一、はじめに
令和七年は昭和一〇〇年に当たる。昭和一〇年生まれの筆者は鳩寿(卒寿)を迎えた。
二〇数年前、一遍会入会当時には「信ずれば花開く」で著名な坂村真民翁(一九〇九~二〇〇六)は矍鑠としておられたが、今は宝厳寺の高台から一遍会の活動を静かに見守っていてくださる。
本年初、『一遍語録』所載の「百利口語」に目を通し
「六道輪廻の間には ともなふ人もなか
りけれ 独りむまれて独り死す 生死の
道こそかなしけり・・・・・・・・・・」
と九二句を音読しつつ、真民翁にあやかって、鳩寿を機に「終活」について真剣に考えていかねば思うに至った。個人的な体験に触れることが多々あると思うがご寛恕願いたい。
松山の地で近年お二人の仏教者の講演を聞く機会に恵まれた。
おひとりは著名な宗教学者 山折哲雄氏(一九三一~)の「日本人の死生観について」(第四四回日本死の臨床研究会年次大会 基調報告 於県民文化会館)と、もうおひとりは臨床仏教師 佐々木慈瞳師の講演(於松山エデンの園)である。
佐々木慈瞳師は、NHKで長年放映中の「やまと尼寺精進日記」の舞台である奈良県桜井市の山中にある尼寺・音羽山観音寺の副住職である。檀家は無いが、里の村人との交流が盛んである。

中央が住職 後藤密榮師、左が副住職 佐々木慈瞳師 右がお手伝い「みっちゃん」
慈瞳師はマスコット「よくいきちゃん」を片手に持ち、簡潔に「終活」を伝える。
病気があってもなくても
「欲張りで粋に過ごしながら
自分らしく善く生きよう
そんなふうに良く逝ききったタネは
誰かのよくいきに芽吹きます」
また、一〇月が「終活月」、一〇月一日が「終活の日」であることを初めて知った。一〇月(ジュウガツ)の濁点を取ると「シュウカツ」である。濁点四つを「生・老・病・死」とす れば・・・ 「シュウカツ」は青春の「就活」にも通ずる。
講師の冗句かと思い、念のためウエッブで
検索したら、記念日のひとつとして認定され
ていることを知った。
「生・老・病・死」は、「生」が自己決定不能と同様に「老・病・死」もまた自己決定は不能である。四苦(生・老・病・死)は阿弥陀仏にお預けして、「欲張りで粋に過ごしながらの自分らしく善く生き」るのが終活(シュウカツ)の極意ではあるまいか。
「臨床仏教師」なる資格も初見であった。人生の生老病死にまつわる現代社会の苦悩と向き合い、専門知識と実践経験をもとに行動する終末期医療に携わる仏教者である。
他の宗教の関係を見てみておきたい。
○チャプレン(推定約三〇~四〇名)病院付きの聖職者。日本の大学院神学部で「臨床牧会実習」を履修。
○パストラルケアワーカー カトリック系の病院や施設での呼称。
○ビハーラ僧(推定五名程度)ターミナルケ
ア施設でケアに携わる浄土真宗系僧侶
(注)愛媛県初の臨床仏教師は。真言宗豊山派 浄明院(松市内別府町)副住職 森脇宥海師である。 四国がんセンターの終末期医療に携わっておられる由。

1,ウエルビーイング
終活を考える前提として、「今日只今まで如何に生きて来たか」を考えねばなるまい。
古典的な解明にマズローの「欲求5段階説」がある。
① 生理的欲求: 基本的な生存ニーズ
② 安全欲求: 安定と安全への欲求
③ 社会的欲求: 所属と愛情の必要性
④ 承認欲求: 自己尊重と他者からの承認
⑤ 自己実現欲求: 個人の潜在能力の実現
五段階のプロセスで5シップス(メンバーシップ・フォロワーシップ・リーダーシップ・ヘッドシップ・フレンドシップ)で個性が発揮され、結果として格差が生じることとなる。
