平成23年9月「渋柿は馬鹿の薬になるまいか 子規」 |
|
子規記念博物館(名誉館長 天野祐吉氏)選句の平成23年9月の子規さんの句は「渋柿は馬鹿の薬になるまいか 子規」です。明治29年の作品で、季語は「柿」(秋)です。『子規全集』A巻「寒山落木 巻五 明治二十九年夏」(571頁)に掲載されています。 |
|
一年前の明治二八年夏は、結核療養を兼ねて松山に帰省し漱石の下宿先「愚陀仏庵」で過ごしていますが、上京後は病床にあって歩行もままならず、外出は人力車をつかうという日常生活になったようです。この句には前書きがあるのですが、この句だけでは「馬鹿につける薬」の宣伝コピーではないかと誤解されそうです。いやはや。 |
|
前書は「露月国手を嘲る」とあります。
「露月」とは石井露月(いしいろげつ)のことで明治から昭和前期の俳人(1873−1928)です。上京して明治27年から正岡子規に師事し,新聞「日本」の記者となる。のち医師試験に合格し,秋田で開業。33年島田五空『俳星』誌を創刊,子規の日本派俳風をひろめました。 |
|
「国手」とは、@国を医する名手、名医。A囲碁の名人の意味があります。露月が子規庵での句会後の雑談で「国手」を名指しにして嘲(あざけ)ったのでしょうが、「国手」が「国を医する名手」なのか「神の手を持った名医」なのか具体的な事実は承知していません。ご存知の方がいらっしゃればご教示ください。 |
|
もっとも選句者である天野祐吉氏のホームページに「渋柿は馬鹿の薬になるまいか 子規」に触れた一文があり、「国を医する名手」を皮肉っておりますのでご紹介します。 |
「あの渋柿の渋さって、ほんと、キョ?レツだよね。口の中から頭の中心にすごい渋さが駆け抜けて、頭がこむら返りを起こしたような衝撃に襲われる。その衝撃のすごさは、馬鹿も直ってしまうのではないかと思われるほどだ。・・・
そうそう、ボッスの絵に「馬鹿の石」ってのがあるよね。馬鹿は頭の中には石が入ってるらしい。で、それを医者が手術して取ってるって絵。この際、こっちの馬鹿は棚に上げて、あの絵に渋柿を添えて、国会に贈ってあげたいね。」 |
|
(注)『天野祐吉のあんころじい』http://amano.blog.so-net.ne.jp/2011-06-03
ここにはボッスの絵「馬鹿の石」が掲載されています。是非ご覧ください。 |
|
柿好きの子規さんのことですから柿を採り上げた句は多いし、渋柿の句も結構あります。もっとも渋柿はそのままでは食べるわけにはいきませんから食いしん坊の子規さんの渋柿評は辛辣です。 |
|
「渋柿の庄屋と申し人悪き 子規」 |
|
「渋柿や猪隣村へ来る 子規」 |
|
|
子規の高弟の一人である松根東洋城が主宰した俳誌に『渋柿』があります。この『渋柿』のいわれは、大正3年(1914)、東洋城が宮内省式部官のとき大正天皇から俳句について聞かれ「渋柿のごときものにては候へど」と答えたことが有名となったことから命名した由です。
子規さんの没後、高浜虚子との決定的な軋轢があり『ホトトギス』を離れることになった東洋城の最後を看取ったのは、松山東高校二九年同期会の副会長である娘時代の樋口加寿子さんでした。知る人ぞ知るといった「秘話」でしょうか。詳しくは『明教』誌の樋口さんの名文をご覧ください。
|
そこで子規さんにあやかって一句 |
「笑い茸馬鹿の薬になるまいか 子規もどき」
道後関所番
|
|
「馬鹿は死ななきゃ治らない」に引っ掛けましたが、絶対に「笑い茸」は食べないようにお願いします。念の為。 いやはや。
|
|
【てまり宗匠⇒ 】 |
懸垂幕の句を通りがかりの者の視点で考えてみました。
@ まず、柿好きの子規さんは十分さわしてない柿を食べて渋さに腹が立ち、ろくでもない渋柿は馬鹿(知的障害者ではありません)の薬にでもならんのかと問いかけている。
A 薬剤師の友人は「強烈な渋さから薬を想像したと思う。柿渋は民間薬の一つで赤本にも載っていて皮膚病や脳卒中に効くから」とおっしゃいました。わたしはそんならワーファリンを止めて飲もうかと思えども勇気無く干し柿を食べようと思った次第です。
B「脳の中の石」は腫瘍か血栓かと。
C 前書きのある句を裸で出したのは、自由な解釈を楽しみ、それで飽き足りない人は子規の本を買いなさいと言う天野氏の策略でしょうか?
