は大きすぎるので入り口にミニチュア像があり、この仏像の頭を撫でて頭がよくなり、腹を撫でてお金持ちになるとの添乗員の陳さんは云う。お賽銭まで供えられている。この像の傍らに句碑が建てられている。 『菩提樹の花に微笑む弥勒像   岳水』で、なかなか良い句と思う。「燕巣」主宰の羽田岳水氏の句であろうか。
20分ほど観光して、バスは南南東に直走り、彰化市、南投市を経て中部山岳地帯の日月譚湖畔に向かう。湖の形から北側の湖は太陽に、南西の湖は月に似ていることから日譚、月譚と呼ぶとガイド書には書かれているのだが、まずは太陽と月の形を連想することは難しい。今回のツアーの見学場所は『文武廟』である。文武廟は1938年に建立され、1975年に再建された中国宮殿式の廟宇で、廟としては台湾で最大級のものといわれている。廟は前殿、中殿、後殿の三殿様式になっており、前殿は文廟で文の神である孔子が、中殿は武廟で武の神である岳飛や関羽が祀られている。
日月譚湖畔から下ったところに在る家具店で見て2階の食堂で「中部田舎料理」を食べる。魚や肉料理ではなく野菜が主体なので食べやすい。台湾ビールは青島ビール同様に軽くて飲みやすい。嘉義市を経て台南市に向かう。嘉義という地名を聞くと戦前に甲子園で準優勝した「嘉義農林」を思い出す。野球部の監督が、松山商業出身の近藤兵太郎氏である。80年以上経過しても、嘉義と松山は野球で結ばれている。
台南市での観光は赤?楼(せきかんろう)である。別名を紅毛楼 と云い、オランダ人によって築城された旧跡で、オランダ語では「プロヴィンティア」(Provintia、普羅民遮城)である。1653年にオランダ人と漢人の衝突事件である「郭懐一事件」(1652年)の後に築城された。母親が日本人である鄭成功が台湾を占拠すると、プロヴィンティアは東都承天府と改められ、台湾全島の最高行政機関となった。現在は中華民国内政部により国家一級古蹟に指定されている。鄭成功は、日本では『国性爺合戦』(こくせんやかっせん)が名高く、近松門左衛門作の人形浄瑠璃のちには歌舞伎(全五段)化された。
約20分ほど見学して高雄市の蓮池譚に立ち寄り、龍門から入り虎門から出る回廊式の観光施設で2塔とも登ることができる。池畔に在る寺院は、キンキラキンの装飾である。夕食(海鮮料理)後、寿山公園からの夜景を見物する。
宿泊は高雄の麗景大酒店である。設備もよく、水まわりも水準である。ベッドで寛ぐ時にNHKの国際放送が聴けるのはリフレッシュのなにものにも代えがたい特効薬である。陳さんの説明では、高雄は「敲(叩)狗」である。オランダ人が虎を持ち込んだが原住民は「人食い狗」と恐れた。「人食い狗」を敲くということで「タカウ」「タカウ」と呼んだらしい。
2月18日(土)
阪急交通社トラピック企画「GO!GO!台湾一周5日間」に夫婦で参加する。伊予鉄道後温泉駅を始発で大街道に出て、JR高速バスで神戸三宮に向かう。定刻(11:00)に神戸三宮に到着する。タクシーでホテルオークラに向かい、和食堂「山里」でJCB招待の豪華な割烹料理を口にする。刺身に塩を振って食べる作法に驚いた。ホテル送迎バスで三宮に出て、空港リムジンバスで関西空港に予定より早く到着する。手続きを済ませ、空港内の専用休憩室でコーヒーを飲み新聞に目を通す。
中華航空(C10159)17時20分発で離陸し3時間の空の旅だが、時差が1時間あるので20時30分に台北に着く。空港からさらに専用バスで165キロ、約3時間の強行軍で22時30分頃台中の「兆品酒店(旧中信大飯店)」に着く。添乗員兼ガイド役の陳さんは日本で6歳まで過ごした台湾人で20代後半の独身青年である。滅法日本語が上手く洒落もなかなか堂に入っている。1万円分を台湾ドルに換える。
