15 子規忌法要 
第119回子規忌法要 閉会スピーチ  2020年9月19日
 正宗寺田中御住職の法要読経により厳粛裡に子規忌法要が終了致しました。ご挨拶をいただきました正岡様、県商工会議所連合会会頭・伊予銀行会長 大塚様、メッセージをいただきました愛媛県知事、松山市長、愛媛銀行頭取様、遠路秋田からお越しの陸羯南会会長 館田様はじめご来賓の方々、まことに有難うございました。
 
会場の制約もあり本堂の外でご焼香をいただいた全国の子規フアン、松山市民、松山子規会の皆さん、まことに有難うございました。子規さんに寄せる皆さん方の熱き思いに、主催者として感動致しました。衷心より御礼申し上げます。

 本年は第一一九回子規忌に当たります。一一九年前、子規さんは当時の厄病神であった結核に若くして取り付かれ、三六歳を以ってこの世を去りましたが、当時の結核の死亡者は年間六万人強で現在に置き換えると十五万人に相当致します。「ウイズ結核」の中で、愚陀仏庵や子規庵に、松山人や全国の青年たち、文化人が結集し、近代俳句の創生に生死を賭けて挑戦されたことを我々は承知しております。

 百年前にはスペインインフルエンザ、今日只今は新型コロナウイルスが厄病神として蔓延しております。「ウイズコロナ」「アフターコロナ」にあって、今こそ子規さんの時代を想起し、疫病神を正しく恐れながら、果敢に、近代俳句の継承発展に、且つ又郷土文化の興隆に挑戦すべきでありましょう。来年の子規忌は、いかなる事態になっても、子規記念博物館とも連携し、更に盛大に結集致したいと決意致しております。

松山子規会への一層のご支援をお願い致しますとともに、改めて御礼を申しあげ閉会の言葉とさせていただきます。
光冠残月録  松山東高校同窓会誌『明教』第51号 寄稿

 子規堂のある正宗寺(しょうじゅうじ)(市内末広町)で例年九月一九日の子規命日に開催される子規忌であるが、本年は新型コロナウイルスの「三密」対応として、出席者は来賓と松山子規会役員三〇数名に絞られた。

二〇数年欠かさず出席し、つたない句を霊前に供えているが、昨年は「へちま佛 『明治』は遠く なりにけるで、明治・大正・昭和・平成・令和の五代にわたって継承される子規忌への「エール」とした。

ことしは一一九回忌に当たるが、悩んだ末に「子規忌来る 疫病神の むかし今とした。子規さんの時代の疫病神は結核であったが、根岸の子規庵の病床に在っても、内藤鳴雪翁から虚子・碧梧桐にいたる郷土松山の逸材を中心に近代俳句興隆に情熱が注がれた。一〇〇年前の大正の疫病神は「スペインインフルエンザ」であり、今日只今の令和の厄病神は正しく「新型光冠(コロナ)ウイルス」であろう。

ことしの子規忌法要参列者中、母校出身者は一〇名を数える。卒業年次順に併記する(敬称略)

井手康夫(二五年)・三好裕二郎(併二六)・今村威(二七年)・平岡英(二八年)・三好恭治(二九年)・渡部平人(三一年)・嶌川武彦(三三年)・竹田美喜(三九年)・佐伯健(四四年)・越智和彦(五〇年)

子規さんはご満悦であったろうか。この席に松山子規会を支えた和田克司(三一年)さんの姿が見えないのは残念至極である。『松山 子規事典』を残して平成二七年に子規さんの元へと旅立った。

数年先になろうが、子規忌法要に獺祭忌 新愚陀仏庵 三密なる句を捧げたいと願っている。漱石と五二日間共に過ごし、俳句革新の烽火と「松風会」の俳人が育ったあの愚陀仏庵が元の場所に再建され、来場者で三密の状態にある子規忌・・・