(注)第二次世界戦争後、実質的に日本を統治したD.マッカーサーの「老兵は消えず、ただ消え去るのみ」は、優れた終活と考える。
市井に住む私どもにとってのウエルビングを考えると次のようになる。
まずは老年の「居場所」である。一遍聖の遊行の様な「非定住」は考えられない。居場所は、自立〈自律)と依存(連携)で規定される。
F・テンニース(一八五五~一九三六)を援用すれば次のようになる。
形態(シャフト) 代表社会 共通精神
ゲゼル 利益社会 道義
ゲノッセン 仲間社会 信義
ゲマイン 共同社会 恩義
○ゲゼルシャフト(利益社会)は国家(ネイ
ション)から国際(インターナショナル)を
超え、グローバル(地球集団)を目指してい
る。
○ゲノッセンシャフト(仲間社会)はネットの普及により生身の人間の交流が希薄化し記号化・文字化社会に移行中である。
○ゲマインシャフト(共同社会)は地球規模では人口は増大しているが。「文明国」では人口減少が急激であり、回復は困難である。マチやムラは将来的には自立が困難な過疎化。廃村化が進行している。
血縁(家、家族、親戚)地縁(ムラ)が薄くなり、共通精神である「恩義」も過去のものとなった。今日、独居死亡での引き取り手のない事案が急増している。血縁の「断捨離」である。現行の民法の相互扶助は個人尊重の中で希薄化して来た。
*【民法八七七条】
① 直系血族及び兄弟姉妹は、互いに扶養をする義務がある。
② 家庭裁判所は、特別の事情があるときは、前項に規定する場合のほか、三親等内の親族間においても扶養の義務を負わせることができる。
とは言え、現実に生き、現実に問題解決しなければならない。私どもの取り巻く現実社会ではどのようになっているのか。
① 身体的
自立ヵ要支援(グループホーム)ヵ要介護ヵ
② 精神的
対話(自己? 他者? 神仏?・・・)
③社会的
居場所 自立〈自律)と依存(連携)
*教育 今日、行くところがあるヵ
*教養 今日、用事があるヵ
デイサービス、ペットの世話、墓参、図書館、喫茶店(読書)、文化・スポーツサークル(俳句・歩こう会・・・一遍会など)
2,一遍聖の「終活」について
ここで一遍聖の「終活」を『聖絵』からたどってみたい。
後継について
「我化導は一期ばかりぞ」(第十一・45)
「一代聖教みなつきて、南無阿弥陀仏に成
り果てぬ」(第十一・45)
経典・書籍について
「同十日の朝、もち給へる経少々、書写山の寺僧の侍りしにわたしたまふ。(略)所持の書籍等、阿弥陀経をよみて手づからやき給ひしかば、・・・(第十一・45)
葬儀について
「我(が)門弟におきては葬礼の儀式をとヽのふべからず。(第十一・48)
野にすてゝけだものにほどこすべし(第
十一・45)
持物について
十二光箱のみ(第十・39)
まさに、「あとは野となる 山となる」南無阿弥陀仏の世界ではあるまいか。
一遍聖は「非定住」の遊行に徹したが、鎌倉期の平均寿命を約三〇歳とすれば、一遍聖の四〇歳代は今日の八〇歳代に相当するだろう。禅定(往生)の前日まで賦算を続けたことに改めて思いを致すのである。
弘安九年(1286)四八歳
四天王寺 住吉大社 聖徳太子廟 当麻寺 岩清水八幡 四天王寺(歳末別時念仏)光明福寺(神戸)
弘安一〇年(1287)四九歳
書写山円教寺(姫路) 松原八幡「別願和讃」作成 「十二道具持文」作成 吉備津神社 厳島神社(安芸)
正応元年(1288)五〇歳
伊予へ 岩屋寺 繁多寺(三ヶ月) 大山祇神社 窪野(修行地) 宝厳寺(生誕地)
正応二年(1289)五一歳