2月17日(金)
ギブアップしていた平成23年度確定申告の印刷は、ともあれ執念でパソコンのチェックを実施、午後完了する。提出は3月に入ってからだが、納付額がアップしたのは喜ぶべきか否か。
原武哲氏(福岡女学院名誉教授)に返信を送る。久保より江(久保猪之吉夫人、愚陀仏庵の上野家の孫娘)の資料については後日報告の予定。
【→原武氏】
ご書状ならびに新聞コピーを拝見しました。有難うございました。拙稿に対してのご高評をいただきありがとうございました。ご指摘の通り「カメロンジョンソン150円〜120円」のあいまいな表現については依然未解決です。4月松山子規会で講演します「漱石の俸給八拾円の『真実』」で、私なりの「仮説」を提示します。どのように評価されることになるかはわかりませんが・・・
ご存知のように、中学校外国人教師の給与は、時系列的に(モデル論としては)100円→120円→150円→200円→300円と明治後半に向かって増額しております。一方、円・ドル為替相場は、1ドル=1円からスタートし、日清戦争後は1ドル=2円さらに2円プラスα円となっており、円安基調が続いています。調査では給与300円の例もあります(県知事と同格)。日銀統計があります。
米国YMCA派遣者については月100ドルで契約(ホーキンスの場合)していますので、日本側が支給する給与は為替変動と連動したのではないかという「仮説」を立てました。そうすると、100円(1ドル=1円)→120円(1ドル=1.2円)→150円→(1ドル=1.5円)→200円(1ドル=2円)→300円(1ドル=2円+α)も説明がつきます。ただし、残念ながら日本YMCA本部には契約書が残っていません。(調査済み)
「久保より江」についての文献調査は、少々時間をください。明日から3月5日まで海外を含めて旅行の予定です。伊予史談会、松山子規会のメンバーにも直接面談して情報を得たいと考えています。まずは御礼と近況報告まで。
2月16日(木)
平成23年度確定申告作業。半日の作業予定であったが、申告用紙印刷と印刷機が連動せずギブアップ。宝厳寺・長岡隆祥師、愛媛新聞社、松山子規会宇和宣常任理事、ミニコミ各社に、一遍会3月例会&一遍生誕会の案内状を発送する。
2月15日(水)
終日雨。実務処理が中心となる。
1)一遍会
@大本敬久氏に「一遍会報」原稿の督促依頼
A前園実知雄氏に5月度例会講演テーマと「講師からのひとこと」原稿の依頼
B蜂須賀理事に3月例会(一遍生誕会)に温泉運搬依頼
2)小学校同期会出欠者名簿整理
3)台湾旅行諸準備(ガイド、出入国カードはか)
4)藤田達生著『秀吉と海賊大名 海から見た戦国終焉』通読
日中、高島屋で遠近両用メガネレンズを新調し、「ジュンク堂」で例の立ち読み。伊予史談会で松友武昭氏が話した牛頭(ゴズ)天王のテーマに目を通す。
@川村湊『補陀落』(作品社)
A川村湊『牛頭天王と蘇民将来伝説』(作品社)
B幡鎌一弘『近世民衆宗教と旅』(法藏館)
牛頭天王・祇園社・朝鮮説話・蘇民将来・スサノウ・出雲神・陰陽道・茅越し・・・・どろどろした神仏説話のミックスである。興味はあるが研究圏外である。
2月14日(火)
伊予史談会2月度例会講話の復習。午後、友隣サミット。神尾修氏が特別参加して小学校同期会の打ち合わせ。3月7日(水)メルパルクで世話人会開催を内定する。
漱石研究の第一人者 原武哲氏から贈呈した『伊予史談』(364号)の礼状が届く。
【原武哲氏→】
(略)
