第百一段   一遍会「掲示板」(平成二十一年霜月十一月)に日録を掲載せしこと。

11月30日(月)
小春日和・・・庭の楓の色付きが華やかで書斎に鮮やかに映えている。月一回の奥道後温泉バイキング&ジャングル風呂を楽しむ。露天風呂での紅葉狩りもまた良し。
中央公論社版『日本の歴史7 鎌倉幕府』精読。44年前若き日の石井進氏(東大教授・国立歴史民俗博物館館長)の野心的な鎌倉時代の通史である。松栄印刷所から「一遍会報334号」初校が届く。若干修正す。
11月29日(日)
一遍会講話「宝厳寺の大位牌」中「第3章 承久の乱(1221年)と河野通信(一遍祖父)」から「第4章 伊予国小千(越智)氏と新居氏・得能氏」に執筆が進む。
午後、川岡勉氏(愛媛大学教育学部教授)「中世の道前・道後と地域支配」を聴講(子規博物館)。今日の道後は道後温泉ゾーンに限定されているが「道後」の歴史的解明である。
@中世前期:高縄山を境に東を道前、西を道後と呼ぶ→国の役所による行政区分としての機能
A中世後期:河野氏の権限が及ばない東予2郡(宇摩郡・新居郡)、南予2郡(喜多郡・宇和郡)は道前・道後から除外
B中世末:道後平野を支配する河野氏や本拠地(湯築城)を「道後」と呼ぶ→「道後」が温泉周辺の都市空間を指すようになる
湯築城資料館で田中弘道氏(一遍会理事)と河野氏に関する最近の学術・研究情報を相互交換する。
11月28日(土)
年1回開催の産業文化祭(ひめぎんホール&広場)の開会1時間前に顔を出して、お目当ての「日の丸蜜柑」と「真穴蜜柑」の整理券を貰い10時に現物引き換えとなる。
嫁の実家と息子ファミリーに蜜柑、「じゃこてん(天麩羅)」、いりこなどをお歳暮がわりに送る。不思議と小学校時代の渡部「校長」に決まって出会う。
午後、「心豊かな生と死を考える会」セミナーに出席(愛媛大学グリーンホール)。講師の朝日俊彦氏(元香川県立中央病院長)が癌の再発で中止。小沼大八愛大名誉教授と席を並べる。代わりに映画「終りよければすべてよし」(羽田澄子監督)鑑賞。終末医療がテーマであるが「人間らしく死ぬ」ことを問題提起している。自宅で家族に見守られて死ぬことが何故難しくなってしまったのか。
新設の「愛媛大学ミュージアム」を見学する。大学付属博物館でありアカデミックな雰囲気が良い。宇宙・地球・生命体・歴史(文京遺跡、遍路)など知的な刺激を受ける。大人のデイトスポットである。
【→東の窓】
落葉の道を歩くと50年前のキャンパスでの黄昏を思い出します。ご存知の愛媛大学ですが校舎の外装が一新されて見間違うほどです。目玉は「愛媛大学ミュージアム」の誕生です。1階は博物館、2回は多目的ルームになっています。宇宙・地球・生命体・歴史(文京遺跡、遍路)などなど知的な刺激を受けること請け合いです。中庭(ミュージアムガーデン)と館内にあるラウンジは大人のデイトスポットとしてご推奨しますよ。ぜひご夫妻でお訪ね下さい。
愛媛大学の理工系は中四国随一のレベルを保持していますが、文科系はどうなんでしょうか。国立大学で「法文学部」のままで残っているのは全国で2県だけです。社会科学と文学は異質の学問体系ですから、なんとか二学部制で人材を育成してほしいものですなあ。加戸知事の置き土産を期待しているのですが・・・
11月27日(金)
明比貢著『与州新居系図の研究』を通読する。新居氏の系譜、得能氏・河野(川野)氏に関しての知見多し。河野系譜と関連させて自分なりの論旨の展開をしたい。
義安寺の墓苑清掃。秋彼岸に供えた樒の緑もそれほど色褪せていない。湯築城址公園を散策する。
【→東の窓】
10年間で閉店した書肆は大型店では「丸三書店(本店)」「明屋古書店」「ライブ古書店」「東雲書店」などですが、経営者が同年配(+五歳かな)でしたので松山の昔話をよくうかがいました。郊外のブックストアのみ繁昌するのは中心部がゲームセンターと飲食店中心の若者の町化したということでしょうか。「坂の上の雲」観光客にとっても中心部の老舗はブームに無縁の存在でメリットは少ないのでしょうか。