大山祇神社(越年) 讃岐へ 善通寺 曼
荼羅寺 阿波(河辺寺(発病)浄福寺ヵ)
淡路島(二宮 志筑・北野天神)
兵庫へ 光明福寺内「観音堂」現・時宗真光寺(一遍廟所)
光明福寺内観音堂(現・時宗真光寺)
所持の経文焼却(阿弥陀経読経)紫雲立つ
介護 聖戒 相阿弥 彌阿弥 一阿弥
調声 他阿弥
(八月二一日)
西宮神社神主(最後の十念)
播磨淡河殿婦人(最後の念仏札)
(八月二三日)
辰の始(午前七時頃)禅定(往生)
二、Z世代からの問題提起
「捨ててこそ」と「非往生」
私事になるが、孫が四人おり、三人は社会人で一人は大学生である。所謂「Z世代」に属するが、時宗や一遍聖の話をすると、話が?み合わない。Z世代の「共通言語」を昭和人が理解するのは容易ではない。
一遍・時衆(時宗)を特徴づける「捨てこそ」と「非往生」について、一遍聖に敢えて質してみたい。ご一緒に考えていただければ有難い。
1,「捨ててこそ」を実践すれば、日本人、日本経済はどうなったか
第二次世界大戦終結から八〇年、昭和期の一億総中流化を支えた「大量生産(公害)・大量消費・大量廃棄(ゴミ)」は「三種の神器」(冷蔵庫・洗濯機・掃除機)からスタートした。現世の幸福感があった。
*耐久消費財「三種の神器」の進化
①三種の神器」(ミッチー・ブーム 団地)
冷蔵庫・洗濯機・掃除機(白黒テレビ)
②3C時代(東京オリンピック マンション)
カラーテレビ ・クーラー ・自動車 (Car)
③
新3?時代(バブル 億ション)
電子レンジ(Cooker)、別荘(Cottage)、
セントラルヒーティング(Central
Heating)
一方、それを支えた日本的経営の「三種の神器」は、「終身雇用・年功序列・企業内組合」(労使運命共同体)であり、社員は「二四時間働けますか」でそれに応えた。まさに多くの昭和人にとって
「この世(代)をば 我が世(代)とぞ思ふ 望月(経済)の 欠けたることも
なしと思へば 」の幸福感があった。
バブル崩壊の平成時代は、「喪われた三〇年」と云われ「日没する国」に向かっている。
日出る国 喪失の三〇年 日没の国
一位 米国 米国 25兆ドル 米国
二位 日本 中国 17兆ドル 中国
三位 独逸 日本 14兆ドル 印度
四位 英国 独逸 4兆ドル 独逸
五位 仏国 印度 3兆ドル ×日本
一方、仏経典や時衆の文献からは、厳しい示唆がある。差別表現に捕らえられそうだが「三輩九品」なる語がある。
○三輩は上・中・下に分かれる。
上輩(上品 上・中・下生)
「捨家捨欲」“大乗仏教”出家者
中輩(中品 上・中・下生)
出家はしないが、一心に阿弥陀仏を念じ善を修める者。
下輩(下品 上・中・下生)
悟りを求める心を起こすが、ただ阿弥陀仏を念じるだけの者。
○九品(三品×三生)は九区分となる。
最上位は「上品上生」 極楽浄土往生の九品中の最上位。
また、その位の人として生まれること
最下位は「下品下生」 五逆罪や十悪を所作し、不善を行う人
一遍聖は逆転の発想で、自らを「下品」に位置付けている。
○九品 念仏の機に三品あり (三品×三生)『語録44』
上品 ○妻子 ○居 往生 親鸞
中品 ×妻子 ○居 往生 法然
下品 ×妻子 ×居 往生 一遍
○三悪道 『一遍上人語録』『播州法語集』
①地獄道 住 マイホーム
②餓鬼道 食 グルメ
③畜生道 衣装 ファッション 美容
○断・捨・離
今日普及している「断(行)・捨(行)・離(行)」は、易行(他力)か
2,「非往生」と神託・人権の絶対的矛盾?