早速、玉稿「漱石に先行する松山中学校外国人教師の来歴」を拝読し、綿密な調査に基づく客観的な御見解、たいへん有益な御研究と感服いたしました。才神時雄の事実誤認、カメロンジョンソン以後愛媛県尋常中学校には外人教師を雇っていないという荒正人の間違い、江藤淳のジョンソンの給与をそのままひきついだという説と川島幸希の記述の食い違いのご指摘は納得いたしました。結局、カメロン ジョンソンの給与はいくらが正しいのでしょうか。川島氏の「一五〇円、あるいは一二〇円」というあいまいな表現の根拠は何でしょう。(略)
【→東の窓】
 昨年のこと、故 千賀英誉さんの四十九日の法要が松山で執り行われた時には、大川会長以下多くの仲間が参列されました。当日、たまたま老生は、愛媛県生涯学習センターで講演が予定されており、やむなく参列できませんでした。その節の講演テーマである「漱石に先行する松山中学校外国人教師の来歴 ―ノイス・ターナー・ホーキンス・ジョンソン―」の論文が『伊予史談』第364号に掲載され1月末に発売されました。書店でも750円で同誌は売っていますが、県・市の中央図書館で閲覧できますのでご興味のある方はパラパラと目を通していただけませんか。ご所見をいただければ幸甚です。
続編は「漱石の月俸八拾円の『真実』」のテーマで子規記念博物館で4月に講演の予定です。という次第で、子規・漱石の世界をさまよっています。拙論のご紹介をかねて、近況をご報告させていただきました。
2月13日(月)
終日雨。寒し。朝9時半から日野歯科受診。残り一回で終了の見通しである。一遍会インターネット会員に「2月度定期便」を送る。準備作業で日中は大忙しである。
小学校同期会出席者が、13日現在でやっと23名である。40名以上の参加が難しいかなと危惧している。井上誠一夫人から誠一君が軽い脳梗塞で入院した旨連絡あり。明日、梅木賢正君と今後の対応を相談したい。
藤田達生著『秀吉と海賊大名 海から見た戦国終焉』の「プロローグ(海賊史研究の新視点)」と第一章 「瀬戸内海族世界」を読む。従来の視点と違っており大変興味深い。展開が楽しみである。阿波三好一族との関連もあり、三好晶子さんに同書を推薦した。
メモ】・・・だれの言葉かわからないが、スピーチにあっての金言である。
難しいことはわかりやすく
わかりやすいことは面白く
面白いことは深く
2月12日(日)
伊予史談会2月例会出席。
@今村賢司氏(県歴史博物館)「企画展紹介 四国へんろの旅―絵図・案内記と道標―」
1)愛媛の遍路道標(標石)
2)四国遍路の案内記・絵図
3月に現地で企画展を見るが予習としては役立った。
A松友武昭氏「明治が滅した地域の神さま」
同氏のインターネットをフルに活用した資料収集と現地調査の行動力に驚く。素鵞神社から疑問がスタートして出雲国杵築大社(出雲大社)内の素鵞社に視野が広がり、牛頭(ゴズ)天王、祇園社へと・・・・疑問が広がっていく。大変に興味深い事実を提示されたが、柳田民俗学、南方熊楠などの著作の援用があれば説得力が増すのだが・・・道後の出雲崗の指摘もあった。出雲大社は明治の改名であるから稲田姫を祭る湯神社を出雲崗と呼ぶのはおかしいともとれる発言はいかがか。「出雲風土記」は古代の記録であり、スナノウや稲田姫→出雲で問題はない。
素朴な疑問だが、遠祖が支配した湯山の地には牛王神社が多い。牛・馬を農耕に多用した山村にあって、牛王神社・馬頭観音は農民にとって牛馬そのものにむすびついたことはなかったか。
藤田達生著『秀吉と海賊大名 海から見た戦国終焉』を会場で購入する。
午後、三好晶子さんと子規博喫茶室で3時間近く「伊予三好会」の運営方針について語る。三好長慶ら阿波三好氏と伊予・三好氏との関連について同時代史資料が発掘できれば取り組みが違ってくることを指摘する。松山近郊の三好氏の顔合わせを奥道後の竜姫殿で開催してはと提案する。
夜、一遍会の「遊行上人の伊予回国」を含めて8本の講演会録音を外付けハードディスクに取り込む。
