平成21年2月度例会講話
祈りの経営
〜共同体ということ〜
三 好 恭 治
一、はじめに

一遍を始祖とする時衆は、一遍をリーダーとして「賦算・踊念仏・遊行」を続けた。一遍死後は二祖・他阿上人(真教)に率いられ、遊行上人は遊行と定住という二面性を持ちつつ今日に到っている。
宗教の原始形態は、仏教、基督教、イスラム教、儒教も共通して、群れ・講・カルト・セクトを経て宗派宗教として発展していく。 指導者(教祖)はカリスマとして集団から超越し、信徒は平伏し「マインドコントロール」される。まさに「擬似家族共同体」であり「実存的共同体」となる。
現代においても、イエスの方舟[千石剛賢]・オウム真理教[麻原彰晃]・幸福会ヤマギシ会(世界急進Z革命団山岸会)[山岸巳代蔵]はさておき、国内外に広く普及している一燈園[西田天香]・天理教[中山みき]・創価学会(創価教育学会)[牧口常三郎&戸田城聖]なども宗教原理的には同様である。

二,明治期の「祈りの経営」 

未曾有の経済不況に直面してグローバル経済の部分的な修正に迫られており、伝統的な「日本的経営」の再評価の動きが出ている。   「日本的経営」の特質は@生涯雇用(定年制・年齢序列・後継者育成・企業文化伝承)A年功序列(賃金カーブ・昇進カーブ平均化・実力評価は相対的反映)B企業内組合(会社の繁栄は従業員・組合員の繁栄)といわれている。結果として、株主軽視・従業員重視の「企業内運命共同体」として「乏しきは憂えず 等しからざるを憂う」という中流的平等感が確立する。明治期の日本の近代化を推進した繊維産業の代表的なリーダーの施策を通して歴史的な証言を得たい。

(1)鐘淵紡績鰍ヘ明治二〇年創立され、武藤山治(一八六七〜一九三四)が著名である。彼は、昭和九年北鎌倉の路上で暴漢に襲われ死去したが、死の直前受洗した。
明治三六年「注意書箱」(提案制度)、『鐘紡の汽笛』(社内報)、明治三八年「鐘紡共済制度(健康保険組合)」、大正三年「職工幸福増進係(産業カウンセラー)、大正一三年「鐘紡無料診療所」を設置し、大正一四年刊行された細井和喜蔵著『女工哀史』でも 「鐘紡は別だが・・・」の記述がある。
武藤が志向したのは家族共同体経営(家族主義・温情主義)であり、『実業読本』で「愛は人間自然の性情であって、父母、兄弟、姉妹の間には強い愛情があるが、それが次第に広くなるに連れて、薄く成り行くものである。博愛の精神は正義人道に立脚し、時としては眼前の不利を招く様であるが、永遠には必ず勝利を得るものである。」と記述している

(2)郡是製糸鰍ヘ明治二九年創業で波多野鶴吉(一八五八〜一九一八)が代表者である。彼は明治二三年丹波教会(牧師留岡幸助)で洗礼を受けている。郡是製糸社訓はキリスト教精神による会社経営であり、村落(郡)共同体経営を志向した。郡是製糸設立目論見書には「会社ノ性質ハ株式会社ナルガ故ニ、固ヨリ株主ノ利益ヲ重ンズベキハ当然ノコトナルモ、設立ノ趣旨ハ、専ラ蚕業奨励ノ機関タルニアルヲ以テ特ニコノ精神ニヨリ経営スルコト」と明記され、株主総数七三八名中、一〜二株株主四四六名、一〇株未満七〇三名(九五%)で「何鹿郡民の、何鹿郡民による、何鹿郡民のための企業」が奇跡的に誕生した。

(3)倉敷紡績鰍ヘ明治二一年創立し社長大原孫三郎(一八八〇〜一九四三)は明治三九年倉敷基督教会(牧師田崎健作)で洗礼を受けている。本来の事業経営は当然であるが、彼の理想とした社会施策は企業の枠を超えた存在である。代表的なものとして倉敷教会&倉敷日曜講演、大原農業研究所、大原社会問題研究所、倉敷労働科学研究所、大原美術館などが列挙できる。正に彼は、利益(社会)共同体を志向しており、労働者の幸福を保証してこそ、事業経営に意義があり、又その繁栄を到来せしめることができると確信していた。同社の石井十次筆「茶臼原運営理想」では鍬鎌主義を実行し、理想の国を建設すべきと高らかに謳いあげている。