「紀伊国屋書店」の跡には神戸の「ジュンク堂」が入居しました。「紀伊国屋書店」以上に専門書が倍増し、注文して2日で入荷するようになりましたので大変良かったと思っています。図書館スタイルで書架にぎっしり詰っていますので、少々息苦しい感じもしますが・・・「銀天街ブラ」の時は是非立ち寄って本を買いましょうよ。これしか本屋を守ってあげる方法はありませんから・・・
11月26日(木)
映画「いのちの山河 日本の青空U」を観る。原作は及川和男著『村長ありき 沢内村深沢晟雄の生涯』(新潮社)である。25年前鐘紡の人事部長当時にこの書に出会い感動し、所管する鐘紡技術学校修了生に対して読書感想文を求めたことがある。「生命こそが行政(村落共同体)の原点である」とした沢内村村長・深沢晟雄の信念・主張は忘れられない。「愛と正義の人道主義」が鐘紡の基本理念であったが、経営の悪化で理念を放棄した経営ですべてを失ってしまった。一旦喪った「義」は甦ることはない。嗚呼。
松山市駅から銀天街・大街道を歩く。紀伊国屋書店の撤退後ジュンク堂が引き継いでほっとしていたが、老舗の「丸三書房」の本店が店仕舞している。古書「坊っちやん書房」で『日本民族 重要文化財 与州新居系図の研究』を購入。越智・新居・河野・得能氏の系譜についての基本的な文献である。
11月25日(水)
「一遍会報」第334号を松栄印刷所に発注する。一遍会講話「宝厳寺の大位牌」中「第3章 承久の乱(1221年)と河野通信(一遍祖父)」取り纏め。村上春次著『空海入唐の足跡』(一遍会双書12)が東雲書店に在庫しており福岡の奥山忠政氏(日本そば研究者)に連絡、来月1日来松の予定。午後から庭の整美。桜、柿、櫨、はなみずきの落葉を片付ける。兼好法師ではないが紅葉を掃き集めるのは興なきしぐさではある。
【メモ】
ベンガラの里吹屋での鉱山と密接な関係がある「エビノネコザ」は正確には「ヘビノネコザ」(蛇の寝御座)であった。ヤフーの「知恵袋」で回答を得た。深謝。
11月24日(火)
「備中高梁・吹屋べんがらの旅」を写真入りで取り纏める。「べんがら(弁柄・紅柄)」の歴史、大庄屋と文化財の邸宅、まちづくりのエネルギーなど大いに勉強になった。「人には添うてみよ 歴史には訪ねてみよ」である。高梁市役所に照会中の「えびのねこざ」の正式名称が分れば、エッセイ「一遍と薬草」に一節加えてみたい。
【→高梁市役所 商工観光課】
11月23日に御地を訪ね、ベンガラの里吹屋でたっぷり半日を過ごしました。伝統的建造物保存地区、郷土館・ベンガラ館・笹畝坑道・広兼邸・・・と、行政と現地の方々の熱意を感じた次第です。別子銅山はじめ四国の鉱山には弘法大師の発見の伝承が数多く残っております。笹畝坑道でのガイドさんの説明の中で吹矢の鉱山(銅山)の発見の糸口には山腹に「エビノネコザ」(?)の群生があったとお聞きしました。帰宅してからインターネットで検索しても「エビノネコザ」なる植物名が検索できません。聞き間違いと思います。正確な植物名をご教示下さい。弘法大師はじめ多くの知識人が「山師」的でなく当時の先進的な植物学知識で鉱山発掘を可能にしたと考えると・・・・結構ロマンを感じます。
御地のガイドさんのマニュアルにあるのか、ガイドさんの専門的な知識か存じませんが、非常に興味深く説明を聞きました。些細な質問ですが、「エビノネコザ」(?)の正しい名称を知りたいのです。宜しくお願い申し上げます。
11月23日(月)
伊予鉄トラベル企画の備中高梁「ベンガラの里・吹矢」ハイキングに参加する。総員22名で、うち6名は高梁で下車して日本一高所の山城「備中松山城」登山に向かう。
@「日本一古い」現在使用中の吹屋小学校(生徒数5名)
A元吹屋中学校跡を活用した「ラフォーレ吹屋」で昼食「べんがら御膳」(期待した地元料理は若鶏だけという今風懐石弁当)。ラフォーレには秋篠宮が研究会の学友とともに一泊しており、この食堂では「二次会」が中庭ではパーティーが開催された由。