2月11日(土)
一遍会2月度例会。出席は24名。
講演テーマは「遊行上人の伊予回国〜聖と俗の狭間で〜」(三好恭治)と卓話「『一遍聖絵』絵解き  桂川と桂の道場の場」である。約90分、遊行上人の「聖なるもの」と「俗なるもの」を語ったが、会員には大変興味深く聞き入ってもらった。特に江戸時代の徳川幕府に密着した遊行上人の回国の現在救済ははじめて聞く話しも多かったのでストレートの反応があった。
理事会では3月例会の一遍生誕会の計画と業務分担。今回から和歌の披講を加えることにした。俳句と併せて歌も充実させていきたい。杉野理事とコーヒーを飲みながら今後の対応を協議する。
夜、三好彰氏(日本英学史学会)の情報提供で漱石らの中学校教師の月俸につき明治30年当時の「職員録」からデーターを集める。
2月10日(金)
やや温暖な一日。午前中は書斎の片付け。片付けることで情報が整理される。書肆で本棚を眺めながら5階から1階まで一時間ぐらいかけて回ると数冊の基本図書が頭にインプットされるのと似ている。
午後、JR高速バスセンターで神戸往復切符(10,400円)購入。県図書館で、明治初年に発刊された『英吉利文範』をデジカメに納める。日本英学史学会の三好彰さんの依頼である。伊予尋常中学校が購入している。【松山文庫】の印もある。県美術館で「〜日中国交正常化40周年記念〜地上の天宮 北京・故宮博物院展」を鑑賞する。明・清朝の絵画・工芸・服飾・宝飾ら2000点を展示。目玉の「女孝経図」だが、正直日本の鎌倉時代の絵巻物の足元にも及ばない。中国第一級品(国宝クラス)とのことだが如何なものか。
【→三好彰氏】
興味があり、早速県図書館に出掛けました。デジカメはいまひとつですが添付しました。ご覧ください。

1、所蔵印は「伊予尋常中学校」で別に「松山文庫」の朱印がある。
2、調査は明治20年で、保存期間は明示23年8月〜明治28年7月である。
3、分類は「英文法1部、民有第1号、第2号」である。
4、書き込みはなし。

(私立)伊予尋常中学校の設立は明治21年であり、同書の購入は北予変則中学(明治9年〜)、英学所(明治8年〜)、或いは洋学所(明治1年〜)に遡りましょう。
洋学所であれば小林小太郎、英学所・変則中学であれば草間時福が所長ですから、ともに慶応義塾の若き英才たちということになります。丹念にチェックしましたが、残念ながら書き込みはありませんでした。「英文で書かれた上級者向けの英文法書を読みこなせる人が幕末の松山に居たのだと思っております。」とすれば、幕末に松山に居た英学者は「小林小太郎」しかいません。
報告しておきます。
4月に松山子規会で「漱石の月俸八〇円の『真実』」を報告する予定です。ボストンを中心にした米国YMCAから派遣された青年教師の月俸(100〜300円)と東京大学英文科卒業生の給与(80円以下)の比較が中心テーマです。個人的にはユニークな切り口と思っています。関連する論文などご存知であればご教示ください。喜寿になりましたが、楽しく過ごしています。 
2月9日(木)
三菱UFJ証券の馬場君が転勤挨拶に来る。フレッシュマンで 道後関所番の担当になってから丸3年になる。不思議に波長が合って一人前の証券マンに育つように励ましてきた。大成を祈りたい。午後、重松理容店で散髪後、友輪荘でコーヒーブレイク。「一遍会2月例会ニュース」と「一遍生誕会」の原稿を取り纏め印刷。
堺市の「ちくちく会」が発起人で「南宗寺に三好長慶像建立する」趣意書が届く。募金目標額は700万円。三好姓につながる縁で協力、支援していきたい。
2月8日(水)