三、集団の倫理

マックス・ウエーバー『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』やリチャード・トーニー『宗教と資本主義の興隆』によれば、人が働くのは「召命」「天職」(beruf・calling・vocation)であり、魂が救われるか否かはあらかじめ神によって定められている。【予定説】救済の確証を得るために、人は禁欲的な生活を営み、職業を神から与えられた天職と考えて勤労に従事すべきであり、 勤労の結果得られる富の蓄積は信仰上正しいとした。。当時勃興しつつあった市民階級(商工業者)に支持されて普及し、産業革命を経て資本主義の発展に大きな影響を与えた。
上述の武藤山治、波多野鶴吉、大原孫三郎は共にクリスチャンであるが、志向した理念は家族・村落・社会とそれぞれに違っていた。 社会学者のフェルディナンド・テンニェスの 『ゲマインシャフトとゲゼルシャフト』 を援用すると、
@家族(血縁)共同体(ゲマインシャフト)は「恩義」、
A村落(地縁)共同体(ゲノッセンシャフト)は「信義」、
B利益(人縁)共同体 (ゲゼルシャフト)は「道義」によって成り立っている。
今日的には
C国家共同体
D地球共同体
まで拡大し、利益を越える「理念」や「愛」「人道」「天道」が具現化されなければ、安全と安心なる社会が実現されることは不可能であろう。

四、現代の「祈りの経営」 

大正から昭和を通して、知識人から庶民、財界から宗教界まで共感を呼んだ人物に一燈園を主宰した西田天香(1905〜1968)がいる。京都鹿ヶ谷に一燈園を開き、托鉢、奉仕、懺悔の信仰生活を説いた。のち山科に移り、日露戦争後から第一次世界大戦中には、一燈園が説く「おひかり」による内面的救済を求めて信者が急増する。その中には倉田百三(『出家とその弟子』の著者)、尾崎放哉の姿もあった。一燈園では、数百人の信者が、絶対平等、無所有、無一物の共同生活を営み、奉仕の托鉢行(便所掃除奉仕)を行った。一九二一年、西田が著した教話集『懺悔の生活』はベストセラーとなった。同時代的には賀川豊彦の「死線を越えて」や武者小路実篤の「新しき村」が受け入れられた時代環境であることを忘れてはなるまい。

「一燈園」で西田の謦咳に接し実業界に活躍した人物にダスキンの鈴木清一(1911〜1980)がいる。一九四四年「ケントク」を創立、以後「道と経済の合一」を願う「祈りの経営」を生涯を通じて追求することになるが、外資系企業に買収され、新たに一九六三年ダスキンを創業し、フランチャイズシステムによって画期的な流通組織を確立、清掃用具のレンタル事業を全国展開する。
上場会社であるが株主総会は「般若心経」の唱和から始まる。改まった組織はなく、役員・社員は「働きさん」、セールスは「シーダーさん」(種まく人)「リーダーさん」「ヘルプさん」と呼ぶ。給料は「お下り」、賞与は「ご供養」である。朝夕の「おつとめ」では経営理念である@「ダスキン悲願」A「ダスキン一家の祈り」B「ダスキンの祈りの経営」を唱和する。併せて一燈園研修「智徳研修会」が必修となっている。

西田は「一燈園」を「聖なるもの」として「六萬行願(托鉢=奉仕)」を通して「無一物」により「生かされている己」を自覚し、授かり物は「無尽蔵」として「共捧げ=信託」であると規定し実業での利益を認めた。「無一物」と「無尽蔵」は相反するものではなく「二不相無」であり、統合するものとして「天華光洞(光卍十字)」を中心に据えた。

五、おわりに

「聖なるもの」としての経営理念と「俗なるもの」としての経営活動は必ずしも一致するものではなく相反することが多い。経営は合理的、科学的になされていくが、経営理念は経営者の理想に負う所が大きい。まさに「祈りの経営」である。過去の日本的経営は日本文化の縮図であり家族主義的共同体を土台にしている。民族・文化・歴史を異にする現代のビジネス社会では新たな共同体理念を確立する必要がある。ボランタリーチェーンでの経営体の独自文化を容認する経営スタイルは現在の経営理論とは本質的に相容れないが、個々の共同体を是認する「祈りの経営」こそ今日の最重要経営課題と考えたい。