B旧片山邸(国指定重要文化財)・「吹屋ふるさとむら郷土館」(片山分家 明治12年建築)ベンガラ繁栄期の商家の建築で間口5間・奥行16間である。本家は実業から離れて、山林地主として又町の実力者としての豪勢を極めた由。
C「吹屋ふるさと村」街並み  街道筋の両側に数十軒の町屋が並ぶ。街道筋で明治期までは問屋、旅篭、(芝居)小屋などで繁昌した名残りがある。鉄道から見放され疲弊したが「国選定重要伝統的建造物保存地区」として観光の町として復活している。愛媛の内子町や卯之町の「原型」を見るようである。
Dベンガラ館  ベンガラは弁柄であり紅柄でもある。ガイドによれば江戸中期(1707年)に吹屋で生産され国内外で「日本一」の市場を確保した由。硫化鉄の製造方法の確立により急激に没落。
E笹畝坑道  ヘルメットをかぶり銅山の坑道を歩く。金山(佐渡)・石炭(宇部桜山炭鉱)と合わせて3度目の坑道である。山腹に自生する「えびのねこざ」が埋蔵鉱石の所在を示しているというのだが・・・
F広兼邸 豪勢な砦のごとき石積み(民家では「日本一」の石垣)、広大な敷地、金に糸目をつけぬ建物である。自前の天広神社と墓苑に驚く。銅山とローハ(ベンガラ原料)で巨大な富を得た明治の成金の遺物として貴重である。代官屋敷を兼ねた西江邸(国指定重要文化財)には立ち寄らず。西江家は今日でも「ベンガラ文化」を家業として展開中である。見習うべし。http://www.w-union.jp/19union/11nishie/index.html
11月22日(日)
雨の日曜日となる。井上ひさし作『ムサシ』(舞台脚本)を一気に読了する。巌流島での決闘後蘇生した佐々木小次郎と宮本武蔵、沢庵宗彭、柳生宗矩らが鎌倉の「宝蓮寺」での三日間の参籠禅に参集した機縁からドラマが進展する。高知県文学館の津田加須子主任学芸員から連絡あり。海老庄(野村展代)さんが菓子折り持参でお礼の挨拶にみえた由。一遍会の土佐国巡察でご縁ができたことを喜びたい。
「子規事典」小伝シリーズ「末広鉄腸」「福沢諭吉<伊予との関連>」執筆に先駆けて『雪中梅』『花間鶯』など鉄腸の政治小説をざーっと目を通すことにした。
11月21日(土)
書斎に炬燵を置き冬向きに模様替えする。障子の張替えを今月末までに終えたい。一遍会12月度例会のマスコミ連絡(新聞社2社・ミニコミ2社・放送局2社)。今回からNHKと南海放送に報道を依頼したが採り上げてもらえるか。
夕、県民文化祭(文化庁「地域文化芸術振興プラン)総合フェスティバル出席。(ひめぎんホール)サブテーマは「愛で深め愛で拡げる愛媛の文化」である。
○三島高校書道部の「書道パフォーマンス」
○えひめ和の共演@「伊予節」A「別子石刀節』B『宇和島さんさ」&牛鬼
○今治樋口獅子舞<四段>
○「道後白鷺」野球拳おどり
○トワ・エ・モワ(白鳥英美子・西条市出身の芥川澄夫)「誰もいない海」「旅立ちの日に「或る日突然」など
退場時ホールで「えひめハイスクールワイヤー」140余名が歌う大合唱が印象的だ。彼らにとって終生残るに違いないメロディーだろう。
【→息子へ】
『沈まぬ太陽』見ましたよ。見ごたえはありましたね。父は当時人事部長でしたから、伊藤会長(当時)のスケジュールもあり、日曜夜に上京して月火は東京勤務、水曜日が移動日で、木・金は大阪勤務、土曜日はゴルフと休日なしの3年間でした。今の君と同じ年代ですが、君には想像もつかない程ハードな勤務でした。
『沈まぬ太陽』に登場する龍崎一清は、中曽根総理大臣のブレインであった伊藤忠商事の瀬島龍三会長です。山崎豊子の小説『不毛地帯』では主人公・壹岐正中佐、『二つの祖国』では実名で登場しています。ストーリーとしては、ほぼ事実ですが、内実はどろどろしたものです。
父は日本航空の人事制度のアドバイスをしましたが、官僚機構の壁が厚く「のれんに腕押し」でした。今日の日本航空の「破産」も当然の成り行きでしょう。伊藤会長(当時)は「かなり『いい人』に描かれていま」すが、山崎豊子氏に材料を提供したのは鐘紡サイドですから当然といえば当然です。日本航空は実体以上に悪く描かれています。あくまで小説として、この「事件」は理解した方がいいでしょう。