わたしは、通りすがりに見て、言葉遊びの種に利用する派です。こんなことでごめんなさい。 |
【道後関所番⇒】 |
ブログを一昨日拝見し連句(連歌)の掛け合いを成程なるほどと思っていました。お相手は薬剤師さんだったのですね。これからも「通りすがり」の俳句エッセイを楽しみにしています。
「馬鹿」で思い出したのですが、京言葉では「馬鹿」は平安時代の貴族言葉、次いで「たわけ(田分け)」が室町時代、「あほ(阿呆)」は新しくて近世のようです。東京の親しい友人と会うと「お前、馬鹿だなあ」は今でも常套語になっています。松山では絶対使いませんが・・・。子規さんグループも「東京人」発想で「馬鹿の薬」といったのかもしれません。
関西流では「おまえ、アホやなあ。アホなお前には、渋柿がええ薬やでえ」というニュアンスでしょうか。中京では「どたわけ。渋柿かじって頭冷やしてこい」になるのでしょうか。全国各地の「馬鹿の薬」を教えてください。 ところで、松山での「馬鹿の薬」は・・・・・ |
【あいあい宗匠⇒ 】 |
子規博懸垂幕9月号「渋柿は馬鹿の薬になるまいか 子規」はまたまた傑作でしたね。渋柿を齧って脳天ひっくりかえし、賢くならない今のあいあいでも解釈出来たつもりで読み笑い転げました。
この句には、「露月国手を嘲る」の前書きがあるそうですが、これが関所番さま言われる通り‘露月(が)国手を嘲る’なのか、‘(子規が)露月国手を嘲る’なのか・・・?で解釈鑑賞もおのずと異なってくると思います。前者の国手は「国を医する名手」、後者なら「名医」でしょうか。露月は当時、記者、俳人、医師と三束の草鞋を履いていたから何れにもとれると思います。子規博名誉館長天野氏が前書きを外されたのはてまりさまが言われる通り、‘自由にご鑑賞を’の氏のご配慮と思います。
コラムニストのお顔で天野氏の「国を医する名手」を皮肉ったエッセイはボッスの絵の引用と共に流石!と面白く拝読しました。居眠り議員にはもう一つおまけに子規の掲出句の短冊も添えて・・・(笑)本当に頭のいい秀才は「馬鹿」と言われても全く気にならないのだそうですね。馬鹿!より嫌いっ!の方が怖いみたい(笑)では本当の馬鹿は?馬鹿でもそんな本当のこと(差別用語)は言わない・・
同じ馬鹿と言われるならあいあいは東京弁の馬鹿より関西弁のアホの方が耳に優しいからいいですね。富山では方言に‘だら’がありましたがそれが微妙で‘どぁーらー’とか、イントネーションやアクセントで巧みに感情表現を連発しながら小中学生が野球などしていたのを思い出します。
では最後に駄作を一句「猿柿は渋柿なるぞアホあいあい aiai |
【道後関所番⇒ 】 |
さすがさすが鋭いご指摘、有難うございました。「露月国手を嘲る」は「石井露月医師」そのひとではないかと、早速『子規全集』の「子規年譜」を調べました。明治29年(1896)10月26日の条に記録がありました。
目黒不動前の茶屋福島屋で、露月の送別会を兼ねた俳句小集(表題。栗飯)が開催されました。子規、碧梧桐、虚子、墨水、杷栗、肋骨、愚哉、蒼苔、露月、繞石、秋骨が出席しています。そこでの子規さんと露月とのやりとりです。
露月国手を嘲る
渋柿は馬鹿の薬になるまいか 子規
留別
渋柿を喰つてしまへば帰るなり 露月
老生は「嘲る(あざける)」をまともに解してしまいました。石井露月が郷里秋田に大医者先生として錦を飾る餞として「渋柿は馬鹿の薬になるまいか 」と「馬鹿の薬」で子規さん一流の「よもだ」でおちょくったのでしょう。露月も露月で「留別」(旅立つ人が、あとに留まる人に別れを告げること)と前書きして「渋柿を喰つてしまへば帰るなり 露月」 と切り返します。恐らく出席者全員が大笑いしたことでしょう。 こんな句会なら参加してみたいものです。ご指摘深謝。さすが実作者の深い読みですなあ。勉強になりました。 皆さんにもご紹介したくて駄文を記しました。
九月十九日の子規忌を前にして
「渋柿は三途の渡船代になるまいか 子規もどき」 いやはや。 道後関所番 |
|