本年度の講演予定の「遊行上人の伊予回国」「漱石に先行した外国人教師の来歴」「歌人としての一遍上人」3本の資料を新たにセットする。「伊予史談」364号を日本英学史会の三好彰氏はじめアドバイスを戴いた学者、図書館関係者に送付する。岩波書店にも送り漱石関係資料の訂正を要望したい。
「文芸春秋」3月号入手。
@芥川賞受賞作二作 田中慎弥「共食い」 円城塔「道化師の蝶」 うーん、難解な文学である。「道化師の蝶」はまさに空の世界である。
A予言の書「日本の自殺」再考 30年前の同名論文の再録である。改めて襟を正して熟読せざるを得まい。
 鎌倉(井上将志様)から「一遍の母親とは何者か」なる長文の問い合わせあり。真面目な内容であり、HP「一遍会」掲載の内容を返信する。
メモ】
「伊予史談」誌送付先
@ 日本英学史学会 中国・四国支部 事務局 県立広島大学 馬本勉氏
A同志社大学図書館情報サービス課レファレンス担当  西浦ミナ子氏
B日本YMCA同盟史料室 田中義宣氏
C英学史学会&日本ボストン会 三好彰氏
D漱石研究者 原武 哲氏
2月7日(火)
県図書館に出掛ける。高島屋で眼鏡のレンズを新調する。乱視が入っており視力も漸次低下するので準最高級のHOYAレンズに取替え。高級カメラ並みの価格に驚く。
一遍会例会資料の印刷とファイリング。京都からひさびさに三好晶子さんが参加の由。晶子さんの情報では、堺市の「ちくちく会」が「三好長慶像」を南宗寺に建てる計画が持ちあがっているとのこと。一遍会田中理事から松山の臨済宗大寺である天徳寺文書に藤沢上人の道後来訪の文書を送ってもらう。「遊行日監」との対照が可能になった。
【⇒田中弘道氏】
貴重な「天徳寺文書」のご紹介ありがとうございました。一読しました。「藤沢上人」が道後・宝厳寺に回国したのは、文中にあります「延享丁卯年」ですので「延享四年」(1743)に当たります。 藤沢・遊行寺が所有する「遊行日鑑」では「遊行五十一代・藤沢二十八世 賦存」が対応します。今回の講話では細部を触れるだけの時間がなさそうですが、「一遍会報」での報告では是非紹介させていただきたいと思います。時間を戴いて、時宗サイドから、この記述を検討したいと思います。
2月6日(月)
天気予報は当たらず雨となる。日野歯科の奥歯治療も最終段階となり「継ぎ歯」を填め込む。違和感もない。
午後、書斎での作業。
@「遊行上人の伊予回国〜聖と俗の狭間に〜」のレジュメ
A小学校同期会出欠チェック(出席11名、欠席19名、住所不明18名)。出席者目標50人は多難である。なんとか40名は確保したいものだ。
B3月初旬の上京日程が決定しフジトラベル決済する。宿泊は「リゾートトラスト」の優待もあり東京・熱海・箱根を予定している。
D2月の台湾観光にドッキングして神戸のホテルオークラ内「山里」でJCBの招待を受けることにした。
E春の桜見物は韓国の旧新羅ゾーンを回ることでガイドブックを調査中。
「倶楽部Q」47号が届く。子規会4月例会の講演が終われば暇になるので「休暇村めぐり」を予定するか。一遍会今村威理事から「一遍会報」第347号編集のお礼の電話を頂く。松栄印刷所から依頼中の「一遍会報」のPDFが届く。第329号から第347号までの18号分が揃った。
【→三浦咲子さん】
冠省  ご書状受け取りました。ご欠席の由、残念ですがいたし方ありません。ご消息は、昔は正子さんからよく伺っておりました。史子さんからの今年の賀状では「咲子さんとは時々お会いして楽しんでおります」と書かれてあり、ご清祥にてお過ごしのこととお慶び申し上げます。神尾修君から依頼されて、古茂田、山本、今井、青野さんらと世話人を引き受けました。大勢の方が出席していただければと願っています
松山も「坂の上の雲」ブームが終わって少しは静かになりそうですが、道後温泉本館の本格的な改造・改築にいよいよとりかかることになります。まずは御礼と近況ご報告まで。 草々