父にとっては伊藤会長(当時)と時間と場所を共有した「事件」ですから、5時間余の長時間映画『沈まぬ太陽』が物凄く短く感じました。以上思いつくままに・・・
11月20日(金)
公民館図書館で@井上ひさし『ムサシ』(演劇シナリオ)A城戸久枝『あの戦争から遠く離れて』貸し出し。
@は最新作で今春蜷川幸雄の演出でさいたま芸術劇場と梅田芸術劇場で上演された。主演の宮本武蔵は藤原隆也が演じた。
AはNHKでドキュメントととして放映された中国残留孤児であった父の数奇な運命と実の娘が成人して父との共通体験を求めていくドラマである。
演劇とドキュメントドラマを「文字で追っていく」という文学的体験は貴重だし、たっぷりと夜長をエンジョイしたい。
『一遍会報』第334号編集(割付作業)を進める。平田玲子氏の「親鸞聖人の御影(絵像)について」には写真が6葉入るので『一遍会報』の印象ががらりと変わって見える。
午後、渋柿の最後の取り込みと夜は干し柿づくりに精を出す。今年の吊るし柿作業は完了した。やれやれ。
【→柚山俊夫氏】
この度は「大野トウ<人偏+周>吉」について貴重なご示唆をいただき有難うございました。併せてマイHPをご覧頂いた由、恐縮しております。早速県図書館で調査してまいりました。「栄松社」の記述が『伊予銀行史』の誤記により以後の郷土史は同じ誤りを犯しておりますので原資料に当たり正鵠を期したいと願っています。「大野トウ吉」翁は小林小太郎著『記簿教科書』を松山でもっとも早くビジネスに定着させた経営者として高く評価しておりますので「栄松社」との絡みに大いに興味を持っております。残念ながら「大野銀行」は敗者なるが故に貴重な資料が喪失しており、先人を正当に評価できないことを残念に思っております。
老書生として郷土史の海にさまよっておりますので、今後ともご指導の程宜しくお願い申し上げます。「砂土手」の貴論文を『松山発子規事典』(仮称)に採り上げさせていただきたく存じます。
11月19日(木)
県図書館で『伊予史談』から「大野トウ吉」関連論文を再チェック。戒名「同人毅然居士」は初見。宇和島の墓地の所在は依然不明である。
午後、11月度松山子規会例会出席。子規記念博物館・竹田美喜館長講演は「真之の子規宛てはがき二枚―エルトゥールル号遭難始末―」。エルトゥールル号遭難の史実は残念ながらよく知らなかったが、日本にとっても秋山真之と子規にとっても重大な歴史的な転換点であったとする意味づけは真摯に受け止めたい。子規についてNHKの取材を受ける。「坂の上の雲」放映との関連で放映されるのだろうが・・・
子規事典編集会議は3時間に及ぶ。「岩村高俊」と「西河通徹」の発展として「福沢諭吉」「末広鉄腸」「演説(スピーチ)&討論(ディベイト)」についての小論を依頼される。
11月18日(水)
昨日からの冷え込みが厳しい。毛糸のシャッポを被って過ごす。書斎の炬燵をぼつぼつ用意せねばなるまい。「大垣・京都・丹後小旅行記」を執筆する。松葉ガニをめぐっての話は書いていて楽しい。病中にあって子規が丹念に食事記録を書いたのも楽しかった一面があっからだろうか。
明日「子規事典編集会議」で報告の「岩村高俊」と「西河通徹」の配布資料を整え、HP「一遍会」にも「熟田津今昔」第四十章、第四十一章に掲載する。引き続き「小林小太郎周辺の伊予人」をシリーズとして取り上げていきたい。
11月17日(火)
全国的に大荒れの12月下旬並みの気温である。北近畿たんご鉄道・山陰線・播但線を利用して昼には姫路に着く。悪天候であり書写山円教寺参詣は断念する。「御座候」と「お祭り弁当」「ままかり」で播州の味に親しみ、夜8時に松山に帰着する。
伊予史談会理事の柚山俊夫氏から「大野トウ吉」の資料のご案内を頂く。明日にも県図書館で該当論文を閲読したい。
11月16日(月)
午前中に落ち着いた永観堂を一年振りに訪ねる。阿弥陀堂で「みかえり阿弥陀」を拝観し、二河白道を歩いて釈迦如来との対面は心が落ち着く。
