一 遍 会 ア ル バ ム

資料 10

一遍会のみなさん

「宝厳寺落慶法要 第6報」をお送りします。

写真は一遍会理事の江刺精久氏の撮影です。外部に紹介(発表)される場合には著作権の関係もあり「一遍会提供」と記載してください。

事務局 三好恭治


宝厳寺「大位牌」寄進にふれて

平成22年3月13日宝厳寺で開催した一遍会457回例会で三好恭治理事が「宝厳寺の大位牌〜河野通信夫妻・河野通広夫妻・得能通俊夫妻〜」のテーマで講演した。講話の要約は『一遍会報』第336号(22年5月1日付)に掲載されている。

平成25年8月10日、宝厳寺本堂から出火し、重要文化財「木像一遍上人立像」と合わせて「大位牌」や「宝厳寺蔵 河野系図」も焼失した。同年9月、中世史研究の石野弥栄氏が主催する「中世河野氏セミナー」で和田文典氏(元北条ふるさと館 館長)から「大位牌」について相談を受けた。『一遍会報』第336号掲載の「大位牌」について大変興味を持たれたらしい。

相談の内容は、南北朝期に大位牌を寄進した得能通綱の後裔が北陸河野会を結成しており、焼失した「大位牌」を得能一族が改めて寄進したいという申し出である。

11月、宝厳寺で長岡隆祥住職に「大位牌」制作の経緯を説明した。その結果を早速和田氏を通じて北陸河野会に伝えた。12月、再度経過報告のため宝厳寺を訪ねたが、住職は検査入院されてお会いできなかった。住職夫人は快く「大位牌」の寄進を了解され、今後の進め方を和田氏に説明し、同氏並びに北陸河野会にご一任することにした。長岡住職は検査入院のあと癌治療に専念されたが、平成26年10月11日ご逝去された。

平成28年5月14日宝厳寺落慶法要が厳粛に執り行われたが、阿弥陀三尊の如来の足元に「大位牌」は置かれ、七四代遊行上人他阿真円師と「対面」しておられる。「大位牌」に刻まれている河野通信夫妻、河野通広夫妻、得能通俊夫妻と寄進者である得能通綱も本堂に再び安置された「大位牌」の中で安堵されたことであろう。

通綱は、宝厳寺で河野、得能一族の法要を執り行って、後醍醐天皇(南朝)方と足利尊氏(北朝)方の戦闘に南朝方として参加、新田義貞と行動を共にし、延元2年/建武4年(1337)3月6日、越前金ヶ崎城で戦死を遂げた。この地に残った河野、得能一族の後裔たちが「大位牌」を再び寄進されたという次第である。

落慶法要の当日、鯖江市からお見えいただいた河野通弘氏と和田文典氏にお会いし、喜びをわかちあった。「大位牌」制作の経緯は後日『一遍会報』に掲載し、永く記憶として留めておきたいと願っている。

北陸河野会のみなさん、ありがとうございました。河野家の縁を大切に守っていきたいと思います。

三好 恭治