平成20年5月度例会講話要旨
 講 師  大 本 敬 久
 講 話  甘茶と百足除けの俗信
講話 甘茶と百足除けの俗信 要旨
西予市明浜町渡江では昭和30年頃まで、墨で紙に「あまちゃ」と平仮名で書いて、それを逆さにして、家の中の柱などに貼っていたという。蚊帳を出している夏の季節に貼っていたといい、百足(ムカデ)除けだと言われていたという。
 『日本民俗大辞典』(吉川弘文館)によると、柳田国男著「卯月八日」を参考文献として、潅仏会(花祭り)の甘茶で「ウヅキヨウカは吉日でオナガムシの成敗をする。」と書いて、便所に貼っておくと虫がつかぬとか、甘茶を家の廻りにまけば蛇が入らぬとか、田圃の周囲にまけば虫がつかぬなど、近畿地方各地で伝えられると紹介されている。『愛媛県史民俗編下』でも花祭りについて「甘茶には格別の呪力があると信ぜられていて、家族で分けて飲む。またこれで墨をすり、『千早ぶる卯月八日は吉日よ、神さげ虫を成敗ぞする』とか、『卯月八日のちる日に神さげ虫を成敗する』とか『茶』とだけ書いた紙片を逆さにして家の柱や入口に貼っておくと長虫が入らぬといわれている。また甘茶を家の周囲にまいて百足や蛇除けの呪いをする。」とある。ここでは具体的な地名は出ていないが、愛媛県内の各市町村誌を眺めてみると、類例を数多く散見することができ、県内でも広く見られる俗信のようである。例えば『伊方町誌』には、四月八日の花まつりで参拝人は甘茶を受けて帰り、この甘茶で墨をすって「茶」と書いた紙を逆さに家の柱にはると百足、蛇が入らないといわれて いるとあり、『八幡浜市誌』でも「甘茶は呪力があると信じられ、家族で分けて飲んだり、これで墨をすり、小さな紙片に『ちゃ』と書いて、むかでの出そうな所の柱の下の方へ逆さに貼り付けておくと、むかでが出てこない」と紹介されている。また、『ふるさと年中行事調査報告書』(昭和49年、愛媛県教育委員会発行)では越智郡岩城村(現今治市)の事例として、「(潅仏会への)一般の参拝者は甘茶を持って帰り、蚊帳をこの日に出して甘茶をふりかける。長虫がつかないとの意である。」と紹介されている。このように、潅仏会の甘茶が、百足や蛇(長虫)を寄せ付けない呪力を持つものと信じられていたようである。
 しかし、なぜ紙片に「あまちゃ」とか「ちゃ」、「茶」と墨書きして、それを逆さに貼るのだろうか。その点は疑問として残る。潅仏会の由来譚に、そのヒントがあるのかと思って少し調べてみたが、必ずしもそうではないようだ。
 潅仏会で誕生仏に甘茶をかける行為の由来は、『仏教儀礼辞典』(東京堂出版)によると、摩耶夫人がルンビニー園で身を洗浴した時、産気を催して無憂樹の下で、垂れ下がった花の枝をとろうとした時、右脇から安らかに太子を誕生された。『普曜経』第二にその時の様子が記されており、「爾の時菩薩右脇より生じ、忽然として身宝蓮華に住みするを見る。地に堕ちて行くこと七歩、梵音を顕揚して無常を訓教し、我れ当に天上天下を救度して天人尊と為り、生死の苦を断じ、三界に上なく、一切の衆をして無為常安ならしむべしと。天帝釈梵忽然として来下し、雑名香水をもて菩薩を洗浴し、九竜上に在りて香水を下し、聖釈を洗浴す。洗浴竟已(おわ)つて身心清浄なり」とある。潅仏会は釈迦の誕生を祝うためのものであるが、竜王が空中より香水を濯ぎ、その身体を洗浴したということから、潅仏会(花祭り)では誕生仏の像に甘茶をそそぐというのである。しかし、『普曜経』の記述では、そそぐのは甘茶ではなく、香水となっている。この点についても『仏教儀礼辞典』によると、甘茶を用いるようになったのは江戸時代からだろうとしており、それ以前には五色香水を混 合して用いたらしい。そして十八世紀前半の享和年間頃の『燕石十種』第一に潅仏会に茶を用いていることや、文政五(一八二二)年成立の『民間時令』第二に「五香水をそゝぐよしみえたれど、江戸にては茶をもてそゝげり」という記述を引用しており、江戸時代に次第に香水から甘茶へ移行していったことがうかがえる。
 以上の潅仏会の由来や歴史からは、甘茶が本来用いられていたわけではなかったこと、そして百足や蛇除けのまじないにつながる要素は見出せないことがわかる。『普曜経』の記載を基礎として考えるのであれば、「香水」と紙片に墨書して長虫除けとすべきところを、管見できるどの民俗事例も、紙片には「茶」もしくは「甘茶」を漢字、もしくは平仮名で書くことになっている。
 つまり、この俗信は江戸時代以降に成立したものと考えることができ、もともとの潅仏会という仏教儀礼そのものから派生した習俗ではないようである。
 そこで、この疑問を推測するヒントとなるのが、茶や甘茶の「お接待」との関係である。愛媛でも西予市城川町など南予山間部では「茶堂」と呼ばれる辻堂があり、そこで遍路や旅人に茶や甘茶などの接待をするという習慣がある。これは地区の外から来訪する者を歓待するために行われる行為であるが、「あまちゃ」と書いた紙片を逆さに貼る行為は、歓待の逆の意味で、つまり排除したいという心意から、外から浸入してほしくないもの(家では百足や蛇など)への対策として逆さに貼るのではないだろうか。「甘茶」=歓待、「甘茶」を逆さにする=排除ということである。ただし甘茶を家の周囲に撒くことや、蚊帳にふりかける行為は、純粋に甘茶の呪力を信じてのことであろう。
 甘茶の呪力に関する俗信については、結局、江戸時代以降の潅仏会での甘茶の使用を基礎として、そこに民間の心意が働いて誕生した民俗といえる。とはいうものの、墨書して「逆さ」して貼るという行為が、限られた地域のものではなく、愛媛県のみならず、全国各地にも共通して見られるのは何故であろうか。その点だけは不思議である。この行為を広く定着せしめた要因は何なのか。自然発生的なのか、それとも何らかの文献にでも紹介されて、情報流通して広がったものなのか、よくわからない。こういった点は仏教と民俗(民間伝承)の交錯の複雑さを顕している。