午後、「きのさき3号」で豊岡に出て、丹後夕陽ヶ浦温泉(木津温泉)の老舗旅館「琴海」に泊まる。夕食はお目当ての「松葉ガニフルコース」を堪能する。値段も相当高いが北海道のタラバカニとは違って女性的なしなやかな味覚である。温泉は単純アルカリ泉でややぬるめである。
11月15日(日)
第25回鐘紡大垣会出席のため早朝「特急しおかぜ4号(05:07発)で松山を発つ。正午開会、出席は152名(男子99名・女子53名)で盛況。昭和33年に入社した女子社員(伊藤しづえ、室賀久美子、小池かつ枝、宮代靖子さん)と久々に邂逅し写真におさまる。先生気分である。夕、大原の三千院や寂光院の紅葉を楽しんだ家人と京都駅で合流し、嵯峨野の定宿で京料理を味あう。
11月14日(土)
「愛媛・仏教と医療を考える会」第18回公開講演会出席(えひめ共済会館)。講演は亀岡市東光寺住職・宝積玄承師『あすおもう五つのことば』。日本仏教会の有力一員としてバチカンの支援の下でグローバルに活躍中の由。なかなかの説教上手なお坊さんである。以下の「五つの言葉」を提唱されている。
あ: ありがとう(感謝のこころ)
す: すみません(謙虚なこころ)
お: おかげさま(知足のこころ)
も: もったいない(清貧のこころ)
う: うれしいな(歓喜のこころ)
平田玲子氏から一遍会10月度講演「親鸞聖人の御影について」の原稿が届く。12月例会で『一遍会報』配布を予定している。一遍会11月例会(バスによる土佐国巡察)の写真が田中理事から届く。早速参加者にメールで写真を送る。
11月13日(金)
「宝厳寺の大位牌〜河野通信・河野通広・得能通俊夫妻〜」の執筆開始。鎌倉初期の讃岐・阿波・土佐国司は「佐々木源氏」であり「承久の乱」では上皇方であった史実を初めて知る。伊予国司は鎌倉武将の宇都宮氏。
午後、座敷庭園の草引きと紅葉の清掃。夕、椿湯。村上空山師と出会う。
11月12日(木)
子規事典編集会議で報告する「草間時福」「西河通徹」小伝の最終稿を取り纏め印刷に付す。一遍会11月例会「土佐国巡察」収支決算を済ます。収支差異が僅か100円とは偶然にしても出来過ぎである。
週末に2泊で大垣(鐘紡会)・京都(紅葉)・丹後(松葉かに)・姫路(書写山円教寺)を回るので旅程を再度確認する。「jrおでかけ」は業者向けだろうが実に行き届いたHPである。推奨したい。
『文芸春秋』12月号に目を通す。今上陛下ご在位20年の奉祝の中で皇太子、雅子妃の「悲惨なご日常」に心を痛める。司馬遼太郎「日本人の二十世紀」は20年前の論文だが改めて感動した。夕、柏井正子さんに会う。11日開催の道後小学校創立120周年式典に出席、岡田三沙さんも「花ゆずき」での祝宴に顔を出された由。ということは吾らは60周年当時の在校生か。
11月11日(水)
宝厳寺の大位牌〜河野通信・河野通広・得能通俊夫妻〜」の構想がほぼ固まる。
上映時間215分(3時間半)の大作映画『沈まぬ太陽』鑑賞(シネマ衣山)。現在、日本航空の破綻と救済が話題だけに観客もまずまずの入り。監督:若松節朗 出演:恩地元(渡辺謙)妻りつ子(鈴木京香)行天四郎(三浦友和)国見正之(石坂浩ニ)三井美樹(松雪泰子)、香川照之・風間トオル・加藤剛など。1985年の「日本航空123便墜落事故」とその後鐘紡伊藤淳二会長が日本航空会長に就任した時代は、自身が鐘紡の人事部長として身近に体験しただけに3時間があっという間に過ぎた。山崎豊子の原作であるが、中曽根首相以下の人名が先に浮かんでくる。当時は伊藤会長の日程に対応して週前半東京・後半大阪の超ハードな勤務であった。
11月10日(火)
次回講演の「宝厳寺の大位牌〜河野通信・河野通広・得能通俊夫妻〜」のレジュメ執筆に取り掛かる。「播州音頭」から『一遍上人念仏踊り物語』全文をパソコンに取り込む。一遍会会員・江刺精久氏来宅。佐藤辰生著『戯曲 一遍伝 ―白道のかなたに― 』を差し上げる。会員・上南光雄氏から「長楽寺資料」が届く。住職牧野素山師著『足利氏と遊行上人』に早速目を通す。