一遍会の事務局として二〇数年お世話をしているが、宝厳寺住職である長岡隆祥師がご存命の頃は、毎月一回は月例会の報告を兼ねて庫裏にお邪魔した。お抹茶をたてて頂き、午前中の二時間いろいろと問答をさせていただいた。多くは明解なご回答を頂いたが、「非往生」については言葉を濁されたと記憶している。
カトリックは全員救済を前提とするが、ダンテの『神曲』には煉獄が生々しく描かれているし、プロテスタント(カルビン派)は「選ばれた信仰者」を規定し、M・ウエーバーやR・H・トーニーらより資本主義(産業革命)精神との密接な関係が指摘されている。
一遍聖の教義の根底には、『聖絵』に記述されている熊野権現(阿弥陀仏)の神託が不動の地位を占めている筈である。
「融通念仏すゝむる聖、いかに念仏をばあしくすゝめらるゝぞ。御房のすゝめによりて一切衆生はじめて往生すべきにあらず。阿弥陀仏の十劫正覚に一切衆生の往生は南無阿弥陀仏と決定するところ也。信不信をえらばず、浄不浄をきらはず、その札をくばるべし。『聖絵〉』(第三・9)
○知識帰名・非往生
【帰命戒】とは、遊行上人に絶対的に従えとする戒律(知識帰名・非往生)であり、他阿弥陀仏著『奉納縁起記』(嘉元四年・1306)
に明示されている。
知識即ち遊行上人は阿弥陀仏の使者であり、同時に代理である。
① 時衆は身体や生命を知識に任せ、絶対服従して修行に励め。
② 知識は、教団の正義に背き、かつ回心しない時衆を「不往生」として極楽往生を取り消す絶対的な権力を保持する。
③ 時衆教団に入る時には、知識に従い、戒律を守る誓約をし鉦を打つ。
④ 破戒の節、現世では「白癩黒癩」となり、来世では阿弥陀仏の衆生救済の四十八の誓願に漏れて、地獄道・餓鬼道・畜生道の三つの苦界に落ち、永久に浮かび上がれない。
?聖絵』に「知識」は四回表記されが、一遍聖を指している。『聖絵』(第四・13 第?・39 第十二・47 第十二・48)
○非往生の記録
知識帰名・非往生の明示は他阿の著作であり、一遍聖の往生(一二八九年)以降の可能性もあり得るので調査を進める。結果、存命中から実行されたと推定できる。
一遍・二祖真教の時代二十七年間で「時衆過去帳」記載者の二・五%に達した。
「修行の始公安二年〈1279〉より嘉元四年(1306)九月に至る(までに)往生を遂げる僧尼二百七十五人、このうち不往生なる者七人(僧三人、尼四人)、制裁を破りながら廻心向大せざるが故なり」
(二祖 道場制文)」『重要文化財 時衆過去帳』時宗教学部編(1969)
○阿弥陀仏の衆生救済の四十八の誓願
「知識帰名・非往生」は、一遍聖・時衆の独自の判断ではない
仏典『無量寿経』に説かれており、四十八願(六八の誓願、本願、弥陀の本願、他力本願、別願とも)は、他力浄土教教義根幹をなす教義と云える。
たとひわれ仏を得たらんに、十方の衆生
至心信楽して、わが国に生ぜんと欲おもひ
て、乃至十念せん。 もし生ぜずは、正覚を
取らじ。 ただ五逆と誹謗正法とば除く。
(注)五逆とは
① 殺父[せつぶ]
② 殺母[せつも])
③ 殺阿羅漢[せつあらかん])
④ 出仏身血[すいぶっしんけつ])
⑤ 破和合僧[はわごうそう])。
(参考)
十悪(身・口・意の三業がつくる種の罪悪)
①殺生②偸盗?③邪淫④妄語⑤綺語)?
⑥悪口⑦両舌⑧貪欲⑨瞋恚?⑩邪見
(注)誹謗正法とは
仏教の正しい教え(正法)を軽んじる言動や物品の所持等の行為を指す。
五逆と誹謗正法に抵触するものは除外するということは、今日的に言えば刑法等犯罪に関する取り扱いである。宗門にある者、信者にとっては「死刑宣告」である。せめて「破門」(無期刑)に留めるべきかと思う。
時衆(時宗)教団維持のため、「知識帰名」は今日まで生き続けている。後年、この統制システムが、真宗教団(一向宗・真宗)にも取り込まれている。他の宗教、宗派については未調査である。
三、「別願和讃」と「百利口語」
一遍会例会では、現在長期療養中である杉野祥一元理事が、数年にわたり「卓話」で解説したが・・・最近二人の講師によって「別願和讃」が採り上げられたが、『一遍聖絵』と『一遍上人語録』に異同があることが明確になった。
第六一三回例会 三好恭治
一遍聖「別願和讃」の世界
第六二八回例会 圓増治之
『別願和讃』私解
1,『別願和讃』
