平成20年4月度例会講話要旨
 講 師  松 原 正 毅
 講 話  遊牧の世界から
講話 遊牧の世界から 要旨
遊牧は、人類の生活様式のひとつである。遊牧の暮らしは、群居性の有蹄類を群れとして管理し、そこから産出する毛・皮・乳・肉などを生活の基盤としながら、年間を通じて長距離にわたる移動をおこなうというものだ。遊牧の歴史については、明確にわかっている部分はすくない。遊牧という生活自体が、後世にみずからの痕跡をのこすという仕組みになっていないからだ。年間を通じて移動をくりかえす生活のなかでは、考古学的遺物や遺跡を形成する機会はきわめて稀なことだといえる。それに加えて、遊牧民自身がみずからの歴史記録をほとんど書きのこしていない。
遊牧や遊牧民についての歴史記録の大部分は、外部の観察者の手によってのこされている。遊牧についてのまとまった文字記録としてもっとも古いものは、ヘロドトスの『歴史』と司馬遷の『史記』である。ヘロドトスは小アジア(現在のトルコ)生まれの歴史家で、紀元前5世紀に活躍した。司馬遷は前漢時代の歴史家で、紀元前2世紀から紀元前1世紀にかけてその人生をおくっている。
ヘロドトスはスキタイについて、司馬遷は匈奴について貴重な記録をのこした。スキタイ、匈奴とも、歴史上ひじょうに有名な遊牧民である。貴重な歴史記録をのこしたけれど、ヘロドトス、司馬遷の記述には遊牧民に対する偏見が共通してみられる。それは、遊牧民を「人面獣心」の化外の民とする偏見である。この偏見は、定住生活者から移動生活者をみるときのゆがみに根ざしたものだ。
こうした偏見にもとづく記録においては、当然ながらそこでとりあつかわれる遊牧民像に多少のゆがみを生じてこざるをえない。外部の観察者の手によってのこされた歴史記録にもとづいて遊牧民像を解釈するときには、ある種の補正作業をほどこす必要がある。この補正作業をおこなうためには、前提として遊牧についての徹底したフィールドワーク(現地調査)が不可欠だ。遊牧についてのフィールドワークにもとづく情報との照合を通じて、はじめて歴史記録のなかのゆがみをただすことが可能になるからである。暗闇につつまれた遊牧の歴史に光をあてるためには、気のとおくなるような地道な作業の持続が必要といえる。
遊牧は、農耕とならぶ重要な人類の生活様式である。農耕と比較したときの遊牧のきわだった特徴は、まったく自然を加工しないという点である。草原などの自然に人間の手をくわえることなく、家畜群の移動に追随しながら暮らすからだ。これに対して、農耕は自然を人間の手によって加工しないと成立しない構造になっている。木を伐採し、土地をたがやさなくては、農耕はできない。一部の研究者は、「農耕は環境破壊の原罪を背負っている」という表現さえしている。
一方で、農耕がなければ、現在の60億をこえる地球上の人口をやしなうことは不可能であった。工業をはじめとする現代産業の大部分が、農耕を基盤に展開したことも否定できない事実である。農耕は、人類の生存をささえるうえで不可欠な要素となっている。
人口支持力という点だけにしぼれば、農耕は遊牧にくらべておおきな潜在力を保持している。遊牧でおおくの人口をやしなうことは、困難である。農耕は定住を原理として狭い地域におけるおおくの人口の集住形態を生みだしたのに対し、遊牧は移動を原理として広大な地域における散住形態をとる。農耕と遊牧を、優劣の視点からとらえるのではなく、原理のちがいとして把握する必要があるだろう。人類の暮らしかたとして、定住と移動というふたつの原理が歴史的に確立していったわけである。その意味では、人類にとって遊牧の重要性は農耕とかわらないといえる。
遊牧の特徴として、自然を加工しない暮らしというほかに、累積的な財産を蓄積しない、平等主義的な社会である、柔軟な社会編成をおこなう、などの要素をあげることが可能であろう。それにくわえて、土地所有の観念を保持しなかったことがある。すべての土地は、すべての人の共用の対象になった。私有化によって土地が細分されると、広大な地域を自由に移動することができなくなって、遊牧そのものが成立しなくなる。近代国家制度の成立によって、もっともおおきな打撃をこうむったのはユーラシアの遊牧社会であった。地表に厳格にはりめぐらされた国境線によって、自由な移動がさまたげられたからである。
遊牧が起源したのは、ユーラシアの大乾燥地域である。この大乾燥地域は、南シベリアから中央アジア、中東へと、北東から南西の方向にむけてユーラシア大陸の中央部をほぼ斜めにつらぬいている。ここは、草原や砂漠、山岳地帯などによって構成された地域である。一部には、水にめぐまれたオアシスも点在する。こうした大乾燥地域には、もともと野生の有蹄類が大群をなして遊弋していた。現生人類は、この野生の有蹄類の群れに追随しながら、群れからこぼれおちてくる個体を狩猟対象としていたであろう。このながい狩猟活動の経験のなかから去勢と搾乳という技術を確立することによって、遊牧は成立したのである。
現生人類の祖先は、20〜25万年前ころアフリカの一角に誕生したとされる。人類をもっとも特徴づける言語運用能力は、遺伝子の突然変異によって20万年前ころ獲得されたとかんがえられている。現生人類の出現と言語運用能力の獲得は、ほぼ同時期であったわけである。言語運用能力をもった現生人類は、5〜10万年前ころからアフリカの地をでて地球上のさまざまな地域への移動と拡散をつづけてゆく。
現生人類は、言語運用能力の活用を通じて、さまざまな知識や情報を集約化し体系化することが可能になった。集約化、体系化した知識や情報にもとづいて、採集の対象であった植物を栽培化し、狩猟の対象であった動物をかちくかしていったのである。こうして、農耕と遊牧という重要な人類の生活様式が確立する。かりに現生人類に言語運用能力がそなわっていなかったとしたら、農耕も遊牧も起源することはなかったであろう。
遊牧の起源は、農耕の起源よりも古いとかんがえられる。遊牧の生活においては、ほとんど特別な道具類を必要としないからだ。遊牧生活の基盤となる搾乳に際しても、身ぢかにある皮袋などでも充分に対応は可能である。特別な容器を用意しなくても、搾乳をおこなうことができる。これに対して、農耕においては、耕作や収穫、貯蔵などのためにおおくの道具類をつくりだす必要があった。農耕の起源は1万年前ころとされているが、遊牧の起源はそれに倍する時間をさかのぼる可能性があるだろう。その場合、ヒツジ、ヤギがもっともはやく家畜化され、ウシ、ウマ、ラクダの家畜化はそのあとにつづいたとかんがえられる。
遊牧社会のもっともおおきな役割は、ユーラシア大陸における歴史変動の原動力となったことであろう。数千年前からユーラシア大陸で展開された都市国家などの形成やさまざまな歴史変動にあたって、遊牧社会はおおきな力を発揮している。
今後、ユーラシアの歴史をゆがみなくとらえるためには、遊牧の再評価をおこなう必要があるだろう。