光冠残月の日々はまだまだ続くだろうが、皆既日食が元に復するときに光冠(コロナ)は消滅する。その日まで松山子規会の仲間とともに「ウイズ子規さん」との至福の時間を享有していきたいと願っている。

 私事であるが、二〇数年前「ふるさと帰り」をして戸を叩いたのが松山子規会、伊予史談会、一遍会であった。先輩、同輩、後輩に恵まれ、例会に出席し、講話し、『子規会誌』『伊予史談』『一遍会報』に寄稿し、例会後は酒を酌み交わし、今日は居直って「残月録」を綴っている次第である。

 伊予史談会は割愛するが「一遍会」では田中弘道(三〇年)・蜂須賀俊一(三〇年)・戒田淳(三八年)・永井信子(三八年)さんらが頑張っている。
若い世代は勿論であるが、「ふるさと帰り」の諸兄姉弟妹、自宅に籠りがちな諸氏のご参加を心待ちしています。ご一緒に子規さん、一遍さん、郷土史を語り合いませんか。

昭和二九年  三 好 恭 治
第120回子規忌法要 閉会スピーチ 2021年9月19日
 第120回子規忌法要をつつがなく終了いたしました。

 本年は第120回法要であり、子規会としては120年・・・60年(還暦)の重ねでありますが・・・120年に強いこだわりを持っています。
新型コロナ禍の蔓延化にありますが、開催にあたって、正宗寺ご住職のご英断、ご列席者の子規への熱いに支えられて実現できました。子規会として心から感謝申し上げます。ありがとうございました。

 120年前、子規の亡くなった明治35年(1802年)は壬寅(みずのえ・とら)に当たります。ご存じの様に、当時の感染症は子規も同病ですが結核(肺病)でした。子規の文章に「肺病も俳病も同じ事だ」とありますが、伊予人は「俳病」の感染が広く広まったことを実感します。
 (注)子規記「消息」より 『ほととぎす』第三巻第四号(明治三十三年一月十日発行)

 「虎は死して皮を留め、人は死して名を留む。」という言葉があります。子規没120年経って「子規死して俳句(近代文学)を残し、子規死して「俳聖子規」の名を残す」を実感します。

 子規忌法要は毎年の行事でありますが、還暦60年のこだわりがあります。さらなる60年後にも、今日同様、いやそれ以上に盛大かつ厳粛に開催できることの切望したいと存じます。

 本日の第120回子規忌法要にご列席席いただきありがとうございました。これをもちまして「閉会の挨拶」と致します。
第121回子規忌法要 閉会スピーチ   2022年9月19日
 正宗寺田中御住職の法要読経により厳粛裡に子規忌法要が終了致しました。

 ご挨拶をいただきました正岡明様、山内譲様、永江孝子様、土居英雄様、ありがとうございました。

 メッセージをいただきました愛媛県知事、松山市長、伊予銀行頭取、愛媛銀行頭取、正岡家ご親族様はじめご来賓の方々、まことに有難うございました。

 会場の制約もあり本堂の外でご焼香をいただいた全国の子規フアン、松山市民、松山子規会の皆さん、まことに有難うございました。

子規さんにお寄せいただく皆さん方の変わらぬ熱き思いに、主催者として感動致しました。衷心より御礼申し上げます。

本年は第121回子規忌に当たります。60年周期説では、第3期に入りました。

 第1期 柳原極堂翁  管 菊太郎(初代会長)    子規と同世代
 第2期 越智二良(じろう)(会長)和田茂樹(会長) 子規の子供世代
 第3期 烏谷現会長 (会長)・・以下続く       子規の孫世代 

「当たり前のことが当たり前に出来ない」昨今ですが、「ウイズコロナ ウイズ子規さん」で本年も頑張って参りましょう。   

本日の第121回子規忌法要にご列席席いただき、まことにありがとうございました。これをもちまして「閉会の挨拶」と致します。