2月5日(日)
義母本多多恵女の27回忌法要が卯之町本多家で執り行われる。息子娘たち夫婦と孫たち夫婦と曾孫2人&義理の叔母で16人である。戦前・戦後の大家族過ぎの名残りあり。併せて墓参りも済ます。義兄の本多正史は同年齢だが、伊予木材鰍フ監査役で月1日程度出社している由。年相応の健康を保ってはいるが・・・
往復4時間のバスの車内で「遊行上人の伊予回国〜聖と俗の狭間に〜」のレジュメの校正を済ます。
2月4日(土)
3月上旬上京の予定であり、なか一日とって、時宗本山藤沢山「清浄光寺」とあわせて相模当麻寺「無量光寺」を訪ねることにした。早速ANAを予約する。午後、宇都宮弘之氏から案内のあった「IAEKIアートクラブ松山作品展」(子規博)を鑑賞する。井関農機OBの作品展であるが、かつての大企業でもあり質的にも高い。館内の喫茶店で「「遊行上人の伊予回国〜聖と俗の狭間に〜」のレジュメの修正作業。場所が変わると能率が上がるのかほぼパーフェクトに仕上がった。
【→東の窓】
英語ハイクに興味をもたれた皆さん今日、Ruth Verginさん監修の「2月の子規の句」の英訳【This month' haiku] が公表されました。下記します。
「北風に鍋焼饂飩呼びかけたり    子規」
the north wind
calling for
pot-boiled noodles
「 Dogo sekishoban haiku」をご笑覧ください。
 the cold north wind blows
  I address the master of the stall(=yatai)
as "pot-boiled noodles
傑作をお待ちしています。一句いかがでしょうか。
2月3日(金)
夜分にも雪が降ったらしく、5センチほど積もっている。午前中にほとんど溶けてしまったが、坪庭の棕櫚竹には雪が残ったまま夜を迎えた。書斎のコタツでだらだらと一日を過ごす。
一遍会2月度講話「遊行上人の伊予回国〜聖と俗の狭間に〜」のレジュメの作成と精査をすすめる。
【→神戸】
 いろいろの資料受け取りました。有難う。パナソニック関係はじっくり読ませてもらいます。職名でなく職位(資格)名の表示は「世界企業」として必要なことでしょう。 とは云え、組織(グループ)運営にはリーダーが不可欠ですから別の呼称があるのだろうと思います。今後のパナソニックの組織運営に興味があります。官庁や軍隊では「先任」と呼んでました。たとえば、秋山参謀は「先任参謀」で参謀のなかではトップでした。史晃のリポート、なかなかよく纏まっていますね。感心しました。史晃には、のちほど手紙を書きます。よろしく言っておいてください。
「清盛と神戸」は新たな知見もありました。神戸に途中下車して観光してみましょう。とうとう雪が降りました。奥道後の露天風呂から雪景色を眺めてみたいのですが、母さんが「うん」と言ってくれないのであきらめました。
【→孫】
 今日は立春・・・旧暦のお正月です。変わりないですか。寒さに負けずに、勉強に、卓球にがんばっていますか。首を長くして待っていた史晃の冬休みの宿題(リポート)を受け取りました。ありがとう。「あるおぼうさんのお仕事〜一遍上人について(一遍会に聞く)〜」は、非常によくまとまった作品ですね。感心しました。字もきれいだし、「宝厳寺」とか「南無阿弥陀仏」とか、まだ学習していない字も正確に書いており、「史晃はなかなかやるわい。」と思いました。おじいちゃんは、正月の日記にこんな文章を書きました。