『一遍聖絵』では七〇首であるが、『一遍上人語録』では八六首が収録されており、一六首多くなっている。『一遍聖絵』は一遍の死後一〇年に作成されたが、一方『一遍上人語録』の出版は没後五〇〇年経過している。
『一遍聖絵』では弘安十年播州化益の折に詣でた松原八幡宮で「念仏の和讃」を作って時衆に与えたとして、『別願和讃』が掲載されている。ただし、岩波文庫の『一遍上人語録』の巻頭の『別願和讃』が八十六句より成るのに対し、『一遍聖絵』に掲載された『別願和讃』は、その八十六句のうちの終わりの十六句が欠けており、七十句より成っている。『一遍聖絵』だけでなく、『遊行上人縁起絵』や宝暦版の『一遍上人語録』所収の『別願和讃』はすべて七十句より成っているが、宝暦版の『一遍上人語録』の編纂に関わった俊鳳妙瑞が、後にこれを改訂、編纂した文化版『一遍上人語録』には最後の十六句が補完されている。
俊鳳は改訂の作業を行った頃すでにそれまで住んでいた江戸から京に居を移しており、京には市屋道場金光寺、四条道場金蓮寺、六条道場歓喜光寺など、一遍上人所縁の時宗の寺が多く、そのどこかの道場に最後の十六句を補完する根拠となった資料があったのかもしれない。岩波文庫の『一遍上人語録』はこの文化版『一遍上人語録』を底本としており、八十六句より成る『別願和讃』が巻頭に掲げられている。
八十六句より成る『別願和讃』の方が完成度は高いと考える。その理由は、『別願和讃』のこの解釈を通じて自から明らかになると思う。但し、追加の一六句は一遍の作ではなく、時衆教団の発展と共に追加されたものと考えのが妥当であろう。浄土の様子が活写されているので、布教に有益であったと思われる。
六六句以降八六句までを掲載します。
早く万事を投げ捨てて 一心に弥陀を頼みつつ
南無阿弥陀仏と息絶ゆる これぞ思いの限りなる
此の時極楽世界より 弥陀観音大勢至
無数恒沙の大聖衆 行者の前に顕現し
一時に御手を授けつつ 来迎引接たれ給う
○後世加筆 一六句
即ち金剛台にのり 仏の後にしたがひて
須臾の間を経る程に 安養浄土に往生す
行者蓮台よりおりて 五体を地になげ頂礼し
すなわち菩薩に従ひて 漸く仏所に到らしむ
大宝宮殿に詣でゝは 仏の説法聴聞し
玉井月郎にのぼりては 遥か他方界をみる
安養界に到りては 穢国に還て済度せん
慈悲誓願かぎりなく 長時に慈恩を報ずべし
2、百利口語(ひゃく・りく・ご)
「百利口語」は。「百+利口+語」であり、「多くの・気の利いた、こざかしいことば・という賛辞」(梅谷繁樹)で、多屋頼俊『和讃史概説』同様、一遍作とはみなしていない。多分、近世にはいってからであろう。中世には「百利口語」の存在は未確認である。
和讃としては秀作の作品であり、一九六句からなる。
三悪道(地獄道・餓鬼道・畜生道)の苦悩、人生の無常を述べ、ついで念仏行者になったことに筆を転じ、その生活を述べ、最後に阿弥陀仏の悲願の広大なことを讃嘆したものである。一遍会会員による 輪読で、「別願和讃」と「百利口語」を読み継がれると・・・素晴らしい「終活」ではあるまいか。
尚、俊鳳妙瑞(一七一四~一七八七)著『百利口語諺註』がある。
おわりに
終活(シュウカツ)はすぐれて個人的、個別的で、全体としての解はない。
○欲張りで粋に過ごしながら 自分らしく善く生きよう
○あと(後・跡)は野となる 山となる
○南無阿弥陀仏
歌手 南こうせつの『男が独りで死ぬときは』をつぶやいて終わりとしたい。
男が独りで死ぬときは持ってゆくものは何もない
春なら桜の樹の下で 冷の酒などあればいい
面白かった人生だけど 生まれる前に帰るだけ
さらば友よAh~一足先に 借りはむこうで返すから
男が独りで死ぬときは 残す言葉など何もない
秋なら落ち葉の縁側で 座ぶとん枕があればいい
いい夢見てた人生だけど 戻らぬ旅が続くだけ
さらば妻よAh~二足後れ いつかゆっくり逢いに来い
この世は終わる人生だけど 心のままに生きただけ
さらば友よAh~一足先に 借りはむこうで返すから
さらば妻よAh~二足後れ いつかゆっくり逢いに来い
(注)「百利口語」九十二句の説明は、別途『一遍会報』にて掲載します。(予定)
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