午後、六時屋サミット。世界経済、教育問題から紅葉名所まで話題は尽きない。
【→海老庄】
ご住職のお話は歌舞伎の世話物のようなお話で、苦難を背負った遍路の方々のまことの生き方をうかがって涙が出ました。海老庄さんでの昼食は豪華かつ心のこもった献立で会員一同感激しました。文学館ではたっぷり一時間、主任学芸員の津田さんから案内していただきました。いの町紙の博物館と横倉山・自然の森博物館は見学時間をショートカットして、予定の時間に松山に着きました。高知での半日、何かとご高配いただき有難うございました。こころから御礼申し上げます。引き続き、一遍会へのご支援方お願い申し上げます。
【海老庄→】
ほんとうにお疲れさまでした。高知の方でも、愛媛からのお客様に大感激しておりました。また、「一遍会報」の方も楽しみにしております。それでは季節の変わり目です。くれぐれもお体を大切に。
11月9日(月)
年内までの研究は一遍関連、特に承久の乱と河野通信が中心になるので中世郷土史論文を再度読み返すこととする。川岡勉愛媛大学教授、石野弥栄愛媛大学講師(前湯築城資料館長)、山内譲松山大学教授の主張が三者三様でアマチュア郷土史家としては大変興味深いし勉強になる。
午後、米映画「扉をたたく人」(2007年)を観る。孤独な初老の大学教授と移民のジャンベ奏者とその母と女友達の出会いと友情と恋情が淡々と描かれている。主演のリチャード・ジェンキンスは09年アカデミー主演男優賞のノミネート。ロビーでアフリカ人ミュージシャン(ニック マユンガ氏)のジャンベの生演奏を聞く。ジャンベを叩く真似事をする。
【→東の窓】
「リーチ」とあいなりました。待ち番号は「1」番。「カステラ1番 電話は2番 3時のおやつは文明堂」とシニア世代としてはスムーズにフレイズが口について出ました。「掲示板」での伊佐爾波さん紹介の銘菓誕生を拝見して【「のぼうる」1番 電話は2番 3時のおやつは「子規の庵」】としましょうか。在京の皆さん、銘菓「子規の庵 のぼうる」を賞味した感想をお聞かせ下さい。送ってくださいとは申しませんので・・・いやはや
【メモ】
寺院トップの呼称<読売新聞091108付>【管主】薬師寺【貫首】永平寺 興福寺 浅草【貫主】清水寺 広隆寺 大安寺【化主】智積院 長谷寺【座主】延暦寺 金剛峰寺 醍醐寺【長者】東寺【長老】西大寺 泉涌寺 唐招提寺【別当】東大寺【法主】永観堂禅林寺 久遠寺 善通寺【門主】西本願寺【門首】東本願寺【門跡】知恩院 仁和寺 法華寺
11月8日(日)
11月度伊予史談会出席(県生活文化センター)。70名を越す参加者に高須賀康生会長もご満悦である。
1)鴨頭俊宏氏「近世越智島の社会をめぐる研究とその課題〜『京都府立大学文化遺産叢書』第二集の書評から」
2)柚山俊夫氏「松山城の砂土手と『大手口』」
鴨頭俊宏氏の発表は真摯なものであり問題点の指摘や問題提起も、不十分ながら理解できた。もっとも『京都府立大学文化遺産叢書』に目を通してはいない。参加者の多くから今回のような専門的な論文に対する専門家としての反論や指摘は専門家の研究会でやるべきで伊予史談会の「場」では不適当であるとの不満が出た。再検討すべき課題である。
柚山俊夫氏の発表は二神将氏と共に過去に二度発表を聞く機会があった。理路整然とした「仮説」である。会員の関心の高さが例会出席にも反映している。個人的には@外堀(土塁)A運河(府中屋念西)B堤防(石手川氾濫)の時系列的な土木建設として捉えたい。掲載資料は根本資料であるとともに時間と労力をかけた労作である。編集中の『松山発子規事典』でも活用させた頂きたい。
午後、第51回中国・四国ブロック民俗芸能大会(ひめぎんホール)を見る。下記10本の舞踊が披露されたがE吉念仏踊とF虎頭の舞が秀逸。@下味野神社の麒麟獅子舞(鳥取県)A牟岐音頭(徳島県)B埼田神社青獅子舞(島根県)C岩戸神楽(山口県)D花おどり(愛媛県)E吉念仏踊(岡山県)F虎頭の舞(香川県)G椋浦の法楽踊(広島県)Hさし踊(高知県)I牛淵の獅子舞(愛媛県)