 お神酒を頂いて寛でいたら、史晃が「おじいちゃん、一遍さんについて教えてください」と畏まってお願いされたので驚きました。史晃の依頼の趣旨が分からなかったので、まず自分で勉強しなさいといってマンガ本といっても大人が読むマンガ本「一遍上人」を手渡したね。3時間くらいかかって読み通したので、真剣だなととわかりました。
おじいちゃんは、一遍について講演していますが、子供にお話するのは初めてでした。「時宗・時衆」は難しすぎるし、「乞食」「遊女」は差別用語だし、ことばを選ぶのに苦労しました。
@一遍の誕生年・誕生地、死亡年、死亡地、没年、活躍した時代をまず頭に入れること。
A定住しないで東北から九州・四国を「遊行」して歩いたこと。遊行では、「南無阿弥陀仏」のお札を配ったこと、「踊念仏」をして多くの人を集めたことを次に頭に入れること。
B当時の日本人のうち、貴族や武士だけでなく、貧しい人や病気の人も差別せずに布教したので、やがて一遍の教えは日本中に広まった。室町時代から江戸時代の一時期は、日本で最大の宗教団体であったこともありました。
Cこれは難しいことですが「一大事とは今日只今のこと」で、一大事とは生死にかかわることです。一遍さんは、日々、一刻一刻、一瞬一瞬を「臨終」と捉えて真剣に生きていきました。
だから、人々は、一遍の教えを時宗(時衆)と呼びました。こんなお話をしましたね。
 おじいちゃんは、史晃の質問がうれしかった。おじいちゃんの老後の生き方を君は眺めていて、おじいちゃんが真剣に取り組んでいる一遍さんに「共感」してくれたことが本当にうれしかった。君もこれから多くのことを学んで行くことになるが、自分の頭で考えて、自分の言葉でまとめて、自分なりに行動していってほしい。
 おじいちゃんの好きな言葉を史晃に送ろう。
「信じなければ確かめることの出来ない存在がある。」たとえば「勇気」だとか「人類愛」だとか「正義」「平和」だとか。史晃にも信じて欲しいなあと願っています。おじいちゃんは手ごわいですよ。負けないでついてきて、やがて追い越していってください。
 「本山小学校四年三組 三好史晃」君には、少し難しい文章ですが、中学生になって読み返してくれたらもっとよくわかるだろうと思います。よく学び、よく遊び、健康に気をつけてください。おじいちゃんは心から史晃の成長を期待していますよ。 平成二四年二月四日 立春の日に
2月2日(木)
昨日より室温が下がっている。日中でも5〜6度である。HP一遍会の一月度更改分を一斉に掲載する。
1)月例会のお知らせ 
2)一遍会公式ページ
3)一遍徒然草紙 128段、129段
4)熟田津今昔 
@第二十七章 子規記念博物館『今月の俳句』(懸垂幕)
A第二十二章 一遍会講演記録 例会35年の歩み(資料集)
B第四十五章 漱石に先行する松山中学校外国人教師の来歴  
5)阪神大震災私記
神戸の孫から冬休みの宿題「あるおぼうさんのお仕事〜一遍上人について(一遍会に聞く)〜」が届く。小学校4年生としては、まずまずの出来か、ナ。夜、雪が降り出す。傘をさして椿湯温泉に出かける。突っ掛け草履の底に雪がひっついて丸くなって転びそうである。子供の頃の記憶がよみがえる。
【孫→】
「あるおぼうさんのお仕事〜一遍上人について(一遍会に聞く)〜」
僕の田舎の愛媛県松山市で生まれ、神戸で亡くなった一遍上人について、松山市で一遍会の会長をしている祖父に、たづねました。
 一遍上人は1239年に松山市の宝厳寺で生まれました。10歳でお坊さんになりましたが、豪族だった父がなくなって、25歳の時に家をつぎました。再びおぼうさんになって、35歳の時に家を出ました。
 一遍上人は、「南無阿弥陀仏」と念仏を唱えることをすすめて、念仏札を配りながら全国を回りました。16年間で東北(岩手県)から九州(鹿児島県)まで25万人に札をわたし、念仏おどりにより、貴族など一部のひとが信じていた仏教を一ぱんの人にまで広めました。1289年に一遍上人は、神戸の真光寺で51歳で亡くなりました。
