第百段 子規記念博物館  月例俳句 令和5年度 

令和五年月一月 「水仙も 処を得たり 庭の隅  子規 」


子規記念博物館(総館長 竹田美喜氏)監修の子規さんの令和五年一月句は「水仙も 処を得たり 庭の隅   子規 」です。

『子規全集』第三巻 俳句三 123頁「俳句稿」(明治三十年 冬)と第十五巻 俳句会稿 609頁(明治三十年)に掲載されている。季語は「水仙」(冬)である。

 この句の詞書に「新宅祝」とある。明治30年には、高浜虚子が結婚を機に日暮里村に新居を設けたので、句会の題に「新宅祝」とされたのであろう。

虚子の新宅のイメージが湧かないが、寒気の中でも凛と咲く水仙を通して、虚子の門出を祝う子規の気持ちが伝わってくる。

虚子の妻は、河東碧梧桐の「思われ女<ひと>」であったが・・・漱石の「こころ」をイメージする。恋はいつの時代でも苦しいものである。

同句会での「交りは安火<あんか>を贈り祝ひけり」(河東碧梧桐)を虚子が採っている。微妙な友情の世界であろうか。

他の参加者の句も披露しておこう。

新宅を 賀すべく冬至 梅一枝    愚哉

新宅に 春待つ君を なつかしむ   繞石

新宅の 庭に咲きけり 玉椿     春風庵

子規さんにあやかって一句

元旦の時宗宝厳寺にて

「子を抱く庵主の正座 日向ぼこ   子規もどき」





令和五年月二月 「公園の 梅か香くはる 風のむき   子規 」


子規記念博物館(総館長 竹田美喜氏)監修の子規さんの令和五年二月句は「公園の梅か香くはる風のむき   子規 」です。

子規「ノート」に明治22年4月5日付で記入されている。季語は「梅が香」(春)である。この「ノート」であるが、第一高等学校在学中、受講ノートの余白に書いたもので、俳句のほかに和歌、漢詩、小説など多岐に渡っている。

4月5日当日は、6日間の水戸旅行の途中で、梅の名所「偕楽園」を訪ねている。メモでなく受講ノート持参の旅行とは、ほほえましい。

(この項は、子規記念博物館 野口稔里学芸員の解説に拠る。)

月初に当月の子規さん句を確認に子規博に出かける。子規博に「仕掛け」があって、正面玄関の懸垂幕で道行く人にも「子規さんの句」がわかるようにしている。

懸垂幕を眺めて、この句を「公園の梅か 香ぐ 春風の向き  子規」と読んだが、梅と春風との「季重なり」である。凡句だなと感じた。

「公園の 梅が香配る 風の向き  子規」と分るまで、結構な時間がかかった。俳句とは難しい。いやはや。

句意は、公園(偕楽園)の広い園内を歩いていると、梅の香りが風に運ばれてくる。時には鼻につき、時にはほのかに香りが漂う。香りの微妙な変化と風の向きの感覚が、子規さんの鋭い観察眼といえよう。

梅の季節に、学生時代から偕楽園には何回か訪ねたが、水戸烈公や水戸学の歴史に視点があり、折角の梅の香まで味あう余裕はなかった。残念、残念。

子規さんにあやかって一句

「梅の香や 水戸烈公の 潔さ   子規もどき」



令和五年月三月 「大仏のうつらうつらと春日哉  子規 」


子規記念博物館(総館長 竹田美喜氏)監修の子規さんの令和五年三月句は「大仏の うつらうつらと 春日哉   子規 」です。

『子規全集』第一巻 俳句一 193頁「寒山落木 巻二」(明治二十六年 春)と第十三巻 小説 紀行 528頁「鎌倉一見の記」(明治二十六年)、第二十一巻 草稿 ノート 9頁「寒山落木別巻」に掲載されている。季語は「春日」(春)である。

 「寒山落木別巻」では「大仏のうつらうつらと春日哉」であるが、「寒山落木 巻二」「鎌倉一見の記」では「大仏のうつらうつらと春日かな」である。研究は別として、メモ
でなく公表(出版)された作品の句(この場合は「大仏のうつらうつらと春日かな」)を用いるべきであろう。

春のうららかな日に、訪れた(鎌倉)大仏の穏やかな表情はうつらうつらと微睡んでいるようだ。眺める観光客も同様だ。鎌倉市民も、鎌倉も、」ゆったりと春日を楽しんでいる。子規さんも東京への帰途、うつらうつらと微睡んで汽車の旅を楽しんでいる。

この句は「鎌倉一見の記」(明治二十六年)でエッセイとしてまとめているように、保養中の日本新聞社社長「陸羯南」を訪ねた旅の中で詠まれた。

   蛙鳴く 水田の底の 底あかり
   鶯や おもて通りは 馬の鈴
  
    鶯や 左の耳は 馬の鈴
   岡あれば 宮宮あれば 梅の花
   
   家ひとつ 梅五六本 こゝもこゝも
   旅なれば 春なればこの 朝ぼらけ

   陽炎や 小松の中の 古すゝき
   春風や 起きも直らぬ 磯馴松(そなれまつ)

   銀杏とは どちらが古き 梅の花
   陽炎と なるやへり行く 古柱

   鎌倉は 井あり梅あり 星月夜
   歌にせん 何山彼山 春の風

   大仏の うつらうつらと 春日かな
   梅が香に むせてこぼるゝ 涙かな

明治26年当時の鎌倉の春の情景が浮かんでくるようだ。

子規さんは「大仏」が気に入ったのか、前句で大仏を詠んだ句が65句ある。(『子規俳句索引』子規博編)

「鎌倉一見の記」は「泣く泣く鎌倉を去りて再び帰る俗界の中に筆を採りて鎌倉一見の記とはなしぬ」で結んでいる。

子規さんにあやかって一句
 
  妻の七回忌を父子三人で送る   

 「七回忌 うつらうつらと 春暮れる   子規もどき」  道後関所番