11月7日(土)
晴天に恵まれて一遍会11月例会(バスによる土佐国巡察)開催。参加者は当初の参加者が事故や法事などあり大幅に減って17名。見学時間が足りず、心残りの気分がまた良しとするか。
コースは道後駅前(07:40)→松山市駅前→県立歴史民俗資料館→竹林寺&「海老庄」(11:30~13:00)→高知県立文学館→いの町紙の博物館→横倉山・自然の森博物館→松山市駅前→道後駅前(18:40)
○高知県立歴史民俗資料館:@秋季特別展・文化庁主催「発掘された日本列島2009」A岡豊城址<長宗我部元親の居城>
○竹林寺:法話は分りやすくジーンとくる。@身障者遍路A幼子を喪った若い母親遍路Bおばあさんの言葉<人の為が自分にもどってくる>
○旅館・海老庄:女将(野村展代さん)の心尽くしの昼食弁当(鰹のたたきも入っている)に一同感激。量質共に大満足。遍路の時は是非「海老庄」さんということになった。
○高知県立文学館:@「一枚絵」に描かれた物語の世界展A津田加須子主任学芸員による説明に聞き惚れる。B自由民権家については改めて学習したい
○いの町紙の博物館:土佐和紙の歴史
○横倉山・自然の森博物館:鄙には希なる大博物館であり、1時間半はたっぷりかかる。横倉山登山を含めて一日コースである。
11月6日(金)
週末の業務整理を終え読書を楽しむ。小林英樹著「『ゴッホの遺書』〜贋作に隠された自殺の真相〜」は1999年刊だから10年前の作品である。著者は東京芸大卒の画家だけに切り口がユニークな知的なミステリーである。小林秀雄の『ゴッホの手紙』や滝沢修の「ゴッホ/炎の人」を通してゴッホを「理解」し、40年前に「ゴッホ展」も鑑賞もしたが、この本からは異質の情報を得た。
1)絵画には@原画AレプリカB模写(複写)C贋作がある。Aは画家自身が描きBとCは他の画家による作品だが意図により模写にもなり贋作にもなる。レプリカは画商の要請に応じた作品が多い由。「ひまわり」「アルルのゴッホの寝室」などAの作品も多い。
2)「アルルのゴッホの寝室」のスケッチは2枚残されている。「贋作」(オランダ・国立ゴッホ美術館蔵)が「ゴッホの代表的な一枚」として取り扱われている謎の解明に脱帽する。
3)「ドービニの庭」は「テキサツ・キャンベル美術館」蔵(画面に黒猫あり)と「ひろしま美術館」蔵(黒猫なし)が存在する。黒猫がゴッホ自身であり重要な「記号」であるがX線投影しても黒猫像が浮かんでこない。ということは「贋作」か。『一遍聖絵』の修正前画像の「発見」を思い出す。
明日の一遍会バス旅行の奥島観光の運転士が例年担当の「中川」さんから「小笠原」さんに変更の旨連絡を受ける。止むを得ない。
11月5日(木)
小春日和というよりは快晴の秋空というべきか。「一遍会11月度ニュース」を執筆。みずほ・伊予・えひめ銀行と郵便局、三菱UFJ証券を回る。
三菱UFJ証券の上野道満支店長来訪。ユニバーサル証券の会長・社長であった従兄の「松浦研治」氏のことを話する。昨日に引き続き、庭の柿もぎ2籠分。夕食後数時間柿の皮を剥ぎ「父さんは夜なべして干し柿づくり」と口ずさむ。
【→東の窓】
同窓会機関誌『明教』を毎年購読しておられる方も多いのではないかと思います。20年前、30年前の既刊の『明教』が期間限定で今なら「無料」で手にすることができます。阪神大震災で手元にあった『明教』は消失しましたので、早速母校を訪ねて欠本を補充することができました。まったくラッキーでした。「ピエロさんの表紙」の号とも再会できました。同窓会のHPに下記の通り掲載されています。<以下省略>
11月4日(水)
昼間、JR松山駅、市中央図書館を回る。久々に母校松山東高校を訪ねる。同窓会会館では「明教」編集会議を開催中で新任の第16代会長も顔を見せた。『明教』の在庫処分中で1・2.7・10号を以外の欠本をすべて補充できた。ラッキーであった。書架に並べて30年分の母校の記憶を確認していきたい。