2月1日(水)
今年に入って最低の気温か。月初のワークに注力する。
@一遍会4月度例会会場予約(道後公民館)。
A子規博懸垂幕子規2月度俳句確認。鑑賞エッセイ執筆。
B「一遍会2月度例会案内」メール連絡。
C「東の窓」ほかに2月度子規俳句「北風に鍋焼饂飩呼びかけたり  子規」メール連絡。
圭室文雄(たまむろふみお)著『江戸時代の遊行聖』(吉川構文館)通読。初見の歴史的な事実、資料多し。2月度講演「遊行上人の伊予回国」を再度検証したい。
【→東の窓】
子規記念博物館(名誉館長 天野祐吉氏)選句の平成24年2月の子規さんの句は「北風に鍋焼饂飩呼びかけたり    子規」です。明治30年(1897)の作品で、季語は「北風、鍋焼饂飩」(冬)です。『子規全集』第十六巻 俳句選集「新俳句 冬の部」(381頁)に掲載されています。『新俳句』は明治31年3月14日付で民友社から出版されており、正岡子規が校閲し、上原三川と直野碧玲瑠の共編です。獺祭書屋主人こと正岡子規が「『新俳句』のはじめに題す」を寄せています、
「俳句は元禄に始まる。元禄以前に俳句あるも取らざるなり。俳句の選集亦元禄に始まる。」として、元禄の俳人松尾芭蕉から俳句が始まったことを明言する。
さらに、「明治の俳句をいふ。しかも明治の新俳句が世に出でたるは明治二十五年以後の事とす。」と規定し、子規によって新俳句が誕生したことを自らが高らかに宣言している。
さてその「新俳句」に選句された「北風に鍋焼饂飩呼びかけたり  子規」は一読して名句であろうか。
進学した東京の下宿や就職した大垣の独身寮に入居していた当時、夜遅くなってチャルメラの音を耳にし、いつもの時間に、いつも場所に夜鳴きそばの屋台が近づくと、おやじに「中華、中華」と窓から声をかけたことを思い出す。
子規さんも同様だったのではないだろうか。句会が終わって友人と通りに出たら、屋台が通り過ぎていく。「鍋焼饂飩 鍋焼饂飩」を呼んでも、木枯らし(北風)が強くて聞こえないらしい。「鍋焼饂飩 鍋焼饂飩」と大声で叫んで、やっと屋台は止まった。寒さの中での鍋焼饂飩の美味しいこと。食いしん坊の子規さんの姿が浮かんでくるようです。
「北風に鍋焼饂飩呼びかけり」は凡句ですが、「北風に鍋焼饂飩呼びかけたり」で非凡の句になったのでしょうか。 ここまで書いて、念のため子規さんの随筆に目を通したら、「鍋焼饂飩の真実」が書かれていました。
「余学校の寄宿舎にありし日(中略)ある日の事なりき 寒風指を落すほどに寒く身体も縮まりて動く能はざるほどの夜に同級生数人と二重の柵をなんなくこえて表に出づれば はや夜は三更に近く家々の窓に光りなくただ犬の声わんわんと遠方に聞ゆ、それより一町ばかり行きて小川町の勧工場の裏手に至れば 折もよし鍋焼き饂飩にあひたれば天の与へと喜びて 二、三杯づつの饂飩をふきながらフーッツルツルフーッフーッツルツルザブザブとくひ終りて、ああうまし ああさむしといひながら、小川町にいづれば店は皆戸をおろし(後略)」
(注)子規随筆集「筆まかせ」にある「ある日の事」の一節です。おそらく、その当時の光景を思い出して一句にしたのだろうか。いやはや。
われら松山人としては、大街道に出かけた折は、銀天街の裏手にあるアルミ鍋の「鍋焼きうどんのことり」で、愛想のないおばさんに「鍋焼きうどん」を注文しようか。
子規さんが「何ぞな、一杯だけかな。二杯、三杯は食べたうちに入らんぞな。」と、のたまうだろうな、きっと。
そこで子規さんにあやかって一句
「北風に鍋焼饂飩二、三杯   子規もどき」 いやはや