夜なべは共同作業で柿の皮を剥ぎ干し柿づくりに精を出す。世間では最近では熟し柿をあまり食べないようだが、この時期毎日5,6個はヨーグルトを混ぜたゼリーで食べている。知人が「塾し柿は鼠も食べない」と評していたが、8年で実のなる日本古来の果実に感謝すべきではないか。時衆も遍路も山道で柿を口にして喜びを感じた筈だ。
11月3日(火)
一遍会10月度収支決算と理事会資料作成。11月度例会(土佐国巡察)につきバス会社(中川氏)と電話にて詳細確認す。午後、渋柿を3籠分取る。例年より一週間早く干し柿作業が始まった。今年は10年来の大豊作で、烏も腹満腹で熟し柿を突かないので鈴なりに稔っている。
日本麺学会の世話人である奥山忠政氏から電話と書状で「一遍会双書第12集 村上春次著『空海入唐の足跡』」の照会。幸い「古書東雲書房」に在庫があり連絡する。讃岐饂飩(うどん)は讃岐出身の弘法大師が中国から持ち帰ったものだという本場のアピールに応えて物語をつくられる意向の由。面白きことかな。
松山市民劇場による文学座公演「ゆれる車の音」(夜の部)鑑賞。脚本:中島淳彦、演出:鶴山仁。(ひめぎんサブホール)。浄土教的に寸評すれば、吉本喜劇を3層(上品・中品・下品)構成した人情喜劇と云えよう。主役の角野卓造しか知らないが、相手役の「たかお鷹」の軽妙な演技が印象に残る。2時間ほぼ笑い通しの芝居なのでストレス解消の特効薬になった。いやはや。
11月2日(月)
道後公民館(一遍会1月度例会申し込み)、県図書館、市中央図書館、JR松山駅などを一巡する。@「JR西日本・JR西日本共通パス」は「特急こだま」にも乗車可能で3日間2万円の超安価。鹿児島〜糸魚川往復が2万円で可能とは!Aチケット安売り店で、発売当日から年賀状を45円で売り出し。郵便局会社が大口に40円(8割)で販売、大口とチケット店が5円を折半して45円で販売というシステム。なるほど合点。
松山市主催の「坂の上の雲 コンサート&トークショウ」(市民会館 18;30〜21:00)鑑賞。応募が1万人あった由。中村市長の挨拶で開始。
出演は元木雅弘(秋山真之役)・真野響子(乃木希典妻静子役)・野本由紀夫(音楽学者)・大阪フィル(指揮・円光寺雅彦、ピアノ・清水和音)・司会はお茶目な小野文恵アナ。子規や秋山兄弟が直接耳にした西洋音楽を披露する。所謂「近代音楽」が彼らにとっては「現代音楽」であったことの意味を問いかけているようだ。
@交響詩「ツァラツゥストラはこう語った」(1896年)リヒャルト・シュトラウス作曲
A交響曲第5番「運命」第1楽章(1808年)ベートーベン作曲
Bピアノ協奏曲第2番第3楽章(1901年)ラフマニノフ作曲
C練習曲作品10第12番「革命」(1831)ショパン作曲
D「わが祖国」から交響詩「モルダウ」(1874)スメタナ
E「カルメン」組曲第1番から「闘牛士」(1875)ビゼー作曲
F交響曲第9番「新世界から」第2楽章「家路」(1893年)ドボルザーク作曲
G英国エドワード7世戴冠式頌歌「威風堂々」第1番(1901年)エルガー作曲
11月1日(日)
愛媛大学「四国遍路と世界の巡礼」国際シンポジウム「第3セッション 四国遍路」に参加する。
1)「昭和初期の外国人遍路 アルフレッド・ボーナー」:ディビット・モートン(徳島文理大学客員講師)
2)「遍路(辺路)・巡礼と往来手形」:内田九州男(愛媛大学法文学部教授)
3「江戸期の版本に描かれた遍路の姿―『予州安西法師往生記』を中心に―」:福田安典(愛媛大学教育学部教授)
午後から雨となり屋外作業は中止して月初の定例ワークに注力する。
@「east29」「燦燦会」「一遍会インターネット会員」宛定期メール
AHP「一遍会」11月更改分の一括掲載。併せて2月〜7月の例会講話要旨を取り纏め背て新規掲載。
B一遍会11月例会(土佐国巡察)の現地との確認・調整。最終的に参加者は20名となった。
和田克司氏から「岩村高俊」「西河通徹」についての情報をいただく。子規の従軍記者として清国に赴いた時に西河通徹も時間と場所(清国・船舶)を共有していた由。